注: この博物館は残念ながら閉鎖したようです。別の場所への移転計画があるようですが、現時点では確定的な情報がありません。本記事は過去の情報としてお読みください。

ツヴィッカウでホルヒ博物館を見た後はコンビチケットで入れるもう一つの博物館、「トラバント博物館」(International Trabant-Register、通称Intertrab)へ行くことにした。

カーナビを使ったのにも関わらず、工事で通行止めになっている場所があったりして、なかなか見つからない。いろんな人に聞いて、ようやく探し当てた。

えっ、ここ、、、、!?

入り口。

係員はおじさん一人。売店(?)ではビールも買える。

倉庫にトラバントや関連グッズを並べただけのこのミュージアムを運営するのは20年ほど前に結成されたトラバントファン同好会、Internationales Trabant-Register e.V.。

私がドイツに来たベルリンの壁崩壊直後はトラバントは「ダサいもの」の代名詞のような車で旧東ドイツの人々は西側の自動車を所有したがったし、旧西ドイツの人々もトラバントを見て苦笑していたものだが、それから30年近く経った今ではレトロな車としてツーリストにも人気だ。

トラバントパトカー。最高時速100kmしか出なかったようだ。それでパトカーが務まるの?と思ってしまうが、そもそも旧東ドイツはトラバントしか走っておらず、そのどれもが低速でしか走れなかったのだから特に不都合はなかったのだろう。

これも東の人には懐かしいMINOL石油のガソリンメーター。

DDR時代のキャンピングスタイル。

あまり見かけることはないけれど、オープンタイプもあったようだ。

内装は極めてシンプル。

「Super-Trabi」と呼ばれた1988年製。有名人が乗っていた。

現在、特別展示として子ども用の乗れる車のおもちゃを展示している。

鯉?

よく見るとDDRの愛されキャラクター、Sandmännchenのシールがたくさん貼ってある。

乳母車おもちゃのシンプルなデザインがいい。

トラバントレース、、、、。

冗談としか思えないけれど、当時は真面目だったのだろうな。

よくわからないポスターも貼ってあった。

トラバントは可愛くて好きだけれど、ホルヒ博物館を見た後で見るとギャップがあまりに凄くて、同じ工場で作られた製品だとはとても信じられない。

以下はツヴィッカウにおけるトラバント生産に関する動画。(ドイツ語)

 

ケムニッツを午前中に出発し、途中、リヒテンシュタインの木工美術館、Daetz-Centrumを見てからさらに西へ移動し、ようやくツヴィッカウ(Zwickau)に到着。ツヴィッカウはケムニッツとはまた雰囲気の違う町で、Gründerzeit様式と呼ばれる19世紀後半の建物が残っている地区もあってなかなか趣があった。通りかかった住宅街に建つ教会が見事で、思わず車を停めて写真を撮る。

 

Moritzkirche

 

さて、ケムニッツ同様ツヴィッカウにもミュージアムはいろいろあるが、その日のうちに家に帰らなければならなかったので、的を絞らなければならない。今回、白羽の矢が当たったのは、August-Horch-Museum

 

ツヴィッカウは車の町である。(作曲家ロベルト・シューマンの生まれた町でもある。)ドイツに車の町はたくさんあるが、その中でもツヴィッカウは戦前の高級車ホルヒを生み出した町として有名だ。

と知ったようなことを書いているが、実は私はホルヒという車メーカーのことは全く知らなかった。ホルヒはかの「アウディ」の前身だそうである。1898年ホルヒ社を創立したホルヒ氏が経営陣とケンカして飛び出して1910年に新たに作った会社がアウディだ。その後、ホルヒ、アウディは米国の自動車メーカーのドイツ進出に対抗すべく、オートバイメーカーのDKW及びヴァンダラーとともに「アウトウニオン」を結成。第二次世界大戦までケムニッツを本拠地に自動車・オートバイを生産した。

ホルヒ博物館はかつてのアウディの工場の建物を使っている。

 

ドイツ全国にはなんと250を超える乗り物系(主に車やバイク)ミュージアムがあるらしい!いやはや、、、、。まさに車大国、ドイツ。しかし、自動車工場の建物を利用したミュージアムは全国でもここだけだとか。

 

館内にはホルヒの様々なモデルが展示されているとともに、ホルヒ社が辿った歴史を壁のパネルとオーディオガイドで知ることができる。

 

しかし、、、車に関する背景知識がほぼゼロの私は、どれを見ても「カッコイイ」「なんか凄そう」しかわからない、、、。一応説明は真面目に読み、オーディオガイドも聴いていたが、正直なところ、ちんぷんかんぷんであった。残念。

というわけなので、今回は説明は省いて写真だけ並べさせてもらおう。

 

ホルヒはナチスの公用車としても使われた。このタイプの第一号はブエノスアイレスのドイツ大使館に納品された。

 

 

これはどこかで何かの役に立ちそう?と思い、写真を撮る。

 

軍用車としても使われた。

 

 

 

アウトウニオンは敗戦後、占領ソ連軍により解体された。終戦直前に西ドイツのインゴルシュタットに逃れた経営陣によりアウトウニオンは再結成され、その後ダイムラー・ベンツに吸収合併されて西ドイツのメーカーとして発展を遂げる。かたや東ドイツの町となったツヴィッカウのホルヒ工場は東ドイツ人民公社ザクセンリンク(VEB Sachsenring Automobilwerke Zwickau)の名の元にDDRのシンボルとして今も根強いファンのいる「トラバント」を生産することとなったのである。レーシングカーで華々しいスタートを切り、超高級車ブランドとして世間を魅了したホルヒの工場が後にはトラバントの生産工場になったと思うと、なんだか物哀しさを覚えるなあ。

 

このホルヒ博物館はこの博物館だけ単独で拝観することもできるが、コンビチケットでもう一つの別の博物館とセットで見るのがおすすめだ。そのもう一つの博物館とは、、、、。次回の記事に続く。

 

 

一泊二日弾丸まにあっく旅行の二日目には、ケムニッツから南西へ約50kmのところにあるツヴィッカウ(Zwickau)を訪れる予定だった。でも、その前に寄りたかった場所が一つ。両市の中間地点にあるリヒテンシュタイン(Lichtenstein)という小さな町だ。ヨーロッパにはドイツとスイスに挟まれたリヒテンシュタインという国があるが、それとは別である。そこへ何しに行ったのかというと、それは世界中の木工美術の一級品が見られるというデーツ・ツェントルム(Daetz-Centrum)を拝観するため。

ケムニッツ北部から車で移動すると、丘の下り坂からこじんまりとした美しい町が見える。秋が深まっており、紅葉が綺麗だった。

 

木工美術館、Daetz-Centrum。右側の建物が美術館だが、左側の建物から入り、地下を通って美術館に入るようになっている。

 

ロビーに飾られたタイの見事な木彫。

 

Daetz-Centrumは1998年に地元の名士であるDaetz夫妻が木工美術を通じた国際交流を提唱し、Daetz財団を設立して世界中から木工美術品の傑作を集めて実現した美術館だ。コレクションの中から約550点が一般公開されている他、工芸ワークショップや国際木工芸術シンポジウムも行なっている。

館内には地域ごとに作品が展示され、一巡すると世界旅行気分を味わえる。

 

チケットを買い、オーディオガイドを受け取って展示室に続く階段を降りると、階段の下にはミャンマーの籠車が置かれていた。最初から凄い。

 

この美術館のために特別に作られたというニュージーランドの先住民族、マオリの門。オーストラリアのアボリジニーと異なり、マオリは古くから独自の木工芸術の伝統を持っていたという。

 

インドネシア、イリアンジャヤの木彫りの像。祖先崇拝の儀式で使われるものだ。もう20年以上前になるが、私は文化人類学を専攻していたことがあるので、かなりテンションが上がって来た。オーディオガイドの説明は文化人類学的背景にも触れており、とても面白い。

 

オセアニアの次はアフリカ。これはタンザニアのマコンデ族に木彫りの彫刻。マコンデの美術品を鑑賞するのはこれが初めて。

 

ディテール。

「セクシュアル・エクスタシー」という作品。

こちらはカメルーンのもの。アフリカのいろいろな国の作品が展示されていて、それぞれ特徴が違って面白いのだけれど、私はタンザニアとカメルーン美術が特に気に入った。

 

マスクの部屋。文化人類学博物館はあちこちで見ているし、インターンをやったこともあるけれど、ここに飾られているものは文化人類学的観点よりも芸術品としての観点で集められたものなので、かなり新鮮だ。

 

ヨーロッパコーナー。Göpelpyramideと呼ばれるドイツのクリスマス飾り。エルツ地方の伝統工芸である。

 

さらに進んでいろいろな作品を眺め、振り向くと薄明かりの中、椅子の上に上着がかけっ放しになっている。あれ、なぜこんなところに?と思ってよく見ると、

これも木製?なんという柔らかな質感。

 

 

カナダの先住民族の美術。

 

中国の作品。

 

インド。

 

バリ島製のチェスピース。

 

うわーーーーー!

 

 

最後はイスラム美術コーナー。

 

モロッコの天井ドーム。

 

国のリヒテンシュタインは誰もが知っているが、ドイツ、ザクセン州の小さな町、リヒテンシュタインを知っている人はあまりいないのではないだろうか。このような田舎(失礼)にこんな素晴らしい美術館があるのだから、地方も侮れない。

誰も知らないようなマイナーな場所に面白いもの、素敵なものを見つけるのがまにあっく観光旅行の醍醐味。

 

 

 

ケムニッツ旅行二日目。朝、目が覚めたら前日の長距離運転と博物館巡りの疲れがまだちょっと残っていたが、だらだらしているわけにはいかない。ベッドから飛び出し、宿を早々にチェックアウトして外に出た。

というのは、ケムニッツの北の外れの丘陵地にあるという洞窟、Felsendomeを訪れるつもりだったから。そこは、かつて石灰石の採掘場だったところらしい。ガイドツアーに申し込まなければ中に入ることができないが、ツアーは一日に一回、午前中のみ。ホテルからの移動にどのくらいかかるかわからない。遅れてツアーに間に合わないと困ると、朝ごはんも食べずに車に乗って出発した。

 

思ったより近く、ケムニッツ中心部から20分ほどで到着。ケムニッツは「Stadt der Moderne(近代的な町)」と呼ばれていて、中心部に古い町並みはほとんど残っていないのだが、この洞窟のあるRabenstein地区は静かな住宅地で景色が美しく、趣がある。

早く着き過ぎたので、近くのガソリンスタンドでコーヒーとサンドイッチを買って、洞窟付近の空き地で食べた。ふと、「なぜ自分は一人でこんなことをしているのだろう?」と思わないでもなかったけど、せっかくここまで来たからには洞窟に入りたい。

ツアーに申し込んだのは私と、5歳くらいのお孫さんを連れた年配の女性の3人だけだった。ザクセン訛りの強いガイドさんにヘルメットを手渡される。

 

洞窟入り口。

「洞窟の内部は写真撮影できません」とガイドさんに釘を刺された。フラッシュを当てると石灰石の壁が変質する恐れがあるからだろう。写真を撮れないのは残念だけど、自然保護のためだから仕方がないね。

 

通路は狭く低く、腰を屈めないと歩けない。年配の女性はヘルメットを被り、お孫さんの手を引いてズンズンと前を進んで行く。なんだかカッコいい。

この洞窟がいつから石灰石の採掘に使われていたか正確にはわかっていないが、遅くとも1365年には利用されていた記録が残っているそうだ。1865年からは、洞窟内の気温が年間を通して約7 ℃に保たれることからビールの貯蔵庫として使われた。その後、観光化され、旧東ドイツ時代には国民の人気観光スポットとなっていた。ドイツが再統一されてからは旧東ドイツの外の観光地へも自由に行けるようになったので、以前ほど多くの人は訪れなくなったとのことである。

 

洞窟内にはコウモリの巣がたくさんあり、目の前の暗闇をバタバタとコウモリが飛んで、雰囲気満点。お孫さんは「すごい!」「かっこいい!」を連発している。

中はこんな感じ。(写真が撮れないので、絵葉書で紹介します)

 

 

ガイドの説明を聞きながら中を見て歩くだけでも十分に面白いが、この中で結婚式も挙げることができるというのだ。一番広い洞穴には椅子が並べてあった。

「ロマンチックでしょう?それに、音響がいいのでね。ちょっと椅子に座ってみてください」

言われた通りに腰掛けると、ガイドさんはプレイヤーのスイッチを入れ、音楽をかけてくれた。婚姻手続きのためのテーブルのカバーを外し、燭台を並べる。なるほど、確かにロマンチックだ。でも、気温は7℃。ウェディングドレスでは寒そうだなあ。それに、新郎新婦が入って来るにも、バージンロードはドロドロ。相当マニアックなカップル向けかもしれないと可笑しくなった。ドイツ人は変わったところで結婚するのが結構好きなのだ。たとえばこんなところとか。

 

さらに、この洞窟内ではダイビングもできる!(詳しくは以下の動画をどうぞ)

 

 

これは、、、、かなり上級者向けだろう。

 

 

出口。30分ほどでまた外界に出た。なかなか面白かった!

 

お孫さんも満足したようだ。おばあさんは私の方を見て、「子どもには小さいうちにいろんな経験をさせなきゃね!」と言い、孫を車に乗せルト、「じゃあね!」と颯爽と走り去った。

カッコいい〜。こんなおばあさん、いいなあ!

 

さてと、私も次のスポットへ移動することにしよう。

 

 

三度の飯よりも博物館が好き!

これは誇張ではなく、実際に旅先では食べることよりも博物館を優先してしまう私である。外国へ行ってそこにしかない郷土料理がある場合はもちろん食べてみたいけれど、ドイツ国内旅行のときには、美味しいものは別にいつでも食べられるのだから、限りある時間を博物館を見ることに費やすのだ。

昼過ぎにケムニッツに到着してからケムニッツ産業博物館ドイツゲーム博物館を見終わってから宿にチェックインし、時計を見ると18時。すでにほとんどの博物館は閉館している時刻である。しかし、まだ開いているところがあった!その日は木曜日だったが、ケムニッツの考古学博物館、Staatliches Museum für Archäologie Chemnitzは毎週木曜日、20時まで開いているのだ。

 

ケムニッツの考古学博物館は町の中心部にあって、アクセスがとても良い。博物館らしからぬ雰囲気の建物で、入り口には 「SCHOCKEN」という大きな文字。schockenというのはドイツ語で「ショックを与える」という意味なので、一体何のことだろうかと首を傾げた。

©︎smac

後で知ったことによると、この博物館の建物は元デパートで、Schockenというのは当時のデパート名だそうだ。1930年に建築士エーリヒ・メンデルスゾーンにより設計された。今まで知らなかったのだが、メンデルスゾーンはポツダムにあるアインシュタイン塔も手がけた著名なユダヤ人建築家だという。

 

この博物館には約30万年前にザクセン地方に最初の狩猟・採集社会が形成されてから産業化が始まるまでの間の人類の遺品が展示されている。展示品は約6200点と堂々たる規模である。3フロアに渡って年代順の展示となっている(1階はネアンデルタール人の時代から石器時代初期まで、2階には中世初期まで、3階がスラブ民族の定住から産業革命の前まで)。

 

館内は白で統一されていて、とても綺麗。

 

動物の骨もお洒落にディスプレイされている。デザイン性の高いミュージアムだ。

 

これはsmacの目玉、パノラマギャラリー。

 

考古学的発掘物もこのように飾られると、思わず見とれてしまうね。

 

ドレスデンの聖母教会から発掘されたデスクラウン。未婚の若い女性の遺体が被っていたものだそう。このように繊細で洗練された装飾品がこれほど良い状態で保存されていたことに驚く。

 

マイセンで見つかった紀元前1700〜2200年頃のアクセサリー。うわー、こんな重いものを首につけたら肩が凝りそう、、、。

 

紀元前1000〜1200年ごろの青銅器。

 

とこんな感じで、かなり良い博物館だったのだが、家からケムニッツまで何時間も車を運転し、ほとんど休憩もなく二つの博物館をじっくりと見た後だったので、実はもうヘロヘロの状態だった。オーディオガイドを聞いていてもあまり頭に入って来ない。残念、、、。

 

今回はじっくり味わうことができなかったが、是非もう一度訪れたいミュージアムである。

 

 

 

 

ケムニッツの産業博物館は堂々たるミュージアムだったが、次に向かったのはおそらく存在をほとんど知られていないであろうマイナーなミュージアム、ドイツ・ゲーム博物館(Deutsches SPIELEmuseum Chemnitz) である。

 

というのは、最近、ドイツのボードゲームが気になって仕方がない。ドイツ人は老若男女ボードゲームが好きで、多くの家庭では居間の棚にボードゲームの箱が山積みになっている。子どもだけでなく、大人同士でもシュピールアーベント(ゲームの夕べ)と称して数人が集まり、夜通しゲームをして遊んだりする。

ドイツでは年間400〜600の新しいボードゲームが市場に出るとされ、まさにボードゲーム大国である。国外にもドイツのボードゲームファンは多いようだ。

実は私はこれまでそれほどボードゲームで遊んで来なかった。パズルや数独のようにシングルタスクを一人で黙々とこなすタイプのゲームは大好きなのだが、頭の回転が遅いので複雑なゲームはどちらかというと苦手。クリスマスに義両親の家でトランプや定番のゲームをやるくらいだった。ところが、ドイツ国内の歴史系の博物館を回っているうちに、ドイツ人は政治や歴史上の出来事も、ことごとくボードゲームにしてしまうことに気づいたのだ。例えば、ベルリンの壁ゲーム、冷戦ゲーム、ベルリンの壁崩壊ゲーム。宗教改革から500年の今年は宗教改革ボードゲーム、Lutherがリリースされた。

ゲームで遊びながらドイツを知るっていうのもいいんじゃないか?そんな気がしているのである。そんなことを考えているうちにドイツ・ゲーム博物館に到着。

 

新しいが、倉庫のような建物。

うっかりして会館の20分も前に行ってしまったのだが、館員さんに「本当はまだだけど、どうぞ入って」と中に入れてもらった。おまけに「遠いところから来たのね。じゃ、入館料はいいわ。案内するわね」と無料で中を案内してもらえることに。ドイツ・ゲーム博物館はもともとは1986年、ハンブルクに設立された。しかし、コレクションが膨大となりスペースが足りなくなったため、1995年にケムニッツへ移転。なぜケムニッツかというと、旧東ドイツ時代、ゲームやおもちゃの6割がこの町で生産されていたからだ。現在、このミュージアムには万単位の数のゲームが保管されている。

 

ミュージアムの1階部分は遊ぶスペースで、壁際にボードゲームがぎっしり積み上げられている。

ゲームは実際に遊んでみなければ始まらない。ここでは誰もが気軽にボードゲームで遊ぶことができる。地元のゲームメーカーがこのミュージアムのスポンサーとなっており、最新作を提供しているそうだ。ドイツには各地にシュピールカフェと呼ばれるゲームカフェがあるが、その中でもここが特に多くの種類のゲームを揃えていることは間違いない。子ども向けゲームイベントも頻繁に開催している。

2階の展示スペースへ上がる階段から1階を見下ろす。

 

1979年より毎年、選出されるドイツ年間ゲーム大賞(Spiel des Jahres)を受賞した選りすぐりのゲーム。

 

さて、2階の展示を見てみることにしよう。

ゲームの4つのカテゴリー、スキル系ゲーム、運によるゲーム、戦略系ゲーム、ミックスゲームごとに古いゲームが陳列されている。

スキル系ゲーム。いわゆる知育玩具。

 

これは、、、。KOSMOS社の実験キット!こんなに古くからあったのか。現代版には我が家の子どもたちも随分とお世話になった。

すごろく。

 

 

おそらくどこの家庭にもあるドイツのボードゲームの定番中の定番、Mensch ärgere dich nicht。しかしこのゲーム、インドの国民的ゲームであるパチーシが元祖だという。戦略系ゲームの棚にはチェスなどの他に古い囲碁ゲームも並べられていた。

 

第一次世界大戦ゲーム。

 

さらに、展示室の奥はDDR時代のゲームコーナーとなっていて、これが面白かった。DDR時代に生産されたゲームの80%は子ども向けで、教育効果を狙ったものだった。といっても、政治的プロパガンダの要素は濃くなかったと説明には書かれている。社会主義国家だから、ギャンブル系ゲームや資本主義的なモノポリーゲームなどはもちろん禁じられていた。しかし、それらを真似て作られたゲームが闇で売買されていたらしい。

 

DDRの愛されキャラクター、Sandmännchenのゲーム。

キノコ狩りゲームも定番だったようだ。

スプートニクゲーム。

 

80年代にMartin Böttger氏により考案された国家批判ゲーム、Bürokratopoly。当然、このようなゲームでおおっぴらに遊ぶのは非常に危険だったため、アンダーグラウンドで広がった。DDRが消滅した現在は教育ツールとして学校で使われているらしい。面白そう。遊んでみたい。

このようにドイツのボードゲームは社会を反映している。いろんなゲームをやってみたくなって来た!

 

展示を見終わって1階に戻ると、先ほどの館員さんが「ちょっとあなた、館長が来たから話していったら?」と声をかけてくれた。

「ドイツって、ボードゲームが盛んで種類がたくさんありますね。どうしてドイツではこんなに多くのゲームが発達したんでしょうか?」と聞いてみると、「そうですね。ドイツは職人の国ですからね。職人技を余暇にも活かしたと言えるでしょうね」との答えが返って来た。

「でも、今はコンピュターゲームの時代ですよね。それでもボードゲームは人気ですか」

「もちろん、コンピューターゲームもたくさん作られていますよ。でも、コンピューターゲームが広がってもボードゲームは無くなりません。それどころか、ますますボードゲームの人気は高まっていますよ。やっぱり、人と一緒に同じ空間でゲームをするって楽しいですからね」

さて、どんなボードゲームがあるのか、早速チェックしてみようっと。