前々から欲しいと思っていた本を購入した。石材を見ながら街を歩く活動をしておられる名古屋市科学館主任学芸員、西本昌司先生の『東京「街角」地質学』という本だ。ジオパークや石切場に石を見にいくのも楽しいけれど、街の中でも石はいくらでも見られる。建築物やインフラにいろんな石が使われているから、見てざっくりとでも何の石か区別できるようになれば楽しいだろうなあと思って、この本を日本から取り寄せた。読んでみたら、想像以上にワクワクする本だ。石についての説明もわかりやすいし、特定の種類の石が使われた背景も面白い。さっそく自分でも街角地質学を実践してみたくなった。

とはいっても、東京へ行けるのはいつになるかわからないので、まずは住んでいるドイツの町で使われている石材を見に行くことにする。この目的にうってつけの”Steine in deutschen Städtchen(「ドイツの町にある石」)”というガイドブックがあるので、これら2冊をバッグに入れてベルリンへGo!

“Steine in deutschen Städtchen”のベルリンのページでは、ミッテ地区のジャンダルメンマルクトという広場周辺で使われている石材が紹介されている。地図上に番号が振られ、それぞれの番号の場所の石材の名称、産地、形成された時代が表にされているので、これを見ながら歩くことにしよう!

と思ったら、ジャンダルメンマルクトは2024年4月現在、工事中で、広場は立ち入り不可。いきなり出鼻を挫かれた。でも、広場周辺の建物を見て回るのには支障はなさそうだ。

まずはマルクグラーフェン通り(Markgrafenstraße)34番地の建物から見てみよう。

1階部分にアインシュタインカフェというカフェが入っているこの建物は、1994-96年に建造された。地階とそれ以外の階部分の外壁には異なる石材が使われている。

地階部分はイタリア産の蛇紋岩、「ヴェルデヴィットリア(Verde Vittoria)」。

上階部分はCanstatter Travertinというドイツ産のトラバーチン。シュトゥットガルト近郊のBad Cannstattで採れる石で、本場シュトゥットガルトではいろいろな建物に使われているらしい。

 

次に、広場の裏側のシャロッテン通り(Charlottenstraße)に回り込み、フランス大聖堂(Franzözischer Dom)前の石畳を観察する。

フランス大聖堂前の石畳

ここのモザイク石畳に使われている石は大部分がBeuchaer Granitporphyrという斑岩。ライプツィヒ近郊のBeuchaというところで採れる火山岩で、ライプツィヒでは中央駅や国立図書館の建物、諸国民戦争記念碑(Völkerschlachftdenkmal)などに使われているそうだ。

そこから1本西側のフリードリヒ通り(Friedrichstraße)には商業施設の大きな建物が立ち並んでいる。例えば、Kontorhausと呼ばれる建物は赤い壁が特徴的だ。

使われているのは南ア産の花崗岩で、石材名はTransvaal Red。花崗岩というと以前は白と黒とグレーのごま塩模様の日本の墓石を思い浮かべていたけれど、ドイツでは赤い花崗岩を目にすることがとても多い。石材用語では「赤御影石」と呼ばれるらしい。

建物のファサード全体と基礎部分では、同じ石でも表面加工の仕方が違っていて、全体はマットな質感、基礎部分はツヤがある。これは何か理由があるのかな?地面に近い部分は泥跳ねなどしやすいから、表面がツルツルしている方が合理的とか?それとも単なるデザインだろうか。

 

連続するお隣の建物ファサードには、縞模様のある淡いクリーム色の石材が使われている。

この石材は、イタリア、ローマ郊外チボリ産のトラバーチン、Travertino Romano(トラベルチーノ ロマーノ)。ローマのトレヴィの泉やコロッセオに使われているのと同じ石。ベルリンでは外務省ファサードにも使われている。『東京「街角」地質学』によると、東京ではパレスサイドビル内の階段に使われているらしい。

トラバーチンという石を『東京「街角」地質学』では以下のように説明している。

トラバーチンは、温泉に溶けていた石灰分(炭酸カルシウム)が、地表に湧き出したところで崩壊石として沈澱し、積み重なってできたものである。その沈殿は常に同じように起こるのではなく、結晶成長が速い時期や不純物が多く混ざる時期などがある。そのため、木に年輪ができるように、トラバーチンにも縞模様ができるのである。(出典: 『東京「街角」地質学』

なるほど、縞の太さや間隔は一定ではない。小さい穴がたくさん開いている(多孔質)のも、トラバーチンの特徴だ。

 

その隣の建物との境に使われている石は緑色。緑の石というと、蛇紋岩?

ガイドブックによると、ヴェルデヴィットリアとなっているから、最初に見たアインシュタインカフェのファサードと同じ石ということになる。随分色も模様も違って見えるけれど。

180-184番地の建物はガラッと違う雰囲気。建造年は1950年で、東ドイツ時代の建物だ。クリーム色の部分はドイツ産の砂岩(Seeberger Sandstein)で、赤っぽい部分は同じくドイツ産の斑状変成凝灰岩(Rochlitzer Porphyrtuff)だ。

このRochlitzer Porphyrtuffという石はとても味わい深い綺麗な石である。なんでも、この石は多くの重要建造物に使われていて、国際地質科学連合(IUGS)により認定されたヘリテージストーン(„IUGS Heritage Stone“)の第1号なのだそう(参考サイト)。ヘリテージストーンなるものがあるとは知らなかったけれど、なにやら面白そうだ。今後のジオサイト巡りの参考になるかもしれない。ちなみに、Rochlitzer Porphyrtuffの産地はザクセン州ライプツィヒ近郊で、Geopark Porphyrlandと呼ばれるジオパークに認定されていて、石切場を見学できるようなので、近々行ってみたい。

 

さて、次はこちら。

1984年にロシア科学文化院(Haus der russischen Wissenschaft und Kultur)として建造された建物で、建物のデザインはともかく、石材という点ではパッと見ずいぶん地味な感じ。

でも、よく見ると、地階部分のファサードには面白い模様の石が使われている。

Pietra de Bateigという名前のスペイン産の石灰岩で、日本で「アズールバティグ」と呼ばれる石に似ている気がするけれど、同じものだろうか?

 

道路を渡った反対側には、フリードリヒシュタットパッサージェン(Friedrichstadt Passagen)という大きなショッピングモールがある。

ファサードは化石が入っていることで有名な、「ジュライエロー」の名で知られる南ドイツ産の石灰岩。ジュライエローについてはいろいろ書きたいことがあるので、改めて別の記事に書くことにして、ここでは建物の中野石を見ていこう。この建物は内装がとても豪華なのだ。

大理石がふんだんに使われたショッピングモールの内装

地下の床に注目!いろんな色の石材を組み合わせて幾何学模様が描かれている。この建物の建造年は1992年から1996年。ドイツが東西に分断されていた頃は東ドイツ側にあったフリードリヒ通りにおいて再統一後まもない頃に建てられた建物アンサンブルの一つだが、その当時はこういうゴージャスな内装が求められたのだろうか。

白の石材はイタリア産大理石「アラべスカートヴァリ(Arabescato Vagli)」で、黒いのはフランス産大理石「ノワールサンローラン(Noir de Saint Laurent)」。ちなみに、大理石というのは石材用語では内装に使われる装飾石材の総称で、必ずしも結晶質石灰岩とは限らないから、ややこしい。”Steine in deutschen Städtchen”には「アラべスカートヴァリ」は結晶質石灰岩で「ノワールサンローラン」の方は石灰岩と記載されている。

赤い部分はスペイン産大理石(石灰岩)、Rojo Alicante(日本語で検索すると「ロッソアリカンテ」というのばかり出てくるのだけど、スペイン語で「赤」を意味する言葉だからロッホと読むのではないのかな?謎だー)。

こちらの黄色いのはイタリア、トスカーナ産のジャロ・シエナ(Giallo di Siena)。およそ2億年前に海に堆積し、圧縮されてできた石灰岩が、2500万年前のアペニン山脈形成時の圧力と高温下で変成して結晶質石灰岩となった。

 

同時期に建てられたお隣のオフィスビルは、ファサードに2種類の石灰岩が組み合わされている。色の濃い方がフランス産のValdenod Jauneで、クリーム色のがドイツ産のジュライエローだ。

でも、ファサード以上に目を奪われたのはエントランス前の床の石材だった。

床材も石灰岩づくしで、濃いベージュの石材はフランス産のBuxy Ambre、肌色っぽい方も同じくフランス産でChandore、黒いのはベルギー産Petit Granit。Chandoreは白亜紀に形成された石灰岩で、大きな巻貝の化石がたくさん入っている。

このサイズの化石があっちにもこっちにもあって興奮!

そして、花崗岩(Granite)ではないのにGranitとついて紛らわしいPetit Granitもまた、白亜紀に形成された石灰岩で、こちらも化石だらけなのだ。

サンゴかなあ?

これもサンゴ?大きい〜!

これは何だろう?

化石探しが楽しくて、人々が通りすぎる中、ビルの入り口でしゃがみ込んで床の写真を撮る変な人になってしまった。ここの床は今回の街角地質学ごっこで一番気分が上がった場所だ。街角地質学をやりに出て来て良かったと感じた。ただ、ベルリンで街角地質学をやる際、困ることが一つある。それは、ベルリンの町が汚いこと。このフリードリヒ通りはまだマシな方ではあるけれど、せっかくの素晴らしい石材が使われていてもロクに掃除がされていないので、ばっちくて触りたくないのだ。写真を撮るとき、化石の大きさがわかるようにとコインを置いたものの、そのコインをつまみ上げるのも躊躇してしまう。

 

さて、2時間近くも石を見ながら外を歩き回ったので、さすがにちょっと疲れて来たので、初回はこの建物で〆よう。Borchardtというおしゃれ〜なレストランが入っている赤い砂岩の建物である。

この砂岩はRoter Mainsandstein(直訳すると「赤いマインツの砂岩」というドイツ産の砂岩で、ドイツ三大大聖堂の一つ、マインツ大聖堂はこの石で建てられている。この建物は1899年に建てられており、ファサードの装飾が目を惹くが、石的に注目すべきは黒い柱の部分だ。

うーん。写真だと上手く伝わらないかな。光が当たるとキラキラ輝いて、とても美しい。ノルウェー産の閃長岩で、石材名は「ブルーパール(Blue Pearl)」。オスロの南西のラルヴィクというところで採れるので、地質学においては「ラルビカイト(Larvikite)」と呼ばれる岩石だ。東京駅東北新幹線ホームの柱や東海道新幹線起点プレート、住友不動産半蔵門駅前ビルの外壁にも使われているとのことで、東京に行ったときにはチェックすることにしよう。

 

それにしても、世の中にはたくさんの石材があるものだ。少しづつ見る目が養われていくといいな。

 

関連動画:

YouTubeチャンネル「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」で過去にこんなスライド動画を上げています。よかったらこちらも見てね。

2020年から始めた庭の巣箱カメラを通した野鳥の営巣観察、早いもので今年で5年目!

思えばこれまでにいろいろなことがあった。最初の年、2020年の春にはオークの木に取り付けたばかりの巣箱でシジュウカラが営巣をし、9つの卵を産んだ。そのうち1つは孵らなかったものの、8羽のヒナが無事に巣立ち、その一部始終を巣箱の中に取り付けたカメラを通して観察することができた。巣箱からヒナたちが順番に飛び立つ瞬間も見ることができ、とても感動的だった。

その後、同じ巣箱で2回目の営巣が始まったが、母鳥が巣を離れている間に生まれたヒナたちが巣材を喉に詰まらせて次々に窒息、全滅するという痛ましい結果に。その様子をカメラを通して目にすることになり、どうにかしてあげたいのに何もできず、辛かった。

翌年の2021年はシジュウカラが卵を2つ産み、そのうちの1つが孵った。たった1羽のヒナを夫婦で過保護に育てる様子がなんとも可笑しかった。また、庭の垣根でクロウタドリも営巣し、無事にヒナたちが巣立った。

2022年春。シジュウカラが巣箱で営巣していたが、母鳥の不在中にクロジョウビタキが巣箱に侵入し、戻って来た母鳥とバトルに。母鳥はクロジョウビタキには勝ったけれど、なぜかそのまま巣を放棄してしまった。かなりがっかりだったけれど、庭の周辺でいろんな野鳥が繁殖し、親鳥たちがヒナを連れて我が家の餌場に集まってとても賑やかな春となった。

2023年は巣箱で初めてアオガラが営巣し、10個の卵を産んだ。しかし、ヒナ達が孵って喜んだのもつかの間、夜中にアライグマが庭に現れ、巣箱の中に手を突っ込んで母親を捕らえて食べてしまった。母親を失ったヒナ達の運命は言わずもがなである。

こんな風に野鳥の子育ては常に危険と隣り合わせで、毎年ハラハラして見守っている。

さて、今年の状況はというと、これまでとは少し違っている。去年までは営巣期間以外には巣箱は使われていなかったが、今年の冬は現在3つあるすべての巣箱がシジュウカラに寝ぐらとして使われていた。なぜ今年に限ってそうなったのだろう?巣箱が冬の寝ぐらとして便利だと思いついたシジュウカラがうちの庭にたまたま何羽もいた?それは偶然がすぎる気がする。1羽が巣箱を寝ぐらとして使い始めたのを見て他の個体がそれを真似したのだろうか。あるいは同じ餌場に集まる仲間同士、「巣箱で寝ればあったかくていいんじゃない?」というコミュニケーションがあったのか。わからないが、とにかく冬の間ずっと巣箱が使われていたので、もしかしたら春になったらそのまま営巣が始まるのではと期待していた。

そして、4月2日の状況はこんな具合である。

ハウス1 (去年まで旧館と呼んでいた巣箱)

シジュウカラが営巣。この子は本日(4/2)営巣を開始。それまでもちょくちょく昼間に巣箱に入ってはいたが、のんびりさんなのか、「ここで巣を作ろっかなー、どうしよっかな〜」と考えてでもいるかのように頭を傾げたりキョロキョロするばかりでいっこうに作業を始めなかったのだ。ようやく心が決まったのか、今朝から慌ただしく巣材を運んでいる。

今日1日でここまでできた。やる気になれば早いらしい。

 

ハウス2(去年までは新館と呼んでいた巣箱)

この巣箱ではアオガラが営巣中。実はこの巣箱では3/22日にシジュウカラが営巣を始め、突貫工事でたった1日で7割方完成していたのだが、なぜかその後放置されていた。夜になっても寝に戻って来ることがなかったので、この巣箱のシジュウカラの身に何かがあったのかもしれない。3/29の昼間、庭仕事をしていた夫が、「アオガラのオスがメスをハウス2に案内していたよ」と言う。すでに土台のできた巣があるので、いってみれば「家具付き物件」と言うことになる。メスも「タイパがいいわ!」と気に入ったのか、翌日から営巣を始めて、夜も寝泊まりしている。

なぜか画像が白黒だけど、現在の巣の様子。

 

ハウス3 

こちらのシジュウカラはコツコツ型で3/11に作業を開始し、毎日少しづつ進めていっている。パートナーのオスも巣作りに積極的に参加し、せっせと巣材を運んで来たりと仲がよい。

3つの巣箱の中で作業が一番進んでいる。

 

さて、今年はどうなるか。何が起こってもおかしくない野鳥の子育てなので心配だけど、3つの巣箱で同時進行の繁殖活動を観察できるのは初めてなので観察で忙しくなりそう。みんながんばって。成功を祈ってるよ。

北ドイツに住むようになって以来、氷河地形が気になってしょうがない。氷河地形といっても北ドイツのそれはアルプスのような山岳氷河が形成した地形ではなく、かつてスカンジナビアから北ドイツまでを覆っていた大陸氷河が広い大地に残した痕跡である。

こちらの過去記事に書いたように、ベルリンの北東には氷河地形をテーマにしたジオパーク、Geopark Eiszeitland am Oderlandがあり、「エンドモレーン」が観察できる。エンドモレーンというのは、氷河が移動することによってその末端に砂礫が堆積してできた地形だ。さらに、そのエンドモレーンにはドイツ語で「Stauchmoräne(シュタウホモレーネ)直訳すると「圧縮モレーン」」と呼ばれる特殊な地形があるらしい。それは、ヒダ状にうねった地形だという。一体どんなものだろう?それを見にブランデンブルク州とザクセン州の境でポーランドとの国境を跨ぐUNESCOグローバルジオパーク、ムスカウアー・ファルテンボーゲン(UNESCO Global Geopark Muskauerfaltenbogen)へ行って来た。

ジオパークのダウンロード用資料の地図を使用

ムスカウアー・ファルテンボーゲンは、国境の町バート・ムスカウ(Bad Muskau)を中心にU字形に伸びている。上地図の茶色い部分だ。ファルテンボーゲンとは直訳すると「ヒダ(Falten)のある弧(Bogen)」という意味。なぜU字形をしているかというと、かつてここには長さ22km、幅20kmほどの舌のような形をした氷河があった。その縁に沿ってファルテンボーゲン、地質学用語でいうところのシュタウホモレーネが形成された。でも、ヒダ状の地形って、一体どんなの?

氷床の重みで押され、ヒダ状に盛り上がった地面。図はジオパークのダウンロード用資料から。

過去40万年の間にドイツは3度の氷期を経験した。氷期の名前は地域によって異なり、それぞれ川の名が付けられている。北ドイツでは新しい順にヴァイクセル氷期(Weichsel-Kaltzeit)、ザーレ氷期(Saale-Kaltzeit)、エルスター氷期(Elster-Kaltzeit)と呼ばれる(アルプス地域ではミンデル、リス、ヴュルム氷期)。3度の表記のうち最も古い、39万年前から32万年前まで続いたエルスター氷期には、氷床はこのジオパークのある現在のブランデンブルク州とザクセン州との州境あたりまで及んでいた。

では、ヒダヒダの地形はどうやってできたのか?ムスカウエリアの地層は厚さ500mにも及ぶ氷河の重みで潰され、割れて氷の縁の外側に押し出された。そのとき、割れた地層の塊は縦に起こされ、本棚に本を並べるような感じでくっついて、ヒダのような構造になったのだ。つまり、上の絵のように。

と、頭だけで理解しようとするのは難しい。ジオパークには散策ルートがたくさんあるが、ヒダヒダの地形がよくわかるドラゴン山ツアー(Drachenberg-Tour)というルートを実際に歩いてみた。森の中を4、5km歩くルートだ。

ジオパーク内の散策ルート。青い丸はインフォメーションポイント、赤はジオトープ、緑は展望台、黄色はその他の見どころ

歩いてみると、確かにアップダウンが激しい。

登って降りて登って降りて。まるで扇子のように小高い部分と谷が数十メートルごとに交互に続いていく。まさにヒダヒダ!こんな地形を体験するのは初めて。とても面白い。

切り込んだような谷の部分はギーザー(Gieser)と呼ばれる。ムスカウ周辺の地層は褐の層を含んでいるが、ファルテンボーゲンが形成された際に地層が縦に起こされたので、褐炭の層は地表に対して帯状に分布している。ギーザーはそれら褐炭の帯に対応しているのだ。地表近くの褐炭が風化することで地表が沈み、溝のような谷ができた。

別の散策ルート、地質学ツアー(Geologie-Tour)のルート上にはギーザーの断面が見られる場所がある。

下の方の茶色いのが褐炭

この地域では1800年代半ばから1970年代まで褐炭が採掘されていた。そのため、褐炭を掘り出した後の穴が無数にあり、そこに水が溜まって池になっている。

ジオパークの見どころの一つ、「4つのカラフルな池(Die vier bunten Seen)」。ドローンで撮影。

1901年から1908年まで採掘が行われたHorlitzaの採掘場の4つの池はそれぞれ水の色が違うので、「4つのカラフルな池」と呼ばれている。水の色の違いは水のpHや微生物、含まれるミネラル、温度などによるらしい。4つの池全部を写真に収めようとドローンで限界まで高度を上げて撮ったけれど、これが限界。曇りだったので、色の違いもそれほど明確ではないかな。(ジオパークのサイトのこちらのページに良い画像があるので、興味のある方は見てみてください。)

UNESCOグローバルジオパーク、ムスカウアー・ファルテンボーゲンには他にも見どころがたくさんあって、日帰りではとても回りきれなかった。さらに、バート・ムスカウのムスカウ城とその庭園であるムスカウ公園はUNESCO文化遺産に登録されているので、ジオ以外でも盛りだくさん。今回、時間切で見れなかったものを見に再訪したい。

ムスカウ城

クロムラウのシャクナゲ公園のラコッツ橋(Rakotzbrücke)

コスタリカ滞在中、多くの野鳥を見た。その中で、最もよく目にし、かつ存在感の大きい野鳥はコンドルだったのではないか。コスタリカの至る場所で、コンドルの群れが滑空していた。

子どもの頃から「コンドル」と聞くと、羽を大きく広げて広い空を優雅に飛ぶ姿が目に浮かび、なんとなく憧れがあった。しかし、パナマやコスタリカで実際のコンドルを目にするようになって、すっかり印象が変わってしまった。そう、コンドルは「ハゲタカ」と総称される、腐肉を食べる野鳥の仲間なのだ。生き物の死骸に群がり、肉を食いちぎる様はグロテスクで優雅なイメージとは真逆である。でも、頻繁に姿を見かけるだけに、気になる野鳥である。

手持ちのフィールドガイドによると、コスタリカには3種のコンドルがいる。その中で最も多く目にするのは、クロコンドル(Coragyps atratus )だ。

クロコンドル (Coragyps atratus

コンドルの頭が禿げている、つまり羽毛がないのは、死骸に頭を突っ込むようにして食べるため、頭部が不衛生になるかららしい。

動物の死骸に群がるクロコンドルたち

クロコンドルは視覚に優れ、大きな群れで死肉を探して滑空する。道路脇で車に轢かれた動物などの死骸に群がっている場面によく遭遇した。あまりいい気持ちのする光景ではないけれど、ロードキルをすばやく片付けてくれるお掃除屋さんだと思えば、ありがたい存在にも思える。ただし、彼らは死肉を食べるだけでなく、産卵中のウミガメなど、無防備な生き物を襲うこともある。

クロコンドルほどではないが、ヒメコンドル(Cathartes aura)もコスタリカ各地で頻繁に見かけた。

ヒメコンドル (Cathartes aura

ヒメコンドルはクロコンドルのように大きな群れで行動することは少ない。視覚だけでなく嗅覚にも優れており、その両方を駆使して死肉を探す。

羽を広げたヒメコンドル

顔と脚が赤いこと、広げた羽の下半分が白いことで、上空を飛んでいてもクロコンドルと簡単に区別がつく。(クロコンドルは羽の先だけが白く、全体は黒い)

そして、コスタリカに生息するコンドルの仲間のうち、最も大きいのはトキイロコンドル (Sarcoramphus papa)だ。羽を広げると2メートルにも及ぶ。羽全体の色は白、広げた羽の下部のみ黒い(若鳥は全体が黒)。「トキイロコンドル」という和名は頭部がカラフルだからつけられたのだろう。

トキイロコンドルは単独で行動することが多い。クロコンドルやヒメコンドルと違って、目はあまりよくなく、嗅覚で獲物を探す。深い森など視界の開けていない場所では強い嗅覚は有利だ。そのため、都市に近い場所で目にすることは稀らしい。私はオサ半島で上の写真を撮ることができた。

コンドルはコミュニケーション能力に長け、死肉発見情報はコンドル達の間で瞬く間に共有されるらしい。Jack Ewing著 “Monkeys are made of Chocolate – Exotic and Unseen Costa Rica”には著者が経験したこんなエピソードが書かれている。1972年、著者はニカラグアとの国境に近いコスタリカ北東部のグアナカステ州に頻繁に滞在していた。コスタリカの他の地域同様、グアナカステ州でも至るところでコンドルの姿を見た。しかし、その年の12月にニカラグアの首都マナグアで大地震が起き、1万4000人もの人が亡くなった。新聞は人々の遺体に大量のコンドルが群がっていると伝えていた。そして、大地震の発生から2週間ほどの間、著者はグアナカステ州からコンドルの姿がすっかり消えていることに気づいたそうである。

 

死骸を食べる野鳥はコンドル以外にもいる。たとえば、カンムリカラカラというハヤブサ科の野鳥。

カンムリカラカラ(Polyborus plancus

オレンジ色のクチバシに真っ白な喉、黄色い足。ポップな美しい見た目をしていて、死肉をあさるようには思えない。カンムリカラカラという和名も面白い響きで親しみが湧く。でも、彼らが死骸を食べる現場を目撃した。

道路に転がったネズミか何かの死骸を食べているところ。

道路に転がっている小動物の死骸を見つけて、一羽のカンムリカラカラがやって来た。死骸をつついていると、仲間らしい別の1羽が向こうから歩いて来て、仲良く死骸を食べ始めたのだった。カンムリカラカラは生きた小動物を捕らえて食べることもあるが、狩りはあまり得意でないそうで、落ちているものがあればラッキーという感じなのだろうか。カンムリカラカラは現地ではquebrantahuesosと呼ばれている。直訳すると「骨を折る者」。動物の死骸を掴んで空に飛び上がり、硬い地面に落として骨を砕いて食べる習性があるのだそう。

キバラカラカラ (Daptrius chimachima)

こちらは同じハヤブサ科のキバラカラカラ(Daptrius chimachima)。これもいかにも上品な姿の野鳥だが、カンムリカラカラ同様に死肉を主食としている。

 

この記事の参考文献:

Fiona A. Reid, Twan Leenders, Jim Ook & Robert Dean “The Wildlife of Costa Rica – A Field Guide”

jack Ewing “Monkeys are made of Chocolate – Exotic & Unseen Costa Rica”

「あれ、どうしたの?首から上が真っ赤だよ」

コスタリカ旅行の最終日。朝、目を覚まして夫の顔を見て、思わずつぶやいた。夫は色が白く、日に当たるとすぐに肌が真っ赤になる。でも、昨日は日焼けするほど暑かったっけ?

「え、そんなに赤い?」

「まるでヒメコンドルみたいだね」

屍を探してコスタリカの空を飛び回るヒメコンドルの禿げた赤い頭が思い浮かんだのだ。

「酷いなあ」

私の冗談に憤慨しつつ、夫は起き上がった。この日はポアス火山を見に行くことになっていた。でも、私は出かけるべきかどうか迷っていた。というのも、前の晩からお腹の調子が悪かったのだ。胃腸が弱い私は、熱帯を旅行すると、すぐにお腹を壊してしまう。コスタリカは安心して水道水の飲める国だとされているけれど、少しづつ細菌が体内に蓄積されてしまったのだろうか。今日のトレイルは残念だけどパスして、夫には一人で行ってもらおうか。

しばらく悩んだが、せっかくチケットを購入したし、今日が最後と思うとベッドで寝ているのも惜しい気がして、やっぱり出かけることにした。活性炭の錠剤を水で胃に流し込んで、車に乗り込み出発した。公園のエントランスでヘルメットを借り(義務)、まずは火口の見えるプラットフォームに向かう。火口まではエントランスから300mほどで、あっという間に着いた。

煙を上げるカリエンテ湖(Laguna Caliente)の火口

世界最大級の大きさを誇る火口はモクモクと煙を上げていた。すごいスケールだ。プラットフォームにまで強い刺激臭が漂って来て、むせそうになる。あまり長くはいられない。

プラットフォームからもう一つの火口湖であるボトス湖(Laguna Boto)へ直接続くトレイルは現在閉鎖中で、いったんエントランスに戻り、El Canto del los Avesという森の中の坂道を登る必要がある。長めのトレイルなのでお腹が心配だったが、せっかくここまで来たのだから湖も一目見て帰りたい。幸い、トレイルは思ったほどハードに感じなかった。それなのに、「ああ、けっこうキツいな、これ。」と夫は辛そうなのである。おかしいな、と思った。体力のある夫は、普段、この程度のハイキングで弱音を吐くことはない。

ボトス湖

山道を登りきり、ボト湖に到着。エメラルドグリーンの水を湛えた湖は神秘的な美しさだ。しばらく眺めていたかったが、10分もしないうちに夫が「もう下りよう」と言うので、すぐに戻ることにした。山道を一気に下りて駐車場に戻り、そのまま宿に帰った。

そこからが大変だった。ポアスで私たちが泊まっていたのは、グランピングテントなるものだった。ドーム型をした、こんなテントである。

ネットでたまたまこの宿泊施設を見つけたとき、こういうのも面白いんじゃないか、一度試しに泊まってみたいと思って予約したのである。

内部は比較的広く、ベットとテーブル、チェアーが置かれ、小さなキッチンとシャワーもついている。天井には大きなスクリーンのテレビまであって、テントとはいっても贅沢な感じ。ビニールの窓部分からの眺めも良い。これは快適そうだ。

着いたときにはそう思ったのだが、実はこのテントには重大な欠陥があった。内部の温度調整ができないのである。ここは標高2000m以上あるので、日が沈むと一気に寒くなる。でも、それはまだよかった。毛布が二枚重ねになっていたし、宿主からポータブルヒーターを借りることもできる。問題は昼間だった。午後になると、耐えられないほどテントの中が暑くなってしまうのだ。

ポアス火山から戻った夫は「少し横になって休みたい」と言う。え、こんな暑いところで、とても寝られないでしょう?と思ったけれど、他に横になる場所はない。少しでも涼しい空気を入れようとドアを全開にし、備え付けの扇風機をフルに回した状態で夫はしばらく眠った。私は暑すぎてとても中にはいられず、外の日陰に座って日が沈むのを待った。

休んだら良くなるどころか、夫の体調は急激に悪化した。暑い暑いと訴えるので濡らした冷たいタオルを額に乗せると、しばらく後、今度は寒い寒いとガタガタ震え出す。「体温がうまく調節できない。頭は熱いのに手足は冷たいんだ」。それを聞いて、「マラリア」という言葉が一瞬頭をよぎる。いや、マラリアではないだろう。蚊のいない季節を選んで来ているし、実際、蚊には刺されていない。では何?コルコバード国立公園で私たちは、虫除けスプレーを使っていたにもかかわらず、身体中を小さなダニに噛まれていた。ダニが何か病気を媒介したのだろうか?でも、ネイチャーガイドさんは「ダニに噛まれても特にリスクはない」と言っていたではないか。それとも、ポアス火山で気分がすぐれなかったのは単なる疲れで、戻ってからこのドームテントの気狂いじみた暑さの中で寝ていたので熱射病になったのだろうか?ああ、こんな宿に泊まるんじゃなかった!

朝食以来、何も食べていなかったが、夫はとても食事に出られる状態ではないし、私はお腹を壊していて翌日のフライトまでに治らないと困る。何も食べない方がよいだろうと思い、ただひたすら水だけを飲んで朝になるのを待った。とにかく無事に家に帰らなければならない。辛く長い夜だった。

夜が明けて、そこからは思い出したくもない地獄。くねくね曲がる長い山道を下りて首都サン・ホセまで戻り、レンタカーを返し、空港で長い列に並び、飛行機を乗り継ぎ、ベルリンの空港近くの駐車場に預けてあったマイカーを取りに行き、、、。二人とも絶不調の中、どうにかこうにかやっとの思いで帰宅した。途中で倒れなかったのが不思議なくらい。しかし、自宅に戻ったものの、夫の体調はますます悪化していくように見えた。これは、熱中症ではないのでは?すぐに医者に見せた方がいいだろう。熱帯病かもしれない。

夫を車に押し込み、ベルリン医大病院の熱帯病研究所外来へ運んだ。ひとまずインフルエンザ、コロナ、マラリアの検査がなされ、そのいずれでもないことが判明したが、炎症を示す値がとても高いとのことで、そのままシャリテ大学病院の感染症病棟に入院し、抗生剤の点滴投与を受けることになった。詳しい血液検査の結果が出るには数日かかる。私は気が気ではなく、夫の症状が当てはまる病気がないか、ネットで検索したところ、それらしき病名がヒットした。

レプトスピラ症

スピロヘータに汚染された水や土壌との接触によって起こる感染症、どうもこれらしい。熱帯病ではなく、ほとんどのケースは軽症だが、稀に重症化し、最悪の場合は命を落とすこともあると書いてある。それを読んでゾッとしたけれど、幸い、早々に専門家の手に委ねることができたから大丈夫だろう。でも、いったいいつ、どこで感染したんだろう?コスタリカ滞在中、何度も滝壺で泳いだり、ジャングルの中でぬかるんだ場所を歩いたりしている。でも、滝壺のように流れの速い水が汚染されていたとは考えにくいし、ぬかるんだ川べりを歩いたときはゴム長靴を履いていた。私たちはほぼ常に一緒に行動していたので、夫だけが感染したというのも不思議である。

あっ!

あのときかもしれない。頭に浮かんだのは、ドラケ湾の集落で橋が壊れていて、しかたなく車ごと川を渡ったときのことだ。(詳細は「オサ半島での最後の日々 〜 またもやハプニング」)

このとき、川底に穴が開いていたり、角ばった石があってパンクでもしては大変だと、夫は車を下り、歩いて川を渡って川底の状態を確認した。その直後、牛の群れがぞろぞろと川を渡っていったのだ。

牛たちは、毎日、あの川を行き来しているに違いない。水の中に糞尿を垂れ流す牛もいるだろう。川の水は特に汚くは見えなかったけれど、家畜が通り、生活用水が流れ込んでいるかもしれない川が汚染されていたとしても不思議はない。夫がこの川を歩いて渡った際、足の擦り傷かどこかから細菌が体内に侵入した可能性は少なくない。

ああ〜〜〜。

毒ヘビや毒グモのいるジャングルの中では常にあたりに注意を払っていた。人の住む集落に戻って来た途端に気が抜けて、油断してしまったということか。でも、もとを正せば、四輪駆動の車を借りなかったということが最大のミスだったのだ。そのせいで今回の旅のほぼ全行程にわたって悪路に悩まされることになり、ついには夫が病に倒れるという結末を迎えてしまったのだ。

まさに、悪夢に始まり、悪夢に終わったコスタリカ旅行だった。

幸い、これを書いている現在、夫はすでにすっかり回復しており(検査の結果、やはりレプトスピラ症だった)、いろいろあったけど楽しかったねなどと二人で話している。旅にハプニングはつきものとはいえ、ハプニングが重なり過ぎた。同時に楽しい時間や心躍る瞬間も多くあり、いろんな意味でとても濃厚な旅となった。きっとずっと私たちの記憶に残るだろう。

 

(コスタリカ・ジャングル旅行2024の記録はこれで終わりです)

およそ3週間に渡るコスタリカ旅行が終わろうとしている。最後の滞在地に選んだのは、コスタリカ北部に位置するポアス火山国立公園(Parque Nacional Volcán Poás)だった。その中心となるポアス火山は、標高2,697mの成層火山で、コスタリカの火山のうちで最も噴火活動が活発な火山である。火口を間近に見られる数少ない活火山の一つだが、2017年4月の大噴火時には近隣住民や旅行者が避難するほどの事態となり、公園はしばらく閉鎖されていた。2018年9月からまた入場可能になっているので行ってみようと思ったのだ。

ところが、コスタリカに来てまもなくの頃、ローカルな食堂で食事をしていたら、店内のテレビがついていて、たまたまニュースが流れていた。なんと、ポアス火山の映像とともに、「ポアス火山は昨年12月より、断続的に噴火活動が続いています。危険防止のため、近々、公園は閉鎖されるかもしれません」と言っているではないか。すでに宿は予約してしまっているので、公園に入場できない事態になったら、予定を変更しなければならない。以来、ヒヤヒヤしながらこちらのサイトの情報をこまめにチェックしていた。

幸い、滞在予定日直前になっても公園は閉鎖されていなかったので、予定通り、向かうことにする。それまで滞在していたロス・ケツァーレス国立公園(Parque Nacional Los Quetzales)からは国道2号を北上し、首都サン・ホセを経由してさらに北上する。ロス・ケツァーレスからしばらくの間は山道を登るので、標高が高くなるにつれて視界に霧がかかり始めた。そしてそのうち、霧は厚い雲となった。

分厚い層雲が広がっている。これは、もしかして雲海というものでは?

さらに北上すると、ラ・チョンタ(La Chonta)という集落に国道沿いのサービスエリア的なものがあったので、休憩することにした。コーヒーを注文してレストランのテラス席につくと、目の前に広がっていたのはこの景色!

これぞ「雲海テラス」!雲海は、様々な気象条件が揃わないと見ることができない稀な自然現象だと思っていたので、予期せずに見られて感動した。コーヒー一杯でこんな景色が見られて、得した気分。間違いなく、これがこの日のハイライト。

 

と思っていたら、なんとまだ続きがあったのだ。ポアス火山国立公園近くの宿に着き、公園入り口の近くにサンセットスポットがあると知ったので、日の入り少し前に行ってみた。

 

首都サン・ホセを見下ろす山の上で見たものは、夕陽でオレンジ色に染まりゆく空の下、ゆっくりと広がる雲海だった。

こんな日ってある?