トイトブルクの森でゲルマン人について探る旅、ラストはパダボーン近郊のエクスターンシュタイネ(Externsteine)。砂岩の岩塊が塔のように垂直にそびえる景勝地なのだが、ゲルマン人の聖地だったという説があるのだ。

Extersteine
トイトブルクの森の奥深くに突然現れる奇岩群。高さは38メートル。すごい迫力だ。
なぜここにこのような奇妙な岩塔が立っているのか。その秘密は、およそ1億年前の白亜紀に遡る。その頃、このあたりは浅い海だった。海の底に堆積した砂は長い年月のうちに厚い層となり、重みでぎゅっと固まってオスニング砂岩(Osning-Sandstein)と呼ばれる硬い岩石となった。
さらに時が経った約7000万年前、水平に積み重なっていた地層が造山運動によって垂直に押し上げられ、地表に露出してトイトブルクの森を覆う山地の尾根の一部となった。それ以来、地層は侵食を受け続けている。オスニング砂岩のうち柔らかい部分から侵食され、残った硬い部分が形作っているのがこの不思議な景観なのである。

階段が整備されていて岩の上に登れるようになっているので、登ってみよう。

登るのは別にキツくはない。教会の塔を登る方がよほど大変。

地層が垂直になっていることがよくわかる。

先端の角が取れて丸みを帯びている。この特徴的な風化は「ヴォルザック風化(Wollsack-Verwitterung)」と呼ばれる。ヴォルザックというのは「羊毛の袋」という意味。岩が羊毛の袋のように丸く膨らんだブロック状に風化しているからそう言うらしい。羊毛の袋と言われても、あまりピンと来ないのだけど、クッションのような形と考えればよさそうだ。

えーと、時系列に整理すると、造山運動で岩が垂直に押し上げられた、その後の数千万年にわたって冷えたりまた熱せられたりして割れ目ができ、そこに雨水や地下水が染み込んで角が取れ、クッションがくっついたようなかたちになった。その後さらに、地域を流れる川(ヴィムベッケ川)が岩を削り、現在のかたちになった、ということか。

地質が好きなので、ついつい地質にフォーカスしてしまうが、今回ここに来たのは、この奇岩群がゲルマン人の聖地だったと言われているからであった。実際のところ、どうなのだろう。
結論から言うと、考古学的な証拠はないようである。18世紀末からのナショナル・アイデンティティを求める機運の中で、ゲルマン民族の原初の聖地を探す動きが生まれた。ゲルマンの英雄ヘルマンが古代ローマ軍と戦ったとされるトイトブルクの森にあって、いかにも神秘的なエクスターンシュタイネは、まさに聖地のイメージにぴったりだった。ナチスの時代にはエクスターンシュタイネに先史時代の儀式の跡が見られるという主張がなされたが、後の研究で否定され、今ではでっちあげだったとみなされている。
とはいえ、ゲルマン民族であれ、他の民族であれ、古代の人がこのような驚異的な風景を目にすれば、心を動かされたに違いないし、そこに超自然的な力の存在を感じたとしてもまったく不思議はないだろう。
ゲルマン人の痕跡は見つかっていないものの、中世キリスト教の活動の痕跡が複数、はっきりと残っている。

岩上の礼拝堂(Felsenkapelle)
岩塔の上に人工的に作られた空間があり、12世紀頃に礼拝用に設けられたものと考えられている。中央に石の祭壇があり、後壁には丸い窓が開いている。夏至の日の朝に太陽がここを通して差し込むらしい。

キリスト降架のレリーフ。北ドイツに現存する最大かつ最古級の宗教石造レリーフとして価値を認められている。
エクスターンシュタイネ周辺からは中世の陶器片・金属器の断片などが出土していて、この一帯が宗教的な巡礼・信仰の場として利用されていたことを示唆している。
というわけで、トイトブルクの森の旅もこれでおしまい。ゲルマン人についてわかったことは多くないけれど、ドイツにおいて「ゲルマン人」という概念がどのように膨らんでいったのか、そして膨らみすぎて破裂してしまった「ゲルマン人」の亡霊と現代のドイツ人がどのように向き合っているのかを、多少なりとも知ることができた。
なかなか気が滅入るテーマだったので、今しばらくはこれ以上追求する気持ちが起きないが、またいつか別のかたちでゲルマン文化を知る機会があるかもしれない。
この記事の参考サイト:
https://www.externsteine-teutoburgerwald.de/

