Latest News
Everything thats going on at Enfold is collected here
Hey there! We are Enfold and we make really beautiful and amazing stuff.
This can be used to describe what you do, how you do it, & who you do it for.

フランケン地方の三畳紀の地層に見られる絶滅古生物の足跡化石
今回は博物館の紹介ではないのだが、ニュルンベルク自然史博物館で見つけた資料が興味深かったのでメモがわりに書いておきたい。
ミュージアムショップに”Geheimnisvolle Sauärierfährten aus der fränkischen Trias – Wer hat hier seine Spuren hinterlassen?(フランケン地方の三畳紀地層に見られる絶滅古生物の足跡の謎 〜 痕跡を残したのは誰?)”というタイトルの付いた小冊子があったので手に取った。2013年2月1日から12月31日までニュルンベルク自然史博物館で開催された同名の特別展の資料として発行された冊子で、図表やカラーイラストを多く含んだ31ページで構成されている。
(混乱を避けるため最初に書いておくが、上記タイトルにあるSaurierというドイツ語の言葉は恐竜を表すDinosaurierと混同されがちだが、恐竜だけを意味する言葉ではない。かつては恐竜の仲間とみなされていた魚竜や翼竜、首長竜なども含めた大型の古生物を表す一般的な用語であるが、ここでは絶滅古生物と訳した。)
ニュルンベルクを訪れる前に立ち寄ったゲッティンゲンの地質学博物館でいくつかの足跡化石を見たところだったので、関係がありそうだと思い、買って来た。
ゲッティンゲン大学に展示されている大型生物の足跡化石
ニュルンベルクを含むバイエルン州北部のフランケン地方の三畳紀の地層からは、絶滅した生き物が遺したと思われる足跡がしばしば発見される。記録されているもので最も古いものは、1833年にニュルンベルク近郊のヒルトブルクハウゼン(Hildburghausen)のブンテル砂岩に教育者フリードリッヒ・ジックラーが見つけた奇妙な足跡だ。四つ足歩行をしたとみなされるその生き物の足跡には指が5本あった。複数の学者がこの足跡を分析しようと試み、有袋動物のものではないか、きっと猿の一種だろう、いや、両生類だなどと様々な解釈をしたが、1835年、ダルムシュタットの動物学教授ヨハン・カウプがChirotherium Barthiiと学術的に命名した。
Chirotheriumは「手を持つ動物」の意味、Barthiiは足跡をスケッチした銅版画家のC. Barthにちなんだ。Chirotheriumは初めて学術的に記載された生痕化石タクソンとなった。その後も同地方のブンテル砂岩からは多くの生痕化石が見つかっている。英国でも似たような足跡が発見され、両生類のものだとするという学説が有力となったが、1925年、ヒルトブルクハウゼンの足跡を丹念に分析したW. Soergelは爪を持つ爬虫類のものだと主張した。
1965年、イタリアのモンテ・ジョルジョの三畳紀の地層から主竜類の骨が発見され、Ticinosuchus feroxと命名される。ドイツでも1990年頃、バーデン=ヴュルテンベルク州のヴァルツフートで骨板を持つ主竜類ラウスキア目の骨が見つかり、Ctenosauriscus koeneniと名付けられた。現在はヒルトブルクハウゼンの足跡はCtenosauriscus koeneniだったとみなされている。
ヒルトブルクハウゼン市役所の側には足跡の実物とともにChirotheriumのモデルが展示されている。画像: Wikipedia (ヒルトブルクハウゼンのHP)
しかし、なぜフランケン地方には大型古生物の足跡がよく見られるのだろうか。
フランケン地方を含むドイツ中部の盆地(Germanisches Becken)は三畳紀には乾燥した気候だった。水界は浅く、海と繋がることはほとんどなかったため、繰り返し干上がっていた。しかし、降水量の多い時期には大量の砂が水界の縁で粘土の地層の上に堆積した。そのため、地面は生き物がその上を通過できる程度には硬く、足形の窪みができる程度に柔らかかった。再び乾燥期が来ると乾いた足形の窪みは砂で覆われ、何百万年もの歳月の間に固まり、石板となった。
ブンテル砂岩に見られる足跡化石
フランケン地方ではブンテル砂岩の他に、バイロイト近郊のベンク砂岩(Benker Sandstein)やハースベルゲ郡のコーブルク砂岩(Coburger Sandstein)などからも足跡化石が見つかっている。ヒルトブルクハウゼンで初めて見つかった足跡化石はおよそ2億4700万年前に生きた主竜類のものだったが、恐竜が出現したのはそれから2200万年後のことだ。ドイツで発見された最も古い恐竜の骨はプロコンプソグナトゥス(2億1000万年前)、そしてプラテオサウルス(2億500万年前)である。
様々な足跡化石を時系列で辿ると、主竜類から恐竜への進化が見て取れる。Chirotherium Barthiiに見られた4つ足歩行と5本の指の足跡はまもなく4本指の足跡になり、それから四つ足歩行3本指を経て2本足歩行3本指へと進化して行った。(下の画像を参照)
Chiroteriumからグラレーター(Grallator eubrontes)に至る進化の図
足型や歩幅、位置関係からその生き物がどんな姿をしていたかを推測することは簡単ではないが、骨が発見されれば復元図やモデルは実際の姿により近くなる。
ドイツには恐竜やその他の古生物の足跡化石の見られる場所がいくつかあるが、特にフランクフルトのゼンケンベルク自然博物館の足跡化石は見応えがある(記事はこちら)。
関連サイト: 私がGoogleマイマップで作成した「ドイツ恐竜関連スポットマップ」。
ドイツで初めて恐竜が発掘されたニュルンベルクの自然史博物館
前回、ニュルンベルクの交通博物館を紹介したが、ニュルンベルクでは自然史博物館へも行った。
毎度のことながら、建物の外観を撮り忘れた。いつも博物館の前に来ると早く中に入りたくて写真を後回しにし、そのまま忘れてしまうのだ。自然史博物館はNORISHALLEという建物。中に入ってこの階段を上がると自然史の常設展示室だ。
階段を上がると恐竜が天井からぶら下がっている。ドイツで一番最初に骨の見つかった恐竜、プラテオサウルスだ。1834年、ニュルンベルク近郊で医師フリードリッヒ・エンゲルハルトが発見したことからPlateosaurus engelhardiと名付けられた。その後、プラテオサウルスの骨はドイツ各地で多数見つかっている。過去にレポートしたように、特にザクセン=アンハルト州のハルバーシュタットからは大量の骨が発見された。
プラテオサウルスの骨化石はプラテオサウルス礫岩と呼ばれる礫岩の層から出ることが多い。ニュルンベルクを含むフランケン地方の代表的な地層は三畳紀の地層だが、プラテオサウルス礫岩は三畳紀後期ノリアン階(コイパー砂岩)の地層(2億700万〜500万年前)に堆積している。
大腿骨
大腿骨
尾骨
仙骨
プラテオサウルスの骨以外では、フランケン地方のカルスト地形に関する展示も充実していた。カルスト地形に関しては以前訪れたシュヴェービッシェ・アルプでたっぷりと見たので特に目新しい内容ではなかったけれど、以下のホラアナグマの歯はリアルでまじまじと見てしまった。(関連記事:地下55 mの深さまで潜れる洞窟、 Tiefenhöhle Laichingenで冒険気分を味わう)
ニュルンベルク北東 Burggaillenreuth近郊のZoolithenhöhle洞窟内で見つかったホラアナグマの歯
その他には、面白い形の石を集めたコーナーや
ムンクの「叫び」のように見える石
隕石コーナーなどがある。
べレムナイトの化石。べレムナイト化石の表面は普通はすべすべしているが、これらにはリング状の亀裂がたくさん入っている。およそ1450万年前にネルトリンゲンに隕石が落下した際、その衝撃で砕かれたもの。しかし、その後亀裂に水が入り込み、その水に含まれていたミネラルによって再びくっついたと書いてある。へえー!
(ネルトリンゲンの隕石孔に関する記事: 隕石孔の町、ネルトリンゲンのリース・クレーター博物館、ネルトリンゲン、リース・クレーター内のジオトープで隕石衝突の跡を観察)。
また、この博物館には自然史だけでなく、考古学や文化人類学の展示室もある。
ニュルンベルク東部のオーバーラインバッハ村で出土した青銅のフィブラ
樺太北部及び対岸のアムール川下流域に住むニブフ民族の生活文化
この記事では自然史の展示を主に紹介したけれど、文化人類学の展示室もコスタ・リカの古代文明など、初めて見る展示物が多くて面白かった。
鉄道ファンもそうでない人も満足間違いなしのニュルンベルク交通博物館
今回レポートするのはニュルンベルクにあるニュルンベルク交通博物館(DB Museum)。主に鉄道の博物館である。このブログでは私の趣味でマイナーな観光スポットを紹介することが多いが、この博物館はメジャーな博物館の一つ。でも、ニュルンベルクまで来たらやっぱり鉄道博物館は外せない。だって、ドイツ史上初めて開通した鉄道はニュルンベルク – フュルト間だったからね。
ニュルンベルク交通博物館は中央駅のすぐ近くでアクセス抜群。
外観
この博物館では1835年に蒸気機関車アドラー号がドイツで初めて走行してから今日に至る184年間のドイツの鉄道史を示している。とてもわかりやすい展示なので、鉄道に詳しくなくても把握しやすく、見応えある展示物の連続で飽きない。
館内で最も古い展示物は1829年に製造された石炭運搬車だ。英国のヘットン炭鉱鉄道で使われていたもの。約2.5トンの石炭を運搬することができ、当時、馬または蒸気機関車が牽引した。
右はアドラー号のレプリカ。それにしても可愛いデザインだなあ。ファンが多いのも頷ける。左は現在使われている高速列車ICE。
蒸気機関車が走るのを初めて見た人たちの興奮はいかほどだったろうか。
石炭を積載するための橋のモデル。
アドラー号の初走行から10年後の1845年までに当時のドイツ帝国の領土内に敷かれた鉄道路線を示す図。すごいスピードで鉄道が施設されていったことがわかる。
初期の食堂車のメニュー
バイエルン王ルートヴィヒ2世のサロン車
ドイツの鉄道は当初、王立鉄道や私鉄がバラバラに運営されていた。第一次世界大戦後、「ドイチェ・ライヒスバーン(ドイツ国営鉄道)」として全国統一されたが、その際にライヒスバーンが各鉄道から引き継いだ機関車の種類は210種もあったという。写真は運営コストを抑えるために導入された統一モデル。
1916年には中央ヨーロッパ寝台・食堂車株式会社(ミトローパ)が設立され、列車移動におけるサービスを開始。ミトローパは第二次世界大戦後、東ドイツ(ドイツ民主共和国)にそのまま引き継がれた。
1928年に導入された高級列車、ラインゴルト
ワイマール時代、ライヒスバーンは国民の約5%が従事する全国最大規模の雇用主だった。従業員がライヒスバーン・ファミリーの一員であることに誇りを持ち団結するよう、社宅を整備し、スポーツその他のレクリエーションの場を提供した。しかし、1933年にナチ党が政権を掌握すると、「強制的同一化(Gleichschaltung)」政策のもと、ユダヤ人をはじめ、党のイデオロギーに合わない者は解雇された。また、鉄道技術は政府のプロパガンダに利用されていく。
ナチ党の国民余暇組織「Kraft-durch-Freude(歓喜力行団)」は労働者の勤労意欲を高める目的で安価な休暇プログラムを提供した。労働者が鉄道や休暇船を利用し、それ以前は富裕層しか味わうことのできなかった豊かさを満喫した。
旅の歌集。なんだか修学旅行を思い出すなあ。
しかし、列車は人々を楽しい旅へと運んだだけではない。第二次世界大戦が勃発すると、軍用列車が兵士を戦地へ運び、そしてユダヤ人輸送列車が多くのユダヤ人を占領下のポーランドへと移送した。
第二次世界大戦後、ドイツは連合国4カ国により統治され、ライヒスバーンも分割運営されることになった。
そして1961年、ベルリンの壁が建設されると、西ドイツでは「ドイチェ・ブンデスバーン(DB)」、東ドイツでは「ドイチェ・ライヒスバーン(DR)」がそれぞれ発足する。
ドイチェ・ライヒスバーンの初の自動発券機
ドイツ鉄道史の最後の展示室は鉄道の現在と未来。相当に端折って紹介したが、実際の展示はもっとずっと内容が濃い。

そして、模型展示室も素晴らしい。私は特に鉄道ファンではないけれど、精巧な鉄道模型にはやはり魅力を感じずにはいられない。収集家が多いのもわかる気がする。

駅の模型は大きすぎて全体像が撮れない。
キッズコーナーも広くてとても楽しそうだった。
大人も子どもも、鉄道ファンもそうではない人も、たぶん誰でも楽しめる博物館だと思う。
ルーベンスの絵画から炭鉱史まで幅広い内容のジーガーラント博物館
先日、ノルトライン=ヴェストファーレン州のジーゲンを訪れる機会があった。ジーゲンを中心とする一帯はジーガーラントと呼ばれる。雨の多い地方で、その日も小雨が降ってややジメッとしていた。ジーガーラントにはスレート屋根の街並みが美しいフロイデンベルクやクロンバッハ醸造所のあるクロイツタールなどの見どころが知られているが、ジーゲンの町にはどんな面白いものがあるのだろうか。簡単なリサーチの結果、ジーガーラント博物館(Siegerlandmuseum)へ行くことにしよう。
ジーゲンの旧市街は丘の上にある。駅から坂道を登って行き、登りきったところにあるお城(Oberes Schloß)の中に博物館がある。(注意 Oberers SchloßとUnteres Schloßの二つのお城がある)
門の奥に見えるのが博物館入口
ジーガーラント博物館はカテゴリーとしては郷土博物館だけれど、4階建てで思っていたよりも内容が充実していた。ジーゲンの町の歴史やジーガーラントの炭鉱史に関する展示の他、ルーベンスの絵画ギャラリーもあり、また、現在はファン・ダイクの特別展示を開催中である。一通り見たが、美術関係の展示は写真撮影不可ということもあり、この記事では私が重点的に見たジーガーラントの炭鉱史に的を絞って紹介したい。
ジーガーラントの鉱山業の始まりは約2500年前に遡る。紀元前600年頃、この地方に定住しラ・テーヌ文化を開花させたケルト人がすでに鉄鉱石を利用していたことを示す記録がある。鉄器の製造に使われていたケルト人の窯も見つかっている。
15世紀に火薬が発明されたことで坑道が掘られるようになり、19世紀の産業革命期にはジーガーランドは欧州で有数の鉱山業及び製鉄業の拠点となった。鉱山は1965年に全て廃坑となったが、 金属加工業は今なお地域を支える重要な産業だ。
様々な鉱石を使って作った鉱山のモデル
ジーガーラント博物館では鉱業に使われた道具や機械、鉄鉱石の採掘時に一緒に掘り出された様々な鉱物が展示されている。
坑夫の使っていた手持ちランタン
ドリル
製鉄に使われた送風機(1840)
「放蕩息子の帰還」の描かれた窯の外板
博物館の地下には体験坑道もある。
おおっ。いい感じ!足元が滑りやすいので危険が全くないわけではない。見学したい人は自己責任で、と貼り紙がしてあった。地下に潜るのが好きなのでもちろん降りて行く。深さは地下14メートル。
平日の午前中だったせいか、見学者は私だけ。貸切状態だ。
体験坑道は100メートルほどの長さなので、あっという間に終わってしまった。本物の鉱山をいくつも見学して来た私としてはちょっと物足りなかったかな。
他の展示室も面白く、ルーベンスの間では特に「ローマの慈愛」が印象的だった。
ゲッティンゲン大学の地学研究所博物館で見られる化石
ゲッティンゲン大学地学研究所博物館へ行って来た。ゲッティンゲン大学は正式名はゲオルク・アウグスト大学といい、天才数学者ガウスやグリム兄弟、マックス・プランクなど多数の著名人を輩出した伝統ある大学である。私の好きな博物学者で冒険家だったアレクサンダー・フォン・フンボルトもゲッティンゲン大学で地質学を学んだ。地学研究所の建物内に地学博物館があり、無料で一般開放されている。
地学研究室建物の1階フロア
ゲッティンゲン大学地質学研究所のコレクションの数は400万点を超え、ドイツ全国でも5本の指に入る規模だが、博物館の展示スペースはそれほど広くはなく、展示されているのはコレクションのごく一部だ。
化石展示室。
他にもいろいろ面白いものがある。足跡の化石が特に見応えがある。
それぞれ何の生き物の足跡なのか、表記がなくてわからないのが残念。基本的には学生を対象にした展示なので、講師の説明を受けながら展示物を見ることが想定されているのだろう。一般の博物館のような丁寧な説明はされていない。後からネットで調べたところによると、ゲッティンゲン大学は古生物学者マックス・バラーシュテット(1857 – 1945)の足跡化石コレクションを所蔵している。バラーシュテットは200を超える恐竜足跡化石を発見し、足跡化石のスペシャリストとして知られていた。バラーシュテットは足跡の分析の結果、恐竜はそれまで考えられていたよりも動きが敏捷だったはずだと主張した。しかし、博物館における恐竜モデルの展示に彼の説が取り入れられるようになったのは、死後から十数年が経過した1960年代になってからだった。
ゲッティンゲン大学のこの地質研究所博物館には鉱物の展示室もある。また、建物の外が小さなジオパークになっていて屋外で岩石の観察もできる。無料なので満足度が高い。大学付属の博物館は大抵地味だけれど、空いていてじっくり見られるので好きだ。他にもケルン大学の地学博物館やベルリン医大の医学史博物館など面白いのがたくさんある。大学の近くに用があるときについでに立ち寄ると楽しいよ。
博物館というよりもゲーセン。楽しいベルリンのコンピューターゲーム博物館
友人とベルリンのコンピューターゲーム博物館(Computerspielemuseum)へ行って来た。
旧東ドイツ時代にCafé Warschauというカフェだった空間を改装し、1996年にオープンした。この博物館は楽しい!歴代のコンピューターゲームが展示されているのだが、ゲームで実際に遊ぶことができる。
70年代から今日までの主なゲームを紹介する壁。コントローラーで任意のゲームの名前の書かれたタイルをクリックすると、上部のモニターに説明が表示される。ゲームに疎い私も知っているゲームがいくつかあった。自分自身はほとんど遊んだことがなくても家族(弟、夫、息子)がハマっていたものはBGMに聞き覚えがあり、当時の記憶が蘇って来る。一緒に展示を見たT氏は私とは年齢ギャップがあるので、「あ〜、これ知ってる!」「懐かしい〜」の対象が異なっているのも面白い。
こちらは歴代ゲーム機
ゲームウォッチだ!
1972年にアタリが発表した卓球ゲーム、PONG。
後ろを見て大笑い!
入れたお金を受ける皿
特に楽しいのは80年代前半のゲーセンへとタイムトリップできるこちらの空間だ。
スペースインベーダー。懐かしいね〜と言いつつ私もちょっとやってみたら、30年以上のブランクの後ではもうまるっきりダメだった。
こういうテーブル式のゲーム台、サテン(とかつては呼んでいた)にあったのだけど、中学生にはなんか背徳感があったよなあ。そういえばパックマンゲームには忘れられない思い出がある。私は1982〜3年に米国へ高校留学したのだが、1983年に米国ではパックマンが大流行していた。日本ではもうマリオブラザーズが発表されていたので、「え、今頃?」と戸惑った。生まれて初めて体験したタイムギャップだった。
古いゲーム(1979)ながら魅力的だなと感じたのは「アステロイド」。写真ではわかりづらいけど、画面が3D風でちょっとワクワクする。そういえば「ギャラクシアン」というのもあったなあ。
ゲーム機のある家庭風景を再現したコーナーも面白い。
80年代のティーンエイジャーの部屋で遊ぶT氏
ゲームは娯楽として楽しいだけではなく、学習用のゲームや特殊な訓練のためのシミュレーションゲームなど特定の効果を期待して作られているものも多いのは周知の通りだが、トラウマの治療にもゲームが使われていることを知って興味深かった。
これは2005年にVirtually Better社が発表したPTSD治療用のゲーム、Virtual Iraq。認知行動療法に基づくセラピーでトラウマを克服することを目的に作られた。
展示は多岐に渡るが、この博物館の目玉展示物はなんといってもこのゲームだ。
ペインステーション。18禁。
どういうゲームかというと、単純な対戦型の卓球ゲームなのだが、失敗すると体罰が与えられる。
右手でラケットを操作しつつ、左手はゲーム中ずっとこの金属板の上に置いていなければならない。球を打ち返すのをミスると「電気ショック」「熱」「鞭打ち」のいずれかの刑に処される。なにそのマゾゲーム?
意味がよくわからないが、何事も体験だと遊んでみることにした。刑のレベルを一番低く設定し、卓球を開始。どんくさい私はすぐにミスった。すると、左手を置いていた金属板の下から突然熱風が吹き上げられた。「うわ、熱い!」反射的に手を離してしまう。一番下のレベルだから火傷をするほどではないが、最高レベルだとどのくらいなんだろう?写真に写っている緑色の管は鞭打ちの刑の鞭に違いない。まあ、こんなプラスチックでペチッと叩かれるくらいならたいしたことないよねと思ったが、鞭の先をじっと見てT氏は、言った。「でも、これ先端に何か硬いものがついていた形跡があるよ」。怖い、、、。
いったん離れ、他の展示を見て回った。館内を一巡した後、せっかくだからもう一度やってから帰ろうかとペインステーションに戻ると、なぜか機械はオフになっていて使えなかった。そんなわけで私は「熱の刑」の一番マイルドなレベルしか体験していないのだけれど、家に帰ってからネットで検索したら、ペインステーションで負傷した人たちの画像が出て来てギョッとした。実際に怪我するんだ、、。最高レベルで遊ばなくて良かったかな。
YouTube上に遊んでいる人たちの動画があったので貼っておこう。 重要なのはゲーム中、痛くても熱くても我慢してずっと手を離さないことのようだ。手を離したら負け。男性の方はゲームが終わったら手が真っ赤になっている。
2001年に発表されたというこのゲーム、一体なんでこんなの開発した?(ペインステーション のHP はこちら)
展示物で遊べるこのコンピューターゲーム博物館、ゲームに疎い私でもとても面白かったので、ゲーム好きの人ならより楽しめるだろう。入館料9ユーロを払えば遊び放題なので子ども連れでのお出かけにもいいかもしれない。VRゲームもあるよ。