2020年ももう2月に突入し、いまさらな話題なのだが、毎年、12月にはクリスマス市に行くのを楽しみにしている。首都ベルリンとその周辺には多くのクリスマス市が立ち、それぞれに特色があって面白い。でも、少々飽きてきた感があったので、去年は Werbenという町まで足を延ばした。ベルリンから北西に約150km、エルベ川沿いにあるそのハンザ都市は人口1300人もいない小さな町だが、「ビーダーマイヤー風クリスマス」と名付けられたちょっと変わったクリスマス市を開いているのだ。

ビーダーマイヤー風クリスマス市とはなんぞや?

ビーダーマイヤーとは、ウィーン会議後の1815年から三月革命が起こった1848年までのエポックを指す。ナポレオン戦争で疲弊したドイツでは、市民は内向きになり、政治のような大きな物事よりも家庭を中心とした心地よい生活を重視するようになった。そのような価値観は「小市民的」と形容され、この時代に特徴的な服装や家具、生活道具などはビーダーマイヤー様式と呼ばれる。「ビーダーマイヤー 」という言葉は、1850年代にドイツの挿絵入り新聞に連載された風刺小説に登場するビーダーマイヤーという名の小学校教師が由来らしい。Werbenにはビーダーマイヤー時代の建物が多く残っていて、その町並みを活用したイベント「ビーダーマイヤー市場」が定期的に開催されている。クリスマス市もビーダーマイヤー風だということだが、どんな感じだろう?なかなかアクセスが大変な場所だけれど、がんばって行って来た。

 

 

人の顔がはっきり写らないように気をつけて写真を撮っているのであまりクリスマス市らしい画像ではないのだけれど、このような感じで町の人たちはビーダーマイヤー風の衣装を身に纏っていて、とても雰囲気のあるクリスマス市だった。Werbenではカフェやホテルの内装もビーダーマイヤー様式のところが多いらしい。とはいえ、無知な私は古い生活雑貨やインテリアを見ると「アンティーク」という大雑把に括ってしまい、具体的にどういうものをビーダーマイヤー様式と呼ぶのか、今ひとつうまく掴めなかった。

そこで思い出したのが、ベルリンのKnoblauch邸(Museum Knoblauchhaus)だ。

 

 

ベルリン・ミッテ地区にあるこの館は、1761年に建てられてからおよそ170年間に渡って富裕な商家Knoblauch家が住宅兼仕事場として使っていた。1989年からはミュージアムとして一般公開され、ビーダーマイヤー時代のベルリンの市民の暮らしを再現した展示を見ることができると聞いていた。ビーダーマイヤー様式とはどんな風なのか、ここならば把握できるかもしれない。

では、Knoblauch邸の内部を見てみよう。

ダイニングルーム

現在、食卓は置かれていないが、これはKnoblauch家の人々が食事を取っていた部屋。艶のある木製家具は直線的で、装飾は控えめ。なるほど、これがビーダーマイヤー様式というものだろうか。立派なダイニングルームにKnoblauch家の裕福さが見て取れるが、壁に貼ってある説明によると、この時代の食事は質素で、朝食は白いパンとスープだけ、昼食には肉料理を食べるが、夕食はパンとソーセージとスープというのが一般的だったそうだ。

リビングルーム

リビングルームの壁には一族の肖像画が並んでいる。商家として財を築き、ベルリンの上流社会の重要なメンバーであったKnoblauch家には時のスター建築家カール・フリードリッヒ・シンケルやベルリンにフンボルト大学を創立したヴィルヘルム・フォン・フンボルトをはじめとする著名人がしばしば訪れたようだ。

ザンメルタッセン

テーブルの上にはザンメルタッセン(Sammeltassen)と呼ばれるカップ&ソーサー。ビーダーマイヤー時代には市民の間でこのような一点もののカップ&ソーサーを収集するのが流行っていた。いつ頃まで続いた流行なのだろうか。私の義両親の家にも義祖母が集めていたザンメルタッセンがいくつか残っている。

アントレ。この部屋では窓に着目!

二重構造の窓はこの時代に特徴的なものらしい。間のスペースに花が飾ってある。

直線的ラインの置き時計
書斎。すごい机だなあ〜
寝室。シンプルでかっちりしたデザインのベッドとナイトテーブル

 

なんとな〜くわかって来た気がする、ビーダーマイヤー様式。

昔の人々の暮らしがどんな風であったかを知るのは面白い。でも、昔の暮らしといっても、どの時代のどういう社会層かによって生活様式は大きく異なるので、いろいろ見ながら少しづつ整理していこう。