約3週間の北海道ジオパーク•ジオサイト巡り、ついに最終日。最後の目的地はむかわ町の穂別博物館に決めた。

数年前、北海道むかわ町で見つかっていた恐竜の化石が新属新種であることが判明したというニュースを目にし、興味が沸いた。そして、むかわ竜と名付けられたその恐竜の学名が「カムイサウルス・ジャポニクス」に決まったと知ったときには思わず興奮。カムイの地で生まれ育った者としてはスルーできない。いつかカムイサウルスを見てみたいなあと思っていたのだ。

むかわ町穂別は「古生物学の町」という感じで、町のあちこちに化石や古生物のオブジェが見られる。

交差点のアンモナイト化石

穂別博物館の向かいにあるお食事中のモササウルスのオブジェ

野外博物館のタイムトンネル

野外博物館のアンモナイトオブジェ

 

穂別博物内に入ろう。ロビーで出迎えてくれたのは、カムイサウルスではなく、ホベツアラキリュウのホッピーだ。

ホベツアラキリュウは中生代白亜紀に生きた水棲爬虫類のクビナガリュウ(プレシオサウルス)で、穂別地域でおよそ8000万〜9000万年前に生息していたとされる。   その頃の穂別は、陸から遠く離れた海だった。それにしても首が長い。歯が小さくて細く、硬いものを噛み砕けないので、魚やイカ、タコ、小さいアンモナイトなどを丸呑みして食べていたと展示で読んだけれど、こんな長い首をアンモナイトが丸ごと通過していったと想像すると、どうにも不思議だ。

ホベツアラキリュウの産状復元模型と現物化石

ホベツアラキリュウの名は、1975年に化石を最初に発見した荒木新太郎さんにちなんでいる。その後の発掘調査で頭部・頸部・尾以外を除く大部分の骨格が見つかり、ホッピーは全身骨格が復元された国産クビナガリュウ第二号、北海道では第一号となった。ホッピーは北海道天然記念物に指定され、この貴重な化石の保存や展示を目的に穂別博物館が建設されたのだ。

こちらは、モササウルス類の生態復元模型。モササウルスは後期白亜紀の海性のトカゲ。確かドイツのリューゲン島のチョーク博物館で全身骨格を見た記憶がある(けど、記録していない)。ゲッティンゲン大学博物館にも生態復元模型があった(過去記事)。

モササウルス・ホベツエンシスの化石

穂別博物は大型古生物の標本もすごいけど、アンモナイト標本も魅力的なものが多い。点数は三笠市立博物館ほどではないけれど(三笠市立博物館に関する過去記事 )、内部構造が見えるものがいくつも展示されている。

 

三笠ジオパークの野外博物館で中生代の大型二枚貝、イノセラムスの化石を見た(記事はこちら)が、穂別博物館にもいろいろな種類のイノセラムス化石が展示されている。イノセラムスは示準化石なので、地層から出てくるイノセラムスの種類でその地層の地質年代がわかる。(むかわ町ウェブサイトのイノセラムス関連ページ

いろいろなイノセラムスの標本。その左には、ゆるキャラの「いのせらたん」。

さてさて、いよいよ本命。カムイサウルス・ジャポニクスにご対面しよう。

じゃじゃーん。これが実物化石のレプリカから作成したカムイサウルス・ジャポニクスの全身復元骨格だ!全長は堂々の8メートル!だそうだけど、、、あれ?なんか短くない?それに、なんとなくバランスが良くないような。、、、と思ったら、この展示室には全身が入りきらないので、しっぽ部分を外してあるのだった。

カムイサウルスの大腿部の骨化石(本物)

カムイサウルスの化石は2003年、白亜紀のアンモナイトなどの化石がよく見つかる地域を散歩をしていた堀田良幸さんによって発見された。最初はクビナガリュウだろうと思われたが、2011年に恐竜であることが判明。最初に見つかったのが連結する13個の尾椎骨だったので、全身の骨格が埋まっている可能性が高いということで2013〜14年に大々的な発掘作業がおこなわれた。博物館に展示されている発掘作業の様子を写した写真パネルによると、化石が埋まっていた地層は傾斜がきつく、作業はかなり大変だったらしい。しかし、結果として全身のおよそ8割の化石が見つかり、センセーションを引き起こす。ほぼ全身が丸ごと化石になって保存されていたのには、実際に生活していた陸ではなく、海だった地層に埋まっていたことが幸いした。穂別のカムイサウルスは死んだ後、お腹が腐敗ガスで膨れた状態でプカプカ水に浮いて沖合まで流され、バラバラになることなくそのまま保存されたということである。

むかわ町穂別博物館はとても気に入ったので、ここで今回の北海道ジオ旅を締めることができてよかった。まあ、恐竜は地質学というより古生物学だけど、時間的尺度で考えれば広義の意味でジオに含めて構わないだろう。そして、今回の旅を通して、北海道は古生物学に関連する面白い場所も豊富だと気づいた。今回見られなかった場所はまた時をあらためて訪れたい。

ということで、北海道ジオパーク・ジオサイト巡り2023の記録はこれで終わり。欲張って盛り沢山すぎる計画を立てたので、見切れない部分もあったし、ヒグマ出没のせいでアクセスできない場所も多々あったけれど、毎日面白い景色を見て、いろんな石を見つけて、興味深い博物館を訪れて、とても充実した旅になったと思う。数年中にこの続きがしたい。

 

この記事の参考文献・ウェブサイト:

むかわ町恐竜ワールド ウェブサイト

 

 

前回の続き。「幌満峡エリア」でかんらん岩を見た後は、海岸沿いの「様似海岸エリア」と「日高耶馬峡エリア」のいくつかの見どころを回った。

様似漁港

これまたすごい景色。漁港の内側に突き出した板のような巨岩はソビラ岩。その向こうにうっすらと陸繋島であるエンルム岬が見えている。岬まで行ってみた。

エンルム岬のふもとに置かれたかんらん岩の巨石

展望台に上る階段

展望台から見た様似漁港。ソビラ岩、そしてその向こうには親子岩と呼ばれる岩が見える。

海から奇岩が突き出すこの特徴的な海岸地形はどうやってできたのだろう。エンルム岬やソビラ岩、親子岩などは「ひん岩(porphyrite)」でできている。ひん岩とは、安山岩質のマグマが冷えて固まった火成岩で、斑状組織を持つ。およそ1770万年前、太平洋プレートのしずみ込みによって地殻が圧縮し、できた地層の割れ目にマグマが入り込んで固まった。その後、大地が隆起し、やわらかい周囲の地層は波の侵食を受けて削られてなくなった。後に残った硬いひん岩も、長い年月のうちに少しづつ削られていく。そうして不思議なかたちの岩が作られていったのだ。

エンルム岬の崖に見られる節理。マグマが冷えて固まるときにできる。

エンルム岬の崖の下の岩礁

様似海岸エリアから海岸沿いを東に進み、日高耶馬渓エリアに入ると、まもなく冬島漁港が見えて来る。冬島漁港には冬島の穴場と呼ばれる、穴の開いた大きな岩がある。

冬島の穴場

この岩は片状ホルンフェルスと呼ばれる岩でできている。 「ホルンフェルス」はドイツ語の Horn(角) + Fels(崖)。泥岩や砂岩がマグマの貫入によって加熱されてできる変成岩だ。この岩はかつて波打ち際にあり、波で割れ目が侵食されて穴が開いた(海食洞と呼ばれる)。

筋状の割れ目がたくさん見られる。

日高耶馬渓はおよそ7kmにわたる断崖絶壁の海岸である。昔からここは交通の難所だった。

そんな日高耶馬渓には明治時代から平成時代までに4つのトンネルが掘られた場所がある。国道336号線上には平成時代に開通した山中トンネルがあるが、その脇の旧道に昭和トンネル、大正トンネル、明治トンネルが一列に並んでいて面白い眺めだ。

3つの旧トンネルの中で地質学的に面白いのは大正トンネル。

大正トンネル

トンネルの穴の周りは、黒雲母片岩の岩にマグマが貫入してできた花崗岩。

大正トンネル付近の岩には花崗岩の貫入がはっきり見える。

大正トンネルからさらに東に向かうとルランベツ覆道というトンネルがあり、その海側の横の岩には押し曲げられた地層(褶曲)が見られる。

緑灰色の角閃岩が黒雲母片岩に包まれている。

内側の角閃岩は海洋プレート上の玄武岩質の岩石、それを包み込む周りの岩石は大陸プレート上の砂岩や泥岩だったもので 、それらが海溝で混じり合い、熱と圧力による変成を受け、押し曲げられてこのようになった。

把握するのがなかなか難しい話が続いたけれど、最後は日高地方の食べ物で締めたい。

日高耶馬渓は言わずと知れた昆布の一大産地である。海岸は昆布でびっしり。そして、私たちが行ったときは牡蠣の季節だった。

様似町のお食事処、「女郎花」で食べたカキフライ定食

何十年ぶりかに食べたカキフライのあまりの美味しさに感動。

見どころの多いアポイ岳ジオパークなので、見ることができたのはそのうちの一部だけだったけれど、それでも大満足。遠いけれどはるばる来てよかった〜。

 

この記事の参考文献:

北海道新聞社 『ユネスコ認定 アポイ岳ジオパークガイドブック

北海道ジオ旅も終盤。いよいよ待ちに待ったアポイ岳UNESCOグローバルジオパークへ行くときが来た。アポイ岳ジオパークは、日高地方南部、様似町を中心に広がるジオパークで、「幌満かんらん岩」と呼ばれる、学術的にとても貴重なかんらん岩が観察できる。

かんらん岩というのは地球の上部マントルをつくり、玄武岩マグマのもととなる岩石である。地球はよく卵に例えて説明されるが、地殻を卵の殻だとすると、マントルは白身の部分にあたる。かんらん岩を構成する造岩鉱物のうち主となるのはオリーブ色の「かんらん石」で、大きくて綺麗な結晶はペリドットと呼ばれている宝石だ。かんらん岩は地球の体積の8割以上を占める圧倒的に多い岩石だけれど、厚い地殻の下にあって、そう簡単にはお目にかかれない。アポイ岳を含む日高山脈はおよそ1300万年前にユーラシアプレートと北米プレートが衝突することでできた山脈だが、その際、北米プレートの端っこがめくれあがって大陸プレートの上に乗り上げ、マントルの一部が地表に露出した(例えれば、ゆで卵の白身が殻の外にはみ出してしまった状態)。かんらん岩は変質しやすい岩石で、地表に露出すると普通は蛇紋岩という別の岩石になってしまうが、アポイ岳とその周辺ではほとんど変質していないかんらん岩を見ることができる。それが「幌満かんらん岩」なのだ。


アポイ岳ジオパークは、「幌満峡エリア」「アポイ岳エリア」「様似海岸エリア」「日高耶馬峡エリア」「新富エリア」の5つのエリアに分かれている。できれば丸2日は時間を取ってじっくりと全部のエリアを回りたいところだけれど、お天気と宿泊の事情で日帰りコースになってしまったので、今回はアポイ岳に登るのは諦めて、「幌満峡エリア」と「様似海岸エリア」、「日高耶馬峡エリア」を見ることにした。その前に、まずは「アポイ岳エリア」にある「アポイ岳ジオパークビジターセンター」でジオパークの概要を掴もう。

アポイ岳ジオパークビジターセンター

幌満かんらん岩体はプレート境界の東に、東西8km、南北10kmにわたって広がって露出する。

ビジターセンターに展示されているプレートの衝突現場

ビジターセンターに展示されている世界のかんらん岩標本の中に、ドイツのアイフェル地方産のものがあった。

アイフェル地方のかんらん岩は現地で実際に見たことがある。

アイフェル地方のかんらん岩

ただし、同じかんらん岩でも、アイフェルで見つけたのは火山噴火で飛び出して来た溶岩の中にかんらん岩が捕獲されているゼノリスというもので(詳しくは過去記事を参照)、アイフェル地方ではアポイ岳のように大規模なかんらん岩体が地表に露出しているわけではない。ちなみに、溶岩に捕獲された状態で地表に転がっているかんらん岩はカナリア諸島のランサローテ島でも見た。

ランサローテ島のかんらん岩捕獲岩

大きな結晶!

ひとくちにかんらん岩といっても、様々な種類があることがわかった。かんらん岩はかんらん石だけでなく、斜方輝石(飴色)、単斜輝石(エネラルドグリーン)、スピネル(黒色)、斜長石(白色)などでできている。その割合によって、呼び名が異なる。かんらん石の割合が最も多い(9割以上)のがダナイト、かんらん石を6割以上含み、斜方輝石と単斜輝石の両方を含むのがレルゾライト、かんらん石を6割以上含み、斜方輝石が多いのがハルツバージャイト、レルゾライトのうち、斜長石を多く含むものは斜長石レゾルライトと呼ばれる。

なぜそのような違いが生まれるのだろうか。かんらん岩を構成する鉱物はそれぞれ融点が違い、溶けてマグマになる際には溶けやすいものから順番に溶け出す。すると、残った方のかんらん岩の鉱物の種類や割合が変わる。展示ではかんらん岩をオレンジに例えて、斜長石レルゾライトはオレンジジュースを絞る前の状態のかんらん岩、オレンジをちょっと絞るとレルゾライトになり、もっと絞るとハルツバージャイトになると説明していてわかりやすかった。ところで、「ハルツバージャイト」という岩石の名前はなんだか覚えにくいなあと最初思ったのだけれど、英語表記のHarzburgiteという文字を読んで、ハッとした。Harzburgというのはドイツのハルツ山地にある地名、ハルツブルクではないのか?ということは、ハルツバージャイトというのは「ハルツブルクの岩」という意味になる。ハルツバージャイトはドイツ語の岩石名ハルツブルギットの英語読みなのだった。

さて、ビジターセンターでざっくりとかんらん岩について知った後は、実際にフィールドでかんらん岩を見てみよう。向かうは「幌満峡エリア」の幌満川峡谷にある旧オリビン採石場下の河原だ。

旧オリビン採石場

オリビン(olivine)というのは英語でかんらん石のこと。地表はほんのり薄い緑色をしている。

旧オリビン採石場の下の河原

石を観察しに河原へ降りた。ごろごろした石の多くは黄褐色をしている。

が、割れているものを見ると、中は緑。

いろんなのを1箇所に集めてみた。いろいろあって面白い。

熱心に石を観察する私たちを、崖の上からシカたちがジーッと見ていた。

 

後編に続く。

 

この記事の参考文献:

北海道新聞社 『ユネスコ認定 アポイ岳ジオパークガイドブック

藤岡換太郎 『三つの石で地球がわかる 岩石がひもとくこの星のなりたち

アポイ岳ジオパークビジターセンターの展示

旭川市周辺のジオサイト(カムイミンタラジオパーク構想における見どころ)を見た後は、いよいよ楽しみにしていたアポイ岳ジオパークに向かうことにした。でも、旭川からアポイ岳ジオパークの中心地である様似町はかなり遠い。現地は宿が少なく、すでに予約がいっぱいの様子だったので帯広市へ移動し、帯広から日帰りでアポイ岳ジオパークへ行くことにした。帯広市へ行く途中には「とかち鹿追ジオパーク」がある。とかち鹿追ジオパークに位置する然別湖の周辺には風穴地帯というものがあるらしい。風穴(ふうけつ)というのは、岩場の岩の隙間から涼しい空気が吹き出す現象であるそうだ。通り道なので、風穴を体験したい。

前回立ち寄ったスポット、層雲峡から然別湖へは国道273号線を南下し、三国峠を超えて行く。三国峠からの眺めは絶景だった。

 

三国峠から見る松見大橋

幌鹿峠と鹿追町の間でたくさんのエゾシカに遭遇した。

可愛い親子。ポーズを取ってくれた?

漢字が読めない夫は鹿追町の町名表示板のローマ字表記「Shikaoi」を「シカオオイ(鹿多い)」と読んだようで、「そのまんまだね」と笑っていた。

沢にはキタキツネも

三国峠を超えてしばらくすると、だんだんと雲行きが怪しくなって来た。然別湖に着いた頃には霧がかかって、かなり視界が悪くなった。

 

霧の然別湖

湖畔に車を停めて降りてみた。残念ながら景色はよく見えない。それでも、湖の神秘的な雰囲気にはゾクゾクするものがある。晴れていたらさぞかし美しいだろうと思わされる。こんな湖でカヌーに乗ったら素晴らしいだろうなあ。道路の反対側に然別ネイチャーセンターというのがあったので、中で風穴のある場所を聞くと、東ヌプカカウシヌプリ登山口付近で見られると教えてくれた。

これがその場所。ごろごろとした岩が斜面に溜まっている。こうした場所はガレ場(岩塊斜面)と呼ばれる。東ヌプカウシヌプリは然別火山群に属する溶岩ドームである。凍結して割れた岩が山の斜面を崩れ落ち、麓の斜面を覆った。冬季の「しばれ」の厳しいこの地域では、岩の下で地下水が凍り、越年地下水となる。岩の下で越年地下水によって冷やされた空気は、暖かい季節になると隙間から外へ吹き出して来るのだ。

近づいて隙間に手を翳してみると、確かにスースーする。面白い〜。

 

とかち鹿追ジオパークのサイトに風穴とその周辺の自然環境についてのわかりやすい説明動画があったので、貼っておこう。

 

この記事の参考文献、ウェブサイト:

とかち鹿追ジオパークブログの風穴のページ

北海道大学出版会 『北海道自然探検 ジオサイト107の旅

 

実家に帰省したついでに回る旭川市周辺のジオサイト。神居古潭の次は当麻鍾乳洞だ。鍾乳洞は私が住んでいるドイツにも規模の大きいものがたくさんあって、特にシュヴェービッシェ•アルプの洞窟群はかなり見応えがある(過去記事 )。それらと比較して当麻鍾乳洞は小さいが、学術的にはかなり貴重なものであるらしい。

夏休みが終わっているせいか、この日は私たちの他に観光客は見当たらず、閉まっているのかと思うほど閑散としている。

石灰岩の崖にある鍾乳洞入口

鍾乳洞は、サンゴ礁などの殻や骨格を持つ生き物の死骸が海の底に堆積することによってできた石灰岩が水で溶食されてできる。

冷んやりした内部に入る。歩道の長さは135m。

洞窟の内部はいろいろな色が混じり合って神秘的な独特の雰囲気を醸し出している。当麻鍾乳洞の石灰岩は、海洋プレートが海溝に沈み込む際に海底火山や深海底の地層と一緒に大陸プレートの縁に押しつけられてくっついた付加体である。岩がカラフルなのは、その際の圧力で海底火山や深海底の地層は変質して緑色岩や赤色チャートになったため。

洞窟内は5つの部屋に区切られ、それぞれの部屋には大小様々な鍾乳石や石筍、石柱などが造り出す自然の造形にふさわしい名前がつけらている。

幸運の間

奥の院

千鶴の滝

当麻鍾乳洞の大きな特徴は、方解石の結晶であるつらら石や石柱などの透明度がとても高いことだそう。

確かに透明度がすごい。

蝋燭みたい。

特筆すべきは、管状鍾乳石と呼ばれる半径5mmほどの真っ直ぐな細い鍾乳石で、中が空洞になっている。マカロニ鍾乳石とも呼ばれ、とても珍しいそうだ。

 

当麻鍾乳洞を見た後は、大雪山国立公園内に位置する峡谷、層雲峡へ。

層雲峡には見どころがたくさんあるけれど、数時間では見切れないので、今回は2箇所に的を絞ろう。

1箇所目は大函。この渓谷はおよそ3万年前の大雪山の噴火によって堆積した火砕流堆積物が石狩川に侵食されてできた。火砕流堆積物は火山灰や軽石、スコリアなどから成るが、火砕流が厚く堆積すると中に熱がこもって火山灰中の火山ガラスが溶け、互いにくっつき合って緻密なガラスとなる。そうしてできたのが層雲峡に見られる溶結凝灰岩だ。

柱状節理

河原に落ちている岩のかけら

こんなものも落ちてた。エゾシカの骨?

2箇所目の立ち寄りスポットは双瀑台。

すごい岸壁

双瀑台テラスからは銀河•流星の滝を両方一度に眺めることができる。左のV字形の谷から流れている滝が銀河の滝(落差104m)で、右側のが流星の滝(落差90m)。2本合わせて夫婦滝とも呼ばれる。

糸のように細く分かれた水が岸壁を流れ落ちる銀河の滝。こちらが雌滝。

滝から崩れ落ちて来た岩石

滝というのはいつ見てもいいなあ。さて、再び移動だ。

 

この記事の参考文献:

前田寿嗣 『見に行こう!大雪・富良野・夕張の地形と地質

北海道大学出版会『北海道自然探検 ジオサイト107の旅

北海道には現在、7つのジオパークがあるが、それに加え、上川盆地から大雪山系にかけての地域をジオパークとして整備しようというプロジェクト、「大雪山カムイミンタラジオパーク構想」が進められていることを知った。カムイミンタラとはアイヌ語で「神々の遊ぶ庭」という意味で、雄大な大自然の広がる私の故郷である。そのジオパーク構想では旭川市の西の外れの渓谷、神居古潭(カムイコタン)がジオサイトの一つとして候補に上がっているらしい。カムイコタン(「神々の住むところ」)は子どもの頃から慣れ親しんできた場所で目新しさはないのだけれど、ジオという観点で景色を眺めたことはない。久しぶりに行ってみることにしよう。

石狩川が流れる渓谷、神居古潭は変成岩の織りなす独特な風景が印象的な景勝地だ。今回は車だが、旭川サイクリングロードが神居古潭まで伸びているので、市内から自転車でも気軽に行くことができる。

のはずが、ここもヒグマ出没で、安心して歩き回れない。本当にどこに行ってもヒグマヒグマヒグマ。

吊橋からの眺め

河岸を縁取っているゴツゴツした岩は緑色片岩や黒色片岩。この辺りの地質帯は「神居古潭変成帯」と呼ばれ、学術的にもとても重要らしい。神居古潭の岩と聞いて私が真っ先に頭に思い浮かべるくすんだ緑色の岩、つまり緑色片岩は、海底に噴出した溶岩やハイアロクラスタイトが熱と圧力の作用により地中で変成してできたもので、それが地殻変動によって1億年以上の時間をかけて地表へと上昇して来たのだ。

岩にはポットホール(甌穴)と呼ばれる丸い窪みができて、中に水が溜まっている。岩の表面の割れ目が水流で侵食されて窪みとなり、そこに小石が入ってグルグル回ることで丸い穴が形成されるのだ。神居古潭のポットホール群は北海道の天然記念物に指定されている。

ところで、神居古潭へやって来たのは、「神居古潭石」を見つけるためでもあった。神居古潭石というのは地質学用語ではなく、あくまで銘石としての総称だ。いろとりどりですべすべした美しい光沢があるので、観賞用の石として収集する愛好家がいる。そして、神居古潭の石は神々の住む場所の石だから、パワーストーンとしても人気があるらしい。私は石に超自然な力が宿っているとは考えないが、綺麗な石を見るのが好きだし、どんな石があるのか、実際に自分で探してみたかった。

吊橋のあるところからもう少し西に移動すると、河原に降りられる場所がある。河原の石は泥を被っていて、一見、どれも同じようなグレーに見えるが、土手の斜面の下ではいろいろな石が見つかった。

持って帰れるわけではないけれど、写真が撮りたくて1箇所に集めてみた。赤、オレンジ、緑、青、紫、茶、黒、、、、。

旭川駅の南口のあさひかわ北彩都ガーデンにも大きな神居古潭石が展示されている。

蛇紋岩

さて、石鑑賞を楽しんだ後、実家に帰って母に「今日は神居古潭へ行って神居古潭石を探して遊んだ」と話したら、「神居古潭石なら玄関にあるじゃない」という返事が返って来た。

え?

玄関に行ってみたら、そこに鎮座するのは立派な神居古潭石、、、。

「気づいてなかったの?昔からずっとここにあるのに」と母。灯台下暗しとはこのこと。そんなアホなオチのついた神居古潭石探しだったけれど、楽しかったからまあいっか。

 

この記事の参考文献:

前田寿嗣 『見に行こう!大雪・富良野・夕張の地形と地質

北海道大学出版会『北海道自然探検 ジオサイト107の旅

今回のスポットは滝川市美術自然館。北海道に住んでいる弟が面白いよと勧めてくれたので行ってみた。

滝川市美術自然館はその名の通り、美術部門と自然部門からなる博物館だけれど、今回はあまり時間がなく、目当てが「タキカワカイギュウ」だったので、自然史部門のみを見た。タキカワカイギュウとは1980年に滝川市の空知川河床で発見されたカイギュウの化石だ。北海道で初めての発見で、のちの調査で新種であることがわかり、1984年に北海道天然記念物に指定されている。

滝川市美術自然館の建物

建物前の広場にはホタテ貝のようなオブジェがあり(タカハシホタテ?)、

その中に骨の模型がある。これは、タキカワカイギュウの化石発掘の状況をシンボライズしているのだろう。そこから伸びる水路の先にはカイギュウらしき生き物の像が設置されている。

館内に入る前から期待感を抱かせてくれる。それでは、自然部門の展示室へ入ってみよう。

おおっ?なかなか本格的。カイギュウだけではなく、ティラノサウルスを含むいろいろな古生物の骨格が置かれ、自然史及び地球史に関する総合的な展示がなされていている。滝川市がそれほど大きな町ではないことを考えれば、かなりの充実度でテンションが上がった。大都市の大きな博物館が充実しているのはまあ当たり前だと感じるけれど、地方に良い博物館を見つけると思わず感激してしまう。この自然部門はその2階の子ども博物館と合わせて、とても気に入った。こんな素敵な博物館が身近にある滝川市の子どもが羨ましい。

この博物館のが充実しているのには、やはり、ここ滝川市でタキカワカイギュウの化石が見つかったということが大きいだろう。タキカワカイギュウを特別にしているのは、そのほぼ全身の化石が揃って発掘されただけでなく、発掘作業から、調査研究、レプリカ作り、そして展示に至るまでの全行程が滝川市内でなされたということ、そしてそのプロセスに滝川市の市民が積極的に参加していることだ。展示を見ているとタキカワカイギュウは滝川市の誇りなのだなということが伝わって来て、滝川市民ではない自分までなんだか嬉しくなる。

タキカワカイギュウの全身骨格とその下に展示された化石。後ろには生体復元模型。

滝川市で見つかったカイギュウの化石だからタキカワカイギュウと呼ばれているが、学名はヒドロダマリス・スピッサ。500万年前に生息したヒドロダマリス属のカイギュウで、体長およそ7m 、重さはおよそ4トンと推定される。発見当初はクジラの化石だとみなされたそうだ。発掘にたずさわった市民の会が「滝川化石クジラ研究会」と命名されたのはそのため。なにしろ、北海道ではそれまで一度もカイギュウの化石は見つかっておらず、日本全国でも2例しかなかったのだから、無理もないことだろう。

カイギュウは海に棲む哺乳類のうち、唯一の草食の生き物で、海藻のよく育つ浅い海に暮らす。滝川は今は平野だが、500万年前にはクジラやイルカ、サメなどが暮らす海だった。

現存するカイギュウの仲間であるマナティーやジュゴンは暖かい海に棲んでいるが、タキカワカイギュウが暮らしていた500万年前の滝川の海の水は冷たかった。タキカワカイギュウは体を大きくして筋肉量を増やし、同時に体の表面積を小さくすることで寒さに適応した。ラグビーのボールのような体型なのはそのため。

また、滝川の海の海藻は柔らかかったので、歯が退化してしまったとのこと。

滝川市周辺では貝の化石も23種見つかっている。この標本を見て、あっと思った。というのは、この日の前の日に偶然、近郊の河原で貝化石を含むと思われる石を見たのだ。

やっぱりこれらは貝の化石だったようだ。こんなふうに、実際にフィールドで目にしたものと展示の説明が繋がると楽しい。

その他、滝川方式として知られるようになった独自の化石レプリカ作製メソッドに関する展示なども興味深かった。

 

この記事の参考文献:

前田寿嗣 『見に行こう!大雪・富良野・夕張の地形と地質

木村方一 『化石先生は夢を掘る 忠類ナウマンゾウからサッポロカイギュウまで

 

 

ニセコ町滞在中、チセヌプリの北側にある神仙沼湿原を歩き、初めて見る高層湿原にとても魅了された(記事はこちら)ので、さらに規模の大きい高層湿原である雨竜沼湿原へ行ってみることにした。雨竜沼湿原は暑寒別岳の東側斜面、標高850mの高さに広がるおよそ100haの山岳高層湿原で、1964 年に北海道天然記念物に、2005年にはラムサール条約湿地に指定されている。

感想から言うと、ここは本当に素晴らしい。今回の旅は私たちにとって興味深い場所盛り沢山になったが、この雨竜沼湿原は間違いなくそのハイライトだ。

ただ、湿原の入り口まで車で気軽にアクセスできる神仙沼と違って、雨竜沼湿原に辿り着くにはまず2時間ほど山登りをしなければならない。なかなかハードルが高そうで、ちょっと不安でもあった。

雨竜町の道の駅に貼ってあったポスター

まずは車で雨竜町中心部から登山口ゲートパーク(標高540m)まで行き、管理棟で入山受付をし、熊鈴をつけたら登山開始。

登山口からはてっぺんが平らな円山が見える。こんな形をしているのは、地下から上がってきた玄武岩の岩脈が、周りが侵食されてなくなった後に残ったものだから。その標高(853m)は湿原とほぼ同じ。つまり、これからあのてっぺんの高さまで登るだ。大丈夫かなあ。

心配しつつ登り始めたが、とりあえず最初の15分くらいは緩やかな傾斜で楽勝だった。

渓谷を流れるペンケペタン川にかかる渓谷第一吊橋を渡り、さらに15分くらい歩くと、谷の向こう側に大きな露頭が見える。

溶岩や礫岩、砂岩の層などが見える。

白竜の滝

渓谷第二吊橋を渡ったあたりからは険竜坂と呼ばれるだけあって、かなりキツくなる。

登り切って、湿原テラスに到着。

テラスから、しばし湿原を眺める。高原の上に広がる青空は清々しく、がんばって登って来た甲斐があった。向こうに見える山は南暑寒岳(左)と暑寒別岳(右)。熊が出没しているのでこれらの山へは登らないようにと管理棟で言われていた。湿原の奥にある展望台までは行っても構わないとのことだったので、展望台を目指して湿原を歩くことにした。

湿原には木道が整備されている。

山の上にこんな広い平原が広がっているのは、ここが溶岩が積み重なってできた溶岩台地であるからだ。一年の半分以上が雪に閉ざされるので、枯れた植物が腐食せずに堆積して泥炭の厚い凸凹の層を作る。その窪みが大量の雪解け水で滋養されることでこの広大な湿原が形成されているのだ。

湿原には大小様々な無数の池塘がある。円形の池塘は、氷河期に地中にできたレンズ上の氷が気温が上がることで溶け、形成された窪地に水が溜まったものだという。それを知って、私が住んでいる北ドイツの地形との意外な繋がりに気づいた。こちらの記事にまとめたように、最終氷期に氷床に覆われていた北ドイツの低地には氷床の溶け残りによってできた窪地に水が溜まってできた湖がたくさんあるのだ。山の上で似たプロセスでできたものを見るとは思わなかった。

これも不思議な風景。左側の池塘の方が水面が高くなっている。雨竜湿原は雨水や雪解け水のみで滋養され、地下水とは繋がっていない高層湿原(ドイツ語ではHochmoorと呼ばれる)なので、それぞれの池塘の水位は蒸発の程度によって決まる。

池塘には浮島を持つものもある。(実際には浮いているわけではなく、池の底で繋がっている)

湿原の中央にはペンケペタン川が大きく蛇行しながら流れている。

7〜8月にはたくさんのお花が湿原を彩るそうだけれど、もう9月に入っていたので、お花はほとんど咲いていなかった。かろうじて咲いていたのはエゾリンドウくらい。

お花のハイシーズンに来たかったなあ。

湿原テラスから1時間ほど歩いて、ようやく展望台に到着。

展望台

展望台から湿原を見下ろす。すごい景色なのに写真では素晴らしさをうまくキャプチャできず、無念。湿原の向こうにはなだらかな恵岱岳が見える。山が途切れているところが湿原の入り口。

再び木道を歩いて湿原入り口に戻ろう。

 

恵岱岳の斜面はダケカンバの林で、その麓にはチシマザサが群生している。

湿原入り口から登って来た道を下って登山口へ戻る。

ペンケペタン河床の玄武岩溶岩

登山開始から5時間ちょっとでゲートパークまで戻って来た。思ったほどはハードでなく、なかなか見られない素晴らしい景色が見られて最高だった〜。感動の余韻の中、車に乗り込み道道432号を雨竜町に向かう。もう大満足なのだが、帰路で野生動物に次々遭遇し、ますます感動することになる。

エゾシマリスだ!小学生の頃、母と山へ行って目にして以来の遭遇。可愛い〜。

今度はタヌキたちが出て来た。実は野生のタヌキを見るのは初めて。こんな昼間に遭うとは。楽しいなあ。

テンションが上がりっぱなしの私たちだった。ところが、そこからほんの数十メートル進んだ先で気分は一転する。前方を何か大きな黒いものが動くのが視界に入ったのだ。

「何あれ?」

「、、、、。」

「クマ?」

「クマだ、、、、」

目の前を動いているのがヒグマだということを把握した瞬間、ヒグマは路肩から右の藪の中に消えた。

ヒグマに遭遇した場所。一瞬のことだったのでヒグマはすでに消え去っているけれど、目撃報告のための記録として撮影。

ふう〜〜〜。車に乗っていてよかった。ヒグマはさすがに怖い。遭遇した時刻をスマホに記録し、ゆっくり気をつけながら運転して町へ戻った。それから登山口ゲートパークに電話して状況を説明したけれど、自分がヒグマ遭遇の報告をしているということがなんだか現実味がなくて、なんとも不思議な感覚だった。

そんな予期せぬオマケもあった雨竜沼湿原トレッキング。きっと、いつまでも記憶に残ることだろう。

 

この記事の参考文献、サイト:

前田寿嗣 『見に行こう!大雪・富良野・夕張の地形と地質

雨竜沼町観光協会ウェブサイト

 

前回はニセコ町の北に位置するニセコ連峯のジオサイトについて記録した。今回はニセコ町の東にそびえる羊蹄山周辺のジオサイトについて。

日本百名山の一つである羊蹄山は標高1898m。溶岩や火山砕屑物などが積み重なってできた成層火山で、富士山に似た美しい円錐状のかたちをしていることから蝦夷富士とも呼ばれる。その存在感は圧倒的。上川地方出身の私にとっては、山といえばなんといっても大雪山系の主峰、旭岳なのだけれど、今回、道央を回って羊蹄山の勇姿を何度も見て、すっかり羊蹄山ファンになった。

雲が切れて、ほぼ山頂まで姿を現した 羊蹄山

ここでも『行ってみよう!道央の地形と地質』を見ながら、京極町から倶知安町まで、羊蹄山周辺のジオサイトを回る。

 

まずは羊蹄山の西側に回って、湧水の湧き出る京極町のふきだし公園へ。

思っていた以上にすごい!ここふきだし公園で1日に湧き出す水の量は8万トンだという。湧き出している水は、羊蹄山を形成する岩石の隙間にしみ込んだ雪解け水や雨水だ。ゆっくりと山体の内部を降りて来た水は、麓の水を通さない粘土層に到達すると地表に湧き出して来る。

ふきだし公園の湧水は環境庁の名水百選に選ばれている。自由に汲んでよいので、容器を持って汲みに来ている人がたくさんいた。ちょっと味見してみたら、確かにとてもおいしい水だった。

 

ふきだし公園から国道275号線をそ1.5kmほど北上したところには、溶岩の流れた跡が観察できる場所がある。

大きな塊の部分には柱状節理が見られ、その上下は細かい構造の層。溶岩流といえば、イタリアのシチリア島アルカンタラ渓谷の風景を思い出す(記事はこちら)。あの景色もすごかったなあ。

 

もう1箇所とても興味深かったのは、倶知安町高砂地区にある露頭。高砂地区には陸上自衛隊の駐屯地があり、敷地の縁が崖になっている。

崖は一面、草に覆われているが、

よく見ると、1箇所、地層が見えているところがあった。

近寄って見ると、ねっとりした粘土の地層である。真ん中ほどの位置の焦げ茶色をした層は、資料によると羊蹄山の噴火によって堆積したスコリア層。粘土層の表面を擦って剥がすと、中はくすんだ青色をしている。

この地層は「湖成層」と呼ばれ、ここがかつて湖だったことを示している。この地層は湖の底に堆積した粘土が固まったものなのだ。黒っぽい細かい横縞がたくさん入っている。季節などの要因によって粘土の量が増えたり減ったりしたためにこのような縞模様ができたのだそう。

縞模様が乱れているところは、湖に住む生き物によって泥がかき乱された跡。倶知安町はかつてそのほぼ全域が湖だった。その湖は町の南部を流れる尻別川が堰き止められてできていたが、川を堰き止めていたものがなくなったことで湖の水はなくなり、湖の底にあった地層だけが現在まで残っている。倶知安の湖成層からは当時、湖に生息していたケイソウなど、微化石が多く見つかるらしい。(もちろん、肉眼では見えない)

数年前からときどき趣味で化石採集をするようになって感じるようになったのは、地球環境は常に変化しているのだなあということ。まったく何の予備知識もないまま初めて化石採集に行ったのは南ドイツだったが、海から遠く離れた場所なのに、地層から海の生き物の化石が出て来て驚いた。でも、よく考えてみれば不思議なことではなく、地球は人間の時間をはるかに超えるスケールの時間の流れの中で変化し続けている。それを意識するようになってから、風景を見にしたときの感じ方が変わった。今、目にしている風景は、止まることのないダイナミズムのある一時点を切り取ったものに過ぎないのだよね。

 

 

この記事の参考文献:

北海道大学出版会 『札幌の自然を歩く 第3版 道央地域の地質あんない

北海道大学地質学会北海道支部 『北海道自然探検 ジオサイト107の旅

前田寿嗣著『行ってみよう!道央の地質と地形

 

 

 

 

 

最近、なにかと話題のニセコ町。過疎化した小さな町だったのが、上質のパウダースノーを求めてやって来る海外からのスキー客向けに外国資本のリゾートホテルが次々に建てられ、移住者も増えているという。さらには、国からSDGs未来都市にも選定され、国の内外から注目されている。そんな話をネット上でもよく目にするようになった。

今回、私たちもそのニセコ町に滞在することにした。とはいっても、スキーシーズンでもないし、高級リゾートホテルに泊まるお金もない。私たちの今回の旅の目的はジオサイトを見て回ること。贅沢は必要ないので、ニセコ町に小さなコテージを借りて自炊することにした。ところが、行ってみると、コテージは思った以上に簡素だった。予約する際によく確認しなかったのが悪いのだが、エアコンがないのはまあいいとして、お風呂もシャワーもついていないということが現地に着いてから判明。ええっ、と驚く私たちにオーナー夫婦は「ニセコには温泉がたくさんありますから、お風呂に入りたかったら温泉へ行ってください」と言う。猛暑だというのにシャワーもないなんてとうんざりしたが、ニセコは実際、温泉天国なのだった。

というのも、ニセコ町の北西には東西25kmに渡ってニセコ連峯が連なっている。ニセコ連邦は200万年以上も活動を続ける火山群である。中でもニセコ町に近いニセコアンヌプリからイワオヌプリにかけては、約10万年前から活動を開始した新しい火山だ。温泉湯本を始めとするジオサイトがたくさんある。

まずはイワオヌプリの中腹にある、五色温泉の源泉を見てみよう。

五色温泉の源泉は、すり鉢状をした直径250mの爆裂火口である。地面は白っぽく変質し、水蒸気爆発で吹き飛ばされた岩塊があたりに散らばっている。

湯の谷に敷かれた給油管

熱水が流れた岩の割れ目に硫黄の結晶ができている。

大きな結晶!

イワオヌプリの登山口付近から見たニセコアンヌプリ

 

次はチセヌプリの麓の地熱地帯、大湯沼へ。

駐車場に着いて車を降りたら、強烈な硫化水素のにおいがする。沼の周りには散策路が設けられているが、火山ガスが強く、健康に害があるので、長時間の見学はしないようにと書かれた看板が立っていたので、鼻を押さえながら早足で沼の周りを回った。

沼の底からブクブクとガスが湧き上がっている。

沼の周りの地面を無数の黄色い小さなツブツブが覆っている。これらは温泉から分離した硫黄が溜まった球状硫黄と呼ばれるもので、中は空洞である。

大湯沼を見た後は、道道66号を北上してチセヌプリの北の神仙沼自然休養林へ。神仙沼レストハウスの北側にある展望台へ登りたかったが、霧がかかっていて何も見えそうにないので諦めた。レストハウスでお昼ご飯を食べていたら少し霧が晴れて来たので休養林を歩くことにした。

木道入り口。左右にツタウルシが多いので注意。

木道をしばらく歩くと視界が開け、そこには湿原が広がっていた。

神仙沼湿原はチセヌプリが山体崩壊を起こし、崩れた山体の一部が岩屑なだれとなって山の北側に堆積したことによって形成された高層湿原だ。蓄積した泥炭層の隙間が雨水や雪解け水で満たされた池塘が点在する。

池塘のあちこちでトンボが産卵している。

神千沼

これまでに低層湿原は何度も歩いたことがあったが、高層湿原は初めて。静かでとても神秘的な風景だった。

 

この記事の参考文献:

北海道大学出版会 『札幌の自然を歩く 第3版 道央地域の地質あんない

北海道大学地質学会北海道支部 『北海道自然探検 ジオサイト107の旅

前田寿嗣著『行ってみよう!道央の地質と地形

今回まとめるのは余市市から積丹岬へのドライブについて。積丹半島の地形も小樽周辺同様に海底火山活動によって形成されている。つまり、今回の記事は前回の記事「小樽の地形と石と石像建築」の続き。

忍路湾から再び国道5号線に戻り西へ向かうと、余市川を渡ってすぐの入船町に余市漁港がある。その漁港には「太古の岩」と呼ばれる岩礁があるという。

 

目的の岩礁は思ったより目立たず、どこにあるのかとしばらくウロウロし、ようやく駐車場の横に柵で囲まれた「太古の岩」の看板を見つけた。

余市漁港は溶岩とその砕屑物によって形成された岩盤の上に造られている。漁港を造る際、この岩礁を「太古の岩」として残し、保存することになった。マグマが流れた跡が縞模様として残る流紋岩の岩礁だ。漁港のすぐ背後に迫るモイレ山もまた流紋岩でできている。

近づいてみると、マグマの流れを表す縞模様(流理構造)がはっきり見られる。

捕獲岩もみっけ!

こういうのを見ると、石って本当にタイムカプセルだなあと思う。

さて、次の目的地は白岩町の白岩海岸だ。


現在は閉鎖されている旧ワッカケトンネルの上の崖に、白岩海岸の名前の由来である真っ白な岩が見える。その上には重々しい灰色の岩が乗っかっている。そのコントラストがすごい。

白い地層は軽石や火山灰が堆積して固まった凝灰岩で、

その上の岩体はハイアロクラスタイト。このような異なる2つの岩体が重なった構造になったわけは、それぞれのもととなったマグマの種類が違うからである。(下部の白い岩体は流紋岩マグマ由来で、上部の灰色の岩体は安山岩マグマ由来。)同じマグマでも種類によってこんなに見た目が全然違う岩になるんだなあ。

 

白岩海岸は海側にもまた、目を見張る景色が広がっている。

恵比寿岩(左)と大黒岩(右)。合わせて夫婦岩。大黒岩の上には鳥居がある。

浅瀬にそそり立つ2つの奇岩。これらは火山円礫岩という礫岩でできている。海底火山活動によってできたハイアロクラスタイト(水中砕石岩)が崩れて流れ、水の作用を受けて丸くなり、それらが再堆積したものという理解でいいのかな。

小樽から余市までの海岸は景勝地のオンパレードで、1箇所1箇所見ていたら時間がいくらあっても足りない。でも、せっかくここまで来たからには、積丹ブルーが見たい。さらに積丹岬まで足を延ばそう。

積丹岬の駐車場に車を停め、積丹岬自然遊歩道を歩くつもりだった。ところが、、、、。

クマ出没で遊歩道は閉鎖されていた!ショック。今年は北海道全域でヒグマの出没が多発しているようで、この後に訪れたあっちでもこっちでも遊歩道が閉鎖され、行動が制限されることになった。私は野生動物が好きでアニマルトラッキングもやっているけれど、さすがにヒグマ出没エリアに足を踏み入れるのは危なすぎる。残念だけれど、遊歩道ハイキングは諦めよう。駐車場のすぐ近くの島武意海岸展望台へは「クマに注意しながら」なら、行っても良いらしい。クマ鈴をつけて展望台へのトンネルを潜った。

展望台に出たが、なんとここにもロープが張られ、海岸へは降りられないようになっている。ああ、残念。

クマのせいで、上から眺めるだけになってしまったが、積丹岬はさすが日本の渚百景の一つ、碧い海と岩々の織りなす絶景は息を呑む美しさ。この日は曇っていたけれど、晴天だったらどれほど鮮やかだろうか。

海から突き出す屏風岩。屏風を立てたように見えるからそう呼ばれるそうだが、この不思議な形は一体どうやってできたのだろう。これは海底火山が形成されたときにマグマの通り道だったところ、つまり岩脈で、その後火山体は海底で侵食されてなくなり、岩脈だけが隆起した。マグマの上昇は繰り返し何度も起こったので、複数の岩脈が重なっている。

積丹の海岸は本当にダイナミックだ。でも、積丹半島にあるのは海岸だけではない。実は、積丹半島では「積丹ルビー」と呼ばれる石が採れるという、気になる情報を入手していた。積丹ルビーは「ルビー」とつくけれど実際にはルビーではなく、菱マンガン鉱(ロードクロサイト)というもので、ピンク色をしており、質の良いものは半貴石として取引されているそうだ。

菱マンガン鉱は積丹半島のどこで見つかるのだろう?調べてみると、菱マンガン鉱は別の名を稲倉石といい、今は閉山した稲倉石鉱山で採取されていたとわかった。そこで、稲倉石鉱山跡へ行ってみることにした。

これが結構な奥地で、草木が生い茂る真夏に鉱山跡付近に辿り着くだけでも冒険だった。

やっと辿り着いた稲倉石鉱山跡の入り口。

はるばる来たけれど、日が暮れて来たし、誰もいない山の奥でクマが出て来そうで怖い。これ以上進むのは危ないからやめておいたほうがいいだろう。せめて地面に落ちている石の中に菱マンガン鉱が混じっていないかなあ。

薄いピンク色の結晶のある石がいくつか見つかった。これ、菱マンガン鉱かなあ?それとも別の石?

 

積丹半島、まだまだ見どころがたくさんありそうだけれど、行きたい場所、見たいもののリストは長い。次に進もう。

 

この記事の参考文献:

北海道大学出版会 『札幌の自然を歩く 第3版 道央地域の地質あんない

北海道大学地質学会北海道支部 『北海道自然探検 ジオサイト107の旅

前田寿嗣著『行ってみよう!道央の地質と地形