3週間に及ぶシチリア島とエオリエ諸島の旅を終えて帰路につく前に、最後に寄りたかった場所がある。それはトラパニとパレルモの真ん中あたりにある小さな海辺の村、トラッぺト(Trappeto)村。観光地として知られている場所ではない。人口3000人ほどの小さな自治体だ。なぜ、そんな村に寄りたかったのかというと、50年前に夫が両親とともに一夏を過ごした場所だから。
夫の両親は東ドイツ出身で、ベルリンの壁ができる少し前に西ドイツへ逃亡した。着の身着のまま東ドイツを脱出したため、最初のうちは経済的に大変苦労したそうだ。金属加工職人としてのスキルを持っていた義父は、やがて刃物生産で有名なゾーリンゲン市の刃物工場に職を得、安定した生活ができるようになったが、東ドイツに残った親や兄弟に西側の物資をせっせと送る日々が続き、経済的に余裕があるとは言えない状態だった。高度成長期にあった西ドイツでは海外で休暇を過ごすことが一般的になりつつあり、太陽を求めて遠くスペインやイタリア、ギリシアまで出かけて行く人が増える中、義両親はどこへも出かけたことがなかった。
義父の勤めていた工場にはシチリア島から出稼ぎに来ている男性たちがおり、義父はその一人、サルヴァトーレという名の男性と特に親しくしていた。ある日、「あーあ、自分もイタリアやスペインに休暇に行きたいもんだよ」と義父が呟くと、サルヴァトーレ氏が「だったらシチリア島へ行ったらいい。僕の家を使っていいよ」と気前よくシチリア島のトラッぺト村にある自宅の鍵を貸してくれたのである。そこで、義父は取れるだけの休暇をまとめて取り、妻と当時5歳の息子を連れてシチリアへ出発した。まだ自家用車を持っていなかった頃のこと、ゾーリンゲンから電車やバスに揺られて行ったという。
トラッぺト村は貧しい漁村だったが、村の人たちは義両親と夫を「サルヴァトーレのドイツでの同僚一家」として大変歓待してくれたという。3人はサルヴァトーレ氏の家でのんびりとした、とても楽しい夏を過ごしたらしい。義母によると夫も村の子どもたちと毎日遊び回っていたそうだ。
質素ではあったけれど、太陽と青い海を満喫した6週間。素晴らしい思い出だと義両親は今でもとても懐かしがっている。夫は50年前のその夏のことをほとんど何も覚えていないが、両親と旅行に出かけたのはそのたった一度のシチリア休暇だけなので、シチリア島は夫にとって特別な存在であるらしかった。だから、今回、シチリア島へせっかく来たのなら、是非ともトラッペト村を見てみたいと思ったのである。
トラッペト村の小さな港。着いたのがお昼過ぎでシエスタの時間だったからか、村は静まりかえっていた。
夫は感慨深げな表情であたりの景色を眺めている。「少し思い出した気がする、、、」
50年前に夫が両親とともにこの海で遊んだ後しばらくして、サルヴァトーレ氏は結婚し、ゾーリンゲンを離れた。義両親もまた引っ越したのでそのまま疎遠になってしまい、現在、サルヴァトーレ氏がどこで何をしているのかはわからないそうだ。もしかしたら、この小さな村のどこかに今、サルヴァトーレ氏がいるのかもしれない。探してみようか?と夫に言ってみた。今はサルヴァトーレ氏も高齢になっている。「自分のことを忘れてはいないかもしれないが、お互いに顔もわからないからなあ」と夫は首を横に振った。
港にレストランがあった。近づくと何やら看板のようなものがかかっている。その文字を読んでびっくり!
「ゾーリンゲン市トラッペト地区」と書いてあるのだ。これは一体どういうことだ?この黄色い看板はドイツの地名標識にそっくりである。でも、なぜゾーリンゲンの標識がシチリア島に?それに、トラッペトはもちろんゾーリンゲン市の一地区などではない。
気になって調べたところ、興味深いことがわかった。西ドイツは第二次世界大戦後、「ガストアルバイター(ゲスト労働者)」という名で外国から多数の出稼ぎ労働者を受け入れたが、その初期はイタリアからの移住者が多かった。トラッペト村は最初にガストアルバイターを送り出した村の一つで、男性たちは集団でゾーリンゲン市に渡っていたのだった。
現在、当時のドイツのガストアルバイター政策はその後、社会問題を生み出したと否定的に語られることが多い。その是非についてここで論じるつもりはないが、良いことばかりでなかったことは想像できる。しかし、「トラッペト村からのガストアルバイター達は真面目な働き者で、職場での関係は良好だった」と義父は常々言っていて、個人レベルでは義父とサルヴァトーレ氏の間のような心温まる交流もあったのだ。そして、この黄色い地名標識がそれから50年経った今もここに置かれているということは、トラッペト村の元ガストアルバイターにとってもゾーリンゲンでの日々はきっと悪い思い出ではないのだろうと思わされ、関係ない私もなんだかちょっと嬉しかった。
夫が義両親に「今、トラッペト村にいるよ」と電話したら、義母が「村に入ってすぐのところ、右側に食料品店があるでしょう?」と言うのだが、それらしきものは見当たらなかったが、小さなカフェがあった。
記念にカフェで取った軽食。コーヒー味の冷たい飲み物があまーくて、独特の味だった。この味が私に取ってのトラッペト村の思い出になるのかもしれない。
高齢となった義両親はもう旅行に行くことはできない。彼らの代わりにここへ来ることができて良かった。さあ、ドイツへ帰ろう。