登別温泉で集まった家族はそれぞれの家に帰り、再び二人になった私と夫は小樽へと向かった。

小樽といえば運河や風情ある歴史的街並みが人気である。市の中心部には明治時代初期から昭和初期にかけて建てられた石造建築物が数多く残っている。

栄町通りの石造建築

どうして小樽市には石造りの建物が多いのだろうか。小樽には水族館やウニ丼やガラス細工など、他にもいろんな魅力があるけれど、今回はジオ旅行ということで特に石に着目してみることにした。事前に親戚が送ってくれた日本地質学学会の地質学雑誌第125巻に掲載されている「巡検案内書 小樽の地質と石材」という資料が参考になった。

運河沿いの倉庫群などに代表される小樽の石造建築は木骨石造と呼ばれる、木材でつくった枠組みの間に石材を積み重ねた構造である。明治時代から港町として発展した小樽市では、多くの倉庫を建造する必要があった。蔵といえば伝統的には土蔵だが、当時、冷涼な気候の北海道では米作りがまだそれほど普及しておらず、土蔵の土壁に必要な稲わらが不足していた。また、小樽では大火事が度重なり、多くの建物が被害を受けたこともあり、耐火性のある石材を使った建物が多く建てられたらしい。そうした建物には、石材として「小樽軟石」と呼ばれる、柔らかくて加工しやすい凝灰岩(火山灰が堆積してできた岩石)が主に使われた。

小樽市西部の桃内という地域にかつての小樽軟石の採石場があるらしい。探しに行ってみよう。

小樽市中心部から国道5号線を余市方面に向かって進み、塩谷海水浴場で国道を降りて笠岩トンネルを抜けると、海岸に桃岩と呼ばれる特徴的な岩が視界に入る。

奥に見える丸みのある岩が桃岩。桃のような形と言われればそのようにも見える。その右手のなだらかな斜面にもかつては大きな岩山があったという。現在は私有地のようで、桃岩へ向かう道にはロープが張られていて近づけない。

桃岩を望遠レンズで撮ったのがこの写真。地面から1/3くらいの位置にラインが見え、その上とで見た目が違っている。こちらのサイトによると、下部は軽石凝灰岩で、上部は軽石凝灰岩および凝灰質砂岩。と言われてもピンと来ないのだけれど、細かい違いはあれど、全体として火山灰が海の底に堆積し、固まったものと考えていいのかな。

右側の斜面もズームインして見てみた。石を切り出した跡がわかるような、わからないような。やっぱり近くで見ないといまひとつ理解できない。

ちなみに、小樽の石造建築物には札幌軟石という石も使われている。小樽へ来る前に、札幌の石山地区に残る札幌軟石の採石場跡も見て来たのだ。

 

こちらの採石場跡は公園になっていて、近くで岩肌をみることができる。なかなか壮観だ。同じ軟石でも札幌軟石と小樽軟石とでは色味や質感が少し違うように見える。札幌軟石の方がすべすべしている印象。約1,000万年前~約500 万年前の水中火山活動によって水底に堆積してできた小樽軟石とは異なり、札幌軟石は約4 万年前に火山噴火物が陸上に堆積してできたもの。小樽軟石よりも粒が均質で、石材としてより高級だそうである。でも、見た目的には小樽軟石の方が味わいがあって好まれたとか。そんな違いも考えながら小樽の石造建築を一つ一つじっくり眺めて歩いたら楽しいかもしれない。

街歩きだけでも充分楽しい小樽だけれど、せっかくなら絶壁と奇岩が織り成す複雑な小樽の海岸線を海側からも見てみたい。そう思って青の洞窟までのクルージングツアーを予約した。ところが、当日の朝になって、今日は波が高いので青の洞窟までは行けませんとクルーズ会社から連絡が、、、。楽しみにしていたので、がっかり。運河内のクルーズなら可能とのことだったけれど、それだとジオ旅行の目的が果たせないので、クルーズはやめて陸地から海岸の景色を楽しむことにした。

まずは小樽市街の北にある「おたる水族館」近くの祝津パノラマ展望台へ。写真は展望台から見た小樽海岸の絶壁である。色と形が印象的。崖の斜面が黄色っぽいのは、海底火山活動による熱水で地層が変質したため。

そしてそこから突き出す岩塔。周りの地層よりも硬くて侵食されにくい岩が残ってこのような景観になるらしい。

 

次は海岸へ行ってみよう。車で西に移動し、赤岩山の麓にある出羽山神社から山中海岸へ出る斜面を降りた。

坂道はかなり急だった。この日は気温が30度くらいあり、鬱蒼と茂った植物をかき分けて進むので、暑くてムシムシする。海に辿り着く前に汗だくだあ。

山中海岸

どうにか海岸に到着。大きくてゴツゴツした岩がゴロゴロしている。遠くに見えるのはオタモイ海岸の崖。

山川の景色。うわー。海岸の大きな岩はここから崩れて落ちて来たのかあ。

岩はマグマからもたらされた熱水で変質し、薄緑色や赤茶けた色をしている。

結晶ができているところは熱水が通った跡。

 

しばらく海岸で石を眺めたり風に当たったりした後は、再び汗だくになり、虫に刺されながら降りて来た山道を登って車に戻る。国道5号線をさらに西に進み、忍路半島に向かった。

忍路湾船着場の奥に見える恵比寿岩。船着場付近に車を止め、そこから山道を登って竜ヶ岬まで歩いてみた。

切り立った崖の上に恐る恐る立った。全体的に黄色っぽい崖の表面はグレーの角ばった大小様々な塊で覆われている。それらは水中に噴出した溶岩が急激に冷やされて表面が収縮し、内側から砕けたものだそう。

丸みのある大きなグレーの塊は、溶岩が水中に噴出して固まった枕状溶岩。

表面のあちこちには溶岩中のガスが抜け出した跡の穴が開いている。こんな高い崖のてっぺんで枕状溶岩などというものを見るのはなんだか不思議な気がする。今、私が立っている場所は、かつては海の底だったのね。

竜ヶ岬からの眺め。すごい景色だなあ。

ボートクルージングはできなかったけれど、陸上でいろんな景色を見て、小樽周辺の景観は海底火山活動によって創り出されたものだと感じることができた。ここまで調べてまとめるのがやっとで、理解が追いついていない部分が大きいけれど、はるか昔の火山活動があって小樽周辺の地形や地質があり、その過程で形成された岩石の一部が石材となって現在まで続く小樽市の街並みをかたちづくったのだなあ。地形や地質と人々の営みや文化との繋がりを考えるのは面白い。

 

この記事の参考文献:

北海道大学出版会 『札幌の自然を歩く 第3版 道央地域の地質あんない

北海道大学地質学会北海道支部 『北海道自然探検 ジオサイト107の旅

前田寿嗣著『行ってみよう!道央の地質と地形

地質学雑誌 第125 巻 第5 号 巡検案内書『小樽の地質と石材』(PDF)

北海道ジオ旅行開始から1週間。遠方から帰省した弟夫婦に加え、道内に住む母も合流したので、みんなで温泉に1泊することにした。選んだのは、北海道に数多くある温泉の中でも特に知名度の高い登別温泉である。

クッタラ火山の活動が生み出した登別温泉は湯量が豊富で、泉質の種類が多いことで知られる。「温泉のデパート」と呼ばれたりもする。

でも、私は暑がりでのぼせやすいので、実は温泉に入ることにはそれほど興味がない。お湯に入った瞬間は気持ちがいいけれど、暑くてすぐに出たくなってしまう。それぞれの温泉には異なる効能があるのだろうけれど、健康効果が得られるほど長く入っていられない。そんなわけで、湯巡りよりも自然景観を眺める方により興味があった。

夕方に温泉街に到着しホテルに荷物を置いたら、さっそく登別温泉の泉源である地獄谷を見に行った。

さすが地獄谷と呼ばれるだけあって、迫力満点。日本に住んでいると、こういう景色はそこまで珍しいものではないけれど、私の住んでいるドイツでは目にすることがないので、火山好きの夫にこれを見せたかったのだ。地獄谷の複雑な地形は、繰り返し起きた爆裂の火口が重なり合うことで形成されている。

谷を流れる湯の川

噴気孔

析出した硫黄

 

翌日の朝、家族は温泉街の散歩に出かけた。泊まっていた第一滝本館のすぐそばの泉源公園に間欠泉があるという。私はその日の朝はなんとなくダラダラしたい気分だったのと、間欠泉はアイスランドのゲイシールを見たことがあるから別にいいかな、、、と思ってパスした。しばらくして帰って来た家族が、「ちょうど噴き出す時間帯だった。なかなか凄かったよ」と言って、撮った動画を見せてくれた。しまった、これは見に行けばよかった!

 

午後は地獄谷から道道350号倶多楽公園線を登って大湯沼へ。

大湯沼の後ろにそびえるのは日和山。

沼からもうもうと湯気が上がっている。表面の温度は40〜50℃ほどだけれど、沼底は130℃を超えるとのこと。

こちらは奥の湯。表面温度は大湯沼よりもさらに高く、75〜85℃。

 

大湯沼駐車場から数分のところに大湯沼川探勝歩道への入り口があり、天然足湯ができる場所もあるらしかったが、暑い中、母を歩かせるのはかわいそうなので、そのまま車に乗り込み日和山展望台へ向かった。

日和山展望台から見た日和山の山頂。噴気孔からゴウゴウすごい音を立てて白煙が上がっている。

展望台にある説明看板によると、「日和山」の名は、昔、太平洋を移動する船が山から立ち上る噴煙の量や流れる方向を見て天気を判断していたことから来ているそうである。

倶多楽公園線はクッタラ湖へと続いている。透明度が高く、ほぼ円形をした美しい姿が人気だと読んで楽しみにしていたのだけれど、観光シーズンを過ぎているからか人気はなく、車を停められると思った場所にうまく停められなくて、湖畔に降りられなかった。そんなわけでクッタラ湖の写真は撮り損ねてしまった。でも、以前の北海道への帰省写真を見返したら、飛行機の中から撮った写真にクッタラ湖が写っていた。

手前に見える外輪山がくっきりの湖がクッタラ湖。

クッタラ湖はおよそ4万年前の噴火活動によってできた。地図上では小さい湖のように感じられたのに、上空から見るとかなりインパクトがあるなあ。

これまでは温泉を「効能のあるお湯のお風呂」としか捉えていなかった。日本人で生まれて、温泉があまりに身近でその不思議さを意識していなかったのだと思う。今回、久しぶりに温泉に入って、温泉を地球の活動という観点考えるのも面白いんじゃないかという気がして来た。

北海道ジオパーク・ジオサイトの旅はさらに続く。

 

この記事の参考文献・サイト:

前田寿嗣著『行ってみよう!道央の地形と地質

登別国際観光コンベンション協会ウェブサイト

 

石狩市望来海岸を楽しんだ後は、次は洞爺湖有珠山UNESCO世界ジオパークへ移動した。日本で初めて世界ジオパークに登録されたジオパークで見どころが多いので、2泊滞在してじっくり楽しむつもりだった。

ところが、お天気がパッとせず、特にフルに使える予定だった2日目は終日雨。残念ながら充分に見て回ることができたとは言えないけれど、いくつかの場所を見ただけでも、このジオパークは凄い場所だなと感じた。忘れないように記録しておこう。

洞爺湖はおよそ11万年前の巨大な火山噴火によって形成された窪地に水が溜まってできた直径およそ10kmのカルデラ湖で、その中央に中島と呼ばれる島群を持つ。洞爺湖のすぐ南には周期的に噴火を繰り返す有珠山がそびえる。1977- 78年の噴火時には私はまだ小学生だったけれど、連日ニュースで噴火について報道していたのを覚えている。当時は何が起こっているのかよく理解していなかったものの、有珠山の名前はかなりのインパクトを持って脳内に刻み込まれた。

まずはロープウェイに乗って有珠山に登った。

向こうに見える赤い山は、昭和新山。山というものは、はるか昔からそこにあるものと普段なんとなく思っているので、自分が生きている時代に新しく誕生したという事実が不思議でとても気になる。

丸く高く盛り上がった溶岩ドームの周りには緑色の尾根山が低く広がっていて、上から見るとなんだか新鮮な卵で作った目玉焼きみたい。有珠山は活動の場を変えながら噴火を繰り返し、次々と新山を作って行くのが特徴。有珠山から噴出するデイサイトと呼ばれる粘り気の強い溶岩は流れにくく、地面を押し上げて新しい山を作ったり、地表に現れて溶岩ドームになる。昭和新山よりも以前の明治時代にできた新山は「明治新山」と名付けられている。明治の噴火の後に温泉が発見されたことで洞爺湖温泉が発展することになった。

これは下から見たところ。山肌の赤い色は、昭和新山ができる前にそこにあった土壌がマグマの熱で焼かれて天然のレンガとなったためで、地表の温度は現在でも高いところは100℃くらいあるそうだ。もとは平坦な麦畑だったところが突然、隆起を始め、あれよあれよという間に山ができたというのが本当に不思議。そして、その成長の様子をつぶさに観察し、記録していた人がいるという事実に驚嘆する。

観測者は当時、地元の郵便局長だった三松正夫氏。三松氏による新山隆起図はミマツダイアグラムと呼ばれて世界的に知られるようになった。三松正夫記念館という資料館もあって、氏の残した記録や資料が展示されているそうだけれど、今回は見る機会を逃してしまった。

ロープウェイ降り場から少し歩いて有珠山火口展望台に到着。右手前から大有珠、オガリ山、小有珠が連なり、その左下方に火口(この写真では見えない)がある。

銀沼火口。説明パネルによると、ここはかつては森林に覆われた静かな沼だった。1977-78年の噴火で植生が破壊され、銀沼は火口原となった。オガリ山は分割され、小有珠は沈み、長閑な景観は大きく様変わりした。

丸かった大有珠山頂もかたちが変わってギザギザに。あのときの噴火は、やはりとてつもない規模の噴火だったのだなと実感する。

 

山を降りた後は、洞爺湖ビジターセンター・火山科学館へ。

この施設では2000年の噴火時の被害を実物展示で見ることができる。この噴火時には私は日本にいなかったので、噴火のニュースは耳にしたものの、詳しくは知らなかった。

ぐにゃりと曲がった線路

火山科学館のシアターで見た映画もとてもわかりやすくてよかった。

 

翌日は、雨の合間に金毘羅山火口展望台へ。

展望台から見た洞爺湖と中島

有くん火口

2000年の噴火時に金毘羅山にできた火口群の一つ、有くん火口のエメラルドグリーンの水が綺麗。マグマが地下水と接触して水蒸気爆発を起こし、噴出物がこのように火口の周りに高く積まれた状態になったものを「タフコーン」と呼ぶと知った。水蒸気爆発でできた火口に水が溜まった「マール湖」という地形がドイツのアイフェル地方にあるが、火口の周りにはこのような目立った高まりはなく、水をたたえた火口はレンズのようだ。爆発が激しいと噴出物は遠くに吹き飛ばされて、火口の周囲に溜まらないためらしい。私は神秘的なアイフェル地方のマール湖が大好きなのである。(見学記はこちら

展望台から洞爺湖温泉街を見下ろしたら、廃墟のようなものが目に入った。

これらは2000年噴火時に金毘羅火口から流れ出した熱泥流によって被害を受けた建物で、災害遺構群として敢えてそのまま残してあるそうだ。手前は桜ヶ丘団地、奥にあるのは町営浴場。熱泥流の被害は相当な規模だったにも関わらず、住民の避難は迅速に行われて一人の犠牲者も出なかったというのは凄い。これらの遺構を間近に見学できる「金比羅火口災害遺構散策路」が設けられている。

さらに、ピンク色のかつての消防署の建物を起点とした「西山山麓火口散策ルート」というのもある。この消防署の建物の中にも噴火に関する展示があって、興味深い記録写真がたくさんあった。でも、資料館として公式にカウントしていないのか、ジオパークのビジターセンターでもらった案内マップには記されておらず、建物にも係員はいなかった。(でも、ドアは開いていたので勝手に入って展示を見ました。すみません)

消防署の建物の裏手には沼(西新山沼)がある。電柱や標識があってなんだろう?と思ったら、ここはもともとは国道で、マグマが地表を押し上げたことで下り坂だったところに窪地ができ、そこに水が溜まって沼になったとのこと。散策路を進むと地殻変動や災害の跡がよく観察できるらしい。ぜひとも歩きたいルートだったけど、雨が強くなって来たのでやむなく断念。中島へも行きたかったし、まだまだ見たいものがあったので、ちょっと心残りである。

 

 

北海道ジオパーク・ジオサイト巡り、次の目的地は札幌の北西およそ30kmに位置する石狩市の望来海岸である。

前田寿嗣氏の「行ってみよう!道央の地形と地質」によると、望来海岸には面白そうなジオサイトがいくつもありそうだ。札幌から国道231号を北上し、石狩川を渡ると、その北には石狩丘陵が広がっている。

丘から海岸へ向かう途中で車を降りて、少しあたりを歩いてみた。この一帯の地形は台地が階段状になった、海岸段丘だ。海岸に面した陸地が波による侵食と隆起を繰り返すことで、階段状の丘になると読んでなるほどなあと感心した。視界を遮る人工物がほとんどないので、地形がよくわかって面白い。

段丘を降り切った無煙浜と呼ばれる場所には厚田油田跡という、昭和6年から36年まで操業していた油田の跡が見られるらしい。探してみよう。

崖の下の草むらに、コンクリートの塊が柵で囲まれた場所が見つかった。ここはかつての油井で、コンクリートの下には穴があり、原油が溜まっているらしい。と言われても、これだけではどうもピンと来ないなあ。もっと油田らしい風景は見られないのだろうか。

海に向かって草むらを少し歩いてみることにした。すると、ほんの数十メートル進んだ地点で、ガソリンのような強烈な臭いがして来た。あたりを見回すと、

おお!油田跡っぽい!地面はねっとりした粘土質で、そのあちこちに水溜りがある。よく見たら、それらは水溜りではなく、滲み出した油だった。いくつかの油溜まりからはブクブクとガスが吹き出している。

すごい。初めて見た。

地面には動物の足跡。エゾシカとアライグマかな。よくこんなところを歩くなあ。油が足についたら臭いし、なかなか取れないだろうに。

厚田油田跡から海岸沿いを北に進むと、剥き出しの崖が現れた。望来層と呼ばれる、泥岩の地層である。

望来層の崖のところどころには大きな石の塊があるのが見える。

このような塊は石灰分が凝縮して硬くなったコンクリーションというもので、ノジュールと呼ばれることもある。ノジュールは中に化石を含むことがある。前回の記事に書いた三笠ジオパークのアンモナイト化石もノジュールの中から発見されるのだ。この望来層のコンクリーションからは、主に貝の化石が見つかると読んだ。

それにしても大きな塊。落ちて来そうで怖い。

カメラでコンクリーションをズームインしてみたけれど、貝化石は見当たらない。もっとよく見たいけれど、ヘルメットを持参していないので、落石するのではとヒヤヒヤ。安全第一なので、化石を探すのは諦めて足早に崖を通り過ぎることにした。望来層の崖沿いにさらに北上すると、当別層という明らかに見た目の違う別の地層が現れる。

左側の色の濃い地層が当別層で、右側が望来層

この地層は砂岩の地層で、こちらも崩れやすいものの、大きな塊はないのでほっと一安心。

貝化石は拾えなかったけれど、正利冠川河口近くの波打ち際にはメノウ(瑪瑙)らしきものがたくさん落ちていた。

白メノウとオレンジっぽいメノウ。メノウ拾いは初めてなので、関係ないのも混じっているかも。

博物館で見るような大きくてカラフルなメノウではないけど、拾うのは楽しくて時間を忘れる、、、、と言いたいところだけど、今年は猛暑の北海道。この日も30度くらいあり、汗だくになってクラクラして来たので早々に退散することに。

ジオ旅は始まったばかり。まだまだこれから本番なのだ。体力を温存しなければ。

 

北海道ジオパーク・ジオサイト巡りの最初の目的地には三笠ジオパークを選んだ。三笠市は2019年1月に娘と一緒に一度訪れている。その際、日本一のアンモナイト博物館として知られる、三笠市立博物館を訪れた。三笠市では明治時代から現在に至るまでに500種以上のアンモナイトが発見されている。「三笠」の名のつく新種アンモナイトも7種ある。一般的な知名度はよくわからないが、アンモニア研究者やマニアの間では世界に知られる超重要な場所なのだ。

三笠市立博物館

館内には「三笠市立博物館」というシンプルな名前からは想像できない、白亜紀の海の世界が広がっている。直径およそ130cmの日本最大のアンモナイトをはじめ、およそ600点のアンモナイト標本や天然記念物エゾミカサリュウ化石などが展示されていて、圧倒的である。凄い博物館なのだが、この博物館についてはこちらの過去記事にすでに書いているので、今回は博物館の裏手に整備されている野外博物館についてまとめておこう。前回来たときは真冬だったので、野外のジオサイトは雪に埋もれていて見ることができなかったのだ。

三笠市はその全体がジオパークに認定されている。6つのエリアに分かれ、ジオサイトの数は全体で45箇所。総面積は300㎢を超えるので、1日で全部のエリアを見て回るのはとても無理そうだ。博物館の職員の方に聞いたら、露頭が見たいなら「野外博物館エリア」が特におすすめとのことだった。

三笠市立博物館外観

真冬に来たときには雪に埋もれていて気づけなかったのだけれど、博物館の前には大きな石標本が並んでいる。

およそ1億年前に生息していた三角貝の化石を含む礫岩

1億年前に波が水底の砂につけたリップルマーク

博物館の裏手に周り、橋を渡ると、幾春別川沿いにかつての森林鉄道跡を整備した散策路が南東に延びている。全部で15の見どころがあり、歩いて往復すると約1時間とのことだった。

野外博物館についてはジオパークのウェブサイトに詳しい説明があるので、ご興味のある方にはリンク先を見ていただくことにして、私にとって印象的だったことを書いておこう。

ジオパークというと、なにかもの凄い絶景が見られると想像する人がいるかもしれない。実際、そのようなジオパークも存在するけれど、三笠ジオパーク「野外博物館エリア」は一見、地味だ。パッと見ただけでは何がすごいのかよくわからない。しかし、各所にある説明を読みながらよくよく考えるとその成り立ちは不思議で興味深く、じわじわと好奇心が刺激される。

三笠ジオパークではその東側におよそ1億年前に海に堆積した地層が分布し、西へ移動するにつれて地層が新しくなっていく。1億年前、まだ北海道は存在せず、現在の三笠市の大地は海の底だった。約6600万年前に陸化し、約5000万年前には湿地となり、約4000万年前には再び海となる。人類が住むようになったのは約3000年前。明治元年(1868年)に石炭が発見されてからは、炭鉱の町として栄えた。

旧幾春別炭鉱立坑櫓。大正時代に完成し、立抗は地下215mの深さまで延びている。

「野外博物館エリア」の遊歩道の面白さはなんといっても、5000万年前の世界から1億年前の世界へと5000年分の時間をひとまたぎでワープできることである。

遊歩道を歩いていくと、「ひとまたぎ覆道」と呼ばれる半トンネルを境に、2つの異なる地層間を移動することになる。覆道の手前、つまり西側は5000万年前に堆積した幾春別層という地層で、覆道の向こう側、つまり東側は1億年前に堆積した三笠層だ。その間の地層は存在しない。

東側から見た覆道

どういうことかというと、約1億年前から約5000万年前の間に大地がいったん陸化したことによって、5000万年分の地層が侵食されて消えてしまったのだ。互いに接する地層が時間的に連続していないことを不整合と呼ぶが、この付近の地層は日高山脈の上昇期に押し曲げられてほぼ垂直になっている。そのため、不整合面が縦になっていて、またぐことができる。つまり、トンネルを抜けると、そこは一気に5000万年後というわけ。なんとも不思議な感覚である。

幾春別層の露頭

若い方の幾春別層は川の底に砂や泥が積もってできた地層で、泥岩層、砂岩層、石炭層から構成される。写真の露頭は植物が生い茂っていてわかりにくいが、表面がでこぼこである。説明によると、差別侵食といって、砂岩よりも柔らかい泥岩層や石炭層が削られて先になくなるためだそう。

石炭が露出している場所もある

ほぼ垂直の地層

垂直な地層に穴が開いている

この穴は「狸堀り」の跡。狸堀りというのは、地表に露出している石炭層などを追って地層を掘り進む採掘方法のことで、その際にできるトンネルがまるで狸の巣穴のようだから、そう呼ばれるそうだ。確かに入口に石炭が見えている。

 

三笠層の方は砂岩層や礫岩層で構成されている。幾春別層とはまったく異なる地層であることは一目瞭然だ。この地層にはアンモナイトをはじめ、白亜紀を生きた様々な生き物の化石が埋まっているのだ。

さらに進むと、巨大な貝の化石が埋まっているところがあった。約2億年前から約6600万年前まで世界中で繁栄した二枚貝、イノセラムスだ。

上記は全部で15ある見どころのうちのいくつかで、他の見どころも面白い。折り返し地点まで来たところで、ちょっと河原に降りてみた。

幾春別川

化石の入ったのジュールが落ちていないかなあとあたりを見回してみたけど、そんなに簡単に見つかるわけもないのだった。

 

この夏、5年ほど前から構想を練っていた旅がついに実現した。どんな旅かというと、北海道のジオパークやジオサイトを回る旅である。これまでに、住んでいるドイツ国内のジオパークを訪れたり、化石を採取したり地質学系の博物館を見たりして、ジオ旅行の楽しさを満喫して来た。数年前の一時帰国時には高知県の室戸UNESCOジオパークに行ったらとても興味深くて(室戸UNESCOジオパークに関する記事はこちら)、日本にも面白いジオサイトがたくさんあるんだろうな、巡ってみたいなと思い始めたのだ。

高木秀雄著「年代で見る日本の地質と地形 日本列島5億年の生い立ちや特徴がわかる」という本には、日本の地質について、こう記述されている。

日本列島は、きわめて多様な地質や地形の特徴を有するが故に、日本列島はどこでもジオパーク、あるいは日本列島まるごとジオパーク、といった言い方をされることがある。

この本には日本の地質や地形の解説とともに各地の魅力的なジオパークが紹介されていて、あちこち行ってみたくなる。2023年9月現在、日本にはジオパークに認定されている地域が46地域あるが(日本のジオパークマップ)、日本は広いので、まずは私の故郷、北海道から回ってみることにしよう。レンタカーを借りて夫と二人で約3週間かけてできるだけ多くの、なるべくバラエティに富んだジオサイトを巡るという企画を立てた。札幌を起点に、主に道央を回る。

ルートを考えるにあたっては、各ジオパークのウェブサイトや、去年の一時帰国時に買って来た以下の本などを参考にした。

どの資料も良いけれど、特に役立ったのは北海道新聞社から観光されている前田寿嗣著「地形と地質」シリーズ。エリアごとに無理なく回れるルートが提案されていて、各スポットはカラー写真付きでわかりやすく解説している。地学を専門的に学んだことはないけれど興味があるという人におすすめ!

夫は日本語がほぼ読めないので、訪れるスポット選びは私の独断。回る順番はきっちり決めず、お天気を見ながら移動することに。その結果、訪れたスポットは以下のマップのようになった。

幸い、全行程で悪天候に見舞われたのは1日だけ。見たいものはほぼ見られたし、道中で道の駅に立ち寄って美味しいものを食べたり温泉に入ったり、知的刺激いっぱいのとても楽しい旅になった。持ち帰った資料や撮った写真をもとにこれから一つ一つのジオサイトについてまとめて行こう。