2階には、”Die Welt in Stein”というリトグラフィー(石版印刷)に関する展示もある。ゾルンホーフェンで化石が大量に発見された背景には、18世紀末、リトグラフィーという印刷技術が生まれたことと密接に関わっているのだ。アロイス・ゼネフェルダーによって発明されたこの新しい印刷技術には、細かい粒子が均一に詰まった特別な石灰岩が必要だった。まさにゾルンホーフェンの石は理想的な素材で、たくさんの石を切り出す過程で化石が次々と見つかったのだ。つまり、リトグラフィーの発明なしには、今日、世界的に有名なゾルンホーフェンの化石群は日の目を見ることなく眠り続けていたかもしれないというわけである。
グレーに青い模様の水指と並んでヴェスターヴァルトでたくさん作られたものに、ボトルがある。16世紀末、ヴォルムスの医師、ヤーコブ・テオドール・タベルナエモンタヌス(なんちゅう名前!)がヴェスターヴァルト南東に位置するゼルタース村(Selters an der Lahn)で湧き出るミネラルウォーターが健康に良いという見解を発表したことで、ゼルターズ産の水がバカ売れするようになった。それで、ヴェスターヴァルトの焼き物職人はせっせと水を詰めるためのボトルを焼くようになったのだった。ゼルタースヴァッサーは、今でもブランド力の高いミネラルウォーターだ。
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2017年から運営して来た当ブログですが、容量がいっぱいになってしまいました。
ドメインごと別のサービスへ引っ越すことも考えたのですが、大変なのでやめました。このブログはこのまま残し、今後はnoteに書いていくことにします。
ぜひご訪問ください。
ChikaTravel (note)
アルトミュール渓谷化石の旅④ ゾルンホーフェン博物館
アイヒシュテットの後に行ったのは、ゾルンホーフェンにある「ゾルンホーフェン博物館」。地元では、かつてゾルンホーフェン市長で化石収集家だったフリードリヒ・ミュラーにちなんでBürgermeister-Müller-Museumと呼ばれている。
世界に名だたるゾルンホーフェンだけど、博物館の外観は、田舎の公民館という感じ。でも、中に入ってみたら、大変な充実ぶりだった。
とても良いと思ったのは、展示の最初にジュラ紀のゾルンホーフェンエリアの環境についての解説があること。
いまから約1億5,300万〜1億5,000万年前、後期ジュラ紀の中央ヨーロッパは、ほとんどが海に沈んでいた。陸地として残っていたのは、いくつかの古い大陸地塊だけで、現在のチェコ西部にあたる「ボヘミア島」や、フランス中央高地などが島として存在した。そのあいだには、巨大な礁の壁(バリアリーフ)が広がり、北の浅い大陸棚の海と、南の深いテチス海を分けていた。礁のあいだにできた窪地には、炭酸塩が幾重にも堆積し、さらにごく浅い海域では小さなラグーンや島が点在していた。現在のゾルンホーフェン周辺は、多くのラグーンを持つ「ゾルンホーフェン群島」と呼ばれる環境を成していた。
ゾルンホーフェン博物館では、ゾルンホーフェン群島の異なる環境から発見された化石が、その環境ごとに分類され、展示されている。濃い青のセクションは外洋に開かれたテチス海、明るい青のセクションはサンゴ礁や炭酸塩台地、薄い水色はラグーン、緑色は島、そして黄色は空。
かつての環境ごとに色分けされた展示
いろいろな化石が展示されているが、圧倒的に魚が多い。
浅いラグーンに漂うぬるぬるした微生物の膜(バイオマット)に絡まって死んだジュラ紀の魚レプトレピデスの群れ。よく見ると、そのまま捕食者に食べられた、頭だけの個体も混じっている。
大きなクラゲの化石もいくつかあった。
海の底に残った波の跡も一緒に保存されたクラゲの化石
他にもいろんなのがあるんだけど、ここに来たら、見たいのはやっぱりアルケオプテリクスだよね。
ゾルンホーフェン標本(オリジナル)現在知られている中で最大のアーケオプテリクス標本。
2階には、”Die Welt in Stein”というリトグラフィー(石版印刷)に関する展示もある。ゾルンホーフェンで化石が大量に発見された背景には、18世紀末、リトグラフィーという印刷技術が生まれたことと密接に関わっているのだ。アロイス・ゼネフェルダーによって発明されたこの新しい印刷技術には、細かい粒子が均一に詰まった特別な石灰岩が必要だった。まさにゾルンホーフェンの石は理想的な素材で、たくさんの石を切り出す過程で化石が次々と見つかったのだ。つまり、リトグラフィーの発明なしには、今日、世界的に有名なゾルンホーフェンの化石群は日の目を見ることなく眠り続けていたかもしれないというわけである。
さて、博物館の展示を見た後は、ゾルンホーフェンにある採石場、Hobbysteinbruch Solnhofenへも行ってみた。
こちらの採石場はブルーメンベルクのよりも狭く、人もまばらだった。この日は運が悪かったようで、石を剥がしても剥がしてもいっこうに何も出ない。残念!
でも、捨てられた割れた石の山の中に、小さな足跡がついたものを見つけた。これはなかなか素敵。
ということで、今回のアルトミュール渓谷化石の旅はこれでおしまい。また来年あたり、来られるといいな。
アルトミュール渓谷化石の旅③ ブルーメンベルク化石採集場で化石探し
アイヒシュテットでジュラ博物館とベルガー博物館を見た後、ベルガー博物館のそばにあるブルーメンベルク採石場(Fossiliensteinbruch Blumenberg)で化石を探すことにした。通常、採石場に一般の人が立ち入ることはできないが、ドイツには化石を採集したい人のために公開されている採石場がいくつかある。ブルーメンベルク採石場はその一つ。それだけでなく、アイヒシュテット、ブルーメンベルク地区は、1875年に2体目のアーケオプテリクスが発見された場所である。その標本はベルリンの自然史博物館に収蔵されているので、「ベルリン標本と呼ばれている」。そんな世界に名だたる化石を生み出した場所で化石ハンティング体験ができるのは、最高というほかはない。
ブルーメンタール採石場。週末なので、家族連れで賑わっていた。
石にノミをあて、ハンマーで軽く叩いて板状に剥がしていく。
開くときはいつもドキドキ
この採石場で一番多く見つかるのは、茎を持たない浮遊性のウミユリ(Saccocoma)の化石。これは至るところにあった。
これは二枚貝の殻?それともアプチクス(Aptycus)?アプチクスとはアンモナイトの体の一部で、口のふた、または下あごの一部ではないかとされている。はっきりわからないので、今度詳しい人に聞いてみよう。
アンモナイトもあった。(背景が違うのは、家に帰ってから写真を撮ったため)
糞化石(Koprolith)。なんの糞かはわからない。
4時間くらい滞在して、小さいものばかりだけど、それなりにいろいろ見つけられたかなと満足。と思ったら、ここで夫が大物を発見!
じゃあ〜ん!お魚である。大きさは8mほど。ここで最もよく見つかる魚、Leptolepides sprattiformisではないかと思われる。最後によいものが見つかって、大満足。
この採石場では、というか、一般公開されている採石場ではほぼどこでもそうなのだが、見つけた化石は採石場を出るときにスタッフに見せる義務がある。まれに、珍しい化石や学術的に価値のあるものが見つかることがあるからだ。そのような場合は、見つけた化石は研究用に献納しなければならない。とはいえ、そういうことは滅多にない。
「このお魚、たいしたものじゃないよね?まさか没収されたりしないよね?」
夫と私はそうヒソヒソ話しながら、その日獲得した化石をスタッフに見せた。
すると、スタッフの男性は魚を見るなり受付小屋に戻り、一枚のQRコードのついたシールを持って戻って来て、それを魚の化石の裏にペタンと貼ったのだった。えーん、没収?
と思ったら、「持ち帰ってもいいですが、このQRコードを通してアルトミュール渓谷自然公園に報告してください」とのことだった。魚などの、大きめの発見物は報告するルールのようだ。
家に帰って来てから、QRコードから自然公園のサイトにアクセスすると、フォーマットが用意されていて、手続きは簡単だった。そして、発見者の名前入りでサイトに登録が完了。
これはなかなか嬉しいぞ。
アルトミュール渓谷化石の旅② アイヒシュテットのベルガー博物館
ジュラ紀の化石を見にアイヒシュテットへ行ったなら、ジュラ博物館だけを見て帰って来ては行けない。アイヒシュテットにはもう一つ、有名な博物館がある。それはベルガー博物館(Museum Bergér)だ。1968年に化石コレクターであるベルガー氏とその家族によって設立された。民間の情熱から生まれた化石博物館で、こちらもとても見応えがある。
町の外れの丘の上にあって、建物の外観は地味。でも、中はこの通り、所狭しと標本が並んでいる。
このときは私たちしか訪問者がおらず、オーナーの方が丁寧に展示を説明してくれた。
小さい標本から大型標本まである中で、特に面白いと思った標本はこれ。
魚を飲み込む魚。
食事中に死んでしまったとは。幸せだったのか不幸だったのか、よくわからないけど、すごい瞬間が保存されたものだ。
これは一体どういう状況?魚の頭を太い針のようなものが貫通しているが、、、。
その横にあった説明イラストによると、捕食者に食べられそうになったべレムナイト(古代のイカのような生き物)が、逃れようと墨を出し、触腕を閉じて後ろ向きにダッシュしたところ、たまたま後ろにいた魚を串刺しにしてしまった、というのだ。本当なの〜〜?
もちろん、1億5000万年前に何が起きたのかを100%の確実性を持って語ることは誰にもできない。化石に刻まれた物証を手がかりに、もっとも合理的な推測をするしかない。本当にそうだったのかどうかは、化石になった生き物のみぞ知る。でも、きっとそこが古生物学のワクワクするところなんだろうなあ。
「これは、何がどうなったんですか?なにやら複雑に見えますが」
「これは、捕食者に襲われて死んだ魚の残骸があって、そこに翼竜が飛んで来て、魚に喰らい付いて、その場で死んだようです」
魚が腐っていた?もし、そうだとして、その場で即死する?ジュラ紀の生物世界に対する知識が乏しいので、いろいろ疑問が湧いてくるけれど、ひとまずここはその説明で収めておこう。いつか、どこかでまた似たような標本を目にすることがあるかもしれない。
これは、死んだアンモナイトの上に形成された牡蠣のコロニーだそう。
自分が気になった標本の画像ばかり載せているけれど、展示されている化石は質的にも量的にも価値が高くて、当然ながら大学や公的研究機関と連携しているそうだ。
さて、アイヒシュテットで2つの博物館を見た後は、やっぱり自分で化石を探してみたい。それについては次の記事で。
アルトミュール渓谷化石の旅① アイヒシュテットのジュラ博物館
久しぶりに遠出して、南ドイツ、アルトミュール渓谷(Altmühltal)へ行って来た。アルトミュール渓谷とは、バイエルン州トロイヒトリンゲンからケルハイムまでのアルトミュール川流域一帯で、ジュラ紀の化石を多く含むゾルンホーフェン石灰岩(Solnhofener Plattenkalk)の産地だ。この石灰岩の層は、初期の鳥とされるアルケオプテリクス(Archaeopteryx)の化石が見つかったことで世界的に有名である。
趣味で化石を探すようになって、かれこれ8年ほどになるが、化石のことをまったく知らないまま、初めて参加した化石ハンティングがアルトミュール渓谷でのツアーだった。
とても面白い体験だったけれど、このときは化石ハンティングだけで、アルトミュール渓谷に数多くある、化石を展示した博物館を訪れる時間がなかった。それがずっと心残りで、今回ようやく博物館巡りが実現したので記録しておこう。まずは、アイヒシュテットにあるジュラ博物館(Jura-Museum)から。
博物館はヴィリバルツブルク(Willibaldsburg)というお城の中にある。
展示室
展示されているのは、もちろん、この地域で出土したゾルンホーフェン石灰岩のジュラ紀の化石標本の数々。保存状態の極めて良い標本を隅々まで観察できる。
約1億5000万年前のジュラ紀、アルトミュール渓谷は浅い暖かい海で、サンゴや海綿、藻類が繁茂してリーフ(礁)を作っていた。さらに、波や潮流で運ばれた石灰質の砂が積もって、砂州のような地形もできていた。ゾルンホーフェン石灰岩は、リーフや砂州の間にできた窪地に、細かい泥や石灰質の堆積物が溜まり、後に固まってできたものだ。
当時の気候は暑く乾燥していたので、塩分が濃縮され、窪地の水は塩分濃度が高く、酸素に乏しく、生き物が暮らすには厳しい環境だった。周囲の環境にはさまざまな生き物が生息しており、嵐の際にそれらの死骸が窪地に流れ込んで化石になったのだ。当時、死骸を食べる生物は存在しなかったことも、化石が極めて良好に保存された理由の一つだ。
甲羅を持つジュラ紀の甲殻類、Cycleryon propinquus。長いハサミや脚の関節までくっきり。
ウミガメの化石。ジュラ紀のカメは、まだ現在のウミガメのように手足が完全にヒレ状に変化していない。
ほぼ完全な形で保存されている標本にも圧倒されたけれど、私がより興味深く感じたのは、生き物が死ぬ直前の行動が保存されている標本だ。
捕食者に数多を骨ごと噛みちぎられてしまった魚
この博物館で一番印象に残ったのは、この標本。
添えられている説明によると、このエビのような生き物は、塩分濃度が高く酸素の少ない、水の深いところに仰向けに落ちてしまい、起き上がってそこから浅瀬へと脱出しようと後ろ向きに移動したが、途中で力尽きて死んでしまったらしい。1億5000万年前ものはるか昔にも、生き物たちは一生懸命、命を繋ごうとしていたのだなと感じ入るものがあった。
アイヒシュテット近郊からは、恐竜の全身骨格の化石も見つかっている。
「ジュラ山脈の狩人」を意味するジュラヴェナトル(Juravenator)と名付けられた恐竜の化石。
そして、なんといっても、目玉はアルケオプテリクス。アルケオプテリクスの化石はこれまでに14体見つかっているが、ジュラ博物館が所蔵しているのは、1951年に発見されたアイヒシュテット標本。
そして、現在、ジュラ博物館には、アルケオプテリクスの羽毛化石が展示されている。1861年にゾルンホーフェン近くで見つかった最古の羽の化石だ。この羽こそがギリシャ語で「古い羽」を意味する「始祖鳥(Archaeopteryx)」という名前の由来となった化石だ。発見されたのはダーウィンの進化論が出た直後で、鳥と恐竜との繋がりを示す重要な証拠として注目されたのだった。
他にも翼竜やワニ、昆虫、植物など素晴らしい標本がたくさん。ジュラ紀の化石に興味があるなら、この博物館は、過去に行ったホルツマーデンの博物館Urwelt-Museum Hauffと並んで、マスト中のマストだな。今回、行けてよかった。
アルトミュール渓谷の博物館巡りは続く。
ドイツからヨーロッパ中に広がった実用陶器 ヴェスターヴァルト陶器博物館
ラインラント=プファルツ州の小さな町Höhr-Grenzhausenにある「ヴェスターヴァルト陶器博物館(Keramikmuseum Westerwald)」へ行って来た。
ドイツの焼き物といえば、日本では圧倒的にマイセンの磁器が有名だが、ヴェスターヴァルト地方も焼き物の名産地だ。ヴェスターヴァルト焼きはSteinzeug(「炻器」せっき)と呼ばれる焼き締め陶器で、塩釉(しおゆう)のかかったグレーの素地に青い模様の素朴なデザインの陶器が多い。ヴェスターヴァルト地方はカンネンベッカーラント(Kannenbäckerland「水差し職人の土地」の意味)とも呼ばれ、古くから陶器作りが盛んだった。16世紀末からはヨーロッパ中に輸出されるようになり、実用陶器として広く普及した。今でもドイツ、特にライン川流域ではヴェスターヴァルト焼きの水差しやビールジョッキなどがよく見られる。
陶器作りの中心地として発展したヴェスターヴァルト地方はドイツ最古にして最大の粘土の産地である。第三紀(約2500万年前〜500万年前)に堆積した砂岩や粘板岩、珪岩などが風化し、その後火山の影響も受けてさまざまな粘土が集積した。焼き物に適した上質な粘土が豊富で、なかでも、Westerwälder Steinzeugton(ヴェスターヴァルト炻器用粘土)と呼ばれる粘土はほとんど水を通さず、高温で焼いても壊れず、1200~1300℃で焼くことでしっかりと焼き締まる特徴を持つ。厚みのある丈夫な造りの焼き物は実用品として重宝された。また、塩の交易ルートがこの地方を通っていたので、塩を調達しやすかったことも、塩釉技術の発達を後押しした。
かつては馬車に積まれ、各地の市場で売られた。陶器を運ぶ馬車はDöppewgn(Töpfe陶器Wagen車)と呼ばれた。
Westerwälder Kannnenofenと呼ばれる窯のモデル
グレーに青い模様の水指と並んでヴェスターヴァルトでたくさん作られたものに、ボトルがある。16世紀末、ヴォルムスの医師、ヤーコブ・テオドール・タベルナエモンタヌス(なんちゅう名前!)がヴェスターヴァルト南東に位置するゼルタース村(Selters an der Lahn)で湧き出るミネラルウォーターが健康に良いという見解を発表したことで、ゼルターズ産の水がバカ売れするようになった。それで、ヴェスターヴァルトの焼き物職人はせっせと水を詰めるためのボトルを焼くようになったのだった。ゼルタースヴァッサーは、今でもブランド力の高いミネラルウォーターだ。
ミネラルウォーター用のボトル。表面に産地や陶工の頭文字が刻まれたスタンプが押されている。
博物館には、石器時代から現代に至るまでのヴェスターヴァルト陶器が年代順に展示されている。今まで日用品として使われるシンプルなものしか知らなかったが、時代ごとの美的価値観を反映した凝ったデザインのものも多く作られていたことがわかった。
1700年ごろに作られた水差し
18世紀以降の古典主義時代につくられた装飾的な作品
鉄分をほぼ含まないジークブルク産の粘土で作られた白い陶器
ヒゲのおじさんの顔がついた水差し。ケルンあたりで昔、流行ってたらしい。鉄分の多い粘土から作られたので、茶色い色をしている。
ユーゲントシュティール
飲めや歌え。1920年代にパーティでボウレと呼ばれる飲み物を出すのが流行し、作られるようになったボウレ容器。
著作権の侵害にならないよう、写真を撮るのは控えたが、古いものばかりでなく、現代の作家さんの作品もたくさん展示されていて、見て歩くのがとても楽しかった。この博物館のあるグレンツハウゼンは現在もドイツにおける陶器づくりの中心地で、数年に一度、「ヴェスターヴァルト賞(Westerwaldpreis)」という現代陶芸の公募展が開催される。世界中の作家が応募する、ヨーロッパ屈指の陶芸コンテストであるらしい。
ヴェスターヴァルト焼きの陶器は、有名な絵画にもよく描かれている。あらためて、いかに重要な産業だったかを知った。地域特有の文化や産業と、その背景にある地形や地質について知るのは本当に楽しいなあ。