(この記事は以前、他の場所で公開していた2019年6月のパナマ旅行記をリライトしたものです。)

パナマ旅行の最終日。朝、トクメン空港へ娘を送って行った。娘は私たち親と一緒に家に帰らずにそのままコロンビアへ移動することになっていた。高校を卒業してギャップイヤー中の娘には時間がたっぷりとある。羨ましい。私と夫は夜の便で空港で時間を潰すには長すぎるので再び市内に戻ることにした。

今回のパナマ旅行では自然を満喫して来たが、最後はパナマの歴史に触れて締めくくりたい。旧市街カスコ・ビエホ地区(Casco Viejo)にあるパナマ歴史博物館(Museo de La Historia de Panamá)を見ることにしよう。

カスコ・ビエホ地区の古い街並みは建物の修復が進行中でかなり綺麗になっており、文化的でお洒落な雰囲気だ。

カスコ・ビエホ地区は小さいが、ユネスコ世界文化遺産に登録されている。

大聖堂

パナマ歴史博物館はパナマ運河博物館(Museo del Canal Interoceanico de Panamá)の隣のパナマ市庁舎(Palacio Municipal)の中にある。写真の右側のピンクの建物。しかし、市庁舎の中に入ったものの博物館の受付らしきものは見当たらない。「歴史博物館はどちらですか?」と警備員らしき人に尋ね、通されたのは狭く古くさい事務室のようなところで、そこで来館者記記録簿に名前、国籍などを記入させられ、一人1ドルを払って展示室へ進んだ。

「パナマの歴史」の展示はスペイン人が入植した16世紀から始まっている。ちょっとびっくり。コロンブスがやって来る以前にも現在のパナマの国土には人が生活していたし、文化も存在したが、それについては触れられていないのだ。むろん、スペインの入植以前には「パナマ」という概念は存在しなかったかもしれないが。1501-1821年の展示物はわずか数個で、その隣には1880-1889年の展示物が数個。時代をジャンプし過ぎじゃない?パナマの歴史超超ダイジェスト版という感じの簡潔極まる展示。あっという間に見終わってしまった。うーん、、、。これならドイツから持って来たガイドブックの方がよほど詳しいよと少々、呆れてしまった。

でも、「エスニシティと多文化主義」と書いてあるこのパネルにはとても興味をそそられた。パナマに来て以来、「パナマ人」とは誰のことを指すのかと気になっていたのだ。パナマに来てトクメン空港に降り立ってすぐに感じたのは、「いろんな外見の人がいるな」ということ。私の住むドイツ社会も特に都市部はマルチカルチャーだが、それともまた違う。世界のいろいろな国出身の人たちが共存しているというよりも、パナマではほとんどの人がミックスされた文化背景を持ち、そのミックス具合が人によってそれぞれ違うという印象を受けた。

実際、パナマの人口約410万人のマジョリティは先住民(インディオ)とスペイン人入植者との間の混血であるメスチソ及び黒人と白人移民の混血であるムラートである。アフリカ系の人たちには植民地時代に奴隷として連れて来られたアフロ・コロニアルと後の時代に労働者としてカリブ海の他の国々からやって来たアフロ・アンティージャがいる。その他に白人、先住民族(ノベ・ブグレ族、クナ族、エンベラ-ウォウナン族、ナソ族、ボコタ族、ブリブリ族、パララ・プルー族)、中国系、ユダヤ系、インド系などあらゆるルーツの人々が共存している。だから、パナマの人々は外見的特徴だけでなく文化も多種多様で、「典型的なパナマ人」というものが存在するのかどうか、存在するとしたらどのような人のことを指すのか、旅行者として少し滞在したくらいでは皆目わからないのだ。その把握しにくさがパナマの魅力であるかもしれないと思った。

簡略過ぎてわからないパナマ歴史博物館を一通り見た後は、隣のパナマ運河博物館へ行った。ここでは入館料は一人10ドル!歴史博物館のなんと10倍だ。歴史よりも運河の方が重要なのか?と思わず笑ってしまう。しかし、館内の展示を見てなるほどと思う。「パナマの歴史は運河の歴史」と言えば言い過ぎかもしれないが、パナマ運河がパナマという国の歴史においてとてつもなく大きなウェイトを占めていることは間違いないようだ。運河が開通するよりもはるか前から、人々は航路を求めてこの地峡にやって来、あるいは連れて来られ、定住し、運河のために働き、運河に翻弄され、そして運河の恩恵を受けて生きて来た。パナマという国はそうして創り上げられたのだ。

運河博物館は10ドルの入館料に恥じない立派な博物館だった。でも、残念ながら写真撮影は禁止。先コロンブス期の考古学的な展示物もあり、運河に関しても様々な側面から展示を行なっていて興味深い。でも、植民地として長い間支配を受けて来た国の歴史なので、見ていて複雑な気持ちにもなった。

地峡の国パナマは、Biomuseoで見たように南北アメリカ大陸の生き物たちが交差することで豊かな生物多様性を獲得しただけでなく、世界のあらゆる地域の人たちが集まり高い文化的多様性をも獲得したのだなあ。なんて興味深い。

でも、刺激的なパナマ旅行もとうとうこれでおしまい。3週間、とても盛りだくさんだったなという充足感と、いやまだまだほとんど何も見れていないという心残り、二つの相反する気持ちの間で揺れながら、私たちはとうとう飛行機に乗り込んだのだった。

 

 

(この記事は以前、他の場所で公開していた2019年6月のパナマ旅行記をリライトしたものです。)

つれたさパナマシティ に滞在中、偶然見つけてとても気に入ったレストランがある。それはCorozal地区にある魚レストラン、Maa Goo´s Fisch Tacosだ。入り口に大きな魚拓が飾られていたので、なんとなく惹かれて立ち寄った。

 

店内はお洒落カジュアルでいい感じである。

カウンターで注文して自分で料理をテーブルに運ぶ形式。小腹が空いていたのでいくつか料理を注文した。セビーチェとフィッシュタコス、フィッシュサラダなど、お魚づくし。

セビーチェとトルティーヤチップス。シンプだけれど、とても美味しい。フレッシュパイナップルジュースを頼んだら、紙製のストローがついて出てきた。最近、ヨーロッパではプラスチックストローの使用をやめようという動きがあり、紙製のものに置き換える店が増えているが、パナマでもそのような動きがあるのだろうか?これまで観察した限りでは、パナマはプラスチックごみがとても多いと感じていたので、意外に感じた。個人的には、紙製ストローはすぐにふやけて使いづらいし、そもそもストロー自体が不要なのでは?と思うのだけれど、このレストランは環境に配慮していることが感じられた。

フィッシュタコスとサラダもとても美味しい。焼きたてのお魚がたっぷり入っている(写真は撮り忘れてしまった)。美味しい美味しいと頬張っていると、夫がビールをカウンターに取りに行って、なかなか戻らない。注文に手こずっているのかなと思っていたら、ようやく戻って来た。

「オーナーが話しかけて来てさ。なんかすごく環境保護に熱心な人みたいだよ。持続可能なフィッシングを実践していて、その方法を伝えるために釣りツアーやスノーケリングツアーもやっているらしいよ」。「へえ、そうなの?」興味が湧いた。

食事を済ませて店を出ると、エプロン姿のオーナーが網に乗せた魚を燻製器に運んでいるところだった。会釈すると、元気な声で話し始める。「どうだった、フィッシュタコスの味は?美味しかった?それはよかった。今ね、釣れたての魚をスモークするところだよ。よかったら見てって」

わー、美味しそう。

濡らしたウッドチップを炭火に投入し、釣れた魚をスモークする。

燻製装置

米国から移住して来たというオーナーは燻製器の蓋を閉め、「この店で出す魚はすべて自分たちで釣ったもので、魚市場では一切買っていないんだよ」とカジュアルな口調で説明してくれた。

「うちでは持続可能な方法で釣った魚だけをお客さんに食べてもらっているんだ。刺し網を使う従来の方法は環境を破壊するからね。ゴーストフィッシングっていって、破棄されたり流されて紛失した網が海の中でサンゴ礁や海の生き物を傷つけるんだよ。これは単なる知識で言ってるのではなくて、スノーケルやダイビングをして実際に海中の環境がどうなっているのかを自分の目で見ているから言えることなんだ。エビのトロール漁法も問題だ。網にかかる捕獲物のうち、エビの割合はどのくらいだか知ってる?たった10%だよ。90%はバイキャッチ(混獲)だ。10%のエビを獲るために90%が無駄に捕獲される。これはどうにかしなければならないよね」

パナマのエビはすごく美味しい。でも、そのエビを食べるために他の生き物が多く犠牲になっているという。

「もちろん、地元の漁師たちをリスペクトしなければならない。でも、啓蒙することも大事だ。だから、自分が見たことをこうしていろんな人にシェアしているんだよ。君達もぜひ、他の人に伝えてね」

これからエビを食べるたびに彼の話を思い出すかもしれない。私たちはパナマには観光のためにやって来た。美味しいシーフードを食べ、森や海の景観を楽しみ、動物や植物を観察して感動的な毎日を過ごしている。でも、それだけではない。この3週間の間に、JunglaRaquel´s Arkという二つの野生動物保護施設、コロン島のペットボトル村無人島でウミガメの保護ボランティアをする青年、そしてこのMaa Goo´s Fish Tacosのオーナーさんのような人たちと知り合い、彼らのプロジェクトについて直接、お話を伺うことができた。どれもパナマの美しく豊かな自然環境を守る真摯な取り組みである。そのような活動をしている人たちがいると知ったことも今回の旅で得られた大きなものだと感じている。

「ところで、店名のMaa Gooってどういう意味ですか?」

「ああ、それはね。うちの息子が赤ん坊だった頃、ミルクを飲むマグカップのことをMaa Gooと呼んでたんだ。それがすっごく可愛かったから、いつか自分のレストランを持つことができたら、店の名前をMaa Gooにしようって決めてたんだよ」

店内の壁はオーナーさんのご家族の幸せそうな写真で飾られていた。