今回レポートするのはニュルンベルクにあるニュルンベルク交通博物館(DB Museum)。主に鉄道の博物館である。このブログでは私の趣味でマイナーな観光スポットを紹介することが多いが、この博物館はメジャーな博物館の一つ。でも、ニュルンベルクまで来たらやっぱり鉄道博物館は外せない。だって、ドイツ史上初めて開通した鉄道はニュルンベルク – フュルト間だったからね。

ニュルンベルク交通博物館は中央駅のすぐ近くでアクセス抜群。

外観

この博物館では1835年に蒸気機関車アドラー号がドイツで初めて走行してから今日に至る184年間のドイツの鉄道史を示している。とてもわかりやすい展示なので、鉄道に詳しくなくても把握しやすく、見応えある展示物の連続で飽きない。

館内で最も古い展示物は1829年に製造された石炭運搬車だ。英国のヘットン炭鉱鉄道で使われていたもの。約2.5トンの石炭を運搬することができ、当時、馬または蒸気機関車が牽引した。

右はアドラー号のレプリカ。それにしても可愛いデザインだなあ。ファンが多いのも頷ける。左は現在使われている高速列車ICE。

蒸気機関車が走るのを初めて見た人たちの興奮はいかほどだったろうか。

石炭を積載するための橋のモデル。

アドラー号の初走行から10年後の1845年までに当時のドイツ帝国の領土内に敷かれた鉄道路線を示す図。すごいスピードで鉄道が施設されていったことがわかる。

初期の食堂車のメニュー

バイエルン王ルートヴィヒ2世のサロン車

ドイツの鉄道は当初、王立鉄道や私鉄がバラバラに運営されていた。第一次世界大戦後、「ドイチェ・ライヒスバーン(ドイツ国営鉄道)」として全国統一されたが、その際にライヒスバーンが各鉄道から引き継いだ機関車の種類は210種もあったという。写真は運営コストを抑えるために導入された統一モデル。

1916年には中央ヨーロッパ寝台・食堂車株式会社(ミトローパ)が設立され、列車移動におけるサービスを開始。ミトローパは第二次世界大戦後、東ドイツ(ドイツ民主共和国)にそのまま引き継がれた。

1928年に導入された高級列車、ラインゴルト

ワイマール時代、ライヒスバーンは国民の約5%が従事する全国最大規模の雇用主だった。従業員がライヒスバーン・ファミリーの一員であることに誇りを持ち団結するよう、社宅を整備し、スポーツその他のレクリエーションの場を提供した。しかし、1933年にナチ党が政権を掌握すると、「強制的同一化(Gleichschaltung)」政策のもと、ユダヤ人をはじめ、党のイデオロギーに合わない者は解雇された。また、鉄道技術は政府のプロパガンダに利用されていく。

ナチ党の国民余暇組織「Kraft-durch-Freude(歓喜力行団)」は労働者の勤労意欲を高める目的で安価な休暇プログラムを提供した。労働者が鉄道や休暇船を利用し、それ以前は富裕層しか味わうことのできなかった豊かさを満喫した。

旅の歌集。なんだか修学旅行を思い出すなあ。

しかし、列車は人々を楽しい旅へと運んだだけではない。第二次世界大戦が勃発すると、軍用列車が兵士を戦地へ運び、そしてユダヤ人輸送列車が多くのユダヤ人を占領下のポーランドへと移送した。

第二次世界大戦後、ドイツは連合国4カ国により統治され、ライヒスバーンも分割運営されることになった。

そして1961年、ベルリンの壁が建設されると、西ドイツでは「ドイチェ・ブンデスバーン(DB)」、東ドイツでは「ドイチェ・ライヒスバーン(DR)」がそれぞれ発足する。

ドイチェ・ライヒスバーンの初の自動発券機

ドイツ鉄道史の最後の展示室は鉄道の現在と未来。相当に端折って紹介したが、実際の展示はもっとずっと内容が濃い。

そして、模型展示室も素晴らしい。私は特に鉄道ファンではないけれど、精巧な鉄道模型にはやはり魅力を感じずにはいられない。収集家が多いのもわかる気がする。

駅の模型は大きすぎて全体像が撮れない。

キッズコーナーも広くてとても楽しそうだった。

大人も子どもも、鉄道ファンもそうではない人も、たぶん誰でも楽しめる博物館だと思う。

先日、ノルトライン=ヴェストファーレン州のジーゲンを訪れる機会があった。ジーゲンを中心とする一帯はジーガーラントと呼ばれる。雨の多い地方で、その日も小雨が降ってややジメッとしていた。ジーガーラントにはスレート屋根の街並みが美しいフロイデンベルクやクロンバッハ醸造所のあるクロイツタールなどの見どころが知られているが、ジーゲンの町にはどんな面白いものがあるのだろうか。簡単なリサーチの結果、ジーガーラント博物館(Siegerlandmuseum)へ行くことにしよう。

ジーゲンの旧市街は丘の上にある。駅から坂道を登って行き、登りきったところにあるお城(Oberes Schloß)の中に博物館がある。(注意 Oberers SchloßとUnteres Schloßの二つのお城がある)

門の奥に見えるのが博物館入口

ジーガーラント博物館はカテゴリーとしては郷土博物館だけれど、4階建てで思っていたよりも内容が充実していた。ジーゲンの町の歴史やジーガーラントの炭鉱史に関する展示の他、ルーベンスの絵画ギャラリーもあり、また、現在はファン・ダイクの特別展示を開催中である。一通り見たが、美術関係の展示は写真撮影不可ということもあり、この記事では私が重点的に見たジーガーラントの炭鉱史に的を絞って紹介したい。

ジーガーラントの鉱山業の始まりは約2500年前に遡る。紀元前600年頃、この地方に定住しラ・テーヌ文化を開花させたケルト人がすでに鉄鉱石を利用していたことを示す記録がある。鉄器の製造に使われていたケルト人の窯も見つかっている。

15世紀に火薬が発明されたことで坑道が掘られるようになり、19世紀の産業革命期にはジーガーランドは欧州で有数の鉱山業及び製鉄業の拠点となった。鉱山は1965年に全て廃坑となったが、 金属加工業は今なお地域を支える重要な産業だ。

様々な鉱石を使って作った鉱山のモデル

ジーガーラント博物館では鉱業に使われた道具や機械、鉄鉱石の採掘時に一緒に掘り出された様々な鉱物が展示されている。

坑夫の使っていた手持ちランタン

ドリル

製鉄に使われた送風機(1840)

「放蕩息子の帰還」の描かれた窯の外板

博物館の地下には体験坑道もある。

おおっ。いい感じ!足元が滑りやすいので危険が全くないわけではない。見学したい人は自己責任で、と貼り紙がしてあった。地下に潜るのが好きなのでもちろん降りて行く。深さは地下14メートル。

平日の午前中だったせいか、見学者は私だけ。貸切状態だ。

体験坑道は100メートルほどの長さなので、あっという間に終わってしまった。本物の鉱山をいくつも見学して来た私としてはちょっと物足りなかったかな。

他の展示室も面白く、ルーベンスの間では特に「ローマの慈愛」が印象的だった。

 

 

 

ゲッティンゲン大学地学研究所博物館へ行って来た。ゲッティンゲン大学は正式名はゲオルク・アウグスト大学といい、天才数学者ガウスやグリム兄弟、マックス・プランクなど多数の著名人を輩出した伝統ある大学である。私の好きな博物学者で冒険家だったアレクサンダー・フォン・フンボルトもゲッティンゲン大学で地質学を学んだ。地学研究所の建物内に地学博物館があり、無料で一般開放されている。

地学研究室建物の1階フロア

ゲッティンゲン大学地質学研究所のコレクションの数は400万点を超え、ドイツ全国でも5本の指に入る規模だが、博物館の展示スペースはそれほど広くはなく、展示されているのはコレクションのごく一部だ。
化石展示室。

モササウルスのモデルとアンモナイト。

亀の甲羅の跡。

ニーダーザクセン州の白亜紀地層に見つかった海綿の化石。私はキノコみたいと思ったのだけれど、Sonnenuhr-Schwämme(日時計海綿)と書いてある。学名はCoeloptychium aganicoides。

「レーバッハの卵(Lebacher Eier)」と呼ばれるジオード。ザールラント地方のレーバッハに見られるロートリーゲント層に見られるもので、鉄鉱石を採掘した際に発見された。乾燥した大陸性気候下にあったペルム紀のレーバッハの動植物が化石となってジオードに閉じ込められている。レーバッハのジオードは卵型をしているのが特徴で、それでレーバッハの卵と呼ばれている。

こちらは第三紀の植物化石。月桂樹やカエデなど馴染みのある植物がほぼ完全な形で残っていてアート作品みたい。

他にもいろいろ面白いものがある。足跡の化石が特に見応えがある。

それぞれ何の生き物の足跡なのか、表記がなくてわからないのが残念。基本的には学生を対象にした展示なので、講師の説明を受けながら展示物を見ることが想定されているのだろう。一般の博物館のような丁寧な説明はされていない。後からネットで調べたところによると、ゲッティンゲン大学は古生物学者マックス・バラーシュテット(1857 – 1945)の足跡化石コレクションを所蔵している。バラーシュテットは200を超える恐竜足跡化石を発見し、足跡化石のスペシャリストとして知られていた。バラーシュテットは足跡の分析の結果、恐竜はそれまで考えられていたよりも動きが敏捷だったはずだと主張した。しかし、博物館における恐竜モデルの展示に彼の説が取り入れられるようになったのは、死後から十数年が経過した1960年代になってからだった。

ゲッティンゲン大学のこの地質研究所博物館には鉱物の展示室もある。また、建物の外が小さなジオパークになっていて屋外で岩石の観察もできる。無料なので満足度が高い。大学付属の博物館は大抵地味だけれど、空いていてじっくり見られるので好きだ。他にもケルン大学の地学博物館ベルリン医大の医学史博物館など面白いのがたくさんある。大学の近くに用があるときについでに立ち寄ると楽しいよ。

友人とベルリンのコンピューターゲーム博物館(Computerspielemuseum)へ行って来た。

旧東ドイツ時代にCafé Warschauというカフェだった空間を改装し、1996年にオープンした。この博物館は楽しい!歴代のコンピューターゲームが展示されているのだが、ゲームで実際に遊ぶことができる。

70年代から今日までの主なゲームを紹介する壁。コントローラーで任意のゲームの名前の書かれたタイルをクリックすると、上部のモニターに説明が表示される。ゲームに疎い私も知っているゲームがいくつかあった。自分自身はほとんど遊んだことがなくても家族(弟、夫、息子)がハマっていたものはBGMに聞き覚えがあり、当時の記憶が蘇って来る。一緒に展示を見たT氏は私とは年齢ギャップがあるので、「あ〜、これ知ってる!」「懐かしい〜」の対象が異なっているのも面白い。

こちらは歴代ゲーム機

ゲームウォッチだ!

1972年にアタリが発表した卓球ゲーム、PONG。

後ろを見て大笑い!

入れたお金を受ける皿

特に楽しいのは80年代前半のゲーセンへとタイムトリップできるこちらの空間だ。

スペースインベーダー。懐かしいね〜と言いつつ私もちょっとやってみたら、30年以上のブランクの後ではもうまるっきりダメだった。

こういうテーブル式のゲーム台、サテン(とかつては呼んでいた)にあったのだけど、中学生にはなんか背徳感があったよなあ。そういえばパックマンゲームには忘れられない思い出がある。私は1982〜3年に米国へ高校留学したのだが、1983年に米国ではパックマンが大流行していた。日本ではもうマリオブラザーズが発表されていたので、「え、今頃?」と戸惑った。生まれて初めて体験したタイムギャップだった。

古いゲーム(1979)ながら魅力的だなと感じたのは「アステロイド」。写真ではわかりづらいけど、画面が3D風でちょっとワクワクする。そういえば「ギャラクシアン」というのもあったなあ。

ゲーム機のある家庭風景を再現したコーナーも面白い。

80年代のティーンエイジャーの部屋で遊ぶT氏

ゲームは娯楽として楽しいだけではなく、学習用のゲームや特殊な訓練のためのシミュレーションゲームなど特定の効果を期待して作られているものも多いのは周知の通りだが、トラウマの治療にもゲームが使われていることを知って興味深かった。

これは2005年にVirtually Better社が発表したPTSD治療用のゲーム、Virtual Iraq。認知行動療法に基づくセラピーでトラウマを克服することを目的に作られた。

展示は多岐に渡るが、この博物館の目玉展示物はなんといってもこのゲームだ。

ペインステーション。18禁。

どういうゲームかというと、単純な対戦型の卓球ゲームなのだが、失敗すると体罰が与えられる。

右手でラケットを操作しつつ、左手はゲーム中ずっとこの金属板の上に置いていなければならない。球を打ち返すのをミスると「電気ショック」「熱」「鞭打ち」のいずれかの刑に処される。なにそのマゾゲーム?

意味がよくわからないが、何事も体験だと遊んでみることにした。刑のレベルを一番低く設定し、卓球を開始。どんくさい私はすぐにミスった。すると、左手を置いていた金属板の下から突然熱風が吹き上げられた。「うわ、熱い!」反射的に手を離してしまう。一番下のレベルだから火傷をするほどではないが、最高レベルだとどのくらいなんだろう?写真に写っている緑色の管は鞭打ちの刑の鞭に違いない。まあ、こんなプラスチックでペチッと叩かれるくらいならたいしたことないよねと思ったが、鞭の先をじっと見てT氏は、言った。「でも、これ先端に何か硬いものがついていた形跡があるよ」。怖い、、、。

いったん離れ、他の展示を見て回った。館内を一巡した後、せっかくだからもう一度やってから帰ろうかとペインステーションに戻ると、なぜか機械はオフになっていて使えなかった。そんなわけで私は「熱の刑」の一番マイルドなレベルしか体験していないのだけれど、家に帰ってからネットで検索したら、ペインステーションで負傷した人たちの画像が出て来てギョッとした。実際に怪我するんだ、、。最高レベルで遊ばなくて良かったかな。

YouTube上に遊んでいる人たちの動画があったので貼っておこう。 重要なのはゲーム中、痛くても熱くても我慢してずっと手を離さないことのようだ。手を離したら負け。男性の方はゲームが終わったら手が真っ赤になっている。

2001年に発表されたというこのゲーム、一体なんでこんなの開発した?(ペインステーション のHP はこちら

展示物で遊べるこのコンピューターゲーム博物館、ゲームに疎い私でもとても面白かったので、ゲーム好きの人ならより楽しめるだろう。入館料9ユーロを払えば遊び放題なので子ども連れでのお出かけにもいいかもしれない。VRゲームもあるよ。

 

ポツダム・バーベルスベルク地区にかねてから気になっていた店があった。気になっていた、というのは、いつ通りかかっても閉まっていたからだ。個人経営のアンティークおもちゃの店haus42は金曜日の午後しか開店しない。定年退職したご夫婦が趣味で収集した古いおもちゃを販売しているらしい。同時におもちゃのミュージアムでもあるという。気になり始めてから2年ほど経ち、ようやくタイミングが合って中を見ることができた。


haus 42はAlt Nowawes通りにある。この通りを中心とする一角は、18世紀にボヘミア地方からやって来たチェコ人の織工たちの集落だった場所で、この建物は当時、全部で210棟建てられたKolonistenhausと呼ばれる入植者用住宅の一つだ。私のポツダムでのお気に入り散策エリアで、とても風情がある。

このエリアの歴史自体も興味深いのだけれど、詳しい紹介は別の機会にして、今回はhaus 42に集中しよう。

入り口のドアを開けて中に入ると、壁面びっしりにドールハウスが展示されていた。中からご主人が出て来たのでミュージアムを見せて欲しいと伝えると、ご主人が展示品を一つ一つ説明してくださった。期待以上に良い!過去に訪れたマンダーシャイトの鉱物博物館Die SteinkisteやヘルシュタインのGoldbachs Weine & Steineでも感じたことだが、個人経営のミュージアムはオーナーがコレクションについて熱心に説明してくれるのでとても楽しい。

実は私は今までドールハウスにはそれほど関心がなかった。でも、haus 42にあるドールハウスは古いものは1900年頃のもので、それぞれの時代の生活文化が反映されていて大変興味深い。

ドイツ帝国時代のドールハウス。お父さんは軍服を着、絨毯の上には兵隊のおもちゃが置かれている。

これは折りたたみ式ドールハウス。裕福な家庭が旅行に行くときに旅先で子どもが遊ぶために作られたもの。

産業革命が起きたグリュンダーツァイト(Gründerzeit)と呼ばれる時期のドールハウス。壁際には装飾の施されたカッヘルオーフェン(陶製放熱器)が設置されている。

ビーダーマイヤー時代のドールハウス。装飾性がおさえられ、比較的質素な雰囲気だ。

ご主人によると、ユーゲントシュティール(アール・ヌーヴォー)のドールハウス。

バウハウス・ムーブメントの影響を受けた1920年代のドールハウス。手前のテーブルと椅子が確かにバウハウスっぽい。

haus 42で取り扱っているドールハウスやその他のおもちゃは東ドイツの二大おもちゃ生産地、エルツ地方やテューリンゲン地方で作られたものがほとんどだ。Moritz Gottschalk社などのメーカーによるものの他に手作りのものもある。どこの家庭でも既製品のおもちゃを買えたわけではなく、厚紙で壁を作って壁紙を貼り、ミニチュア家具だけ買って並べたり、手先の器用な人ならかぐやお人形の洋服を手作りする人も少なくなかった。そういえば、うちの娘が小さい頃、義父も孫娘のために可愛いミニチュア家具をたくさん作ってくれたなあ。

 

クマのドールハウス。壁はデルフト焼きのタイルのイミテーション。ポツダム近郊のカプート城のタイルの間のタイルとそっくりだ。

写真は撮らなかったが、展示されているミニチュアキッチンはどれも造りが良く、おもちゃと言えども大変手の込んだものだった。使い捨てという発想のなかった時代のものはしっかりと作られているなあと感じることが多いが、おもちゃも然りである。

屋根の下の方にある留め金を外すと屋根が外れ、上に階を重ねていくことができる

奥の部屋は主にお人形のコレクション。紺のスカートを履いたお人形はケーテ・クルーゼのもの。

ミュージアム2階。ドールハウス以外のいろいろなアンティークおもちゃが見られる。真ん中の大きな教会模型はポツダム近郊のペッツォウ村にあるシンケル教会の模型である。

ご主人が手回し蓄音機のハンドルを回して音を聞かせてくださった。これをリアルタイムで聴いていた人たちはどんな生活をしていたのかなあ。左側の双子の赤ちゃん人形は紐を引っ張ると足をバタバタさせる。可愛いのか怖いのかちょっとよくわからないが、、、。

「おもちゃって社会文化史なのですね」と私が感想を述べると、「そうですよ。たかがおもちゃとバカにする人もいますが、人間の歩みを映す鏡なんですよ」とご主人は仰った。

 

バイエルン州アウグスブルクの州立織物産業博物館(Staatliches Texitil-und Industriemuseum)へ行って来た。

最寄りのトラム停留所からこの「アウグスブルク梳毛糸紡績工場」の建物が見えたので、これが目当ての博物館かな?と思ったけれど、そうではなく、博物館はこの建物の右の道路を少し奥に行ったところにある。毎度のことだが外観の写真を撮り忘れた。外観が見たい方はこちらの画像を。

中はモダンで立派な博物館。常設展示は繊維の材料の紹介から始まり、様々な紡績機や機織り機、アウグスブルクの繊維・織物産業の発展史、布の織り方や模様、そしてファッションに到るまでの総合的な展示で一般の人が楽しめるだけでなく、繊維・織物業やファッション、デザインに携わる人にも見応えのある博物館ではないかと思う。

アウグスブルクは伝統的に織物産業の盛んな町で、17世紀初頭にはアウグスブルクの手工業者の43%が織物業に従事していた。18世紀に東インド会社によってアジアからコットンのプリント生地がヨーロッパにもたらされたことをきっかけにアウグスブルクの企業家ゲオルク・ノイホーファーがコットンプリント生地の生産技術を確立し、アウグスブルクは南ドイツのコットンプリント生産の中心地となった。

コットンプリントの絵柄見本

展示を見ていたら機械室でガイドツアーがあるというので、参加して機械についての説明を聞いた。

いろいろな機織り機が年代順に並んでいる。順番に一つ一つ実演しながら説明してもらった。

ジャガード織機

ジャガード織りという言葉はよく耳にするが、今までそれが具体的に何を意味するのかわかっていなかった。1801年にリヨン出身のジョゼフ・マリー・ジャカールにより発明されたこの機織り機は、下の写真のようなパンチカードを使い、経糸を一本一本上下させることで複雑な模様を織り込むことができる。

ジャガード織りの発明によって、それまでは貴族しか身に付けることのできない贅沢品であった模様入りの布地が大量生産されるようになり、市民社会においてもファッションが発展していく。

ファッション展示コーナー

これまでマイエンブルクのモード博物館ベルリン工芸技術博物館でドイツの女性の服飾史に触れて来たが、思いがけずここでも素敵な展示を見ることができた。

19世紀のウェディングドレス

現代ではウェディングドレスは純白が定番だけれど、ヨーロッパで結婚式に花嫁が白い衣装を着るようになったのは19世紀からで、それ以前は黒い衣装が一般的だった。まず都市の上流社会で白いウェディングドレスが流行し、それ以外の社会層や農村部にまでそれが広がったのは20世紀に入ってからだそうだ。そして初期の白いウェディングドレスは上の画像のようなブラウスとスカートのツーピースタイプが多く、ブラウスも首の詰まったデザインだった。

19世紀の女性の下着

50年代のワンピース

過去のファッションだけでなく、最新のテクノロジーを駆使した高機能ウェアも展示されていた。

下着ブランドTriumpfが発表したソーラーセル付き水着。スマホを充電できるらしい。

ところで、この博物館では現在「モーツァルトのモード世界」という特別展示をやっている。演奏旅行で欧州各地を移動したモーツァルト親子であるが、道中にフランスを中心に様々な流行に触れ、それらの要素を自らの衣装に取り入れていった(詳しくはこちら)。モーツァルト一家が互いに交わした、または友人たちに宛てた書簡には当時のファッションに関する描写が多くあり、この特別展ではそれらの情報を元にモーツァルトが触れたファッションの世界を再現している。

ローブ・ア・ラ・フランセーズ(左)とアビ・ア・ラ・フランセーズ(右)

ローブ・ド・シャンブル

レオポルト・モーツァルトが妻に宛てた手紙

この博物館は展示も充実しているが、ミュージアムショップにも素敵なものがたくさん。

織物産業に関しては、ケムニッツ産業博物館の展示も充実しているのでご興味のある方はどうぞ。

先日、こんな本を読んだ。

Berlin Story Verlagという出版社から出ている”Berlin Geologie(ベルリン地質学)”というもの 。ベルリン関連の書籍は数え切れないほどあるが、地質学という切り口は珍しい。最近、ドイツ地質学が楽しくてしょうがない私。この本を見つけて、「わざわざ遠出しなくても、首都ベルリンでも地質学を楽しめるかも!」と心踊った。

紐解いてみると、地質学を切り口としたベルリン本というよりも、ベルリンを切り口とした地質学の入門書という感じ。想像していたのとはちょっと違ったが、それはそれで興味深かった。日本でいえば新書レベルで読みやすい。地球の誕生から現在に到るまでの大陸移動と地層堆積の歴史を、地球全体からヨーロッパへ、ヨーロッパから北ヨーロッパへ、北ヨーロッパから現在のドイツへ、そしてドイツから首都ベルリンへとズームインしながら説明していく。ベルリンは平坦な土地で、地質学的に特別注目される場所ではないけれど、ベルリン周辺の地層がどのようにして形成されたのか、ベルリンのどこにどんな石が使われているのかなど、わかると面白い。

この本にベルリン、パンコウ地区の植物公園Botanischer Volksparkにはドイツ各地の様々な石を集めて積み上げた「地質の壁(die geologische Wand)」なるものがあると書いてあった。面白そうなので、早速見に行って来た。

かなり郊外なので電車やバスを何度も乗り換えて、ようやく到着。我ながら物好き、、、。

これが「地質の壁」

この長さ約30メートル、高さ約2.5メートルの壁は、地質学を専門とするベルリンのギムナジウム教師、エドゥアルト・ツェッヒェ(Eduard Zeche)  の発案で1891年から1995年にかけて作られた教育用の岩石見本だそうだ。壁にはドイツ全国から集めた123種類の異なる石が使われている。

近くで見るとこんな感じ

石はテキトウに積み上げてあるのではなく、壁の右端から左方向へ、古生代石炭紀から新生代完新世までの地質年代をAからUまでのエポックに分け、それぞれのエポックの地質構造がわかるような形で下から上へと積んであるのだ。

それぞれの種類の石には番号が振ってある。番号を見れば、それがどこで採れたどういう石なのかがわかるのだが、紙の説明図だけでなく、スマホやPC上で閲覧できる「デジタル版」があって、これがとても便利なことがわかった。モバイルデバイスがあれば、実際の壁で石を観察し手触りを感じながら、それぞれの石について確認できるのだ。

ほらっ。画像上で番号を押すとその石の情報が出て来る

持参したiPad mini上でデジタル版地質の壁を開き、片っ端から番号を押してみた。石の用途や実際にどこで使われているかなどが書いてある。

まずはわかりやすい玄武岩(116番)から見てみよう。ノルトライン=ヴェストファーレン州ライン川沿いのUnkelという場所で採れたもの。今から約700万年前の火山噴火によって形成され、古代ローマの時代から建材などに使われていた。ドイツはあまり火山のイメージがないが、これらの石が採れたアイフェル地方は火山地帯なのだよね。火山噴火によってできたマールと呼ばれる丸い美しい湖が点在し、カンラン石の入った火山弾やガラス化した美しい砂岩など、珍しい石がよく見つかる地質学的にとても面白い地方である。(アイフェル地方のレポートはこちらにまとめています)

こちらはベルリン郊外、リューダースドルフ(Rüdersdorf)産の石灰岩。ムッシェルカルクと呼ばれる三畳紀の地層から採れるもので、ムッシェル(貝)という名の通り、貝殻などの化石がたくさん含まれるのが特徴だ。この石に見られるのはMyophoria vulgarisという貝の化石らしい。この石は主にセメントの原料となる。リューダースドルフの採石場は現在では野外ミュージアムになっていて、シャフトキルンという石灰窯が見学できる他、採石場をジープで廻ったり、併設の地質学博物館で化石を見たりなど、一日かけて遊べる楽しい公園だ。

10番の赤い石は10億年前以上も前に形成されたスカンジナビア半島の花崗岩。なぜスカンジナビアの石がドイツの岩石見本に含まれるのかというと、氷河とともに運ばれて来たからだ。ベルリンを含む北ドイツにはこのような花崗岩の塊が至る所にある。山もないのに大きな岩が突拍子もなくゴロンゴロンと転がっている様子を最初に見たときにはわけが分からずなんとも不思議だったが、迷子石(Findling)と呼ばれると知ってなんだか気に入った。小さく割られたものが田舎の教会の壁などによく使われているのを見かける。色は上の写真のような赤だけでなくいろいろあって、配色を考えて並べるとカラフルなモザイクになり、可愛い。

たとえばこんな具合に

迷子石はあまりにもたくさんあるので、観光スポットとしてこんな迷子石パークが作られているほどだ。

、、、という具合に、壁とiPadを見比べながら「これは〇〇地方で見たあの石と同じだ!」と一人で喜んでしまった。たかが石じゃないか、そんな地味なものと思われるかもしれないけれど、石って結構重要だ。建物や敷石などに使われるから、その土地でどんな石が採れるかで街並みが変わって来る。また、石からは産業が生まれ、その産業を基盤に生活文化が生まれ、その土地ごとの歴史を作っていく。ある地域について語るなら、まず石からと言っても大袈裟ではないかもしれない。

それに、カラフルな石は見ているだけで楽しいな。

今後は旅行に出たらその土地の石をよく観察してみるつもり。

 

久しぶりにドレスデンへ行って来た。ドレスデンは観光資源が豊富で、見たいものがなかなか見終わらない。今回のターゲットはツィンガー宮殿の数学物理学サロン(Mathematisch-physikalischer Salon)。

数学と物理と言われて、何やら難しそうと尻込みする人もいるかもしれないけれど、心配は無用である。ここは博物館というよりも、むしろ美術館である。ここにはザクセン選帝侯(在位:1553 – 1586年)アウグストが収集した様々な科学の道具が展示されている。しかし、実用性のみを追求した道具ではなく、超一流の腕を持った職人らが作り上げた芸術的な計器のコレクションが見られるという。どんなものがあるのだろう。ワクワク、、、。

ギャラリー

入り口を入って左手の細長いギャラリーには13〜19世紀の測量機器、地球儀、天球儀、時計などが並んでいる。

選帝侯アウグストの 測量機器。アウグストはこれらの機器を使い、自ら領土の測量をおこなっていた。右側にある金色の装置はオドメーター(走行距離計)。測量の際にはこのような計器を馬車に取り付け、車輪の周長×回転数で割り出した走行距離を記録していた。

これは塔の高さなど、直に測ることのできないものを測るための正方形の定規(象限儀)。

これは1586年に作られたゼンマイ仕掛けの天球儀。上下の二つの球のうち、天体を表す上の球は24時間かけて一回転する。下の小さい球は地球を示している。この当時はまだ天動説が信じられていたんだものね。

星座は天体に固定されていると考えられていた

1563-1568年にエバーハルト・バルデヴァインによって選帝侯アウグストのために作られた天文時計。この天文時計は非常に複雑な作りをしていて、ここまで精巧なものは世界でも数少ないそうだ。コペルニクス以前の世界観に基づいて設計されているので、現在の天文学においてはもちろん意味をなさないが、当時の人達にとっては崇高の極みであったろう。

ギャラリーと反対側の棟の「時計の間」ではヨーロッパの時計の歴史をなぞることができる。

時計の間

これは時計ではなく、ブレーズ・パスカルの設計した現存する最古の歯車式計算機、パスカリーヌ。手間に並んだ歯車は桁を表し、それぞれをダイヤルのように回して計算する。(でも、足し算と引き算しかできないよね?)

ドレスデンのゼンパー歌劇場に設置された5分計のモデル

高級時計ブランド、A.ランゲ&ゾーネ(A. Lange & Söhne)が1905年に発売した当時最も複雑とされたモデル、Grand Complication No. 42500。この時計、2013年に再び製造されたらしい。価格は約2億円だとか、、、。

さて、三つめの展示室は私好みの「グローブの間」。ここには様々な種類の地球儀や天球儀が展示されている。

いい感じ〜

1288年頃に作られたアラビアの天球儀。プトレマイオスの48星座が描かれている

1872年にドレスデンで作られた天球儀

1875年に月面地図をもとに作られた月球儀

コペルニクス型アーミラリ天球儀

折りたたみ地球儀(1825)

ポケット地球儀

あ〜、楽しい。

最後の展示室は「啓蒙の間」。科学が急激に発展した18世紀から19世紀にかけての数学・天文学の機器が展示されている。

1742年製造のグレゴリー式望遠鏡

1690年製造の太陽光集光レンズ

美術品を見ながら科学の発展の歴史をなぞるというのはとても素敵な体験だと感じた。展示品のうちのわずかしか写真で紹介できなかったが、他にどんなものがあるのか知りたい方は以下の動画をどうぞ。(ドイツ語です)

 


 

Googleマイマップを使ったドイツまにあっく観光マップもついに10個目。今回は手工業関連の博物館をマッピングしてみた。

カテゴリーは「手工業全般」「織物」「皮革」「陶器・磁器」「楽器」「おもちゃ・人形」「木工芸・紙」「時計・彫金」「ガラス」「その他」。

簡単にできるかと思ったら、かなり手こずった。難しかったのは「どこまでを手工業関連博物館に含めるか」ということ。陶器の博物館はその土地の伝統的な焼き物をメインに展示していることが多く、私の頭の中にあった手工業のイメージ通りなのだが、磁器になると地方の伝統産業の枠を超え、美術品の取り扱いになっていく。展示される場所も手工業に特化した博物館よりも、総合的な美術館やお城のコレクションに含まれることが多く、その場合、ドイツだけでなく世界の美術品と一緒に展示される。迷ったが、ドイツの磁器をメインに展示しているところに絞って登録した。

さらに悩ましいのは彫金関連で、展示される場所が秘宝コレクションの域に入ってしまい、お城や聖堂の多いドイツでは全国に分散していていてお手上げ。これも私のイメージの手工業の枠を超えているので、ごくいくつかの彫金関連博物館のみを登録。

また、時代の流れにより、かつては手工業だったが産業革命後、機械化されていったものが多く、手工業という括りのマッピングはちょっと苦しいものがあったかな。

でも、このマップ作りを通してまたいろいろ面白い博物館を見つけたので、とりあえずは満足。

本当はカテゴリーごとにアイコンを変えたかったのだが、Googleマイマップに用意されているアイコンに適切なものがなかったので、全て博物館マークになってしまった。以下のようにカテゴリーごとの表示で見ていただければと思う。

 

ノルトライン=ヴェストファーレン州のヘルネ(Herne)という町にある考古学博物館、LWL Museum für Archaeologie へ行って来た。ヘルネはルール地方のゲルゼンキルヒェンの隣町である。特に目当ての博物館というわけではなかったけれど、たまたまゲルゼンキルヒェンに用があったので、ついでに寄って来た。

ヘルネは大変庶民的な町だ。考古学博物館は駅から伸びる長〜い歩行者天国を歩ききったところにある。(10分くらいかな)

入口がかなりわかりづらく、建物の周りをぐるぐる歩き回ってしまった。写真の縦長のガラス窓の下部ドアから建物内部に入り、地下への階段を降りると博物館の入口がある。

ドアを開けると、そこは太古の森。森を出発してフロアを歩きながら人類の歴史を辿って行くというコンセプト。比較的新しい博物館で、展示室はすっきりと美的でモダンだ。約3000平米の常設展示室にヴェストファーレン地方で出土したものが年代順に展示されている。これがここの目玉展示物!というようなものは特にないので、ややインパクトに欠けるが、見やすい良い博物館だと思う。最近、美的な展示をする考古学博物館が増えているように思う。(美しさという観点での私のイチオシはケムニッツの考古学博物館、SMAC

カラフル石器

展示物は他の考古学博物館でも見たことのあるようなものが多いのだけど、気になったのはこれ。

ギャラリー墓(Galeriegrab)と呼ばれる巨石墓のモデル。古墳っぽい!新石器時代のドイツ北西部で栄えたヴァルトベルク文化において作られていたそうだ。このモデルはパダボーン(Paderborn)とカッセル(Kassel)の中間くらいのところにあるヴァルブルク(Warburg)で発見された巨石墓跡を元にしたもので、実際の遺跡はこんな感じらしい。ギャラリー墓という言葉を初めて聞いた。あまり詳しい説明がなかったので、日本語でググってみた。コトバンクによると、

【巨石記念物】より

…巨大な平石を立てて壁体とし,上を蓋石で覆う。形状によってギャラリー(通廊)墓とかパッセージ(羨道(せんどう))墓などと呼びわけられる。もとは墳丘で覆われ,地上に石が露出していたわけではないが,広義にはこれらも巨石記念物に含められている。…

【ドルメン】より

…巨石記念物の一種。ブルトン語でdolはテーブル,menは石を意味し,大きく扁平な1枚の天井石を数個の塊石で支えた形がテーブルのように見えることからこのように呼ばれた。新石器時代から鉄器時代初期に至るまでに行われた墓葬形制のうち,かなり普遍的なものの一つである。板石を立てたり切石を積んで側壁を築いたものは,ドルメンと呼ばないのが通例である。ただし,ドルメンをいくつかつないで内部の空間を広くし,前方に長い羨道や開口部を設ければ,ヨーロッパでパッセージグレーブpassage grave(羨道墓)とかギャラリーグレーブgallery grave(通廊墓)と呼ばれる巨石墓ないし石室墓となる。…

※「ギャラリー墓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

そういえば、学校の社会科で古墳のいろいろな形状について習ったなあ。ヨーロッパにはどんな種類のものがあるのだろうか。今まで気にしたことがなかったので、今後はアンテナを貼ってみることにしよう。

最古のユーロ硬貨?左はカール大帝の銀貨(792〜821年)、右は西フランク王シャルル3世の銀貨(911年以降)。両方ともケルンで見つかったもの。

 

展示フロアを見るのも楽しいけれど、この博物館でもっと気に入ったのは研究者ラボ(Forscherlabo)だ。

このラボでは考古学者らが実際にどのような方法で研究しているのかを学ぶことができる。

引き出しの中にも展示物がたくさん。こういうハンズオンの展示、大好き。以前訪れた考古学博物館、パレオンにもビジター用ラボがあり、顕微鏡やPCモニターを使っていろいろなものを観察することができた。

古代に生きた人たちがどんな病気にかかっていたのかを示す骨標本。

骨粗鬆症にかかっていた人の背骨

前述のヴァルブルクのギャラリー墓からは200人ほどの人骨が見つかったそうだが、そのうちの何人かの頭蓋骨には通常は見られない変わった骨が見られた。写真の3つの頭蓋骨のうち、左と真ん中の頭蓋骨の中央部に三角形の骨が見える。これはInkabein(interparietal bone、間後頭骨)と呼ばれる余分な骨で、稀にこのような頭骨を持つ人がいる。遺伝性の性質とされている。ギャラリー墓から見つかった三角の頭骨のある骨をDNA分析してみたところ、彼らが実際に親族だったあることがわかったそうだ。面白い。

考古学というと一般的には文系の学問のイメージがある(社会科学に分類されているよね?)けれど、DNA分析など様々な分析技術が発達した現在は自然科学の手法も考古学研究に大いに使われている。考古学に限ったことではなく、他のいろいろな学問分野についても言えることだろう。文系、理系という考え方は今の時代、あまり意味をなさないよね。

 

 

 

 

南西ドイツ弾丸旅行の二日目はシュトゥットガルトへ行った。シュトゥットガルトは大都市で見どころがたくさんありそうだけれど、時間がないので今回は目当てのシュトゥットガルトの州立自然史博物館(Staatliches Museum für Naturkunde Stuttgart)に的を絞ることに。この博物館はMuseum am LöwentorMuseum im Schloss Rosensteinという二つの建物に分かれている。そのうちのMuseum am Löwentorは古生物と地質学の展示がメインなのでそちらへ。

1階展示フロア。地質時代順に化石が展示されている。でも、順路が一直線でないので、ちょっとわかりづらかった。ここでは三畳紀の化石を展示している。三畳紀(約2億5100万年前〜1億9960万年前)はペルム紀の次でジュラ紀の前、中生代の最初の紀である。私のこれまでのドイツ国内化石ハンティングではペルム紀、ジュラ紀、白亜紀などの化石に触れて来たが、三畳紀は未知の世界だ。どんな時代だったのだろうか。

三畳紀はドイツ語ではTrias(トリアス)という。というよりも、Triasを日本語に訳したのが「三畳紀」だと言う方が正確かな。前々回の記事に、ジュラ紀は前期、中期、後期の3つの区分があり、ドイツではそれぞれの区分の地層の色にちなんで黒ジュラ紀、茶ジュラ紀、白ジュラ紀とも呼ばれていると書いたけれど、三畳紀も同じように前期、中期、後期の3つに区分される。区分ごとに地層の色が異なり、それが重なっていることから三畳紀とされた。命名者は南ドイツ、ハイルブロン出身の地質学者フリードリッヒ・フォン・アルベルティ。そしてこの3つの層は上から順にコイパー砂岩(Keuper)、ムシェルカルク(Muschelkalk)、ブンテル砂岩(Bundsandstein)と呼ばれる。地層はもちろん下から上に堆積するから、一番上のコイパー砂岩が最も新しい。一番古いBundsandsteinは、日本語に直訳すると「カラフルな砂岩」という意味だ。カラフルというけど、実際に見ると赤っぽい。

ブンテル砂岩に残ったラウスキア類の足跡。三畳紀前期、この化石が発掘されたあたりではしばしば川が氾濫し、湿った周辺の土の上にいろいろな生き物が足跡を残した。水が引き、土壌が乾燥すると足跡も乾いて固まった。再び洪水が起きると足跡の凹みに堆積物が溜まっていったらしい。

こちらはブンテル砂岩の上のムシェルカルク層。ドイツ語でムシェルとは貝、カルクは石灰岩なので、要するに貝などがどっさり埋まっている石灰岩ということね。

アンモナイトなどがギッシリ

ムシェルカルクからよく見つかる海棲爬虫類、ノトサウルス

コイパー砂岩層の展示はなぜか写真を撮り忘れてしまった。この博物館にはジュラ紀の化石も多数展示されている。そのうちの黒ジュラ紀化石の多くは前日に訪れたホルツマーデンで発掘されたものだ。素晴らしい標本ばかりでどれも一見の価値があるが、今回の記事ではこの博物館で個人的に面白く感じた「鳥から恐竜への進化」展示をクローズアップする。(黒ジュラ紀の化石が気になる方は、是非こちらを見てね)

最近、恐竜関連の本で”恐竜は厳密には絶滅しておらず、恐竜の一部である獣脚類が鳥類に進化して今現在も生きている“と読んだ。知識としてはそうインプットしたのだけれど、恐竜が、それも「鳥」の字がつく鳥盤類ではなく獣脚類が鳥へ進化したというのがなんともややこしく、イメージ的に今ひとつピンと来ていなかった。一体どうやったらあんな怪獣っぽいやつらがインコやジュウシマツへ進化できたのだろうか?

それを知るには、獣脚類の指と首と尾に注目すると良いらしい。写真はドイツの三畳紀の地層から発掘された最大の獣脚類恐竜、リリエンステルヌス(Liliensternus)の復元骨格。この肉食恐竜の首は前にまっすぐに伸び、尾は長く、指は4本ある。最も古い時代の恐竜は指が5本だったそうだが、1 本少ない4本になっている。

4本

上のリリエンステルヌとジュラ紀後期の獣脚類、アロサウルス(Allosaurus)を比較してみよう。アロサウルスは首がS字型に曲がり、指は前足が3本、後ろ足が4本である。

3本

次にコンプソグナトゥス(Compsognathus)の図を見ると、骨がかなり軽量化しているのがわかる。首の下にV字型をした骨がある。これはGabelbein (Furcula)といって鎖骨が中央で癒合したもので、鳥類に見られる特徴だそうだ。鳥が翼を上げ下ろしして飛ぶ際に重要な役割を果たす。足の指もぐっと華奢になっているね。

コンプソグナトゥスのモデル。羽毛に覆われ、小さいせいもあり、確かに鳥っぽい。

これは白亜紀前期のカウディプテリクス(Caudipteryx)。カウディプテリクスとは「尾に羽毛を持つもの」という意味だそうで、前足と尾の羽毛が長い。歯が描かれていないことにも注目。

カウディプテリクスの化石

カウディプテリクスと近縁のオヴィラプトルのメス

次は白亜紀の前期から後期にかけて繁栄したドロマエオサウルス。尾が固り、腕が長くなっている。後ろ足の指は鳥と同じように鉤爪になっている、木に登る際に枝を掴むのに適していたと考えられるそうだ。

ドロマエサウルス科ミクロラプトルのモデル

このように獣脚類の恐竜は長い年月をかけて次第に鳥的な特徴を獲得していった。

そして1860年、南ドイツのゾルンホーフェンで初めて始祖鳥(アーケオプテリクス、Archaeopteryx)の化石が発見される。

始祖鳥のモデル

始祖鳥という名前からには史上最古の鳥なのかと思えば、羽毛や翼を持ち相当に鳥っぽいものの、現在の鳥の直接の祖先ではないらしい(紛らわしい〜)。この辺りのことは展示には詳しく説明されていなかった、身近にある恐竜関連資料を読んでも説明が微妙にまちまちで今ひとつクリアにならないので、とりあえずここでは保留にしておこう。近々、恐竜の専門家に質問することにする。

現在の鳥

鳥は鳥でさらに進化して、現在は姿かたちの様々な鳥が約1万種もいるとされているのだから進化というのは不思議で面白いね。

 

以上、自分の関心によりかなり偏った紹介になってしまったので、シュトゥットガルト自然史博物館(Museum am Löwentor)の全体的な様子が知りたい方は、以下の動画をどうぞ。

一人でハマっているドイツまにあっく観光マップ作りもすでに9個目。今回はドイツ食文化関連博物館マップを作ってみた。

カテゴリーは「ビール博物館」「ワイン博物館」「パン・お菓子博物館」「果物関連博物館」「コーヒー・紅茶博物館」「肉・魚関連博物館」「その他の食べ物・飲み物関連博物館」、そして「食文化関連博物館」の8つ。

ビール博物館やワイン博物館は小さいものも含めると無数にあるので、全ては網羅していない。私はビールが飲めないのだけれど、以前行ったこのビール博物館はとても面白かった。

100種類以上のビールが飲めるレストランを併設したバイロイトのマイゼル醸造所ビール博物館

ドイツの食べ物というとすぐにソーセージを思い浮かべると思うけれど、意外に漁業関連の博物館もある。「その他の食べ物・飲み物関連博物館」カテゴリーにはキャベツ博物館やスープ博物館など、マニアック度の高いものも登録した。

食文化関連はとっつきやすいテーマなので、誰でも楽しめるのではないかな。よかったらマップを使ってみてください。そして、このマップに登録していない面白い食のミュージアムを知っていたら、ぜひ教えてください。

先週、南ドイツのシュトゥットガルト方面へ行く用事があった。シュトゥットガルトといえば、その近郊にかねてから行きたいと思っていた場所があったのでついでに立ち寄ることにした。それは、ドイツ国内で最大のプライベート化石博物館とされる、ホルツマーデン(Holzmaden)のUrwelt-Museum Hauff。ジュラ紀の大型化石標本が多数展示されているというこの博物館を1年ほど前にテレビで見て以来、ずっと気になっていたのである。ホルツマーデンは小さな村なのでアクセスはあまり良くない。宿泊予定だったエスリンゲンからは車で30分くらい。

到着

ガーデンスペースに恐竜のモデルが立っているので、見落とす心配はない

とうとう来たか〜とワクワクしながら館内に入り、チケットを購入。オーディオガイドは残念ながらなかった。事前にウェブサイトで確認してこの日はガイドツアーがないと知っていたけれど、ダメもとで聞いてみる。「今日はガイドツアー、ありませんか?」

すると、「今日は設定されてないけど、個人で申し込むことはできますよ。60ユーロかかりますけど」と受付の女性。60ユーロと聞いて一瞬考えたが、夫と一緒だったので一人あたり30ユーロ。せっかくここまではるばる来たのだし、専門家に案内してもらえるチャンスを逃すのもと思い、お願いすることに。ガイドさんは当館で化石のクリーニングを担当している技術者のクラウス・ニールケンさん。

この博物館、Urwelt-Museum Hauffはホルツマーデン生まれの化石収集家、ベルンハルト・ハウフ氏が設立したプライベート博物館である。ハウフ氏の父親は化学産業に従事しており、粘板岩の採石場を所有していた。その採石場から出る化石に幼少期から魅せられていたハウフ氏は化石のクリーニングの技術を習得し、1936年、自らのコレクションを展示する目的でこの博物館を設立した。息子のベルンハルト・ハウフ・Jr.氏はテュービンゲン大学で古生物学博士号を取得し、父の博物館を引き継いだ。そして現在は孫のロルフ・ベルンハルト・ハウフ氏が館長を務める。一家三代に渡るライフワークとしての博物館。そこからしてすごいスケールの話である。

まず、この地域の地層についてざっと見てみよう。ホルツマーデンはシュヴェービッシェ・アルプという丘陵地帯の麓(北西側)に位置する。(小さい村なので以下の地図には記載されていないけど、Kirchheim u. Teck と書いてあるところのそば)

Image: Thomas Römer, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=55865564

シュヴェービッシェ・アルプ地方はジュラ紀にはトロピカルな浅い海に覆われていた。だから、この地方からはジュラ紀の海の化石がたくさん産出されるのだ。ジュラ紀というのは中生代の真ん中、三畳紀と白亜紀に挟まれる地質時代だが、そのジュラ紀はさらに前期(リアス期)、中期(ドッガー期)、後期(マルム期)に分けられる。ドイツではそのそれぞれを黒ジュラ(schwarzer Jura)、茶ジュラ(brauner Jura)、白ジュラ(weißer Jura)と呼ぶことが多い。その地質年代に相当する地層が黒、茶、白という特徴的な色をしているからだ。

以前、当ブログで紹介した化石の名産地、ゾルンホーフェンの地層はジュラ紀の中でも白ジュラ紀の時代に堆積したものだ。実際、ゾルンホーフェンの岩石は白っぽい色をしている。それに対してここ、ホルツマーデンの地層は黒ジュラ紀の地層で、ポシドニア頁岩と呼ばれる粘板岩は歴青を多く含むため、濃っぽいグレーなのだ。ジュラ紀に浅い海に堆積した泥の層が、その上に堆積した地層の重みで1/20の容積に押しつぶされてできたらしい。そのため、このあたりで産出される化石はおせんべいのようにぺしゃんこだ。

入り口を入ってすぐの展示室には地域の地質の説明パネルの他、大きな階段状の地層モデルが展示されている

これはサメの化石。お腹のあたりに何かが密集している?

と思ってよく見ると、、、、エエーッ!!これはベレムナイト!こんなに大量のベレムナイトがサメの胃の中に!?ベレムナイトとは白亜紀に絶滅したイカにソックリな生物である。この短い五寸釘のようなものは、死んで分解されても残りやすい鏃型の殻部分で矢石とも呼ばれる。

「もしかしたら、これがこのサメの死因だったのかもしれませんね」とニールケンさんは笑った。

イカを大量に食べて消化不良で死んだサメなのか、これは?

ふと、その昔、私の母の同僚が映画館で大量のスルメを食べ、ビールを飲みながら映画を見ていたら、胃の中でスルメが膨張して大変なことになり、病院に運ばれたというエピソードを思い出してしまった。イカのドカ食いには気をつけよう。

サメの他にこの博物館ではイクチオサウルス、プレシオサウルス、翼竜やワニなどの大型化石が見られる。

ホルツマーデン周辺の粘板岩から産出する化石の特徴は、生物の軟体部もよく保存されていること。普通は軟体部は分解してなくなってしまい、残るのは骨などの硬い部分だけれど、この辺りの化石は酸素の乏しい地層に閉じ込められたことで軟体部も保存されやすかった。

イクチオサウルスの骨格標本。尾が下向きに折れ曲がっている。

すごく保存状態が良いけれど、なぜ折れ曲がっているのだろう?

その疑問は軟体部分が残っている別のイクチオサウルスの標本を見て解けた。

なるほど、尾びれの下側の部分だったのか〜。

それにしても惚れ惚れとしてしまう立派な標本である。

こんなに隅々まで綺麗に残っていると、ジュラ紀に生きていらしたんですね、と話しかけたくなってしまう。一つ一つの標本がリアルな個体として迫って来る。

これはまた別のイクチオサウルスなのだけど、肋骨の内側に小さなリング状のものがたくさん並んでいるの、見えるかな?

「これはメスで、お腹の中に胎児が5体いますよ」

エエ?胎児?妊婦さんだったの?

「一匹は無事に産まれたみたいですね。ほら、左上を見てください」と言われ、標本の左上に目をやると、

あ、赤ちゃんがーーーっ!!一匹産み落としたところで力尽きたなんて、お母さん、悲しすぎ。

なんだか圧倒される標本の数々。ワニの化石もすごいですね。

ここの化石は軟体部が保存されやすいと先にも書いたけれど、こんなベレムナイト標本、初めて見たわ。

アンモナイトと魚が重なった瞬間が永久スクリーンショットされてる!

驚きの連続。そしてこの博物館の一番の目玉はこのウミユリの群生標本だ。ユリというから植物なのかと思ったら、ウミユリはヒトデやウニなどと同じ棘皮生物だった。標本の真ん中あたりの高さのところに横向きに黒っぽいものが見えるが、これは流木で、5本の腕を持つウミユリの成体がこの流木につかまるように付着してゆらゆらと生きていた。この標本はウミユリ化石の標本としては世界最大で、なんと18×6mもある。クリーニングには18年もかかったという。

細部

感動のガイドツアーが終わった。60ユーロの価値はあると感じたが、一人5ユーロの日曜ツアーも定期的にあるので、興味のある方は日曜を狙って行くのがおすすめ。

博物館のすぐ前(道路を渡った反対側)には化石収集体験のできる小さな石切場もある。でも、子供向けなので本格的にやってみたい場合は博物館から約2.5kmのところにある石切場、Schieferbruch Kromerが良いと教えてもらった。私も絶対行くつもり!

前回、前々回と番外編の日本のまにあっく観光地を紹介しているが、その3(今回で最終回)は東京から大きくジャンプして北海道三笠市の三笠市立博物館。道央にあるこの博物館では日本一のアンモナイトのコレクションが見られると知り、行く気満々だった。

しかし、季節は真冬。実家からはまずバスで旭川駅まで行き(30分弱)、そこから電車で岩見沢まで行き(約1時間)、そこからローカルバスに乗り換えてさらに1時間近く移動しなければならない。行こうと思った日の前日、旭川の最低気温はマイナス21度だった。さすがに無謀では。内心諦めかけたところに我が母は言う。「多分三笠の方はそんなに寒くない。大丈夫だ」と。さすが道産子歴70余年。母がそう言うならと決行することにした。

博物館最寄りの幾春別バス停留所に到着

博物館への道。写っているのは我が母と娘

あった!

ドイツからはるばる来たよ、三笠市立博物館。これで閉まってたら泣くところだった。

おーっ。これは見るからに凄そう!

フロアは巨大なアンモナイトの標本のオンパレード。この光景だけでも一見の価値がある。側面にも大小様々なアンモナイトが展示されている。その数、およそ600点。日本一を誇るアンモナイトコレクションだそうだが、そもそもなぜここにそれだけのアンモナイト化石が大集合しているのかというと、三笠市及びその周辺には蝦夷層という白亜紀の地層が分布しているため。蝦夷層からはアンモナイトやイノセラムス(二枚貝)の化石が多く見つかるのだ。

縫合線くっきりのアンモナイト標本。アンモナイトの内部はたくさんの小さな部屋に分かれていて、そのそれぞれを分ける壁を隔壁と呼ぶ。縫合線とはその隔壁と外側の殻の接線で、このような複雑な模様を描くものもあるそうだ。

日本最大級のこの標本の表面にも縫合線が見られる

展示の説明はかなり詳しく、アンモナイトの系統図から見分け方の説明、さらには新種がどのように論文に記載されるのかまで説明されている。小さな町の博物館とは思えない充実ぶり。

ところでアンモナイト標本の中央の窪みのことを「へそ」と呼ぶが、おへその部分は殻が薄くて風化しやすいので大型標本にはおへそがないものが多いらしい。三笠市立博物館の大型標本にはおへそがある。また、アンモナイトには「正常巻き」のものと「異常巻き」のものがある。アンモナイトと言われて普通、頭に思い浮かべるシナモンロールのようにくるりと巻いたものは正常巻きのアンモナイト、それ以外のものは異常巻き。でも、異常巻きのアンモナイトは病気のアンモナイトということではない。巻いていないタイプを総称して正常巻きのものと区別している。

北海道を代表する異常巻きアンモナイト、ニッポニテス

これもアンモナイトなんだ!

2017年に三笠市で発見された新種のアンモナイト、ユーボストリコセラス・ヴァルデラクサム

とにかくいろんな種類のアンモナイトを見ることができて、本当に面白い。北海道産の標本だけでも十分過ぎる見応えがあるが、世界各地で発見された見事な標本もたくさん展示されている。

あれっ。この黄色い板はもしかしてドイツのゾルンホーフェン産では?

実は私もゾルンホーフェンで採集して来たんだよね。(詳しくはこちらの記事)

北海道では首長竜やモササウルスの化石も見つかっている。

1976年に三笠市で発見されたモササウルスの新種、エゾミカサリュウの模型

他にもコンボウガキと呼ばれる細長いカキの化石とか、面白いものがたくさん!もうー、書ききれない。そして、ここまでに紹介したものは三笠市立博物館に全部で6つある展示室のうちの一つでしかないのだ。他の展示室では日本最古の炭鉱である幌内炭鉱における労使を含めた郷土史の展示が見られる。そちらも大変興味深かった。

アクセスが良いとは言い難いものの、行く価値大いにありの素晴らしい博物館で大満足。今回は雪に埋もれていたため見学しなかったが、この博物館周辺はジオパークになっていて(三笠ジオパーク)地層の観察もできる。

北海道にはこんな面白いものがあったのかと故郷を再発見できたのも収穫だった。そして、この三笠市立博物館だけでなく今回の日本里帰り中に立ち寄った古生物関連博物館の全てでゾルンホーフェン産の化石標本を目にして、世界的に有名な化石の産地で化石収集体験できる環境にいるのは恵まれたことなんだなあと実感したのである。

 

追記:

みかさぐらしさんによる三笠市立博物館館長さんのインタビュー動画がとても面白いです。

引き続き、番外編で日本への里帰り中に訪れたまにあっく観光地の紹介である。前回は高知県の室戸ユネスコ世界ジオパークを紹介した(記事はこちら)が、今回は東京都台東区にある世界のカバン博物館についてレポートしよう。

この博物館は鞄メーカー「エース株式会社」本社ビル7階にある。都営浅草線浅草駅からすぐ。世界中から集めた珍しい鞄が展示されているという。嬉しいことに入館料は無料。そう来たら、行かなきゃ損損!

博物館入口を入ってすぐに目につくのは、円形のフロアパーティションの壁面を使ったカバンの色見本ディスプレー。写真に写っていないけれど、この曲線に沿うようにして左側の壁に「カバンの歴史」を示す展示がある。人類の生活においてカバンというものがどのように生まれ、発展していったかがわかる面白い展示だった。

展示によると、人類が最初にカバンを使ったのは紀元前3000年以上前にも遡る。最初のカバンは動物の皮や植物で作った袋だった。移動生活をしていた人々はそうした袋に食べ物や武器などを入れて運んだ。古代エジプト時代に川を利用して荷物を運搬する技術が発達し、木の幹をくり抜いて作った「トランク」が登場する。カバンには次第に装飾が施されるようになり、時代の推移の中でカバンは富と権威の象徴となって行く。世界の様々な地域で身近な素材や生活習慣に応じたそれぞれのカバンが発達したが、交易が盛んになると互いに影響を与え合い、異民族の要素も取り入れながらカバン文化が発展して行く。日本では平面布で物を包む文化が主に発達し、風呂敷や巾着袋を生み出した。鎖国をしたことで独特のカバン文化が発展し、江戸時代は袋物黄金時代と呼ばれるほど様々な名作を生み出したそうだ。近代になると産業革命によってカバンづくりが工業化し、様々な素材を利用したカバンが売られるようになる。また、交通機関の発達で旅が大衆化すると、ポーターが運んでいたそれまでのトランクも旅行者が自分の手で持ち運びやすいものへと変化していった。ハンドバックも列車の旅の際の手荷物入れとして登場し、次第に日常生活でも使われるようになったそうだ。人類の歴史においてカバンは生活文化の発展と共に発達し、生活が多様化した現在では用途や場面に応じた様々なカバンが使われている。

と、ざっくりとまとめてしまったが、展示では詳細な説明がなされていて読み応えがあった。

「カバンのひみつ」コーナーではカバンづくりの動画やパーツの名称を示すパネルなどがある。日頃、あまり何も考えずに使っているカバンだけど、よく考えられ技術を駆使して作られているのだなあ。

その先はいよいよこの博物館が誇る世界のカバンコレクションのコーナーだ。エース株式会社の創業者である新川柳作氏が収集した世界の珍しいカバン約550点の中からその都度セレクトし、展示しているという。

面白いカバン、希少なカバンのオンパレードで、またカバンを通じて世界のいろいろな民族の生活文化にも触れることができ、楽しい。どれも魅力的で全部紹介したいくらいなので興味のある方は是非、見に行ってみてください。以下は私が特に気に入ったもの。

イタリアのワインボトル入れバッグ

スイスの学童用バッグ

スウェーデンのベリー摘み用の籠

トルコの穀物袋

オセアニアの籠バック

ベトナムのプラ紐バック

セネガルの空き缶で作られたアタッシュケース

ネパールのショルダーバックとウズベキスタンのリュックサック

米国製30年代のワードロープトランク

日本の図嚢

戦時中の日本で作られていた鮭皮のバック

車掌さんのカバン。懐かしい!

この他にも著名人が寄贈したカバンのコーナーや特別企画展もあり、充実している。ウェブサイトによると、エース創業者の新川氏は1958年にドイツのオッフェンバッハにある皮革博物館を訪れ、「皮革製品が無数に展示されているけれどカバンが少ない」と物足りなく感じ、このカバンの博物館を創られたそうだ。(と思ってオッフェンバッハの皮革博物館のウェブサイトを見たら、博物館100周年記念でなんと現在「カバン展」をやっているではないか!行かなくちゃ)

これからカバンを見る目がちょっと変わりそう。

 

 

年末からしばらく更新していなかった当ブログ、1月もすでに後半に差しかかってしまったが、今年もドイツのまにあっくな観光スポットをどんどん発掘して行くつもり。年末年始は日本へ里帰りしていた。日本でもまにあっく観光を楽しんで来たので、今回から数回、番外編として日本の面白い場所をいくつか紹介することにしよう。

その一つ目は高知県室戸半島の「室戸ユネスコ世界ジオパーク」。私の故郷は北海道だけれど、今回は仕事の関係で弟一家が住んでいる高知も訪れた。弟夫婦にあちこちドライブに連れて行ってもらい、北海道やこれまでに住んだことのある関東地方とは異なる自然環境を楽しんだ。最近、ジオパークが気になっているので、高知県の端っこに位置する室戸ユネスコ世界ジオパークにも行って来た。


まずは高知市から南東へ約80kmのところにある「室戸世界ジオパークセンター」で室戸半島の成り立ちについてざっくりと予習。

このビジターセンターでは室戸半島の地形及び自然環境やそこに住む人々の暮らしについて展示されている。

室戸半島の地形モデル。全体が上下に襞を寄せたように隆起している。室戸半島のこの地形はプレートの運動によって「付加体」というものが繰り返し形成されることでできたそうだ。室戸半島は海洋プレート(フィリピン海プレート)が大陸プレート(ユーラシアプレート)の下に沈み込む海溝(南海トラフ)の北側に位置している。海洋プレートが沈み込む際、その上に堆積した砂や泥などが上方に押し出されて陸地にくっつく。すでにある地層の下部に新しい地層が潜り込むように付加されるのだが、それが繰り返されることで陸地がぐいぐい押されて持ち上がり、段丘となる。室戸半島だけでなく四国全体が南から北に向かって押し上げられてできた地形で、海溝に近い南の地層が最も新しく、北の地層ほど古いそうだ。

海プレートが大陸プレートにぶつかって押し続けるため、室戸半島の大地は平均約2m/千年のスピードで隆起しているそうだ。ジオパークセンターでは南国市にある高知コアセンターの研究や地震・津波観測監視システムDONET 2についても展示している。情報を一般向けにわかりやすく提示している良い情報センターだと思う。

さて、それではジオパークを実際に見てみよう。いくつかある室戸ユネスコ世界ジオパークの見どころのうち、室戸岬の灌頂ケ浜を歩いてみた。

奇妙な黒と灰白色のシマ模様の岩があちこちに横たわっている。このようなシマシマはタービダイト層と呼ぶそうだ。泥が海水中で堆積して固まった黒色の泥岩と灰白色の砂岩が交互に重なってできている。泥が堆積している場所に土砂を多く含んだ混濁流によって砂が運ばれて来て堆積する。それが定期的に繰り返されてシマ模様になるらしい。

泥岩と砂岩は水平に重なるのだけれど、それが激しい地殻変動によって破断したり湾曲してぐにゃぐにゃに折れ曲がる。このような構造を「スランプ構造」と呼ぶんだって。

見て、このスケールを!

サンゴがたくさん。でも、ジオパークに指定されている場所なので拾ってはダメね。

日本の自然はダイナミックだね。

アコウの木(別名、タコノキ)。本当にタコのよう。このすごい根っこは台風の被害を抑えてくれるらしい。アコウの木にはイチジクのような実がなるそうだ。

この後、生痕化石が観察できるという羽根岬へも行ったけれど、残念ながら化石を見つけることはできなかった。またの機会にじっくり探してみたい。

日本国内にはジオパークに認定されている場所が現在、44箇所ある。そのうち9箇所がユネスコ世界ジオパークで室戸ジオパークはその一つだ。これから少しづつ日本のジオパークを回れるといいなあ。