Blog Elements
You can display blog posts in various ways with the “Blog Post” element/shortcode. You can see one example here and even more at the blog main menu item of this demo.

セイシェル・ヨットクルージング ⑨ セイシェルの歴史と人々
楽しかった10泊11日のヨット・クルージングも遂に最終日となり、私たちはマエー島のマリーナへ戻った。マエー島に上陸する前にサンタンヌ島のビーチに寄り、最後の一泳ぎを楽しんだ。
この島にはクラブメッドのリゾートがある。私たちはクラブメッドの敷地内には絶対に入らないようにと言われていたが、ビーチを利用することはできた。
白い砂浜の綺麗なビーチなのだけれど、、、、過去9日間、超絶美しいビーチの数々を訪れて来たので期待値がすっかり上がってしまった私たち。サンタンヌ島とマエー島は目と鼻の先なので、海の向こうに見えるのは町の風景である。海の水もなんとなく違うように見える。「なんか、たいしたことないね」「高いリゾートに泊まって町の景色を眺めて過ごすより、ヨットの方が割安だし、あちこち回れて良かったね」などと、クルーズメンバーと言い合ったのだった。
さて、クルーズが終わり、エデンアイランドのマリーナでクルーズの仲間たちとの別れを惜しみつつ下船した私たちは、帰途に着く前の最後の1日を首都ヴィクトリアで過ごした。ヴィクトリアは小さな町で、見どころは多くない。
セイシェルはアフリカおよびヨーロッパにルーツを持つ「クレオール」と呼ばれる人々、インドやマダガスカル、中国にルーツを持つ人々など、異なるエスニシティの人々が混じり合い、大きな摩擦を起こさずに平和的に暮らしている社会だと言われる。今回の旅ではほとんどの時間を洋上で過ごしたので、ヨットのクルー以外の現地の人々と接する機会が少なく、セイシェルの生活文化には残念ながらほとんど触れることができなかった。食文化についても、観光客を相手に料理をする一人のコックさんの料理からは現地の人々の一般的な食事について知ることは難しい。ヴィクトリアの市場やスーパー、モールなどを覗いた限りでは、アフリカ、ヨーロッパ、アジアの要素がブレンドされた独自のものになっているのではないかという印象を持ったのみである。
最近は自然体験をメインにした旅行をすることが多くなっているが、その国の歴史や文化をまったく知ることなく帰って来てしまうのは残念だ。2019年のパナマ旅行の終わりにそうしたように(記事はこちら)、今回も旅の終わりにヴィクトリアの国立歴史博物館でセイシェルの歴史に触れたいと思った。
奴隷貿易から始まったセイシェルの歴史は苦しみに満ちている。セイシェルの島々の存在は数百年前からアラビアの商人たちに知られていたとされるが、ヨーロッパ人が最初にセイシェルを発見したのは大航海時代のことである。無人島だったセイシェルに人が定住するようになったのは、1742年、フランスの探検隊が最大の島(現在のマエー島)に上陸したのが始まりで、1768年にフランス領になり、入植がおこなわれた。開拓のためにアフリカから多くの人が奴隷として連れて来られたのである。1790年までにマエー島の人口は572人に達したが、そのうちヨーロッパ人は65人、507人が奴隷だったとされる。
当初フランスの植民地だったセイシェルは、1814年からはイギリスの統治下に置かれる。独立国となったのは1976年で、それからまだ50年も経っていない。公用語が英、仏、クレオール語の3つなのはこうした背景からで、クレオール語は支配者であるフランス人、イギリス人と、奴隷の身を余儀なくされていたアフリカ各地出身の人々のコミュニケーションの手段として発達した言語だったのだ。
歴史博物館では、セイシェルの歴史を知る上で決して避けて通ることのできない奴隷制に重点が置かれている。私にとっても最も強く印象づけられた内容だったので、ここではそこに的を絞って記録しよう。
輸出品となるシナモンやナツメッグなどのプランテーションの労働力として連れて来られた人々は、そのおよそ45%がマダガスカル、およそ40%がモザンビークを中心とするアフリカ東部、13%がインドのポンディシェリー、残る2%がアフリカ西部の出身だった。
19世紀初頭になると、イギリスで政治家ウィリアム・ウィルバーフォースが主導する奴隷廃止運動が高まっていったが、1833年に奴隷制度が廃止された後も、セイシェルでは引き続き奴隷の保持が続けられ、ようやく解放されたのは1835年になってからだ。
奴隷制の廃止後、すでに衰退していたスパイスや綿花、トウモロコシなどの従来のプランテーションから、より生産性の高いココヤシの栽培への転換が図られていた。奴隷市場のあったアフリカ東部のザンジバルから、解放された多くの人々がセイシェルへ移住し、労働者としてココヤシのプランテーション栽培を支えた。こうしてセイシェルの人口は増え、首都ヴィクトリアも発展していったそうだ。
現在のセイシェルは独立国家だが、自由を奪われ虐げられた苦しみと悲しみ、憤りに満ちた200年の過去をルーツとして持つ国民のナショナルアイデンティティとはどのようなものなのだろうか。
こう書きながらふと思い出したのは、プララン島の海岸近くでアンカリングをして夕食を食べていたある晩、岸辺で焚き火をしているのか、暗闇の中で1点が光っているのが見えたこと。
花火でもしているのかな?と不思議に思ってそちらを見つめていると、リズミカルな楽器の音と歌声がかすかに聞こえて来た。火の周りで踊っている気配がある。それはMoutyaと呼ばれるセイシェルの伝統のダンスだった。からだ一つで遠い未開の島へと連れて来られた人々が持っていたものは、恋しい故郷の思い出、そして自らの体と声だけだった。心の痛みや悲しみを歌を歌い、ダンスをすることで表現し、子孫へと伝えていく。そんな伝統が今でも残っているという。
セイシェルの国旗は放射線状に青、黄、赤、白、緑の5色に塗り分けられた珍しいデザインだ。青は空と海、黄は太陽、赤は統一と愛のための働く国民の決意、白は調和と正義、そして赤は緑は豊かな自然環境を象徴するらしい。
現在のセイシェルの主要産業は、観光と漁業。こちらの記事でも触れたように、自然保護にも大きく力を入れており、持続可能なツーリズムのパイオニア的な存在でもある。限られた場所しか見ていないので一般化できるかどうかはわからないけれど、ビーチにはゴミ一つなく、首都ヴィクトリアも綺麗だった。島国で利用できる土地が限られており、生活必需品の大部分を輸入に頼っているせいか、物価は高い。しかし、生活水準は比較的高いように見受けられた。
10日間のクルーズを共にしたキャプテンはヨットの航海士という職業柄、一年の大部分を洋上で過ごさなければならず、自宅で過ごせる日はわずかだという。でも、毎日必ず妻に電話するのだと言いながら、スマホで結婚式の写真を見せてくれた。「家族と一緒に過ごせる時間は少ないけど、妻は本当に愛情深く、決して不満を言ったりしない。幸せな家庭を持つことができた自分は恵まれている」と語った。敬虔なクリスチャンの彼は、お酒は飲むけれど決して酔っ払うことはない。家で妻や子どもたちと食卓を囲むときには神にお祈りをするのだという。ギターを演奏するので、わずかなフリータイムにはキーボードを弾く娘さんと一緒にゴスペル音楽を演奏して楽しんでいるそうだ。シャイで口数の少ないコックさんも家族の写真を見せてくれた。巨漢の彼の横に美しい妻と小学校低学年くらいの男の子が2人が写っていて、とても心が和んだ。
その一方で、ホテルから空港まで乗ったタクシーの運転手さんからはこんな話を聞いた。
「セイシェルは美しい国だけれど、政治は腐敗しています。観光で持っている国だけど、ホテルの経営者はほとんどが外国人ですよ。あなたが泊まったホテルも中国人の経営で、フロントの女性はジンバブエから出稼ぎに来てるんです。地元の人間はダメです。働かない。なぜだと思います?ドラッグですよ。国民の10%はヘロイン依存です」
ええっ、まさか?と驚く私たちに運転手さんは続ける。
「今、道路を渡って行った3人組の若者ね。彼ら、ディーラーですよ。見ればすぐにわかるんだ。ほら、あそこに飲み物を売ってるワゴンが停まってるでしょう?あそこでヘロインが買えるんですよ。ハタチそこそこの男が、私が10年必死で働いて買ったこの車よりも高い車に乗っている。なぜそんなことが可能なのか、わかりますよね?私にはティーンエイジャーの娘がいるので、ドラッグに手を出したりしないか、心配しています。私はこの国を愛しているけど、変えたいと思っています。このままではダメだ。なんとしてでも変えて行きたい」
どんな国も、美点もあれば問題もあるのは当たり前で、旅において触れることができるのはその国を構成するもののたったひとしずくでしかない。通りすがりにわかることなど、ほとんど何もない。それでも、ほんの一瞬でも接触した人たちの言葉がその国への興味のドアを開けてくれるものだと感じる。また一つ、私のとって気になる国が増えたのだった。
この記事の参考文献及びサイト:
National…

セイシェル・ヨットクルージング ⑧ セイシェル固有の生き物 〜 アルダブラゾウガメとセーシェルオオコウモリ
今回の旅のテーマは主に「海の生き物」だったけれど、陸の生き物にも大いに興味がある。陸にいた時間は短かったけれど、それでもいくらかの生き物を目にすることができた。その中で特筆すべきはセイシェルの固有種、アルダブラゾウガメ とセーシェルオオコウモリだろう。
まず、アルダブラゾウガメは、主にセイシェルの外諸島に属するアルダブラ環礁に生息する陸亀で、今回回った内諸島ではキューリーズ島、クザン島、ラ・ディーグ島、グラン・スール島で多く見た。
オスは最大で体重400kgにもなる巨大なリクガメである。英語ではAldabra…

セイシェル・ヨットクルージング ⑦ グラン・スール島の世界で一番美しいビーチ
今回のセイシェル旅行で初めて陸地滞在ではなくヨットクルージングを選択して、良かったこともあればやや物足りないと思うこともあった。とても良かったのは、10日間という短い期間にたくさんの入江やビーチを訪れることができたこと。クルージングならではの大きな魅力だ。
シュノーケルに関してはすでにこちらの記事に書いたので、今回はビーチについて書き記しておきたい。
全部で10箇所くらいのビーチを回った中で、最も素晴らしかったのはグランド・スール島(Grand…

セイシェル・ヨットクルージング ⑥ オオミヤシ(ココデメール)の故郷、ヴァレ・ド・メ自然保護区を訪れる
セイシェルでは大部分の時間を海の上で過ごしていたが、クルーズの半ばにプララン島に上陸し、ヴァレ・ド・メ自然保護区(Vallée de Mai Nature Reserve)を訪れた。広さ20ヘクタール弱のヴァレ・ド・メ自然保護区は天然のヤシの森がほぼ手付かずの状態で残る、世界最大の種を持つヤシの木、オオミヤシが生息することで知られる。
オオミヤシは実の驚異的な大きさ(平均15-20kg)だけでなく、その魅惑的な形状のために多くの伝説を生んで来た摩訶不思議な植物だ。オオミヤシは、セイシェルの島々が発見されるよりも以前から、その存在が知られていた。ときおり、インドやアフリカ、モルディブの海岸に流れ着く魅惑的な木の実が一体どこからやって来るのか、そしてそれはどんな木の実なのか、長い間、誰も本当のことを知らないまま、観賞の対照として、また薬効や魔力があると信じられ、多くの国で珍重された。セイシェルでオオミヤシがフランス語で「海のヤシ」を意味するココデメール(Coco…

セイシェル・ヨットクルージング ⑤ セイシェルの自然保護 〜 クザン島の成功事例
セイシェルの主な産業は観光業と漁業である。同時に、セイシェルは自然保護に大きな力を入れている国でもある。美しい自然以外の観光名所はないので、自然環境を維持できなければ観光業も成り立たなくなってしまう。また、観光マーケティングでは「楽園」とか「秘境」「手付かずの自然」といった言葉が安易に使われがちだけれど、過去に深刻な環境破壊を経験して来たことではセイシェルも例外ではない。
セイシェルという国の歴史は浅い。もともと人が住んでいなかった島々が1770年代から…

セイシェル・ヨットクルージング ④ シュノーケルでインド洋の生き物を観察
いつからか、野生の生き物を観察することが大きな趣味の一つとなっている。自宅の庭や周辺でバードウォッチングをするほか、アニマルトラッキングや野生動物のモニタリングボランティアなどもしている。しかし、私の住んでいるドイツは国の北側にしか海がなく、北海やバルト海は夏でも水が冷たくて泳ぐのにはあまり適していない。だから、トロピカルな海に飢えているところがある。
そんなわけで、セイシェルではシュノーケルで海の生き物を見ることをとても楽しみにしていた。10日間のクルーズ中、毎日数時間シュノーケルをすることができたので、とても満足だ。セイシェルの内部諸島の多くはこちらの記事に書いたように、花崗岩の島だが、その周囲をサンゴ礁が囲んでいるので、シュノーケルスポットは豊富にある。たくさんのシュノーケルスポットに連れて行ってもらったうち、特に気に入った場所は、サン・ピエール島の周辺。その他、マエー島近くのサンタンヌ海洋公園(Sainte…

新しいブログ開設のお知らせ
2017年から運営して来た当ブログですが、容量がいっぱいになってしまいました。
ドメインごと別のサービスへ引っ越すことも考えたのですが、大変なのでやめました。このブログはこのまま残し、今後はnoteに書いていくことにします。
ぜひご訪問ください。
ChikaTravel (note)