私が現在住んでいるドイツ東部には、かつてスラブ系の人々が住んでいたため、スラブ民族に関する史跡や博物館がいくつもある。スラブ民族とはどのような民族なのかに興味があり、これまでにそうしたスポットを訪れて来た。

直近では、メクレンブルク=フォアポンメルン州にあるスラブ人の集落を再現した考古学博物館へ行った。

展示は、とても興味深かったが、同時に新しい問いが生まれた。「スラブ人がどのような自然観を持っていたのか、どのような暮らしをしていたのかはなんとなくわかった。では、ゲルマン人はどうだったのだろう?

ドイツの国名が英語で「Germany」であるように、ゲルマン人はドイツ人のルーツだとごく一般的には思われている。いや、実際には、ドイツ人の祖先はゲルマン人だけではなく、ケルト人や古代ローマ人、スラブ人など、異なる民族が混じり合ったモザイク集団だった。だから、ドイツ人=ゲルマン人は誤りで、ゲルマン人はドイツ人のルーツの一つでしかない。

そもそも、「ゲルマン人」という言葉は、紀元前1世紀、古代ローマ人がライン川の東に住んでいた部族をまとめて「ゲルマニ」と呼んだのが始まりで、呼ばれた方は自分たちを「ゲルマン人」だと思っていたわけではなかった。無数の部族が、それぞれの文化習慣に従い、生活を営んでいた。「ゲルマン人」というのは他者によるラベルに過ぎない。

とはいえ、現代ドイツ人の多くが、もとを辿ればゲルマン系の言語を話すいずれかの部族にルーツを持つことは事実だろう。しかし、私はゲルマン人についてほとんど何も知らない。「森に住んで、体が大きく、戦闘的な人たちだった」「古代ローマ人からは野蛮な人間だとみなされていた」というくらいのあまりに大雑把すぎるイメージしか持っていない。スラブ人とその文化については積極的に知ろうとするのに、そのスラブ人の多くが吸収されていったゲルマン文化について無知なのは、バランス的におかしい気がする。それに、スラブ人の文化の特徴は、ゲルマン人のそれと比較することで輪郭がよりハッキリするのではないだろうか。

そう思って、「よし!それじゃ今度はゲルマン人を知る旅に出よう!」と思い立ったのだ。

ところが、、、、ことはそう簡単ではなかった。

リサーチ段階でまず躓いた。なかなか見つからないのだ、ゲルマン人の文化を紹介する博物館が。かつて古代ローマの植民地であったケルン市には「ローマ・ゲルマン博物館(Römisches-Germanisches-Museum)」があり、何度か行ったことがあるが、そこで展示されているのは主にローマ時代の発掘物で、「ゲルマン民族とは?」「ゲルマン人の文化とは?」を伝える博物館ではない。では、どこへ行ったらキリスト教化される以前のゲルマン人の宗教や儀式、暮らしなどについて知ることができるのだろう?

そこで思い出したのが、カルクリーゼ(Kalkrise)にある、考古学博物館である。

カルクリーゼは、ゲルマン部族が一致団結してローマ軍を倒した戦いの現場であることが、考古学調査の結果、わかっている。戦いの詳細については上の記事に書いているので、ここでは繰り返さないが、この戦いはかつて「トイトブルクの森の戦い」と呼ばれていた。トイトブルクの森とは、ドイツ北西部、ノルトライン=ヴェストファーレン州レーネ(Löhne)付近からニーダーザクセン州のホルツミンデン(Holzminden)のあたりまで広がる丘陵地帯だ。戦いの現場は、トイトブルクの森のどこかだと長らく考えられていたのだ。その中心地、デトモルト(Detmold) 市郊外の丘の上にはゲルマン人のリーダー、ヘルマン(ラテン語名はアルミニウス)の記念碑が立っているという。

ならば、トイトブルクの森へ行けば、きっとゲルマン人について詳しく知ることができるだろう。そう考え、ネットで情報収集を始めたところ、デトモルトとその周辺にゲルマン人と関係のありそうな博物館や施設がいくつか見つかった。しかし、該当ウェブサイトの説明を読んでも今ひとつよくわからない。私が知りたいと思っていることがそこで見つかるのか、どうもはっきりしないのだ。なにか歯切れが悪いというか、後ろ向きな空気感が漂っている。読んでいるうちに、「ゲルマン人」というテーマは現代ドイツ人にとって、話題にするのはとても慎重を要し、できれば避けたいものらしいということが伝わって来た。

というのは、「ゲルマン人」というコンセプトは、ナショナリズムを煽るために繰り返し利用された暗い歴史がある。それが結果としてナチスによる他民族の殺戮に繋がった。その重い事実に対する反省から、現在では博物館などで「ゲルマン人」を前面に出した展示はほとんど行われていない。ましてや、ポジティブに提示するなどもってのほか。ドイツ各地でゲルマン人の集落跡などが出土しているが、考古学博物館や郷土博物館ではそうした発掘物を「〇〇年頃にこの地方に暮らしていた人々の△△」のように展示していて、そこに敢えて「ゲルマン人」を持ち出す必要性はないというのが一般的なスタンスのようだ。

どうりで、ドイツに何十年住んでも「ゲルマン人とはどういう人たちだったのか」が、いつまでも見えて来ないわけだ。「縄文人」「弥生人」などと同じようなノリで「ゲルマン人」を語ることはできないのだという現実に気づいて、とても気が滅入った。

むろん、世界的に社会の右傾化が進んでいる現在、差別主義者を焚き付けるリスクをおかしてまでアピールするようなテーマではないというのは、理解できなくはない。

しかし、、、ゲルマン人について知りたいという欲求は、いけないことなのだろうか。ドイツに暮らす者として、この国の根底に流れる古くからの文化的要素に触れたいだけなのだけど。

もやもやとした気持ちを抱えたまま、それでも「トイトブルクの森」へ行ってみることにした。

 

(続く)