ダイナミックな自然風景が好きである。

街歩きもとても楽しいけれど、これまでの旅の体験の中でそのときの感動が後々までずっと心に残っているものはどんな体験かと考えると、真っ先に頭に浮かぶもののほとんどは自然体験なのだ。忘れられない景色は数多いが、その中の一つに米国のアリゾナ州にある「化石の森国立公園」がある。そこにはこんな風景が広がっている。

広大な砂漠地帯にたくさんの木が横たわっている。木とはいっても、これらは化石だ。およそ2億5000万年前、地質時代でいうと三畳紀の終わりに洪水によって熱帯の森林から流されて来た倒木が化石化したものだと知って圧倒された。

これらの木の化石は珪化木と呼ばれる。流されて来た木々は近くにある火山の活動によって周期的に火山灰に埋もれた。火山灰の成分である二酸化ケイ素が地下水に溶け込み、その水が木の内部に入り込んで、長い年月をかけて内部組織を二酸化ケイ素に置き換えていったのだという。断面を見ると、それがもはや木ではなく石であることがわかる。これだけでも驚きなのだが、地表に露出しているのは化石化した森林のごく一部に過ぎず、地下にはまだまだ多くの珪化木が埋まっているそうだ。

広い米国の国土には、都会で普通に生活していたら触れる機会のない、とんでもないスケールの自然風景がたくさんあるなあとつくづく感じた。

しかし、この景色を見た数年後、実はドイツにも「化石化した森」と呼ばれる場所がザクセン州ケムニッツにあることに気づいた。アリゾナほどのスケールではないが、ドイツの国土の大きさからすれば堂々たる規模の珪化木の集積地のようである。1740年代に初めて化石化した木の幹が発見されて以来、ケムニッツでは断続的に多くの珪化木が発掘されており、それらは標本としてケムニッツ自然史博物館に展示されている。このたび、ようやく見に行くことができた。

 

博物館のフロアに展示されている「化石化した森」

 

クローズアップ

ケムニッツの「化石化した森」はおよそ2億9000年前のペルム紀の森なので、アリゾナ州の化石の森よりもさらに古い。その頃、ヨーロッパでは火山活動が活発で、ケムニッツの北東ではツァイスィヒヴァルト火山(Zeisigwald-Vulkan)が噴火し、一帯に大量の火山灰を撒き散らした。火山灰に埋まって珪化木となったペルム紀の木が自然史博物館の内部で「森」として再現されているというわけだ。

 

結構たくさんの標本が展示されている

 

 

館内の説明によると、ペルム紀のケムニッツの森にはシダ植物やシダ種子類、トクサ属、その他の種子植物などが生えていた。

いろんな断面が面白い。これは根っこの断面

木にツル植物が絡み付いたまま化石化したもの

 

世界各地の珪化木の断面

木の種類やそれが埋まっていた火山灰に含まれていた鉱物の種類によっていろいろな色や硬さの珪化木になる。

メノウ化したケムニッツの珪化木

 

ケムニッツは観光地としての知名度が高い町じゃないけれど、良い博物館がたくさんあって、私にとってはかなり楽しめる町だ。博物館好きの人には穴場だと思う。

 

 

 

 

ドイツに暮らしていて面白いと思うことの一つは、いろいろな時代の建物があることだ。首都ベルリンには実に様々な時代に建てられた趣の異なる建物が不思議な調和を生み出している。

過去数十年間に建てられた近代的な建物は日本の都市にあるものとそう大きな違いはないが、それよりも古い建物は装飾が凝らされていたり、日本では見かけないフォルムや質感だったりでいくら眺めていても飽きることがない。

けれど、ドイツの歴史をほとんど知らずに街歩きをしていた頃は、そうした古い建物をすべて「西洋建築」というたった一つのカテゴリーで認識していて、どれがいつの時代のものなのかまったく見当がつかなかった。最近になってようやく、建物を外観からいくつかのグループに分類して認識できるようになって来て、ますます街歩きが楽しくなっている。

建築史におけるそれぞれのエポックは、単なる美的意識の移り変わりではなく、それぞれの時代の技術革新や政治、イデオロギーとも関わっていることがおぼろげながら見えて来た。

ベルリン・ブランデンブルク探検隊」では、相棒の由希さんが建物好きなこともあって建物をメインテーマの一つにしているが、今回は旧東ベルリンのカール・マルクス・アレーを中心にスターリン建築を取り上げた。長年ベルリンに住んだ由希さんが撮影した東ベルリンやワルシャワのスターリン建築と、私の手持ちの東ドイツの他の町や本場モスクワのスターリン建築の写真を合わせて以下のスライド動画ができた。スターリン建築は個人的には好みの建築様式というわけではないけれど、インパクトが大きいし、それらが建てられた背景はやはり興味深い。動画で紹介したものだけでなく、旧社会主義国のあちこちに類似の建築物がたくさん残っていることだろう。今後、もっと見る機会があればいいな。

 

前回の記事では、旧東ドイツ時代に建てられた高層住宅群、プラッテンバウジードルングを紹介した。旧東ドイツの遺物を見て回ることができるのはベルリンやブランデンブルクに住む楽しみの一つだ。プラッテンバウはその典型的な例としてよく挙げられるが、プラッテンバウよりもさらに直接的に社会主義時代を想像させるものがある。

それは、街角で見かける社会主義時代のアート。

初めて見たときにはそのインパクトに度肝を抜かれた。私は人生の半分近くをドイツで暮らしているが、最初の10年ちょっとは旧西ドイツエリアにいたので、社会主義についてあまり考えるきっかけがなかった。ブランデンブルクに移り住み、あちこちで西側では見たことのない独特なアートを目にするようになり、社会主義国東ドイツとはどんな国だったのだろう、そこでの暮らしはどんなふうだったのだろうかと考えるようになった。

東ドイツ時代に街角に設置された彫刻や絵はイデオロギーを前面に打ち出していたため、その多くはドイツ再統一後に撤去されている。まだ残っているものについても、今後どう扱っていくべきか、議論が交わされている。

今回、「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」で相棒の由紀さんが撮り溜めたベルリンの気になる街角アート、そして私が撮影したブランデンブルクの街角アートについて、背景を調べてみたら、今まで知らなかったことがたくさん出て来て興味深かった。

 

 

どの作品も背景はそれぞれ興味深いけれど、私個人にとってはポツダムの情報処理センター(だった建物、現在はアートスペース)の外壁に描かれた、宇宙をモチーフとしたモザイク画が特に想像をかき立てる。旧東ドイツにおける宇宙開発は気になっているテーマの一つなので、いつか掘り下げてみたい。

 

上の動画で紹介しきれなかったが、ポツダムの情報センターの壁はモザイク画だけでなく、小さなタイルが並べられている壁もある。タイルの模様が銀河っぽい?

気になることを調べるって、本当に楽しいな。次は何を調べよう?

 

 

 

 

私が住んでいるドイツ東部には団地が多い。いや、団地はどこにだってたくさんあるのだが、ドイツ東部の団地は特徴的である。規格化されたプレハブ工法の高層アパートがずらりと立ち並ぶ。都市という都市で見かける光景だが、特にベルリンやコットブスなどの大きな都市における団地の規模たるや圧倒的である。

そのような高層アパートは社会主義国であった旧東ドイツ(DDR)時代に建設されたもので、俗に「プラッテンバウ(Plattenbau) 」と呼ばれる。旧西ドイツにも第二次世界大戦後に建設された高層アパートの団地がないわけではないが地域が限られており、数も旧東ドイツほどは多くない。だから、「プラッテンバウ」はしばしば社会主義の象徴として語られる。ドイツが再統一された現在はダサい建物とみなされがちな「プラッテンバウ」であるが、私にはずっと気になる存在だった。なぜかというと、プラッテンバウが並ぶ団地を見ていると、なんとなく郷愁を覚えるのだ。どことなく昭和的というか、、、。いや、ここはドイツ。昭和という時代はここには存在していなかった。でも、プラッテンバウは私が育った昭和の時代によく目にした団地の風景にちょっと似ている。

「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」の相棒の由希さんは団地ファンで、やはりプラッテンバウがずっと気になっていたという。ならば、プラッテンバウを探検しようではないか。

というわけで、スライド動画「東ドイツの”The 団地” プラッテンバウ」が完成。動画では旧東ドイツで多くのプラッテンバウが建てられた背景やプラッテンバウの様々なタイプ、そしてベルリンとブランデンブルク州のいろいろな団地を紹介している。

特に紹介したかったのはプラッテンバウの聖地ともいえるベルリン北東部のマルツァーン地区の巨大団地だが、それらしい写真を撮るのにちょっと苦労した。というのは、地上から撮影したのではなかなかその規模の大きさを伝えられない。そこで、マルツァーン地区にある園芸博覧会跡地の広大な公園、”Gärten der Welt“の上を走るケーブルカーに乗り、その中から団地の景色を撮影することにした。ところが、乗ってみたらケーブルカーのガラスは黒っぽい遮光ガラスでガックリ。あ〜、これじゃまともな写真撮れないよ〜。しかし、乗った以上は引き返すこともできない。仕方なくそのまま乗っていたら頂上駅の横に大きな展望台があるのに気づいた。

あそこなら撮れる!階段を駆け上がり、展望台から見た景色は、、、、、圧巻であった。

 

 

 

先月、バルト海へ休暇に行って来た。今年初めての旅行である。長い長い旅行制限が続いた後、ようやく遠出をすることができ、短い期間ではあったが満喫した。

滞在したのはダース地方のプレーローという村である。


ダース地方はバルト海に突き出たブーメランに似た形をした細長い半島の中心にある。半島名はFischland-Darß-Zingst。長い名前なのは、かつて3つの別の島だったFischlandとDarßとZingstの間に砂礫が堆積して一続きの陸地になったからだ。自然環境が素晴らしく、半島の東部のZingstは写真ツーリズムで有名で、私も一度写真ワークショップに参加したことがある(そのときに書いた記事はこちら)。プレーローはこじんまりとした静かな村で、Zingst方面へもFischland方面へも移動しやすく大変気に入った。

お天気に恵まれたので、サイクリングをしたり、海に入ったり、野鳥を観察したりと野外活動を大いに楽しんだ。


 

ダースにはいくつかの村があるが、ぶらぶらと歩いているうちに気づいたことがある。とても可愛らしい民家が多く、特にドアが他では見たことのない素朴な可愛さなのだ。

こんな感じ

気になっていたところ、地元の書店でこんな本を見つけて、即買い!

「ダースのドアの小さな本」と題されている

タイトルの通り、ダース地方の伝統的なドアについての本でとても素敵で興味深い。そして、裏表紙を開いたとき、「ヤッタ!」と思わず声が漏れた。

なーんと、滞在しているプレロー村の可愛いドアのついた家のマップが載っているではないか。これはもう、「ドア探検」に行くしかないよね?家から持参した自転車に飛び乗って、かわいいドアを探しに行ったのであった。

数が多くて全部は見切れなかったけれど、ドアのオーナメントにはいろんなモチーフのものがあり、また同じかわいいドアでも時代によってデザインに流行があることがわかって大変面白かった。その探検の成果をまとめたものが以下の動画である。

 

スライド動画には載せきれなかったダースのドアの画像を「ドアギャラリー」にアップしたので、興味のある方はぜひ見てね。

 

 

前回、前々回の記事でシジュウカラの育児観察についてまとめたが、今年は同時にクロウタドリの営巣も観察するチャンスに恵まれた。

以前から我が家の庭にはクロウタドリが3ペアほど出入りしていて、そのうちの1ペアが生垣の中に巣を作ることがよくあった。でも、その生垣は奥行きが2メートル以上あり、去年までは観察用カメラも持っていなかったので、巣の中を見たことはなかった。今年はその生垣を撤去したので、うちの庭にはもう巣を作らないだろうなあと思っていた。でも、垣根を取り除いた場所に花などを植える作業をしているとクロウタドリが飛んで来て、すぐそばの地面で忙しそうに虫を集めている。お隣か裏の家の庭に巣を作ったのだろうなあ。

 

ところが、5月の終わりに庭の反対側の地面にクロウタドリの卵が落ちているのを発見した。

 

こちら側にも小さい生垣がある。もしや、と思って葉をかき分けて中を覗くと、クロウタドリの巣があった。

巣には卵が1つ。そのそばの枝には割れた別の卵の殻が引っかかっている。どうやら、カラスか何かに巣を荒らされたらしい。この巣はこのまま放棄されるのだろうか。せっかく巣作りしたのに、残念だなあ。しかし、この後、休暇に出かけたりして、そのままこの巣のことはすっかり忘れていた。

旅行から帰って来て庭を見回っていると、生垣のあたりが何やら騒がしい。クロウタドリが生垣に出たり入ったりしている。あれ?ひょっとして?

覗いてみると、メスが巣に座っているではないか。そして右側にはヒナらしきものの姿が!母鳥は残った1個の卵をちゃんと温め、ヒナが生まれていたのだ。気づいた私と夫はワーワー大騒ぎ。夫が大急ぎで観察用カメラを生垣の中に取り付けた。

 

やった!これでクロウタドリの巣も観察できる。シジュウカラの観察カメラは巣箱の天井につけたから真上からの映像しか見れないが、こちらは横にカメラを設置したのでまた違うアングルから観察できるのもグッド!でも、あれれ?ヒナは2羽いるぞ。巣を荒らされた後もさらに卵を産んでいたのか。

と思ったら、4羽いた!いつの間にこんなに卵を産んでいたんだろう。

気づいたのが遅かったので、ヒナはすでにある程度大きくなっていて、最初から観察できなかったのがちょっと残念だが、みんな元気いっぱいで見ていて楽しい。それもそのはず、親鳥がすごくがんばって育てているのだ。

餌としてヒナに与える虫を集めるお母さん

 

お母さんだけじゃないよ、お父さんも超働き者。夫婦で力を合わせて4つ子育児に奮闘している。私たちがテラスに座っていると、お父さん鳥が頭上をビュンビュン飛んでせっせと餌を巣に運んでいく。そして、このお父さんはなかなか慎重で、巣に直接は飛び込まず、まず近くの別の場所に留まってあたりを見回し、誰も見ていないのを確認してからサッと生垣の中に消える。そして、子どもたちもお利口さんなのだ。母鳥も巣から離れて餌探しをすることがあったが、親がいない間は子どもたちは巣の中に頭を引っ込めて静かにじーっとしている。ふと、「オオカミと7匹の子ヤギ」の話を思い出した。悪い奴がやって来て、食べられてしまったら大変だからね。

 

ぐんぐん成長して、数日後にはこんなに大きくなった!

 

そして7月7日。私は朝から胸騒ぎがしていた。今日あたり、彼らは巣立つのではないかという気がしたのだ。なのに、その日に限ってキャンセルできない予定が入っている。出先でカメラアプリを頻繁に覗き込む余裕もなさそうだ。私が家にいない間にすべてが終わってしまうかもしれないと巣を気にしつつ、家を出た。

数時間後、夫からメッセージが入った。

「オレのビーサンの中にヒナがいる!」

「はあ?」

あああ〜!やっぱり、出ちゃった。でも、なぜ、サンダルの中に着地!?夫はこれをどうしたものかと迷ったが、そのままにしておいたら親鳥が迎えに来て一緒にいなくなったとのことである。

私は慌てて家に帰ったが、時すでに遅し。巣はもぬけの殻であった。

自動録画された映像を巻き戻して巣立ちの瞬間が映っていないかを見たところ、最後の1羽はなかなか飛び立てなかったようで、巣の縁に上がっては中に降り、また縁に上がっては降りをしばらく繰り返した後、ついに飛び出した。

 

生垣の中だから、華麗に飛び立つというより、近くの枝や葉っぱに乗りながら出ていくという感じだね。

 

こんなわけで、シジュウカラのヒナもクロウタドリのヒナも無事に巣立ち、めでたしめでたし。そして私はまた空の巣症候群に陥るのであった。