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ドイツのネイチャーツーリズム 2 〜自宅の周りでバードウォッチング
前回の記事で、一見、観光資源に比較的乏しそうに見えるブランデンブルク州は実はネイチャーツーリズムを楽しむのにとても適していることについて書いた。森林をハイキングしたり、広大な景色の中をサイクリングしたり、湖でウォータースポーツを楽しんだりできるだけでなく、野生動物を観察することができる。いろんな生き物がいるが、特に野鳥の種類と数はとても多く、特に冬季は渡り鳥の群れをあちこちで観察でき、その光景たるや壮観である。
でも、もっとお手軽に野生動物を観察する良い方法がある。それは自宅の周りで楽しむバードウォッチングだ。自宅周辺なのに「ツーリズム」と言うのはちょっと違うかもしれないけれど、わざわざ遠くまで出かけなくても視界が変わって新鮮な感覚を味わえて、とても面白いのだ。
実は庭仕事があまり得意ではないので、我が家の庭は荒れ放題とまではいかないが、かなり野性味溢れる庭だ。ご近所さんたちは庭を綺麗に手入れしているのでちょっと恥ずかしく思っていたのだが、自然に近い状態のせいか、うちの庭には結構いろんな野鳥がやって来る。
「いろんな鳥が来る」と書いておきながら、実は最近までどんな種類の鳥がどんな時期に来ているのか、ほとんど把握していなかった。「あー、鳥がいるなー」くらいのぼんやりした認識しか持っていなかったので、「具体的にどんな鳥が来るの?」と聞かれたら、「えーと、クロウタドリ(Amsel)とか、、、」と真っ黒で誰でも簡単に見分けられる鳥の名前しか出て来ない。それじゃつまんないよね。
うちに来る鳥を見分けられるようになりたい!
そこで、積極的に庭に野鳥を呼び寄せることに決めた。具体的には、テラスに餌台を設置したのである。
夫がホームセンターで買って来た、こんな適当な餌台(娘には「ダサい!」と言われた)。これにカラス麦など穀物をのせて、横にはファットボールをぶら下げてみた。すると早速、野鳥がやって来た。これはシジュウカラ(Kohlmeise)だ。
この餌台の他に、野鳥がよく来る桜の木の枝にもファットボールをぶら下げたところ、その日から、入れ替わり立ち替わり野鳥たちが餌を食べにやって来るようになり、あっという間に我が家の庭はちょっとした野鳥園に!
ドイツにはスズメは上の画像のような日本でもお馴染みのスズメ(Feldsperling)と頰の黒い丸のないイエスズメ(Haussperling)の2種類がいる。一般的によく目にするのはイエスズメの方だけれど、うちには両方やって来る。
餌台に置く餌は日替わりでいろんなものを試してみた。今のところ、ダントツで人気なのはヒマワリの種で、カラス麦やレーズンもそこそこ好まれる。ピーナツは殻つきのまま置いたら、殻を剥くのが面倒なのか、売れ行きが悪かったので殻を剥いたものを提供したら、急にみなさんの目の色が変わった!笑
カケスはピーナツをくわえてサッと高い木の枝に飛び乗り、邪魔されないところでゆっくりとピーナツを堪能、、、、のつもりだったようだが、気の毒にもこの直後、うっかりピーナツを落としてしまった。
画像の鳥の他にこれまでにゴジュウカラ(Kleiber)、カササギ(Elster)、カンムリガラ(Haubenmeise)、アカゲラ(Bundspecht)なども確認できた。
これら野生のお客さんを窓の中から眺めるのがすっかり日課になった。今は冬で庭に出るのは寒いからね。それに、バードウォッチングは木々に葉っぱがなくて鳥の姿がよく見える冬だからこその楽しみともいえる。
なにか鳥が来たらすかさず写真を撮り(撮れないことも多いが)、画像をネット上の鳥類図鑑の画像と比較して種類を特定する。ついでにその種の生態や分布も読んでいるうちに、少しづつ野鳥の名前を覚え、多少の知識もついて来る。バードウォッチング、楽しいな。春になったらまた違う種類の鳥たちがやって来るのではないかとワクワクしながら庭を眺める毎日である。
旅行大好き、観光大好きな私だが、必ずしも遠くまで出かけて行かずとも、視点を変えれば住んでいる環境の中でも観光気分を大いに味わうことができる。面白いものはどんな場所にもあるよね。ただ、それに気づくか、気づかないかだけ。
ドイツのネイチャーツーリズム 〜ドイツで楽しむ野生動物の観察
長年の趣味の博物館巡りに加え、近頃、熱中していることがある。それは野生動物の観察。私が住んでいるブランデンブルク州は首都ベルリンをぐるりと取り囲む面積3万㎢弱の地域だが、大都市ベルリンとは対照的に周辺は人口密度が低く大きな産業もないので、よく「何もない場所」と言われる。そのブランデンブルク州に住むようになって14年。何もない場所に住んでいて退屈かって?いやいや、住めば住むほど、いろんなものがあることに気づいてどんどん面白くなる。正確には「いろんなものがいる」というべきかな。ブランデンブルク州は人は少ないが、その代わりに人間以外の生き物が多い。つまり、野生動物でいっぱいなのだ。
上の地図の通り、ブランデンブルク州は森林(緑色の部分)や湖(水色の部分)の面積が広く、その多くは自然保護区に指定されている。日常的にシカ、キツネ、リス、ウサギ、イノシシ、ハリネズミ、テン、アライグマ、野ネズミなどいろんな野生動物に遭遇するし、自然保護区ではオオカミ、ヘラジカ、野生ネコなど稀少な動物も確認されている。
せっかくそういう環境にいるからには、楽しまなければ損!
というわけで、カメラを持って野生動物探しに熱中する今日この頃である。野生動物は動きがすばやくてなかなか良い写真が撮れないが、外を歩けばほぼ確実になにかに遭遇するので楽しい。外を歩くので健康にもいいし、お金もかからない。
キタリス(Eurasische Eichhörnchen)
ノロジカ(Reh)
ダマジカ(Damhirsch)
アカシカ(Rothirsch)
私の住むブランデンブルクには野生のヘラジカもいるが、まだ遭遇したことはない。
わかるかな、、、野ウサギ(Hase)
アライグマ(Waschbär)
アカギツネ(Rotfuchs)
ビーバーに齧られた木も水場のあちこちにある。でも、ビーバーそのものを見つけるのは難しい
もちろん、野鳥もたくさん。
ノスリ(Mäusebussard)
コウノトリ(Weißstorch)
ニシイワツバメ(Mehlschwalbe)
ハイイロガン(Graugans)の群れ
クロヅル(Kranich)
クマゲラ(Schwarzspecht)
カワアイサ(Gänsesäger)かな?
ホシムクドリ(Star)が木の枝に鈴なりに
渡り鳥の移動が見られるのも気に入っている
首都の周辺がこの環境って、凄くない?ブランデンブルク州では大都市ベルリンと野生の王国のコントラストを満喫できるので、とても気に入っている。もちろん、ブランデンブルク州に限らず、ドイツは全国に自然保護区があり、野生動物の保護活動も盛んなので、都市から少し郊外に出ればいろんな生き物を観察することができる。これも1つのマニアックな観光ジャンルではないかな。ドイツにおけるネイチャーツーリズムについても、これからシリーズとして少しづつまとめていくつもり。
追記:
野生動物への興味が高じて、2022年、アニマルトラッキングの本格的な講座を受講した。野生動物そのものの姿が見られないときでも、動物の痕跡は至るところにあることに気づき、ますます楽しくなった。
関連記事:
ドイツで「アニマルトラッキング」を習い始めた
アニマルトラッキングの講座を終了
雪の日のアニマルトラッキング
資料に見るドイツ 7 〜 「古き良き時代」、ドイツ帝国時代の日常生活
ここのところ連続でドイツの古い生活文化をテーマに記事を投稿しているが、前回および前々回は1900年前後のベルリンの市民生活が見られる博物館を紹介した。1900年前後のベルリンはプロイセン王、ヴィルヘルム二世を皇帝に戴く「ドイツ帝国」の中心地として急激な発展の最中にあった。ドイツ帝国時代、ドイツ語では「カイザーツァイト(Kaiserzeit)」と表現されることの多いこの時代はどんな時代だったのだろうか。こんな資料があった。
Gerd Richter著「Die gute alte Zeit im Bild(絵に見る古き良き時代)」。副題は Alltag im Kaiserreich 1871-1914 in Bildern und Zeugnissen (絵と証拠資料に見るドイツ帝国の日常)となっている。大手出版社、Bertelsmann出版から1974年に発行されている。中を開くと、古い絵や写真、広告が満載で、文章を読まずとも当時の雰囲気が伝わってくる楽しい本だ。
「古き良き時代」とノスタルジーを持って振り返られるカイザーツァイト。この頃はまだ今ほど個人主義が確立されておらず、社会単位として家族が重視されていた。多くは大家族で、メンバーにとってのセーフティネットの役割を果たしていた。しかし、家長である父親の権威が強く、女性や子どもの権利に対する意識は高くなかっただろう。上の画像の左ページ下には父親が小学生くらいの男の子に体罰を与えようとする様子が描かれている。それを止めようとしているのは妻だろうか。
市民層が拡大していたこの時代、裕福な家では使用人を雇うことが珍しくなかった。使用人の中では乳母が最も給与が高かったようだ。1897年の女中(いわゆる”Mädchen für alles”)の年間の給料は45〜80プロイセン・ターラー、子守りはそれよりも少ない35〜60ターラー、料理人は専門職だからもっと高くて60〜100ターラーというのが相場だったのに対し、乳母は80〜120ターラーとダントツだ。授乳による体型の崩れを気にする奥様たちの間で健康な乳母は引っ張りだこだっただろうか。右側ページの真ん中の写真に写っている乳母たちは特徴的な白い被り物をしている。彼女たちはソルブ人である。ベルリン近郊のシュプレーヴァルト地域は古くからソルブ人の居住地でソルブ人の多くの女性はベルリンで乳母として働いていたようである。右ページ下の写真はハンブルクの女中専門学校で調理を学ぶ若い女性たち。
ベルリンの商人の邸宅内部。天井からは豪華なシャンデリアが下がり、装飾性の高い家具の上に所狭しと並べられた置物類。裕福な生活ぶりが伝わって来るが、今の感覚からするとゴテゴテとして悪趣味といえないこともない。ゴシック、バロック、ルネッサンス様式など、過去のスタイルの同時リバイバルで統一感が見られない。この後、ドイツではユーゲントシュティールやノイエ・ザッハリヒカイトという、よりシンプルで実用的な美へと向かっていくことになるが、、、。
ファッションもその時々の社会の価値観を反映するので興味深い。この時代の女性の服装は凝っているが、くびれたウェストを作るためのコルセットがマストだった。今の時代にも窮屈な補正下着はあるけれど、着用は義務ではないからよかった。あ、でも日本ではついこないだ、職場でのハイヒール着用強制に関する論争があったのだったな。ところで、ドイツのこの時代の衣装はベルリンの工芸博物館やマイエンブルクのモード博物館、アウグスブルクの州立織物産業博物館などで実物を見ることができる。
産業革命により資本主義経済が急激に発達したカイザーツァイトには労働者のための社会福祉制度の整備が急務となった。左ページ上の写真はベルリンの企業の社員寮で寛ぐ女性労働者たち。下の写真には1900年頃の孤児院での食事風景が見られる。右ページは幼稚園。この頃の多くの幼稚園はまだ子どもを預かる場所でしかなく、教育の場という概念は希薄だった。初めて幼児教育という観点に基づいて幼稚園を設立したのはフリードリッヒ・フレーベルである。
体操という概念が生まれたのもこの頃だ。国民運動を主導した教育者で「体操の父」として後世に名を残したフリードリッヒ・ルートヴィッヒ・ヤーンがベルリンに初の運動場を建設し、体操クラブを結成すると、体操ムーブメントは瞬く間に全国に広まり、学校教育の中にも体育という科目として確立されていく。
経済的なゆとりを得た市民は余暇を楽しみ、大都市に作られた動物園は行楽客で賑わった。自動車も普及し始め、旅行も盛んになる。さぞ絵葉書が売れたことだろう。でも、海外旅行はまだお金持ちの間でもよほど特別な機会でもない限り現実的ではなかったようだ。
ドイツ人は一般に自然の中で活動することをとても好むが、この頃から若者たちは能動的に野外活動に取り組んでいたようである。1900年前後にベルリンのギムナジウム(大学への進学を前提とした学校)で野外活動サークル「ワンダーフォーゲル(Wandervogel)」が結成され、ムーブメントとして広がっていく。ワンダーフォゲルって日本にもあったよね。最近は耳にしなくなったが。
ざーっと見ていったが、この本、200ページ以上あって、この時代のドイツ社会の様々な側面をわかりやすく紹介していてかなり面白い。
欧州最大のグリュンダーツァイトのインテリアコレクションを誇るGründerzeitmuseum
前回の記事ではベルリン、パンコウ地区のハイン邸(Museumwohnung Heynstraße 8)を紹介したが、案内員の方が「住文化に興味があるなら、シャルロッテ・フォン・マールスドルフの博物館へも行かれてはいかがですか。グリュンダーツァイトのインテリアコレクションが見られますよ」と助言下さった。グリュンダーツァイト(Gründerzeit)とは1871年のドイツ帝国の建国後、産業革命の広がりの中で多くの企業が創立された好景気の時代を指すが、建築においては歴史主義建築が流行した時代とほぼ同義であるらしい。歴史主義、それはつまり、バロックやロココなど過去の様式を新たな時代の文脈で復活させることを意味する。裕福な市民の邸宅ではネオ・バロック、ネオ・ロココなどの内装や家具が流行した。
ベルリンの東の外れ、ヘラースドルフ地区にあるグリュンダーツァイト博物館(Gründerzeitmuseum im Gutshaus Mahlsdorf)にはシャルロッテ・フォン・マールスドルフ(Charlotte von Mahlsdorf)という一人の女性(本名はLothar Berfeldeという男性)が収集したグリュンダーツァイトの家具や調度品が展示されており、そのコレクションは欧州で最大規模だという。
これがグリュンダーツァイト博物館。いつも外観の写真を撮り忘れるけど、今回は忘れず撮った!見学するにはガイドツアーに参加しなくてはならない。
ツアーの前半はシャルロッテについての話が主だった。子どもの頃からグリュンダーツァイトのインテリアを収集していたシャルロッテは1960年、両親が所有していたこの屋敷を博物館としてオープンした。ありのままに自分らしく生きることが難しかった時代に、男性に生まれ女性として生きたシャルロットのユニークな人生は”Ich bin meine eigene Frau(私は私自身の妻)”という劇となり世界各地で上演されている。シャルロッテはこの博物館を愛し、いつも雑巾を手にせっせと家具の埃を拭いていたそうだ。しかし、90年代の半ば、ガーデンパーティの最中に右翼集団の攻撃を受けるという出来事があり、シャルロッテはスェーデンへ移住した。その際にコレクションの一部も持って行ったが、2002年に本人が亡くなった後、再び博物館に戻って来た。
かなり大きな博物館で、展示室は全部で17室ある。それぞれの部屋は統一されたスタイルで家具や美術品が展示されている。美しいものばかりだが、高級なものと縁遠い私にはどうもとっかかりが掴めなくて「へえ〜」という感じである。でも、こうした美術品に対する審美眼を持つことができれば、それはすごく面白い世界なのかもしれない、、、と思いながら部屋から部屋を見て歩く。
いくつかの部屋を見たところで、ガイドさんが交代になった。すると、ツアーの重心がガラリと変わり、想像しなかった方向に展開していった。
グリュンダーツァイト博物館のコレクションにはオルゴールをはじめとする自動演奏楽器がたくさん含まれている。その1つ1つをガイドさんが実演してくれたのだ!これがもう、ワクワクするのなんのって。
ピアノの前にこの装置を取り付けると、ペダルを踏むだけでロール紙に穴を開けた楽譜が読み取られ、曲が自動演奏される。「ちょっと踏んでみます?」とガイドさんに言われ、挑戦してみた。しっかりと力を入れ、一定のリズムで踏まないとうまく演奏できないが、なかなか楽しい。
こちらも同じ仕組みだが、ロール紙はピアノ内部に内蔵されていて、ドアを閉めると外からは見えない。ピアノ椅子に座ってペダルを踏みながら、鍵盤の上で手を動かせばあたかも演奏者が弾いているように見せかけることができる。
オーケストリオン。
展示されている楽器はこの他にもたくさんあり、かーなーり面白い。楽器の好きな人ならきっと楽しめるはず。
地下の展示室には19世紀後半の庶民の台所や女中部屋、酒場、そして娼婦の部屋まである。ベルリンの19世紀の社会文化を肌で感じることのできる素晴らしい博物館だ。ガイドさんの説明も非常に面白く、1時間半近くに及ぶツアーもあっという間だった。
1900年頃の内装がほぼそのまま残るベルリン、パンコウ地区のハイン邸
前回の記事ではベルリン、ミッテ地区にあるクノーブラウホ邸を訪れたことを書いた。住文化繋がりで、今度はパンコウ地区にあるハイン邸を見に行ってみた。
ハイン邸というのは パンコウ地区博物館(Museum Pankow)の管理する建物の1つで、籐(ラタン)加工工場経営者であったフリッツ・ハイン(Johann Friedrich Heyn)が1893年に現在のハイン通り8番地に建てさせた住宅だ。1974年にミュージアムとして一般公開されている。その直前までハイン氏の娘二人が住んでいたため、建設当時の内装や家具の大部分がそのまま残っていて、1900年ごろのベルリンの裕福な市民の生活空間をほぼオリジナルの状態で見ることができるのだ。
戦後補修されたオレンジ色の壁の建物(写真撮るの忘れた!)は特にどうという感じでもないのだが、入り口のドアを開けると、おおっ!という感じ。ミュージアムは日本でいう2階部分で拝観は無料。係りの方が「ご案内しましょうか?」と仰ってくださったので、案内して頂くことにした。
起業家フリッツ・ハインはこの住宅のすぐ側にかつて果樹園だった土地を購入して建設した工場で椅子の材料である籐(ラタン)を加工し、財を成した。住居のうち、このHerrenzimmer(ヘレンツィンマー、直訳すると「男性の間」)と呼ばれる応接間は主にビジネス相手の男性客を迎え入れる部屋だったらしい。
まるでお城のような内装だけど、これでも市民の家なのか、、、。でも、当時の市民(Bürger)の定義は現在の市民とは違うからね。「資本家階級の暮らし」と置き換えてみるものの、わかるような、わからないような。
ハイン夫妻は子沢山であった。16人の子どもをもうけたが、3人は幼少期に亡くなった。ヘレンツィンマーの壁には6人の娘たちの肖像画が描かれている。見事な装飾が施された優雅な部屋だけれど、壁の色はくすんでいる。ガイドさんによると、このような文化財に指定された建物の内装を手入れするときには、表面を白いパンでこすって汚れを落とすそうだ。
普段は鍵をかけておき、特別な日だけに使ったサロン(gute Stubeとも呼ばれる)。家族や友人が集まって音楽を楽しんだり、文学や芸術について語り合ったりした部屋で、壁にはハイン夫妻の金婚式の際に撮影された親族の集合写真が飾ってある。
こちらは「ベルリンの間(Berliner Zimmer)」と呼ばれる部屋。「ベルリンの間」というのは建築用語で、道路に面したメインの建物と横の別棟を繋ぐ連絡通路の役割を果たす空間を指す。敷地における建物の配置や設計によっていろいろなタイプのものがあるが、共通しているのは窓が1つしかないこと。だから、日当たりが良くない。
こうした「ベルリンの間」はベルリン市内のアルトバウと呼ばれる古い建物に多く見られるそうだが、1925年に新しい建築条例により禁じられたため、それ以降の建物にはない。ハイン家ではこの空間を食堂兼居間として使っていた。
床材はハイン邸が建設された当時、流行の最先端だったリノリウム。リノリウムは現在でもよく使われているけれど、このような花柄は珍しい。
バスルームは一見、古いアパートでは今でもありそうなつくりだけど、
このバスタブはハイン氏が特注したものだそう。この頃はまだタイル製のバスタブというものは一般的ではなく、台所のタイルで作らせたという。底部分には滑りにくいタイルを使い、ちゃんと排水の穴もある。階段までつけてあるのが素敵。
ハイン氏は家族の住居としてのこの建物の向かいに従業員用の住居も建設した。福利厚生のしっかりした優良企業という印象だが、第一次世界大戦後、ドイツが植民地を失ったことで籐の調達ができなくなり、ハイン氏の会社は倒産してしまった。
かつての工場の敷地は現在、バーや作業場として使われている。バーに入ってみたかったけど、間昼間だったので閉まっていた。残念。
このハイン通りのミュージアムで「昔の住文化に興味がある」と話したら、ガイドさんが別の2つのミュージアムを奨めてくれたので、今度はそちらへも行ってみることにする。ドイツの住文化探索はまだ続く、、、、。
ビーダーマイヤーの町Werbenとベルリン、Knoblauch邸に見るビーダーマイヤー時代の市民の暮らし
2020年ももう2月に突入し、いまさらな話題なのだが、毎年、12月にはクリスマス市に行くのを楽しみにしている。首都ベルリンとその周辺には多くのクリスマス市が立ち、それぞれに特色があって面白い。でも、少々飽きてきた感があったので、去年は Werbenという町まで足を延ばした。ベルリンから北西に約150km、エルベ川沿いにあるそのハンザ都市は人口1300人もいない小さな町だが、「ビーダーマイヤー風クリスマス」と名付けられたちょっと変わったクリスマス市を開いているのだ。
ビーダーマイヤー風クリスマス市とはなんぞや?
ビーダーマイヤーとは、ウィーン会議後の1815年から三月革命が起こった1848年までのエポックを指す。ナポレオン戦争で疲弊したドイツでは、市民は内向きになり、政治のような大きな物事よりも家庭を中心とした心地よい生活を重視するようになった。そのような価値観は「小市民的」と形容され、この時代に特徴的な服装や家具、生活道具などはビーダーマイヤー様式と呼ばれる。「ビーダーマイヤー 」という言葉は、1850年代にドイツの挿絵入り新聞に連載された風刺小説に登場するビーダーマイヤーという名の小学校教師が由来らしい。Werbenにはビーダーマイヤー時代の建物が多く残っていて、その町並みを活用したイベント「ビーダーマイヤー市場」が定期的に開催されている。クリスマス市もビーダーマイヤー風だということだが、どんな感じだろう?なかなかアクセスが大変な場所だけれど、がんばって行って来た。
人の顔がはっきり写らないように気をつけて写真を撮っているのであまりクリスマス市らしい画像ではないのだけれど、このような感じで町の人たちはビーダーマイヤー風の衣装を身に纏っていて、とても雰囲気のあるクリスマス市だった。Werbenではカフェやホテルの内装もビーダーマイヤー様式のところが多いらしい。とはいえ、無知な私は古い生活雑貨やインテリアを見ると「アンティーク」という大雑把に括ってしまい、具体的にどういうものをビーダーマイヤー様式と呼ぶのか、今ひとつうまく掴めなかった。
そこで思い出したのが、ベルリンのKnoblauch邸(Museum Knoblauchhaus)だ。
ベルリン・ミッテ地区にあるこの館は、1761年に建てられてからおよそ170年間に渡って富裕な商家Knoblauch家が住宅兼仕事場として使っていた。1989年からはミュージアムとして一般公開され、ビーダーマイヤー時代のベルリンの市民の暮らしを再現した展示を見ることができると聞いていた。ビーダーマイヤー様式とはどんな風なのか、ここならば把握できるかもしれない。
では、Knoblauch邸の内部を見てみよう。
現在、食卓は置かれていないが、これはKnoblauch家の人々が食事を取っていた部屋。艶のある木製家具は直線的で、装飾は控えめ。なるほど、これがビーダーマイヤー様式というものだろうか。立派なダイニングルームにKnoblauch家の裕福さが見て取れるが、壁に貼ってある説明によると、この時代の食事は質素で、朝食は白いパンとスープだけ、昼食には肉料理を食べるが、夕食はパンとソーセージとスープというのが一般的だったそうだ。
リビングルームの壁には一族の肖像画が並んでいる。商家として財を築き、ベルリンの上流社会の重要なメンバーであったKnoblauch家には時のスター建築家カール・フリードリッヒ・シンケルやベルリンにフンボルト大学を創立したヴィルヘルム・フォン・フンボルトをはじめとする著名人がしばしば訪れたようだ。
テーブルの上にはザンメルタッセン(Sammeltassen)と呼ばれるカップ&ソーサー。ビーダーマイヤー時代には市民の間でこのような一点もののカップ&ソーサーを収集するのが流行っていた。いつ頃まで続いた流行なのだろうか。私の義両親の家にも義祖母が集めていたザンメルタッセンがいくつか残っている。
二重構造の窓はこの時代に特徴的なものらしい。間のスペースに花が飾ってある。
なんとな〜くわかって来た気がする、ビーダーマイヤー様式。
昔の人々の暮らしがどんな風であったかを知るのは面白い。でも、昔の暮らしといっても、どの時代のどういう社会層かによって生活様式は大きく異なるので、いろいろ見ながら少しづつ整理していこう。