マサイマラ国立保護区で見た草食動物については前回の記事に書いたので、次に肉食動物についてまとめよう。
ケニアへ行く前は「ビック5のうち、いくつか見られたらいいなあ。でも、そんなに簡単には見られないんだろうなあ」となんとなく思っていた。アフリカサファリのビック5とは、ライオン、ヒョウ、ゾウ、サイ、バッファローの5つである。
ところが、現実は期待を遥かに上回り、マサイマラへ辿り着く前にライオン、ゾウ、サイ、バッファローはすでに何度も目にしていた。残るはヒョウのみ。夜行性のヒョウは目撃するのが一番難しいそうだ。「マサイマラで見られるといいですね。でも、1週間マサイマラに滞在しても見られない人もいます。運次第です」とガイドのルーカスさんは言う。まあ、ヒョウが見られなくても他の動物がいろいろ見られるのならそれでいいかな。ヒョウの代わりにチーターが見られたら嬉しいな。
願いはあっさりと叶った。

草むらに4匹のチーターの姿。

他の動物の場合、群れでいるのは大抵メスとその小さな子どもたちだ。しかし、チーターは兄弟が一緒に行動することが多いそうだ。逆にメスは単独行動で狩りをする。だとすると、体の大きさが同じくらいのこの4匹はオスの兄弟か。チーターといえば走ることにかけてはサバンナ最速、最高時速100km でダッシュする。まったりしている姿からはちょっと想像できないね。

精悍な顔のライオンと違って、チーターのオスは優しげな面構え。

ネコらしくてかわいい。
セグロジャッカル (black-backed jackal, Lupulella mesomelas)の姿も見ることができた。
ジャッカルは肉食というより、雑食性で、自分で小動物を狩って食べる他、果物も食べればライオンやハイエナの食べ残しを食べることもある。
保護区内をサファリカーで走りながら気づいたのは、広大な保護区に動物たちは満遍なく散らばっているのではなく、いろんな草食動物の群れが種混合で集まっているエリアと全く何もいないエリアとがあることだった。
「この辺には何もいませんね?どうして?」との答えにルーカスさんは、「草丈が高い場所を草食動物たちは好みません。捕食者が潜んでいるかもしれないので」と教えてくれた。なるほど、草丈が高ければ、肉食動物は獲物に気づかれずに近づきやすいだろう。そんなことを考えながらぼんやりと景色を見ていたとき、「このあたりの草むらにヒョウがいるという情報がありました!」というルーカスさんの声にハッとする。一生懸命、ヒョウの姿を探すが見当たらない。
「ほら、そこそこ!目の前ですよ」
遠くの方ばかり見ていたが、なんとすぐ目の前の草むらをヒョウが歩いているではないか。


おお、本当にヒョウだー!

びっくりしている間にヒョウはさっさと去っていってしまった。草に隠れると、ほんとに見つけづらい。
こんなに簡単にビック5を見れてしまうとは、なんとラッキーな私たちだろう。でも、サファリの真の面白さは特定の動物を「見られたか、見れなかったか」にあるのではなく、動物たちの行動を観察できるところにあるといって間違いない。サンブル国立保護区ではメスライオンたちが赤ん坊にお乳をやるところを間近で見ることができてとても感動したが、マサイマラではライオンの狩りの試みを見ることができたのだ。
マサイマラでのサファリの2日目、同じ群れに属するライオンのメス達が 分散し、狩りの体制に入っているようだとの情報が入った。少し離れたところにはバッファローの大群がおり、ライオン達のいるエリアとは反対方向へ少しづつ移動していた。バッファローの群れがいる草むらと道を挟んだ反対側に水場があり、バッファロー達は交代でそこに水を飲みにいっては群れに戻っていたが、群れが移動していく中で、2頭のバッファローが 群れからはぐれてしまった。

はぐれたバッファローたち
「あの2頭、ライオン達に狙われるね」私たちはそう言いながら、ライオン達の動向を見守った。

2頭のバッファローの間が少し離れた隙を狙って、メスライオンのうちの1匹がそうっと近づいていく。

仲間のメスライオン。
他のメスライオン達はそれぞれ離れたところに隠れて待機し、バッファローが逃げたら飛び出して囲むつもりのようだ。
しかし、バッファローもバカではなく、近寄って来たライオンの存在に気づいた時点でそれぞれ違う方向に向かって駆け出した。ライオン達は一瞬、どちらを追いかけるべきか迷ったようだが、最初に狙った方を追い始めた。

最初に狙った1頭を追いかけることにしたメスライオン。

3匹でバッファローを追いかけるライオン達
追いつくか?と思われたけど、バッファローはなかなか逃げ足が早く、

結局、逃げ切った。

「あーあ、失敗しちまったわ」。手ぶらで戻って来るライオン。
百獣の王といえども、いつも成功するとは限らないのだった。見ていた私は狩りが失敗して残念なような、バッファローが死ぬ場面を見ずに済んでホッとしたような、複雑な気分。
メスライオン達は狩りに失敗していたが、その頃、サバンナの別の場所では、、、。

バッファローの足が落ちている。
さては、ライオンの食べ残しか?食べられてからそう時間が経っているようには見えない。ということは、近くにオスライオンがいるんだろうか?あたりをキョロキョと見回すと、いたいた。


満腹して熟睡中の様子。そりゃあ、あんな大きな獲物を食べればね。

太ももの1箇所にやたらとハエがたかっている。バッファローを倒したときに返り血を浴びた場所だろうか。
ライオンの興味深さは言うまでもないが、私が今回のサファリ旅行でとても興味を引かれたのはハイエナである。広大なサバンナで草を喰むアンテロープ達の間をハイエナ達がウロウロと歩き回り、獲物になりそうな個体を探している光景はとても印象に残っている。

獲物の品定めをするブチハイエナ (Spotted Hyena, Crocuta crocuta)たち
意外にも、草食動物達はハイエナが近づいてもすぐに逃げるわけではなく、ハイエナの動きに注意しながら草を食べ続けていた。ハイエナ達がお腹がぺこぺこで今すぐにでも狩りをしようとしているのか、それほどでもないのか、動き方で見極めているらしい。ハイエナの姿を見つけるたびにいちいち逃げていたらエネルギーを消費してしまうから、当然なのかもしれない。また、ハイエナ達もぶらぶら巡回することで、ケガをしている個体や子どもなど、捉えやすい個体がいないかをチェックしているようだ。

「よしっ、あれをやるか」
しばらく観察していたら1頭のイボイノシシが標的になった。しかし、逃げられ、ハイエナたちも遠くの茂みの中に消えていった。

と思ったら、しばらくしたら口に何か咥えて戻って来た。どうやら狩りには失敗したものの、ライオンの食べ残しを見つけたらしい。バリバリと音を立てて骨を噛み砕いている。ハイエナの噛む力は相当強いらしいもんね。

他のハイエナたちは暑かったのか、水たまりに行って腰を下ろした。

「ああ〜、ひんやりしてて気持ちいい〜」

嫌われ者のハイエナだけど、リラックスしているときはなかなかとぼけた表情をしてるな。
ハイエナって、どんな動物なんだろう?今、私にとって一番気になる存在かもしれない。
ドイツの運河探検 その2 オーダー・ハーフェル運河
今回探検した運河はオーダー・ハーフェル運河(Oder-Havel-Kanal)。その名の通り、オーデル川とハーフェル川を繋いでいる。前回の記事に書いたフィノウ運河も、オーデル川とハーフェル川を繋ぐ運河だった。そう、オーデル・ハーフェル運河はフィノウ運河の数km北をフィノウ運河とほぼ並行に東西に伸びている。18世紀に建設されたフィノウ運河は(18世紀建設)は曲がりくねって浅かったため、大型船が通れるようにする目的で1905年に建設が始まり、1914年に完成した。ベルリンと当時ドイツ帝国領だったシュチェチン(現在はポーランド)間の水上交通の主幹ルートして機能した。バルト海への出口港であるシュチェチンはであり、ドイツ帝国にとって戦略的に重要な都市だった。オーダー・ハーフェル運河現在もなお、ドイツ〜ポーランド間の物流の大動脈である。
この運河の見どころは、なんといってもニーダーフィノウの船の昇降機(Schiffshebewerk Niederfinow)だ。2017年に一度訪れており、過去記事で紹介している。
同じことを二度書いてもしかたがないので、昇降機の詳細は今回は省くが、前回とは違っていることがあった。それは、2017年当時は建設中だった新しい昇降機が2022年に完成し、稼働していること。
1927年に建設された旧昇降機(左)と2022年完成の新昇降機(右)が並んでいる。
新昇降機が建設された理由は、旧昇降機の最大船舶サイズでは、現代の内陸輸送需要に合わなくなったため。新昇降機は長さ115m、幅12.5m、深さ4mまで対応しており、より大型の船舶が通行可能になった。内部を見学できるガイドツアーもある。
旧昇降機も現役だが、現在は主に観光に利用されている。
丘側から見た旧昇降機。新昇降機と比べると小さいが、それでも堂々としたもの。機能美と風格に惚れ惚れする。
ニーダーフィノウ一帯は低地で、船は昇降機によって丘を越え、より標高の高いベルリンへと運ばれる。
さて、オーデル・ハーフェル運河には、昇降機以外にも面白いものがある。その一つは、運河と線路が交差する鉄道トンネルだ。
電車は運河の下を通る。
船がやって来た。
のどかなフィノウ運河と近代技術を駆使したオーダー・ハーフェル運河は、流路はほぼ同じなのにまったく表情が異なる。なんだか、まるで二卵性の双子のようなのである。
運河探検は続く。
ドイツの運河探検 その1 現存する最古の運河、フィノウ運河(Finowkanal)
最近、運河巡りに凝っている。日本では運河というと小樽運河のように海沿いにあることが多いけれど、ドイツ、特に北ドイツには内陸運河もたくさんある。ライン川やエルベ川などのドイツの主要な河川は流れがゆったりとしていて古くから輸送に使われて来た。17世紀頃からそれらの自然河川同士を結ぶ運河が建設され始め、19世紀以降に本格化した。地形が平坦で運河が建設しやすい北ドイツでは、河川と一体化した高密度な水路ネットワークが発達しているのだ。現在では主に観光目的で使われている古い歴史的な運河から近代的なハイテク運河までいろいろあるのでとても面白い。
ドイツ最古の現存運河、フィノウ運河(Finowkanal)はベルリンの北東50kmくらいのところにある。ポーランドとの国境オーデル川とハーフェル川を結ぶ、東西に伸びる全長約43kmの運河だ。ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム・フリードリヒの命令によって1605年に建設が開始され、1620年ごろに完成した。1618年から30年間続いた宗教戦争でボロボロになってしまったが、1743年にプロイセン国王フリードリヒ2世(フリードリヒ大王)により再建された。
運河の建設当時、周辺地域では製鉄業や木材・木タール生産などの産業が伸びており、運河ができたことによってさらに一大産業拠点へと発展した。インフラ投資によって経済基盤を強化するプロイセン王国の国家プロジェクトとして作られたフィノウ運河だったが、1914年にフィノウ運河とパラレルに近代的なオーダー・ハーフェル運河が建設されたことで輸送インフラとしての重要性を失った。現在は歴史遺産+観光資源として保存されていて、楽しめる。
現在はとてものどかなフィノウ運河
運河には船が通るためのいろんな可動橋がかかっていて、面白い。
木製の跳ね橋(Zugbrücke Niederfinow)
こんな船が通過するよ。
これはエヴァースヴァルデのテーブル橋(Hubbrücke)
船が通るときにはこの橋部分が垂直に上がるのだ。
さて、フィノウ運河のあるブランデンブルク州は基本的には平らなのだが、そうはいっても場所によってある程度の標高差はある。ハーフェル川側よりもオーデル川側の方が低いので、高低差を克服するために閘門(Schleuse)というものが随所に作られた。どういう仕組みかというと、運河の途中に前後に扉のある区間を作り、その区間の中の水位を上下させることで船を持ち上げたり下げたりする。フィノウ運河には手動で開け閉めされる歴史的黄門が12箇所ある。現在、そのうちの上流側の6つは補修工事中だが。ドラートハマー閘門(Schleuse Drahthammer)〜リーぺ閘門(Schleuse Liepe)間はボートなどで通過できる。
文化財に指定されているドラートハマー閘門(Schleuse Drahthammer)。
下流側から見た閘門
1877年に完成した閘門扉(Tore)。船はここに入って水位調整され、上流に抜けていく。
閘室の両側には、操作員が上から水門を開閉したり、点検したりするためのメンテナンスデッキがある。
水位を制御するための堰
閘門のそばに古い小型船が展示されている。これは、ただの古い船ではない。フィノウ規格艀(Finowmaß-Kahn)と呼ばれる船である。運河には、「この運河にはどんな大きさの船まで通れるか?」を決める運河規格というものがある。たとえば、パナマ運河を通るコンテナ船はパナマックス(Panamax)と呼ばれる規格で製造される。フィノウ規格はドイツの内陸水運における最古の規格なのだ。
せっかくなので、カヌーを借りてフィノウ運河を移動してみた。
ヨシキリの鳴き声が響き渡る中、ゆっくりとカヌーを漕ぐのがとても気持ちよかった。
カヌーの後は古い電車を改造した素敵なカフェでお茶。
フィノウ運河は美しい自然と歴史、そして技術を同時に楽しめて最高だ。でも、運河はまだまだたくさんある。これからの季節は運河巡りに最適だから、次々探検していこう。
スラブ人の集落を再現したグロース・ラーデン考古学野外博物館
ドイツ東部にはドイツ語らしからぬ地名が多い。ドイツ西部の地名は、「なになにドルフ(〜の村)」とか「なになにベルク(〜の山)」といった具合に意味がわかりやすい地名が多いのだが、東部の多くの地名は、慣れるまでは読み方もよくわからないし、意味もさっぱりわからない。これは、かつて、ドイツ東部がスラブ系民族が住む土地であったことの名残だ。
12世紀以降、西側から多くのドイツ人が入植したことで、スラブ人系民族はしだいにドイツ化され、ドイツ文化の中に吸収されていった。かつて50部族ほど存在したとされるスラブ系民族のうち、現代まで少数民族として文化風習を保っているのは、ラウジッツ地方に住むソルブ人(Sorben)だけ。そのソルブ人の文化は、シュプレーヴァルト(Spreewald)やバウツェン(Bautzen) の博物館などで知ることができる。
現代を生きるソルブ人の歴史や文化も興味深いけれど、ドイツ人に支配されるようになる以前、スラブ系民族がどのような暮らしをしていたのかも気になる。そこで、メクレンブルク=フォアポンメルン州にある、グロース・ラーデン考古学野外博物館(Archäologische Freilichtmuseum Groß Raden)へ行って来た。ここには、9〜10 世紀のスラブ系民族、具体的にはオボトリーテン族の集落が再現されているのだ。ちなみに、博物館への公共交通はないので、車で行くしかない。
野外博物館は、グロース・ラーデナー湖に突き出した小さな半島上につくられている。
集落は木柵に囲まれていて、そのまわりには堀がある。小さな木製の橋を渡って、柵の内側に入ると、家屋が十数軒、並んでいる。
集落に見られる家屋は丸太小屋(Blockhaus)と 枝を編んで粘土を塗った壁の家(Flechtwandhaus )の2タイプ。
スラブ人が住んでいたとされる丸太小屋を再現したもの
こちらは枝と粘土の壁の家
このように枝を編んで壁を作り、上から粘土を塗って固める
住居の内部
パン焼き窯。粘土製なので、雨に濡れると崩れてしまう。なので、屋根付き。
週末や学校の長期休みなどには、当時の生活技術のデモンストレーションや体験ワークショップがあるようだ。この日は私以外に誰もいなかったので、建物を一人でじっくり眺めただけ。家屋や生活用具を眺めながら、「当時、現在のドイツ西部に住んでいたゲルマン系民族の生活とどう違ったんだろう?」と考えてしまう。身近な天然材素材はほとんど変わらなかったと思うので、基本的な生活スタイルや技術にそれほど大きな違いはなかったのではないだろうか。気になるので、次回はゲルマン人の集落を再現した野外博物館へ行って、比較してみたい。
集落の外れには木製の四角い「神殿」がある。
宗教儀式が行われたとされる神殿の内部はがらんとして殺風景で、柱には藁でできた人形がくくりつけられている。これは、豊穣の女神マコシ(Mokosh)。キリスト教化される前のスラブ人は多神教で、自然の力や精霊、神々を崇拝していた。ささやかな祭壇と思しきものも見られるスラブ人の宗教についても、ゲルマン人のそれと比較してみたい。。
集落の奥には水路を隔てて、Slawenburg(直訳すると、「スラブ人の城」)と呼ばれる、円形の構造物がある。「城」といっても、王族や貴族の住む場所ではなく、敵が攻めて来たときに集落の住民や家畜が避難するための砦だ。ここからは「城砦」という言い方で続けよう。
丸く盛られた土塁+木製の防御壁という構造。
入り口はトンネル状
城砦の内側
城砦が「円形である」というのは重要なポイントだ。「自然との調和」「季節や生命の循環」を重視する世界観を有していたスラヴ人にとって、円は終わりのない形であり、「生と死」「昼と夜」「季節の巡り」などの循環する世界の象徴とされたらしい。それはメクレンブルク=フォアポンメルン州やブランデンブルク州に残る、スラブ人集落の名残のある村にも見てとれる。エルベ川の南側、ニーダーザクセン州の東端に位置する地域ヴェントラント地方には、ルントリンク(丸いもの)と呼ばれる集落が多く存在する。ヴェントラント(Wendland)のヴェントというのは、スラブ人を意味するWendenという言葉が由来だ。つまり、ヴェントラントとは「スラブ人の土地」という意味である。
砦から見た集落
野外博物館の敷地内には博物館もあって、砦や集落の模型や、グロース・ラーデンやシュヴェリーンの砦跡における発掘調査で出土した遺物が展示されている。
10世紀のグロース・ラーデンの集落模型
城砦の模型。集落の住民は敵が攻めて来たときには城砦に逃げ込み、内部の家屋で生活した。
その他、博物館には2014年にシュヴェリーン城の中庭の地下から発掘されたスラブ人の城砦に関する展示もある。シュヴェリーン城といえば、ユネスコ世界遺産に登録されている美しい宮殿だが、もともとスラブ人の城砦があったところに建設されている。博物館にはその城壁の一部が展示されているが、年輪年代測定によって、紀元956年頃に建設されたものと推定された。
発掘された城壁の一部
展示室の床にはなにやら大きなカブトムシが設置されている。背中に乗ると、カブトムシになって城砦の中を飛び回ることができる。カブトムシがブルブルと震え、その振動を感じながら目の前のスクリーンに映し出される映像を見るという趣向。これは一体何?と不思議に思ったら、これには理由があった。
シュヴェリーン城は湖に浮かぶ小さな島に建てられている。その地下から発見されたスラブ人の城砦は木製で、湿地環境では朽ちやすかった。広葉樹の朽木はカブトムシの産卵に絶好の場所である。たくさんのカブトムシがやって来て、城壁の中に卵を産んだ。ところが、カブトムシが羽化する前に、当時の人々が城壁の補修工事を行い、粘土などで壁を固めてしまった。それで飛び立てなくなったカブトムシの遺骸が城壁の中からたくさん発見されたのだという。つまり、カブトムシはシュヴェリーンの城砦のシンボルというわけである。
また、この城砦は、10世紀にオボトリーテン族の首長ムスティヴォイの娘、トーヴェがデンマーク王ハラルド1世と政略結婚させられた際に滞在したと伝えられていて、その嫁入りをストーリーに仕立てた展示も興味深かった。
城砦から発掘された金のアクセサリー。トーヴェが身につけていた?
シュヴェリーン城には行ったことがあるが、城壁発掘の前だったので、発掘跡を見に、近々また行ってみたい。
ハルツ山地の必見観光スポット ユネスコ世界遺産ランメルスベルク鉱山
ハルツ山地、ゴスラー郊外にあるランメルスベルク鉱山(Weltkulturerbe Rammelsberg)へ行って来た。ゴスラーといえば、木組みの家が並ぶ中世の街並みと魔女伝説が有名な観光地で、神聖ローマ帝国時代、皇帝の館「カイザープファルツ(Kaiserpfalz)」が置かれたことでも知られる。その美しいゴスラーの繁栄の基盤となったのがハルツ山地の豊かな鉱物資源。特に銀・鉛・銅・亜鉛を豊富に含むランメルスベルクの鉱床はゴスラーの発展に不可欠だった。ランメルス鉱山は1988年に閉鎖されたが、その後観光鉱山として整備され、大人気の観光サイトになっている。
ランメルスベルク鉱山の楽しみ方はガイドツアー+博物館。ガイドツアーはたくさんあって、どれも所要時間は最低1時間、博物館も複数の建物に分散されているので、日帰りで全てを回るのは無理。的を絞る必要がある。事前にウェブサイトで説明を読んだらどれも面白そうで悩んでしまったが、トロッコで鉱山に入るツアー(Mit der Grubenbahn vor Ort – AUf zum Schichtbeginn)と、鉱石の選別施設を見学するツアー(Vom Erzbrocken zum Konzentrat – Wie kommt das Kupfer aus dem Erz?!)の2つに参加することに。
ツアーの出発点はかつての脱衣所。作業を終えて坑道から戻って来た鉱夫らは、ここで作業着を脱ぎ、隣のシャワー室でシャワーを浴びた。濡れた作業着は次の作業時までに乾くように、チェーンロープを使って天井の高いところへ吊るしていた。
シャワー室
トロッコのツアーでは、写真の黄色いトロッコに乗り込んで坑道に入る。
地下50mの深さでトロッコを降り、坑道を歩いて奥へ進む。ワクワクする〜。このツアーでは1950年代〜1960年代の鉱石採掘作業について説明してもらった。
作業開始前に鉱夫が朝食を取った場所。壁に設置されたタンクには飲料水が入っていた。
発破作業跡。岩を砕くために岩に穴を開け、火薬を詰めて導火線で爆破する。導火線の長さを変えることで中心から外に向かって順番に爆発させていた。
ドリリングの機械
採掘した鉱石は縦穴エレベーターで地上に運ばれた。
このツアーも面白かったけど、2つめのツアーは私にはより面白かった!
地下から地上へ運ばれて来た鉱石は、近郊の精錬所に輸送される前に「選鉱」という前処理がなされる。鉱山から掘り出された鉱石(原鉱)は、たいてい 目的の金属鉱物と、それ以外の岩石がごちゃまぜになっているので、必要な部分を取り出さなければならない。写真の建物はその作業を行う場所で、山の斜面に階段上に建てられている。一番上から原鉱を投入し、下に向かって処理がなされていく仕組み。ツアーでは工場内部を工程の順に歩いて一連の作業を見学できるのだ。
金属鉱石の「選鉱」のステップはサッカーボールくらいの大きさの原鉱を何段階かに分けて砕いて粉にすることから始まる。
原鉱を載せたワゴンが縦穴エレベーターで最上階に運ばれて来る。
エレベーターから押し出されたワゴンはレールの上を走り、
ここから原鉱をザザーっとクラッシャーに投入し、小さく砕く。
拳大になって出て来た原鉱を取り出して、次の装置へ。
スチールの球が入ったタンブラーに入れて回し、粉々にする。
さあ、ここからが一番肝心!粉になった鉱石にはいろんなものが混じっているので、浮選(Flotation)と呼ばれる方法で必要なものを取り出す必要がある。
浮選装置。
ここが面白い。粉にした鉱石を泡立てた水に入れ、鉱物の種類ごとに異なる薬剤を入れて鉱物の周りに膜を作り、特定の鉱物だけが泡にくっついて浮くようにする。こうして分離された鉱物を回収する。
この浮選という選鉱技術、ランメルスベルク鉱山の歴史の中で超重要!というのも、中世から鉱石の採掘が行われて来たランメルスベルクだったけれど、19世紀末から鉱石の品位がだんだん低下して、微細な粒子が混じり合った複雑な鉱石ばかりになってきた。それまでの技術では採算が取れなくなり、1929年から始まる世界恐慌で非鉄金属の価格が下落したことも追い打ちをかけ、1932年には鉱山閉鎖の危機に追い込まれてしまった。それを救ったのが、この画期的な技術だったのだ。その背景にはナチ政権によるテコ入れがあった。多様な非鉄金属を一カ所で供給できるランメルスベルクは海外からの資源輸入が難しくなる戦時体制において国家戦略上の要地とみなされたのだ。斜面に選鉱施設(Aufbereitungsanlage)が建設されたのもその流れにおいてで、機能的かつ美的な建物は近代産業建築のパイオニア、フリッツ・シュップ とマルティン・クレマーが設計したもの。彼らはルール地方のツォルフェライン炭鉱(Zeche Zollverein)の施設も手掛けていて、どちらもユネスコ世界遺産に登録されている。
ランメルスベルクはガイドツアーだけでなく、博物館もとても充実している。
縞状鉄鋼
ランメルスベルクで確認されている鉱物およびその変種はおよそ100種類に及ぶ。どうしてそんなに鉱物資源が豊富なのだろう。ランメルスベルクの鉱床の起源は約3億7千万年前(デボン紀)に遡る。その頃、海底ではマグマで温められた熱水が割れ目から噴き出していた。熱水は金属イオンを多く含み、海水と混じり合って冷えることで金属イオンが沈殿し、海底の窪みに積もってレンズのようなかたちに広がった。それが後の造山運動で地中に押し込まれ、今の山の中に取り込まれたのがランメルスベルクの鉱床だ。博物館の鉱物ギャラリーにはグネグネした縞状の鉱石がたくさん展示されている。水平な層状に堆積した鉱石が造山運動の際に変形したってことなんだね。
ゴスラーにちなんで名付けられた鉱物、ゴスラライト。亜鉛鉱石が酸化していく過程で二次的にできる比較的珍しい鉱物で、乾燥した場所で鉱山の坑道に析出することがある。水分と触れると簡単に溶けてしまうから、屋外にはあまり残らないらしい。
見るものがあまりにもたくさんあって全然時間が足りない。ガイドツアー2本の後、特に興味がある鉱物に関する展示を見ていたら閉館時間になってしまった。今回見たものの他にも、坑道の水力技術や排水技術について知ることのできるRoeder-Stollenツアーもかなり見応えがあるという評判だし、鉱山業と関連する社会文化についても知りたいし、まだまだいろんな切り口で深掘りできそう。
帰りにゴスラーの町に寄って、カイザープファルツの外観だけ見て来た。神聖ローマ皇帝は、固定の首都を持たず、各地を巡回して統治していた。ランメルスベルク鉱山で採れる銀や鉛が皇帝の財政基盤を支えていたのだ。中を見学する時間は残念ながらなかった。ゴスラーの歴史的旧市街とランメルスベルク鉱山、カイザープファルツはまとめてユネスコ世界遺産に登録されているので、また改めて時間を取ってゆっくり見て歩きたい。
ドイツ最長! バート・デュレンベルクの歴史的製塩設備、Gradierwerk
巨大産業建築って、理由はよくわからないけれど惹かれるものがあるよなあ。視界に入ってくると、「うわあ、なんだあれは?」とまず驚く。それが何なのかを知ると、なぜそれがそこにあるのか、いつできたのか、どういう仕組みのものなのか、と次々と疑問が湧いてくる。
ようやく春になって、出かけるのが楽しい季節だ。ザクセン=アンハルト州バート・デュレンベルク(Bad Dürrenberg)にあるGradierwerk(グラディアヴェルク)を見に行って来た。グラディアヴェルクとは、塩水を蒸発させて塩を濃縮するための施設で、日本語では一般的に 「塩水濃縮施設」 や 「塩水噴霧施設」 と訳されることが多いようだ。ドイツにはいくつかの歴史的なグラディアヴェルクが残っているが、その中でも バート・デュレンベルクのものは特に有名で、ドイツ最長の規模を誇る。
これがドイツ最長のグラディアヴェルクだ!
全長およそ 636メートル。もともとは5つのグラディアヴェルクが一続きになっていて全長1821mあったのが、一部は失われてしまった。それでも一枚の写真にはとうてい収まらない大きさ。1739年 – 1765年にかけて建設されたこのグラディアヴェルク、今でも町のランドマークだけれど、全盛期には圧倒的な存在感だっただろうなあ。
近づくと、確かに塩の匂いがする。
グラディアヴェルクを作った製塩は以下の手順で行われる。
天然の塩水(Sole)が地下からポンプでくみ上げられる。
くみ上げた塩水をスモモの一種であるスピノサスモモ(Schlehdorn)の枝が組まれた壁に上から散布する。
塩水が枝を通る間に自然に蒸発し、塩の濃度が高まる。
塩水の霧が空気中に広がる。
塩分が濃縮された水を採取し、塩として加工する。
この巨大な壁を塩水が滴り降りて来る。
足場が組まれていて、壁伝いに歩くことができる。
枝を組んだ壁に付着しているのは、塩水に含まれていた石灰(カルシウム)、石膏(硫酸カルシウム)、鉄鉱物などの溶けにくい不要な成分。
これまでにシチリア島トラパニ、ドイツのリューネブルクやハレなど製塩業の発達した場所をいくつか見てきたが、同じ塩作りでもいろんな方法がある。シチリア島では海岸に作った塩田に海水を引き入れ、太陽の熱で塩水を濃縮する天日採塩の方法が取られていた。
これに対してドイツでは、塩水ではなく岩塩を使った製塩が行われる。現在のヨーロッパ大陸北部は約2億5000万年前には「ツェヒシュタイン海(Zechsteinmeer)」と呼ばれる広大な浅い海に覆われていた。乾燥した気候のもとで海の水が繰り返し蒸発し、濃縮された塩分が海底に塩化ナトリウム(NaCl)として析出し、岩塩ができた。そのプロセスは数百万年にわたって繰り返されたので、ドイツの地下には厚い岩塩層が堆積しているのだ。
ツェヒシュタイン海でできた岩塩の堆積範囲
岩塩層に地下水が浸透すると、岩から塩が地下水に溶け出して天然の塩水(Sole)ができる。これを汲み上げて濃縮することで塩が得られるのだ。
ドイツ国内にはドイツ塩街道という観光ルートがあるほど多くの製塩都市がある。でも、それらの場所すべてにグラディアヴェルクがあるわけではない。これまでに行ったことのあるリューネブルクでもハレでも、グラディアヴェルクは使われていなかった。これはなぜなんだろう?
それは岩塩層の深さに関係しているらしい。リューネブルクやハレでは、岩塩層は地下約250~300mと比較的浅いところにある。高濃度の塩水が得られるので、それを直接煮詰めて塩を取り出すことができる(煮沸製塩法、)。これに対し、バート・デュレンベルクの岩塩層はもっと深いところにあって地下水が浸透しにくく(この辺りのメカニズムは複雑でよく理解できないが)、塩水の濃度が低い。だから、組み上げた塩水をいったんグラディアヴェルクを通して濃縮してから煮詰める必要があるのだそう。
岩塩の塊
最初は塩の生産の目的のみに使われていたグラディアヴェルクだが、19世紀になると、塩水(Sole)の霧を吸い込むことで喘息・気管支炎・アレルギーなどの呼吸器系の疾患に効果があることが注目され、療養施設としても活用されるようになった。バート・デュレンベルクのグラディアヴェルクの横には療養のための公園「クアパーク」が広がっていて、現在も利用されている。グラディアヴェルクのそばを歩くだけで塩分を含んだミストを吸い込むことができ、健康に良いと人気らしい。
クアパークには塩をモチーフにした子どもの遊び場もある。
クアパークにあるクア施設。マッサージなどの施術が受けられるようだ。
泉の水をちょっと舐めてみたら、思った通りしょっぱかった。
クアパークの横を流れるザーレ川。バート・デュレンベルクとハレはどちらもサーレ川沿いの塩ルート(Salzhandel an der Saale)上にある。作られた塩は川を使って運ばれた。
旧塩務局(Altes Salzamt)。現在はホテルになっている。
塩水を汲み上げるための塔、Borlachturm。当時のザクセン選帝侯領の塩産業の発展を担った技術者で、バート・デュレンベルクの製塩業を近代化しJohann Gottfried Borlach(ヨハン・ゴットフリート・ボルラッハ)(1687-1768年)によって設計・建設された。
現在、中はミュージアムになっている。
私が行った日は定休日で閉まっていたけれど、クアパークの中にはカフェやレストラン、植物園、体験コーナーなどいろいろあって、お出かけにぴったりの場所だなと思った。
この記事の参考サイト:
Bad Dürrenberg市ウェブサイトのグラディアヴェルク関連ページ
Bad Dürrenberg LandesgartenshauWebサイト
ケニア・サファリ旅行⑫ ケニア・サファリと コスタリカ・ネイチャーウォークの比較
初めてのアフリカサファリとなったほぼ2週間のケニアでのサファリを終えて、今回の体験を振り返ってみたい。
ケニアサファリでは期待をはるかに超える数と種類の野生動物を見ることができた。ケニア旅行そのものも初めてだったが、全体的に良い印象で楽しい滞在だった。
特に良かったと思う点を具体的に述べると、こんな感じになる。
部屋の窓からシマウマやウォータバックを眺められるナイバシャ湖のロッジ
全体として、観光業が大きな産業であるケニアでは観光インフラが整っており、人々も観光客に対してフレンドリーで親切だという印象を持った。
一方で、少し残念に感じた点もある。
私たちは自然体験や生き物観察の旅が好きで、過去記事に記しているように、これまでにコスタ・リカやパナマなどを旅して来た。野生動物を見るという点ではケニアと同様なのだが、ケニアでのサファリとの大きな違いは、コスタリカやパナマでのネイチャーウォークは「自分で歩いて動物を探す」点だ。視界の開けたサバンナと異なり植物の生い茂るジャングルにジープを乗り入れるのは現実的ではないので、自然の中に整備されたトレイルをネイチャーガイドさんと一緒に歩きながら、またはガイドさんなしで歩き、ジャングルの中にいる動物を探したり、植物を観察したりする。鬱蒼としたジャングルの中で動物を見つけるのはサバンナで動物を見つけるのよりずっと難しいし、いたと思っても、すぐに見失ってしまう。大型の肉食動物に遭遇することは極めて稀で(私たちはパナマで吊り橋の上からピューマを目撃したけれど)、見られるのは小さい生き物が多い。でも、生き物を見つけるのが難しいからこそ、見つけられたときの喜びは大きい。そして、リスクがないわけではないけれど、五感を働かせて危険を回避しながら歩くのは、とてもワクワクするのだ。
高温多湿で足場が必ずしも良くないジャングルトレイルを歩くのは疲れるし、快適とは言い難い。だから、「安全に快適に、かつ簡単に野生動物が見たい」と思う人は、ケニアのサファリの方が圧倒的に向いているだろう。大型の動物をじっくり観察できるので、動物の生態に興味がある人も満足が得られると思う。でも、「自然を直に体験したい」「冒険感を味わいたい」人にはネイチャーウォークの方がより充実感を得られるかもしれない。
私はといえば、、、、どっちもそれぞれ良くて、どちらかを選ぶのは難しい。同じ野生動物観察でもまったく違う体験だと思う。
ケニア・サファリ旅行⑪ 東アフリカ大地溝帯にある火山、ロンゴノット山に登る
マサイマラ国立保護区でのサファリを持って、10日間のケニア旅行は終了するはずだった。2日目のサファリを終えて夕食を食べながら、「終わっちゃったね。楽しかったね」と余韻を楽しんでいた私たち。明日のこの時間には空港か、などと言いながらふとスマホに目をやった夫が「え?」という顔をした。
「ちょっと!帰りの飛行機キャンセルになったよ」「え?」
乗り継ぎの空港でストライキが行われるため、その空港行きの航空便は飛べないというのだ。代替便として提案されたのは、その丸2日後の便。さあて、どうする?ルーカスさんにケニア滞在が48時間延長になったと事情を話し、追加で2日間、ドライバーとしてお付き合い頂くようお願いした。問題は何をするかである。もう動物は十分に見た。ずっとサファリカーに乗りっぱなしで運動不足が続いていたので、体を動かすことがしたかった。どこかでハイキングがしたいと言うと、ルーカスさんが提案してくれたのはロンゴノット山登山だった。幸い、ハイキングシューズは持参していたので、登ることにした。
ロンゴノット山は大地溝帯にある標高約2,776mの成層火山で、ヘルズゲート国立公園にほど近い。大地溝帯とは周知の通り、アフリカ大陸が東西に引き裂かれつつある場所で、プレートが離れる「拡大境界(divergent boundary)」にあたる。プレートが引っ張られて地殻が薄くなっているので、地下のマグマが地表近くまで上昇しやすく火山活動が活発なのだ。ロンゴノット山が最後に噴火したのはおよそ2000年〜3000年前。山の上には直径約8kmのカルデラがあり、その縁を一周することができる。
遠目には平たく見えるこの火山、山肌にやたらと縦の溝ができている。あのヒダヒダの斜面を登るのだ。聞けば、「ロンゴノート」とはマサイ語で「険しい」とか「アップダウンが激しい」という意味らしい。
ロンゴノート国立公園のゲート
マサイ族の若いガイドさんが登山に同行してくれることになった。というか、ガイドは要らないと思ったけれど、ガイドをつけることが「強く推奨」されているそうで、ルーカスさんがアレンジしてくれるのを断れなかった。
まずは緩やかな坂道を登っていく。砂の上には動物たちの足跡がたくさん付いていた。この国立公園にも多くの野生動物が生息しているのだ。アニマルトラッカーの私としては、足跡はスルーできない。
「これは、肉食動物の足跡ですね?」と尋ねると、ガイドさんはすかさず「ヒョウです。爪の跡がありませんが、表は爪を隠すんです。これは若い個体ですね」と。「え、ヒョウ?この足跡、ずいぶん新しいですよね?」。ヒョウの足跡のすぐそばにはハイエナの足跡があった。「僕はマサイ族なので、足跡からだけでなく、匂いでも動物を嗅ぎ分けられます。マサイの男子は18歳からの2年間、ブッシュにこもって修行するんです」。
他に草食動物や大型野鳥などの足跡を見ながら歩いていると、バッファローが道を横切った跡があった。
「あっ、走って行ったね!」「まだ、この辺にいるかもしれません。気をつけて」。ガイドさんはおもむろに地面に落ちていた大きめの石を拾い上げた。「先に行ってください。ちょっと確認するので」。私たちが先に進むと、バッファローの足跡が消えた茂みの方向をうかがっていたガイドさんが「あそこに隠れてますよ。見えますか?」と言うのでそちらを見ると、確かに茂みの奥にバッファローの姿が見えた。幸いこちらとの間には距離があり、私たちに向かって来ることはないだろう。ガイドなんていらないと思ったけれど、やっぱり付いてもらって正解だった。ロンゴノット国立公園内にはキャンプ場があるのだけれど、ヒョウやハイエナやバッファローがうろつき回るところでよくキャンプなどできるものだなあ。ケニアの人はやっぱり私たちとは感覚が違うのだろうか?
少し登ったところで、茂みの中からディクディクが顔を出した。これなら可愛いけどね。
クレーターの縁まで登るのに小一時間。細かいアップダウンが激しくて、写真を撮っている余裕がない。ようやくクレーターまで登り、ビューポイントからあたりの景色を眺める。
ナイヴァシャ湖が見える。
ヒダヒダの山肌
ロンゴノット山の噴火スタイルは主に爆発的な噴火と溶岩流の組み合わせで、山肌の溝は厚く積もった火山灰の層が侵食を受けることでできた。
眼下に平たく広がる丘は溶岩流が形成した
ロンゴノット山は頂上のクレーターの他にもいくつものクレーターを持つ。
「あ、キリンがいますよ」と言われて遠くに広がるブッシュに目をやると、ブッシュからキリンの頭が飛び出している。
すごい動物だなあ、キリンって。背が小さくて視界が低い私はキリンが羨ましい。
さて、クレーターまでは登ったので、あとはクレーターの縁に沿って歩くだけだ。
えっ?クレーター縁って、平らなんじゃないの?まさか、あのギザギザの上を歩く?一番尖っているところがロンゴノート山の頂上だ。ガイドさんに聞くと、8kmのクレーターを一周するのに3〜4時間かかるというが、ここまで来たら、歩くしかない。
クレーターの内側は鬱蒼とした森になっている。火山灰が風化して養分豊富な土壌が作られたのだ。あそこを歩いて横断することは可能ですか?との夫の問いに、ガイドさんの返事は「歩き慣れた人でも少なくとも半日はかかりますね。地面はゴツゴツの岩だらけで溝がたくさんありますし」。
登ったり降りたり登ったり降りたり。どうにか頂上に到達!
「やりましたね!高齢の方をここまでご案内するのは、これが2度目です。大抵の高齢の方はクレーター縁まで登って、さらにアップダウンがあると知ると、諦めて下山されますよ」
まだそこまで高齢じゃないつもりだけど!笑
頂上を超えても、まだまだアップダウンは続く。
超えてきたアップダウンを振り返る。
だんだん疲れてノロノロ歩きになっている私たちを、驚いたことにスポーツウェアに身を包んだ若い人たちが颯爽とジョギングで追い越していった。こんなところでジョギングとは、元気にもほどがあると思ったら、アスリートの高地トレーニングらしい。
はあ、ようやく一周し終えた。地球の割れ目の真ん中にある火山を歩いたんだと思うと、やっぱり感慨深いな。
さて、ここから一気に下山だ。
「高齢者」の私たちは、結局、合計6時間かけてゲートに戻った。まあまあハードな山登りだったので、やり切った感がある。ケニア滞在の終わりに少しは能動的なことができて、嬉しかったのだった。
ケニア・サファリ旅行➉ マサイマラ国立保護区では良くも悪くも動物が近い
もし、「マサイマラはどうだった?」と聞かれたら、一言目には迷わず「すごく良かった!」と答えるだろう。野生動物の密度と視界の良さでマサイマラ国立保護区に勝る場所はこの地球上でそうそうないのではないかと思われる。
その一方で、少し気になることもあったので、反省の意も込めて記録しておきたい。
気になることというのは、動物との距離がとても近いことだ。先にも述べたが、保護区では基本的にはサファリ客はサファリかーから降りることはできない。車に乗ったまま、風景の中の野生動物を見ることになる。しかし、例外もあり、許可された一部の場所では車を降りて休んだり、散策することが許されている。そのようなルールの中、とても楽しかったのはマサイマラで体験したピクニックだ。終日サファリの日はロッジにお弁当を作ってもらい、ピクニックツリーと呼ばれるアカシアの木の下でブランケットを広げ、お昼ご飯を食べる。ピクニックツリーはいくつもあり、程よい木陰のある木をガイドさんが見つけてくれる。
あの木なんか素敵!と思っても、要注意。木の下をよく見ると、、、
ライオンが昼寝中だったりする。
マサイマラでのサファリの1日目に車を止めたピクニックツリーの下に、何やら毛玉のようなものが落ちていた。
「ああ、ハイエナがここにいましたね。ハイエナは獲物を食べた後、消化しにくい毛を吐き出すことがあるんです」とルーカスさん。そうか、ここにハイエナがいたのか。
ブランケットを広げ、座ってランチボックスを開けたら、どこからともなくハゲコウがやって来た。
じっ。ハゲコウもランチ食べたいみたい。
美味しいものがたくさん詰まったランチボックス
さらにもう1羽のハゲコウがやって来て、2羽のハゲコウに両側から見られながらお昼ご飯を食べることになった。もちろん、野生動物に餌をやるのは御法度だ。でも、食べ残しをやる観光客も中にはいるだろうし、そうでなくても近寄って来て人間の食べ物を盗む動物もいるだろうと思われる。
しばらくしたら、急にハゲコウたちはそそくさと足早に離れて行き、遠くへ飛び去った。なぜ急に?と訝しく思い、ふと振り返ると、
そこにはヒヒがいた。ハゲコウたちはヒヒが近づいて来たから去っていったのだろう。そんな力関係を目にするのも興味深い。
二日目は別の木の下でランチタイム。この日はそう遠くない距離をゾウの群れがゆっくりと通り過ぎていった。こんなふうに、野生動物と同じ空間を共有していると実感できるのは素晴らしい。
その反面、サファリ客が動物に近づきすぎているのではと感じるシーンも多々あった。多くの動物たちはサファリカーに慣れていてリラックスしており、車が近づいても逃げるどころか、平気で車の目の前を横切るものもいる。人間は自分たちに危害を加えないと知っているからこその行動だろうから、それは特に問題ではないのかもしれない。しかし、サファリカーが動物にあまり接近するのはどうなんだろう?ビック5のいる場所には多くの車が集まり、至近距離で写真を撮ろうとみんなが身を乗り出す。車の数が多いと良いアングルの争奪戦となり、動物たちの周りではひっきりなしにエンジン音が鳴り響くことになる。私たちが滞在した2月はピークシーズンではないが、それでも大人気のマサイマラ国立保護区には多くのサファリカーが走っていた。ピークシーズンには一体どれほどの観光客が押し寄せるのだろうか。
自分自身もサファリをしているのだからサファリカーが多すぎると文句を言える立場にない。が、さすがにあればないんじゃないかという光景に出くわした。ライオンの赤ちゃんたちが寝ている茂みを道路から双眼鏡で観察していたときのこと、たくさん停まっていたジープの1台がふいにエンジンをかけたと思うと、草むらに分け入って行った。ルーカスさんによると、オフロードは禁止されており、見つかるとかなりの罰金を取られるらしいが、その車はルールなどなんのその。茂みの至近距離まで近づいた。すると、他のジープも次々に後に続き、茂みのある木の周りを取り囲んでぐるぐると周りはじ始めたのだ。赤ちゃんたちはゆっくり休めないどころか、包囲されて逃げることもできない。明らかなハラスメントではないのか?
とても嫌な気持ちになり、「もう十分に見たので、他の場所に行きましょう」とルーカスさんに伝え、その場を離れた。動物を近くで見たい、良い写真を撮りたいというのはわかる。でも、今の時代、良い双眼鏡やズームレンズがあるのだから、かなり離れていても良く見ることは可能だ。まあ、客の方からオフロードで近くまで行ってくれと頼んでいるわけではなさそうで、ガイドさんが客に喜んでもらいたいと思ってそうしているわけで、そこには願わくばチップを弾んで欲しい、良いレビューをつけて欲しいという気持ちもあるのだろう。彼らはそれで生計を立てているのだから致し方ない面があるのもわかる。だからそこは、客の方が「そんなに近づかなくて結構です」とキッパリ断るべきなんじゃないかとやるせない気分だった。
動物の側からすれば、サファリ客などそもそも来ない方が良いに決まっている。ただし、サファリ客が来てお金を落とすことで野生動物の保護が成り立つという構図になっている以上、サファリというアクティビティの良し悪しには簡単に白黒つけられない。人は見たこともないものを保護しようとは思えないものだし、実際に動物を見ることで学べることが多いのも事実。私はサファリに行ったことを後悔はしていない。けれど、自分の行動がもたらすかもしれない負の影響に無自覚でいてはいけないなあと思う。
ケニア・サファリ旅行⑨ マサイマラ国立保護区 肉食動物編
マサイマラ国立保護区で見た草食動物については前回の記事に書いたので、次に肉食動物についてまとめよう。
ケニアへ行く前は「ビック5のうち、いくつか見られたらいいなあ。でも、そんなに簡単には見られないんだろうなあ」となんとなく思っていた。アフリカサファリのビック5とは、ライオン、ヒョウ、ゾウ、サイ、バッファローの5つである。
ところが、現実は期待を遥かに上回り、マサイマラへ辿り着く前にライオン、ゾウ、サイ、バッファローはすでに何度も目にしていた。残るはヒョウのみ。夜行性のヒョウは目撃するのが一番難しいそうだ。「マサイマラで見られるといいですね。でも、1週間マサイマラに滞在しても見られない人もいます。運次第です」とガイドのルーカスさんは言う。まあ、ヒョウが見られなくても他の動物がいろいろ見られるのならそれでいいかな。ヒョウの代わりにチーターが見られたら嬉しいな。
願いはあっさりと叶った。
草むらに4匹のチーターの姿。
他の動物の場合、群れでいるのは大抵メスとその小さな子どもたちだ。しかし、チーターは兄弟が一緒に行動することが多いそうだ。逆にメスは単独行動で狩りをする。だとすると、体の大きさが同じくらいのこの4匹はオスの兄弟か。チーターといえば走ることにかけてはサバンナ最速、最高時速100km でダッシュする。まったりしている姿からはちょっと想像できないね。
精悍な顔のライオンと違って、チーターのオスは優しげな面構え。
ネコらしくてかわいい。
セグロジャッカル (black-backed jackal, Lupulella mesomelas)の姿も見ることができた。
ジャッカルは肉食というより、雑食性で、自分で小動物を狩って食べる他、果物も食べればライオンやハイエナの食べ残しを食べることもある。
保護区内をサファリカーで走りながら気づいたのは、広大な保護区に動物たちは満遍なく散らばっているのではなく、いろんな草食動物の群れが種混合で集まっているエリアと全く何もいないエリアとがあることだった。
「この辺には何もいませんね?どうして?」との答えにルーカスさんは、「草丈が高い場所を草食動物たちは好みません。捕食者が潜んでいるかもしれないので」と教えてくれた。なるほど、草丈が高ければ、肉食動物は獲物に気づかれずに近づきやすいだろう。そんなことを考えながらぼんやりと景色を見ていたとき、「このあたりの草むらにヒョウがいるという情報がありました!」というルーカスさんの声にハッとする。一生懸命、ヒョウの姿を探すが見当たらない。
「ほら、そこそこ!目の前ですよ」
遠くの方ばかり見ていたが、なんとすぐ目の前の草むらをヒョウが歩いているではないか。
おお、本当にヒョウだー!
びっくりしている間にヒョウはさっさと去っていってしまった。草に隠れると、ほんとに見つけづらい。
こんなに簡単にビック5を見れてしまうとは、なんとラッキーな私たちだろう。でも、サファリの真の面白さは特定の動物を「見られたか、見れなかったか」にあるのではなく、動物たちの行動を観察できるところにあるといって間違いない。サンブル国立保護区ではメスライオンたちが赤ん坊にお乳をやるところを間近で見ることができてとても感動したが、マサイマラではライオンの狩りの試みを見ることができたのだ。
マサイマラでのサファリの2日目、同じ群れに属するライオンのメス達が 分散し、狩りの体制に入っているようだとの情報が入った。少し離れたところにはバッファローの大群がおり、ライオン達のいるエリアとは反対方向へ少しづつ移動していた。バッファローの群れがいる草むらと道を挟んだ反対側に水場があり、バッファロー達は交代でそこに水を飲みにいっては群れに戻っていたが、群れが移動していく中で、2頭のバッファローが 群れからはぐれてしまった。
はぐれたバッファローたち
「あの2頭、ライオン達に狙われるね」私たちはそう言いながら、ライオン達の動向を見守った。
2頭のバッファローの間が少し離れた隙を狙って、メスライオンのうちの1匹がそうっと近づいていく。
仲間のメスライオン。
他のメスライオン達はそれぞれ離れたところに隠れて待機し、バッファローが逃げたら飛び出して囲むつもりのようだ。
しかし、バッファローもバカではなく、近寄って来たライオンの存在に気づいた時点でそれぞれ違う方向に向かって駆け出した。ライオン達は一瞬、どちらを追いかけるべきか迷ったようだが、最初に狙った方を追い始めた。
最初に狙った1頭を追いかけることにしたメスライオン。
3匹でバッファローを追いかけるライオン達
結局、逃げ切った。
「あーあ、失敗しちまったわ」。手ぶらで戻って来るライオン。
百獣の王といえども、いつも成功するとは限らないのだった。見ていた私は狩りが失敗して残念なような、バッファローが死ぬ場面を見ずに済んでホッとしたような、複雑な気分。
メスライオン達は狩りに失敗していたが、その頃、サバンナの別の場所では、、、。
バッファローの足が落ちている。
さては、ライオンの食べ残しか?食べられてからそう時間が経っているようには見えない。ということは、近くにオスライオンがいるんだろうか?あたりをキョロキョと見回すと、いたいた。
満腹して熟睡中の様子。そりゃあ、あんな大きな獲物を食べればね。
太ももの1箇所にやたらとハエがたかっている。バッファローを倒したときに返り血を浴びた場所だろうか。
ライオンの興味深さは言うまでもないが、私が今回のサファリ旅行でとても興味を引かれたのはハイエナである。広大なサバンナで草を喰むアンテロープ達の間をハイエナ達がウロウロと歩き回り、獲物になりそうな個体を探している光景はとても印象に残っている。
獲物の品定めをするブチハイエナ (Spotted Hyena, Crocuta crocuta)たち
意外にも、草食動物達はハイエナが近づいてもすぐに逃げるわけではなく、ハイエナの動きに注意しながら草を食べ続けていた。ハイエナ達がお腹がぺこぺこで今すぐにでも狩りをしようとしているのか、それほどでもないのか、動き方で見極めているらしい。ハイエナの姿を見つけるたびにいちいち逃げていたらエネルギーを消費してしまうから、当然なのかもしれない。また、ハイエナ達もぶらぶら巡回することで、ケガをしている個体や子どもなど、捉えやすい個体がいないかをチェックしているようだ。
「よしっ、あれをやるか」
しばらく観察していたら1頭のイボイノシシが標的になった。しかし、逃げられ、ハイエナたちも遠くの茂みの中に消えていった。
と思ったら、しばらくしたら口に何か咥えて戻って来た。どうやら狩りには失敗したものの、ライオンの食べ残しを見つけたらしい。バリバリと音を立てて骨を噛み砕いている。ハイエナの噛む力は相当強いらしいもんね。
他のハイエナたちは暑かったのか、水たまりに行って腰を下ろした。
「ああ〜、ひんやりしてて気持ちいい〜」
嫌われ者のハイエナだけど、リラックスしているときはなかなかとぼけた表情をしてるな。
ハイエナって、どんな動物なんだろう?今、私にとって一番気になる存在かもしれない。
ケニア・サファリ旅行⑧ マサイマラ国立保護区 草食動物編
今回のケニア・サファリツアーの最後の目的地は、野生動物の密度が高いことで世界的に知られるマサイマラ国立保護区(Massai Mara National Reserve)だ。ケニア南西部に位置するこの保護区は、隣国タンザニアの セレンゲティ国立公園 とつながっている。マサイマラとセレンゲティは同じ生態系に属し、国境を挟んで広がる 「マラ・セレンゲティ生態系」 を形成している。
ナイヴァシャ湖からマサイマラ国立保護区までの移動は、途中にあるナロック(Narok)の町までは国道なので比較的快適だが、そこからは道路状態が急に悪くなった。道路の中央は陥没して穴だらけなので、路肩を走らなければならず、道路の真ん中を走れないなら何のための道路か、と思ってしまう。ナイヴァシャ湖からナロックまで約2時間半、そしてナロックからタレックゲート(Talek Gate)の近くの宿泊施設までさらに2時間半、合計5時間ほどかかって到着した。(ナロックでマサイマラ大学の学生たちがデモをやっていて、道路を塞いでいたせいもある)
マサイマラで私たちが泊まったのは、コテージタイプのロッジではなくテンテッドキャンプ(tented camp)と呼ばれるテント式のロッジ。自分で選んだわけでなくサファリツアーに組まれていたのだけれど、テントだとより自然と一体感がありそうで、楽しみだった。
泊まったテント式ロッジ
中は普通に快適
テントの中にはシャワースペースもある。蛇口を捻ってからお湯が出るのに5分くらいかかる。
レセプションやレストラン、バーなどのスペースもすべてテント。
テンテッドキャンプは雰囲気たっぷりでいい感じ。夜中にはハイエナの鳴き声が聞こえたりと「アフリカのサバンナにいる」感が味わえる。ただし、自然と一体化していると感じるほどではなく、ワイルドさにおいては今までに経験したパナマのツリーハウス風コテージやコスタリカのジャングルの中のシンプルなロッジの方がすごかった。私たちが泊まったのは公園の外にあるテンテッドキャンプだったが、公園内のテンテッドキャンプ(より割高)なら、もっと直接的に野生の世界を感じられたのかもしれない。
マサイマラ国立保護区では保護区を流れるマラ川の支流、タレック川沿いにあるタレックゲートから入園し、2日間の終日サファリを楽しんだ。
タレック川。乾季なので水が少ない。雨季にはまったく違う景色になると思われる。
タレックゲート(Talek Gate)
マサイマラ保護区内はサバンナが広がりアカシアの木が点在する、野生動物ドキュメンタリーで見るアフリカの景色そのもの。およそ1,500㎢の敷地を数えきれないほど多くの野生動物たちが歩き、走り、食べ、休み、後尾をし、子育てをし、狩りをする姿が見られる、先進国に住む私たちにとって、まさに非日常の世界だ。
この記事ではマサイマラで見た草食動物を中心に紹介しよう。肉食動物に関しては後の記事で。
まず、大型のアンテロープ、トピ(Topi、Damaliscus korrigum) がたくさんいる。
トピの群れ
トピはツヤのある茶褐色の体をしていて、顔と肩、腰部がまるでアザができたかのように黒いのが特徴。
特定の個体がシロアリ塚などの小高い丘の上に立って見張りをしているのがあちこちで見られた。トピに典型的な行動だそうだ。
イボイノシシ (Warthog, Phacochoerus africanus)
目の下と頬のあたりに「イボ」のような突起があり、口から上に反り返るように牙が生えている。どことなく愛嬌のある顔だな。
背中には短いタテガミ。走るときにはしっぽをピンと立てる。イボイノシシは草食ではなく雑食だが、主に草や根、塊茎、果実を食べる。イボイノシシは脚も首も短いので、草を食べるときは前脚を曲げて跪くことが多いらしい。残念ながらその姿は見られなかった。できればじっくりと観察したい動物だ。
マサイマラにいるキリンは「マサイキリン (Massai Giraffe, Giraffa tippelskirchi)」
そして、マサイマラにいるダチョウは、マサイダチョウ (Masai ostrich, Struthio camelus massaicus)。ソマリダチョウと違い、首や脚がピンクっぽい。
ゾウが水を飲んだり草を食べるところをゆっくり観察することができた。
鼻で草を根っこごと引き抜いて、振って泥をある程度落としてから口に運ぶ。美味しいところだけ食べて、不味いところは落とす。
鼻をストローにように使って水を吸い上げ、一度鼻の中にためてから口に注ぐのね〜。
マラ川(Mara River)。 毎年、7月~10月にはヌーの大移動のクライマックスとなる 川渡り が見られることで有名だが、今の季節はヌーの姿はない。しかし、カバはたくさん。
マラ川にはワニもいる。
黄色っぽくて小さいから、これは若い個体かな?
ワニがカバに近づいて行った。ガイドさんによると、このカバはメスで、自分の前の水中に赤ちゃんを隠している。その赤ちゃんをワニは狙っているらしい。
カバの群れもすごいが、圧倒的だったのはバッファローの群れだ。
一体全部で何頭いたのか。これだけの数のバッファローが移動する様はとにかく圧巻だった。
ケニア・サファリ旅行⑦ ヘルズゲート国立公園でサイクリング
ナイバシャ湖のすぐ南にはヘルズゲート国立公園(Hell´s Gate National Park)という小規模の国立公園がある。
1984年に設立された「地獄の入り口(ヘルズゲート)」という怖い名前のこの国立公園は、東アフリカ大地溝帯(グレート・リフト・バレー) の一部を成し、火山活動によって形成された渓谷や岩の絶壁 が特徴である。これまで回って来た国立公園や保護区では基本的にサファリカーに乗ったままの観光だったが、ヘルズゲート国立公園は大型肉食動物が少ないので(いないわけではない!)、徒歩やサイクリングでも回ることができる。運動不足の日が続いていたので、サイクリングをすることにした。サルマックヴィレッジのヘルズゲート国立公園通り(Road to Hell´s Gate National Park)にある貸し自転車ショップで自転車を借りると、エルザ・ゲートまでは貸し自転車ショップのスタッフがバイクで自転車を運んでくれる。
エルザゲート
あらかじめルーカスさんがサイクリングツアーを手配してくれており、ここでもガイドさんがついた。でも、ここでのサイクリングにはガイドは特に必要ないと思う。
サイクリングにしゅっぱーつ。
ゴージロード(Gorge Road)と名付けられた道路を8km走り、ヘルズゲート渓谷(Hell´s Gate Gorge)を目指す。道路の左右には赤い岩壁が続き、晴れ渡った青空とのコントラストが素晴らしい。
岩は火山活動による玄武岩で、溶岩流の冷却によってできた柱状節理が水の侵食や風化によって露出し、荒々しい景観を作り出している。赤みがかっているのは酸化鉄(Fe₂O₃)を含むため。
道路の砂利には黒曜石が含まれていて、ところどころキラキラ光っていた。
サイクリングルートは片道8km 。道路のコンディションはそう悪くなく、傾斜も緩やかなのだけれど、古い安物の貸し自転車なので全然スピードが出ない。 途中、何ヶ所か自転車を降りてガイドさんの説明を聞くこともあり、たった8kmに1時間近くかかった。
さて、ヘルズゲートには、火山の噴火によって形成されたタワー状の岩がいくつかあり、見どころとなっている。その一つが、フィッシャーズ・タワー(Fischer’s Tower)だ。
フィッシャーズタワー。発見者のドイツ人、フィッシャーにちなんで名付けられた。
高さ25mのこの岩は過去の大規模な火山噴火による溶岩の固まりで、周囲の地層が侵食され、硬い部分だけが残ってこのようなタワー状になった。
ロッククライマーにも人気。
岩のうえにロックハイラックス(Procavia capensis),がいた。
公園内のもう一つの有名な岩の塔、セントラル・タワー(Central Tower)
ヘルズゲート国立公園は、ハゲワシや猛禽類の生息地としても有名だ。
「あの岩の白っぽくなっているところにハゲワシの巣がありますよ」とガイドさんに言われ、目を凝らした。遠くてよく見えないので双眼鏡を目に当てる。
何羽かのアフリカハゲワシ(Rüppell’s Griffon Vulture, Gyps rueppelli) とおぼしき鳥が見えた。生まれたてのヒナというより、もうだいぶ大きくなっているようだ。
火山活動が活発なヘルズゲートは ケニア最大の地熱発電所 があるエリアで、地熱で温められた間欠泉や温泉 があり、地面のあちこちから蒸気が噴き出している。地熱エネルギーはナイロビなどの都市へ供給されている。
渓谷、ヘルズゲート・ゴージの入り口まで行ったら、自転車を停めてキャニオンウォーク。
ヘルズゲート・ゴージは、火山の噴火による堆積物(火山灰・軽石・火砕流)と、その後の侵食作用 で形成された渓谷だ。数十万年前~数千年前の大規模な火山噴火(主にロンゴノート山)で分厚く降り積もった火山灰や軽石(テフラ)から成る地層が水や風、そして地熱によって侵食を受けてできた。
火山灰の層には過去の噴火の記録が刻まれている。
この滝の水は実はお湯で、温泉水である。
この渓谷は映画『トゥームレイダー2』(2003年)のロケ地として使われたそう。
渓谷は奥に進むにつれ、狭くなっている。雨季には鉄砲水が発生することがあり、とても危険だ。2019年に観光客とガイドが突然の豪雨による鉄砲水に巻き込まれて亡くなるという事故があり、現在、危険なエリアにはロープが貼られ、一番奥まで行くことはできない。
ヘルズゲート国立公園はナイロビからのアクセスも良く、サファリ以外のアウトドアアクティビティを楽しめる場所として人気が高い。
ケニア・サファリ旅行⑥ カバだらけのナイヴァシャ湖でボートサファリ
素晴らしい体験ができたサンブル国立保護区を後にし、次に向かったのは、巨大な大地の裂け目、東アフリカグレート・リフト・バレー(大地溝帯) に位置する淡水湖、ナイヴァシャ湖(Lake Naivasha)だ。
ナイヴァシャ湖は首都ナイロビの北西約90km、標高約 1,884m にあり、ケニアで最も高い場所にある湖のひとつ。気候は赤道直下にしては涼しく、輸出用の花の栽培が盛んである。湖沿いにはたくさんのビニールハウスが並んでいた。
予定されていたここでのアクティビティはボートサファリである。ナイヴァシャ湖は水鳥の楽園 として有名で、約 400種以上の鳥類 が記録されているのだ。1995年にラムサール条約湿地に登録されている。
ボートに乗り込んだ。サンブルの暑い空気と比べると、とても爽やかだ。
湖の浅瀬にたくさんの枯れ木があるのが目に付く。ナイヴァシャ湖の水位は変動しやすく、2020年には過去50年間で最も水位が上昇し、湖の面積は154㎢から193㎢へと大きく拡大したという。つまり、枯れ木の立っているところは、数年前までは陸だったのだ。「ナイヴァシャ」とはマサイ語で「大きな、動きのある水」を意味するらしい。
いくつかのリゾート施設も水没してしまっている。ひゃー。
ナイヴァシャ湖は、リフトバレーが形成される過程で火山活動と地殻変動 によってできた盆地に水が溜まって形成された。特徴的なのは、出口がないのに淡水湖であることだ。出口のない湖は蒸発によって塩分が濃縮されて塩湖になるのが通常だが、ナイヴァシャ湖は地下水や湿地を通じて水が流出しているので、淡水湖のまま 保たれているのだという。湖とその周辺には多様な生態系が発達し、鳥類だけでなくさまざまな生き物が生息している。
たとえば、カバ。ナイヴァシャ湖には1500頭ものカバが生息し、湖の象徴的な動物とされているらしい。サファリカーに乗ったままライオンを間近で見ても怖いとは感じなかったが、カバだらけの湖でボートに乗るのはさすがに怖いものがある。なんといってもカバは体重1.5〜3トンもあるし、縄張り意識がすごく強くて攻撃的だという。ケニアにおける野生動物による死亡事故はカバとの遭遇によるものが一番多いそうだ。もちろん、ガイドさんはカバの習性を熟知しており、危険な距離まで近づいたりはしないだろうけれど、、、。
びっくりしたのは、浅瀬の水の中に立って魚釣りをしている人たちがたくさんいたことだ。カバが怖くないのだろうか?と思って観察していたら、しばらく後、なんらかの合図のようなものがあり、急にみんな岸に上がって走り去った。ボートサファリのガイドさんによると、「彼らがやっているのは違法なんです。ライセンスを持っていなければ漁業はできません。今、取り締まりの警察が来たので、急いで逃げたんですよ」とのことだ。ほとんどの人は上手く逃げたが、何人か逃げ遅れた人がいて、岸に上がるのは諦め、泳いで岸から離れようとしている。なんてこと。カバに気をつけてー。
すっかりカバに気を取られてしまったが、目的は野鳥。ボートサファリ中、いろいろな野鳥が観察できた。
カワウ (Great cormorant, Phalacrocorax carbo)。近くの木に大きなコロニーを作っていた。
魚を捕まえたヒメヤマセミ (Pied Kingfisher, Ceryle rudis)
モモイロペリカン (Great white pelican ,Pelecanus onocrotalus) 目の前でど迫力。
アフリカトキコウ (Yellow-billed Stork, Mycteria ibis)
キエリボタンインコ (Yellow-collored lovebird, Agapornis personatus)
ハダダトキ (Hadada ibis, Bostrychia hagedash)
さっきの違法な漁師の人から買った魚をガイドさんがボートから湖面へ放り投げると、すぐにサンショクウミワシ(African Fish Eagle, Haliaeetus vocifer)が取りに来た。
写真を撮れなかったけれど、他にもたくさんの野鳥を見ることができた。
さて、岸の方に目をやると、岸辺の水面にはホテイアオイ(Water hyacinth, Pontederia crassipes)がびっしり。 涼しげで綺麗だなと思ったけれど世界の侵略的外来種ワースト100の一つなんだってね。ここナイヴァシャ湖でも問題になっているらしい。
ウォーターバックがホテイアオイの葉をムシャムシャ食べていた。ウォーターバックは平気で水の中に入るからウォーターバックというのだと教えてもらった。ライオンなどの捕食者が接近したときに、サッと水の中に逃げる。でも、水の中にはカバがいるんじゃ?肉食のライオンと違って草食のカバは、縄張りに侵入して怒らせない限り大丈夫ということなのだろうか?とにかく、ナイヴァシャ湖付近にはウォーターバックがたくさんいてホテイアオイを食べてくれている。増殖のスピードの方が速そうだけれど。
ボートを降りた後は、別のガイドさんと一緒に湖の周りを歩き、陸の動物を観察した。ケニアではとにかく、何をするにもガイドさんをつけるように言われる。いろいろ説明してくれるのはありがたいけれど、その都度チップをお渡しするので、チリも積もればでそれなりの出費になる。
ウォーターバックのボス
ガイドさんによると、強いオスは水辺の良い場所に縄張りを持ち、メスの群れを引き寄せる。しかし、ずっとボス(territorial bull)でいられるわけではなく、チャレンジャーの他のオスが闘いを挑んで来ることがある。闘いに敗れるとボスは交代し、負けた元ボスは群れの外に追いやられるのだという。
「ウォーターバックの鼻のかたちはハート形なんですよ」と言われてよく見ると、
ほんとだ!かわいい。
バッファローもたくさんいた。レクリエーション客が普通に歩く場所なのに、危ない生き物たちが普通にいるなあ。
地面のあちこちに大きな穴が空いていた。「イボイノシシがシロアリ掘り出して食べるんです」
これはカバの寝ぐら。糞でマーキングしてある。昼間は水の中にいるカバたちは、日が暮れると岸に上がって来る。のっそりしてそうな体型だけれど、陸に上がると意外とすごいスピードで歩く動くらしいのだ。
カバの足跡があった。4本の指の跡がくっきり。ナイバシャ湖の湖畔にはロッジが並んでいる。夜間にロッジの敷地を出て、湖の周りをウロウロするのは危険だ。サファリガイドさんの言うことを聞かずに勝手に出かけた観光客がカバに襲われて亡くなったケースがあるらしい。おお、こわこわ。ほんと、カバには気をつけよう。
ケニア・サファリ旅行⑤ ライオンの授乳シーンに感動
サンブル地域でしか見られない珍しい動物、「サンブル・スペシャル5」をしっかり見ることができ、来た甲斐があったと感じるサンブル国立公園(Samburu National Reserve)でのサファリ(厳密には隣接するバッファロースプリングス国立保護区)Buffalosprings National Reserve)だったが、実はさらに素晴らしい体験ができた。アンボセリ国立公園では遠目に姿を認めただけのライオンを間近にじっくりと観察することができたのだ!
サンブルには2泊したので、1日目は夕方のサファリ、2日目は早朝からの終日サファリができた。1日目に前述のサンブル・スペシャル5を見て大満足し、そろそろロッジに戻る時間かなと思ったとき、無線で他のサファリガイドとスワヒリ語でコミュニケーションを取っていたルーカスさんが、「ちょっと遠いですが、面白そうなものが見られそうな場所があるようなので、行ってみましょう」と言う。保護区の中は当然ながら住所などはないので、「〇〇のところまで行ったら右に曲がって、△△のところで左の道に入って、300mくらいのところで云々、、、」などとお互いに説明し合うのだろう。移動中、ルーカスさんはずっと仲間のガイドとやり取りを続けていた。スワヒリ語はわからないが、ときどき「シンバ」と言っているのだけは聞き取れた。
シンバ、、、、もしかして、ライオン?ワクワクしながら、凸凹道に揺れるサファリカーの枠につかまり、窓の外に目を凝らす。
30分は経っただろうか。日が沈みかけた頃、前方に何台かのジープが止まっているのが見えた。あそこにライオンが?
車を横付けし、エンジンを切ると、一台のジープの運転手が茂みを指差して小さな声で言う。「あそこにライオンの赤ちゃんがいますよ」「え、どこどこ?」
双眼鏡で覗くと、いた!
全部で何匹いるんだろう、他の2匹は倒木の上でじゃれあっている。
赤ちゃんライオンの側にはメスライオンも潜んでいると思われるが、よく見えない。「きっと近くにオスもいますよ。あの辺かな?」とルーカスさんが少し離れた場所の茂みを指差した。すると、、、。
出て来た!!私たちのいる道路に向かって歩いて来る。
えっ?まさかのトイレタイム。
そして、なんとおすライオンがもう1匹姿を現した。
「兄弟ライオンです。」「一つの群れに複数のオスがいることもあるんですか?」「そういうこともありますよ。兄弟が協力すれば、広い縄張りを守るのに有利なんです」「メスはどちらとも交尾するんでしょうか?」「はい。でも、どちらと交尾をするか、決める決定権はメスにあります」
すぐ目の前に強そうなオスライオンが2頭も現れ、圧倒されてしまう。なんだか現実のこととは思えない。言葉もなく、しばらく眺めていたらいよいよ日が暮れて来た。「そろそろロッジに戻りましょうか。きっと、赤ちゃんライオンが隠れているあの木の下は今夜の彼らの寝ぐらですよ。明日の朝、ここに戻って来ましょう」。ルーカスさんはそう言ってエンジンをかけた。
翌朝。
サファリカーに乗り込んだ私たちは、真っ先にライオンの寝ぐら付近へと向かった。すると、近くの原っぱに赤ちゃんライオンを連れたメスたちが歩いているのが見えた。
おお!!
赤ちゃんがたくさん!そして、赤ちゃんたちは一斉にニャオニャオと鳴き始めた。
「あの子たち、お腹が空いていますよ」。そっか、お腹が空いて鳴いているのね。
日陰に戻ったメスライオンたちは地面に体を横たえた。
お乳を求めておしくらまんじゅうの赤ちゃんたち
満腹になってゴキゲンの赤ちゃんたち
近くではお父さんが見張っている。
ああ、なんて素晴らしい光景だろう。この後のサファリで他にもいろんな動物を目にしたが、ライオンの授乳風景が目に焼き付いて離れず、それ以外のものがかすんでしまうほどの感動的な体験だった。
サンブル国立保護区はアンボセリ国立公園やマサイマラ国立公園ほど有名ではないが、その分、観光客がそれほど多くなく、ゆっくりと動物たちを観察できるのがとても良い。そして、野趣あふれる景観と、そこでしか見られない希少な動物に遭遇するチャンスがあるという意味でも素晴らしい場所だと思う。すっかりお気に入りの保護区になった。
ケニア・サファリ旅行④ 独特な動物の見られる美しいサンブル国立保護区 その1
ケニアで訪れた3つ目の生物保護区、サンブル生物保護区(Samburu National Reserve)は、前日に滞在したオルペジェタ生物保護区(Ol Pejeta Conservancy)から、ケニアの地理的中心とされるイシオロ(Isiolo)の町を通過し、北東に150kmほど移動したところにある。イシオロの町には、服装からムスリムとわかる人がとても多かった。サンブル族、ボラナ族、トゥルカナ族、ソマリ族などの民族が暮らしているが、特にムスリムのソマリ系の住民が多く、また、ナイロビと北部の都市を結ぶ交通の要所で、エチオピアやソマリア方面との交易の拠点でもあることから、イスラム文化が根付いているらしい。
ケニア山周辺の緑多い景色から一転して、窓から眺める景色は乾燥した大地となり、民家もまばらになっていった。ルーカスさんによると、朝晩は気温が下がり比較的過ごしやすいケニア南部と比べ、ケニア北部は反砂漠気候でとても暑いとのこと。
サンブル国立保護区は行政区画サンブル郡にあり、隣接するイシオロ郡のバッファロースプリングス国立保護区(Buffalo Springs National Reserve)とシャバ国立保護区(Shaba National Reserve)と共に、総面積およそ600㎢の繋がりのある生態系を形成している。「サンブル」という名前はこの地域に古くから住んでいるサンブル族に由来する。サンブル族は、マサイ族と近い関係を持つナイル系の牧畜民族で、伝統的に牛やヤギ、羊を飼いながら半遊牧生活をしている。文化や言語もマサイ族に似ている。サンブル生物保護区の特徴は、野趣溢れる美しい景色と、「サンブル・スペシャル・ファイブ」と呼ばれる独特な野生動物だ。
サンブル・スペシャル・ファイブとは、
さて、果たしてこれらを見ることはできるだろうか。
サンブル国立保護区の方が知られているのでタイトルにはサンブル国立保護区と書いたが、実は私たちが滞在したのロッジはエワソ・ニーロ川(Ewaso Ng’iro River)を挟んで南側にあるバッファロースプリングス国立保護区内にあった。生態系も生息する動物も川の北側と南側で変わりないが、運営が違うので両方でサファリをする場合には入場料が2倍かかってしまう。そういう事情で、私たちがサファリを楽しんだのはバッファロースプリングス国立保護区である。
エワソ・ニーロ川沿いに立つロッジのベランダからの眺めは素晴らしかった。ヒヒの群れが水浴びをしに川へと向かっている。
プールからはゾウの家族がゆっくりと歩く姿を眺めることができた。夢のよう。
ロッジの敷地内にはジリスやコビトマングースがいた。
ジリス (Ground squirrel)
コビトマングース (common dwarf mongoose, Helogale parvula)
今回のケニアでのサファリ旅行を通じて少し残念だったのは、観光客が自由に歩けるのは基本的にフェンスに囲まれたロッジの敷地内だけなこと。サファリでは車に乗っているだけなので運動不足になってしまうし、自然の中を散歩したいという欲求があった。でも、町ならともかく、生物保護区には危険な生き物がたくさんいるのだからしかたがない。
さて、いよいよサファリの時間である。
バッファロースプリングス国立保護区。
早速、見つけた!
これが赤道以北でしか見られない、グレビーシマウマ (Gravy´s zebra, Equus grevyi)。確かにシマが細かくて、見ていると目が回りそう。お腹の部分には模様がなく、白い。
オリックスの群れがいた。向こうに見えるのはアミメキリン?
ベイサオリックス (East African Oryx, Oryx beisa)
真っ直ぐ伸びた長いツノ、前脚には黒い帯模様。顔はかなり牛っぽい。
赤ちゃんオリックスもいた。
お母さんが来て、体をきれいにしてくれた。
アミメキリン (Reticulated giraffe, Giraffa reticulata)
トゲトゲのアカシア上手にしごいての葉っぱだけ取って食べている。
ケガして治った跡?
こちらはゲレヌク (Gerenuk, Litocranius walleri)の親子。ほんと、首が長い。
そして、スペシャル5の5つ目は、ソマリダチョウ (Somali Ostrich, Struthio molybdophanes)。
「ダチョウ」と付くけどダチョウではなく、ダチョウ属に属する別の主だそう。
オス
メス
ここでしか見られないスペシャル5、あっさり全部見れてしまった!が、バッファロースプリングスで見られるのはこれらにとどまらない。翌日のサファリではさらなる感動が待っていたのである。
その2に続く。
ケニア・サファリ旅行③ 地球上に残る最後のキタシロサイが見られる、オル・ペジェタ生物保護区
1日半、アンボセリ国立公園でのサファリを楽しんだ後は、ケニア中央部にあるオル・ペジェタ生物保護区(Ol Pejeta Conservancy)へと向かう。移動に8時間近くかかるので、早朝6時に出発である。ロッジの朝食は6時からなので、朝ごはんを食べている時間はない。ガイドのルーカスさんが車の中で食べられるようにとコーヒーや朝食を箱詰めしたものを手配してくれていた。
ナイロビを通過し、ケニア山の西側山麓を回って北上した。残念ながら車の中からは写真が撮れなかったが、山頂の尖ったケニア山とその周辺の青々した森林風景はとても美しい。山麓の剥き出しになった土壌はこれ以上あり得ないと思うほど赤い。かつて活発な火山だったケニア山の周囲には火山噴出物が豊富に堆積し、それが長年にわたって風化し、酸化鉄(Fe₂O₃)を多く含む赤土が形成された。このような土壌はラテライト(latelite)、日本語では紅土と呼ばれ、高温多湿な環境で形成されやすい。ケニア山の麓は比較的雨が多く、化学風化が進みやすい環境であるらしい。
ナニュキ(Nanyki)という町で幹線道路を降りて、さらに14km。道路のコンディションが悪く、だんだん移動に嫌気が差してきた頃、ようやく宿に到着。ロッジはオルペジェタ生物保護区のゲートの目の前にあった。ランチを食べて少し休憩の後、保護区内に入った。
オルペジェタ保護区のゲート内の管理棟
オルペジェタは国立公園ではなく、国際NGOであるFauna & Flora Internationalが管理する保護区(Conservancy)だ。総面積は360km2とアンボセリ国立公園に匹敵し、ビックファイブを始めとする多様な野生動物が生息している。この保護区について特筆すべきは、絶滅の恐れのある種の保護に力を入れていることで、虐待や違法取引から救助されたチンパンジーたちや地球上に残る最後の2頭のキタシロサイを保護している。
この保護区ではサファリカーによるドライブサファリの他にもブッシュウォークやナイトサファリ、犬を使ったアニマルトラッキングなどいろいろな面白そうなアクティビティが提供されている。しかし、私たちは翌朝には次の目的地に向かって出発することになっていたので、保護区内を楽しむ時間は残念ながらこの日の午後の2時間ほどしかなかった。チンパンジーの保護センター(Chimpanzee Sanctuary)が16:30に閉まってしまうので、先にそちらに行きましょうとルーカスさんに提案されて、まずはそちらを見学することにした。
Chimpanzee Sanctuary
案内してくれたレンジャーさんの説明によると、この施設はケニアで唯一のチンパンジーの保護施設で、密猟や虐待から救助されたチンパンジーが適切な環境で回復し、社会性を取り戻せるように支援している。チンパンジーたちはフェンスで囲まれた広い敷地で群れを作り、専門家によるケアを受けながら自然に近い生活を送っている。ビジターはフェンス越しにチンパンジーの生活の様子を観察することができる、、、、のだけれど、私たちが行ったとき、ちょうどチンパンジーの食事どきに当たっていて、大部分のチンパンジーは敷地の奥へ移動していた。かろうじて3匹がフェンス付近にいたが、私たちの姿を見るとサッといなくなってしまった。レンジャーさんは「あの子たちは、目の前で親を殺されるという壮絶な体験をしたのでそれが強いトラウマになっていて、人間が嫌いなのです」と説明してくれた。そして、「あれはチンパンジーたちの宿舎です。夜はあの中に入って寝るんです」と広大の敷地の向こうにある建物を指した。「自然に近い生活をしているのに、チンパンジーたちは建物の中で寝るんですか?」と質問したら、「人間にペットとして飼われていたチンパンジーは幼少期から家の中で寝ていたので、屋外で寝るのに体が慣れていないんです。外で寝ると風邪をひいたり、酷いときには肺炎になってしまうこともあります。だから、建物の中で寝かせています」とのことだった。
サンクチュアリーの入り口付近には展示小屋があり、チンパンジーとその保護についての説明がある。ジェーン・グドールの写真も。
サンクチュアリーで保護されているチンパンジーたち。
残念ながら私たちはチンパンジーの姿はよく見られなかったが、事前に予約をすれば敷地内に入って餌やりの様子を見学することができるそうだ。忠志、1日に最大6名までに限定されており、見学には60ドルかかる。
チンパンジーの保護施設を見学した後は、サイを見に行く。保護区内にはシロサイ(white rhinoceros, Ceratotherium simum)、クロサイ(black rhinoceros, Diceros bicornis) 、そして前述の2頭のキタシロサイ(northern white rhinoceros, Ceratotherium simum cottoni)がいる。
シロサイ
シロサイは保護区内に130頭ほどいるそうだ。大きくて、身近で見るとすごい迫力がある。恐竜のトリケラトプスを思い浮かべてしまう。でも、トリケラトプスはサイの倍以上の大きさで、哺乳類であるサイの先祖ではないのだよね。種類の全く違う生き物が似た特徴を持つようになることを収斂進化といい、トリケラトプスとサイはまさに収斂進化によって似たよう見た目になったらしいが、なんだか不思議だなあ。
ナイロビの国立博物館に展示されているシロサイ(右)とクロサイ(左)の頭蓋骨。ツノはシロサイの方が長い。
シロサイはドイツ語でBreitmaulnashorn(「口の広いサイ」)と呼ばれるよう、口の幅が広くて四角い。それに対し、クロサイはSpitzmaulnashorn(直訳すると「口の尖ったサイ」)と呼ばれ、口の幅が狭くて尖っている。シロサイ、クロサイと言うけれど体の色は関係なく、シロサイが口の幅がwide(アフリカの言葉でwijde)なサイと呼ばれていたのをwhiteと勘違いして広まってしまったらしい。では、クロサイの方は?
保護区にはバラカ(Baraka)という名前の盲目のクロサイが保護されている。
クロサイのバラカ
完全に失明しているが、自分の名前はわかるそうで、レンジャーさんが「バラカ、バラカ」と呼ぶとゆっくりとこちらに向かって歩いて来た。フェンス越しに餌をあげさせてもらった。バラカというのは「神から祝福されている」という意味だそう。
バラカの背中に乗った鳥
サイやゾウなど、野生の動物の体にはその動物と共生関係にある野鳥が乗っているのをよく見かける。バラカにはツキノワテリムク (superb starling, Lamprotornis superbus)とアカハシウシツツキ(Rred-billed oxpecker, Buphagus erythrorynchus)がくっついていた。これらはサイの体についた寄生虫などを食べることでサイから利益を得ている一方で、ライオンなどサイを捕食する動物が近づくと警戒の鳴き声を上げてサイを危険から守っている。
さて、オルペジェタ保護区内の最大の目玉はキタシロサイだ。キタシロサイは特に1970年代から1990年代にかけて、中央アフリカの内戦や武装勢力の活動と絡んで、密猟が急増した。サイの角が漢方薬に使われ、高額で売買されているのは周知の通り。また、キタシロサイの主な生息地である中央アフリカのサバンナや森林が、人間の開発によって大きく縮小したことも原因である。2008年に野生での個体は確認されなくなり、事実上の野生絶滅が宣言された。地球上の最後のオス「スーダン」はここ、オルペジェタ保護区で保護されていたが、2018年に死亡し、ついにキタシロサイは生殖可能な個体がいない状態となってしまった。現在、スーダンの娘と孫娘である2頭、NajinとFatuが保護されている。スーダンの精子は冷凍保存されており、人工授精による復活が試みられているが、現時点では成功していない。つまり、キタシロサイは地球上、ここでしか見られない。
キタシロサイのNajin?それともFatu?
なのに、ああ〜。時間が押せ押せで、遠目にチラッとその姿を拝んだだけで保護区を出なければならないことになってしまった。なんとも無念。保護区内には保護活動について学べるMorani Information Centerもあるが、寄る時間はなかった。
いろいろと心残りのある訪問となったけれど、ゲートに戻る道中、アンボセリ国立公園では目にしなかったいくつかの動物が見られたので、よしとしよう。
ハーテビースト (Hartebeest, Alcelaphus buselaphus)
ウォーターバック(Waterbuck, Kobus ellipsiprymnus)
オルペジェタ生物保護区は、もしまたケニアに行くことがあれば、優先的に再訪したい場所の一つだ。
この記事の参考サイト&文献:
オルペジェタ生物保護区のウェブサイト
ドイツ語ガイドブック Reise Know-How Verlag, “Kenia – Reiseführer für individuelles Entdecken”
ナショナルジオグラック記事 最後の2頭となったキタシロサイ、「脱絶滅」技術で救えるか
ケニア・サファリ旅行② アンボセリ国立公園
前回の記事に書いたように、今回のケニアでのサファリ旅行の行程は現地のサファリ会社、Meektrails Safariに組んでもらった。ナイロビ到着が夜遅くだったので、到着日は空港近くのホテルに泊まり、翌日の早朝にスタッフにピックアップしてもらい、清算を済ませたらドライバー兼サファリガイドのルーカスさんと最初の目的地、アンボセリ国立公園(Amboseli National Park)に向けて出発した。
アンボセリ国立公園は、ケニア南部、タンザニアとの国境近くに位置する国立公園で、タンザニアに位置するキリマンジャロ山をバックに野生動物が見られることで知られている。ナイロビからの距離は240km なので2、3時間で着くかと思ったら、ケニアは道路のコンディションが良くないので、4時間半ほどかかった。でも、アンボセリ国立公園までの道は良い方。エリアによっては相当凸凹な場所も少なくないので、車酔いしやすい人にはキツイかな。酔い止めを持参するのをお忘れなく。
国立公園や生物保護区以外の場所でも野生動物の姿は見られる。写真はナイロビからアンボセリ国立公園へ行く途中に車の中から撮ったもの。シマウマやキリンが普通に道路を横断したりする。
まずは公園近くのロッジにチェックインし、昼食を取ってしばらく休憩。ロッジの敷地内にも、いろいろな生き物がいて楽しい。
シママングース (Banded Mongoose, Mungos mungo)
ロックハイラックスの仲間Bush Hyrax, Heterohyrax brucei
サバンナモンキー (Vervet monkey, Chlorocebus pygerythrus)
さて、少し休憩したらガイドのルーカスさんと共に私たちの初のサファリ(英語ではgame driveと言う)となる午後のサファリに出発だ。
このキマナゲートから入園し、この夕方と翌日の二日間、たっぷりとサファリを楽しむことになる。
標高約1,150mにあるアンボセリ国立公園は、1974年に設立され、1991年からは生物圏保護区に指定されている。面積392㎢の公園内には乾燥した平原、湿地、アカシア林、塩類平原などの多様な環境があり、多様な生き物が生息している。
特に個体数が多いのはレイヨウ(Antelope)で、いろんな種を目にした。
トムソンガゼル (Thomson´s Gazelle, Gazella thomsonii) 側面にクッキリとして焦茶のラインがあるのが特徴。
グランドガゼル (Grant`s Gazelle, Nanger granti) トムソンガゼルよりも大きい。
インパラ (Impala, Aepyceros melampus)。トムソンガゼルやグラントガゼルと違い、メスにはツノがない。
ディクディク (Kirk-Dikdik、Madoqua kirkii) 小さくて目がパッチリで可愛い
オグロヌー (Wildebeest, Connochaetes taurinus) これはメスかな?
もちろん、キリンもいる。キリンは動物園では見慣れた生き物だけれど、草原をゆっくりと移動する姿は本当に優雅で見惚れてしまう。それにしても、つくづく不思議なかたちをした生き物だ、と感じる。
アンボセリ公園で見られるのはマサイキリン (Masai Giraffe, Giraffa tippelskirchi) 。体の模様がギザギザしていて、その他の部分も黄色っぽい。
グラントシマウマ (Grant´s zebra, Equus quagga) 体型はロバに近い。子どものシマウマはシマシマが茶色っぽい。
砂浴びをする子どものアフリカゾウ (African Elephant, Loxodonta africana)
個体数およそ1,600頭と推定されるゾウは公園内の至るところで見られるが、特にオル・トカイ湿地(Ol Tukai Swamp)では水浴びをする姿が見られてとてもよかった。
水辺にはカバ (Hippopotamus, Hippopotamus amphibius)の姿も。昼間はこうして水場でグダグダしてるが、実は意外に活発で、かなり凶暴らしい。
サバンナヒヒ (Olive, Baboon, Papio anubis)の家族
そして、なんと草むらを歩くライオンの姿も見られて大感激。
こんなにたくさんの野生動物が見られるなんて、期待以上である。哺乳類の他に野鳥もたくさん見たのだけれど、野鳥については別記事でまとめたい。
国立公園ではサファリ客がサファリカーから降りることは禁じられており、サファリカーに乗ったまま、窓またはポップアップした屋根の下から動物を観察するのが原則だ。しかし、一部の特定の場所またはエリアでは車を降りてピクニックをしたり、歩いたりできる。
オブザベーションヒル(Noomotio Observation Hill)の下でサファリカーを降りて、丘を登る。遊歩道の途中には立て看板がいくつかあり、アンボセリ公園の地質やアフリカの最高峰キリマンジャロ山などについての説明を読むことができる。しかし、雲が多かったため、アンボセリ国立公園のウリである肝心のキリマンジャロ山の姿は拝むことができなかった。ちょっと残念だけれど、これだけたくさんの野生動物が見られたのだから、まあ、いいか。
丘の上から公園を見渡す。
大満足してサファリを終え、ロッジに戻ろうとしたところ、出口付近の道路脇からゾウが出て来た。至近距離で大迫力。このゾウはアンボセリ国立公園で最も年長のオスゾウだそう。恒例だからか、丸太を乗り越えるのに苦労しているように見えた。
ケニア・サファリ旅行① 旅のルート
もうずいぶん長いこと、「いつかアフリカへサファリ旅行に行きたい」と思っていた。サファリができるアフリカの国はかず多くあり、そのどこへ行くのが良いのか、最適な季節はいつかなど考えることが多く、なかなか決まらないでいたのだけれど、このたび晴れてサファリ旅行を実現することができた!わーい。
選んだのは、結局、サファリ旅行の目的地として最もポピュラーな国の一つ、ケニア。決定的だったのは、私たちは可能ならば1月もしくは2月に、寒くて暗いドイツの冬を脱出して暖かい国でサファリをしたいと思ったこと。多くのアフリカの国では1〜2月にかけては雨季でだが、ケニアやタンザニアは短い雨季の後の短い乾季に当たり、比較的天候が安定しているという。また、この時期は動物たちの出産シーズンで、動物の赤ちゃんを見るチャンスが多いと読み、この2つの国を比較検討した。ケニアの方がタンザニアよりも料金が安めだったので、ケニアに決めた。
国が決まったら次は旅のルートである。ケニアには国立公園や野生動物の保護区が数多くある。南西部、タンザニアとの国境近くに位置する有名なマサイマラ国立公園は外せないとして、他にどこをどういう順番で回ればいいだろう?ガイドブックを買って来て調べ始めたけれど、情報量が多くてなかなか考えがまとまらなかったので、ネットで調べてレビューの良い現地のサファリツアー提供会社、Meektrails Safari社に問い合わせてみることにした。10日くらいの日程で、という条件を出したら、次のようなルートを提案してくれた。
Day 1 ナイロビ空港でピックアップ、そのままアンボセリ国立公園(Amboseli Nationalpark)へ。夕方、公園内をドライブサファリ。
Day 2 終日、アンボセリ国立公園でドライブサファリ。
Day 3 オル・ペジェタ野生動物保護区(Ol Pejeta Conservancy)でドライブサファリ。保護区内にあるチンパンジーの保護施設およびサイの保護施設を訪問。
Day 4 サンブル国立保護区(Samburu National Reserve)へ移動。午後、 保護区内でドライブサファリ。
Day 5 終日、サンブル国立保護区でドライブサファリ。
Day 6 ナイヴァシャ湖(Lake Naivasha)へ移動。ナイヴァシャ湖でボートサファリ。
Day 7 ヘルズゲート国立公園(Hell´s Gate National Park)でサイクリング。
Day 8 マサイマラ国立公園(Masai Mara National Park)で終日、ドライブサファリ。
Day 9 マサイマラ国立公園で終日、ドライブサファリ。
Day 10 ナイロビ国際空港へ送迎。
ケニア南部の主要な国立公園や野生動物保護区をおおむねカバーするルートだ。私と夫、二人だけのプライベートツァーで、移動はサファリガイド兼ドライバーのスタッフが運転する四駆のバン(サファリ用に屋根がポップアップする仕様)とのこと。
特に不安な点はなかったので、このサファリ会社にお願いすることにした。申し込み時にデポジットとしてツアー料金の1/3を振り込み、残りは現地に行ってから支払うことになる。料金は季節によって変動があると思うけれど、2月は往復の飛行機代抜きの現地出発ツアーで、一人1日あたりおよそ250ドル。移動費用と宿泊費、食事3食と飲料水、そして国立公園への入園料が含まれている。
観光客としてケニアに入国する場合、ビザが必要だ。こちらのサイトでeVisaを申請できる。予防接種の義務はないけれど、最低でも破傷風のワクチンは接種しておいた方が安心。私は成人用の3種混合ワクチンを10年ごとに受けているので、その他に追加の予防接種は受けなかった。マラリアに関しては、滞在日数が少なく蚊の少ない乾季なのに、予防薬を内服して副作用で辛い思いをすることになったら旅の楽しみが半減してしまうと思い、予防薬は飲まないことに。もちろん、熱帯用の虫除けスプレーはたっぷりと持参した。
アフリカでのサファリは初めてなので、予習が必要。以下の本やポッドキャストが役立った。
ヒサクニヒコ 『サファリへ行こう 東アフリカのサバンナ実践ガイド』
ポッドキャスト Yuka on Safari
次回以降の記事ではそれぞれの国立公園(または保護区)についてまとめる。
地質学アドベントカレンダー 2024年度は化石バージョン
クリスマスも終わり、2024年も残りわずかとなった。
日本ではクリスマスというと12月24日のクリスマスイブのみを指すが、私が住んでいるドイツではクリスマスは年間最大の行事で、「アドベント」と呼ばれるクリスマス前の時期を含めると、延々4週間以上にも及ぶのである。
もういくつ寝ると〜クリスマス〜と、キリストの降誕を待ち望むアドベントにつきものなのがアドベンツカレンダー。12月1日から毎日一つづつ小窓を開けていく。24の窓を全部開け終わったら、いよいよクリスマスイブだ。アドベントカレンダーの風習が生まれた頃は、窓を開けてその中に描かれた宗教画を眺めて楽しんでいたらしいが、いつからか、ちょっとしたプレゼントが出て来ることが一般的になった。
アドベントカレンダーがすっかり商業化した現代では、中にチョコレートが入ったカレンダーが最もポピュラーだけれど、それ以外にも、いろんなフレーバーのお茶を楽しめるカレンダー、使い切りサイズのコスメが入ったコスメカレンダー、毎日違う種類のビールが飲めるビールカレンダーなど、いろんなものがある。
我が家で数年前から買っているのは、鉱物採集の道具や鉱物・化石標本などを販売しているKrantz社が出しているGeologischer Adventskalender(地質学アドベントカレンダー)。窓の中に小さな標本が入っている。
2022年と2023年のカレンダー。右の大きいのがビギナー向け、左の2つは上級者向けのもの。
それぞれの標本について簡単に説明したブックレットがついているので、毎朝、その日の窓を開けて標本を取り出し、朝ごはんを食べながら、「これは何の石だろう?」と夫と二人で当てっこし、ブックレットの説明を読んで「ほー、なるほどー」と感心する、というのが我が家でのアドベントの楽しみになった。
この地質学アドベントカレンダー、なかなか人気があるようで、毎年、種類が増えている。2024年は化石バージョンも登場したので、そちらにしてみた。
化石バージョンもとてもよかった。標本はメジャーなものばかりなので、私たちがこれまでに化石ハンティングに行ってすでに収集したものも多く含まれていたけど、カレンダーの標本と手持ちのものを見比べるのも楽しいし、ブックレットには今まで知らなかったことが書かれていたりして、勉強になる。ただ、化石は多くの場合、生き物の一部なので、ブックレットの言葉による説明だけでは、その生き物がどんなかたちをしていたのか、想像しにくい。ネットで一つ一つ画像検索しながら説明を読んだ。ブックレットに簡単なイラストでも載っていたらより良かったのにと感じる。でも、同じ種でも形のバリエーションが多いものだと難しいのかもしれない。
24の標本のうち、特に面白かったいくつかを挙げておこう。
カルケオラ・サンダリナ (Calceola sandalina)
地質時代: 古生代デボン紀中期アイフェリアン
年代: およそ3億8500万年前〜4億700万年前
産出場所: ドイツ、ラインラント州ゴンデルスハイム(Gondelsheim)
スリッパのような形をしているので、俗にスリッパサンゴ(Pantoffelkoralle)と呼ばれる。群体を成さずに単体で生活していた。縦に成長するのではなく、平らな面を下にしてサンゴ礁などに固着し、横方向に成長した。殻の開口部には泥の侵入を防いだり、捕食者から身を守るための蓋を持っていたが、殻が化石として残っているケースは非常に稀らしい。
Planorbis multiformis (Gyraulus trochiformis)
地質時代: 新生代新第三紀中新世
年代: およそ1500万年前
産出場所: ドイツ、バーデン=ヴュルテンブルク州シュタインハイム
一見、どうってことのない小さな巻貝に見えたが、説明を読んだら面白かった。この標本はシュタインハイム貝砂層と呼ばれる地層から多く産出されるヒラマキガイの化石。ヒラマキガイなのに、殻は平らではなく、とんがっている。これはなぜなのか?
シュタインハイムは、シュタインハイム盆地と呼ばれる盆地の内側に位置する。およそ1500万年前にそこに隕石が落下し、直径3.5kmのクレーターを形成した。今では牧草地になっているが、かつてクレーターは水で満たされ湖となり、そこには様々な生物が生息していた。長い時間をかけて湖が少しづつ干上がっていく過程で湖水の酸素が減り、塩分濃度が増していったので多くの種は環境変化に適応できず消えていったが、マキガイは環境変化に適応してよく繁殖した。リーフレットの説明によると、尖った形状の殻を持つ個体は捕食者が食べにくいので生存に有利だった。しかし、捕食者の魚がいなくなると、尖った殻を持つ個体はまた減っていったそう。
興味が湧いたのでさらに調べてみると、シュタインハイム貝砂層に見られるヒラマキガイ化石の殻の形状が古い地層から新しい地層へ変化していることに初めて気づいたのは19世紀に活躍した古生物学者フランツ・ヒルゲンドルフ(Franz Hilgendorf)で、この発見はダーウィンの進化論を初めて追認するものとして大いに注目されたとのこと。
実はこちらの過去記事に書いたように、シュタインハイムには行ったことがあり、クレーターの縁を歩いたり、メテオクレーター博物館を見たりしたのだけれど、この貝のことは今まで知らなかった。もしかしたら博物館の展示で言及されているけど、隕石のことで頭がいっぱいで気づかなかったのかもしれない。
Heliophora (West African Sand Dollar)
地質時代: 新生代新第三紀鮮新世
年代: 400万年前〜現在
産出場所: サハラ砂漠
ギザギザが星に見えないこともない12月24日の標本はウニ綱タコノマクラ目のHeliophora 。ウニの仲間だけれど、お煎餅のように平べったいのが特徴。浅い海に群生を成し、しばしば、まるで瓦屋根のように重なり合って生息していたようだ。Krantz社のオンラインショップの説明によると、Heliophoraは絶滅しておらず、現在も西アフリカの海岸に生息する。
ということで、今年のアドベントも、毎日、小さな楽しみがあった。
ノルウェーの英雄フリチョフ・ナンセン オスロのフラム号博物館で辿る北極探検の軌跡
フリチョフ・ナンセン (Fridtjof Wedel-Jarlsberg Nansen)の名前を知ったのは15年ほど前になる。当時中学生だった息子が親しくなったクラスメートの名前が「フリチョフ」だったのだ。ドイツでは珍しい名前だなと思ったら、ノルウェーの極地探検家、フリチョフ・ナンセンにあやかって命名されたという。その男子のお父さんは極地研究者なのだった。それでナンセンの存在を知ったのだが、偉大な探検家らしい、ということ以外は知らないままでいた。
今回、初めてノルウェーを訪れることになり、そういえばとナンセンのことを思い出した。首都オスロにはナンセンが北極圏探検に使った船、フラム号が展示されているフラム号博物館がある。見ておかなくちゃ。
毎度のことながら、博物館外観の写真を撮り忘れた。館内に入ると、ナンセン像が迎えてくれる。
館内中央にどーんとフラム号が展示されている。1893年から1896年にかけて、ナンセンはこの船に乗って北極点を目指したのだ。こんな木造の船で?と現代の感覚ではびっくり。しかし、フラム号には特別な設計がなされていた。船体の丸みを帯びたかたちのおかげで、フラム号は北極海に浮かぶ厚い氷に閉じ込められても押しつぶされずに上に持ち上げられるように作られている。実際、フラム号はナンセンによる長期間にわたる航海の間、持ちこたえた。その後、オットー・スヴェルドラップによる第二次北極探検やロアール・アムンセンの南極探検にも使われている。
設計士Colin Archerによるフラム号のモデル
ナンセンの北極探検の構想は、フラム号を氷に閉じ込め、流氷と共に漂流させ、数年かけて北極点に到達するという大胆かつ壮大なものだった。ナンセンはこのアイディアを1881年にシベリア北海岸沖で沈没し、その3年後にグリーンランド沖で発見された米国の探検船ジャネット号から得ている。この探検の途中でナンセンはフラム号を降り、徒歩で北極点を目指したが、結局、北極点に到達することはできなかった。それでも、ナンセンの探検はその後の極地探検の礎を築くことになる、とてつもない業績だったのだ。
展示されているフラム号の中に入ってみた。
ナンセンを含めて13人が5年分の食料を積んだこの船で生活を共にした。中はかなり広いけれど、氷に閉ざされ、真冬は太陽が昇らない北極圏、船の中で何年も過ごすなんて過酷の極みだ。肉体的にも精神的にも極めて強靭じゃなければ無理だろう。想像の域を完全に超えているよ、、、。
発電のための風車
船員の寝室
食堂。フラム号のFRAMの文字が入った食器が並ぶ。
ナンセンの航海道具
当時、ナビゲーションに使われていた六分儀
海洋学者であり動物学者でもあったナンセンは、この探検を通じて海流や北極地域の環境に関する研究を行い、科学の発展に大きく寄与した。ナンセンを探検に駆り立てたのは、誰よりも早く北極点に到達したいという野望だけでなく、未知の世界を知りたいという圧倒的な知的好奇心でもあったのだ。
さらに、ナンセンはヒューマニストでもあった。第一次世界大戦後、国際連盟で難民高等弁務官を務め、数多くの難民を支援した。ナンセンが無国籍者や難民に身分証明書に発行した、いわゆる「ナンセン・パスポート」は難民の移動や再定住を可能にした。この活動により、ナンセンは1922年にノーベル平和賞を受賞している。
すごい、、、、すごすぎる。まさにレジェンド。まちがいなくノルウェー国民にとってのスーパーヒーローだろう。
フリチョフ・ナンセンの圧倒的な人間力に自分のちっぽけさを痛感してしまった。
さて、このフラム号博物館、フラム号とナンセンについてだけでなく、アムンセンなど他の探検家についての展示も充実していて、人類の極地探検の歴史を辿ることができる。ショップの書籍コーナーに置いてある資料も豊富だ。
今回、買って来た資料
ヨトゥンハイメン国立公園で北欧最高峰ガルフピッゲン (Galdhøpiggen)に登る
ノルウェー旅行記の第二弾は、ヨトゥンハイメン国立公園(Jotunheimen National Park)での山登りについて。
ヨトゥンハイメン国立公園は首都オスロから北西に300kmほど移動したところに広がる山岳地帯。オスロから拠点となるロム(Lom)の町までは車移動で4時間から4時間半かかる。
地形が複雑なノルウェーでは移動にとても時間がかかる。今回のノルウェー旅行は1週間という短い日程だったので、内陸部のジャコウウシが見られるドブレフエル国立公園(詳しくはこちらの記事を)とヨトゥンハイメン国立公園とフィヨルドの両方を見るのは時間的に難しかった。何を優先しようか迷った末、今回はフィヨルドはパスして山地へ行くことにした。その理由は、「氷河が見たかったから」。
いくつかの過去記事に書いているが、北ドイツに住んでいる私にとって、氷河は特別な意味を持つ存在なのである。というのは、北ドイツはかつて氷河に覆われていた。今も風景の至るところにその痕跡を認めることができる。北ドイツの平野に転がっている石の大部分は氷河によってスカンジナビアから移動して来たものだ(過去記事: 氷河の置き土産 北ドイツの石を味わう)。それらの石を眺めるたびに、「これらの石を運んで来た氷河のパワーはどれほどのものだったんだろう?」と考えてしまう。ヨトゥンハイメン国立公園には北欧最高峰のガルフピッゲン山(Galdhøpiggen)があり、登頂するのにはいくつかのルートがある。その中に氷河を横切るルートがあると知り、ぜひやってみたいと思ったのだ。
出発点となるのは標高1851メートルの高さに位置する山小屋、Juvasshytta。ヨトゥンハイメン国立公園への拠点となるLomの町から山道を車で35分ほど登ったところにある。Lomは緑深い森に囲まれているが、山道を登る途中で森林限界を越え、Juvasshyttaに着いたら、そこはまったくの異世界だった。
Juvasshytta。世界一標高の高い宿泊施設だそう。
山小屋は氷河湖Juvvatnetに面している。
グレーと白とブルーのコントラストが綺麗。
うわー、迫力!
Juvasshyttaは、山小屋と呼ぶのに似つかわしくないほど快適だった。
食堂からの眺め
部屋からの眺め
向こうに見える3つのピークのうち、一番右がガルフピッゲン山。宿から山頂までは片道およそ3時間、頂上での休憩も含め、往復で7時間ほどかかるという。北欧最高峰といっても標高2,469mでそれほど高くないけれど、日頃から山に登り慣れているというわけではないし、氷河をわたるという特殊なシチュエーションなのでドキドキである。氷河渡りは危険を伴うので、プロのガイドなしで渡ってはいけない。Juvasshyttaが提供するツアーに申し込む必要がある(申し込みはこちらから)。
山小屋からガルフピッゲン山頂までのルートは3つのステージから成る。
1つ目のステージは、山小屋から氷河まで(上の地図の黄色い線)。距離は3つのステージの中で一番長く、所要時間は平均でおよそ1時間。2つ目のステージは氷河上の移動(水色の線)で、渡りきるのに大体45分から50分かかる。最後のステージで急な坂を山頂まで登る(赤い線)。地図上で見ると距離が短いけれど、3つのステージの中で最もハードでさらに1時間ほどを要する。
尾根づたいに登る
私は氷河を渡ることに特に不安はなかったが、ふだん平地に住んでいてキツい斜面は登ったことがないので、最後のステージをやりきれるか、自信がなかった。それに、特別山に登りたかったわけでもなく、氷河が渡れればそれでよいという気持ちだった。しかし、氷河を渡ったところでグループから抜けて自分だけ引き返すという選択肢はなく、ツアーに参加するからにはなにがなんでも山を登り切らなければならない。
幸い、当日はまずまずのお天気だった。でも、山は天気が変わりやすいし、ガルフピッゲンでは8月でも普通に雪が降るので、しっかりとした登山靴と冬の服装(手袋、帽子含む)が必須。氷河の上は眩しいのでサングラスもあった方がいい。ランチ、飲み物も各自持参である(ランチ代を払えば、山小屋の朝食ビュッフェから好きなものをお弁当に持っていくことができる)。ガイドさんの説明を聞き、ハーネスを装着して、午前10:00に山小屋を出発した。
第一ステージ
山小屋から氷河までの第一ステージは傾斜が緩やかだけれど、ゴツゴツと角ばった石の上を歩くので、歩きやすいとはいえない。うっかり足を挫いたりしないように注意が必要だ。このステージは各自のペースで歩いてよいが、一定時間以内に氷河まで辿り着く必要がある。1時間半経っても辿りつかない場合は、みんなと一緒に山頂まで登る能力がないとみなされ、山小屋へ引き返すように要請されるとのことだった。この日は参加者全員がほぼ1時間で第一ステージを歩き終えた。いよいよ氷河渡りだ!
氷河に着いたら、装備を装着する。
靴にクランポン(アイゼン)を装着。装備はツアー代金に含まれている。
腰に装着したハーネスのカラビナをロープの結び目に引っ掛けて、全員が1本のロープで繋がった状態で氷河を渡る。
第二ステージ、しゅっぱーつ!
渡る氷河の名前はStyggebreen氷河といい、現地の方言で「危険な氷河」という意味だそうだ。ガイドさんによると、雪がたくさん積もっているとクレバスが見えないのでとても危険だけれど、夏場の今は雪がなくて氷だけなのでクレバスの位置がわかるからそれほど危険ではないらしい。とはいっても、ガイドなし、装備なしで渡るのはダメ。
クランポンをつけていれば、氷の上を歩くのは難しくなかった。ただ、ロープで繋がっていると前後の人と常に歩調を合わせなければならないので、その点で少し緊張する。お天気はよかったのだが、氷河が流れている場所は谷なので風が強く吹きつけ、氷の粒が顔を叩いた。
氷河を無事渡り終え、いよいよ第3ステージである。
この岩崖をよじ登る。
第3ステージでは300メートルを超える急登だ。一部、幅がすごく狭いところがあって、左右は崖なので、高所恐怖症の人にはキツいかもしれない。でも、途中で休憩できるようなスペースはないし、目の前の岩をよじ登るのに背一杯で、崖の下を見下ろしている余裕はそもそもない。前にも後ろにも人がいるのでもたもたするわけにもいかず、一気に登った。
もうすぐ山頂
着いたー!!
Galdhøpiggenは周囲を氷河に囲まれている。すごい眺めだ。これを見られたのだから、登った甲斐があった。
雄大な眺めをたっぷりと堪能!と言いたいところだけど、山頂はやはりかなり寒いので、石造りのロッジに入ってお弁当のサンドイッチを食べ、暖を取った。45分ほど休憩したら下山だ。
登るよりも降りる方がむしろ大変。
そして再び氷河渡り。行きよりも氷が溶けていた。
氷河を渡り終わって、やれやれ、あとは山小屋へ戻るだけ、もうハイキングは終わったようなものだと思ったのだけれど、この時点ですでに足がけっこう疲れてもつれて来たので、石ころだらけの道を戻るのは難儀だった。
ぴったり7時間でJuvasshyttaの暖かい部屋に到着。やりきったー。
子どもの参加者もいたし、ガイドさんは二人とも若い女性だったし、私でも登れたのだから難易度が高いわけでもなく、健康な人なら誰でも登れる山だと思う。でも、氷河を渡るという新しい体験ができたし、「北欧最高峰を登頂した」のだと思うとやっぱりちょっと特別な気持ちがする。
そして、登るのはそこまでハードではないとはいえ、危険がないわけではない。私たちが登った日は幸い、お天気に恵まれたけれど、悪天候になって視界が悪くなれば、崖登りのハードルはその分上がるだろうし、寒いのが苦手な人は防寒対策をしていても辛いかもしれない。それと、山頂のロッジにはトイレはない。7時間に渡るハイクの途中、木も生えていなければ茂みもないので、ちょっとその辺でというわけにもいかない。この点は要注意!