こないだの「ドイツ考古学スポットマップ」に引き続き、同じくGoogle My Mapsで今度は「ドイツ自然史博物館マップ」も作った。

どんな場所にも自然史があるので、自然史博物館は全国にわりあい満遍なくある。自然史博物館の絶対数が少ないのは人口密度が低い地域だ。

マップのコンセプトはほぼ考古学スポットマップ同様。カテゴリーはマップでは総合的な自然史博物館と特定分野に特化した展示を行なっている博物館や地域の自然学習センターの二つ。カテゴリーごとにも表示できる。赤いアイコンのスポットはすでに行ったことがある博物館で、クリックするとブログ記事リンクが表示される。

青いアイコンは私のまだ行ったことのない博物館だけれど、全てのスポットに簡単なコメントを入れた。自然史博物館もそれぞれ特色があり、その博物館でしか見られない展示物もあるので、展示の重点や見所を書き入れている。クラシカルな標本キャビネットが置かれた雰囲気のある博物館からインタラクティブで学際的な展示を行なっている新しい博物館までいろいろあるので、たくさん見ていけば「自然史博物館の歴史」にも触れられて面白いかもしれない。これまでに情報を得られた範囲でどの博物館にどんな恐竜の骨があるかもコメントとして入れた。恐竜についてはこれとは別に恐竜関連スポットに特化したマップも作る予定である。

メジャーな博物館はほぼ網羅している。地方の小さいけれど特色ある良い自然史博物館を発見したら随時アップデイトしていくつもり。

ドイツ自然史博物館マップはこちらからアクセスできます。

 

グーグルマップを眺めるのも好きだが、マップを作るのも好き。Google MyMapsを使ってよく自分用のマップを作成している。

行った場所や行きたい場所をグーグルマップに登録していくのも楽しいが、分野別のマニアックの地図があったら良いのではないかと思いつき、作ってみることにした。どんな分野でもいいのだけれど、とりあえず「まにあっくドイツ観光」の扱う観光分野で特にスポットが多く、全国に散らばっている考古学スポットの地図を作成した。名付けて「ドイツ考古学スポットマップ」。

アイコンのある場所が考古学関連のスポットのある場所。赤っぽいアイコンは行ったことのあるスポット。こうやって見ると、全国の考古学スポットはすごい数!まだ全然行ってないなあ。Google MyMapsでは複数レイヤーを作成してレイヤーごとに表示できるので、「考古学総合博物館」「ローマ関連遺跡・博物館」「リーメス(古代ローマとゲルマンの領土の境界線)」「ケルト・ヴァイキング・ゲルマン・スラブ関連」「エジプト関連」「古代ギリシア関連」「旧人類関連」「野外博物館」「その他の発掘地」にカテゴリー分けした。ローマ関連の野外博物館はどちらのカテゴリーに入れるか迷ったけれど、だいたいは野外博物館の方に分けた。

ローマ関連とリーメス関連だけを表示するとこんな感じ。当たり前だけれど、古代ローマとゲルマン人の領土の教会であるリーメスの南側の古代ローマの領土に集中している。

アイコンは「博物館」「歴史的建物」「鉱山」(← ローマ時代の炭鉱跡がいくつかある)と「ハイキングルート」の4種類を使っている。複数アイコンが使えないようなのが残念。野外博物館もしくはテーマパークのアイコンもあるとよかったのだが、、、。赤っぽいアイコンを押すと、私が書いた記事が表示されるようにリンクを貼った。

Google MyMapsではルート作成もできるのが便利。たとえば、ハノーファーからミュンスターまで行く途中に考古学スポットを拾って行きたければ、こんな感じになる。これは車で行く場合ね。

この地図を作るのに丸一日かかったけど、なかなか良いものになったと思う。観光スポットの情報は分散しているし、リストにまとめても場所をその度に確認しなければならないのは面倒だから、一目で位置関係がわかるのはかなり便利。田舎のごく小さな遺跡はとても網羅しきれないので完全なマップとは言えないけれど、既存の考古学博物館は大部分を登録したつもり。ときどきアップデイトして最適化していく。それにしても恐るべしドイツ考古学の世界!考古学者でも全て見ることは不可能であろう。

マッピング作業はかなり楽しかったので、これからいろんな種類のまにあっく観光マップを作って行こうと考えている。

 

この「ドイツ考古学スポットマップ」は以下のリンクからアクセスできます。

ドイツ考古学スポットマップ

 

 

このブログを見てくださった方からよく聞かれる。

ああいうマニアックな観光スポットをどうやって探しているのですか

メジャーな観光地ならガイドブックやインターネットの観光サイトに載っているけれど、マイナーなところはそもそも情報が少ないので、偶然人に教えてもらったりしなければなかなか見つけられないのでは?と思う人が多いようだ。

私はマイナーな観光スポットを見つけるのが趣味なので、日々、いろんな手段を使って新たなスポットの発掘に取り組んでいる。主にどんなことをしているかについて書いてみることにしよう。

 

グーグルマップの活用

グーグルマップを眺めるのが趣味兼日課で、行ったことのない場所をクリックし、そこに何があるかを見る。画像はポツダムの例。

「In der Nähe (日本語版では「周辺のスポット」)ボタンをクリックして「Museen(博物館)」と入れると、次のように情報が出て来る。

 

州や都市の公式サイトの観光ページや観光協会のサイトをチェック 

エアフルトのサイト

サイトにある情報を読んで面白そうなスポットがあったら、YouTubeで動画がないかを検索する。例えば、エアフルトのサイトにシナゴーグの情報があったので、動画検索してみた。

 

観光パンフレットの収集

ツーリストインフォメーションや各観光スポットに置いてある観光パンフレットの類をあるだけ貰って来る。田舎のマイナーな観光スポットのパンフレットは現地にしかないことが多い。聞いたこともないような小さな町や村にも結構面白いものがある。そういうスポットを発見したときは嬉しい。

まにあっくドイツ観光企画室の床

 

書店で観光ガイドブックをチェック

ドイツにはマニアックな観光ガイドがたくさんある。しかも、どんどん新しいものが出版される。

壁の棚にある本全部、ドイツ国内の観光ガイドブック

 

ミュージアムショップの書籍をチェック

マニアックな情報を得るのにとても重要!ミュージアムショップにはテーマ関連書がたくさん売っていて、類似スポットの情報が載っている。いろんな分野の本を幅広く読むと、行ってみたい観光スポットの種類が増えるので楽しいよ。

化石や岩石の本

 

Wikipediaの観光スポットリストをチェック

Wikipediaには分野別博物館リストがある。完全に網羅しているわけではないけれど、かなり使える。

Wikipedia: Liste deutscher Museen nach Themen

 

各分野の研究会、支援団体、同好会サイトをチェック

テーマごとの専門サイトは詳しい説明を含む観光情報が充実していて、とても有用だ。例えば化石発掘場所なら、こんなサイトをチェックしている。

Steinkern.de

 

人の話に耳をそばだてる

ドイツ人は旅行好きな人が多いので、「バカンスにはどこへ行った?」などと質問し、面白そうな情報はすぐにメモする。ドイツ人相手に限らず誰に対しても旅行好きであることを日頃から公言していると、いろんな人が「こんな場所があるらしいよ」と面白そうな場所を教えてくれる。実際、この「まにあっくドイツ観光」プロジェクトで行った場所の中には「こんな場所があって面白そうだから、行ってきたら?」と勧められて行った場所がいくつもあるのだ。

 

SNSで良い観光情報を流すアカウントをフォロー

集めたいと思う分野の情報を自分から発信すると、それに詳しい人がふぁぼってくれたりRTしてくれたりするので、その人のアカウントを見に行き、面白い情報を発信していたらフォローすると、観光のヒントになる情報が流れて来るようになる。大変便利。

 

こんな感じで情報収集し、行ってみたい場所に片っ端から行き、そこで得た情報をまとめて記事にして発信しているのが当ブログ。ネット時代の今は情報はいくらでもあるとはいえ、外国のマイナーな場所についての情報はやはり現地語によるものが圧倒的だ。ドイツの観光に関しては、ドイツ語が理解できると得られる情報量が膨大になる。英語の情報もたくさんあるけれど、現地語の情報量にはかなわない。日本語限定となると、すごく少なくなってしまう。

なので、ドイツ在住翻訳者としてのスキルを使って、これからもドイツのマニアックな観光情報を日本語で発信していきたいと思うので、記事のRTなどで応援して頂けたらとても嬉しいです!!

 

noteでも「まにあっくドイツ観光裏話」を音声で配信しています。

 

こちらの記事に書いたように、突然、私の心の中に「恐竜」が侵入して来た。恐竜の世界はいかにも奥が深そうで、ハマると大変なことになりそうだという懸念もあるが、少しくらい知っておいて損はないだろう。しかし、恐竜はいかんせん種類が多くてどこから手をつけていいかわからない。とりあえず身近な自然博物館にいる恐竜から見ていくことにしよう。

ということで、ベルリン自然博物館(Museum für Naturkunde Berlin)へGo!

ベルリン自然博物館(別名、フンボルト博物館)はドイツに数多くある自然博物館の中でも特にメジャーなので説明するまでもないかもしれないが、館内中央に有名な「恐竜の間」がある。

廊下から見た恐竜の間。どどーんと頭が廊下にはみ出しているのは、アロサウルス(Allosaurus fragilis)。ベルリン自然史博物館に展示されている数々の恐竜の骨は、ヴェルナー・ヤネンシュ率いるドイツの地質学・古生物学研究者チームが1903年から1913年にかけ、タンザニアのテンダグル化石産地のジュラ紀後期の地層から発掘したものである。この探検では合計250トンもの恐竜の骨が見つかっており、史上最も成功した恐竜発掘とされる。

アロサウルスは平均体重約2トン、前長8.55mの大型肉食竜脚類。ジュラ紀後期最大の捕食者だった。やたらと重そうに見える大きな頭だが、大きさのわりには骨はスカスカで軽い。この大きな口をガバッと開けて獲物を捉え、顎をガシャンと素速く閉めて歯で獲物を刺し殺した。

それに比べて小さくて可愛らしいこちらの恐竜はディサロトサウルス(Dysalotosaurus lettowvorbecki)。体重70kgと、私の夫より軽い。尻尾がもっと短ければ、家で飼ってもそれほど違和感ないかもしれない。ディサロトサウルスの骨は複数の固体のものがまとまって発見されたので、群れを作って生活していたと考えられるそう。

こちらはエラフロサウルス(Elaphrosaurus bambergi)。体重は250kgあったらしいけど、スレンダーな感じ。しかし、ディサロトサウルスと違って肉食である。テンダグル層で発掘された恐竜の化石の中では最も状態が良かった。腿が短くて脛が長い体型から、歩行スピード速かった(30-70km/h)と考えられている。

右のキリンのような骨格の恐竜は、ディプロドクス(Diplodocus carnegli)。体重12トン、体長27メートル。残念ながら、この写真の撮り方は失敗だった。なぜなら、ディプロドクスは長い首だけでなく、長い尾も特徴だから。ものすごく長い首と鞭のような尾が脚の前後にシーソーのようにほぼ水平に伸びた体勢が凄いので、それがわかるように撮るべきだった。それにしても、こんなに長い首、ずっと持ち上げていて疲れなかったのかなあ。ちなみにこの標本は1899年に米国で発掘されたもののコピーである。

じゃーん。こちらがベルリン自然史博物館の目玉、ブラキオサウルス。全身骨格標本では世界最大だそうだ。ブラキオサウルスの特徴は前肢が後肢よりも長く、肩が後ろに向かって傾斜していること。このような骨格のため高い木の上の方の葉っぱをうまく食べることができたそうだが、体重50トンで草食だなんて、生きるのに一体どれだけの量の植物を食べてたんだろう?

ブラキオサウルスの頭蓋骨。クシのような歯をしており、装飾の哺乳類のように葉っぱをムシャムシャ噛むことができなかったので、枝ごと折って丸呑みしていた。胃の中にある石が消化を助けていたという説があるらしい。

こちらの頭がなんとなくロバっぽいのは、ディクラエオサウルス(Dicraeosaurus hansemannni)。低いところの葉っぱを専門に食べていたそうだから、高いところ専門のブラキオサウルスとはうまく共存できていたのだろうか。

ケントロサウルス(Kentrosaurus aethiopicus)。ステゴサウルスの近縁だが、ステゴサウルスよりも小さい。背中の板にはいろいろな役割があり、仲間を識別したり異性にアピールするための道具であった他、空調設備の機能も果たしていたそう。

「恐竜の間」にある大型標本はこれだけ。でも、2015年からベルリン自然史博物館にはなんとティラノサウルス(Tyrannosaurus rex)の標本も展示されているのだ。

別室のティラノサウルス。彼の名はトリスタン・オットー(Tristan Otto)。2012年、米国モンタナ州Hell Creekの白亜紀の地層から発掘された。トリスタンの化石は当初、米国やカナダの各地の博物館にオファーされたが、プレパレーションに膨大なお金がかかることから、引き取り手が見つからなかった。バラバラにいろいろな人の手に渡る危機に瀕していたところを化石コレクター、ニールス・ニールセン氏が一括で買い取り、ベルリン自然史博物館に貸し出している。

ティラノサウルスの化石は世界でこれまでに合計50体発見されている。トリスタンの頭蓋骨は55個のうち50個が見つかっており、最も保存状態が良い。

写真では見えないが下顎の歯根に腫瘍があり、トリスタンは歯痛に悩まされていたらしい。気の毒に。推定年齢は20歳。

後ろから見たトリスタン。

この博物館にはもう何度も来ているけれど、恐竜をじっくり眺めたのは実は今回が初めてだった。良く見ると面白いものだ。こんなことなら、先日訪れたフランクフルトのゼンケンベルク自然博物館でもしっかり恐竜を見ればよかったとやや後悔、、、。ゼンケンベルクではメッセル・ピットから発掘された古生物化石の展示が面白すぎて、そちらに注意が集中していた(そのときの記事はこちら)。

今年ドイツで新しい恐竜に関する本が出版されたので、現在、読んでいる。読み始めたばかりだが、面白い。

Bernhard, Kegel    Ausgestorben , um zu bleiben: Dinosaurier und ihre Nachfahren

ちょうど今、「ジュラシック・ワールド」が上映中なので、週末にでも見に行こうっと。

 

ハルバーシュタットで訪れた3つ目のスポットは、旧市街にあるSchraube-Museum Wohnkultur Jahrtausendwendeだ。Schraubeというのは「ネジ」のこと。でも、この博物館はネジの博物館ではない。ハルバーシュタットの裕福な洗濯屋兼染物屋の娘に生まれたマルガレーテ・シュラウべ(Margarete Schraube)さんの家が家財道具ごと博物館になっている。博物館の中にはシュラウベさんの両親がそこで暮らしていた1900年頃の様子が再現されているという。

博物館は通りに直接面していなくて、この建物の中庭の奥にある。

この建物自体がすでにいい感じ

中庭

大きな木の向こう、右手の赤煉瓦の建物が博物館だ。この中庭はカフェのテラス席になっていて、とても素敵。座ってお茶を飲みたくなったけれど、それは後からにしてまずは展示、展示。

マルガレーテ・シュラウべさんは1980年までこの建物に住んでいたが、お子さんがいなかったため、両親から引き継いだ大切な家財道具をハルバーシュタットに寄付したという。博物館の展示物は全てがシュラウべ家のものだそう。では、中を見てみよう。

マルガレーテ・シュラウべさん。猫がお好きだった様子

寝室

洗面台。洗面器や水瓶、石鹸入れなどが素敵だなあ

おまる椅子

こじんまりした居間

見事な装飾を施したタイルストーブ

ダイニングキッチン

廊下にはいろんな小物が展示されているが、面白かったのはこれらのカード。スープの素に付いていたおまけのカードだそうだ。日本でもお菓子のおまけのカードを集めるのが子どもの間で人気だったりするが、1900年頃のドイツでも似たようなことをしていたようだ。

日本のカードも

応接間

立派なカップボード

屋根裏にはベビー用品が展示されている

洗礼用ドレス

この博物館には詳しい説明やオーディオガイドなどはないけれど、一つ一つの部屋を見るだけでも楽しく、とても気に入った。

そして、展示を見た後は博物館のカフェで休憩!

すごく気に入ったのは、テラス席に座ると、カフェの女主人が注文したものをこんなバスケットに入れてカフェ入り口の台に置いてくれること。手作りケーキ(カスタードとグレープフルーツのケーキで、スポンジがふわふわだった)もすごく美味しかった。

マニアックというわけではないけど、博物館の中もカフェも素敵で思わぬ掘り出し物に満足。

今回でハルバーシュタット編はおしまいです。

ジョン・ケージの「世界で最も長い曲」を聴きにはるばるやって来たハルバーシュタットだったが(前回の記事はこちら)、来てみれば他にもいろいろ見所がありそうな町である。旧市街には木組みの建物が多く残り、博物館もたくさんある。せっかく来たのでもう少し見て行くことにした。あらかじめ情報収集して目星をつけておいたのはMuseum Heineanumだ。

というのも、実は最近、にわかに恐竜に興味が湧いている。きっかけは先日、フランクフルトのゼンケンベルク自然博物館で圧倒的な恐竜の展示を見たことや、ゾルンホーフェンで化石探しをして古生物に惹かれるようになったことにある。それで、図書館からこんな図鑑を借りて来た。

Dorling Kindersley社の古生物図鑑。図鑑が乗っているのは我が家の「拾ったものが入れられる」居間のテーブル

私はDorling Kindersley社の図鑑シリーズが大好きで、これもすごくいい!!感動もの。古生代や中生代の生き物が見たくて借りて来たのだけれど、恐竜もたくさん載っていて、見ているうちになんだか恐竜が面白くなってしまった。私は子どもの頃はそれほど恐竜に興味がなかったので、知っているのはメジャーなティラノサウルス、ステゴサウルス、トリケラトプス、、、、あと何がいたっけ?という超低レベル。恐竜の基礎知識が欲しいなと思い、以下の本を読んでみた。

木村雄一著 大人の恐竜図鑑

土屋健著 大人のための「恐竜学」

おんもしろ〜い!!どちらもオススメ。

 

ハルバーシュタットに話を戻すと、この町は恐竜、プラテオサウルスの骨が大量に見つかったことで有名な町であるらしいのだ。Museum Heineanumという博物館でプラテオサウルスが見られるという。Museum Heineanumは郷土博物館(Städtisches Museum Halberstadt)の敷地にある。

郷土博物館。左に恐竜の置物

郷土博物館とHeineanumへは共通チケットで入館できる。郷土博物館の方は今回はパスしようと思ったけれど、運の良いことにたまたま8月26日まで恐竜展「Plateosaurus, Mammut & Co.」をやっているので見ることにした。

プラテオサウルスは三畳紀後半、ヨーロッパの森や湿地にに広く棲息していた竜盤類の恐竜で、最も最初に発見された恐竜の1つ。草食だが、小型の肉食恐竜から進化したとされる。

プラテオザウルスは50体以上もの骨格が丸ごと発掘されていることから、研究が良く進んでいる恐竜だそうだ。その大部分はドイツで発見されている。(写真のものは複製)

坐骨と尾椎の一部

左から、坐骨、脛骨、大腿骨

 

郷土博物館の特別展示を見た後は、一旦建物を出てすぐ側のHeineanumへ。Heineanumは基本的には鳥類博物館で充実した鳥類の剥製コレクションがあるので有名だそうだが、全部見ている時間がなかったので、今回は恐竜だけを見た。

プラテオサウルスは四足歩行だったのか二足歩行だったのか、長いこと議論されていた。最近の研究から、「基本的には四足歩行だったが、二足歩行もできた」とみなされている。

足の指と爪(左)と手の指と爪(右)

これは1899年にハルバーシュタットで発掘されたEurycleidus arucuatus。凄いね。でもこれは、大型の海棲爬虫類で、恐竜ではないそうだ。

恐竜の他にも重要な古生物として、長らく鳥の先祖だと思われていた祖始鳥(アーケオプテリクス)がある。祖始鳥の化石が初めて発見されたのは1860年で、南ドイツのゾーレンホーフェンのジュラ紀の地層から羽が見つかった。その後、周辺の地層から12の骨の化石が発見されている。

そういえば祖始鳥の標本はベルリンの自然史博物館で見られるんだった。前に写真を撮ったつもりだけれど探せなくなってしまったので、今度ベルリンの自然史博物館へ行ったらもう一度撮って来てここに追加しておきます。

さて、ハルバーシュタットで恐竜学へのささやかな一歩は踏み出せた。今後、他の自然史博物館へ行ったら、恐竜がないか探して、少しづついろんな恐竜のことを知りたいな。

 

 

前回の記事に書いたように昨日はニーダーザクセン州とザクセン=アンハルト州の州境にある考古学博物館を訪れたが、せっかくはるばるブランデンブルク州から来たからには、寄って行きたい町が近くにあった。それはハルバーシュタット(Halberstadt)。聞き慣れない町だが、その町の廃教会で特殊なコンサートが行われていると先日、人に教えてもらった。それ以来、その教会が気になっていたのだ。

コンサートというのは、1992年に亡くなった米国の実験音楽家、ジョン・ケージ作曲のオルガン曲、Organ2/ASLSP (As slow as possible)の演奏会である。元々はピアノ曲だったものだが、1987年にオルガン用に編曲された。「できるだけゆっくりと」と名付けられたその曲の演奏時間は演奏者の解釈に委ねられている。フランス、メッツでの初演時には29分14秒かけて演奏された。

しかし、「できるだけゆっくり」とは、どのくらいゆっくりを意味するのだろうか?ケージが亡くなってから5年後の1997年にドイツのTossingenで開催されたオルガン・シンポジウムで、ASLSPはどこまでゆっくり演奏され得るかという問いが提示された。オルガン演奏家、音楽学研究者、オルガン技術者、哲学者、神学者たちが共に議論し、その結果、ASLSPは理論上は永久に演奏することができるという結論が導き出されたという。少なくともオルガンの寿命が尽きるまでは。そして、次世代に平和と創造性が受け継がれる限りにおいて。

そうして始まったのがジョン・ケージ・オルガン芸術プロジェクト(John-Cage-Orgel-Kunst-Projekt)である。ハルバーシュタットの廃教会、ブルヒャルト教会で2000年から639年間かけてこの現代オルガン曲が演奏されることになった。凄い話だ。639年という長さはどこから出てきたのかというと、ブルヒャルト教会で最初にオルガンが奏でられたのが1361年のことで、ジョン・ケージ・プロジェクトの開始年がその639年後の2000年だから、639年間かけて演奏することにしましょうと決まったらしい。

なんとも奇妙な(というか芸術の極み?)プロジェクトである。なんだかよくわからないものの、興味をそそられる。ましてや演奏場が11世紀に建てられた廃教会だときては、訪れてみたくもなるよね。
 

 

ブルヒャルト教会のある敷地に到着。

中世感が漂っている

ドアを開けて敷地の内側に入ると左手にロマネスク様式のブルヒャルト教会が建っている。建設は1050年頃。宗教戦争の際に一部が破壊され、その後修復されたが、ずっと教会以外の用途に使われていたとのこと。ドアの前に立つと中からかすかにオルガンの音が聞こえたのでなぜか緊張してしまった。ドキドキしながら取手に手をかけると、鍵がかかっていた。隣の事務所の建物まで行って、係の人にドアを開けてもらい、中に入る。

教会内部。薄暗くひんやりした教会の中でオルガンが鳴っている。ずっと同じ音だ。1つの音から次の音に移るのに何年も要するのだ。最後に音が変わったのは2013年10月5日。以来、楽譜の14番目の音が静かに鳴り続いている。

凄い雰囲気、、、、。

これがASLSPを奏でているオルガン。反対側の側廊にはふいごが置かれている。639年間自動演奏する楽器というのもびっくりだ。

動画を撮ろうと思ったら、こういうときに限って携帯が死んでいた、、、(エーン)。どんな音か知りたい方は以下のサイトの音源をどうぞ。

Aktueller Klang

コンサートを聞きにここまで来ても同じ音がずっと鳴っているだけなので、全体としてどんな曲なのかを掴むことはできない。

楽譜

YouTubeにはいろんな演奏家の演奏がアップされているので、短めのものを聴けば少しは全体像がつかめるかもしれない。2013年の音変更の際には大勢の人が教会を訪れ、その瞬間を見守った。以下の動画でその様子が見られる。

 

次の音変更は2020年9月5日だって!!!

いやー、なんかあまりに凄くて何と言ったらいいのかわからないのだけど、とにかく強烈にマニアックなのであった。

 

日の長い夏の間にできるだけ頻繁に遠出したい。今週はニーダーザクセン州シェーニンゲン郊外にある考古学博物館、Forschungsmuseum Schöningenへ行くことにした。Paläonは2013年にオープンしたばかりの博物館で、下の地図を見ればわかるように相当な田舎にある。シェーニンゲン褐炭採掘場のすぐ側だ。なぜそんな場所に博物館が建設されたのかというと、ありがちな話なのだが、掘っていたら考古学的にすごいものが出て来てしまったから。シェーニンゲン褐炭採掘場からは1994年〜現在までに、約30万年前のものとみられる木製の槍が全部で8本、完全な形のまま出土されている。なんと、これまでに発見された槍の中で最古のものらしい。

博物館の周辺には褐炭採掘場以外は何もなく、私のカーナビにPaläonは登録されていなかった。たどり着くのがなかなか大変だったが、どうにか見つけることができた。

外観の写真を撮り忘れたので、Wikipediaよりお借りします。

Foto: de.Wikipedia.org

入館料は12ユーロ。先日行ったハレの州立先史博物館が5ユーロだったことを考えると、ちょっと高いな〜。

吹き抜けのフロアから階段を上がると最上階が常設展示室だ。壁一面の地球の歴史を表すパネルは美的かつ迫力があって良い感じ。地球は常に変化しているのだということが感覚的にわかる。

このパネル以外の展示は旧石器時代に的を絞っており、大半は動物の骨や人骨だった。いくつか例を挙げると、

ゾウの足の比較。左は古代のゾウ(Palaeoloxodon antiquus)、右は現在のインド象のもの。

ザクセン州南部で見つかった古代のサイ(Stephanorhinus hemitoechus)の頭蓋骨。

しかし、全体的に説明が少なめで、説明を読むのが好きな私にはやや残念。

窓からシェーニンゲン採掘場が見える。ここから見えるのは一部だけだが、かなり規模の多い採掘場である。

この博物館のハイライト、シェーニンゲンの槍は常設展示の奥にあった。

これらが現存する世界最古の槍、シェーニンゲンの槍だ (全部で8本見つかっているうちの5本)。30万年前もの人類の道具がほぼ無傷で出て来たというので、大いに注目されたそうだ。といっても、それを知らないとただの木の棒で、それほどのインパクトはないかもしれない(写真もうまく撮れなくて、、、)。でも、30万年も前にニーダーザクセンに住んでいたホモ・ハイデルベルゲンシス(homo Heidelbergensis)が狩猟に使った道具ということだから、やっぱりすごいよね。

シェーニンゲンからは槍の他にも、肉の塊を突き刺すのに使ったと思われる串やその他の木製の道具、石器など多くが見つかっている。

クリップのような道具

そしてさらに、木槍で仕留めた獲物と思われる動物の骨が1万2000 体も出て来たのだ。それらの骨の分析により、このあたりでホモ・ハイデルベルゲンシスがどんな食生活をしていたのかが明らかになった。掘り出された骨の9割は馬( Equus mosbachensis) の骨である。

馬は栄養価が高く、柔らかい脂肪もたっぷり含んでいるので子どもに食べさせるのにも適していたらしい。

これらの骨には道具を使って叩き割った跡が残っている。骨髄の中の脂を取り出した形跡だ。

 

さて、Paläonは一般人向けの展示を行なっているだけでなく、同時に研究博物館でもある。

研究ラボがガラス張りになっていて、考古学者の作業を見学することができる。この日は中に誰もいなかったが、窓の外側に取り付けられたディスプレイで作業ビデオを見た。将来、考古学者になりたい中高生にもいいんじゃないかな。

 

研究ラボの隣には入館者用のラボもある。

ここでハンズオン体験ができる。

ボックスや引き出しの中にはいろんなものが入っていて、手に取って観察したり、PCの指示に従いながら分析したりできて面白い。学校の自由研究をここでするというのも楽しいかもね。

左下はネアンデルタール人の下顎。右のホモ・サピエンスと比べて頑丈そう

この博物館は研究者らのカンファレンスを行うなど、学術交流の場としても活用されている。

博物館の外には体験スペースもあって、槍を投げたり火を起こしたりなど、石器時代体験ができる。小学生のグループが熱中していた。私はすでにフォーゲルヘルト考古学パークで体験済みなので、今回はパスした。

考古学的にかなり重要なものが見られる博物館なのだけれど、発掘物のビジュアルインパクトが小さく、アクセスが良くないし、しかも入館料12ユーロと割高なので、来館者を多く集めるのはちょっと厳しいのではないかと思った。もうひと工夫欲しいところだ。でも、まだ開館して数年の新しい博物館なので今後に期待しよう。

 

PaläonのYouTube動画はこちら。

 

 

前記事ではハレの州立先史博物館について記録した。ハレで次に向かったのはBeatles Museumである。まにあっくドイツ観光ブログでは過去にドイツにあるローリング・ストーンズマニアのためのミュージアムを紹介した。 ↓

こんなところにこんなものが?Lüchowのストーンズ・ファン・ミュージアム

ストーンズのミュージアムへ行ったなら、当然ビートルズのミュージアムへも行かなければならないね。そうでなければ片手落ちである。しかし、一体なぜハレにビートルズ・ミュージアムが?彼らは確かにドイツで下積みをしていたことがあったが、それはハンブルクだった。ハンブルグには「ビートルマニア」というミュージアムが存在したが、2012年に閉鎖されている。それとは別にケルンにあったもう1つのビートルズ・ミュージアムのコレクションが増えて手狭になり、新しい場所としてたまたま白羽の矢が当たったのがハレだったということらしい。2000年、ハレの中心部に再オープンした。

私は中学生の頃にビートルズを聴き始め、東芝EMIが出していたLPはほぼ全部持っていた。ドイツにまでは持って来られなかったので、現在は弟の所有になってしまっているが。であるから、ビートルズ・ファンを名乗っても差し支えないだろう。しかし、私の本業はウィングス・ファンである。ここで敢えて名言しておく。

これがビートルズ・ミュージアムの建物。

中庭に面した入り口

中に入ってすぐのフロアはショップになっている。ミュージアムは3階建てで結構広い。入り口で館内案内の紙がもらえる。日本語もあるよ!

内部は文字通り、ビートルズ関連グッズや写真、メディアの切り抜きなどで埋め尽くされている。どこに注目するかはファン一人一人違うことと思うので何を紹介したらいいのかよくわからない。そこで今回は野暮な解説は省略して、写真でどんな雰囲気かを伝えられたらと思う。

展示はハンブルク時代から始まっている。これは1962年のスタークラブでのライブの様子かな。

ビートルズのレコードというと、私はアップル版しか知らないのだが、これらはオデオン版シングル。

こっちは旧東ドイツ国営レーベル「アミーガ」が出していたシングル。

 

当然ながら館内はずっとビートルズの曲が流れている。60年代の家の中を再現したコーナーではテレビにライブ映像が映っていた。

いろんなビートルズ・グッズが展示してあった。ビートルズ・ストッキングやビートルズ・パンツ(下着の)まである。そうか、ビートルズって現役の頃はアイドルだったんだね。私が聴き始めた頃にはすでにグループは解散していたし、アルバムも時系列で聴いたわけではなかったから、ビートルズをアイドルをアイドルグループだと思ったことがなかったな。

西ドイツのサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ宣伝コースター

いろいろある中で面白かったのはビートルズ切手のコーナー。ビートルズってアフリカ諸国でも切手になっていたんだね。

ザイールのビートルズ切手

ガーナ

ブルキナ・ファソ

チャド

イエロー・サブマリンのグッズコーナー。アニメ映像も流していた。

東ドイツ製イエロー・サブマリン冷蔵庫。ええーー?

うーん。あんまり似てない気が、、、。ストーンズ人形と比べてみよう。

こっちの方がいい感じでは?

テーマは変わって、リンダ・マッカートニーがプロデュースしたベジタリアンフードのパッケージ。

 

ジョンのリトグラフ。そういえばジョンは美大出身だったね。エロチックなリトグラフも描いていたようでいくつか展示されていた。写真をここに上げたら不適切なコンテンツ扱いになるかもしれないのでやめておこう。

「ジョン・レノン」ブランドのベビーグッズ。ジョンが息子ショーンのために描いたイラストを元にヨーコが商品化したもの。

ビデオルーム。ティーンエイジャーでびっしり。2018年現在もなお、若者をこんなに惹きつけるのだからすごいね。

このイラストはかわいい

全体的にジョンとポールに関する展示物が多かった。ジョージとリンゴ関連もちょっとは載せておこう。

 

ミュージアムにはカフェもある。レコード風のテーブルが楽しい。

ビートルズ・ミュージアムは近々さらに拡張される予定だ。定期マガジン「Things」を発行している他、オンラインショップで商品の販売も行なっている。ファンの人には何かお宝が見つかるかも。

 

ハレにある州立先史博物館 (Landesmuseum für Vorgeschichte)へようやく行って来た。ここへはかねてからどうしても行きたいと思っていたのだ。ネブラ・ディスク (Himmelsscheibe von Nebra)を見るために。

ネブラ・ディスクとは、1999年にドイツ、ザクセン・アンハルト州ネブラで発見された世界最古の天文盤である。2017年3月にネブラの出土地及びビジターセンターを訪れたが、ビジターセンターに展示されていたネブラ・ディスクはレプリカだった。オリジナルはハレの州立先史博物館にあると知り、いつか見に行きたいと思っていたのだ。

ネブラ・ディスクに関する記事はこちら。↓

世界最古の天文盤、ネブラ・ディスクの出土地を訪れる

これが州立先史博物館。いい味を醸し出している。きっと良い博物館に違いない!入館料は大人5ユーロと割安。しかも、ハレの博物館は1箇所で入館料を払うと他の10の博物館には半額で入れるとのことである。なんとお得な!

この先史博物館には、ドイツ中央部で発掘された旧石器時代からローマ帝国時代までの出土品が展示されている。ネブラ・ディスクが見たいということしか頭になかったのだが、展示を見て初めてザクセン・アンハルト州が考古学的重要度の非常に高い地域であるらしいことに気づいた。

これはチューリンゲン州Bilzingslebenで発掘された約37万年前のホモ・エレクトスの集落跡の一部。ホモ・エレクトスの集落跡は欧州全体で他に6つしかない。

ホモ・エレクトスが動物の骨を加工して作った道具。

ホモ・エレクトスが火を使っていたことがわかる木炭。

サイの下顎。すごい!

これまた状態の良いアナグマの足の指の骨。

 

こちらは石器を一列に展示した壁。

石器は考古学・先史博物館ならどこでも展示されていて、なんとなくどれも似たように見えていたのだけれど、よく見ると実に様々なタイプがあるものだ。出土地によって石の種類が違うのはもちろん、カットも様々である。

 

美しいハンドアックス

これなんか持ちやすそう

スマートなデザインがおしゃれ

詳しい説明はなかったが、石器の種類について知りたくなった。

 

新石器時代にはドイツ中央部では線帯文土器文化が発達した。模様だけでなく、色といい形といい、なかなか素敵である。

ブランデンブルク門っぽい模様

下が丸いタイプはどのように使ったのだろう?

 

考古学系の博物館では埋葬文化の展示がつきものだが、この州立先史博物館では埋葬文化にかなりのウェイトが置かれている。

これはWesterhausenで発掘された球状アンフォラ文化時代のお墓。左の四角い囲みは個人の墓で右側に埋まっているのは数頭の牛。

新石器時代初期のヨーロッパでは膝を曲げた形で死者を埋葬するのが一般的だった。地域によって遺体を埋める方向が異なっていた。中央ドイツでは性別に関係なく、頭を南、顔を東に向けて埋葬した。その他の地域では男女で反対向き、または体の反対の側を下にして埋めたらしい。

ここからかなり衝撃的な話になるのだが、2005年、ナウムブルク近郊のオイラウ(Eulau)で約4600年前の墓地が発見された。それぞれの墓には家族が数人ずつ一緒に埋葬されていた。死者ほぼ全ての頭蓋骨に重度の損傷が見られることから、集団殺戮の犠牲となったと考えられている

両親と子供達の墓

このように埋葬されたと見なされる

こちらの墓では3人の子供のうち、一人は母親に抱かれるように埋葬され、後の二人には母は背を向けている。DNA鑑別の結果、二人の子どもは母親と血の繋がりがないことが判明した。つまり、女性は彼らにとって継母なのであった。

 

次は石器時代の部屋へ。

芸術的な燧石のダガー

 

さあさあ、青銅器時代といえば、ネブラ・ディスクである。ついにネブラ・ディスクの本物にお目にかかるときがやって来た。

この入口の向こうがネブラ・ディスクの展示室である。

じゃーん!

と言いたいところだが、残念ながら写真撮影は禁止だった。でも、部屋の中は私一人だけで、ガラス越しに見るディスクの美しさにとても感動した。わざわざ来た甲斐があったなあ、としみじみ。

この博物館も私のお気に入り博物館に追加しよう。考古学がますます魅力的に感じられてしょうがない。

 

 

前回のまにあっくドイツ観光では、フランクフルトのゼンケンベルク自然博物館でメッセル・ピット化石地域で発掘された化石の数々を堪能した。

化石って面白いよね!ということで、今回は自分で化石を探してみることにした。実は過去に2度、化石集めをしたことがあった。1度目はデンマーク、モン島の海岸でベレムナイトの化石を拾い集めた。2度目は南イングランドのジュラシック・コーストで化石探し。どちらも楽しかったが、ガイドツアーには参加せずただ個人的に探しただけだったので、今回はもうちょっと本格的にやってみたいなあと思い、夫と共に化石ハントの週末エクスカーションに申し込んだ。(エクスカーション提供は、Geo Infotainment

化石探しができる場所はドイツにたくさんある。今回参加したのは、北バイエルン地方アルトミュール渓谷(Altmühltal)での二日間のエクスカーションだ。アルトミュール渓谷は日本では「ゾルンホーフェン」という呼び方の方が知られているかもしれない。ゾルンホーフェンはアルトミュール渓谷にある小さな地域の名で、その一帯からはジュラ紀の化石を多く含む「ゾルンホーフェン石灰岩」が産出される

ゾルンホーフェン石灰岩は古代ローマの時代から浴場の壁や床材、彫刻や暮石用の石として使われていた。19世紀にはリトグラフ(石版印刷)に盛んに使われた。現在は主にタイルに加工され、建材として世界中へ輸出されている。こうしたことからアルトミュール渓谷には石灰岩の採石場が多くあり、絶好の化石ハンティングスポットが集中しているというわけ。

 

さて、エクスカーションの一日目はMörnsheimにある観光採石場 (Fossilien Besuchersteinbruch Mühlheim)へ連れて行ってもらった。入園料を払えば誰でも化石探しができる。見つけた化石は持ち帰りOK 。ただし、万一、恐竜を発見した場合には園外に持ち出しませんという書類にサインさせられた。(笑)

Mörnsheimの地層はジュラ紀後期のチトン期の地層で、石版石灰岩(Plattenkalk)が重なっている。

こういう板状の石灰岩を一枚一枚剥がして、間に化石が挟まっていないかどうかをチェックするのだ。

小型のハンマーで塊の側面を叩くと隙間ができるので、隙間に道具を差し込んでパカッと開く。

小さいアンモナイト!アンモナイトは中生代の示準化石なので、たくさん見つかるよ。

今度は大きいのが見つかった!

化石は特に地層中のSchiwammschichten (sponge beds)とRosa Schichten (pink beds)という部分に集中している。前者はカイメンの層ことで、貝やウニ、腕足類(Brachiopoda)や植物などの化石が多く埋まっている。後者の層は鉄分を多く含むため赤っぽい色をしていてわかりやすい。主にコッコリソフォリッドという原生生物の死骸が堆積してできたものだそうだ。この層からはアンモナイトや魚、爬虫類などの化石がよく見つかる。

でも、初心者がアンモナイト以外のものを見つけるのはなかなか難しい。一枚一枚割って中を見て、何もなくてガッカリの繰り返し。

あれっ、これは?海藻か何か?と思ってガイドさんに聞いてみたら、これはマンガンなどが結晶化したデンドライトと呼ばれるもので、よく化石と間違えられるが好物だとのこと。なあんだ。でも、綺麗だよね?

残念ながら一日目はそれほど収穫がなかったが、石版石灰岩を剥がすのは初めての体験だったので楽しかった。

売店にはいろんな化石が売っていた。

 

二日目は贅沢にも3箇所の採石場を回った。一日目と違い、観光採石場ではなく、産業用の採石場で、通常は一般人は入れない。Geo Infotainmentが入場許可を取ってくれていた。

すごく広い採石場。ここの岩はMörnsheimのような石版石灰岩ではなく、ブロック状の礁性石灰岩で、簡単に割ったり剥がしたりできない。大きなハンマーで塊を叩いて割らなければならないのだ。

このような力仕事は非力の私には到底無理、、、、。ということで、夫と分業することに。視力の良い私が岩の間を歩き回って化石の入っていそうな石を見つけ、「ここになんかあるよ!」と叫ぶと夫がハンマーを持ってきて石を割る。

一見、乾燥して見えるけれど、前日の夕方に雨が降ったので、地面はすごくぬかるんでいて大変だった。履いていた靴はドロドロに。化石探しはとても楽しいけれど、汚れたくない人、日焼けしたくない人にはおすすめしないわ。

ベレムナイトだ!でも、これを取り出すのは至難の技。

割れちゃったので、アンモナイトのパズルになった。

わざわざ石を割ったりしなくても拾える化石もある。ウニはいたるところに落ちていた。トゲのないタイプがほとんど。

2箇所目の写真を撮り忘れた。ここは3箇所目。

石の表面にベレムナイトやアンモナイトが乗っていて、簡単に剥がせる!

二日目は朝9時にホテルを出発して夕方の4時まで、みんなお昼ご飯も食べずに黙々と作業していた。私と夫は完全な初心者だったけど、他の参加者は化石ハンター歴が長い人も多かった。ガイドさんとその奥さんなどはGPSデータ付きの化石ガイドブックの情報を手がかりにヨーロッパ中、化石ハントをしているそうで、休暇は化石のあるところにしか行かないと言っていた。マニアックだなあ。

 

家に帰って戦利品を広げる。

アンモナイトはたくさん採れたけれど、アンモナイトは種類がたくさんあるから、どれが何なのかわからない。これらは採ってきたままの状態で、プロはこの後、プレパレーションという清掃・補修作業をするらしい。Geo Infotainmentではプレパレーションのワークショップにも参加できる。

これはなかなか良くない?アンモナイトの内部に結晶ができている。

ベレムナイトは取り出しにくいか、落ちているものはボキボキ折れてしまっているのがほとんどだった。バルト海海岸で拾う方が簡単だ。

でも、綺麗な断面を見つけた。

これはウニ達。ボタンみたいで可愛い。

これらは貝かと思ったら、腕足類だと他の参加者が教えてくれた。

 

初の本格的(?)化石ハントはこんな感じで、まあ、まずまずの成果だったのかな。今回エクスカーションに参加してみて、ガイドさんの説明を聞いたりアドバイスしてもらったのがとても良かったし、趣味の集まりというのも情報交換できて楽しいものだなと感じた。南ドイツにはアルトミュール渓谷だけでも化石探しのできる場所がたくさんあり、その他の地域も含めると相当多くのスポットがあるようだ。今回は大人向けのエクスカーションだったが、小学生の女の子も一人参加していた。ファミリー向けの化石スポットもあるので、子どもづれのお出かけにも良いと思う。もちろん、自分で化石を探さなくても、化石博物館もたくさんあって、見るだけでも楽しい。

 

2025年9月追記:

8年ぶりにアルトミュールタールに行って、再び化石ハンティングをした。今回は良い化石を見つけることができた。

フランクフルトへ行って来た。15年ほど前まで近郊にしばらく住んでいたことがあり、私にとって馴染みのある町だ。大きな町で外国人も多い。しかし、フランクフルトはそれほど人気の高い観光地ではない。というのも、近代的な高層ビルの建ち並ぶフランクフルト中心部の街並みはあまりドイツらしくないのである。国際空港があるのでアクセスは便利だけれど、フランクフルトをじっくり観光する旅行者は少ないかもしれない。

私もフランクフルトは嫌いではないが、正直なところ、それほど魅力を感じていたわけではなかった。先日、風邪を引くまでは。

風邪で体がだるかったのでソファーでごろごろしながらネットでドキュメンタリー番組を見てやり過ごした。現在のドイツの国土が46億年の地球の歴史の中でどのように形成され、変化して来たかという内容の地質学史ドキュメンタリーで、とても面白かったのだ。

フランクフルトを例に取ると、現在フランクフルトのある場所は3億2000万年前は高い山の上だった。それが2億5000万年前には広大な砂漠の中心となり、 1億8000万年前には海の底に沈み、5000万年前には熱帯雨林が一帯に広がり、2万5000年前には氷河で覆われ、そして2000年前には深い森となった。現在はモダンな国際都市である。様々な環境を経て今の姿があるんだなあと感心してしまった。まあ、考えてみれば当たり前のことなのだけれど、摩天楼がシンボルのフランクフルトを恐竜が走り回っていたこともあったと想像すると、なんだか不思議な気がする。そういえば、フランクフルトのゼンケンベルク自然博物館(Senckenberg)には大きな恐竜の骨がたくさん展示されていたなあと思い出した。それで、久しぶりにまたゼンケンベルク自然博物館へ行きたくなったというわけである。

ゼンケンベルク博物館は地質、植物、動物、人類、古生物など自然史を広範囲に網羅する総合博物館で、ドイツに数多くある自然史博物館の中でも最大規模を誇る。有名な博物館で日本語の情報も多数あるから全体的な説明は省き、ここでは私が特に見たかった古生物学の展示を紹介することにしよう。

まずはゼンケンベルク自然博物館のハイライト、恐竜の間へ。ここの恐竜コレクションはドイツ国内最大だ。

通路には世界各地で見つかった恐竜の足跡が展示されている。これはイグアノドンの足跡。(ボリビア、白亜紀後期)

ブラキオザウルス(スイス、ジュラ紀後期)の足跡。

恐竜の間には、竜脚類(Sauropodomorpha)、獣脚類(Theropoda)、装盾亜目(Thyreophora)、鳥脚類(Ornithopoda)、角竜類(Marginocephalia)の5種に属する恐竜の骨が展示されている。

言わずと知れたティラノザウルス(獣脚類、米国)。

トリケラトプス(角竜類、米国)。

モンゴルで発見された恐竜の卵。他国で発見されたものばかり紹介してしまっているが、ドイツにも恐竜は存在した。ドイツの恐竜について知りたい方は、こちらをどうぞ。(ドイツ語)

恐竜だけでなく、他にも象目やクジラなどの大型生物の骨がたくさんで見応えがある。

象目の進化と移動に関する説明も面白かった。

ところで最近私は化石に興味があって、いろんな博物館で化石を眺めているのだが、ゼンケンベルク博物館の化石コレクションもとても面白い。

イチョウの化石。ヨーロッパ人は17世紀の終わりまでイチョウという植物の存在を知らなかった。日本を訪れた博物学者、Engelbert Kaempferが1691年に発表した書物「日本誌」に紹介されたのが初めてだそうだ。その後、日本からもたらされたイチョウはヨーロッパで非常に珍重され、文豪ゲーテに愛されたことでも有名だ。しかし、実はイチョウはドイツにも生息していたのだ、約2億5000万年前に。ヨーロッパではとうの昔に絶滅してしまったため、イチョウは「生きた化石」と呼ばれる。このように「ヨーロッパでは絶滅したが、アジアやアメリカ大陸では今も生息している」植物は他にも多くある。というのは、ドイツを含めたヨーロッパもかつては熱帯・亜熱帯の環境を経験したが、氷河期に暖かい環境を求めて南に移動しようとした植物の多くがアルプスやピレネーを超えられず、またヨーロッパとアフリカを隔てる海を渡ることができずに絶滅してしまった。だから、現在のヨーロッパの植生はアジアやアメリカなどに比べて種類に乏しい。しかし、ヨーロッパでは冷涼な現在の気候からはかけ離れた、暖かい環境に特有な生物の化石がたくさん見つかる。

そしてなんと、とここからがこの記事の本題なのだが、フランクフルト近郊には世界有数の化石の宝庫、メッセル採掘場(Grube Messel)がある。メッセル採掘場はフランクフルトから南に20km、ダルムシュタットの北8kmの場所に位置する火口湖で、湖の底にはオイルシェールが埋蔵する。かつてここではオイルシェールの採掘が行われていた。採掘事業が廃止された後、湖を産業廃棄物の処理場にする計画があったが、地質学的な重要性が高い場所であることを理由に反対運動が起こり、ゴミ捨て場計画は中止された。そして1995年、メッセル採掘場はドイツ初のユネスコ世界自然遺産に登録された。ゼンケンベルク自然博物館にはメッセル採掘場に関する展示室があり、発掘された多くの化石が展示されている。

メッセル採掘場で発掘された化石の数々。植物から昆虫、魚、両生類、爬虫類、哺乳類とあらゆる種類の生物がほぼ丸ごとの姿で発掘されていて、目を見張るばかりである。

ウマの祖先、プロパラオテリウム。

アリクイ。他にもワニやオポッサムなど、現在は南半球でしか見られない生き物の化石も数多く見つかっている。画像を数枚しか紹介できないのが残念。(本当にすごいので、是非、こちらを見てみてください。)

ドイツには化石の採れる場所がたくさんあるらしいとは気づいていたが、こんな素晴らしい場所があるとは今まで知らなかった。フランクフルト近郊に5年も住んでいたのに、、、。メッセル採掘場へ是非とも行きたくなった(情報はこちら)。

ますますドイツの地質学が面白く感じられて来た。6月には化石掘りワークショップに申し込んだので、とても楽しみ!

(2023.1.17追記) 

この記事を書いてから約4年半後、とうとうメッセル採掘場へ行って来た。

ビジターセンター

メッセル採掘場はグローバルジオパーク、ベルクシュトラーセ・オーデンヴァルトの真ん中に位置している。このあたりは現在、花崗岩質の緩やかな丘陵地帯だ。およそ4800万年前、火山の噴火によって、ここメッセルにマール湖と呼ばれる火山湖が形成された。長い年月の間にさまざまな生き物の死骸が湖の底に沈み、それが化石になったのである。メッセルではこれまでに始新世(約5,600万年前から約3,390万年前まで)の良好な化石が1万点以上も見つかっており、現在も年間3000点ほどがあらたに発掘されているという。

ちなみにマール湖の「マール」というのはドイツ語のMaarがそのまま地質学用語になったもので、ドイツにはマール湖がたくさんある。特にアイフェル地方はマール湖が豊富だ。まるでレンズのような美しい姿に魅せられてマール湖めぐりをしたことがある。そのときの記録はこちら

 

さて、ガイドツアーに参加して、採掘場の敷地を見学することにしよう。

Grube Messelと呼ばれるかつてのオイルシェールの採掘場

ついにやって来たメッセル採掘場。12月だったので寒々としていて、雪もちらちら降っていた。始新世にはこのあたりはサルが飛び交い、ワニが泳ぐ亜熱帯気候だったなんて、とても信じられない。ふと、コスタリカで見た火山湖の景色が頭に浮かぶ。

熱帯コスタリカの火山湖

メッセルもかつてはこんな景色だったのかな。

メッセルのオイルシェールの地層から発掘された化石のサンプルをいろいろ見せてもらう。

特に多いのは魚の化石

オイルシェールは脆く崩れやすいので、化石は樹脂で固めて保存する方法も取られるようになった。オイルシェールの地層がどのようにつくられ、そこでどのように化石が形成されていくのかについてはこの過去記事に書いたので、ここでは割愛しよう。

カメの甲羅化石

メッセルでは後尾中のカメの化石も見つかっている。メッセル採掘場で発掘された化石はメッセル化石・郷土博物館、フランクフルトのゼンケンベルク博物館やダルムシュタットのヘッセン州立博物館をはじめとする多くの博物館に分散所蔵されている。そのうち全部見て回れるといいなあ。

 

 

このところドタバタと忙しく、ちょっと時間が経ってしまったが、まにあっくドイツ観光ラインラント編の続き。

三日目はケルンから南西に35kmのツュルピッヒ(Zülpich)へ行った。目的はローマ浴場の遺跡と、そこに作られた入浴文化博物館(Museum der Badekultur)だ。

ツュルピッヒは古代にはTolbiacumと呼ばれる村で、複数の街道が交差する場所にあった。2世紀にここに浴場が建設され、拡張されながら4世紀の終わりまで存続したらしい。およそ400m平米の広さのこの遺跡は1929年に初めて発掘され、90年代に本格調査が行われた後、2008年ミュージアムとして公開された。

Römerthemen Zülpich – Museum der Badekultur

この辺りは 紀元85年から約500年間、ゲルマニア・インフェリオル(Germania inferior)と呼ばれる古代ローマの属州だった(地図の濃い色の部分)。州都は、コロニア・アグリッピネンシス 、現在のケルン。そこに下のモデルのような浴場施設が存在していたのだ。

古代ローマ人はギリシアから浴場建築を取り入れ、少しづつ改良しながら独自の入浴文化を作り上げていった。紀元前100年頃のギリシアの浴場にはすでに床暖房技術があったが、ローマ人がそれを完成させたそうである。

これがツュルピッヒのローマ浴場の実物。

小さな平たいレンガが積み上げてある。床下で床板を支えていたもので、これらのレンガの柱の間を温められた空気が移動していた。

床板の残っている部分。

浴室にはカルダリウム(高温浴室)、テピダリウム(微温浴室)、フリギダリウム(冷浴室)という3種類がある。カルダリウムには浴槽があった。お湯の温度は約40℃、室温は50℃、湿度は100%。テピダリウムには浴槽はなく、室温約25℃。ここでは温かい床の上で寛いだり、マッサージや垢すりなどの施術を受けた。フリギダリウムには熱い風呂に入った後に体を冷やす冷水プールがあった。

火を起こす場所

フリギダリウム

じゃーん!これが古代ローマの浴槽だ。

排水口


遺跡の一部はガラス張りで、上を歩くことができる。

浴場断面図モデル。ローマの浴場は午前11時頃に開き、男女別に利用時間が設定されていたそう。

ローマのお風呂4点セット。取って付き洗面器、油壺、リネンの手ぬぐい、それにstriglisというブロンズ製の垢すり道具(一番左)。こんな道具で一体どうやって体を擦るのかと思ったら、、、。

こうやるんだって。うーん、使いやすかったのかなあ?

トイレ。立派なことに水洗。流すのにはお風呂の残り湯を使っていたそうだ。

排水路

遺跡だけでもかなり見応えがあるけれど、この博物館は結構大きくて、ここから先は中世から現代までの入浴文化についての展示が続く。これがかなり面白く、全てをメモすることはできないので、帰りにミュージアムショップで入浴文化史の本を買ってしまった。内容を紹介したいところだけれど、あまりに長くなってしまうので、また改めて別の記事にしたいと思う。

でも、せめて面白い浴槽を二つ紹介しよう。

70年代の蓋つきの浴槽。家具っぽい。

Schaukelbad(ゆりかご風呂?)

さて、ここまでは常設展示の内容で、特別展示室では「東西ドイツの風呂文化」というのをやっていた。

東西ドイツを隔てる壁に見立てた仕切りが中央に

この展示も面白かった〜。

東ドイツのタンポン

旧東ドイツの典型的な浴室風景

この特別展示では、Freikörperkultur(自由な肉体の文化、FKK)と呼ばれるドイツの裸文化に関する東西ドイツの違いに重点が置かれていて、それが興味深かった。FKKというのは、ドイツに住んでいる人なら恐らく誰でも聞いたことがあり、また目にしたこともあるであろうヌーディズムのこと。ドイツではサウナは基本的に混浴で水着の着用は禁止。タオルも体に巻かずに下に敷くのが原則だ。異性の目を気にせず全裸になる人たちが少なくなく、海岸や湖にはFKKビーチと呼ばれるヌーディスト専用のビーチもある。こうしたドイツのヌーディズムは元々は19世紀のドイツ帝国時代に始まった。当時の衣服は現在の普段着よりも手の込んだ作りだったため、窮屈で煩わしく感じていた人たちも多かったらしい。なんとなくわからないでもないけれど、やはり当時は白い目で見られるような行為であったようだ。その後のワイマール共和国時代には自由で健康的なライフスタイルを求めヌーディズムに憧れる人々が現れた。これは性的で後ろめたさを伴う裸体とは別のものである!という意識からFreikörperkulturという言葉がこの頃、生まれたそうだ。

ナチスの時代にはアーリア民族を他民族と区別し、優位性を強調するためにFKKが利用されたが、第二次世界大戦後、再定義されることになる。旧西ドイツでは1949年に「ドイツFKK連盟」が結成された。しかし、アデナウアー時代には「公衆の面前でパンツを脱ぐのは不可」と禁じられた。旧西ドイツではFKKは一般的に批判の対象であり、一部の人々が実践するにすぎなかったが、60年代後半のヒッピームーブメントの流れの中で、抗議の象徴として裸体を晒す若者らが登場した。

一方、旧東ドイツでは事情が異なった。独裁政権下で自由を奪われ息苦しい生活を強いられていた国民は、衣服を脱ぎ捨て自然の姿に返ることに心の解放を求めた。東ドイツ政府もやはりFKK組織を禁じたが、組織化されない個人レベルのヌーディズムは取り締まることが難しく、それどころか政府高官らまでも裸になりたがったため、1953年に禁止が解除される。その後老若男女に広がって「東ドイツのFKK文化」が社会に定着することになった。

FKKは現在も根強い人気があり、良い季節になるとFKK用のビーチで裸で日光浴をする人たちの姿が見られる。そこでは性別も年齢も関係なく、自然と一体化する感覚を楽しんでいるようだ。(決していかがわしいものではないので、誤解のないようお願いします

そんなわけで、古代ローマの浴場遺跡を見学し、その上入浴の文化史も学べるツュルピッヒの入浴文化博物館は充実した博物館である。かなり気に入った。

前回の記事で紹介したエッセンの「ルール博物館」ではガイドさんにルール地方の産業史について説明を受けたが、そのとき私はこんな質問をした。

「エッセンにはきっと、アルバイター・ジードルンクがありますよね?どこか近くに見に行けるジードルンクはありませんか?」

アルバイター・ジードルンクとは労働者のための集合住宅のこと。近代以降、ドイツで多くの従業員を抱える企業により建設されるようになった「社宅」である。

工業が発達したエッセンには大企業クルップ社を始め、多くの企業がある。きっと面白いジードルンクがあるのではないかと思い、尋ねてみたのだ。

「マルガレーテン・ヘーエ(Margaretenhöhe)」を見に行かれてはいかがですか。正確には社宅ではなく市民のための住宅ですが、ドイツで初めて作られたガルテンシュタット・ジードルンクの一つですよ」

そうガイドさんは勧めてくれた。20世紀半ばからイギリスの田園都市をモデルとするガルテンシュタットと呼ばれる閑静な住宅街がドイツ各地に作られるようになった。その先駆けとなったジードルンクの一つ、「マルガレーテン・ヘーエ」はクルップ社3代目当主フリードリッヒ・アルフレット・クルップの未亡人、マルガレーテ・クルップが娘の結婚を記念して私財を投じ、市民のために建設させたものである。

ここがガルテンシュタット、マルガレーテン・ヘーエの入り口

マルガレーテン・ヘーエはエッセン南部の高台にある。

マルクト広場

マルクト広場横の長屋風住宅

マルガレーテン・ジードルンクの広さは115ヘクタール。1909年から1938年にかけて建設されたブロックIと戦後の1962 年から1980年に建設されたブロックIIに分かれている。

ほのぼの

ガイドさんから聞いたように、このジードルンクはクルップ社の従業員のための社宅ではなく(従業員の社宅は別のところに建設された)、公務員や自営業者など市民のための住宅として建てられた。庭付きの住宅は当時、大きな注目を集めたことだろう。

もちろん、今現在も普通に市民が住んでいる。

 

キヨスクも可愛いね

ジードルンクは建物を見るだけでも楽しいが、このようなジードルンクが次々に建設された時代の社会背景や人々の生活を想像するとより面白い。この頃に企業の従業員の福利厚生制度の基盤が作られ、また、文化的な生活が一般市民の手の届くものになっていったんだね。

近々、東ドイツのガルテンシュタットも訪れる予定で、とても楽しみである。

ラインラント地方二日目はエッセンのルール博物館(Ruhrmuseum)へ行って来た。「ルール」とは、中学の社会科で習ったあの「ルール工業地帯」の「ルール」である。ルール地方は豊富に埋蔵する石炭を原料に鉄鋼業や化学・機械産業が発達し、近代から戦後まもなくまでの間、ドイツ最大の工業地帯だった。今では石炭産業はすっかり衰退したが、炭鉱や関連施設が産業遺産として保護されており、マニアックな観光スポットの密集地帯となっているのだ。

今回訪れたルール博物館は、ツォルフェアアイン炭鉱業遺産群第12採掘坑にある。選炭施設の建物が博物館になっている。

 

ツォルフェアアイン炭鉱第12採掘坑

「ツォルフェアアイン」とは関税同盟の意味。ルール地方のかなりの部分は、かつてプロイセンの支配下にあった。しかし、プロイセンの他の領土とはかなり離れていた上に、ルール地方の他の部分は複数の領邦がモザイク状に分割統治していたため物流がスムーズではなく、1834年に関税同盟が結成された。炭鉱名のツォルフェアアインはこの関税同盟にちなんでつけられたもの。

ルール博物館の建物

ツォルフェルアイン炭鉱の第12採掘坑の建物はバウハウス様式だ。それまで産業施設は実用重視で、醜悪な外観が当たり前とされていたが、建築家Fritz Schuppが設計したこれらの建物群は産業施設に初めて「美しさ」を持たせた産業建築の傑作とされている。敷地内には国際的なプロダクトデザイン賞であるレッド・ドット・デザイン賞を受賞したプロダクトが展示される「レッド・ドット・デザイン・ミュージアム」がある。

ミュージアムの入り口は地上から24mのフロアにあり、このような長いエスカレーターを上がる。エスカレーターに乗っただけですでになんとなくワクワク。

受付でチケットを買い、「ガイドツアーはありますか」と聞くと、「すぐに始まりますよ」とのことだったので申し込んだ。でも、月曜だったせいか、私の他に参加者はいなかった。ガイドさんに「では1時間半、館内をご案内します」と言われてびっくり。ツアー料金3ユーロで1時間半のプライベートガイドツアー?なんて贅沢な!(ちなみにツォルフェアアイン炭鉱には複数の種類のガイドツアーがある。私が申し込んだのはルール博物館のツアー)

地上24mのフロア、ミュージアムのエントランス手前のスペースには巨大な選炭設備。

早速、ガイドさんの説明が始まった。これは採掘した原炭から廃石を分離し精炭を取り出すための装置(Setzmaschine)。水の入った水槽に原炭を入れると、軽い石炭が上に浮かび、重い石は沈む。石を取り除いた後の精炭は粒径ごとにふるいにかけられ、それぞれの用途に利用される。コークス製造や製鉄用に使うのは粒の大きな塊炭で、コークス製造の際に発生するガスは化学産業に利用された。そういえば、ケルンの北、レヴァークーゼンという町には化学工業・製薬会社大手のバイエル社本社がある。

 

向こうに見えるのがミュージアムの入り口

オレンジ色に光る階段を降りて下のフロアへ行く。このオレンジ色は燃える石炭をイメージしているそう。

カッコいいねえ。

ルール博物館は製炭設備やルール地方の炭鉱業の歴史のみならず、氷河期から始まるルール地方の自然史、考古学、歴史、社会文化、そして現在のルール地方の地域経済や産業化で破壊された環境の再生に到るまでのあらゆる分野を網羅した総合博物館である。さらには鉱物・化石コレクション、文化人類学コレクション、写真ギャラリーもある。内容があまりに濃くて、1時間半に及ぶガイドツアーの間は写真も取らずに話を聞くのに集中したけれど、最後は時間が押せ押せになってしまった。ツアーを終えてから、また一人で最初から展示室を回った。

ルール地方の全盛期の1857年には、この地方にはなんと300もの炭鉱があったそうだ。しかし、1957年に政府が補助金を打ち切ると、失業者が溢れた。また、環境汚染が深刻化したことから、抜本的な構造変化が求められるようになる。現在もなお失業率は高いが、負の経験から得たノウハウや技術を活かして再生可能エネルギー技術や石炭採掘による地盤沈下で傾いた建物を真っ直ぐにする技術など、この地方ならではの特殊産業の育成に力を入れている。

2000年のエッセン市の地下水水質調査のサンプル

この地方には石炭を取り出した後の捨石を積み上げたいわゆる「ボタ山」が丘陵風景を作っているが、捨石はわずかに粉炭を含んでおり、それが酸化してゆっくりと燃えるので、気温が比較的高い。だから、ルール地方は地中海と似た植生なのだって。言われて見れば、確かにラインラントの植物はブランデンブルクと随分違うなと移動中の車の中から景色を見ていて思ったんだった。

ボタ山は緑化が進んでいて、現在、ルール地方の60%が緑地である。保養地・リクリエーションエリアとしての再開発も積極的に行われている。ボタ山にはモニュメントや娯楽施設が建設され、ちょっと変わった観光エリアになっている。(このサイトでいろんな面白い写真が見られる)

ボタ山「ハニエル」の円形劇場

屋内スキー場。建設当時は世界一の長さだったそう。今ではドバイに負けた

工業化は地域の環境を大きく破壊してしまうが、産業が衰退し、しばらく放置されると自然が回復して来る。そうして新たに生まれた生態系は破壊以前の環境とは異なり、周辺地域とも違う特殊なものとなる。そのような自然環境を「industrial nature」と呼ぶらしい。そういえばこちらのスポットを訪れたときにも同様の話を聞いた。とても興味深い。

そして、ルール地方にはもう一つ、大きな特徴がある。それはマルチカルチャーであること。産業の発展に伴い、この地方には古くから多くの移民が流入した。なんと現在、62もの民族が共生しているという。エッセンにはシナゴーグもモスクもあり、また、Hamm-Uentropという町にあるヒンズー寺院はインド国外最大規模だそう。そんなわけで、ルール地方の人々は異文化に寛容だと言われている。

さて、このペースでゆっくり説明していると日が暮れてしまうので、詳しく説明したいけれど残りは写真のみで急ぎ足で紹介しよう。

石炭展示コーナー

巨大アンモナイトコーナー。最大のものは直径180cm

石炭紀の見事なシダの化石

約3億年前のシギラリアの幹

凄いアンモナイト

これは化石ではなく最近のもので、紅海のパイプウニ

ナミビアのギベオン隕石。ナミビアはドイツの植民地だった

考古学コーナー

文化人類学コーナー

地方都市の博物館がこんなに凄い展示品のオンパレードなのは意外に思えるかもしれないが、エッセンの博物館は戦前、ドイツ国内屈指の博物館だったそう。工業地帯だから文化とは縁遠いというイメージは正しくないようだ。

メルカトルの地球儀

ところで、エッセンといえば、巨大企業クルップ社が有名だ。展示はまだまだあるけれど、キリがないのでこのくらいに。

最上階にはパノラマルームというものがあって、これがまたすごい。

歩いて見て回れる

ガイドツアーと合わせて合計3時間くらい博物館にいたかな。博物館を出た後は、せっかくなので敷地内を一周した。

Red Dot Design Museum。残念ながら月曜日は閉まっていたけど、外観だけでも十分カッコいいよね。

コークス工場

昼間行ったので、ツォルフェアアインのライトアップされた姿は見ることができなかった。でも実は、7月に別の用事でまたここに来る予定になっているので、その時には是非、Red Dot Desigh Museumとライトアップされたツォルフェアアインが見れるといいなあ。

ツォルフェアアイン炭鉱遺産群は、産業技術に関心のある人、デザインが好きな人、工場写真を取りたい人、歴史好きな人、鉱物や化石のコレクションが見たい人etc. ほぼどんな人にとっても面白い観光スポットではないかと思う。

 

 

ラインラント地方へ行って来た。ラインラントの主要都市の一つ、ケルンは私の古巣である。ドイツに来て最初の7年間を過ごした懐かしい町。ラインラントは今住んでいるブランデンブルク州とはかなり違い、様々な民族が共存し文化の混じり合うミックスカルチャーな地方だ。そのためか人々のメンタリティも一般的にオープンで気さくな感じがする。久しぶりに来た私もすぐに景色の中に溶け込める気がした。この辺りは人口が密集しており、観光スポットが充実している。

ではさっそく「まにあっくドイツ観光ラインラント編」、行ってみよう。最初はデュッセルドルフ近郊、Mettmannにあるネアンデルタール博物館から。

ネアンデルタール博物館はネアンデルタール(ネアンデルの谷)にある。その名を聞けば誰もがピンと来るだろう。そう、ネアンデルタールは、旧人「ネアンデルタール人」(正式名称、ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス(Homo sapiens neanderthalensis))の骨が発掘された場所である。

Neanderthal Museum

1856年、ネアンデル谷のフェルトホッファー洞窟で石灰岩を採掘中の労働者が洞窟の地下60cmほどの深さに人骨が埋まっているのを発見した。全部で16ピースの骨は頭蓋骨が洞窟の入り口に向いた状態で埋まっていた。

実は、ネアンデルタール人の骨が発掘されたのはこの時が初めてではなく、それ以前にもベルギーやジブラルタルでも見つかっている。しかし、それらは科学研究の対象とはなっていなかった。ネアンデル谷での化石発掘の3年後、チャールズ・ダーウィンが「種の起源」を発表し、センセーションが巻き起こったことから、たまたまタイミングよく見つかったネアンデル谷の化石が注目を浴びることになったそうだ。しかし、石灰岩採掘の際に洞窟ごと切り崩してしまったので、化石の正確な発掘場所がわからなくなってしまい、そのまま長いこと忘れ去られていたそうだ。1997年と2000年にネアンデル谷で考古学調査が行われ、1853年に発見されたものと同じ人骨のピースが新たに見つかり、ようやく発掘場所が特定された。ネアンデルタール博物館ではネアンデルタール人についてはもちろんのこと、人類史全般について展示している。

ネアンデルタール人の使っていた石器。これまでに他の考古学博物館で見たホモ・サピエンスの石器とは形が違う。ホモ・サピエンスのはもっと細長くて先端が鋭いものが多かったけれど、ネアンデルタール人のものは手のひらにすっぽり収まりそうだ。握り方や手の動かし方が違ったのだろうか?

ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの頭蓋骨が並べて展示してある。

ネアンデルタール人の頭蓋骨

ホモ・サピエンスの頭蓋骨

ネアンデルタール人は目の上の出っ張りが発達していて(眼窩上隆起)、おでこが平ら、頭の形もホモ・サピエンスほど丸くない。ホモ・サピエンスは耳の後ろの骨に大きな突起があって、顎が前に出ている。

ネアンデルタール人の歯の多くにはこの図のような溝が見られる。道具を使って歯と歯の隙間を掃除していた跡らしい。

この博物館の展示で特に面白いのは、ネアンデルタール人を始めとした化石人類を実物大に3D復元していること。

アウステロピテクスさん

ホモ・エレクトスさん

ネアンデルターレンシスさん

今、地球上の人類はホモ・サピエンスだけになってしまったけれど、かつては複数の種類の人類が地球上にモザイク状に共存していたのだよね。

ドレスアップしたネアンデルタール人さんとツーショット。ネアンデルタール人男性の平均身長は160cmくらいだそうなので、私のパートナーでも違和感ない!?

人類、皆兄弟。集合写真も撮れます。

これはタンザニアの火山灰に残っていた36万年前のヒトの足跡。1974年にエチオピアで発見されたルーシーと同じアウステラロピテクス・アファレンシスのものだそう。

壁画に関する展示は、展示スペースの下に穴が開いていて、洞窟の中に入った気分で展示を見ることができてなかなか良い。

他にも前回こちらの博物館で見た穿頭(トレパネーション)に関する説明や、地球の環境変化と人類の適応、世界で見られる様々な埋葬習慣についてなど、いろいろ興味深い展示があった。

さて、博物館を見終わったので、ネアンデルタール人の化石が発見された場所を見に行くことにしよう。博物館からデュッセル川沿いに400メートル歩いたところにある。

フェルトホッファー洞窟は切り崩されて今は存在しない。かろうじてその一部が残っているだけだ。

発掘場所。えっ、これだけ?と一瞬、拍子抜け。

でも、ネアンデルタール人が食べていたと思われる植物が植えられた区画があったりなど、当時が想像できるような工夫がしてある。

 

石の寝椅子から高さ20mを見上げると、そこが洞窟があった場所

 

大人目線でレポートしたけれど、ネアンデルタール博物館は家族連れに人気のお出かけスポットのようで、賑わっていた。展示もわかりやすく、周辺には小さな動物園や遊歩道もある。

 

まにあっくドイツ観光ラインラント編はまだ続きます。

今回のまにあっくドイツ観光は、ベルリン在住イラストレーターでブロガーのKiKi(@KiKiiiiiiy )さんとのコラボ企画!KiKiさんは旅行好きで、インターレイルパスを利用して一人で欧州を旅行してしまう行動力の持ち主だ。旅の情報をブログやTwitter、Instagramで発信されているが、文章しか書けない私(今のところね)と違って、旅の印象を素敵なイラストにされている。それだけでなく最近は動画も手がけているとのこと、是非一度コラボさせて頂きたいと思っていた。その第一弾として、今回はベルリンの南のBaruthという町外れにあるGlashütteへKiKiさんと一緒に行って来た。Glashütte とは「ガラス小屋」を意味するが、この集落はガラス作りの長いがあり、現在は村全体がミュージアム(Museumdorf Baruther Glashütte)になっているのだ。

 

Baruthのガラス生産の歴史は18世紀に遡る。1715年、大きな嵐で一帯の森の木がたくさん折れてしまった。思いがけず大量の木材が得られたため、別の場所に予定されていたガラス製造所をここに建設することになった。木材はガラス作りに必要な炭酸カルシウムの原料として、また燃料としても欠かせないものだった。

ガラス博物館

村の西の入り口を入ってすぐのところにガラス博物館がある。まずはここから見ていこう。

Baruthのガラス製造所ではランプシェード用の乳白ガラスを主に生産していた。ガラスを白く曇らせるには羊の骨を粉にして入れるんだって。羊の骨にはリンが多く含まれていて、それを混ぜることでガラスが白く濁る。他の色のガラスを作るにはクロム(緑)、銅(赤)、コバルト(青)、木炭(黄色)、マンガン(紫)などで着色する。

ガラスの材料の70%は砂だが、この地域は砂の豊富な土地でもある。1万5000年ほど前に氷河の溶けた水が川となって現在のブランデンブルク州を流れた。水域の端に砂が溜まって砂丘ができた。

工場の中にはガラス製造の様々な道具が展示してある

吹きガラス実演コーナー

 

加熱炉で焼いたガラスは冷却炉で歪点(約550度)付近まで冷やす

私は黄色いガラスが気に入った

これはエルンスト・ヴェルナー・フォン・ジーメンスの発明したガラス用のジーメンス炉。レンガが組んであるが、この蓄熱式の窯の導入により燃料を大幅に節約できるようになり、ガラスの大量生産が可能となった。

ジーメンス炉のモデル

技術的なことだけでなく、Baruthのガラス製造の文化史の展示もあって興味深かった。20世紀には労働者のための住宅が建設され、体操クラブなどの部活が奨励されるなど福利厚生が整えられていく。しかし、防災対策はほとんど取られていなかったので、肺や皮膚、目の病気を患う人が多く、1919年の時点での労働者の平均寿命は45歳。作業中にビールを飲むのも普通で、アルコール依存症になる人も多かったそうだ。

 

ミュージアムショップ

隣の建物は魔法瓶の発明に関するミュージアム

村のメインストリートに面した建物の多くは観光客向けのショップになっている

かつてガラス製造所の労働者の住宅だった建物

ギャラリー兼ショップ

フエルト小物の店

陶器のお店はカフェも併設している

ハーブの店の店先

東ドイツ時代の国営スーパー、Konsumの建物を利用したご当地デリカの店

村には樹齢500年の木がある

迷子石を並べた小さな公園

迷子石って何?という人は、ぜひこちらの記事を読んでね。

村の学校だった建物。現在はペンション

とこのように、盛りだくさんで一日楽しめる。KiKiさんと私は朝の10:30くらいから17:00過ぎまで村を満喫した。お昼ご飯画像も載せておこう。

シュプレーヴァルト名物のきゅうりのピクルスが入った酸味のあるスープ

ベルリンから日帰り圏内で可愛いものの好きな人におすすめ。子連れレジャーにも良いので、是非行ってみてね。KiKiさんが近々イラスト&動画をアップしてくれる予定なので、期待していてください。

追記: KiKiさんの作った動画がアップされました。とても素敵なので是非見てくださいね!

 

 

一気に気温が上がってようやく本格的に春になった。お出かけシーズンの到来だ。とはいっても私は季節や天気に関係なくいつもウロウロしているのだけれど、、、、。

今回は私が住んでいる地域の観光スポットを紹介しよう。それは、Märkisches Ziegelmuseum Glindowというレンガ博物館。うちのすぐ近くなのに、行ったのは今回が初めて。「レンガ博物館なんて面白いの?」と思われそうだけれど、これがかなり面白かった。ホフマン窯の中を見学できるのだ。

まずはいつものようにロケーションから。

地図の通り、レンガ博物館はグリンドウ湖という湖に面したところにある。

Märkisches Ziegelmuseum Glindow

この塔が博物館。長い伝統を持つレンガ工場、Neuer Ziegelmanufaktur Geltowに隣接している。1890年に建てられたもので、当時工場で作られていたいろいろなレンガが使われている。博物館という名前がついてはいるが中は小さく、見るものはそれほど多くない。でも、ここで入館料を払うと係の人が隣の工場を案内してくれる。

Glindowのレンガ生産の歴史は古い。Glindowという地名はスラブ語に由来し、「粘土に富んだ土地」を意味するそうだ。古文書によると遅くとも15世紀にはレンガを生産していた。18世紀にはプロイセン王家が工場を所有し、ポツダムを中心にプロイセン時代の建築物の多くにGlindow産のレンガが使われた。

いろんなレンガ。色の違いは粘土に含まれる鉱物の種類と含有量による

実はこのレンガ工場は特別かつかなり重要な工場である。なんと300年前の製法を今も守り続けているドイツで唯一のレンガ工場なのだ。ドイツには教会や修道院、城など文化財に指定されている建物が多くあるが、老朽化したり戦争で破壊を受けたりしたため、修理・修復の必要なものが少なくない。しかし、現在ではそれらの建造物が建てられた頃とはレンガの製法が変わっており、当時と同じようなものを作ることができない。Glindowのこの工場ではそのような建物に特化して伝統の製法でレンガを作り続けている。そして、ドイツ全国だけでなく、なんとフランスやベルギー、スエーデンなど欧州のいろんな国からも注文を受け、カスタムメイドの高品質のレンガを生産しているんだって!

作られたレンガは船に乗せて運搬した

工場敷地

塔の中で展示を見ながら説明を聞いた後、工場に案内してもらった。ところが、工場の中は写真撮影厳禁と強く言われてしまった。残念〜。これは外から撮ったもので、真ん中に見えるのはホフマン窯というものである。こちらの記事にも書いたが、ホフマン窯とは1858年にフリードリッヒ・エドアルド・ホフマンが特許を取得したレンガの焼き窯で、独立したいくつもの区画が煙突を取り囲むように並ぶのでリングオーブンとも呼ばれている。この窯の発明以前は焼成ごとに窯が冷えるのを待っていたが、ホフマン窯では区画に順番に火を移すことで連続で焼成ができるようになった。大量生産を可能にしたこの画期的な技術は日本へも導入されている。(参考

ガイドツアーではレンガ生産過程の最初から最後までの設備を一通り見せてもらえる。これがすごく面白い。一番興奮したのはホフマン窯の中に入ったこと。写真を撮ることができなかったので説明のしようがないけれど、うちに遊びにいらっしゃる方は、よければこのミュージアムにご案内します。一見の価値がありますよ。

釉をかけたカラフルなレンガも

焼成温度は900〜1200℃。1300℃を超えるとレンガがこのように溶けてしまう

床材見本

円形、ひし形、六角形などいろんな形がある

素敵だな〜。でも、上述したようにこの工場は主に文化財用の高品質レンガに特化していて、一般人が自宅用に購入するには高価過ぎる。うちの最寄りの工場だからうちのテラスのレンガはここで注文するか、というわけには残念ながらいかないようだ。でも、地元の伝統ある産業について知るのは興味深い。ちなみにレンガ生産の最盛期にはGlindowにはなんと76もの窯があった。レンガ職人の仕事はハードで、冬場などは高温の窯とマイナス気温の外を出たり入ったりと体への負担が大きく、平均寿命は48歳くらいだったとのこと。

 

帰り道のロータリーに何やらレンガが積んである

 

寄付者の名前?

 

こちらも是非合わせてお読みください。

タイルとストーブ生産で栄えた町、Veltenのストーブ博物館

 

 

 

先週まで異常に寒く、3月の末だというのに雪まで降っていたのだが、今度は突然20度近くに気温が上がり、まるで初夏のよう。おかげで気分もすっかり夏!(これはドイツにありがちなフェイントだとわかってはいるのだが)

ドライブ日和だ。こんな日に家に閉じこもっているのは野暮である。仕事の手を止めてちょっと出かけることにした。行き先は自宅から車で50分ほど西へ移動したZiesarという小さな町にある城、ツイーザー城(Burg Ziesar)に決めた。目当てはその城の中にある聖ペテロ・パウロ教会。いつだったかそのチャペルの内装の写真を目にして以来、是非とも見に行きたいと思っていたのである。

 

ツィーザー城は城といっても山の上に建っているわけではなく、平城だ。全体像は写真に撮れないのだけど、広場を中心に弧を描くような造りをしたなかなか立派なお城。

聖ペテロ・パウロ教会

城内はミュージアムになっている

城の建物の端には塔が建っている

早速、教会の内部を見せてもらう。

うわー、美しい!このなんとも言えない独特の色合い、ドイツの教会では珍しいのではないか。

エッサイの根

私が住んでいる地域は近世になってから発展したので、中世の建造物は少ない。だからたまに遠出してこういう雰囲気を味わうと新鮮。

これだけでもかなり満足したけれど、せっかく来たのでミュージアムも見て行こう。ミュージアムの建物はかつての司教邸で、建物についての展示と特別展示を同時進行で見られる。この建物の目玉は「中世の床暖房設備」だ。

ミュージアム一階の床に穴が空いていて、下に何やら見える。

地下の釜で火を焚いて建物を温めていたようだ。この炉は1300年頃に作られたものだそう。古代ローマには「ハイポコースト」と呼ばれる床暖房のセントラルヒーティング設備があったそうだが、それと同じようなものなのだろうか。

階段を降りて地下を覗いてみる。

 

温めた空気を建物全体に回すパイプの役割を果たしたトンネル。

特別展示のテーマは「ブランデンブルク州のキリスト教化」。先日、ブランデンブルク市の考古学博物館の展示でも見たが、もともとここら辺(東北ドイツ)はスラブ民族の定住地だった。彼らは独自の自然宗教を信仰していたが、8世紀以降に進出して来たキリスト教徒に服属させられ、次第にキリスト教文化に呑み込まれていった。

初代神聖ローマ皇帝、カール大帝。

 

カール大帝の遠征戦争(ザクセン戦争)においてキリスト教徒らと戦い、亡くなったスラブ人の頭蓋骨。おでこの部分に割れ目がある。

この洗礼桶でスラブ人たちが強制的に洗礼を受けさせられた。

12世紀には現在のブランデンブルク州へ大量のキリスト教徒が移住し、各地に町を作っていった。教会も次々に建設されたが、最初から石造りの立派なものを建てたわけではなく、初期には木造が多かったらしい。写真はHaseloffという村で発掘された当時の教会の壁の一部。

 

ミュージアムを見た後は塔にも登って見た。

塔から下を見下ろす

 

あー、面白かった。このお城の情報は日本語のガイドブックにないのはもちろんのこと、ドイツ語でもこの地方に特化したガイドブックでなければ載っていないと思う。でも、チャペルは一軒の価値がある。首都ベルリンからも自動車なら1時間ほどなので、おすすめ。ちなみに、ツィーザー城を見学すると、そのチケットでレーニン修道院博物館ブランデンブルグ大聖堂博物館ブランデンブルク市パウロ修道院博物館(ブランデンブルク市考古学博物館)の入館料が1年間、半額になる。

 

復活祭の連休だったのに、風邪を引いてしまった。だるくてまともなことができないので、ウダウダとベッドの中でドキュメンタリーでも見て過ごすしかない。公共放送局ZDFのサイトにアップロードされている過去の放映番組の中から面白そうなものを探す。すると、私の好きな学術ジャーナリスト、Harald Lesch氏による「未解決の考古学の謎(Ungelöste Fälle der Archaeologie)」という番組が目に留まった。Lesch博士は宇宙物理学者だが同時に自然哲学者でもあり、非常に話の面白いコミュニケーターだ。以前は天文学の番組がメインだったが、最近では幅広い分野をカバーしている。今ちょうど考古学の面白さに目覚めつつあるところなので早速視ることにした。番組は前半と後半に分かれており、前半で紹介されていたミステリアスな円錐状の「ベルリンの金の帽子(Berliner Goldhut)」が特に魅力的だった。その実物がベルリンの先史博物館(Museum für Vor- und Frühgeschichte)にあるという。先史博物館はベルリン新博物館(Neues Museum)の一部で、これまでに何度か訪れているのだけれど、この不思議な帽子の存在にはどういうわけか気づいていなかった。

すぐに見に行ける場所にあると聞けば当然、見に行きたくなる。二日ゴロゴロして体調もそろそろ良くなったので、早速行って来た!

 

新博物館はベルリンの博物館島にあり、ネフェルティティの胸像を始めとするエジプト・コレクションを持つドイツ国内で最も素晴らしい博物館の一つだが、新博物館についての情報はネット上にも豊富にある(参考)のでここで長々紹介するまでもないだろう。今回は売り場直行とさせてもらおう。

これが「ベルリンの金の帽子」だ。骨董品市場に出回っていたものを1996年にこの博物館が買い取り、展示物として一般公開するようになった。実物はどのくらいの大きさかというと、高さ74.5cm、重さ490g。相当に長いとんがり帽子だね。

これまでに類似のものがドイツとフランスで全部で4つ見つかっているらしい(「ベルリンの金の帽子」は写真の一番右)。最初の「金の帽子」が発見されたのは1835年4月29日にさかのぼる。南ドイツのSchifferstadtで野良作業中の労働者が偶然掘り出した。これらは紀元前800〜1000年頃に作られたと推定されるそうだ。

「ベルリンの金の帽子」の表面をびっしりと覆う模様には規則性が見られる。ドイツでは紀元前からすでに天体が観測されていたことがわかっており、考古学者らはこの金の帽子を飾る模様は暦なのではないかという仮説を立てているそうだ。青銅器時代後半の中央ヨーロッパでは太陽信仰が広がっていた。大きさからいって、神への捧げものというよりは人間が実際に被っていた可能性が高く、天体崇拝の儀式の際に使われたのではないかと考えられている。(世界最古の天文版ネブラ・ディスクについても過去記事に書いているのでよろしければお読みください)

 

(Wikipedia: Berliner Goldhut)

先端部分のギザギザした星型の部分は輝く太陽を意味し、その下の段の鎌と目のようなシンボルは月と金星を意味する。その下の丸い模様は太陽と月のシンボルだと書いてある。木製の型を使って金床上で金塊をハンマーで叩いて薄く延ばしながら円錐に形成し、表面にスタンプのような道具を使って裏側から押し出して装飾を施したようだ。そういえば私は考古学は全くの素人だが、昔、文化人類学を勉強していたことがあり、ケルンの文化人類学博物館で3ヶ月ほど実習生として働いた。その時、オスマントルコの金属製装飾品のカタログ化をやらせてもらった。表面の加工を観察して分類したことを思い出したが、残念ながら細かいことはもう忘れてしまったなあ。装飾品を眺めるのは楽しいものだ。自分ではあまり身につけないけど。

ドキュメンタリーによれば、天文学はメソポタミアやエジプトで発達し、現在のトルコやギリシアを経由してヨーロッパ伝播したことがわかっており、金の帽子もメソポタミアから運ばれて来た可能性がなきにしもあらずだという。面白いなあ。この謎はいつか解き明かされるのだろうか。

今回はこの帽子を見るのが目当てだったので、他の展示物はさらっと見るに留めた。何しろ新博物館にはおよそ9000点の展示物が展示されているのだ。一気に見てインプットすることは到底無理!でも、大丈夫。年間ミュージアムパスがあるんだもんね。見たいものだけじっくり見るというのは旅先ではもったいなくてなかなかできないものだ。そう考えると、地元の博物館を繰り返し訪れて徹底的に見るのも悪くないかもしれない。