まにあっくドイツ観光ニーダーザクセン編(その1 、その2 、その3 )の続き。南ドイツからはるばるやって来た友人とハノーファーで落ち合い、ニーダーザクセン州立博物館を見た後、私たちはそこから北西に約72kmのところにあるDörverdenという村へ向かった。人口1万人弱のその小さな村に私たちの目指す「オオカミセンター (Wolfcenter )」があるからである。
近頃、ドイツのメディアでは野生のオオカミに関する記事を目にすることが多くなった。オオカミはかつてドイツ全国に棲息していたが、徹底的に駆除され個体数が減少、1870年頃にほぼ絶滅したとされていた。しかし近年、ドイツ国内で野生のオオカミが再び目撃されるようになっている。中世以降、忌み嫌われて来たオオカミだが、1973年に「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約 (ワシントン条約)」 が採択され、保護の対象となった。旧西ドイツも1975年に条約の締約国となったが、旧東ドイツは加盟しておらず、90年代半ばからポーランドから国境を超えてちらほらと東ドイツの領土に野生のオオカミが入って来るようになると撃ち殺していた。ドイツ統一後はオオカミはドイツ全国において保護の対象となっている。そのためか、ドイツにおける個体数は増え続けている。2000年、旧東ドイツのザクセン州で野生のオオカミのペアが確認され、ポーランドとの国境に近いラウジッツ地方では現在14の群れがいることがわかっている。そしてさらにブランデンブルク州を通過してニーダーザクセン州方面へもオオカミの縄張りは広がりつつある。現時点で全国には72のオオカミの縄張りがあるとされる。生物多様性の観点からオオカミが戻って来たことを喜ぶ人々がいる一方で、家畜を殺される被害も増えており、不安を抱く人も少なくない。狼を巡る議論がこれからますます活発になりそうだ。
そんなわけでオオカミについて知りたいと思っていたところ、Dörverdenにオオカミ学習施設があることがわかったので、動物好きの友人を誘って行ってみることにしたのである。
オオカミセンターは動物園とミュージアム、会議場を合わせた総合学習施設だ。
こんな感じの普通の森の中にフェンスで囲まれた3つの飼育場があり、動物園や大学から譲り受けたヨーロッパオオカミが飼育されている。野生のオオカミの保護施設なのかと思って行ったのだがそうではなく、オオカミと人間の共生についての啓蒙活動を目的としてオオカミを飼育しているそうだ 。
早速園内を歩いてみたら、いたいた!でも、みんな眠そう。寝ている姿は犬そっくり。フェンスで囲まれてはいるが、走り回れる程度の広さはある。
ヨーロッパオオカミ。よく見るとやっぱり犬とはちょっと違うかなあ。
しかし、真っ白なハドソン湾オオカミはまるで犬。
別料金で飼育場のフェンスの中に入れてもらうこともできる。私たちは外から見ただけだったが、中に入っている人たちがいた。このオオカミは赤ちゃんの頃からここで飼育されているため人懐こい。足を客の膝に乗っけて甘えている!
お腹を見せちゃっているし、、、。
しばらくオオカミたちを眺めていたら、ガイドツアーの時間になった。入館料には約1時間のガイドツアーが含まれている。生物学修士のリヒターさんが案内してくれた。まずは餌やりの見学から。
餌はシカ丸ごと1頭。事故などで死んだ野生動物が近くで見つかるとオオカミセンターへ運ばれて来るそうだ。もちろん、毎日動物の死骸が見つかるわけではないので、これは不定期のご馳走だ。この日はオオカミたちがご馳走にありつく様子を見学することができた。
シカはリヤカーでフェンスの中に運び込まれる。フェンスは二重構造。飼いならされている狼とはいえ、餌を見ればやはり野生の血が騒ぐ。慣れている飼育員でもむやみに食事中のオオカミに近づくことはしないそうだ。素早く餌を運び入れたらすぐに外に出る。
一斉にシカに飛びつくオオカミたち
友人が撮った動画。みんなでぐいぐいシカを引っ張り合ってる。
まもなく数匹は脱落した。切れ端を加えて別の場所へ行ったオオカミが1匹。
残った1匹が悠々と食べている。ボスオオカミだ。オオカミの群は雄オオカミと雌オオカミ、そしてその子どもたちから成る。つまり、群れ=ファミリーである。しかし、この飼育場にいるグループは兄弟で、ボスはお兄さんオオカミ。餌が運び込まれると、一瞬だけは皆でつつくが、その後はボスオオカミが自分だけでゆっくりと食事を堪能するらしい。満腹になると口元を地面に擦りつけて綺麗にし、ご馳走様。他のメンバーがおこぼれにありつくのはその後だ。ガイドさんの説明を聞きながらボスオオカミの食事の様子を眺めていたが、ボスオオカミは随分長いことムシャムシャとやっていた。
オオカミの赤ちゃんは春に生まれる。野生においては一つの群につき平均4〜7匹、多くて9匹ほどだそう。生後数週間は洞穴の中で過ごし、親が食べ物を運んで来る。とはいっても生肉を加えて持ち帰るわけではない。獲物は外で食べてしまう。胃の中で柔らかくなったものを洞窟に戻って吐き出し、赤ん坊に与えるのだそうだ。
夏になると赤ん坊たちは洞穴から出て、家族の集合地点で過ごすようになる。親が狩に出ている間はお兄さん、お姉さんオオカミがベビーシッターをする。この集合地点で赤ん坊たちはサバイバルに必要なスキルを習得し、集団のルールを学ぶ。群から離れるなどの勝手な行動を取ると親に厳しく叱られるらしい。
秋がやって来る頃には赤ん坊たちもすっかり若者らしくなり、いよいよ狩りに参加する。集合地点から離れ、縄張り内を自由に移動するように。ヨーロッパでは野生のオオカミの縄張りの大きさは150〜300 km2ほどである。一つの縄張りにつき群れ一つというのが決まりで、子どもたちは遅くとも2才までには群れを離れ、新しい縄張りを探さなければならない。
そして冬は子作りの季節。妊娠した雌オオカミは63日の妊娠期間を経て子どもを産む。これがオオカミの1年だ。
ところでオオカミといえば真っ先に連想するのは遠吠え。オオカミは集団で生活する生き物なのでコミュニケーション力が高い。匂いによるマーキングや表情を使ったコミュニケーションなど多様な手段を持つが、その中で遠吠えは主に狩りのさいに散らばった群れのメンバー間で情報をやり取りする手段だ。オオカミの遠吠えは森の中でもおよそ16km先まで届くのだって。
「遠吠えでオオカミたちに話しかけてみましょう」と遠吠えの真似をするガイドのリヒターさん。「ウォォォォ〜〜〜〜〜ン!」
すると、それに応えてオオカミたちが一斉に「ウォォォォ〜〜〜〜〜〜ン!」と合唱してくれた。
VIDEO
オオカミセンターではオオカミだけでなく、羊も飼われている。来場者らに家畜をオオカミから守る手段について啓蒙するためだ。オオカミの獲物となる動物は主にシカやイノシシ、エルクなどだが、狩りの成功率はかなり低いのだそうだ。米国のある研究によると、オオカミに狙われたエルク131頭のうち、実際に食べられたのはわずか6頭だった。狩りは多大なエネルギーを要するので、オオカミだってできれば楽をしたい。だから、狙うのは主に子どもや年老いた個体、病気や怪我をした個体だ。でも、もっと楽に餌にありつけるのならその方がいい。家畜の羊や山羊なら捕らえるのは簡単である。それで家畜が狙われる。家畜をオオカミの被害から守るには適切な対策を取る必要がある。
電気フェンスを家畜小屋の周辺に張り巡らせたり、
番犬を飼うのが効果的。この可愛いクレオくんは羊の番係だ。
オオカミの縄張りの多いザクセン州やブランデンブルク州などではガイドラインに沿った保護対策を実施するための補助金制度がある。それでも家畜を襲われてしまった場合、補償を受けることも可能だが、その辺りはケースバイケースで必ず補償してもらえるというわけではないらしい。一般にドイツ国民は自然に対する思いが強く、市民による環境保全や野生動物の保護活動が活発だけれど、ことがオオカミになると市民感情は複雑だ。しかし、オオカミが戻って来ることで生態系のバランスが保たれるという大きなメリットがある。先に書いたようにオオカミは主に弱い個体を獲物として狙うので、動物群における健康な個体の数を高める効果があるそうだ。また、オオカミが不在の自然環境では本来狼の獲物となる動物が繁殖し過ぎてしまい、草が食べ尽くされて草地が減少することで地面が侵食を受けやすくなる。その結果、動物たちの餌となる植物が不足してしまう。実際、オオカミが増え始めて以来、イノシシやシカの個体数も増加しているそうだ。
人間もオオカミに襲われるのではないかと不安を持つ人も少なくないが、基本的に人間はオオカミの興味の対象ではないので、むやみに恐る必要はないそうだ。とはいえ、これまでにオオカミに襲われた人がいないわけではない。亡くなった人もわずかながらいる。ただし、死亡例の半数以上は狂犬病への感染が原因だそうなので、予防接種で守れた命もあっただろう。もし、オオカミに遭遇してしまったら、慌てて逃げずに(逃げると本能で追いかけて来る)ゆっくりと立ち去ること、万一、オオカミが近くまで来て目が合ってしまったら、手を広げるなどして体を大きく見せ、大きな声を出すと良いそうだ。
ガイドツアーは予定より長引き、1時間半にも及んだ。専門家から興味深いお話がたくさん聞けてとても満足。
さて、ツアーの後はミュージアムだ。
オオカミの生態や人間とオオカミとの関わりの歴史、そして犬についても詳しく展示されている。こちらもとても興味深かった。
このオオカミセンターのあるニーダーザクセン州で最も恐れられたオオカミは「リヒテンモーアのオオカミ」と呼ばれるオオカミだ。1948年にリヒテンモーア地域でほぼ毎晩、家畜が襲われた。しかし、戦後の食糧難の時代でもあったので、肉を求めてリヒテンモーアのオオカミによって殺された動物の死体を探し回る人も多かったという。また、独裁者ヒトラーはオオカミ好きで知られていたらしい。自らの名、「Adolf」の由来はAdal-Wolfで、これはEdel-Wolf(高貴なオオカミ)という意味だと豪語し、ナチスの親衛隊も「mein Rudel Wolf(私のオオカミの群れ)」と呼んだという。他にも情報が盛りだくさんだけれど書ききれないのでこのくらいに。
ところで、オオカミセンターでは宿泊も可能である。
こんなテントや簡素なドミトリー風の部屋、キャンピングカーを停めるスペースもある。
オオカミを上から観察できるこんなツリーハウスも。オオカミの遠吠えを聞きながら眠るなんて楽しそうだけど、宿泊費は朝食付きダブルが420ユーロ。さすがに高すぎるので諦めて、私たちはオオカミセンター近くの乗馬場のゲストハウスに泊まった。
オオカミセンターはオオカミ啓蒙イベントや農家を対象としたセミナー、スロバキアからドイツまで12日間に及ぶ本格的なオオカミスタディツアーなども実施している。ドイツ国内でオオカミについて知りたいならここ!
フンスリュック山地で鉱石探しエクスカーション
前回の記事ではフンスリュック山地での化石探しエクスカーション、Steinerne Schätze Hunsrücks – Geführte Mineralien- und Fossiliensucheについてレポートした。今回はその同じ週末エクスカーションの二日目、鉱石探しについて書く。二日目はグッと参加者が減って、ガイドのヴァルターさんの他は3人だけだった。
そもそもイーダー・オーバーシュタインに来たのは鉱石を見るためだ。フンスリュック山地、特にイーダー・オーバーシュタイン周辺は昔から貴石、特にアメジストや瑪瑙がよく採れ、貴石の研磨・加工技術が発達した地域である。19世紀以降は産出量が減り、宝石産業は一時衰退したが、新天地を求めて多くの労働者が移住したブラジルで運よくも鉱脈を掘り当て、上質な貴石とともに帰還する。すでに研磨技術や加工ノウハウが蓄積されていたため、イーダー・オーバーシュタインはドイツの宝石産業の中心地となった。どちらかというとあまり目立たない町だが、現在もドイツの誇るhidden champions(隠れたチャンピオン)の一つとして世界的に重要な宝石貿易の拠点である。
さて、エクスカーションであるが、二日目の集合場所はイーダー・オーバーシュタインから北東12kmほどのところにある観光銅鉱山、Historisches Besucherbergwerk Fischbachだった。まずは500年以上前から1792年にフランス革命軍に占領されるまで銅の採掘が行われていたこの銅山を見学する。
ヘルメットを被って坑道の中へ
去年の秋にシュヴェービッシェ・アルプ地方で洞窟三昧の1週間を過ごしたので、洞窟にはすっかり入り慣れてしまっているが(例えばこれなど、ものすごいので見てね)、ここもかなりの規模で見応えがあった。
鉱夫の守護聖人、聖バルバラ
これは自然に形成された洞窟ではなく、鉱夫がハンマーで岩を叩いて広げていったものだが、これだけ掘るのに一体どれだけの労力が費やされたのだろうか。
今日もエクスカーションのガイド、ヴァルターさんに案内してもらった
内部の各所には鉱夫人形が置かれ、当時の作業の様子が伺える
ヴァルターさんは地質学的な説明だけでなく、社会文化史にも触れた説明をしてくださって面白かった。下の動画のように古い砕石機の実演などもあるので、子どもにも面白いと思う。今回の記事のテーマは鉱石探しなので、銅鉱山の詳しい説明は省略して次に行こう。
鉱山を見学した後は、山の裏手に回っていよいよ鉱石探しだ、
普通の山にしか見えないが、、、
地面を見るとカラフルな石がたくさんある。緑色はマラカイト(孔雀石)の色だそう。ヴァルターさんに「ここではMandelsteineを探しましょう」と言われた。Mandelsteineとは直訳すると「アーモンドの石」である。アーモンドの石とは何だろうか?
説明によると、この一帯はかつて火山活動によって溶岩が流れた地域で、火成岩内部で気泡が固まってできた空洞(晶洞、ジオード)が結晶で満たされたものをMandelと呼ぶそうだ。つまり、Mandelを割ると中に結晶を見ることができる。この地域で多く産出される瑪瑙もMandelの一種で、結晶が層状になり美しい縞模様を作る。(瑪瑙の話は改めて別記事で)
Mandelsteineを探しているところ。ヴァルターさんは「大きければ大きいほど良い」と言うが、大きなMandelはなかなか見つからなかった。
石英の結晶が詰まったMandel。
ピンボケの下の石には層状の模様があるが、なんだかよくわからない。化石探しも鉱石探しもまだ初心者なので、初めての採掘場所に行くと何をどう探していいのかわからないまましばらくうろうろしてしまう。残念ながらここで見つけられたのはこのくらいだった。
お昼ご飯を食べた後は、イーダー・オーバーシュタインから20kmほど北西のMorbachにある石英採石場へ移動。
今度はここで水晶を採るそうだ。許可なしで立ち入るのは禁止だけれど、専門家の同行するエクスカーションなのでこの日は特別だ。
作業したのは道路が通っている3段目
地層の湾曲やずれもすごくて、見るだけでもけっこう面白い
石英の結晶は岩の裂け目に形成されている。こうした裂け目のあたりをハンマーでガンガン叩き割り、透明な水晶を取り出すのだ。
しかし、、、はっきり言って危ないわ、これ。上から石が落ちて来る可能性があるし、足場もすぐにガラガラと崩れて滑り落ちそうになる。そもそも非力の私にはハンマーで岩を割るということからして難しい。ましてや急斜面では到底無理。鉱石探しワークショップがこんなサバイバル的なものだとは聞いていないぞ!仕方ないので力仕事は男性たちに任せ、私は水晶の埋まっていそうな場所を探すのを担当した。
でも、意外と地面にころんと転がってたりもする。ヴァルターさんは特別に繊細で美しい結晶を見つけ、「奥さんにプレゼントしよう」とつぶやいていた。なんか、いいなあ。お店で買ったものより嬉しいかもね。
私たちの収穫はこんな感じ
これが一番気に入った。
まあ、たかだか水晶の小さなかけらのためにわざわざ体を張って、、、と思わないでもない。でも、一生に一度くらいはこういうの体験してもいいんじゃない?面白かったよ。
ドローン動画を撮影したので、おまけに貼っておこう。
デボン紀から第三紀までの様々な時代の化石が見つかるフンスリュック山地
今年のドイツは信じられないほど晴れた日が続いた長い夏だった。しかし、もう10月も半ばである。野外活動を楽しめるのもあとわずかだ。寒さがやって来る前に今年最後のジオ旅行に出かけよう。今回の目的地はラインラント=プファルツ州のフンスリュック山地。宝石の研磨産業で有名なイーダー・オーバーシュタイン(Idar Oberstein)の町があり、ドイツの観光街道の一つ、「ドイツ宝石街道」が伸びている。貴石を旅のテーマにイーダー・オーバーシュタイン周辺で数日を過ごすことにした。
せっかくなので博物館で鉱石を眺めるだけでなく、自分でも探すことができないかとイーダー・オーバーシュタインの観光サイトを見たところ、化石&鉱石ガイドツアー (Steinerne Schätze Hunsrücks – Geführte Mineralien- und Fossiliensuche)なるものを発見した。専門家と一緒に週末二日かけて化石と鉱石を探すエクスカーションだ。鉱石だけでなく化石もついているとは素晴らしい!
そんなわけで参加することになったジオ・エクスカーションである。プログラムによると、1日目の土曜日は化石探しとのことだった。朝9:15分にイーダー・オーバーシュタイン近郊の指定の場所で集合とのことだったので、ホテルで朝食を取り、車で集合場所へ。番地はおろか通りの名前もないハイカー用の小さな駐車場に数名の参加者が待っていた。
ガイドさんはオランダ人の地質学者Wouter Südkamp氏、参加者は高校の地学教師とその母親、それに趣味の化石コレクター2人、そして私たち夫婦の合計6人である。ガイドさんが自分のオランダ名Wouterが発音しづらければドイツ式にヴァルターと呼んでもらって構わないと仰るので、ここではヴァルターさんと書かせて頂こう。ヴァルターさんによると、フンスリュック山地では様々な地質年代の化石を見つけることができる。3つの異なる地層を結ぶ約40kmのルートを案内するから私の車の後についていらっしゃいとのことで、5台編成で山道を移動することになった。
まもなくSteinhardt(石のように硬い、という意味)という村の石灰岩採石場場採石場に到着。まだ半分寝ぼけていて周辺の写真を撮るのを忘れてしまったが、この石切場では第三紀の植物化石がよく見つかるらしい。ヴァルターさんは瓦礫の山を指差し、「ジャガイモのような丸い石を探してください」と言う。見ると砂にまみれた白っぽくてまん丸な石がところどころに見える。丸いものは重晶石の塊で、割ると中に木の断片や松ぼっくりのようなものが入っているかもしれないというのだ。
収穫。松ぼっくり入りはなかったけれど、木や葉っぱの化石入りは結構たくさん見つかった。炭化した木が入っているものも。ジャガイモのような石をハンマーで叩いて、パカっと割る。何も入っていない「はずれ」も多いけど、「あたり」だったときはかなり嬉しい。ドイツには卵型をした「びっくり卵」なるチョコレート菓子があって、中からおまけが出て来るので子どもに人気なのだが、この石の塊は「大人のびっくり卵」という感じだ。
満足するまでおまけ入り卵を採ったら、今度はレンガ工場の敷地に移動した。ここではRotliegend層と呼ばれる赤い地層に緑色をした板状の石が混じっている。このRotliegend層に見られるのはペルム紀の化石で、主にシダなどの植物化石である。板の側面から層の間に垂直に鑿を当ててハンマーで叩いて剥がす。ゾルンホーフェンの板状石灰岩に化石を探したときと同じ要領だ(やり方はこちら)。
小さな丸い葉っぱがたくさん。
こちらは葉脈くっきり。
一番すごかったのはこれ。開いた瞬間に大きな葉と茎が現れて、「うわぁ!」と叫び声が出てしまった。内側になっていた表面はしっとりとしている。乾かないように新聞紙に包んで保存する。
そして3箇所目は、ブンデンバッハというところにあるフンスリュック粘板岩(スレート)という石の廃棄場だった。フンスリュック山地やその周辺地方ではスレート葺きの屋根をした建物が多い。
これはフンスリュックではなくアイフェル地方の村だけれど、フンスリュックの建物もだいたいこんな感じである。
スレートを建材として使う場合、できるだけ表面が平らできれいなものが望ましいで、凸凹のあるものは破棄された。しかし、化石ハンターにとっては凸凹なスレート板こそ目当ての石なのだ。なぜかというと、その凸凹はそこに化石が入っていることを意味しているかもしれないのだから。
山の斜面にこのようにスレートの瓦礫がぎっしり捨てられている。これらの板を一枚一枚見て、化石が含まれていないかチェックする。でも、この作業、かなり大変。斜面なので不自然な格好でしゃがんで作業しなければならない上に足場がすぐに崩れてしまう。上の方からもスレートが崩れ落ちて来る。
初めて知ったのだが、フンスリュック粘板岩は化石を豊富に含むことで世界的にもよく知られているそうだ。デヴォン紀の海の生き物が微細なものも含め、かなり良い状態で保存されている。
化石であることは明らかだけれど、これらがなんなのか、実はまだわからない。
三枚目の画像の板は左上のもの以外、まだプレパレーションしていなくてわかりづらいと思うけれど、小さい丸い出っ張り部分に化石が入っている。ヴァルターさんに聞いたら、丸いものはおそらく小さな三葉虫や腕足動物だろうとのことだった。プレパレーションというのは、採った化石をよく観察できるようにきれいにする作業のこと。
粘板岩の場合はナイフなどで化石の周辺を削る。こうすることで、化石が浮き彫りになり、はっきり見えるようになる。でもこれ、なかなか根気の要る作業。
実はヴァルターさんは化石の中でも特にこのフンスリュック粘板岩の専門家で、化石特定のためのこういう本を出版されている。
鉱石が目当てで出かけたイーダー・オーバーシュタインだったが、フンスリュック山地は同時に重要な化石の産地でもあることがわかった。一日に3種類もの異なる年代の化石を見つけることができた上にプレパレーションの仕方も教えてもらえて、エクスカーションの一日目はとても充実していた。
(翌日の鉱石エクスカーションについては次の記事に書きます)
Googleマイマップでドイツ恐竜関連スポットマップを作った
Googleマイマップを使ったまにあっくドイツ観光マップの第5段、「ドイツ恐竜関連スポットマップ」を公開した。
カテゴリーは「恐竜パーク」、「恐竜の展示が見られる博物館」、「恐竜の足跡が見られる場所」の3つ。
恐竜パークはインドアの遊技場的なものとオープンエアのテーマパークがある。オープンエアのテーマパークの規模はまちまちだが、2kmの遊歩道に150体もの実物大恐竜モデルを設置しているパークもあり、モデルといえども見応えのありそうな恐竜パークがいくつも見つかった。子どもと一緒のお出かけにぴったり。
博物館へ行けば、本物の恐竜化石が見られる。マップには厳密な定義での恐竜だけでなく、首長竜や魚竜、祖始鳥などの展示が見られる博物館も含めた(ドイツ語で〇〇サウルスという名前がついているもの)。マップ上で赤くなっているスポットは私がこれまでに訪れた恐竜関連の展示のある博物館だ。他のまにあっくドイツ観光マップ同様、当ブログの記事をリンクしている。
説明の欄には、それぞれの博物館でどんな恐竜(または恐竜に順ずるもの)が見られるのかを書き入れた。これまでに行った博物館については自分の目で見て確認しているけれど、それ以外は博物館のウェブサイトの情報を拾ったので、全ての展示物の情報を網羅しているわけではなく、目玉展示物のみ。今後、見に行って確認できた情報を追加していこう。(ここの博物館でこんな恐竜を見たよ!という情報があれば、教えてくださると嬉しいです)
その他に、ドイツ国内には恐竜の足跡の見られる場所もいくつかある。ハイキングルートになっているので、散策がてら恐竜について知ることができて楽しそう。
恐竜ファンの方、ドイツ在住でお子さんを連れてのお出かけ先を探している方、よかったら是非、このマップを利用してくださいね。
Googleマイマップでドイツ灯台マップを作った
Googleマイマップを使ったまにあっくドイツ観光マップ作りの第四弾は「ドイツ灯台マップ」。
今回は自分のアイディアではなく、灯台ファンの方に「灯台マップを作ってみては」と言われてやる気になった。灯台マップと聞いたとき、「それは簡単だ。ドイツは北にしか海がないから、灯台の数なんてたかが知れているだろう」と甘く見ていたのだが、とんでもなかった。
まず、自分は灯台の定義をそもそも分かっていないということが判明。「灯台って、あの岬に立ってる赤と白のシマシマのやつでしょ」くらいの認識しか持っていなかったが、そのようなわかりやすい灯台は世の中に数多くある灯台のうちのごく一部。一口に灯台といっても機能は様々で、その機能により立地も高さもまるで違う。灯台と聞いて私がイメージするものは「沿岸灯台」というもので、その他に「防波堤灯台」「灯標」「灯浮標」「照射灯」「堂塔」「指向灯」などがあると分かった。(参考資料: 不動まゆう著「灯台はそそる」)
マッピングそのものも難航した。沿岸灯台とその他の関連灯台が距離的に近く、GoogleマイマップではGPSデータでの登録ができないのでマップ上に灯台らしきものを見つけても、どれがどの種類の灯台なのかを見極めるのが異常に難しい。一般的に「灯台」はドイツ語ではLeuchtturmと呼ぶのだが、Leuchtfeuerという言葉もある。両者は同じものなのか、違いがあるのか、または重なりがあるのか?さらには、Molenfeuer、Richtfeuer、Leitfeuerなどの用語はそれぞれ日本語の何に当たるのか調べるのが大変、、、。
次のハードルは分類である。見つけた灯台を片っ端からマップに登録したが、全国に120近くある(もっとあるかもしれない)灯台をただベタベタ貼るだけでは特殊マップとしての意味があまりないので、なんらかの分類をしなければならないが、どう分類したものか悩んだ。機能で分けるのか、それとも外観タイプ(レンガ造り、石造り、赤白タイプ、等)で分けるのか、あるいは、、、、。搭載しているレンズの種類や塔の高さ、建築年、現在も使われているかなど、それぞれの灯台に関する情報は多くあり、どこに焦点を当てたら良いのか。
散々迷った末、カテゴリーはシンプルに「登れる灯台」と「その他」に分けることにした。実は私はドイツの灯台はこれまでほんのいくつかしか見たことがない。視界に入ったものを数えるなら10基ほどあるような気がするが、意識的に見たのは3つくらいである。そのうち、バルト海の海岸に立つ灯台、Darßer Ortには登ったが。灯台マッピングをしているうちにドイツには魅力的な灯台がたくさんあることに気づき、いろいろ見に行きたいと感じ始めた。せっかく行くなら登れる方が良い。そこで「登れる灯台」をまとめることにした。以下がその結果。
登れる灯台は31基見つかった。見ての通り、ドイツの灯台は北海とバルト海に集中しているが、河川や湖に建てられたものもいくつかある。青いアイコンは現在も使われている灯台で、黒いアイコンは今ではもう使われていない灯台だ。ナビゲーション技術が進化するにつれ、航路標識としての役目を終える灯台が増えて行く。
灯台アイコンをクリックすると関連情報と画像が出るようにした。塔の高さや外観タイプ、その他の特徴など。それぞれの灯台の関連サイトをリンクしたので技術データや見学可能な時間など、すぐにチェックできて便利(だと思う)。宿泊できる灯台は6つ見つかった。結婚式のできる灯台も15基ほどある。泊まれる灯台にもぜひ泊まってみたいが、私が気になるのはやはり、博物館になっている灯台だ。その意味で一番行ってみたいのはLeuchtturm Wangarooge Alter Turm。
こんなわけで、作業を開始してから随分時間がかかってしまったがどうにかまとまった。(マップはこちらから見られます)シェアついでに面白い外観の灯台の画像をいくつか貼っておこう。
Image: Wikipedia
これはLeuchtturm Neuwerk。塔高39メートル。
Image: Wikipedia
Leuchtturm Travemünde。塔高31メートル。
Image: Wikipedia
この可愛い灯台、Leuchtturm Moritzburgは「中国のパゴーダ」と呼ばれているそう。
Image: Wikipedia
ボーデン湖の湖畔に建つLeuchtturm Lindau。美しいねー。
Image: Wikipedia
でもやっぱり灯台は赤と白がいい。Leuchtturm Amrum。
Image: Wikipedia
Leuchtturm Warnemünde。シックで素敵。
灯台マップづくりはかなり難しかったが、苦労した甲斐があって灯台を見る目が少しは養われた気がする。灯台には通り名や番地のような住所がなく、先に書いたようにGoogleマイマップではGPSによる登録ができない。だから、すでにマップ上にあるスポットに頼らずを得ず、位置がどこまで正確なのかわからないのが難点なのだけれど、今後、灯台に実際に行った際、または新たな情報が得られたら随時追加していきたい。
火山アイフェル・ジオパーク その6 120トンもある巨大な火山弾、Lavabombe Strohn
これまで数回に渡って書いてきた火山アイフェル・ジオパーク旅行記。締めにはシュトローン(Strohn)にある巨大な火山弾、Lavabombe Strohnを紹介しよう。
朝倉書店「岩石学辞典」によると、火山弾とは
村は小さいので、「シュトローンの火山弾」はすぐに見つかった。

こ、これは大きい、、、、。この火山弾は1969年、すぐそばにある石切場で発見されたもの。
向こうに小さく見えるのが石切場。あそこから120トンもある火山弾をこの道路脇まで転がして来たそう。
でも、「シュトローンの火山弾」は厳密には「真性の」火山弾ではない。さすがにこんな大きいものが宙を飛んで飛び出して来るわけはないよね。噴火によってできたクレーターの壁から岩石の塊がマグマの中に崩れ落ち、表面にマグマが付着した。それが次の噴火の際に火口の外に放り出され、再び噴火口に落ちて新たにマグマが付着し、、、、というのを繰り返し、雪だるま式に大きくなったものがいつかクレーター壁の中に埋もれたのだそうだ。
アイフェル地方で見つかった最大の「真性」火山弾はこちらである。2007年に発見された。
大きさがわかるように地面に落ちていたリンゴを乗せた。これだって相当な大きさだよね。
火山弾には様々な形のものがある。マグマの塊はまだ柔らかい状態で空中に放り出され、その際の物理的な条件によって形が決まるそうだ。詳しくはシュトローン村の火山博物館、Vulkanhausに説明があった。
Vulkanhaus
この小さな火山博物館の中は硫黄の匂いが充満していて(学習目的で意図的にそうなっている)、日本の火山を思い出して懐かしくなった。
Vulkanhausに展示されている異なるタイプの火山弾。上からシリンダー状火山弾、コルク栓抜き状、潰れた火山弾、回転状火山弾。
このように溶岩が空中で飴玉を紙で包むようにねじれて、真ん中の飴玉部分と包み紙の端っこ部分が分断されていろいろな形の火山弾になる。面白い。
この博物館には火山に関する一般的な説明の他、アイフェル地方の岩石などが展示されている。
これはシュトローンで発見された6 x 4 mの本物の火道壁。発見時、この火道壁の表面は青く光っていた。現在では青い色は失われてグレーの岩壁になってしまっていて、このようにライトアップして青色を再現しているそうだ。
さて、今回で火山アイフェル・ジオパークのレポートも終わり。火山大国、日本の出身者にとってドイツの火山地方はもしかしたらそれほど面白くないかな?と思いながらもマール湖を一目見たくてやって来たが、ドイツの火山もなかなかの面白さである。わずか4日間だったが、マール湖を味わい尽くし、化石や鉱石を楽しみ、たくさんの博物館を訪れ、珍しい火山弾なども見ることができて好奇心がとても満たされた。
ジオ旅行があまりに楽しいので、次回は宝石鉱山が有名なイーダー・オーバーシュタインへ行こうと決めた。来月催される化石&鉱物の週末ワークショップに申し込んだ。とても楽しみ!
火山アイフェル・ジオパーク その5 ゲロルシュタインの自然史博物館と化石探し
見どころがたくさんな火山アイフェル・ジオパーク。次に足を運んだのは、天然炭酸水「ゲロルシュタイナー」の採水地があることで有名なゲロルシュタインだ。火山活動が今尚活発なアイフェル地方には炭酸を多く含む水の湧き出る泉がたくさんある。「ゲロルシュタイナー」はドイツ国内で最も流通しているミネラルウォーターブランドなので、ドイツに住む人で知らない人はいないだろう。世界への輸出量でもナンバーワンらしい。(余談になるが、私たちが滞在していたシャルケンメーレン村から数キロのところにあるダウンで生産されているミネラルウオーター、「ダウナー」もとても美味しかった。)
でも、私たちがゲロルシュタインへ行った目的は水を飲むためというわけではなく、自然史博物館(Naturkundemuseum Gerolstein)を訪れるためだった。
ゲロルシュタイン自然史博物館
この博物館は4フロアから成り、1階が鉱物、2階が化石、3階が考古学、4階が蝶のコレクションという構成である。
特に鉱物の展示が充実している。
そしてここでもガラス化した砂岩をいくつも見た(詳しくはこちら)。やっぱりどう見ても陶器に見えるなあ。
瑪瑙もたくさん見られて嬉しい。ドイツの瑪瑙の名産地として真っ先に頭に浮かぶのはイーダー・オーバーシュタインだが、アイフェルのアーレンラート(Arenrath)という地域では「アイフェル瑪瑙」と呼ばれる瑪瑙が採れるらしい。
では、次は化石コーナーを見てみよう。
アイフェル地方はかつては不毛な地とみなされ、「プロイセンのシベリア」と呼ばれていた。しかし、アイフェルを訪れたドイツの偉大なる博物学者、アレクサンダー・フォン・フンボルトはここに大量の化石を発見した。見つけた化石を持ち帰るために周辺の農家の女性たちから靴下を買取理、中に化石を詰めて運んだという逸話があるらしい。アイフェルで見られる化石には腕足類、貝、サンゴなどが多い。
中期デヴォン紀のハパリデウム目ハパリデウム科メソフィルム属のmaimum maximumというサンゴ。結構な大きさ。
ダクティリオセラスというアンモナイト。芸術作品みたい。
ブローチ屋?という感じである。
これは何!? Storomatoporoideaと書いてある。家に帰ってから調べたら、日本語では層孔虫類と出て来た。日本大百科全集の説明によると、
だそうだけれど、うーん、よくわからない。今後の課題にしよう。
これまたすごい。いろんな種類の化石がびっしり。
これも、一体どれだけ?というほど化石が埋まった石。
アイフェル地方はデヴォン紀の化石が豊富な地方であるということがよくわかった。ところで、展示を見ていた夫が「うちにもデヴォン紀の化石があったかもしれない」と言い出した。夫も夫の父もいろんなところからいろんなものを拾ったり貰ったりして来て溜め込んでいる人で、家には出所を忘れてしまったよくわからないものがたくさんあるのだが、その多くは古いもので化石もいくつかある。そのうちの一つがアイフェルのあちこちの博物館で見るデヴォン紀の貝の化石に似ていると言うのだ。
家に帰ってから、うちにある出どころ不明の化石を眺めてみた。言われてみればデヴォンっぽい?この問いは今後他の博物館を見ていくうちにはっきりするかもしれない。
この日は頭が地学モードで、3階の考古学、4階の蝶はさらっと見ただけなのでここでは紹介しない。
館内を一通り見て1階に戻り、受け付けに座っていた男性に「化石に興味があるんですが、化石探しのワークショップはありませんか」と聞いてみた。男性は今年就任したばかりのこの博物館の館長だった。残念ながら化石探しのワークショップはないとのことだったが、「私は古生物学者です。歴代の館長は皆、鉱物学者で、古生物を専門とする者が館長になるのは私が初めてなんですよ。今後、古生物学部門をさらに充実させて行きたいと思っています」と言いながら、アイフェルの化石について少し説明してくださった。ゲロルシュタインからそう遠くない場所に化石がたくさん見つかる場所があるとのこと。主にサンゴの化石で、脳サンゴも見つかるという。
「それはどこですか?」と身を乗り出して尋ねたら、場所を教えてくださった。
「早速行こうぜ!」
私たちは慌てて車に飛び乗った。しかし、場所を教えてくれたとはいっても「〇〇村と△△村の間くらいのところ」という大雑把な情報で、正確な地点がわかったわけではないが、とりあえず〇〇村と△△村の間へ行ってみた。畑の広がる、ごく普通の田舎の風景が広がっていた。しかし、夫が「ここ!ここにあるかもしれない!」とトラクターで耕された畑を指差すので車から降りて地面を見ると、
いきなり!サンゴ!
二人で目を見合わせてしまった。そして驚くことに、地面にはゴロゴロと芋のように大量の化石が転がっているのだ。なるほど、アレクサンダー・フォン・フンボルトが靴下を買い占めたわけだ。すごかったなー。
拾って来た化石
こんなわけで、アイフェル旅行によってますます楽しくなって来た鉱物&化石探し。ドイツ地学は本当に面白い。
火山アイフェルに関するレポートは次回で最終回です。
火山アイフェル・ジオパーク その4 岩石ワークショップと石探し
旅先の自然史博物館でその地方の自然について知るのは面白い。ダウンの火山博物館では「天然の焼き物」とも呼べそうな表面がガラス化した不思議な石が印象に残った。化石コーナーではデヴォン紀の化石をたくさん見た。(詳しくはこちら)
でも、ただ見るだけではちょっと物足りない。最近、フィールドに出て自分で鉱物や化石を探す愉しさに目覚めてしまった私と夫である。これまでに南ドイツのゾルンホーフェンやリューゲン島での体験が楽しかったので、アイフェルでも似たようなことができないだろうかと考えた。ダウン市のツーリストインフォメーションで「地質学的なガイドツアーやワークショップはありませんか」と聞いたところ、偶然にも翌日にプルファー・マールの側のキャンプ場で地質学者による「アイフェルの石の見分け方」というワークショップをやるというので申し込んだ。
ワークショップでは引退した地元の地質学者がアイフェルの地質や火山の仕組み、アイフェルで見られる岩石や鉱物について実物を見せながら説明してくれるというも。
参加者は私たちを入れて十名ちょっと。中学生くらいの子どもを連れた家族連れもいた。その日は平日の午前中だったけど、すごくマイナーな内容の有料ワークショップ(一人8ユーロ)でも成立してしまうんだよね〜。しかも、参加者は真剣に説明を聞く。地学博士はなんと90分もかけてたっぷりと説明してくれた。
見せてもらった石のうち、一番いいなと思ったのはドイツ語でOlivinbombeと呼ばれるこんな石。マグマが異質の岩石を取り込んだ捕獲岩(ゼノリス)の一種で、地下深くのカンラン石(ペリドット)を捕獲したため、こんな綺麗な緑色をしている。以下の2枚の写真はこの後改めてレポートするゲロルシュタインの博物館で見たものだが、アイフェル地方ではいろいろな捕獲岩が見つかるらしい。
ワークショップの最後にはみんなで溶岩の塊を割って中を見た。プルファー・マールの周辺には火山の噴火で噴出されたジャガイモのような形の溶岩の塊がたくさん落ちている。割ると内部に鉱物の結晶が見られるものがあるという。
「さっき、裏の畑でいくつか塊を拾って来ましたよ。さあ、割ってみましょう」
残念ながら、私が割った石の中には結晶は見られず、均一なグレーだった。わ〜ん、悔しい!
「残念でしたね。でも、裏の畑にたくさん落ちてるから、拾って割ってみるといいですよ」と先生。そう言われたら、拾うよねー。ということで、ワークショップの後は石を拾いにGo!
え、こんなところに溶岩の塊なんて見つかるの?
これか〜〜。ジャガイモのような丸っこいのを拾うといいらしい。
早速見つけて割っているところ。
ふと反対側を見ると、耕されてて石がゴロゴロ落ちていた!
収穫。中にキラキラした結晶があるのが見えるだろうか。
でも、私が本当に見つけたかったのはこれじゃなくて、ペリドットが入っているもの。博士によると、ペリドット入りはここにはなくドイデスフェルトという別の場所へ行かなければ見つけられないらしい。そこで私たちはペリドットを求めてドイデスフェルトへ移動した。
ここ!この地層の中にペリドットがあるはずなのだ。
あった!
こんな大きいのも!
アイフェルのOlivinbombeを収穫!
ああ、楽しかった。火山アイフェル・ジオパークのレポートはまだ続く。
火山アイフェル・ジオパーク その3 アイフェル火山博物館で見た陶器のような不思議な岩石
火山アイフェル・ジオパークでの休暇レポートの続き。(これまでのレポートは、その1 「アイフェルの目」と呼ばれる美しいマール湖郡、その2 マール湖跡からも化石がザクザク。Manderscheidのマール博物館、そして番外編 35年かけて集めた素晴らしい石のコレクション。Manderscheidのプライベート鉱物博物館、Die Steinkiste をどうぞ)
今回紹介するのは宿泊していたシャルケンメーレン村から数kmのダウン(Daun)市にあるアイフェル火山博物館(Eifel Vulkanmuseum)。
アイフェル火山博物館では世界の火山及びアイフェルの火山活動に関する展示が見られる。
展示室
火山は主にプレートとプレートの境い目にできるが、アイフェル火山地方はプレートの境界線上には位置していない。アイフェルの火山はいわゆる「ホットスポット火山」だ。プレートの下の「ホットスポット」と呼ばれる場所ではマントルが周辺よりも高温になっていて、マントルプルームと呼ばれる大規模な上昇流が発生している。つまり、アイフェルの地面の下にはグツグツとマグマが煮えたぎっているのだ。そして、アイフェル地方の地殻には亀裂が多い。約3億2000年前に起こった造山運動によってあちこちにヒビが入っている。そのをヒビを通ってマグマが上昇してくるのだそう。
マールの成り立ちを示すモデル
こちらの記事に書いたように、アイフェル地方には多数のマール湖がある。陸地化したものも入れると75にも及ぶという。これほどマール湖が集中して形成されている地域は世界でも類を見ないらしい。でも、アイフェルの火山=マールなのかというと実はそうではなく、アイフェルの火山地形のうちマールは3割ほどで、残る7割はスコリア丘と呼ばれる円錐状の丘だ。火山アイフェルでは山の上のところどころにポコンポコンと帽子をふせたように火山が盛り上がっている。アイフェルの火山活動が始まったのは第三紀で、その後休止期間を経、約80万年前から再び活発化した。火山アイフェル・ジオパークはアイフェル地方西部に位置するが、アイフェル西部では100万年間に少なくとも275回、火山が噴火したとされる。直近の噴火は最も新しいマールであるウルメナー・マールが形成された約1万1000年ほど前。ということは、仮に噴火が定期的に起こるとすれば、もうとっくに噴火していてもおかしくない?そう考えるとちょっと不安になって来る。もちろん、火山学者らが常に活動をモニタリングしていて、現在のところ活動が活発化する兆候は見られないとのことで安心した。
さて、この博物館にはアイフェル地方の様々な岩石が展示されている。
陳列棚の石を眺めていたら、面白いものを見つけた。
表面がツルツルで濡れたような光沢を放っている。これは一体?
こちらはややマットな質感ながらも表面は滑らか。
まるで釉薬をかけて焼いた陶器のようで、びっくりしてまじまじと眺めてしまった(というのも、最近、趣味で陶芸を始めたので、、、、)。これらはガラス化した砂岩で、マグマの熱で表面が溶けてこのようにツルツルになるらしい。後日、日本に住む二人の地学研究者に画像を見せたら、こういうのは初めて見たと言っていた。他の地方では滅多にお目にかかれないもののようだ。面白いなあ。
サンゴの化石も種類がものすごく多くて、まだ何が何だかさっぱり把握できないのだけれど、ここでサンゴ化石のサンプルをいくつか見たことがこの後大いに役に立つことになる。その話は次回に。
35年かけて集めた素晴らしい石のコレクション。Manderscheidのブライベート鉱物博物館、Die Steinkiste
前回の記事ではアイフェル地方南部のマンダーシャイトにあるマール博物館について書いた。マール博物館を見終わって外に出ようとしたとき、出入り口に小さいポスターが貼られているのに気づいた。
Geologischemuseum Die Steinkiste (地学博物館 石の箱)
と書いてあり、綺麗な鉱物の写真が載っていた。気になる!
マンダーシャイトの旧市街にある博物館だということがわかった。入場無料とある。しかし、ポスターに印刷されている開館時間を見ると、その日はあいにく休館日。うわー、残念。せめて外から中を覗くだけでも、、、と思い、歩いて行ってみた。その博物館はマルクト広場(住所はMarkt 1)にあった。
あった。しかも開いている!!
こじんまりとした博物館である。中に足を踏み入れる前に、まずはウィンドーに飾っている石に目をやった。
綺麗な瑪瑙!石コレクター、山田英春氏の著書「奇妙で美しい石の世界」を読んで以来、私は瑪瑙の美しさに取り憑かれてしまっている。瑪瑙を中心とした石英質の石の断面の模様に関する本で、鉱物学の本というよりは美学の観点から書かれたエッセイなのだが、紹介されている石が本当に素晴らしく、読み物としてもとても面白い。この本に載っている瑪瑙の断面写真を眺めるだけでうっとりとするが、マンダーシャイトのこの小さな博物館のウィンドーでこうしてお目にかかれるとは!
これも素敵〜。
正式な開館時間外のはずなので中に入っていいものかどうか戸惑っていたら、入り口付近に座っていた男性から「中を見たいのですか?どうぞお入りなさい」と声をかけられた。この博物館のオーナー、Hans Stölben氏だ。
「ここにある石は私が35年かけて集めたものですよ。ゆっくり見て行って。質問があれば遠慮なくどうぞ」
2部屋に分かれたフロアには80代半ばと思われるStölben氏が世界のあらゆる産地から収集した鉱物標本が展示されていた。
わあ〜〜。
展示されている標本は全部で約1500個。どれもじっくり味わいたいものばかり。
瑪瑙のディスプレイの一部。他にもたくさんの瑪瑙が産地ごとに展示されていた。
これが見られただけでも幸せなのに、「奇妙で美しい石の世界」に出て来て見てみたいと思っていた種類の石、ほとんどを見ることができた。
たとえばセプタリア(亀甲石)とか。巨大!
Stölben氏の奥様は芸術家だそうで、奥のフロアにはまるで絵画のような自然の造形美のギャラリーが設けられている。
こ、これは!フィレンツェ近郊で採れるという風景の石、パエジナ・ストーンでは!?
こんな見事なデンドライトがあるんだねー。
デンドライトといえば、私もゾルンホーフェンでこんなのを見つけたんだった。比べ物にならないけどね。(ゾルンホーフェンのレポートはこちら)
珍しく美しい石を見ながら心の中でキャーキャー言っていると、Stölben氏が「石に興味があるようだね」と言って、標本棚のガラス戸を開け、中からいろいろな石を取り出して見せてくださった。Stölben氏が特に気に入っているものについて、一つ一つ説明して頂いた。それがとても興味深く、感激した。
角度を変えると不思議な模様が浮かび上がる「虹色の黒曜石(レインボー・オブシディアン)」。
これは恐竜の糞が化石化したものだそう。
他にもいろんな石について説明を聞くことができた。この鉱物博物館、公式なウェブサイトはないので、事前のネットサーチでは引っかからなかった。思いがけず素晴らしい博物館を発見して嬉しい限りである。マンダーシャイトへ行かれる方は、マール博物館とこの鉱物博物館、Die Steinkisteを是非セットでお楽しみください。
火山アイフェル・ジオパーク その2 マール湖跡からも化石がザクザク。Manderscheidのマール博物館
前回の記事では火山アイフェル・ジオパークにあるマール湖群を写真と動画で紹介した。アイフェルはマール湖を中心に美しい自然が広がっているが、博物館も充実している。今回の旅行はジオ旅行ということで、数ある博物館のうち、地学関係の博物館をいくつか見て来た。
最近とみに感じるのは、自然の中で休暇を過ごす際には地元の自然史博物館や地学系博物館でその地域の特徴を大まかに捉えてから自然の中を散策すると、より楽しめるということ。もちろん、何も予備知識がなくても自然の美しさに感動したり、心地よさを感じたりできるけれど、絶景があるというわけではない場所だと単調に見えて「何もないただの田舎」と感じることがよくあった。でも、どこの地域にもその地域ならではの特徴がある。そしてジオパークに指定されているような地域ならなおさらだ。あらかじめ多少なりとも知っておけば、実際に歩いてみたときに「ああ、なるほど」と思えるものが見つかってより面白い。あるいは逆に、先にフィールドで過ごしてから博物館へ行くと、「あ、これはあそこで見たものでは?」と博物館をより楽しめる。フィールドと博物館を行ったり来たりするとさらに良いだろうな。
今回は火山アイフェル地方南部のマンダーシャイト (Manderscheid)にあるマール博物館(Maarmuseum)を紹介しよう。
マール博物館はその名の通り、マール湖に関する博物館だ。マンダーシャイトから数キロ離れたところにはエックフェルダー・マール(Eckfelder Maar)というマールがある。前回の記事でアイフェルのいろいろなマールを紹介したが、エックフェルダー・マールはそこに含まれていない。というのも、このマールは25万年前に陸地化したTrockenmaar(乾いたマール)で、現在、その跡形を一般人が確認するのは難しいのだ。後で詳しく説明するが、エックフェルダー・マールは古生物学において極めて重要な場所であることがわかった。
メインの展示室。マール湖についての一般的な説明の他、世界のマール湖が紹介されている。マールの成り立ちについては前の記事でも触れたが、図解の方がわかりやすいと思うので、ドイツ語だけれど、マール博物館にあった火山円錐丘とマールの違いについての画像を貼っておこう。
右の図が示すように、マール湖はマグマ溜りから上昇したマグマが水と接触することで水蒸気爆発が起き、周囲の岩石が吹き飛ばされて開いた穴に水が溜まったもの。マール湖の周辺や湖面の植物が枯れると、湖に沈み、底に堆積して行く。だから、マール湖はいつかは水がなくなり陸地になる。陸地下のスピードはマールの大きさやかたち、水質や植生、気候などの条件により様々である。もちろん、人為的な要素も関係する。
現在残っているマール湖は、貧栄養湖(ヴァインフェルダー・マール)、中栄養湖(プルファー・マール、ゲミュンデナー・マール)、富栄養湖(ウルメナー・マール、ホルツマール)、過栄養湖(イメラーター・マール)といろいろだ。そういえばヴァインフェルダー・マールの水はものすごく透き通っていたが(前の記事の画像を見てね)、なるほど貧栄養で藻も発生しないということなんだね。
さて、ここからが本題!
マール博物館からほど近いエックフェルダー・マールは約4430万年前に形成された最古のマールで、とうの昔に陸地化しているが、その地下にはおびただしい数の始新世の化石が埋まっているのだ。エックフェルダー・マールがマール湖だった当時、周辺の地面は傾斜が激しく、陸生生物の棲息できる範囲が狭かった。傾斜が激しいので、生物の死骸を含んだ周辺の土壌がだんだん湖の内側にずり落ちて水の底に沈んで行った。湖の水というのは表面に近い層は温かくて深い層は冷たいものだけれど、ある一定の深さのところに急に冷たくなる層がある(水温躍層)。この層の上部には藻などの水生植物が発生するが、水温躍層の下は酸素が乏しく、生物の死骸が分解されずに化石化した。以前、こちらの記事に書いたメッセル・ピットと同様である。エックフェルダー・マールからはこれまでに約3万個の化石が見つかっている。
その中で最も有名なのは「エックフェルトの古代ウマ (Eckfelder Urpferdchen)」である。
ここでもまたまた凄い化石に遭遇してしまった。恐るべしドイツの地下世界。この古代ウマ(プロパレオテリウム 、Propaleotherium voigti)は、ほぼ全骨格が残っていただけでなく、普通は残りにくい軟組織の一部、胃の内容物、そして胎児までが保存されている。馬といっても結構小柄で、肩の高さは約50cm、短足で首も鼻も短く、むしろ犬のような体型だそう。
この古代ウマの他にエックフェルダー・マールの地下からは約7700種類の植物化石、5500種類の昆虫化石、そして魚、爬虫類、両生類、さらには猿などの哺乳類の化石も見つかっており、それらはこのマール博物館とマインツの自然史博物館に保管されている。(マインツにも行かなくちゃ!!)
こちらは4500万年前のカメの甲羅の化石。エックフェルダー・マールからはこういう完全な甲羅の化石が10体も出て来た。凄いね〜。
こちらはワニ (Alligator Diplocynodon sp.)。ワニは中生代三畳紀に出現して以来、今に至るまであまり変化していない「生きた化石」で、進化の成功例と言えるそうだ。エックフェルダー・マールには少なくとも3種類のワニが棲息していたことがわかっている。
1996年、ラインラントプファルツ州政府とポツダムの地質学研究所(GeoForschungsZentrum Potsdam)が共同で調査のためのボーリングを実施し、エックフェルダー・マールが実際にマール湖だったことが学術的に確認された。マールの地下にある厚いオイルシェールの層は8万2000年もの年月をかけて堆積されたもので、その中に保存されている花粉から過去の植生とその変化を知ることができる。また、オイルシェールは一年毎に層になっているので、一つ一つの層の厚さを見れば太陽活動の変化が地球環境に及ぼした影響がわかるという。今日と同様、4400万年前にも黒点活動サイクル(11年周期)や磁場の反転サイクル(22年周期)が気候に影響を与えていたことが確認された。(詳しい情報はこちら)
マール博物館はそれほど大きな博物館ではないけれど、展示を丁寧に読むとかなりの情報量。火山アイフェルには面白い博物館がまだまだたくさんある。続きは次回に。
火山アイフェル・ジオパーク その1 「アイフェルの目」と呼ばれる美しいマール湖群
アイフェル地方へ行って来た。今回から数回に渡って書く記事は「まにあっくドイツ観光火山編」である。ドイツと聞いて火山を思い浮かべる人は少ないかもしれないが、ドイツにも火山はあるのだ。ノルトライン=ヴェストファーレン州南西部からラインラント=プファルツ州北西部に広がる山地、アイフェル地方には「ドイツ火山街道」という全長約280kmに及ぶ観光ルートがある。夏の最後の旅行として、火山街道のおよそ西半分に当たるUNESCOグローバルジオパーク、火山アイフェル(Vulkaneifel)に4泊滞在した。
火山アイフェルで是非とも見たかったのはこの地方に点在するマール湖だ。マールとは火山地形の一つで、上昇マグマが地下水と接触して水蒸気爆発を起こし、周囲の岩石を吹き飛ばすことでできた漏斗状の空洞である。この空洞に水が溜まると湖ができる。まん丸な湖を縁取るように森が広がっているので「アイフェルの目」と呼ばれることも多い。観光ポスターなどで目にして、その神秘的な美しさに憧れていたのだ。
アイフェル地方には75ほどのマール湖があるとされるが、その大部分は干上がっていて、現在、常に水に満たされているマール湖は10ほど。そのうちのダウナー・マーレ (Dauner Maare)と呼ばれるマール群は、ダウン市周辺に数キロメートルづつ離れて存在する。今回、私たちはダウンのマール群の一つ、シャルケンメーレナー・マール(Schalkenmehrener Maar)のほとりにある村、シャルケンメール村を拠点に動くことにした。目標はできるだけたくさんのマール湖を見ること。
では早速、マール湖はしごツアーに出発!
まずはシャルケンメーレナー・マール。湖の向こう側に見えるのがシャルケンメーレン村。アイフェル地方は世界的にも有名(らしい)なスレートの産地なので、この地方のほとんどの建物の屋根はスレート葺きである。シルバーグレーのスレートは真っ白な壁に映え、すっきりと美しい。
反対側から見たところ。湖面がレンズのようで綺麗。ダウンのマール群はおよそ2〜3万年前、最後の氷河期に形成された。湖の向こう側、右上のあたりに円形の平らなスペースが見える。実はシャルケンメーレナー・マールは双子のマールで、片方は干上がり、もう片方のみに水が残っているのでこのような地形になっている。
次はお隣のヴァインフェルダー・マール (Weinfelder Maar)へ。
丘がはっきりわかるね。
マール湖の水はとても透き通っている。私の住むブランデンブルク州には氷河湖が数え切れないほどあり、そのほとんどで泳げるが、アイフェルのマールはとても深く水も冷たいので、泳げるのは特定の場所に限定されている。ちなみにこのヴァインフェルダー・マールの中心部の深さはなんと51メートルもある。
ダウン周辺の3つ目のマールはグミュンデナー・マール (Gmündener Maar)。山の上にある塔、ドロンケ塔(Dronketurm)から見下ろすことができる。
ドロンケ塔
向こうのところどころに見える盛り上がりは火山。これまで持っていた火山のイメージとはだいぶ違うけれど、、、。
ドロンけ塔の側には「マールブランコ」なるものがあり、グミュンデナー・マールを見下ろしながらブランコが漕げる。もちろん、乗ったよ。
さて、ダウンから南下し、次はギレンフェルト(Gillenfeld)のマール群に属するプルファー・マール (Pulvermaar)へ 。
このマールの側のキャンプ場で地質学者による岩石講座をやっていたので参加した。それについては別の記事で書くことにするが、岩石だけでなくマールの成り立ちについても講義してもらい、とても面白かった。日本語版ウィキペディアのマールのページにはマールは「通常は1回だけの噴火で形成され(単成火山)」と書いてあるのだけど、地元の学者先生によるとアイフェルのマールは短期間に30〜40回の爆発を繰り返しながら形成されたそうだ。
お次はマンダーシャイト(Manderscheid)市近くにあるメルフェルダー・マール (Meerfelder Maar)。
日没にさしかかっていたので、こんな写真が撮れた。このマールができたのは約8万年前。周辺に遊歩道があり、泳げる場所もある。
メルフェルダー・マールとは対照的に最も最近形成されたのはウルメン(Ulmen)市にあるウルメナー・マール (Ulmener Maar)。形成時期は約1万900年前。地質学的な時間スケールで考えるとごく最近生まれたマール湖ってことになるかな。
このマールはそれほどまん丸ではないので、見た目のマールらしさが薄い。(ちょっと不満)
でも、やっぱり綺麗。
今回、3日間で7つのマールを回ることができた。どのマールもそれぞれ美しいが、最も気に入ったのはこれから紹介するホルツマール (Holzmaar)だ。このマールの素晴らしさといったら!!
息を呑む素晴らしさで感動!(伝わらなかったら私の下手な写真のせいです。すみません)しばらくウットリとして佇んでいたが、夫が「ドローンで上から写真撮ろう」と言うので、ドローンを飛ばせる場所を探すことに。ドイツはドローン規制が厳しく、マール湖の真上及びその周辺は自然保護区に指定されているため飛ばすことができないが、少し離れた駐車場からドローンを上げて斜めに見下ろすように撮影することができた。
これ、これこそが私が憧れていたマールの姿。森に縁取られた深いブルーの湖水が本当に美しい。
動画も撮ったので見てみてね。
幸いお天気にも恵まれ、たくさんのマール湖を回ることができ、大満足である。しかし、アイフェルの魅力はマールだけではなかった。次回の記事からはマール以外のアイフェルの素晴らしさを紹介していこう。
歴史ある「鳥の間」が美しいバンベルク自然史博物館
北バイエルンのバンベルクに用があり、行って来た。
バンベルクはユネスコ文化遺産に指定されているとても美しい観光地で見どころも多い。しかし、今回は自由時間が数時間しかなかったので、まにあっく観光は自然史博物館のみ。
かつてのイエズス会コレギウムの建物がバンベルク大学の自然史博物館だ。
この博物館は規模はそう大きくないが、歴史ある美しい「鳥の間 (Vogelsaal)」が有名である。
バンベルク大学の付属施設として作られ、1810年に完成した床面積約200平米メートルの鳥の間。陳列棚には1255体、約800種類の鳥類の剥製が展示されている。まだドイツに動物園も存在していなかった頃、自然科学の学生達の学習のために集められたものだ。この鳥の間は現在までの間に壁の塗り替えや補修はされているが、19世紀の博物館の姿をそのまま残していて、それ自体が博物館的価値を持つ。二重の意味で博物館であり、「博物館の中の博物館(ein Museum im Museum)」と呼ばれている。
壁際をぐるりとギャラリーが囲んでいる。
美しい〜〜〜。
展示物のメインは鳥類だが、その他の動植物のキャビネットもある。
博物館キッズ。可愛いね〜。
女の子達はこの棚を見て、「ワーオ!」と歓声を上げていた
鉱物キャビネット
この博物館の目玉展示物の一つは果物モデルのコレクション。18世紀後半から19世紀にかけて作られたとても希少なものだそうだ。様々な種類のドイツ産のりんご、なし、さくらんぼのモデルが並んでいる。
これらモデルの種類の果物の多くは現代では栽培されていない。
こちらは鳥の卵モデルコレクション。
たまたま生物多様性に関するこのような本のサンゴのところを読んでいるところだったので、サンゴの棚はじっくり見た。
クダサンゴ
脳サンゴ
鳥の間のキャビネットはどれも美しく魅力的だけれど、展示物に関する説明がほとんどない(名称と産地のみ)のがちょっと残念だった。
鳥の間以外にも様々な展示物がある。1階フロアのフランケン地方の地質や鉱物に関する展示は説明が充実していて満足。今年(2018)の4月から新しく展示されるようになったものに「バンベルクの驚異の首飾り(Bamberger Wunderkette)がある。さくらんぼの種137個、あんずの種15個を繋いだネックレスで、それぞれの種には繊細な装飾が施されている。約200年前に作られたものらしい。
さて、常設展示に関して簡単に紹介したが、バンベルク自然史博物館では現在、とても面白い特別展、「Frankenland am Jurastrand (ジュラ紀の海岸のフランケン地方)」をやっている。この展示は写真撮影が禁止なので画像の紹介ができないのだけれど、すごい化石がたくさんで大興奮!以前、こちらの記事でゾルンホーフェン石灰岩から発掘されるジュラ紀の化石について紹介したが、最近になってフランケン地方のヴァッテンドルフ(Wattendorf)の石灰岩にもジュラ紀の化石の産地が豊富に埋蔵されていることがわかったそうだ。ゾルンホーフェンと比較すると石灰岩地域はずっと狭いが、化石の埋蔵密度はゾルンホーフェン以上だという。ヴァッテンドルフでは翼竜、魚竜、魚やカメの他に爬虫類の化石も比較的多く見つかっている。
どんな化石が展示されているか知りたい方は、以下の動画をどうぞ。化石探しの様子も見られます。(ドイツ語)
ニーンブルクのニーダーザクセン州警察博物館が面白い
Dörverdenでオオカミセンターの見学を無事終え、友人Sちゃんをハノーファー空港へ車で送って行くことにした。飛行機の出発時刻まで時間に余裕があったのでどこか途中の町に寄って行こうということになり、立ち寄ったのはニーンブルク(Nienburg)。
ニーンブルク
「なかなか可愛い町じゃない?」などと言いながら、気の利いたカフェでも探そうと目抜き通りを歩いていると、ある建物のウィンドーの前でSちゃんが「あら、これ何?」と足を止めた。目をやると、そこには、、、、
イノシシの剥製があった。傍には警察の制服を着た人形が立っている。ん?これ、普通のイノシシじゃない?見るとこのイノシシは警察犬ならぬ警察イノシシらしい。名前はルイーゼ。ニーダーザクセン州警察により麻薬探知イノシシとして正式に訓練を受け、1987年まで活躍したそうだ。メディアで引っ張りだこのスターイノシシだったと書いてある。なぜそのルイーゼさんがここに展示されているのかというと、たまたま通りかかったこの建物はニーダーザクセン州警察博物館なのであった。何それ、面白そう。無料だったので中に入ってみた。
入り口にズラーっと警察ミニカー。かつてドイツの警察カラーはこのように緑とベージュだった。2004年に緑から青への変更が決まり、徐々に新カラーへ移行した。でも、バイエルン州だけはまだ移行が完了しておらず、まだ緑色のパトカーも見られるらしいね。
警察おもちゃがいろいろ展示交通してある。写真は交通ルールを学ぶためのボードゲーム(さすがボードゲーム大国、ドイツ!)とおまわりさん指人形。指人形は可愛いのか怖いのかよくわからない。この人形を指にはめて子どもたちはどんな風に遊ぶのだろう。

1階フロアのうちかなりのスペースを占めていたのはニーダーザクセン州ハノーファーで1919年から1924年にかけて24人を殺害した「フリッツ・ハールマン連続殺人事件」に関する展示だった。事件の被害者は若い浮浪者や男娼で、ハールマンに自宅のアパートに連れ込まれ、性行為の相手をさせられた後、喉を嚙み切られて死亡した。ハールマンハールマンは被害者の頭部を石で叩き割り、遺体を包丁でバラバラに解体してバケツに入れ、外に運び出していたそうだ。骨はライネ川に捨て、その他の部分を町の共同トイレに投げ入れ、液体状の部分は下水溝に流し、被害者が身につけていた衣類は古着屋に売り飛ばしたという。
地元の子どもたちがライネ川で5体の頭蓋骨を発見したことからハールマンの犯行が明るみになり、ハールマンは斬首刑に処された。
ハールマンの処刑後、20年も経ってから発見された、犯行に使われたとみなされる包丁。ハールマンは肉の加工業も営んでおり、ソーセージなどを作って売っていた。被害者の遺体を食品に加工していたという憶測もあるらしいが証拠は見つかっていない。このおぞましい事件を私は知らなかった。数々の文芸作品の題材として取り上げられ、映画にもなっていることがわかった。家に帰ってから夫に「ハールマン連続殺人事件って知っている?」と聞いたら、「あー、『Die Zärtlichkeit der Wölfe』だね?」という返事が返って来た。
このハールマン事件は衝撃的な事件として市民をパニックに陥れただけでなく、警察の取り調べのあり方についても大きな議論を引き起こした。取調官はなかなか口を割らなかったハールマンを拷問し、恐怖を与えるため、独房の四隅に頭蓋骨を起き、ベッドの下には被害者の骨の詰まった袋を置いたという。また、ハールマンは警察の情報提供者でもあったため、容疑者リストにありいながら逮捕が遅れたということもあり、警察に対する市民の信頼はガタ落ちした。ハールマンは同性愛者だったために、事件後、同性愛者に対する風当たりはますます強くなっていたらしい。
身の毛がよだつような恐ろしい事件だが、こうした事件が起きた当時のドイツの社会状況は興味深い。第一次世界大戦後の食糧難で犬や猫の肉が闇市で売買されていたり、ハノーファーの中央駅周辺は性を売って飢えをしのぐ孤児の溜まり場になっていたなどの背景があったようだ。
さて、ニーダーザクセン警察博物館ではハールマン事件についてだけでなく警察史も知ることができる。
18世紀の鐘つき手錠
プロイセン時代のおまわりさん
1911年の警察の風刺画
1900年の警察官用の柔術の教科書
ナチス時代の警察の制服
戦後の連合軍軍政期に英国の警察をモデルに導入されたニーダーザクセン州警察の制服
70年代の検査官の制服
それぞれの時代の警察についての説明も面白いのだけれど、記事が長くなり過ぎるので、また改めて取り上げたいと思う。
フォルクスヴァーゲン・ケーファーのパトカー。可愛い!
ふらっと寄ったニーダーザクセン州警察博物館、なかなかの見応えだった。警察博物館はドイツ各地にあるので、他のも是非訪れたい。
戻って来たオオカミ。Dörverdenのオオカミ啓蒙施設、Wolfcenterでオオカミについて知る
まにあっくドイツ観光ニーダーザクセン編(その1、その2、その3)の続き。南ドイツからはるばるやって来た友人とハノーファーで落ち合い、ニーダーザクセン州立博物館を見た後、私たちはそこから北西に約72kmのところにあるDörverdenという村へ向かった。人口1万人弱のその小さな村に私たちの目指す「オオカミセンター(Wolfcenter)」があるからである。
近頃、ドイツのメディアでは野生のオオカミに関する記事を目にすることが多くなった。オオカミはかつてドイツ全国に棲息していたが、徹底的に駆除され個体数が減少、1870年頃にほぼ絶滅したとされていた。しかし近年、ドイツ国内で野生のオオカミが再び目撃されるようになっている。中世以降、忌み嫌われて来たオオカミだが、1973年に「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約 (ワシントン条約)」が採択され、保護の対象となった。旧西ドイツも1975年に条約の締約国となったが、旧東ドイツは加盟しておらず、90年代半ばからポーランドから国境を超えてちらほらと東ドイツの領土に野生のオオカミが入って来るようになると撃ち殺していた。ドイツ統一後はオオカミはドイツ全国において保護の対象となっている。そのためか、ドイツにおける個体数は増え続けている。2000年、旧東ドイツのザクセン州で野生のオオカミのペアが確認され、ポーランドとの国境に近いラウジッツ地方では現在14の群れがいることがわかっている。そしてさらにブランデンブルク州を通過してニーダーザクセン州方面へもオオカミの縄張りは広がりつつある。現時点で全国には72のオオカミの縄張りがあるとされる。生物多様性の観点からオオカミが戻って来たことを喜ぶ人々がいる一方で、家畜を殺される被害も増えており、不安を抱く人も少なくない。狼を巡る議論がこれからますます活発になりそうだ。
そんなわけでオオカミについて知りたいと思っていたところ、Dörverdenにオオカミ学習施設があることがわかったので、動物好きの友人を誘って行ってみることにしたのである。
オオカミセンターは動物園とミュージアム、会議場を合わせた総合学習施設だ。
こんな感じの普通の森の中にフェンスで囲まれた3つの飼育場があり、動物園や大学から譲り受けたヨーロッパオオカミが飼育されている。野生のオオカミの保護施設なのかと思って行ったのだがそうではなく、オオカミと人間の共生についての啓蒙活動を目的としてオオカミを飼育しているそうだ。
早速園内を歩いてみたら、いたいた!でも、みんな眠そう。寝ている姿は犬そっくり。フェンスで囲まれてはいるが、走り回れる程度の広さはある。
ヨーロッパオオカミ。よく見るとやっぱり犬とはちょっと違うかなあ。
しかし、真っ白なハドソン湾オオカミはまるで犬。
別料金で飼育場のフェンスの中に入れてもらうこともできる。私たちは外から見ただけだったが、中に入っている人たちがいた。このオオカミは赤ちゃんの頃からここで飼育されているため人懐こい。足を客の膝に乗っけて甘えている!
お腹を見せちゃっているし、、、。
しばらくオオカミたちを眺めていたら、ガイドツアーの時間になった。入館料には約1時間のガイドツアーが含まれている。生物学修士のリヒターさんが案内してくれた。まずは餌やりの見学から。
餌はシカ丸ごと1頭。事故などで死んだ野生動物が近くで見つかるとオオカミセンターへ運ばれて来るそうだ。もちろん、毎日動物の死骸が見つかるわけではないので、これは不定期のご馳走だ。この日はオオカミたちがご馳走にありつく様子を見学することができた。
シカはリヤカーでフェンスの中に運び込まれる。フェンスは二重構造。飼いならされている狼とはいえ、餌を見ればやはり野生の血が騒ぐ。慣れている飼育員でもむやみに食事中のオオカミに近づくことはしないそうだ。素早く餌を運び入れたらすぐに外に出る。
一斉にシカに飛びつくオオカミたち
友人が撮った動画。みんなでぐいぐいシカを引っ張り合ってる。
まもなく数匹は脱落した。切れ端を加えて別の場所へ行ったオオカミが1匹。
残った1匹が悠々と食べている。ボスオオカミだ。オオカミの群は雄オオカミと雌オオカミ、そしてその子どもたちから成る。つまり、群れ=ファミリーである。しかし、この飼育場にいるグループは兄弟で、ボスはお兄さんオオカミ。餌が運び込まれると、一瞬だけは皆でつつくが、その後はボスオオカミが自分だけでゆっくりと食事を堪能するらしい。満腹になると口元を地面に擦りつけて綺麗にし、ご馳走様。他のメンバーがおこぼれにありつくのはその後だ。ガイドさんの説明を聞きながらボスオオカミの食事の様子を眺めていたが、ボスオオカミは随分長いことムシャムシャとやっていた。
オオカミの赤ちゃんは春に生まれる。野生においては一つの群につき平均4〜7匹、多くて9匹ほどだそう。生後数週間は洞穴の中で過ごし、親が食べ物を運んで来る。とはいっても生肉を加えて持ち帰るわけではない。獲物は外で食べてしまう。胃の中で柔らかくなったものを洞窟に戻って吐き出し、赤ん坊に与えるのだそうだ。
夏になると赤ん坊たちは洞穴から出て、家族の集合地点で過ごすようになる。親が狩に出ている間はお兄さん、お姉さんオオカミがベビーシッターをする。この集合地点で赤ん坊たちはサバイバルに必要なスキルを習得し、集団のルールを学ぶ。群から離れるなどの勝手な行動を取ると親に厳しく叱られるらしい。
秋がやって来る頃には赤ん坊たちもすっかり若者らしくなり、いよいよ狩りに参加する。集合地点から離れ、縄張り内を自由に移動するように。ヨーロッパでは野生のオオカミの縄張りの大きさは150〜300 km2ほどである。一つの縄張りにつき群れ一つというのが決まりで、子どもたちは遅くとも2才までには群れを離れ、新しい縄張りを探さなければならない。
そして冬は子作りの季節。妊娠した雌オオカミは63日の妊娠期間を経て子どもを産む。これがオオカミの1年だ。
ところでオオカミといえば真っ先に連想するのは遠吠え。オオカミは集団で生活する生き物なのでコミュニケーション力が高い。匂いによるマーキングや表情を使ったコミュニケーションなど多様な手段を持つが、その中で遠吠えは主に狩りのさいに散らばった群れのメンバー間で情報をやり取りする手段だ。オオカミの遠吠えは森の中でもおよそ16km先まで届くのだって。
「遠吠えでオオカミたちに話しかけてみましょう」と遠吠えの真似をするガイドのリヒターさん。「ウォォォォ〜〜〜〜〜ン!」
すると、それに応えてオオカミたちが一斉に「ウォォォォ〜〜〜〜〜〜ン!」と合唱してくれた。
オオカミセンターではオオカミだけでなく、羊も飼われている。来場者らに家畜をオオカミから守る手段について啓蒙するためだ。オオカミの獲物となる動物は主にシカやイノシシ、エルクなどだが、狩りの成功率はかなり低いのだそうだ。米国のある研究によると、オオカミに狙われたエルク131頭のうち、実際に食べられたのはわずか6頭だった。狩りは多大なエネルギーを要するので、オオカミだってできれば楽をしたい。だから、狙うのは主に子どもや年老いた個体、病気や怪我をした個体だ。でも、もっと楽に餌にありつけるのならその方がいい。家畜の羊や山羊なら捕らえるのは簡単である。それで家畜が狙われる。家畜をオオカミの被害から守るには適切な対策を取る必要がある。
電気フェンスを家畜小屋の周辺に張り巡らせたり、
番犬を飼うのが効果的。この可愛いクレオくんは羊の番係だ。
オオカミの縄張りの多いザクセン州やブランデンブルク州などではガイドラインに沿った保護対策を実施するための補助金制度がある。それでも家畜を襲われてしまった場合、補償を受けることも可能だが、その辺りはケースバイケースで必ず補償してもらえるというわけではないらしい。一般にドイツ国民は自然に対する思いが強く、市民による環境保全や野生動物の保護活動が活発だけれど、ことがオオカミになると市民感情は複雑だ。しかし、オオカミが戻って来ることで生態系のバランスが保たれるという大きなメリットがある。先に書いたようにオオカミは主に弱い個体を獲物として狙うので、動物群における健康な個体の数を高める効果があるそうだ。また、オオカミが不在の自然環境では本来狼の獲物となる動物が繁殖し過ぎてしまい、草が食べ尽くされて草地が減少することで地面が侵食を受けやすくなる。その結果、動物たちの餌となる植物が不足してしまう。実際、オオカミが増え始めて以来、イノシシやシカの個体数も増加しているそうだ。
人間もオオカミに襲われるのではないかと不安を持つ人も少なくないが、基本的に人間はオオカミの興味の対象ではないので、むやみに恐る必要はないそうだ。とはいえ、これまでにオオカミに襲われた人がいないわけではない。亡くなった人もわずかながらいる。ただし、死亡例の半数以上は狂犬病への感染が原因だそうなので、予防接種で守れた命もあっただろう。もし、オオカミに遭遇してしまったら、慌てて逃げずに(逃げると本能で追いかけて来る)ゆっくりと立ち去ること、万一、オオカミが近くまで来て目が合ってしまったら、手を広げるなどして体を大きく見せ、大きな声を出すと良いそうだ。
ガイドツアーは予定より長引き、1時間半にも及んだ。専門家から興味深いお話がたくさん聞けてとても満足。
さて、ツアーの後はミュージアムだ。
オオカミの生態や人間とオオカミとの関わりの歴史、そして犬についても詳しく展示されている。こちらもとても興味深かった。
このオオカミセンターのあるニーダーザクセン州で最も恐れられたオオカミは「リヒテンモーアのオオカミ」と呼ばれるオオカミだ。1948年にリヒテンモーア地域でほぼ毎晩、家畜が襲われた。しかし、戦後の食糧難の時代でもあったので、肉を求めてリヒテンモーアのオオカミによって殺された動物の死体を探し回る人も多かったという。また、独裁者ヒトラーはオオカミ好きで知られていたらしい。自らの名、「Adolf」の由来はAdal-Wolfで、これはEdel-Wolf(高貴なオオカミ)という意味だと豪語し、ナチスの親衛隊も「mein Rudel Wolf(私のオオカミの群れ)」と呼んだという。他にも情報が盛りだくさんだけれど書ききれないのでこのくらいに。
ところで、オオカミセンターでは宿泊も可能である。
こんなテントや簡素なドミトリー風の部屋、キャンピングカーを停めるスペースもある。
オオカミを上から観察できるこんなツリーハウスも。オオカミの遠吠えを聞きながら眠るなんて楽しそうだけど、宿泊費は朝食付きダブルが420ユーロ。さすがに高すぎるので諦めて、私たちはオオカミセンター近くの乗馬場のゲストハウスに泊まった。
オオカミセンターはオオカミ啓蒙イベントや農家を対象としたセミナー、スロバキアからドイツまで12日間に及ぶ本格的なオオカミスタディツアーなども実施している。ドイツ国内でオオカミについて知りたいならここ!
5ユーロで大満足なハノーファーのニーダーザクセン州立博物館
まにあっくドイツ観光ニーダーザクセン編、ブラウンシュヴァイクで恐竜展を堪能した後はハノーファーへ移動した。ハノーファーでミュンヘンの友人と合流し、一緒にDörverdenという村へ行くことになっていた。せっかくだからハノーファーでも何か見ていこうということで、ニーダーザクセン州立博物館へ。
この博物館の特徴は自然史博物館、考古学博物館、文化人類学博物館、美術館、コイン博物館という5つの博物館がシームレスに合わさって一つの博物館になっていること。外観の写真を撮り忘れてしまったが、マッシュ湖に面した壮麗な建物である。展示物の非常に充実した3階建ての博物館の入館料はわずか5ユーロ(特別展は除く)。私たちが訪れた日はたまたま3階の美術館部分が改装中で、4ユーロに割引になっていた。従って、見たのは1階の自然史部門(Naturwelten)と2階の考古学・文化人類学部門(Menschenwelten)のみだけれど、それだけでも十分に満足できた。(2026年3月追記: 入館料は値上がりして10ユーロになっています!)
まず自然史部門(NaturWelten)。水中世界の展示から始まっている。
天井のパネルは波を表している。それぞれの水槽には世界の様々な地域の水界生態が見られる。一見、普通の水族館なのだが、この博物館の展示には他の博物館にはない特徴がある。それは、「生き物と一緒に化石を展示している」ことだ。
古生物と現生生物を一緒に展示することで、生物について知ることができるだけでなく、同時に進化や地球の歴史に触れることもできる。これはすごく面白いコンセプトだと思った。
長尾類のAeger tipularius。ゾルンホーフェン石灰岩から発見されたもの
英国、サマセットで発掘されたイクチオサウルス(Ichthyosaurus communis)。
私の好きなベレムナイト化石も珍しいものが展示されていて嬉しかった。
これはオパール化したもの。綺麗だなあ。
深海コーナーも面白かった。
シギウナギ (snipe eel)
深海の展示で興味深かったのは、マンガン団塊やメタンハイドレートなどの海中資源とその採掘による環境負荷に関する説明やブラックスモーカーとその周辺に棲息する生き物に関する展示など。
自然史部門の展示は水中から始まり、干潟→海岸→陸へと移動して行く。
白亜紀のニーダーザクセンは赤道近く(現在のリビアのトリポリあたり)に位置し、島の連なる環境だった。空には翼竜が飛び、水中や陸にはワニや恐竜、亀が棲息していた。写真の化石は2種類の異なる恐竜の足跡が重なったもの。片方は肉食性の恐竜でもう片方はイグアノドン類のものだそう。出土地はハノーファーから西に20kmほどのMünchhagenという場所。今調べてわかったのだけど、Münchhagenには恐竜テーマパークがある。
プラテオサウルス
古生物がマイブームだからってそればかり紹介するのも偏るので、そろそろ2階のMenschenWelten(ヒトの世界)にも目を向けよう。
ここから人類が登場。これまた面白い。
そしてそのまま考古学の展示へと続いて行く。

石器時代から青銅器時代、鉄器時代へと時系列なのは他の考古学博物館とほぼ同じ。
これは傑作。6〜7 世紀の金の首飾り。出土地はGifhorn。
ローマ時代や中世を経て植民地時代へ。ここからは文化人類学の世界だ。
ペルーの陶器
中国のタイプライター
今回見ることのできなかった美術部門(KunstWelten)には中世から近代までの美術作品やコインが展示されている。古生物から近代美術までを一つの流れの中で見せる工夫が素晴らしい。明るいサンルームのカフェもあるので途中で休憩を挟みながらたっぷり時間をかけて楽しむのも良いし、ハノーファー近郊に住んでいるならその時ごとに重点を絞って何度も足を運んでも良いと思う。年間パスも個人が25ユーロ、家族パス50ユーロと手頃。しかも、金曜日はなんと無料!絶対に損のない博物館だ。
スピノサウルスの謎。ブラウンシュヴァイク、ダンクヴァルデローデ城「騎士の間」で恐竜展
前回の記事に書いたように、ブラウンシュヴァイク自然史博物館ではスピノフォロサウルスやイチクロサウルスの化石などを見たが、スピノサウルス展を見るためダンクヴァルデローデ城へ移動した。
ダンクヴァルデローデ城の外観を撮り忘れてしまったが、こんな感じ。
受付でチケットを見せると、「スピノサウルス展なら二階の騎士の間です」と言われ、階段を上がる。
わっ。なんか凄そうな広間!入り口に「スピノサウルス 〜 謎の巨大恐竜」と書かれた大きなパネルが置かれている。このスピノサウルス展はナショナルジオグラフィックとシカゴ大学による移動展覧会であるらしい。
「騎士の間」の内装は素晴らしく、それ自体が拝観に値するが、そこに大きなスクリーンが設置され、スピノサウルス発掘ドキュメンタリー動画が流れている。これから何が始まるんだろうという期待感が高まる空間演出だ。
中世の広間と恐竜は一見ミスマッチだが、ブラウンシュヴァイクでスピノサウルス展が開催されているのは偶然ではない。なぜなら、スピノサウルスを初めて学問的に描写したのはブランシュヴァイク出身の古生物学者、エルンスト・シュトローマー男爵だったからだ。1912年、シュトローマー男爵を含むドイツの化石発掘調査隊がエジプトで巨大な生き物の化石を掘り当てた。シュトローマーはこの生き物を「スピノサウルス(Spinosaurus aegyptiacus)=エジプトの棘のあるトカゲ」と命名した。
発掘された恐竜の骨とシュトローマー。
シュトローマーによるスピノサウルスの描写
化石の分析の末、シュトローマーはスピノサウルスはティラノサウルスをも超える巨大な肉食性恐竜だったと結論づけた。発掘した化石の全てをドイツに運ぶことはできなかったが、シュトローマーの持ち帰ったスピノサウルスの骨の一部はミュンヘンの博物館に保管された。しかし、第二次世界大戦におけるミュンヘン空爆で焼失してしまう。
シュトローマーにより再現されたスピノサウルスの棘
失われ、忘れ去られていたスピノサウルスだが、シュトローマーの発見から約100年経過した2013年、再びその化石が発見され、古生物学界にセンセーションが巻き起こった。新たな発見者はドイツ生まれのシカゴ大学古生物学研究者、ニザール・イブラヒム(Nizar Ibrahim)氏。イブラヒム氏のスピノサウルス発掘物語はまるで推理小説のようだ。2008年、博士論文の調査のために赴いたモロッコで同氏はベドウィンの商人からいくつかの「恐竜の骨」を見せられた。そのうちの一つがイブラヒム氏の関心を引く。巨大な棘のかけらのように見えるその化石には赤い特徴的なラインが入っていた。
そしてその数年後、イブラヒム氏はミラノの自然史博物館でモロッコで見たものとそっくりな恐竜の骨に遭遇する。その骨にもやはり赤いラインが入っていたのだ。「あのとき見た骨はこの骨と同一の恐竜のものでは!?」
こうしてイブラヒム氏のスピノサウルスを探す旅が始まった。勢い勇んで再びモロッコへ飛んだものの、あの時の商人の名前も住所もわからない。ほとんど手掛かりの無いまま数ヶ月間探し回ったが、なしのつぶてだった。しかし、諦めて往来の茶屋でミントティーをすすっていると、なんという偶然か、くだんの商人が通りかかったという。「あのときの骨はどこで見つけたんだ?場所を教えてくれ!」2013年、イブラヒム氏率いる発掘調査隊はモロッコへ向けて出発した。そしてベドウィンの男に教えられたケムケム層から、幻のスピノサウルスを含め、数々の恐竜化石が見つかったのである。
すごい話だなあ。このスリリングな冒険物語をワクワクしながら読み終わり、パーティションで仕切られた広間の反対側へ出た。すると、、、、。
これがスピノサウルスだ。シュトローマーの研究から100年を経て、イブラヒムの再発見によりスピノサウルスの全骨格標本復元が実現したんだね。
口はワニのように細長い。鼻の穴は小さく、口の先端からはかなり距離がある。スピノサウルスは水棲で、水中の獲物を捕らえる際に息がしやすいように頭部がこのような形に進化したと考えられるそうだ。魚のようなヌルヌルした獲物をしっかりと掴めるよう、指は長く、鋭い爪が付いている。後ろ足の短さも水棲生物の特徴だという。
この長い尻尾と大スクリーンのサハラ砂漠!ただただ圧倒されるのみ。
スピノサウルスの他にもカルカロドントサウルスや、
デルタドロメウス、
アランカ・サハリカなどが展示されている。
これは相当に面白い展覧会。とにかくロケーションが素晴らしい。9月9日までなので、見たい方はお早目に。
イブラヒム氏のTED動画
ジュラシック・ハルツ!恐竜研究の重要拠点ブラウンシュヴァイク自然史博物館
ニーダーザクセン州へ週末旅行に行って来た。バイエルン州に住む友人とハノーファーで待ち合わせていたが、ハノーファーまでただまっすぐ行くのではなんだかつまらない。途中でどこか立ち寄ろうかと地図を眺めたら、まだ行ったことのない都市、ブラウンシュヴァイクが目についた。軽く検索したら、「ブラウンシュヴァイク自然史博物館」がある。現在、スピノサウルスの特別展を開催中だという。よし!ではそこへ行ってみることにしよう。
州立自然史博物館はブラウンシュヴァイク大学の建物に隣接している。
博物館の前で大きな恐竜が迎えてくれた。これはスピノフォロサウルス(Spinophorosaurus nigrensis)のモデル。名前が似ていて紛らわしいが、スピノサウルスではない。ブラウンシュヴァイク自然史博物館の発掘調査隊が2005年にナイジェリアで発見した植物食の竜脚類のモデルだ。スピノフォロサウルスが発掘されたことにより、2010年に同博物館に恐竜の間(Dino-Saal)が新たに設けられたそうだ。
こちらの小さい恐竜は1998年にハルツ地方のゴスラー付近で発掘されたエウロパサウルス(Europasaurus holgeri)の実物大モデル。モデルの手前に見えるのは恐竜の足跡のついた砂岩の板。また、スピノフォロサウルスとエウロパサウルスの周りには周辺地域で採れた種類の異なる石が配置されている。というのも、ブラウンシュヴァイクはドイツ国内で地質学的に特に興味深いエリアに位置しているのだ。隣接するハルツ地方を中心とする東西約100km、南北120kmのエリアはユネスコ・グローバルジオパーク(UNESCO-Geopark Harz. Braunschweiger Land. Ostfalen)に認定されており、ドイツ最大のジオパークだという。そしてこのジオパークの特色は、古生代から新生代までのほぼ全ての地質年代の岩石が観察できることなんだって。そんなすごい地域だったとは!(詳しい情報はこちら)
そのような自然条件の地域に位置する自然史博物館だから、当然、見応えがある。
まずは標本室。素晴らしい〜!
標本室が大好きな私はうっとり。でも、爬虫類などの標本は苦手な人もいるかもしれないね。
でもほら、標本ってこんなに美しい。
哺乳類の剥製は見るとかわいそうな気にもなるけれど、でも、こんな生き生きとした剥製、すごいなあ。
標本室以外にも見所はたくさんだ。フェルディナント・アルブレヒト1世のお宝コレクションを展示したSchatzkammerには珍しいものが並んでいる。
装飾を施したオウムガイとか、、、。
背中の穴で卵を孵化させるコモリカエル(ピパピパ)。ちょっと気持ち悪いけど、あまりに不思議なのでついじーっと見てしまう。こういうの苦手な方、すみません。
2011年にブラウンシュヴァイク付近(Hondelage)で発見されたジュラ紀の魚竜化石2体。ステノプテリギウスの全骨格にユーリノサウルスの骨の一部が重なった状態で埋まっていた。
こちらはプシッタコサウルス。中国で発見されたもの。
これもまた珍しい展示物。ステラーカイギュウと呼ばれる絶滅した海棲哺乳類の骨格だ。1741年にドイツの自然史学者、ゲオルク・ヴィルヘルム・ステラーによりベーリング海で発見された。
まだまだ続々と出て来るが、写真を貼っていたらキリがないので、「恐竜の間」についてはオープン当時の紹介動画を貼っておこう。
思いつきで立ち寄ったブラウンシュヴァイクだったので、実はそれほど期待していなかった。来てみてびっくり。ブラウンシュヴァイクからほど近いニーダーザクセン州ハルツ地方は「ジュラシック・ハルツ」とも呼ばれ、ドイツの恐竜研究の重要拠点であることがわかった。機会があればジオパークも訪れてみたいな。
と、すっかり満足して、うっかりしてこのまま帰ってしまうところだった。そういえばスピノサウルスの特別展示をやっているはずだけれど、肝心のスピノサウルスは一体どこに?スピノフォロサウルスは見たけれど。
受付で聞くと、「スピノサウルス展はここではなくて、ダンクヴァルデローデ城でやっています」とのこと。ダンクヴァルデローデ城は旧市街にあるという。えー、なんで別の場所でやっているの。移動しなきゃならないなんて面倒臭い!と思いながら、せっかく払った入館料を無駄にするのももったいないとシブシブ城へと移動することにした。
ダンクヴァルデローデ城で物凄い光景が私を待ち受けているとはこの時点では思いもせずに、、、、。
(次回に続く)
リューゲン島の白亜の崖とチョーク博物館 (Kreidemuseum Rügen)
週末にバルト海に面するリューゲン島へ行って来た。リューゲン島は広い島で保養地ビンツやナチスの海水浴場プローラなどいろいろな見どころがあるが、今回は白亜の崖とブナの原生林が残る世界自然遺産、ヤスムント国立公園方面へ 直行した。そこに目当ての博物館、「チョーク博物館(Kreidemuseum Rügen)」があるからだ。白亜の崖の「白亜」というのはつまり白亜紀に堆積した地層を意味している。そして白亜とは何かというと、円石藻などの化石から成る未固結の石灰岩、つまりチョークのこと。そのチョークの博物館に行ってみたかったのだ。
海岸沿いの町、Saßnitzに取った宿に到着し、早速レセプションの人に「ここからチョーク博物館へは何分くらいかかりますか」と聞くと、「チョーク博物館って?」と聞き返された。地元のホテルの人でも知らないとは、かなりマイナーな博物館のようだ。
Saßnitzからは車で約20分で着いた。
チョーク博物館は現在は閉鎖されているかつてのチョーク採石場の敷地内にある。
建物に入ってすぐはリューゲン島のチョーク産業史の展示室。
チョーク採石の様子。リューゲン島のチョーク産業の歴史は古い。ハンザ同盟によってバルト海沿岸の貿易が栄えた時代には、リューゲン産のチョークは主に色素や肥料、燃料などとして使われた。現在は化粧品や医薬部外品、タイルなどの床材として使われるほか、環境分野でも様々な用途に使われている。「チョーク」と聞くと真っ先に思い浮かべるのは白墨だけれど、現在使われている白墨はチョークではなく石膏(ギプス)を固めたものなんだそう。
様々なチョーク製品
かつてチョークの採石が行われていた博物館の裏手は現在、こんな風景だ。
そして、少し離れた場所にあり現在も採集が行われている石切場の風景。
チョーク博物館は定期的にこの石切場へのガイドツアーを提供している。
ツアーの目的は化石探しである。このチョークは化石を豊富に含んでいる。ドイツには化石ハンターがたくさんいるようで、全国の多くの石切場が特定の日にハンターに場を開放している。有名なところでは、私と夫が先日行ったゾルンホーフェンなどがある。
リューゲンのチョークの中に見つかるのは、たとえばベレムナイト。白亜紀に絶滅したこの頭足類は現生のイカのような形状をしていた。化石として残るのは写真のような先端部分のみ。
ベレムナイトの他にも貝やウニなど、いろいろな化石が埋まっているけれど、白いチョークの中にチョークにまみれた化石を見つけるのはなかなか難しい。
チョークの地層は白亜紀の浅い海に微小な原生生物の石灰質の殻(円石藻)が堆積してできたもので、それ自体が化石である。写真の丸いのが円石藻(Cocolith)。リューゲン島のチョーク層には1㎤あたり約8億個もの円石藻が含まれているんだって!!
そして、このコッコリスの山の中には、しばしばフリント(Feuersteine)が形成されている。白い地層の中に帯のように黒く光沢のある石が並んでいるのが見えるだろうか。フリントは火打ち石とも呼ばれるもので、非常に硬い上に簡単に剥離するので石器時代の人類はこれを加工して道具や武器を作っていたんだよね。私はフリントが好き。外から見ると白いのに割ると中が艶々と黒くて不思議。考古学博物館ではフリントで作った石器をよく見かける。だから、フリントを手にするとなんだか自分が過去の世界と繋がったような気がするのだ。
私の手持ちフリント。リューゲンやデンマークの白亜の崖で拾ったもの。(注: 左下の丸くて黒い、斑点のある石はフリントではありません)
チョーク博物館にはいろいろなタイプのフリントが展示されている。海岸などで見かけるフリントはこういう感じに白と黒がぶちになっているタイプが多いんだけど、
縞々タイプとか、
でも、そもそもフリントってどうやってできるんだろう?「Geologie Deutschlands(ドイツの地質)」という本のリューゲン島のページを見たら、フリントとは潜晶質石英が長い時間をかけて地層の中で塊になったものであると書いてあった。チョークは湿っていれば柔らかく、モロモロとしてすぐに崩れるが、中にフリントが入っているとずっしりと重い。
博物館内にはいろんな化石の標本も見ることができる。化石には、古生物自体が残っているもの(体化石)と痕跡だけのもの(生痕化石)があルガ、生痕化石には古生物の内側の空洞に詰まった堆積物がその生物の形に固まったSteinkern(石核)と呼ばれるものも含まれる。こんな見事な石核を見てびっくり。
すごくない、これ?
地元のボランティアらにより運営されているというこのチョーク博物館、マイナーだけれど私にはすごく興味深かった。でも、まだまだ地学分野の素養が乏しくて理解が不十分。少しづつ学んでいこう。
チョーク博物館でチョークの展示を見た後、Saßnitzからチョークの崖に沿って歩いた。
岸辺の石はフリント。
崖に斜めの帯状のフリント層があるのが、わかるかな?
目に見える化石が埋まっていないか探したけれど、残念ながらほとんど見つけられなかった。大雨が降って土砂が崩れると探しやすくなる。今年のドイツは日照りで雨がほとんど降っていないからなあ。たまたま親族に円石藻の研究者がいて、私が「化石が見つからなかった」と報告したら、「私にとってはその地層の全てが化石」だと言った。なるほど確かに。そう知ると、もともとロマンチックな白亜の景色がますます魅力的に感じられるね。
Googleマイマップでドイツ植物園・植物関連施設マップを作った
Googleマイマップを使った「まにあっくドイツ観光マップ作りプロジェクト」。第一弾は「ドイツ考古学スポットマップ」、第二弾は「ドイツ自然史博物館マップ」だった。第三弾として今回は「ドイツ植物園・植物関連施設マップ」を作った。
マップのサブカテゴリーは「植物園」「ハーブ園」「バラ園」「日本庭園」「その他の植物関連施設」とした。
植物園だけを表示したところ。ドイツの植物園の大半は各地の大学の付属施設で、各州の大学都市にはほぼ必ず植物園がある。花のアイコンは庭園タイプの植物園で木のアイコンは樹木園などのパークタイプと一応分けたけれど、厳密ではない。(分けるのが難しいので、、、、)
これはハーブ園マップ。薬草学は中世に修道院で発達した(修道女ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの薬草学が有名)ので、ハーブ園は修道院との関連性が高い。ほぼ全ての修道院がハーブ園を持っていると思われるが、ごく小さいものまで入れると膨大な数になるのでとりあえず主要なハーブ園を反映している。
これはバラ園。いくつかあるが、バート・ナウハイムのバラ園はドイツ最古、ザンガーハウゼンのバラ園は世界最大らしい。どちらもまだ行ったことがないので、行ってみたい。
日本庭園マップ。庭園はまた別のカテゴリーなのでこのマップには含めなかったのだが(お城の庭園などを含めると尋常ではないので)、例外的に日本庭園のみ入れた。まだまだあると思うので見つけたら随時追加していく。ちなみにアイコンが赤くなっているのはうちの近所の日本庭園、「Japanischer Bonsaigarden Ferch」である。田舎にあるこじんまりとした庭園だけれど、本格的で日本茶や和菓子が楽しめる喫茶コーナーもある。桜や紅葉の時期はとても綺麗でまるで日本にいるかのようだ。
「その他の関連施設」には主に植物関連の博物館を反映した。
情報を集めていたらマニアックで面白そうなものがたくさんあって嬉しくなってしまった。私は植物に疎くて、まだ植物関連博物館はほんのいくつかしか行っていない。行ったことがあるのは、エアフルトにあるドイツ最古のサボテン園と、
ベルリンの「ヘンプ博物館」。特定の植物に特化した博物館は面白い。これから少しづつ行ってみようと思う。
「ドイツ植物園・植物関連施設マップ」はこちらのリンクから見られるように設定したので、植物の好きな方、よかったらどうぞ利用してください。
これまでに3つのマップを作成した「まにあっくドイツ観光マップ作りプロジェクト」、まだまだ続けていくつもり。「こんなマップが欲しい」というリクエストがあればTwitterで投げて頂ければ作るかもしれません。また、すでに作ったマップも更新して行くので、「こんなスポットもあるよ」というご指摘も歓迎です。
ベルリンのヘンプ博物館 (Hanf Museum Berlin)で大麻の利用史を知る
ここのところ、「まにあっくドイツ観光マップ」作りにすっかりハマっている。ドイツ全国にある観光スポットのテーマ別マップを作成しようという試みで、これまでに「ドイツ考古学スポットマップ」と「ドイツ自然史博物館マップ」を作った。第三弾として植物園・植物関連施設マップを作成中である。ドイツ全国にある植物園の他、植物に関する博物館や学習施設の情報を集めていたら、ふと以前訪れたベルリンのヘンプ博物館を思い出した。大麻に関する博物館で、この「まにあっくドイツ観光」ブログを始める前に行ったので記事化していなかった。でも、写真とメモはあるので思い出しつつ記事にしておこう。これが、なかなか面白い博物館なのである。
ヘンプ博物館入り口
ヘンプ(大麻)はマリファナなどの違法な嗜好品の原料にもなることからなんとなくタブー視されていて、植物としてのヘンプについて詳しく知っている人はあまりいないのではないか。私もよく知らなかった。ヘンプはその部位ごとに用途が異なる。花は医薬品原料や嗜好品として使われ、種からはオイルが採れる。茎の繊維はテキスタイルや断熱材、建材などに利用できる。産業革命による近代化以前、ヘンプは生活のあらゆる場所で使われていた。ヘンプから採れる繊維は縄や布の原料となり、オイルは食用や石鹸の原料として使われた。
館内に展示されているヘンプの苗
ヘンプを原料とする様々なもの
しかし、近代化にともなって多くの労働力を必要とする大麻の栽培は衰退して行った。また、戦後、学生運動が盛んになると嗜好品としてのマリファナ消費が広がり、その撲滅キャンペーンの流れの中で大麻は産業用も含め全面禁止された。
しかし、1990年代からエコロジカルな建材としてヘンプが再び見直されるようになる。ドイツでは1996年に規制が緩和され、一定の条件のもとで産業用ヘンプの栽培が許可されるようになった。とはいえ、栽培許可が得られるのは専業農家のみで、使用できる種も認証を受けたもの(薬理効果を持つ成分、テトラヒドロカンナビノール、THC濃度が0.2%以下の種類)に限られる。また、栽培が禁じられていた20年ほどの間に栽培技術の継承が途切れてしまったため、ノウハウを持つ農家がいない。ヘンプは丈夫で生育が早く、わりあいどこでも育つのであまり世話は必要ないらしいが、収穫はかなり大変で人手がかなり必要なことや、せっかく収穫しても加工業者がいないなど、ヘンプ栽培に踏み切るために農家が超えなければならないハードルは多いようだ。
ヘンプの食料としての利用
農作物としてヘンプを栽培する際にはもう一つ厄介な問題がある。茎から採れる繊維の質が最高の状態になるのは種が熟する8〜12日前なので、昔は収穫してからしばらく置いておき、種が熟すのを待っていた。しかしそれでは工程が多くて効率が悪い。現代では繊維を利用するか種からオイルを採るかのどちらかに特化しなければ採算が取れない状況である。今後、ヘンプ栽培を拡大していくためには、繊維と種の両方を同時に利用する方法の確率が必要だとのこと。
私がこの博物館を訪れたのは平日の昼間だったが、中学生グループが来ていた。展示を見ながらメモを取っていたので、「学校の課題?」と話しかけると、「はい、そうです」と返事が帰って来た。
展示の前半はヘンプの様々な用途や利用の歴史についてだったが、嗜好品としてのヘンプ消費(つまりマリファナ)についても少なくない情報が提示されている。
大麻文化を描いた絵のギャラリー
水パイプなど
この博物館は別に怪しい博物館ではなく、ヘンプという植物に関する総合的な情報が得られる場所なのだが、大麻の合法化を求めるデモ「Hanfparade」参加者の集いの場にもなっているそうで、博物館内に「合法化しようよ」という空気が漂っていないと言えば嘘になる。ちなみに、ドイツでは医療用は2017年に合法化された。
ミュージアムショップにはいろいろなヘンプグッズが売っている。もちろん、薬理作用を持つTHC成分を含まない合法な商品ばかりだ。
ヘンプに関する書籍もいろいろ
ヘンプコンドーム
せっかく来たから何か買っていこうと、いくつか選んでみた。買ったのはヘンプ茶、ヘンプチョコレート、ヘンプドリンク。(念のためもう一度言うけど、THC成分は入ってないので、摂取してもハイにはなりません)
ヘンプチョコレートは甘さ控えめで独特の食感で美味しい。ヘンプ茶はそれほど美味しくはなかったが、飲めないこともない。しかし、ヘンプドリンクは強烈な味だった!あまりにもまずくて、どうしても飲みきれなかった。