博物館, 考古学 世界最古の天文盤、ネブラ・ディスクの出土地を訪れる ある秋の日曜、私と夫はザクセン・アンハルト州の小さな町、ネブラを訪れることにした。世界最古の天文盤とされる「ネブラ・ディスク(die Himmelsscheibe von Nebra)」が出土された場所を見るためだ。 (Flickr/Patrik Tschudin) ネブラ・ディスク、それは1999年に発見された天文盤だ。紀元前1600年頃の青銅器時代の遺物とされ、現在はユネスコ記憶遺産に登録されている。青銅製の円板の上に太陽と三日月、そして32個の星を表す金のインレーが嵌め込まれている。 この天文盤はミッテルベルク・プラトーという丘陵地にあるネブラに埋まっていた。 ネブラに到着した私たちは駐車場に車を止め、ビジターセンターとおぼしき建物へ向かった。 ビジターセンター(Arche Nebra) ビジターセンターに入り、「出土地はどこですか」と尋ねると、係員の女性は「ここから約3km、丘を上がったところですよ」と教えてくれた。 丘を3kmも登るのか、、、、。 窓から見える丘の向こうが出土地 「シャトルバスもあります。あと10分で出発しますが、先に出土地を見ますか?それともプラネタリウムを見ますか?」 なんだ、バスがあるんじゃないの。よかった。もうじき出発だと言うので、ビジターセンターを見るのは後回しにして、バスで出土地に行くことにした。間もなくやって来たのは、バスというよりもワゴン車。中年の女性とその息子と思われる小学生男子が乗っていた。 「帰りは好きなときに歩いて戻ってくださいね。下り坂だから、大丈夫ですよね?」 シャトルバスと言いながら、片道であった。 森の中を抜け、あっという間に到着した原っぱにそのスポットはあった。 この丸いフェンスで囲まれたところから天文盤が発掘された ディスクが掘り出された中央部には現在、このようなステンレス製の円板が埋め込まれている。空を映すこの鏡は「天空の目(Himmelsauge)」と呼ばれるそうだ。 ネブラ・ディスクの発見ストーリーは謎めいている。この天文盤は考古学者らにより発掘されたのではなく、盗掘品であった。違法な取引きによって人の手から手へと渡った後、2002年、正式に保護された。青銅器時代、この地に住んでいたウーネチツェ人が天体を観察するために使っていたとされる。しかし、肝心の天文盤はここにはなく、近郊の都市、ハレの先史博物館にある。丘の下のビジターセンターではそのレプリカが見られるだけである。 すぐそばには見晴らし台が建っている。 見晴らし台からの眺め そして、この見晴らし台は日時計でもあるのだ。 地面に引かれたラインはブロッケン山という高い山の方角を示していて、夏至にはちょうどこの方角に太陽が沈む。人里離れた静かなこの地で青銅器時代の人たちがディスクを見ながら天体の動きを観測していたのだなあと想像すると、なんともロマンチックである。 さて、出土地を確認した私たちは満足し、3kmの道のりを下った。シャトルバスの運転手さんが言うように、下り坂なのですぐに降りてしまった。ビジターセンターではネブラ・ディスクについての展示やプラネタリウムを見ることができる。(ちなみに、プラネタリウムでは結婚式も挙げられるそうだ) 駐車場前にはこんなレストランがあり、なかなか雰囲気良し。 アプフェルシュトルーデルというリンゴのパイを頼んだら、ネブラ・ディスク風の盛り付けになっていて、でも、雑で可笑しかった。 2017年3月9日/2 コメント/作成者: Chika https://chikatravel.com/wp-content/uploads/2017/03/373262830_235fd2f7e4_o-1.jpg 1807 2032 Chika https://chikatravel.com/wp-content/uploads/2020/10/chika_logo_black-d-2.png Chika2017-03-09 23:40:272018-11-01 15:09:51世界最古の天文盤、ネブラ・ディスクの出土地を訪れる
博物館, 建築物, 産業技術 廃墟感満載なラウジッツの発電所ミュージアム、Erlebniskraftwerk Plessa 春の訪れとともに、出かけたい欲が急激に高まって来た。 冬の間も観光ができないことはないが、ドイツの冬は日が短く、すぐに真っ暗になってしまう。天気が良くない日が多い上に、観光できる時間が限られるとなると、遠出しにくい。特に、屋外や地方のマニアックな観光スポットは、観光客が少ない冬季にはサービスを休止しているところが多い。冬は旅行好きにはもどかしい季節だ。 3月の声を聞いたら、居ても立ってもいられなくなった。ようやくシーズン開幕だ。さて、週末にはどこへ行こう? 訪れたい場所リストの中から狙いをつけたのは、ブランデンブルク州南部とザクセン州東部にまたがる地域、ラウジッツである。褐炭の豊富なこの地域は、まだドイツが東西に分かれていた頃、旧東ドイツ(DDR)のエネルギー産業を支える重要な工業地帯だった。1990年のドイツ統一後、旧東ドイツの産業は急激に衰退し、多くの発電所や工場が閉鎖されたが、施設のいくつかは産業遺産に指定され、観光スポットになっている。特に、褐炭採掘場や関連施設を結ぶ「エネルギールート」は、ラウジッツ産業観光のハイライトであるらしい。よしっ、このスポットのどれかを見学に行こう! しかし、やはり少々気が早かったのか、スポットの多くは4月にならないとオープンにならない。なかばがっかりしつつ、どこかないかと片っぱしからリンクを開いてチェックしていたところ、3月から訪問者を受け付けているスポットがようやく見つかった。Erlebniskraftwerk Plessa (プレサ発電所ミュージアム)である。ウェブサイトを見ると、個人ガイドツアー申し込み可とある。早速、オンラインで私と夫の二人分を申し込んだ。 翌日、ミュージアムから電話がかかって来た。 「ハロー。こちらはプレサ発電所ですが、ガイドツアーに申し込まれたのはあなたですか」 「はい、そうです」 「明日、ツアーをご希望とのことですが、他の週末にしてもらえませんかね?」 「エッ!?明日は無理なのですか?」 張り切っていたのに、いきなり出鼻をくじかれた。 「無理っていうか、冬の間、ミュージアム閉めてたもので、水が出ないんですよ。水道管のトラブルがあって、まだ修理してなくて」 「できれば明日伺いたかったんですよね。水が出ないと、ツアーに支障があるんでしょうか」 「トイレに行っても、流せないですよ」 「トイレ?問題はそれだけですか?」 「まあ、そうです」 「トイレなんて、いいですよ。どうにかしますから」 「そうですか?だったらいいけど。じゃあ、明日、お待ちしてますね」 「はい、よろしくお願いしますっ!」 よかった。無事、ツアーを実行することができそうだ。 翌朝、早起きして車に飛び乗った私と夫は、ブランデンブルク州を南下し、プレサへ向かった。 到着。大きくて全体を一枚に収めることができないが、煙突が2本ある赤レンガの建物である。 ツアー予約時刻の10分ほど前に着いたら、まだ門が閉まっていた。カメラを持って周囲をウロウロしていると、中年男性のグループが声をかけて来た。 「あなたもここで写真を撮るんですか?」 「私たちは見学ですよ。写真も何枚か撮るつもりですが」 「私たちは写真を撮る目的で来たんですよ、ベルリンから。ここ、凄いって聞いたからね」 ベルリンの一眼レフ愛好家のグループらしい。 まもなくミュージアムの人が自転車に乗ってやって来て、ツアーが始まった。 プレサ火力発電所は1927年に運転を開始し、ドイツ統一の2年後に閉鎖された。現在、ほぼ操業開始時のままのかたちで残っている発電所としては、欧州で最も古いものの一つだという。 褐炭を積んだワゴンがここに入るとワゴンの側面が開き、褐炭がレール左右の穴に落ちる。 褐炭を運び入れるのに使われた車輌 運転席 しかし、冬場には褐炭がワゴンの中で凍りつき、うまく落ちないことがよくあった。そんなときにはワゴンよりも高い位置に設置したStöckerbühneと呼ばれるプラットフォームから長い鉄棒でワゴンにくっついた褐炭をつついて落とす作業が必要だった。そこに展示してある棒は長く、恐ろしく重い。こんなものを誰が持って作業できるというのだろうと不思議に思ったが、兵士が動員されていたという。 穴に落ちた褐炭はいったんそこに溜めておき、そのうちの一定量がそのさらに一段下に落ちて燃焼炉に運ばれるのだが、ここでも側壁に引っかかってうまく落ちないことがある。引っかかった褐炭は壁の外側についた三角形の窓を開け、棒で落とす。この作業は女性労働者がやっていたそうだ。 そして、褐炭はこのようなコンベヤーで燃焼炉に運ばれた。 建物の中はどこもかしこも、すごい光景である。年代物の設備の多くがかなり良い状態で保存されている。ガイドツアーの内容も興味深いが、工場萌えフォトグラファーには堪らない場所に違いない。実際、ベルリンから来たフォトグラファー達は興奮して写真を撮りまくっていた。機関室の隅にはモダンなシステムキッチンが備えてあったので不思議に思い、なぜそんなものがあるのかとガイドさんに聞くと、ときどきこのミュージアムはパーティ会場として貸し出しするのだという。赤や紫の照明で照らせば最高にクールだろう。 一つ一つ説明を加えると記事が長くなりすぎるので、ここからは写真のみ。残念ながら私はこの手の写真が得意ではないので(他の写真も別に上手くはないが、、、)、マニアックさがうまく伝わらないかもしれない。 私はこのコントロールルームに痺れてしまった 東ドイツの産業史という観点からも非常に興味深いミュージアムである。DDR時代、この発電所は多くの地域住民を雇用していた。発電所での仕事の大部分は重労働である上に、建物内は熱気や粉塵が酷く、健康への影響も相当であっただろう。その代わり、賃金は比較的高く、年金の条件も良かったという。発電所の閉鎖により人々は職を失ったが、この建物がミュージアムとして一般公開されるようになり、現在はかつての被雇用者数の約1/3にあたる人数が働いている。 さて、発電所の見学を終えた私たちは、周辺を探索してみた。 発電所のすぐ隣はソーラーパークになっている。これも時代を感じさせる光景だ。褐炭による発電はエネルギー効率が低く、環境への負荷も非常に大きい。プレサ発電所のエネルギー効率はなんと、わずか18%。しかし、旧東ドイツ時代には褐炭という資源に頼らざるを得なかった。環境保護など二の次であったに違いない。 発電所から少し離れた場所には、発電所と褐炭採掘場の事務所と思われる建物があった。 そして、その先は森なのだが、森のでこぼこ道を車で走っていたら木々の向こうに湖が見えて来た。ふと湖面に目をやり、 な、なんだあれは!? 衝撃的な光景に慌てて車を止め、外に飛び出した。なんと、湖の水が真っ赤なのである。 まるで血のように赤い!!一体、なぜ? 「わかった、これは褐炭の色だ!」と夫が叫んだ。なるほど、、、。不思議な景色である。 この後、近郊の露天掘り場を見るつもりだったのだが、森の中で迷ってしまい、残念ながら見つけられなかった。その代わりにLauchhammerという場所にこんなものを発見! これもこの地方の産業遺産の一つで、Biotürme(バイオタワー)と呼ばれるものらしい。ここにはDDRの重工業の礎となった巨大なコークス工場があった。工場が廃止され、設備が解体されたとき、この24のタワーのみが残された。なぜコークス工場なのにバイオタワーなのかというと、コークスを製造する際に出るフェノールを多く含んだ汚水をこのタワーの中でバクテリアを使って浄化していたから。それにしても、たいして何もなさそうな田舎にこんなものが突然そびえ立っているのだから凄い。 このように、ラウジッツ地方には面白い産業遺産がたくさんあるのだ。宮殿や教会のような、いわゆる美しい建物とは一線を画す観光スポットだが、DDRの産業について知ることができ、大変興味深い。 2017年3月7日/作成者: Chika https://chikatravel.com/wp-content/uploads/2017/03/TES_4188.jpg 2848 4288 Chika https://chikatravel.com/wp-content/uploads/2020/10/chika_logo_black-d-2.png Chika2017-03-07 22:11:072019-01-21 07:02:57廃墟感満載なラウジッツの発電所ミュージアム、Erlebniskraftwerk Plessa
世界最古の天文盤、ネブラ・ディスクの出土地を訪れる
ある秋の日曜、私と夫はザクセン・アンハルト州の小さな町、ネブラを訪れることにした。世界最古の天文盤とされる「ネブラ・ディスク(die Himmelsscheibe von Nebra)」が出土された場所を見るためだ。
(Flickr/Patrik Tschudin)
ネブラ・ディスク、それは1999年に発見された天文盤だ。紀元前1600年頃の青銅器時代の遺物とされ、現在はユネスコ記憶遺産に登録されている。青銅製の円板の上に太陽と三日月、そして32個の星を表す金のインレーが嵌め込まれている。
この天文盤はミッテルベルク・プラトーという丘陵地にあるネブラに埋まっていた。
ネブラに到着した私たちは駐車場に車を止め、ビジターセンターとおぼしき建物へ向かった。
ビジターセンター(Arche Nebra)
ビジターセンターに入り、「出土地はどこですか」と尋ねると、係員の女性は「ここから約3km、丘を上がったところですよ」と教えてくれた。
丘を3kmも登るのか、、、、。
窓から見える丘の向こうが出土地
「シャトルバスもあります。あと10分で出発しますが、先に出土地を見ますか?それともプラネタリウムを見ますか?」
なんだ、バスがあるんじゃないの。よかった。もうじき出発だと言うので、ビジターセンターを見るのは後回しにして、バスで出土地に行くことにした。間もなくやって来たのは、バスというよりもワゴン車。中年の女性とその息子と思われる小学生男子が乗っていた。
「帰りは好きなときに歩いて戻ってくださいね。下り坂だから、大丈夫ですよね?」
シャトルバスと言いながら、片道であった。
森の中を抜け、あっという間に到着した原っぱにそのスポットはあった。
この丸いフェンスで囲まれたところから天文盤が発掘された
ディスクが掘り出された中央部には現在、このようなステンレス製の円板が埋め込まれている。空を映すこの鏡は「天空の目(Himmelsauge)」と呼ばれるそうだ。
ネブラ・ディスクの発見ストーリーは謎めいている。この天文盤は考古学者らにより発掘されたのではなく、盗掘品であった。違法な取引きによって人の手から手へと渡った後、2002年、正式に保護された。青銅器時代、この地に住んでいたウーネチツェ人が天体を観察するために使っていたとされる。しかし、肝心の天文盤はここにはなく、近郊の都市、ハレの先史博物館にある。丘の下のビジターセンターではそのレプリカが見られるだけである。
すぐそばには見晴らし台が建っている。
見晴らし台からの眺め
そして、この見晴らし台は日時計でもあるのだ。
地面に引かれたラインはブロッケン山という高い山の方角を示していて、夏至にはちょうどこの方角に太陽が沈む。人里離れた静かなこの地で青銅器時代の人たちがディスクを見ながら天体の動きを観測していたのだなあと想像すると、なんともロマンチックである。
さて、出土地を確認した私たちは満足し、3kmの道のりを下った。シャトルバスの運転手さんが言うように、下り坂なのですぐに降りてしまった。ビジターセンターではネブラ・ディスクについての展示やプラネタリウムを見ることができる。(ちなみに、プラネタリウムでは結婚式も挙げられるそうだ)
駐車場前にはこんなレストランがあり、なかなか雰囲気良し。
アプフェルシュトルーデルというリンゴのパイを頼んだら、ネブラ・ディスク風の盛り付けになっていて、でも、雑で可笑しかった。
廃墟感満載なラウジッツの発電所ミュージアム、Erlebniskraftwerk Plessa
春の訪れとともに、出かけたい欲が急激に高まって来た。
冬の間も観光ができないことはないが、ドイツの冬は日が短く、すぐに真っ暗になってしまう。天気が良くない日が多い上に、観光できる時間が限られるとなると、遠出しにくい。特に、屋外や地方のマニアックな観光スポットは、観光客が少ない冬季にはサービスを休止しているところが多い。冬は旅行好きにはもどかしい季節だ。
3月の声を聞いたら、居ても立ってもいられなくなった。ようやくシーズン開幕だ。さて、週末にはどこへ行こう?
訪れたい場所リストの中から狙いをつけたのは、ブランデンブルク州南部とザクセン州東部にまたがる地域、ラウジッツである。褐炭の豊富なこの地域は、まだドイツが東西に分かれていた頃、旧東ドイツ(DDR)のエネルギー産業を支える重要な工業地帯だった。1990年のドイツ統一後、旧東ドイツの産業は急激に衰退し、多くの発電所や工場が閉鎖されたが、施設のいくつかは産業遺産に指定され、観光スポットになっている。特に、褐炭採掘場や関連施設を結ぶ「エネルギールート」は、ラウジッツ産業観光のハイライトであるらしい。よしっ、このスポットのどれかを見学に行こう!
しかし、やはり少々気が早かったのか、スポットの多くは4月にならないとオープンにならない。なかばがっかりしつつ、どこかないかと片っぱしからリンクを開いてチェックしていたところ、3月から訪問者を受け付けているスポットがようやく見つかった。Erlebniskraftwerk Plessa (プレサ発電所ミュージアム)である。ウェブサイトを見ると、個人ガイドツアー申し込み可とある。早速、オンラインで私と夫の二人分を申し込んだ。
翌日、ミュージアムから電話がかかって来た。
「ハロー。こちらはプレサ発電所ですが、ガイドツアーに申し込まれたのはあなたですか」
「はい、そうです」
「明日、ツアーをご希望とのことですが、他の週末にしてもらえませんかね?」
「エッ!?明日は無理なのですか?」
張り切っていたのに、いきなり出鼻をくじかれた。
「無理っていうか、冬の間、ミュージアム閉めてたもので、水が出ないんですよ。水道管のトラブルがあって、まだ修理してなくて」
「できれば明日伺いたかったんですよね。水が出ないと、ツアーに支障があるんでしょうか」
「トイレに行っても、流せないですよ」
「トイレ?問題はそれだけですか?」
「まあ、そうです」
「トイレなんて、いいですよ。どうにかしますから」
「そうですか?だったらいいけど。じゃあ、明日、お待ちしてますね」
「はい、よろしくお願いしますっ!」
よかった。無事、ツアーを実行することができそうだ。
翌朝、早起きして車に飛び乗った私と夫は、ブランデンブルク州を南下し、プレサへ向かった。
到着。大きくて全体を一枚に収めることができないが、煙突が2本ある赤レンガの建物である。
ツアー予約時刻の10分ほど前に着いたら、まだ門が閉まっていた。カメラを持って周囲をウロウロしていると、中年男性のグループが声をかけて来た。
「あなたもここで写真を撮るんですか?」
「私たちは見学ですよ。写真も何枚か撮るつもりですが」
「私たちは写真を撮る目的で来たんですよ、ベルリンから。ここ、凄いって聞いたからね」
ベルリンの一眼レフ愛好家のグループらしい。
まもなくミュージアムの人が自転車に乗ってやって来て、ツアーが始まった。
プレサ火力発電所は1927年に運転を開始し、ドイツ統一の2年後に閉鎖された。現在、ほぼ操業開始時のままのかたちで残っている発電所としては、欧州で最も古いものの一つだという。
褐炭を積んだワゴンがここに入るとワゴンの側面が開き、褐炭がレール左右の穴に落ちる。
褐炭を運び入れるのに使われた車輌
運転席
しかし、冬場には褐炭がワゴンの中で凍りつき、うまく落ちないことがよくあった。そんなときにはワゴンよりも高い位置に設置したStöckerbühneと呼ばれるプラットフォームから長い鉄棒でワゴンにくっついた褐炭をつついて落とす作業が必要だった。そこに展示してある棒は長く、恐ろしく重い。こんなものを誰が持って作業できるというのだろうと不思議に思ったが、兵士が動員されていたという。
穴に落ちた褐炭はいったんそこに溜めておき、そのうちの一定量がそのさらに一段下に落ちて燃焼炉に運ばれるのだが、ここでも側壁に引っかかってうまく落ちないことがある。引っかかった褐炭は壁の外側についた三角形の窓を開け、棒で落とす。この作業は女性労働者がやっていたそうだ。
そして、褐炭はこのようなコンベヤーで燃焼炉に運ばれた。
建物の中はどこもかしこも、すごい光景である。年代物の設備の多くがかなり良い状態で保存されている。ガイドツアーの内容も興味深いが、工場萌えフォトグラファーには堪らない場所に違いない。実際、ベルリンから来たフォトグラファー達は興奮して写真を撮りまくっていた。機関室の隅にはモダンなシステムキッチンが備えてあったので不思議に思い、なぜそんなものがあるのかとガイドさんに聞くと、ときどきこのミュージアムはパーティ会場として貸し出しするのだという。赤や紫の照明で照らせば最高にクールだろう。
一つ一つ説明を加えると記事が長くなりすぎるので、ここからは写真のみ。残念ながら私はこの手の写真が得意ではないので(他の写真も別に上手くはないが、、、)、マニアックさがうまく伝わらないかもしれない。
私はこのコントロールルームに痺れてしまった
東ドイツの産業史という観点からも非常に興味深いミュージアムである。DDR時代、この発電所は多くの地域住民を雇用していた。発電所での仕事の大部分は重労働である上に、建物内は熱気や粉塵が酷く、健康への影響も相当であっただろう。その代わり、賃金は比較的高く、年金の条件も良かったという。発電所の閉鎖により人々は職を失ったが、この建物がミュージアムとして一般公開されるようになり、現在はかつての被雇用者数の約1/3にあたる人数が働いている。
さて、発電所の見学を終えた私たちは、周辺を探索してみた。
発電所のすぐ隣はソーラーパークになっている。これも時代を感じさせる光景だ。褐炭による発電はエネルギー効率が低く、環境への負荷も非常に大きい。プレサ発電所のエネルギー効率はなんと、わずか18%。しかし、旧東ドイツ時代には褐炭という資源に頼らざるを得なかった。環境保護など二の次であったに違いない。
発電所から少し離れた場所には、発電所と褐炭採掘場の事務所と思われる建物があった。
そして、その先は森なのだが、森のでこぼこ道を車で走っていたら木々の向こうに湖が見えて来た。ふと湖面に目をやり、
な、なんだあれは!?
衝撃的な光景に慌てて車を止め、外に飛び出した。なんと、湖の水が真っ赤なのである。
まるで血のように赤い!!一体、なぜ?
「わかった、これは褐炭の色だ!」と夫が叫んだ。なるほど、、、。不思議な景色である。
この後、近郊の露天掘り場を見るつもりだったのだが、森の中で迷ってしまい、残念ながら見つけられなかった。その代わりにLauchhammerという場所にこんなものを発見!
これもこの地方の産業遺産の一つで、Biotürme(バイオタワー)と呼ばれるものらしい。ここにはDDRの重工業の礎となった巨大なコークス工場があった。工場が廃止され、設備が解体されたとき、この24のタワーのみが残された。なぜコークス工場なのにバイオタワーなのかというと、コークスを製造する際に出るフェノールを多く含んだ汚水をこのタワーの中でバクテリアを使って浄化していたから。それにしても、たいして何もなさそうな田舎にこんなものが突然そびえ立っているのだから凄い。
このように、ラウジッツ地方には面白い産業遺産がたくさんあるのだ。宮殿や教会のような、いわゆる美しい建物とは一線を画す観光スポットだが、DDRの産業について知ることができ、大変興味深い。