まだ9月の声を聞いていないのにすでに秋になったようなドイツである。今年の夏はなんだか短かったなあ。

私が住むブランデンブルクでは春から初夏にかけてコウノトリが多く繁殖する。ブランデンブルクで繁殖行為を終えたコウノトリたちは8月にはアフリカに向けて移動する。彼らが飛び立つ前に、コウノトリの村、リューシュテットへ行って来た。ブランデンブルクの外れにあるこの小さな村はドイツ最大のコウノトリの繁殖地でコウノトリの保護に力を入れている。アクセスが大変なのだが、ラジオで偶然、なぜこの村に多くのコウノトリが集まるのかについて聞いて、是非とも行ってみたくなったのだ。

すでに7月だったのでピークシーズンは過ぎていたが、それでも多くのコウノトリを見ることができた。コウノトリは大きな鳥だけあって、たくさんの個体が集まっている様子はなかなか壮観だった。野鳥観察は本当に楽しいなあ。

YouTubeチャンネル「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」にスライド動画を公開したので、ご興味があったらぜひ見てください。

ダイナミックな自然風景が好きである。

街歩きもとても楽しいけれど、これまでの旅の体験の中でそのときの感動が後々までずっと心に残っているものはどんな体験かと考えると、真っ先に頭に浮かぶもののほとんどは自然体験なのだ。忘れられない景色は数多いが、その中の一つに米国のアリゾナ州にある「化石の森国立公園」がある。そこにはこんな風景が広がっている。

広大な砂漠地帯にたくさんの木が横たわっている。木とはいっても、これらは化石だ。およそ2億5000万年前、地質時代でいうと三畳紀の終わりに洪水によって熱帯の森林から流されて来た倒木が化石化したものだと知って圧倒された。

これらの木の化石は珪化木と呼ばれる。流されて来た木々は近くにある火山の活動によって周期的に火山灰に埋もれた。火山灰の成分である二酸化ケイ素が地下水に溶け込み、その水が木の内部に入り込んで、長い年月をかけて内部組織を二酸化ケイ素に置き換えていったのだという。断面を見ると、それがもはや木ではなく石であることがわかる。これだけでも驚きなのだが、地表に露出しているのは化石化した森林のごく一部に過ぎず、地下にはまだまだ多くの珪化木が埋まっているそうだ。

広い米国の国土には、都会で普通に生活していたら触れる機会のない、とんでもないスケールの自然風景がたくさんあるなあとつくづく感じた。

しかし、この景色を見た数年後、実はドイツにも「化石化した森」と呼ばれる場所がザクセン州ケムニッツにあることに気づいた。アリゾナほどのスケールではないが、ドイツの国土の大きさからすれば堂々たる規模の珪化木の集積地のようである。1740年代に初めて化石化した木の幹が発見されて以来、ケムニッツでは断続的に多くの珪化木が発掘されており、それらは標本としてケムニッツ自然史博物館に展示されている。このたび、ようやく見に行くことができた。

 

博物館のフロアに展示されている「化石化した森」

 

クローズアップ

ケムニッツの「化石化した森」はおよそ2億9000年前のペルム紀の森なので、アリゾナ州の化石の森よりもさらに古い。その頃、ヨーロッパでは火山活動が活発で、ケムニッツの北東ではツァイスィヒヴァルト火山(Zeisigwald-Vulkan)が噴火し、一帯に大量の火山灰を撒き散らした。火山灰に埋まって珪化木となったペルム紀の木が自然史博物館の内部で「森」として再現されているというわけだ。

 

結構たくさんの標本が展示されている

 

 

館内の説明によると、ペルム紀のケムニッツの森にはシダ植物やシダ種子類、トクサ属、その他の種子植物などが生えていた。

いろんな断面が面白い。これは根っこの断面

木にツル植物が絡み付いたまま化石化したもの

 

世界各地の珪化木の断面

木の種類やそれが埋まっていた火山灰に含まれていた鉱物の種類によっていろいろな色や硬さの珪化木になる。

メノウ化したケムニッツの珪化木

 

ケムニッツは観光地としての知名度が高い町じゃないけれど、良い博物館がたくさんあって、私にとってはかなり楽しめる町だ。博物館好きの人には穴場だと思う。

 

 

 

 

ドイツに暮らしていて面白いと思うことの一つは、いろいろな時代の建物があることだ。首都ベルリンには実に様々な時代に建てられた趣の異なる建物が不思議な調和を生み出している。

過去数十年間に建てられた近代的な建物は日本の都市にあるものとそう大きな違いはないが、それよりも古い建物は装飾が凝らされていたり、日本では見かけないフォルムや質感だったりでいくら眺めていても飽きることがない。

けれど、ドイツの歴史をほとんど知らずに街歩きをしていた頃は、そうした古い建物をすべて「西洋建築」というたった一つのカテゴリーで認識していて、どれがいつの時代のものなのかまったく見当がつかなかった。最近になってようやく、建物を外観からいくつかのグループに分類して認識できるようになって来て、ますます街歩きが楽しくなっている。

建築史におけるそれぞれのエポックは、単なる美的意識の移り変わりではなく、それぞれの時代の技術革新や政治、イデオロギーとも関わっていることがおぼろげながら見えて来た。

ベルリン・ブランデンブルク探検隊」では、相棒の由希さんが建物好きなこともあって建物をメインテーマの一つにしているが、今回は旧東ベルリンのカール・マルクス・アレーを中心にスターリン建築を取り上げた。長年ベルリンに住んだ由希さんが撮影した東ベルリンやワルシャワのスターリン建築と、私の手持ちの東ドイツの他の町や本場モスクワのスターリン建築の写真を合わせて以下のスライド動画ができた。スターリン建築は個人的には好みの建築様式というわけではないけれど、インパクトが大きいし、それらが建てられた背景はやはり興味深い。動画で紹介したものだけでなく、旧社会主義国のあちこちに類似の建築物がたくさん残っていることだろう。今後、もっと見る機会があればいいな。

 

前回の記事では、旧東ドイツ時代に建てられた高層住宅群、プラッテンバウジードルングを紹介した。旧東ドイツの遺物を見て回ることができるのはベルリンやブランデンブルクに住む楽しみの一つだ。プラッテンバウはその典型的な例としてよく挙げられるが、プラッテンバウよりもさらに直接的に社会主義時代を想像させるものがある。

それは、街角で見かける社会主義時代のアート。

初めて見たときにはそのインパクトに度肝を抜かれた。私は人生の半分近くをドイツで暮らしているが、最初の10年ちょっとは旧西ドイツエリアにいたので、社会主義についてあまり考えるきっかけがなかった。ブランデンブルクに移り住み、あちこちで西側では見たことのない独特なアートを目にするようになり、社会主義国東ドイツとはどんな国だったのだろう、そこでの暮らしはどんなふうだったのだろうかと考えるようになった。

東ドイツ時代に街角に設置された彫刻や絵はイデオロギーを前面に打ち出していたため、その多くはドイツ再統一後に撤去されている。まだ残っているものについても、今後どう扱っていくべきか、議論が交わされている。

今回、「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」で相棒の由紀さんが撮り溜めたベルリンの気になる街角アート、そして私が撮影したブランデンブルクの街角アートについて、背景を調べてみたら、今まで知らなかったことがたくさん出て来て興味深かった。

 

 

どの作品も背景はそれぞれ興味深いけれど、私個人にとってはポツダムの情報処理センター(だった建物、現在はアートスペース)の外壁に描かれた、宇宙をモチーフとしたモザイク画が特に想像をかき立てる。旧東ドイツにおける宇宙開発は気になっているテーマの一つなので、いつか掘り下げてみたい。

 

上の動画で紹介しきれなかったが、ポツダムの情報センターの壁はモザイク画だけでなく、小さなタイルが並べられている壁もある。タイルの模様が銀河っぽい?

気になることを調べるって、本当に楽しいな。次は何を調べよう?

 

 

 

 

私が住んでいるドイツ東部には団地が多い。いや、団地はどこにだってたくさんあるのだが、ドイツ東部の団地は特徴的である。規格化されたプレハブ工法の高層アパートがずらりと立ち並ぶ。都市という都市で見かける光景だが、特にベルリンやコットブスなどの大きな都市における団地の規模たるや圧倒的である。

そのような高層アパートは社会主義国であった旧東ドイツ(DDR)時代に建設されたもので、俗に「プラッテンバウ(Plattenbau) 」と呼ばれる。旧西ドイツにも第二次世界大戦後に建設された高層アパートの団地がないわけではないが地域が限られており、数も旧東ドイツほどは多くない。だから、「プラッテンバウ」はしばしば社会主義の象徴として語られる。ドイツが再統一された現在はダサい建物とみなされがちな「プラッテンバウ」であるが、私にはずっと気になる存在だった。なぜかというと、プラッテンバウが並ぶ団地を見ていると、なんとなく郷愁を覚えるのだ。どことなく昭和的というか、、、。いや、ここはドイツ。昭和という時代はここには存在していなかった。でも、プラッテンバウは私が育った昭和の時代によく目にした団地の風景にちょっと似ている。

「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」の相棒の由希さんは団地ファンで、やはりプラッテンバウがずっと気になっていたという。ならば、プラッテンバウを探検しようではないか。

というわけで、スライド動画「東ドイツの”The 団地” プラッテンバウ」が完成。動画では旧東ドイツで多くのプラッテンバウが建てられた背景やプラッテンバウの様々なタイプ、そしてベルリンとブランデンブルク州のいろいろな団地を紹介している。

特に紹介したかったのはプラッテンバウの聖地ともいえるベルリン北東部のマルツァーン地区の巨大団地だが、それらしい写真を撮るのにちょっと苦労した。というのは、地上から撮影したのではなかなかその規模の大きさを伝えられない。そこで、マルツァーン地区にある園芸博覧会跡地の広大な公園、”Gärten der Welt“の上を走るケーブルカーに乗り、その中から団地の景色を撮影することにした。ところが、乗ってみたらケーブルカーのガラスは黒っぽい遮光ガラスでガックリ。あ〜、これじゃまともな写真撮れないよ〜。しかし、乗った以上は引き返すこともできない。仕方なくそのまま乗っていたら頂上駅の横に大きな展望台があるのに気づいた。

あそこなら撮れる!階段を駆け上がり、展望台から見た景色は、、、、、圧巻であった。

 

 

 

先月、バルト海へ休暇に行って来た。今年初めての旅行である。長い長い旅行制限が続いた後、ようやく遠出をすることができ、短い期間ではあったが満喫した。

滞在したのはダース地方のプレーローという村である。


ダース地方はバルト海に突き出たブーメランに似た形をした細長い半島の中心にある。半島名はFischland-Darß-Zingst。長い名前なのは、かつて3つの別の島だったFischlandとDarßとZingstの間に砂礫が堆積して一続きの陸地になったからだ。自然環境が素晴らしく、半島の東部のZingstは写真ツーリズムで有名で、私も一度写真ワークショップに参加したことがある(そのときに書いた記事はこちら)。プレーローはこじんまりとした静かな村で、Zingst方面へもFischland方面へも移動しやすく大変気に入った。

お天気に恵まれたので、サイクリングをしたり、海に入ったり、野鳥を観察したりと野外活動を大いに楽しんだ。


 

ダースにはいくつかの村があるが、ぶらぶらと歩いているうちに気づいたことがある。とても可愛らしい民家が多く、特にドアが他では見たことのない素朴な可愛さなのだ。

こんな感じ

気になっていたところ、地元の書店でこんな本を見つけて、即買い!

「ダースのドアの小さな本」と題されている

タイトルの通り、ダース地方の伝統的なドアについての本でとても素敵で興味深い。そして、裏表紙を開いたとき、「ヤッタ!」と思わず声が漏れた。

なーんと、滞在しているプレロー村の可愛いドアのついた家のマップが載っているではないか。これはもう、「ドア探検」に行くしかないよね?家から持参した自転車に飛び乗って、かわいいドアを探しに行ったのであった。

数が多くて全部は見切れなかったけれど、ドアのオーナメントにはいろんなモチーフのものがあり、また同じかわいいドアでも時代によってデザインに流行があることがわかって大変面白かった。その探検の成果をまとめたものが以下の動画である。

 

スライド動画には載せきれなかったダースのドアの画像を「ドアギャラリー」にアップしたので、興味のある方はぜひ見てね。

 

 

前回、前々回の記事でシジュウカラの育児観察についてまとめたが、今年は同時にクロウタドリの営巣も観察するチャンスに恵まれた。

以前から我が家の庭にはクロウタドリが3ペアほど出入りしていて、そのうちの1ペアが生垣の中に巣を作ることがよくあった。でも、その生垣は奥行きが2メートル以上あり、去年までは観察用カメラも持っていなかったので、巣の中を見たことはなかった。今年はその生垣を撤去したので、うちの庭にはもう巣を作らないだろうなあと思っていた。でも、垣根を取り除いた場所に花などを植える作業をしているとクロウタドリが飛んで来て、すぐそばの地面で忙しそうに虫を集めている。お隣か裏の家の庭に巣を作ったのだろうなあ。

 

ところが、5月の終わりに庭の反対側の地面にクロウタドリの卵が落ちているのを発見した。

 

こちら側にも小さい生垣がある。もしや、と思って葉をかき分けて中を覗くと、クロウタドリの巣があった。

巣には卵が1つ。そのそばの枝には割れた別の卵の殻が引っかかっている。どうやら、カラスか何かに巣を荒らされたらしい。この巣はこのまま放棄されるのだろうか。せっかく巣作りしたのに、残念だなあ。しかし、この後、休暇に出かけたりして、そのままこの巣のことはすっかり忘れていた。

旅行から帰って来て庭を見回っていると、生垣のあたりが何やら騒がしい。クロウタドリが生垣に出たり入ったりしている。あれ?ひょっとして?

覗いてみると、メスが巣に座っているではないか。そして右側にはヒナらしきものの姿が!母鳥は残った1個の卵をちゃんと温め、ヒナが生まれていたのだ。気づいた私と夫はワーワー大騒ぎ。夫が大急ぎで観察用カメラを生垣の中に取り付けた。

 

やった!これでクロウタドリの巣も観察できる。シジュウカラの観察カメラは巣箱の天井につけたから真上からの映像しか見れないが、こちらは横にカメラを設置したのでまた違うアングルから観察できるのもグッド!でも、あれれ?ヒナは2羽いるぞ。巣を荒らされた後もさらに卵を産んでいたのか。

と思ったら、4羽いた!いつの間にこんなに卵を産んでいたんだろう。

気づいたのが遅かったので、ヒナはすでにある程度大きくなっていて、最初から観察できなかったのがちょっと残念だが、みんな元気いっぱいで見ていて楽しい。それもそのはず、親鳥がすごくがんばって育てているのだ。

餌としてヒナに与える虫を集めるお母さん

 

お母さんだけじゃないよ、お父さんも超働き者。夫婦で力を合わせて4つ子育児に奮闘している。私たちがテラスに座っていると、お父さん鳥が頭上をビュンビュン飛んでせっせと餌を巣に運んでいく。そして、このお父さんはなかなか慎重で、巣に直接は飛び込まず、まず近くの別の場所に留まってあたりを見回し、誰も見ていないのを確認してからサッと生垣の中に消える。そして、子どもたちもお利口さんなのだ。母鳥も巣から離れて餌探しをすることがあったが、親がいない間は子どもたちは巣の中に頭を引っ込めて静かにじーっとしている。ふと、「オオカミと7匹の子ヤギ」の話を思い出した。悪い奴がやって来て、食べられてしまったら大変だからね。

 

ぐんぐん成長して、数日後にはこんなに大きくなった!

 

そして7月7日。私は朝から胸騒ぎがしていた。今日あたり、彼らは巣立つのではないかという気がしたのだ。なのに、その日に限ってキャンセルできない予定が入っている。出先でカメラアプリを頻繁に覗き込む余裕もなさそうだ。私が家にいない間にすべてが終わってしまうかもしれないと巣を気にしつつ、家を出た。

数時間後、夫からメッセージが入った。

「オレのビーサンの中にヒナがいる!」

「はあ?」

あああ〜!やっぱり、出ちゃった。でも、なぜ、サンダルの中に着地!?夫はこれをどうしたものかと迷ったが、そのままにしておいたら親鳥が迎えに来て一緒にいなくなったとのことである。

私は慌てて家に帰ったが、時すでに遅し。巣はもぬけの殻であった。

自動録画された映像を巻き戻して巣立ちの瞬間が映っていないかを見たところ、最後の1羽はなかなか飛び立てなかったようで、巣の縁に上がっては中に降り、また縁に上がっては降りをしばらく繰り返した後、ついに飛び出した。

 

生垣の中だから、華麗に飛び立つというより、近くの枝や葉っぱに乗りながら出ていくという感じだね。

 

こんなわけで、シジュウカラのヒナもクロウタドリのヒナも無事に巣立ち、めでたしめでたし。そして私はまた空の巣症候群に陥るのであった。

 

 

前回の続き。

いよいよ始まった、シジュウカラの子育て。

2つ目の卵はいつ孵るかなと思って見ていたが、何が良くなかったのかヒナは生まれなかった。つまり、モコちゃんの赤ちゃんは一人っ子である。去年はたくさんのヒナが成長する様子が見られたので、今回は1羽だけというのはちょっと寂しい気がした。でも、しばらく見ていたら、これはこれで観察のしがいがあることがわかった。ヒナ同士が重なり合うことがないので、その分、体の成長をよく見ることができるのだ。

最初のうちは皮膚が透けていて、体の内部まではっきり見える。非常に興味深い。でも、見ようによってはちょっとコワイ画像かもしれないので、ここにクローズアップを載せるのはやめておこう。

 

生後8日。頭が黒くなり、羽が生えてシジュウカラらしくなった。一人っ子なので、パパとママがせっせと運んで来る餌を独り占めできる。だから、グングン大きくなった。

生後9日。お座りができるように。

生後10日。ママに抱っこしてもらっていたら、パパが餌を運んで来る。大事に育てられているなあ〜。見ていると、ほのぼのしてしまう。

 

生後11日。羽ばたきの練習が始まった!いよいよ巣立ちか!?

と思ったけれど、ここからがなかなか大変だった。この子(ピヨちゃんとしよう)は発育状態はとても良いのだが、どうも甘えっ子のようなのだ。母鳥のモコちゃんは「そろそろ巣立てそう」と判断したのか、この翌日から、餌を持たずに巣箱に戻って来て、ピヨちゃんを外に誘い出すような仕草をするようになった。が、ピヨちゃんはなかなか出ようとしないのである。

生後14日目。巣箱に戻って来たモコちゃんに「ママ、ごはんちょうだい、ちょうだい!」とねだるピヨちゃん。モコちゃんは「ダメダメ」というように首を振り、我が子の前に回李、手本を見せるように飛んでみせる。しかし、ピヨちゃんは怖がって出ようとしない。モコちゃん、今度は餌を見せながら「ママと一緒に外に出られたら、これをあげるからね」とでも言うかのように説得を試みる。しかし、それもうまくいかない。延々とそれを繰り返していたら、夜になってしまった。どうやら巣立ちは翌日に持ち越しのようである。

生後15日目。ピヨちゃん、ようやく出ようという気になったのか、ときどき飛び上がってはみるのだが、やっぱり怖いようだ。兄弟がいれば、先に飛び立つ兄弟の勢いにつられて出やすいのかもしれないが、なんせ一人っ子。モコちゃんは延々と根気よく飛ぶのを促している。イヤだイヤだ、こわいもん、とグズるピヨちゃん。いやはや、子どもを巣立たせるのも大仕事だね。私もこの日は今か今かと、10分おきにカメラを覗き込んで、手に汗握っていた。

 

そして、今日もまた出ないで終わりかなあと思いかけた夕方の5時過ぎ、ついにピヨちゃんは勇気を振り絞って巣箱を出たのだった。

 

巣箱から出る瞬間を外から見ようと思っていたのだけれど、ちょうどこのとき取り込んでいてすぐには庭に出られず、気づいたらもう巣箱にピヨちゃんの姿はなかった。慌てて自動録画されていた動画を確認する。動画に残った音からして、ピヨちゃんはスムーズに飛び立ったというより、出口でジタバタしているうちに偶然飛び出せたという感じだったのではと推測する。庭に出て、それらしきヒナがいないか探してみたが、見当たらなかった。残念!でも、パパとママに守られてオークの木のどこかにいるはず。成鳥と区別がつかなくなる前に姿が見られるといいなあ。

 

というわけで、今年は1羽だけだったけれど、巣箱からシジュウカラが無事に巣立った。大家の私と夫にとっては嬉しい限りである。

 

去年、初めて庭に野鳥のための巣箱を設置し、内部にカメラを取り付けた。設置後数時間でシジュウカラが営巣を始めたので、巣作りから抱卵の様子、そしてヒナ達が巣立つまでを観察した。カメラを設置したのも野鳥の育児を観察するのもまったく初めての経験で、ワクワク、ハラハラな数週間を送った。

その一部始終をこのブログに「シジュウカラの育児観察記録」(その1からその10まであります)および「帰って来たシーちゃん、シジュウカラ2度目の営巣」(その1からその3まであります)としてまとめたところ、多くの方が読んで下さったようだ。

それにしても、野鳥の育児観察がこんなに面白いなんて!巣箱は数ユーロで市販されているので気軽に設置できる。カメラも一度用意すれば壊れるまでは使えるから、これからは毎年観察が楽しめる。よし、2021年もいくぞー!とやる気満々でシーズンの到来を待った。今年は巣箱を2つに増やし、古い方を旧館、新しい方を新館とした。それぞれの内部にカメラを取り付けて2月から観察を開始。今年はリアルタイムではブログに記録せず、一連のプロセスが終了してから手元に残った画像と映像記録、メモをもとにまとめることにしたのでリアルタイム観察の躍動感は伝わらないかもしれないけれど、以下、まとめである。

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結果から言うと、今年も去年同様、シジュウカラの営巣からヒナの巣立ちまでを観察することになったが、今年は去年とはだいぶ様子が違っていた。まず、なかなか本格的な営巣が始まらなかった。2月の終わりにかなり暖かい日があって、新館の方でも旧館の方でもアオガラとシジュウカラが代わりばんこに巣箱に入って中を偵察してはいた。気の早いアオガラが新館に巣材を持ち込み始めたが、数日後に冬に逆戻りしたような低気温になり、アオガラはあっさり断念。4月に入って今度は旧館でシジュウカラが営巣を始め、結構いいところまで進んだ。しかし、5月に再び寒い日が続いてこちらも中断。ニュースによると、今年の5月は30年来の寒い春だったそうだ。日が長くなって来ても昆虫の姿もほとんど見られない。これではヒナが生まれても与える餌もないだろう。私も毎日巣箱カメラを覗き込んでは何も起こらずガッカリする毎日。

しかし、ようやく気温が安定して来た5月29日、旧館でようやくシジュウカラが中断していた巣作りを再開!

営巣再開から3日目の様子

今度こそ、子育て本格開始か!?

やっぱり暖かくなるタイミングを待っていたのだろう。すごいスピードで巣が整えられ、6月3日、卵が一つ産み落とされた。

 

去年、この巣箱で営巣したシジュウカラのシーちゃんとは別のメスのようだ。うなじの白いあたりがしーちゃんとは違う感じで、巣の作り方もかなり違う。季節がズレているから手近にある巣材の種類が違うからかもしれないけれど、なんだか随分とモコモコした巣を作るなあと思って、このメスは「モコちゃん」と命名。

シーちゃんは毎朝1つづつ卵を産んだけれど、モコちゃんはそうではなく、1つ目の卵を産んでから6日目にもう一つ産んだ。そして、それきりもう卵を産まなかった。シジュウカラにしては少ない。今年の春は気候が安定しなかったことと関係があるのか、別の理由なのかはわからないが、モコちゃんは多産ではないのだった。

ここからモコちゃんは抱卵モードに入ったが、6月に入ると今度はいきなり猛暑となり、30度越えの日が続いた。巣箱の中は一体、何度あるんだろう?卵が煮えてしまうのでは?と心配になる。モコちゃんもそれを心配してか、それとも自分が暑くてとても座っていられないのか、立ち上がって上を仰ぎ見て口を開けていることが多かった。大家の私としては、エアコンつけてなくてすみませんと謝りたくなる気分である。

そして、最初の卵が産み落とされて20日が経過、卵の1つが孵った!かわいい〜!生まれたての我が子を愛おしそうに見つめるモコちゃん。モコちゃんのダンナもせっせと餌を運んで来て、夫婦力を合わせての子育てが始まった。

 

長くなったので、続きはその2に。

 

 

YouTubeチャンネル「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」に10本目のスライド動画をアップしました。今回のテーマはブランデンブルク州カプート村(私が住んでいる村です)にある物理学者アルベルト・アインシュタインの別荘です。

ベルリンから公共交通機関を使って片道約1時間のところにあるアインシュタインの家は、ユダヤ人建築家コンラート・ヴァクスマンの設計によるものです。ヴァクスマンは後に米国に亡命し、バウハウスの創立者で近代建築の巨匠とされるヴァルター・グロピウスと共にプレハブ住宅の普及に大きく貢献します。

アインシュタインはヴァクスマンが設計した家とカプート村をとても気に入っていました。現在、家は週末のみ一般公開されていて、ガイドツアーで中を見学することができます。

カプート村のアインシュタインの家のウェブサイト

この家についてはたくさんの情報があって、20分ちょっとの動画には収まりきらなかったので、こぼれ落ちた内容の一部を補足として動画の下に書きます。まずは是非、動画を見てみてください。

補足)

アインシュタインの家を設計したヴァクスマンは、「この家のインテリアにはバウハウスの家具がぴったりですよ」とマルセル・ブロイヤーがデザインした椅子など、バウハウスの家具をアインシュタインに奨めました。でも、アインシュタインは家具までモダンなもので揃えるのには違和感があったようで、その案は採用せず、手持ちの家具を運び入れて使ったそうです。

1932年にアインシュタインがカプートを去った後、この家は様々な用途に使われました。最初に利用したのは、隣の敷地にユダヤ人の子ども達のための学校を設立していたユダヤ人教育者、ゲルトルート・ファイアーターク(Gertrud Feiertag)でした。ファイヤータークが運営する寄宿舎付きの学校では、主にベルリンに住むユダヤ人家庭の子どもたちが学んでいました。ユダヤ人への迫害が強まる中、ベルリンはユダヤ人の子どもが安心して学校に通える環境ではなくなっていたからです。また、親が先に外国へ移住し、生活の基盤が整ってから子どもを呼び寄せるつもりで子どもを預けているケースもありました。そのうち、他の地域からも庇護を求めてユダヤ人の子どもたちがカプートへやって来るようになります。米国に渡ったアインシュタインは弁護士を通じてファイアータークに家を託し、家は学校の一部として使われました。

しかし、1935年、アインシュタインの家はナチス政権により没収され、カプート村に売り渡されます。ユダヤ人の子どもたちを守るために戦ったファイアータークは1943年、アウシュビッツの強制収容所に送られ、そこで命を落としました。その後、家は幼稚園教諭の養成所や兵士の宿舎として使われるなどいろいろな時期を経て、70年代の終わりに重要文化財に指定されました。1979年に痛んでいた家の修復工事が終わり、アインシュタインの生誕100年を記念して開かれた式典の際には、(地元の人の話によると)家の中にバウハウスの家具が展示されされたそうです。このときアインシュタインはすでに亡くなっていましたが、設計者のヴァクスマンはこの式典に参加しています。ヴァクスマン家の修復状態には内心ちょっと不満があったそうですが、バウハウスの家具を置きたいという彼のかつての希望はこのときようやく実現したと言えますね。

 

昨年からパンデミックで外出もままならない日が続いていましたが、ここのところドイツでは感染者数がかなり減って、規制が緩和されています。冬の長いドイツでは、いつも皆、夏を心待ちにしています。夏場は日が長いので、仕事の後でもたっぷり野外で活動できます。ドイツの夏は湿度が低く、とても爽やか。水場に恵まれたベルリン・ブランデンブルクでは水遊びを楽しむことができます。

湖で泳いだり、ボートやSUPを漕いだり、釣りをしたりなど水遊びの種類が豊富ですが、アクティブなレジャーはあまり、、、という人には遊覧船でのクルーズなど楽なレジャーがたくさんありますよ。

ベルリン・ブランデンブルク探検隊」の相棒、久保田由希さんがベルリンの公共交通を使った水路によるベルリンの楽しみ方を紹介する動画をYouTubeに公開しました。安くて気軽で、それでいてドイツの夏らしさを満喫できる素敵なルートです。

コロナの感染状況はいつまた悪化するともわからないので引き続き注意が必要ですが、ルールをきちんと守りながら短い夏を楽しみたいと思います。

水路によるブランデンブルクの楽しみについても、改めてご紹介するつもりです。

 

 

先日、YouTubeチャンネル「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」にブランデンブルク州で最も人気の観光地、シュプレーヴァルトについてのスライド動画をアップしました。私も相棒の由希さん(@kubomaga)も大好きで何度も足を運んでいるシュプレーヴァルト。自然環境が特殊で、少数民族ソルブ人が多く住んでいることから文化的にも異色なとても魅力的な地域です。ベルリンから他の地域へ遊びに行きたいけれど、どこへ行こうか?と迷ったら、ここ!

今回はシュプレーヴァルトはどんな場所なのかをざっくりとご紹介しました。シュプレーヴァルトには四季折々の独特な伝統行事があり、掘り下げていくととても奥深い地域なので、また改めて、続編動画でそれぞれの季節の魅力をお伝えしていくつもりです。

 

 

 

2ヶ月前に友人のライター久保田由希さんと一緒に解説したYouTubeチャンネル「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」。これまでにベルリンとブランデンブルクをテーマに8本の動画をアップしました。

でも、ベルリンってどんなところなのかイメージが湧かない、ましてやブランデンブルクってどこそれ?という方が多いことでしょう。ベルリンとブランデンブルクのそれぞれをざっくりとご紹介する概要動画を作りました。ベルリンの概要動画はベルリンに20年近く住み、ライターとして数々の取材を重ねて来た由希さんの視点で、そしてブランデンブルク概要動画はブランデンブルクじゅうを歩き回っている私が感じるブランデンブルクらしさを凝縮させた内容にまとめています。この2つの動画を見れば、ドイツの首都ベルリンの空気を感じることができ、その周辺に広がるブランデンブルク州の独特の魅力に触れて頂けることと思います。よかったら是非、見てください。

 

 

 

 

 

三度の飯より探検が好き。これまで何度も引っ越しをして来たけれど、その度に新しい環境をくまなく歩くことを楽しんできました。2006年にブランデンブルク州に移りんでからは、徒歩・自転車・車・公共交通機関でブランデンブルク州中を探検し続けています。

 

ブランデンブルク探検は面白い。

なぜなら、情報が少ないから。あまり知られていないからこそ、発見する楽しみがある。

これまでに訪れた場所を地図上に記録しているのですが、ざっとこんな感じです。かなり行ってるでしょう?

 

 

この探検趣味が高じて、2年ほど前、気づいたら長年ベルリンに住んでいた友人のライター、久保田由希(@kubomaga)さんと探検ユニット「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」を結成していました。普段は久保田さんがベルリンを、私がブランデンブルク州を単独で探検し、「こんなところへ行って面白かったよ」「こんなものを見つけたよ」と互いに報告し合いました。ときには一緒に探検します。探検が好きな他の友人を誘って出かけることも。撮った写真はよくTwitterでシェアしていますが、フォロワーの方がハッシュタグ「#ベルリン・ブランデンブルク探検隊」をつけて面白い場所を紹介してくださることもあります。

「探検隊」を名乗ったのは最初は冗談半分だったのですが、やり始めたらけっこう本気で活動し、2020年には初の成果物としてベルリンとブランデンブルク州に現存する給水塔の情報をまとめた冊子、「ベルリン・ブランデンブルク探検隊シリーズ 給水塔」を自費出版しました(過去記事: 「ベルリン・ブランデンブルク探検隊シリーズ 給水塔」を出版しました)

そうしたら、意外なほど多くの方が興味を持ってくださり、いくつかのメディアでも取り上げて頂きました。嬉しい限りです。

 

そしてこの度、新たな試みとして、久保田さんと「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」のYouTubeチャンネルを開設しました。

 

現在、ドイツはパンデミックでロックダウンが長く続いており、実際の探検活動はほとんどできない状態ですが、これまでに収集したネタがたっぷりあります。ベルリンとブランデンブルクのニッチな魅力をスライドとトークでご紹介していきます。

 

まずは、給水塔に関する動画を2本アップしています。

 

 

 

よかったら覗いてみてください。もし、気に入ってくださったら、チャンネル登録して頂けたら、とても嬉しいです。

 

ドイツには「ドイツニュースダイジェスト」という在住日本人のための日本語フリーペーパーがあり、私もドイツに住むようになって以来、愛読して来ましたが、なんと最新号(Nr.1144 23 April 2021)ではバードウォッチングの特集が組まれています。

タイトルはずばり、「ドイツで始めるバードウォッチング」。

ドイツには古くから野鳥保護の伝統があり、野鳥愛好家人口が多いです。そのためバードウォッチングの情報が豊富に蓄積され、インフラも整っています。都市部にも緑が多く、どこに住んでも森が身近にあります。だから、バードウォッチングを始めるのに最適な環境なんですね。

今年は気温が低く、なかなか本格的に春になりませんが、朝は賑やかな野鳥のさえずりで目が覚めるようになりましたね。これからの季節は野鳥が一斉に巣作りをし、雛を育てます。バードウォッチングは年間を通じて楽しめますが、やっぱり春が一番!

3ページに渡る特集記事はドイツにおけるバードウォッチングの歴史、これからバードウォッチングを始めようと思う人のためのヒントやドイツで身近に見られる野鳥情報までを含む充実した、楽しいものになっていて、バードウォッチングに興味はあるけれど、どうやって始めたらいいのか、、、と思っている方にとって、とてもわかりやすいと思います。

バードウォッチングを始めてまだ日が浅い私ですが、微力ながら誌面作成のお手伝いをさせて頂きました。その際の打ち合わせで新たに知ったことも多く、ますますバードウォッチング熱が高まっている私です。

 

ドイツニュースダイジェストは日本関連のお店などに置いてありますが、オンライン版もこちらから読むことができます。

野鳥に興味がある方は是非、ご覧になってみてください。お家の周りの散歩がぐっと楽しくなりますよ!

 

以下の記事にドイツでバードウォッチングを楽しむ際のお役立ちサイトをリストアップしていますので、よろしければ合わせてご利用ください。

ドイツで野鳥観察を楽しむための情報リンク集

また、見つけた野鳥のドイツ語名はわかったけれど、日本語ではなんというの?うまく調べられないという方は、私が作成した野鳥名検索アプリ(無料でオンライン公開中です)を使ってみてください。

ウェブアプリ「ドイツの身近な野鳥 多言語辞書」を公開しました

 

これからも野鳥情報、どんどん更新していきますね。

 

 

 

去年の春、庭のオークの木に鳥の巣箱を設置し、その内部にカメラを取り付けた。巣箱を設置したらすぐにシジュウカラが中に入り、営巣を始めた。取り付けた巣箱カメラが大活躍し、スマホやその他のデバイスを通してシジュウカラの巣作りや子育てをリアルタイムで観察することができ、とても楽しかった。その一部始終は「シジュウカラの育児観察記録」として当ブログで公開している。

そこで、この冬はテラスに置いた餌台の内部にカメラを設置してみた。そうしたら、これがまたまた面白い。家の中から窓越しに餌台を眺めているだけではわからないことがカメラを通すと見えて来るのだ。餌台にはいろんな野鳥が餌を食べにやって来る。カメラを通してその様子を眺めていると、まるでレストランオーナーになった気分だ。心の中で「いらっしゃいませー!」と叫びつつ観察していたら、種によって少しづつ行動が違うことに気づいた。

 

最もよく来るのはシジュウカラとアオガラ。どちらも群れで入れ替わり立ち替わり餌台に来る。シジュウカラの方がアオガラよりもやや大きく、群れの個体数も多いけれど、異なる種と鉢合わせしてもお互いまったく気にしていない様子。酒場の顔馴染みの常連客という感じで和気藹々と(?)餌をついばんでいる。餌台にやって来る時間帯もほぼ同じだ。ただ、彼らは長居はしない。ひまわりの種をクチバシでさっと掴むと、すぐにサッと餌台を出てそばの桃ノ木の枝に止まり、種を枝に叩きつけて割って中身を食べる。食べ終わるとまたサッと餌台に飛び入り、また次の種をくわえて出て行く。その繰り返しだ。一回の滞留時間はほんの1秒くらいで、出たり入ったりを延々と繰り返している。だったらお腹がいっぱいになるまでずっと餌台にいればいいんじゃないかな。飛ぶエネルギーがもったいないと思うんだけど。でも、彼らはそういう習性ではないらしい。

 

ハシブトガラは単独で来ることが多い。この子はシジュウカラやアオガラと比べ、もうちょっとのんびりしているような気がする。

アオガラやシジュウカラ達と餌台で一緒になることも多いが、オープンな性格とみえて、けっこう溶け込んでいる。

 

ヨーロッパコマドリは別の時間帯にいつも単独でやって来る。ヒマワリの種は食べず、もっと小さい穀物をエサの山の中から探すのだが、シジュウカラやアオガラのように餌をテイクアウトするのではなく、店内でお召し上がりになる。ある程度満腹するまで餌台を離れないので、一度来ると2分くらいはとどまっている。

 

カンムリガラは滅多に訪れないので、たまに見ると嬉しい。

頭が可愛いなー

 

ゴジュウカラもおひとりさま行動が好きらしい。そして、かなり警戒心が強いのか、餌台の中央まで入って来ることは稀である。窓の縁に止まって、頭だけを伸ばして種を取るが、常に外を気にしてしょっちゅう振り返るのだ。

 

うちの庭にはイエスズメがたくさんいる。できれば彼らには餌台に近づいて欲しくなかった。数が多くていつも群れで行動するし、体も他の小鳥より大きい。しかも図太そうなイメージがあって、イエスズメが来ると他の客が来なくなるのではという懸念があった(鳥種差別、ごめんね)。イエスズメ達はしばらくの間、庭の隅のライラックの木から遠巻きに餌台を眺めていた。イエスズメだけ邪険にするのは悪いので、彼ら専用の餌台をライラックのそばに設けようかなと思っていたら、そうする前にとうとうみんなの餌台に入って来てしまった。でも、杞憂だったのか、他の鳥達が嫌がる様子はなく、今のところは平和である。よかった。

 

笑ったのはクロウタドリ。クロウタドリはサイズクラスが全然違う。そもそも餌台などには入らず地面の虫などを食べるのだと思っていたが、他の鳥達が餌台を盛んに利用しているのを見て自分も入りたくなったのだろうか。大きな図体で無理やり入って来た。でも、小さな鳥達と違い、窓からスッとスマートに飛び込むことは難しい。へたをすると壁に激突しかねない。窓の外でハチドリのように必死に羽をバタバタさせたがうまく入れず、諦めて地面に降りる姿も目撃した。

 

残念なのは、去年来たシマエナガが今年は一度も姿を現さなかったこと。つぶらな瞳の可愛い姿を見せて欲しかったなあ。

これは去年の写真

 

でも、その代わりに去年は見かけなかったマヒワがやって来た。

 

「〇〇鳥は云々」と、知ったようにいろいろ書いたが、ここに書いたことはあくまでも一冬の間に我が家にやって来た特定の鳥を観察して感じたことにすぎない。たまたま、うちに来た個体がそうだっただけかもしれないのだから、種の一般的な習性だと考えるわけにはいかないよね。でも、観察って面白いなあ。カメラには映像自動保存機能が付いているので、長期的に観察すれば何かがわかって来るかもしれない。野鳥カメラにこんなに楽しませてもらえるとは想像していなかった。最近まで野鳥には関心も知識も全然なかった夫も、「こんなに面白いとはね。なんでもっと早くやらなかったんだろう」と言っているくらいなのだ。

さて、そろそろまた鳥達の繁殖の季節だ。巣箱へのカメラ設置は完了した。また小鳥の子育てが見られるかな?

 

 

身近な環境や旅先で野生動物を目にするのが私の近年の大きな楽しみの一つである。あまりに楽しいので、気候変動や環境破壊によって野生動物が減ってしまうのは辛い。なにか少しでもできることないかなーと思って、昨年(2020)の2月から3月にかけて、自然保護団体BUNDの主催するヨーロッパヤマネコのモニタリングプロジェクトに参加した。それがなかなか楽しく、また、たまたまコロナ対策のロックダウン期間と重なったため良い息抜きになった。それで今年もまた参加することに。

 

Foto: Wikimedia Commons
Michael Gäbler

 

ヨーロッパヤマネコのモニタリングとはなんぞや?

簡単に説明すると、ドイツ国内のヨーロッパヤマネコ(学名Felis silvestris)の分布を把握するためのサイエンスプロジェクトである。ヨーロッパヤマネコはかつてヨーロッパ全域に分布していたが、18世紀以降、個体数が激減し、大部分の場所で絶滅に瀕していた。しかし近年は一部の地域で再び個体数が増えつつあり、ドイツ国内には現在、6000〜8000個体が生息すると推定されている。ドイツ西部から中部にかけて特に多く、次第に生息地を広げているが、私が住んでいるブランデンブルク州にはまだ到達していないと考えられていた。

ヨーロッパヤマネコの生息に適した森  出典: https://www.bund.net/themen/tiere-pflanzen/wildkatze/

 

ところが2019年のある日、ブランデンブルク南西部のLuckenwaldeという町付近を移動中のある人が、車に轢かれた猫の死骸を道路脇に見つけた。猫にしてはいやに大きいなと不思議に思って車を停め、死骸をよく見たところ、ふさふさの大きな尻尾に黒いリング状の模様がある。もしやこれはヤマネコでは?その人は死骸の写真を撮り、地元の自然保護団体に連絡した。専門家の鑑定の結果、それはヨーロッパヤマネコだった。

ヨーロッパヤマネコはブランデンブルク州にも到達している!

この新事実をきっかけに、BUNDは2020年からブランデンブルク州でもヨーロッパヤマネコのモニタリングを開始した。プロジェクトには誰でもボランティアとして参加できる。面白そうなので私も参加することにしたのである。

ヨーロッパヤマネコのモニタリングは1月末〜3月にかけて実施される。雄がこの時期に繁殖相手を探して広範囲を移動するからだ。ヨーロッパヤマネコはセイヨウカノコソウ(ヴァレリアン、ドイツ語ではBaldrian)の匂いを好むので、森の各所の地面にセイヨウカノコソウのエキスをスプレーした木の杭を打ち込んでおく。杭のあるところをヤマネコが通れば、きっと杭に体を擦り付けるだろう。そうすれば、杭表面に毛が引っかかる可能性がある。プロジェクトの参加者は定期的に杭を点検に行き、観察結果をBUNDに報告する。

杭は金ブラシで表面をガサガサにし、ナイフで角に傷をつけて毛が引っかかりやすいようにする。表面をバーナーの火で焼いて殺菌し、それからセイヨウカノコソウのエキスをスプレーする。

1週間〜10日に一度、杭を点検。毛が付着していないかどうか、ルーペで確認する。

もし、毛が付着していたらピンセットで取って専用の袋に入れる。地域、杭の番号、日付、毛の本数を記入してDNA鑑定のためにラボに送る。

2019年度、私は4本の杭を担当し、何度か毛を採取することができたが、DNA鑑定の結果は残念ながらヤマネコのものではなく、キツネの毛だった。でも、プロジェクト全体では複数箇所でヨーロッパヤマネコの毛が見つかり、2018年に死骸となって発見された個体以外にもブランデンブルク州にはヤマネコが存在することが判明した。それで、さらに本格的に分布を調べるため、今年度(2021)もモニタリングが実施されるのだ。今年は私の夫も一緒にやると言うので、今回は思いきって10km x 10kmのエリアを2人で担当することにした。打ち込む杭は全部で10本。地図を見て、ヤマネコが移動しそうな場所を考えつつ、場所を決めていった。

こんなルートにした

 

ところが、さあやるぞと張り切っていたら大雪が降って、地面が真っ白になってしまった。去年の2月は暖かかったので楽だったが、雪の中の巡回はちょっと大変そう。でも、森に入ってみると、雪が積もっているからこその面白さがあると気づく。森の中は動物たちの足跡だらけなのだ。

1本の杭を打ち込んだ場所は動物たちの交差点になっていることがわかった。昼間でも森の中で野生動物に遭遇することはよくあるし、夜にはたくさんの動物が活動すると知ってはいたけれど、本当にどこもかしこも足跡でいっぱいなのを見ると、森にはたくさんの動物たちがいるんだなあと実感する。逆に言えば、森がないと多くの動物たちは生きることができないってことだよね。

杭のすぐ横をウサギが擦り抜けていっている。立ち止まった様子はない。ウサギはセイヨウカノコソウには興味がないみたいだね。

でも、残念ながら毛はついていなかったので、またセイヨウカノコソウをスプレーしておく。

 

そうそう。ヤマネコと直接関係ないけれど、面白いことがあった。モニタリング開始前、杭の設置位置を決めるために森の中を歩いていたら、地元の猟師さんの車が通りかかって「こんなところで何をしている?」と聞かれた。BUNDのヤマネコ調査に参加していると説明すると、「あー、ヤマネコね。この辺、いるよね」と猟師さんはこともなげに言うのである。

「え、本当ですか?野良猫じゃないんですよね?」

「いや、あの尻尾はヤマネコだよ。毎晩来てるよ。あっちの方」

私と夫は顔を見合わせ、「よし、そこに杭を打ち込んで来よう」と目くばせした。テンション上がるなー。

「この辺、オオカミもよく出るんだよね」

「ええ?」

なんかちょっと出来過ぎな感じがするが、相手は猟師さん。デタラメを言うとも思えない。

 

猟師さんに教えてもらったあたりに杭を打ち込みに行くと、すぐそばの湖の凍った表面を動物が歩いた跡があった。

「大型犬っぽいね」と夫が言うが、飼い主が一緒に歩いた形跡はない。こんな人里離れた森の奥の湖を犬が歩くかなあ?

「もしかしてオオカミ!?」

まさかねー。早とちりはやめておこう。

 

その2週間後、森を巡回中、全く同じ場所でまた同じ猟師さんに遭遇した。

「どうだ?ヤマネコは見つかったか?」

「いえ、まだです」

すると猟師さんは言った。

「今、オオカミのフンを拾って来たよ」

「ええ?」

「見る?」

バケツに入ったオオカミのフンとやらを見せてもらう。(不快な画像、すみませんが、証拠写真と言うことでご了承ください)

「ん?これ、犬のフンではないんですね?」

「オオカミのだよ。シカの毛や骨が混じっているだろう?」

へえーっ。

「あいつら、いつも4、5匹でウロついてるよ。犬と変わらない感じで、かなり近くまで来る」

オオカミの存在が急にリアルになった。ブランデンブルク州でオオカミが増えているのは知っていたけど、そんなに身近な存在になっているとは。

 

今年のモニタリングはまだ始まったばかりで、今のところ、ヤマネコの痕跡は見つかっていない。でも、森の中にはいろんな情報が詰まっていて面白い。

 

 

パンデミックでロックダウンが続くドイツ。遠出できないし、できることも限られているので、相変わらず庭や家の周辺での野鳥観察をする毎日である。見分けられる種が増えるにつれ、ますます楽しくなって来る。

先日、こちらの記事でドイツでよく見られる野鳥の名前の日独英学名対照表をシェアしたけれど、表形式だとデータが増えるとスクロールして知りたい鳥の欄を見つけるのが大変になるから、あまり実用的ではないかなあと思っていたところ、年末年始に帰省した息子がPythonというプログラミング言語の基礎を手解きしてくれた。特に目的もなく暇潰しに教わったのだが、せっかくだから何かに使えないかなと考えて、せっかく野鳥の名前の対照表を作ったのだから、それを使って簡単な検索プログラムができないかな?と思いついた。

息子に怒られつつ作ったプログラムをようやく公開することができた。

ドイツの身近な野鳥 多言語辞書

(↑ クリックすると、アプリが開きます)

 

初めてプログラミングで作ったプログラムなのでとてもシンプルで、野鳥名を日本語、英語、ドイツ語及び学名で検索するだけのもの。こんなふうに使えます。

 

 

たとえば、私は昨日、野原で猛禽類を見つけて写真を撮り、NABUの鳥識別アプリNABU Vogelweltで調べて「Turmfalke」という種らしいということがわかったので、検索窓にTurmfalkeと入力。そして「調べる」ボタンを押すと、

このようにそれぞれの言語での名前と学名が表示される。ただこれだけなんだけど、ドイツで野鳥を見かけてドイツ語での種名がわかっても、日本語で何と呼ぶのか調べるのは結構面倒だったりするので、作ってみました。逆に和名はわかっているけどドイツ語でなんと呼ぶかわからないときにも使える。今のところ登録してある種は200種で、ドイツ全国でよく見られる種はほぼカバーしているつもり。

ただ、この辞書、使い方にちょっと注意点があって、私がエクセルに登録した表記法そのものじゃないとヒットしないのである。日本語の鳥名は必ずカタカナで、ドイツ語と英語の名前は最初の文字を大文字で入力する必要があります。

この辞書はPythonでコードを書いて作ったデスクトップアプリ(私のPC上でしか使えないプログラム)をStreamlit sharingというサービスを使ってウェブアプリ化して公開している。デスクトップアプリでは、野鳥団体NABUのサイトのそれぞれの鳥に対応するページに飛んで画像を見ることができるようにしたのだけれど、それをウェブアプリ上ではうまく反映させられなかった。なので、とりあえず画像検索機能なしで公開することにした。

今後やりたいことは、

  1. それぞれの野鳥の画像も検索できるようにする。
  2. 現在はドイツ国内で見られる野鳥に限定しているが、範囲をヨーロッパ全体に拡大して、スペイン語やフランス語など他の言語でも検索できるようにする。
  3. 野鳥だけでなく、野草とか昆虫とかいろんなカテゴリーの多言語辞書を作る。(息子には「魚や野菜の辞書を作ってよ」と言われた)

 

少しづつ、使えるものを作れるようになればいいなと思っている。気長にやろう。