野鳥の繁殖シーズンが今年もやって来た!2020年の春、庭のナラの木に初めてカメラ付きの巣箱を設置してから、2020年2021年2022年と3年連続でシジュウカラの子育ての様子を観察することができた。ヒナたちが無事に巣立つこともあれば、いろいろなハプニングで悲しい結果になることもあり、毎年ハラハラである。今年は3月にエジプト旅行に出かけていたので清掃した巣箱を木に戻すのが少し遅くなってしまい、3月31日にようやく設置。すると、すぐさまにアオガラが巣材を運び入れ始めた。他の年も、最初に巣箱に入るのはいつもアオガラだった。しかし、ほんのわずかのコケを運び入れた後、そのまま放置し、いつ本格的に営巣を始めるんだろうと思っているうちにシジュウカラがやって来て巣箱を占領するというのがいつものパターン。だから、今年もそうなるのでは?

 

と思ったら、今年は最初から本気モードで、わずか半日で基盤がおおかたできてしまった。手慣れたものである。ここまで進めたのなら、もう中断はしないだろう。今年は初めてアオガラの子育てが観察できそうだ。

 

メスの作業中、パートナーのオスと思われるアオガラも頻繁に巣箱を訪れている。でも、ちょっと不思議なのである。オスが来るとメス(アオガラのアオちゃんと名付けた)は食べ物をねだって口を開けるが、オスは食べ物を見せるだけで食べさせないのだ。見せるだけ見せて巣箱の出口に戻る。それを数回繰り返す。これはどういうことなんだろう?まるで、食べ物で釣ってアオちゃんを巣箱の外におびきだそうとしているかのよう。このような場面がなぜか数日間に渡って繰り返し見られた。

 

営巣開始から11日目にカメラの映像を見ていると、大変なことが起こった。アオちゃんが巣にいるところにまたオスがやって来た、と思いきや、2羽の間で激しいバトルになったのだ。ということは、やって来たアオガラはパートナーのオスではなく、別のメス???アオちゃんは床にねじ伏せられ、大ピンチ!

実は去年のシジュウカラの営巣では、メスが巣を留守にしている間にクロジョウビタキが巣に侵入し、戻って来たシジュウカラのメスが怒って激しく攻撃した結果、侵入者のクロジョウビタキが命を落とすという事件があったのだ(そのときの記録はこちら)。そんなことがあったものだから、また死闘を目撃することになるのではと焦ったが、格闘の末、1羽が巣箱から出て行き、決着がついたようだ。勝者がどちらなのか、映像からははっきり判断できないが、巣に残ったのはアオちゃんの方であると信じたい。でも、もしかしたら乗っ取りかもしれない。すごく気になる、、、。

 

その翌日、巣に残ったメスは卵を一つ産んだ。口移しで食べ物をくれそうでくれないオスといい、前日のバトルといい、いろいろ謎が残るのだが、めでたく卵が産み落とされたことだし、便宜上、卵を産んだこのメスがアオちゃんだという前提で記録を進めたい。

 

卵の数は毎日1つづつ増えていき、10日後に10つになった。すごいすごい。

 

そして、いよいよ抱卵モードに!ヒナが孵るのが楽しみである。どうか途中でハプニングがありませんように。

 

(続く)

ドイツはもうすぐ復活祭。まだまだ気温は低いけれど、日が長くなり、庭では春のエネルギーが爆発している。冬の眠りから覚めた動物たちが動き回り、野鳥たちが冬超えをしていた南から続々と戻って来て、恋のパートナーを求めて高らかにさえずっている。今、窓の外を眺めながらこの文章を書いている間にも、クロウタドリ、ホシムクドリ、コマドリ、カケス、ズアオアトリ、モリバト、アオサギ、といろんな野鳥が次々に目の前に現れた。

1年のうちで、この時期が一番好きかもしれない。毎日、庭で繰り広げられる野生の生き物たちの活動から目が離せない。裏の家と我が家の庭の境に古い大きなナラの木がある。その木がいろんな生き物の生活の場になっている。

リスが枝の上で器用に毛づくろいをし、

アカゲラが森から運んで来たマツカサを木の隙間に挟んで種を食べ、

アオガラが巣箱で営巣を始めた。古い木が存在することの大切さを強く実感するのも春である。

 

そして、いつものように、春になるとマガモのカップルがなぜか毎日やって来る。

これから初夏にかけて、クロウタドリやシジュウカラ、ゴジュウカラ、アオガラ、クロジョウビタキ、アカゲラなどが一斉に子育てをし、夜にはハリネズミが庭を歩き回り、池にはカエルやヤマカガシが産卵にやって来るのがとても楽しみだ。毎日必ず面白いことがあるので飽きることがない。彼らを観察することが最高のエンタメなのである。サブスク代も払わないのにこんなに楽しませてもらっていいのかな。

(以下は庭にやって来る生き物たちの過去の画像)

とはいえ、今の場所に住むようになって17年になるが、最初から田舎暮らしを楽しんでいたわけではない。もともとは都市育ちで、若い頃は自然にはそれほど興味がなかったし、庭なんて手間がかかって面倒くさいと思っていた。

だけど、今は生き物たちと空間を共有することをとても幸せに感じるようになった。自然がこれほど大きな喜びや心の安定を与えてくれることを、自然の中で暮らしてみるまでは想像できなかった。このブログ、旅ブログとして始めて、今もそのつもりなのだけれど、いろんな理由でかつてのように気軽に旅ができる世の中ではなくなりつつある。自分も歳を取っていくので、いつまでも旅ができるわけではないだろう。たとえ遠くへ行けなくなったとしても、身近にもワクワクするものはいくらでもあると教えてくれたのは生き物たちだ。

今年も忙しくも楽しい春の庭をおおいに満喫したい。

 

 

内陸部に住んでいるので、あまり海に行く機会がない。ドイツにも北部に海はあるのだけれど、真夏でも水が冷たくて泳ぐ気になれない。海の楽しさを忘れかけていたが、去年の秋にセイシェルに旅行に行って、シュノーケルが大好きだったことを思い出した。

セイシェル・ヨットクルージング④ シュノーケルで海の生き物を観察

カラフルな熱帯魚と一緒に泳ぐほど幸せなことはない!と強く感じた日々だった。シュノーケルでもこんなに感動するなら、ダイビングはきっともっと素晴らしいに違いない。ああ、海に潜ることができたら!

しかし、私は自他共に認める運動オンチ。そんな私にダイビングのような難しそうなこと、できるわけがない。いや、もしかして、やってみたらできるかも?ダメダメ、無理だって。やる前から諦めずにやってみる?やめとけ。試すだけでも?一人二役押し問答をしばらく続けた末、「できなかったらやめればいいことじゃないか。とりあえずやってみよう」という結論に達した。

そんなわけで、ダイビングのメッカ、紅海へ行って来た。紅海はアフリカプレートとアラビアプレートが分裂して形成された細長い海で、その海岸線に沿ってサンゴ礁がおよそ4000kmも続いている。世界で最も長い一続きのサンゴ礁だ。気候変動の影響で世界中でサンゴの白化現象が進む中、紅海では今のところ良い状態が保たれているという。これまでに確認されている魚は1200種を超え、そのうちの約10%は固有種というのだから、世界中のダイバーの憧れの的なのも頷ける。

滞在先は南エジプトのマルサアラム(Marsa Alam)に決めた。ポピュラーなのはフルガダ(Hurghada)だけれど、メジャーな場所が好きではない天邪鬼な私なので、まだあまり観光地化されていないマルサアラムのダイビングリゾート、The Oasisを予約した。ベルリンからマルサアラムまでは直行便があり、4時間50分で行ける。

上のマップで一目瞭然なように、ホテルは海に面しているが周りはどこまでも続く砂漠で、それ以外には何もない。

パッと見は普通のビーチリゾートホテル風。でも、実は全然違う。このホテルはダイビングをするため「だけ」の宿泊施設である。

部屋はこんな感じで広々としていて、悪くない。でも、部屋にはテレビもWiFiもルームサービスも何にもない。ここに宿泊する人はダイビングのみが旅の目的のようで、余計なものは求めていないようだ。

目の前は海で、海岸線を縁取るように浅い礁池がある。砂浜から海へと延びた桟橋の先から水の色が急に深い青になり、白波が立っている。そこはドロップオフと呼ばれる、深い海へと続くサンゴ礁の断崖だ。ダイビングライセンスを持っている宿泊客はここで1日に一度、ホテル併設のダイビングセンターが提供するガイド付き無料ダイビングツアーや有料のナイトダイビングに参加できる。

マルサアラムの海岸線はところどころが入江になっていて、砂浜からダイビングの装具を身につけて歩いて海に入ることのできる場所もある。このホテルの便利なところは、毎日、午前と午後に1回づつ、ジープでいろいろな入江に連れて行ってくれるダイビングツアーが組まれていること。

ダイビングセンターの壁に貼ってあるダイビングスポットの説明を読んで、行きたいスポットのリストに名前を書き込んで参加する。

面倒な手続きなしにいろんな場所でダイビングができるシステムが便利だ。とはいっても、私はまだダイビングをしたことがないので、まずは体験ダイビングに申し込んだ。

体験ダイビングには経験もスキルも要らない。インストラクターが海の中を案内してくれるので、自分は呼吸と、ときどき耳抜きだけすればよく、難しいことはなにもなく、ひたすら素晴らしかった。わずか20分くらいの間だったが、6メートルの深さまで潜った。普段はシュノーケルで水面から見ていたサンゴ礁を横から見るとまた違った感動がある。昔話に出て来る竜宮城が頭に浮かんだ。ミノカサゴがゆらゆらと揺れていたり、大きなイカが頭上を静かに泳いで行ったり、海の中は陸上とは生き物の動きが異なり、なんだか神秘的である。ダイビングでは重力を感じずに水平に進むというのも新感覚だ。なにより感動したのは、シーグラスの生えた海の底を泳いでいたら、上から2匹のコバンザメをくっつけたアオウミガメがゆっくりと降りて来て目の前に着地し、シーグラスを食べ始めたこと。テレビのドキュメンタリーで見るような世界が目の前に広がり、夢を見ている気分だった。

これで心は決まった。ダイビングライセンスを取得してダイバーになろう。

夫と一緒に初級ライセンス「オープンウォーター」の講習に申し込んだ。では早速始めましょうということになったが、まずは学科を学んだり、プールで練習したりするものかと思っていたら、最初からダイバー達と一緒にジープに乗せられ、入江に連れて行かれてびっくり。

たくさんある入江の一つ。一見、遠浅の海に見えるけれど、スロープ状になっていてすぐに深くなる。

砂浜に敷いたシートの上でウェットスーツを着、ウェイトベルトを締め、BCD(ベスト)を羽織り、タンクを背負ったらインストラクターと一緒に海に入る。初めて装具を身につけて、あまりの重さに驚愕。なんと10kg近くものウェイト(鉛の錘)を腰に巻くのである。紅海は塩分濃度が高くて沈みにくいことや、初心者は呼吸で浮力をうまく調整できないので、多めのウェイトが必要だということらしい。こんな重い装具を背負って腰を痛めたらどうしよう〜と思いながらヨタヨタと水辺まで歩きながら、「ダイビングって、こんなに大がかりスポーツなんだ、、、」と、海に入る前にすでに不安になって来た。

で、講習はどうだったかというと、、、、。

それはそれは大変でございました。いわゆるクラッシュコース的なもので、わずか56時間ほどで必要な技能と学科を全部終わらせる。短期間でライセンスを取ってすぐに潜り始めたいという人には便利に違いないが、運動オンチを誇る私には無理があった。ちなみに、講習の言語は英語またはドイツ語。私のインストラクターはスイス人だったので、ドイツ語で指導を受けた。

海から出たら、水を張ったタライにシューズのまま入って砂を落とす。

ダイビングの装置のこともダイビングテクニックもまるっきり何も知らないまま、プシューとベストの空気を抜いて海の底に降りるという生まれて初めての体験。そしてその状況下でレギュレーター(呼吸のための器材)を口から外してまた入れろとか、ダイビングマスクを外してまた付けろとか、ウェイトベルトを外してまた付けろとか、ええ?というタスクを次々に課される。しかも、インストラクターの指示がよくわからず、確認しようにも水中では喋れない。はっきり言って、かなり怖い。

これはヤバいことになった、、、。なんでこんなこと始めちゃったんだよう〜。

慣れれば一つ一つはそれほど難しいことではないのかもしれないが、たったの3日では心の準備をする暇も慣れる時間もない。休暇先でのクラッシュコースではなく、家の近くのスクールで時間をかけてゆっくり学ぶべきだったようだ。途中までがんばったけど、胃が痛くなったので、泣く泣くギブアップ。憎たらしいことに、夫は最後まで受講してライセンスを取得した。その後は私はダイバーたちを眼科に眺めながら一人シュノーケル。

そんなわけで、せっかくエジプトに行ってダイビングリゾートに泊まりまでしたのに、ライセンスが取れなかった私である。しくしく。やっぱりダイビングなんて、私にはどだい無理だったのね。

としょんぼりしていたのだけれど、実はダイビングのライセンスには「オープンウォーターダイバー」の手前に「スクーバダイバー」なるレベルがあって、その基準はすでに満たしているとのことで、私も認証機関ISSの「スクーバダイバー」の認証を得ることができたのだ。自動車の運転免許でいうと仮免のようなものかな?「オープンウォーター」ではプロの同伴なしで18メートルの深さまで潜ることができるのに対し、「スクーバダイバー」はプロがついていれば12メートルまで潜って良い。そして、未履修の講習を受けて学科テストをクリアすれば「オープンウォーターダイバー」に昇格できるらしい。よかった、すべてが無駄になったわけじゃなかった。

帰る前日に最後にもう一度インストラクターとダイブしたら、そのときには怖さはかなり軽減していて、時間をかければ、やっぱり私にもできそうな気がして来た。自動車の運転だって最初は怖い怖いと言っていたけど、乗っているうちにだんだん慣れたもんね。ダイビングもそうだと信じたい。

想像以上に美しかった紅海。シュノーケルでも楽しめるけれど、せっかく紅海へ行って潜らないのはもったいない。次回こそ「オープンウォーターダイバー」を取得して、驚異の海中世界を味わいたいものである。

 

以下はシュノーケル中に撮ったマルサアラムの水中動画。

 

 

 

こちらの記事に書いた通り、去年の春からドイツ・ブランデンブルク州にある野外教育機関、Wildnisschule Hoher Flämingでアニマルトラッキングを習っていた。私が受講したのはドイツ語ではWeiterbildungと呼ばれる成人向けキャリアアップ講座で、半年間、月に4日間のキャンプ実習を通してアニマルトラッキングの技術を学ぶというものだった。予定では昨年の10月に終了しているはずだったのが、先生がコロナに感染して9月のモジュールが延期になり、今月の振替モジュールをもって講座が完了。私も全モジュールに参加して終了証書をもらうことができた!

「アニマルトラッキングって、地面についた動物の足跡を見て、なんの動物かを言い当てるんだよね。面白そう」というだけで飛び込んでしまった講座の内容は、想像をはるかに超えていた。終了証書には講座の重点が以下のように記されている。

  • 環境中にフィールドサイン(つまり、野生動物の痕跡)を見つけ、スケッチし、測定し、記録する
  • 野生動物の歩行パターンを学び、地面に残った足跡からその動物の動きを読み取る
  • 足跡がついた時間を推測する
  • 野鳥の地鳴きと囀りを区別する
  • 野鳥の警戒声とその意味を解釈する
  • 生態系における相互関係を理解する
  • 野生動物について、問いを立てる
  • ストーリーテリングを通して自然について学ぶ
  • 五感を研ぎ澄ませて自然現象を認識する
  • 異なる種の間のコミュニケーションについて学ぶ
  • 直感を使ったトラッキングの方法

野外でのいろんな練習やネイチャーゲームを通しての学び、のべ150時間。濃かった〜。キャリアアップ講座なので、参加者の中には野生動物保護組織の職員、環境保護活動家、学校教師など、野生動物について事前知識や経験が豊富な人が多く、単に「野生動物が好き」というだけの私は、正直、ついていくのに必死だった。グループの中で落ちこぼれていたので、メンターに個別特訓されつつ、どうにか完走。ブランデンブルク州に生息する哺乳類の足跡はそれなりに見分けられるようになり、その他のフィールドサインを見つける目も少しはできて来たという実感がある。

うちのあたりの森に生息するシカは、ノロジカ、ダマジカ、アカシカ。足跡を見てどの種か言えるようになった。この足跡はダマジカのもの。

 

ムナジロテンの足跡

 

歩行パターンを読み取る練習。これが難しくて、泣かされた。

 

足跡だけでなく、地面に落ちているものもよく観察する。これはフンではなく、フクロウなどが食べ物のうち消化できなかったものを吐き出したもの。「ペリット」と呼ばれる。

 

キツツキは木の幹に環状に穴を開けて樹液を飲む。

 

換毛期には森の中にごっそりと抜けた毛が落ちていることも。これはイノシシの毛。

シカの下顎の歯

 

フィールドサインを見つけることができるようになると、本当に楽しい。アニマルトラッキングを始めると、山奥などに行かなくても、生き物の痕跡は家の周りの至るところにあることに気づく。単調つまらないと感じていた風景も、実は常に変化し続けているのだと感じられるようになった。

講座を終了したとはいっても、アニマルトラッカーとしてスタート地点に立ったばかり。野生の世界は知らないことばかり。足を踏み入れた世界を進んでいこう。

 

 

去年の8月、我が家のサンルームの窓ガラスに1羽の猛禽類が激突し、死んでしまった。

ガラスに野鳥がぶつかるのは残念ながら珍しくなく、少しでも事故を減らそうと窓ガラスにステッカーを貼ったり、ツタのカーテンを垂らしたりしているのだけれど、それでも時々、ぶつかってしまう。ぶつかった鳥は脳震盪を起こしてしばらくぼうっとした後、元気になって飛び去ることがほとんどだが、この猛禽類は可哀想なことに首の骨を折り、即死だった。とてもショックだったけれど、猛禽類を間近でじっくり見ることは滅多にない。せっかくの機会だから観察してみよう。ゴム手袋をはめて、羽を広げてみた。

 

 

体長およそ30cm、翼を広げると、その幅は47cmほど。羽の色、模様を含めて判断するに、ハイタカの若鳥らしい。美しい個体だ。それにしても、鳥にはこんなにたくさんの羽が生えていたんだ。瞼は上から下ではなく、下から上に閉じるんだね。クチバシも爪も触れるのは初めてだ。へー、なるほどなるほど、こうなっているのね、とひとしきり観察した。

さて、この死骸、どうしよう?

そのままゴミとして捨てるに忍びず、どうしたものか。アニマルトラッキングの仲間に野鳥の羽標本を作っているKさんがいるのを思い出して、連絡してみた。「うちの庭でハイタカが死んでしまったんだけど、死骸いる?」「喜んで!」。しかし、今は標本を作る時間がないので、冷凍保存しておいてくれないか、というと。そこで、彼女に時間ができたら標本作りに参加させてもらおうと思いついたのだった。

先日、ようやくその機会がやって来たので、冷凍ハイタカを持ってKさんの家へ。ハイタカを二人で半分こし、私は右半分の羽標本を作ることになった。

初めての体験にドキドキ。やってみたいと言ったものの、翼部分を切り取ったり、最初の1本の羽を抜くのには少々、勇気がいる。「普段から鶏の手羽先などを調理しているんだから、羽がついているかいないかだけの違いだ」と自分に言い聞かせながら、恐る恐る手を動かす。

 

羽を部位ごとに注意深く台紙に貼るKさん。

手順はわりにシンプルで、標本にする羽を1本1本抜き、部位ごとに並べて接着剤で台紙に貼っていくだけ。でも、鳥の体の構造を全然わかっていなかったので、部位を確認しながら羽を並べていくのは難しかった。

 

Brown, Ferguson, Laurence, Lees著 “Federn, Spuren & Zeichen”より

風切羽(ドイツ語でSchwungfeder)には、初列(Handschwingen)、次列(Armschwingen)、三列(Schirmfeder)の3種類がある。風切羽は大きく形も特徴的なのでまだわかりやすい。しかし、雨覆羽は細かい区分があって、それが何列も重なっている。形も似かよっているので、どこからどこまでが何の羽なのか、さっぱりわからない。Kさんを見様見真似でやったけど、翼の部分だけで6時間くらいかかってしまった。

羽を貼った台紙は無視がつかないよう、密封できるビニール袋に入れて保管する。分類や並べる順番が間違っているかもしれない。

 

ご飯も食べずに作業し、半日以上かけて初めての羽標本作りが終了。とても興味深い体験だった。

作業の際には図書館から借りた野鳥の羽の本の他、Featherbaseという羽標本のオンライン辞典を参考にした。Featherbaseはみんなで作るデータベースで、学者だけでなく世界中の羽コレクターが作った羽標本が登録されている。これがすごい。World Feather Atlasを作ることを目標にしており、集まった標本は学術研究にも活用されるそうだ。図鑑.jpというサイトにFeatherbaseに関する日本語の記事があったので貼っておこう。

番外編 世界の羽事情

Featherbaseには日本支部もある。

日本支部による説明記事

 

羽についてほとんどわからないままの作業だったけれど、家に帰ってから作った標本をFeatherbaseのハイタカのページや、その他のサイトの野鳥の体の構造図とじっくり見比べているうちに、「あー、なるほど。こうなってるんだ」と少しづつ鳥の羽の構造が見えて来て面白い。こんな世界があったとは!また新しい領域に足を踏み入れてしまった。バードウォッチングは、鳥そのものを見るだけではなく、鳥の巣も落ちている羽も面白い。無限に楽しめる世界だと再認識。

ところで、忘れずに書いておかなければいけない。ドイツでは、すべての野鳥は保護の対象にあり、羽を含む野鳥の体の一部を拾ったり、所有したり、売買することは連邦自然保護法により禁止されている。これは密猟を防ぐためで、学術研究を目的とする場合のみ、特例として許可される。

なので、今回の羽標本作りは推奨される行為ではない、ということになる。道端に綺麗な羽が落ちていたら子どもが拾ったり、工作に使ったりするのは自然なことに思えるし、一般人も参加できる羽標本データベースプロジェクトが存在するのに矛盾している気がする。自然の中にある羽は持ち去ってはいけないらしいが、では、自分の家の庭で死んだ鳥の場合は?羽を標本にして野鳥について学ぶのは、そのまま生ゴミとして処分するよりも悪いことなのか?難しい問題である。

ということで、羽の扱いには要注意です。

 

 

 

散歩中に野鳥の巣を見つけたら、写真を撮ることにしている。

これが結構、楽しいのだ。繁殖の時期だと、野鳥の営巣作業や抱卵中の様子を観察できることがある。それ以外の時期でも、ヒナが巣立って空になった後の巣を眺めて、これは何の鳥の巣だろう?と調べるのが面白い。

これまでに目にした鳥の巣をまとめてみよう。

 

ドイツ北東部で最も目にしやすいのは、シュバシコウ(Weißstorch)の巣だ。繁殖のために南から渡って来たシュバシコウが、あちこちの村や小さな町の高いところに作られた巣に座っている姿は春の風物詩だ。シュバシコウは保護されているので、繁殖を助けるためにあちこちに写真のような巣台が設置されており、その上に巣が乗っている。巣作りはオスメスの協力作業で、細い枝を円形に編み、その中にクッションとなるコケ、草、羽などを敷く。シュバシコウは一夫一婦制で基本的に毎年同じ相手とつがいになり、同じ巣を修理しながら使い続けるので、だんだん巣が大きくなる。熟年夫婦の巣になると、直径2メートル近くになることもあるらしい!

 

これは数年前にうちの庭のナラの木にモリバト(Ringeltaube)が作った巣。枝を無造作に重ねただけのわりに雑な造りに見える。しかも、こんな写真が撮れるくらい目立つところに作って、カラスや猛禽類に狙われないのかなあと心配になった。数日間は夫婦仲良く巣に座っているのが見えたが、やっぱり塩梅がよくなかったのか、その後、この巣は放棄されてしまった。

 

庭の巣箱内にシジュウカラが作った巣。シジュウカラの巣作りはメスの仕事。巣箱内に取り付けた野生カメラで営巣の様子をずっと観察していたのだが、狭い巣箱の中で器用に小枝を丸く編んで土台を作り、そこにコケや動物の毛を置いてふかふかした座り心地の良さそうな巣を作っていた。

無事に巣立って餌台に餌を食べに来たシジュウカラのヒナたち。

 

アオガラは樹洞に巣を作る。中の巣は見れないけれど、シジュウカラと似たような巣なのかな?

 

あるとき、散歩で通りかかった池の淵のヨシの間でカンムリカイツブリが営巣をしていた。カンムリカイツブリの巣は同時に交尾の舞台でもあるそうだ。オスメスが一緒にヨシや植物の根っこ、枯葉などで巣を作り、その上で交尾する。なんとなく面白い。

 

これまでに見つけて一番嬉しかったのは、ツリスガラ(Beutelmeise)の巣。ツリスガラは湿地や林の中の木の枝に、蜘蛛の糸や綿、植物の繊維などを使ってフェルト製のバッグのような吊り巣を作るのだ。巣を作るのはオスで、メスはオファーされた巣のうち気に入ったものを選んでその中に産卵する。手の込んだ巣は作るのに30日くらいかかるが、いざメスが選んでくれたら、オスはもうそのメスに用はなく、さっさと移動してまた別の巣を作り、別のメスにオファーするらしい。メスはワンオペで育児をしつつ、巣のメンテも自分でしなければならない。この巣の写真を撮ったとき、メスが忙しそうに巣を出たり入ったりしていた。動きが早くて、ツリスガラ自体の写真は残念ながら撮れなかった。

 

森の中で見かけた木の股につくられたクロウタドリ(Amsel)の巣。枝を編んだ丸いカゴのような巣に緑がかった卵が4つ並んでいる。クロウタドリは木の上だけでなく、地面、生垣の中などいろいろな場所に巣を作る。もともとは森の鳥だったクロウタドリは今では都市部でもすっかりおなじみの野鳥になり、民家のベランダや花壇などに巣を作ることも多い。巣材にはセロファンなど人工物が使われることもある。外側は泥で塗り固める。クロウタドリは主に地面でヒナのための餌を探すので、巣は比較的低い場所にある。

地面で虫を捕まえるクロウタドリのメス

 

お隣の家では、毎年、ガレージにクロジョウビタキ(Hausrotschwanz)が巣を作る。頻繁に人が通る場所なのに落ち着かなくないのかな?と不思議に思うけれど、クロジョウビタキは風雨が凌げさえすれば、他のことはあまり気にしないらしい。

 

これは、ある駅の構内にできたツバメ(Rauchschwalbe)の巣。泥を固めてできた巣だ。

こちらは建物の軒下にできたニシイワツバメ(Mehlschwalbe)の巣。これもほぼ泥でできていて、上のツバメの巣と似ているが、違うのはツバメが通常、建物の中に巣を作るのに対し、ニシイワツバメは建物の軒下などに作ること。つまり、ツバメはインドア派でニシイワツバメは半アウトドア派?

ツバメの仲間にはショウドウツバメ(Uferschwalbe)というのもいて、砂質の崖に穴を掘って巣を作る。バルト海沿岸の崖でたくさんのショウドウツバメが巣穴を出入りしているのを見た。なかなか壮観だった。

 

キツツキはその名の通り、木をつついて穴を開けて巣を作る。

 

カササギ(Elster)は木のかなり高いところに枝を使って球状の巣を作る。

 

カササギ

 

ある日のドライブ中、国道沿いの原っぱにクロヅル(Kranich)の巣を発見したときには驚いた。遠目だけれど、よく見ると卵があるのが見える。道路からは距離があり、周囲を水に囲まれてはいるものの、人や動物が簡単に近づけるようなところに巣を作って大丈夫なんだろうか?

 

最後は番外編でパナマで見た鳥の巣。

オオツリスドリ(Montezuma Oropendola)は草木の繊維を編んで細長い大きな釣り巣を作るのだ。

巣作り中のオオツリスドリ。

 

これは博物館に展示されていたオオツリスドリの巣。すごいなあ。

 

種によって簡素だったり、ものすごく手が混んでいたり、千差万別な野鳥の巣。野鳥は種類が多いだけに、巣の鑑賞の楽しみは尽きることがないだろう。

 

 

2月になって、少しづつ日が長くなっているのを感じる。とはいえ、まだまだ寒い日も多く、先週は地面にうっすらと雪が積もった。こちらの記事に書いたように、去年の5月からアニマルトラッキングを学び始めたのだが、雪が降るとトラッキングがとても楽しい。雪の上に残った動物の足跡は見つけやすいから。

キツネの足跡。

 

ノウサギ。

 

小さなハート型の可愛い足跡はノロジカのもの。

こちらもシカの足跡。副蹄がくっきりとついている。ダマジカかもしれない。

 

シカが倒木を超えていった跡が木の幹の表面についている。真ん中からやや左の手前にはキツネが前足を揃えて幹に乗せた跡。

 

これは大きさと形から、クロウタドリの足跡と思われる。

 

これはカラスの足跡っぽい。

大きさからして、この辺りにたくさんいるズキンカラスでしょう。

 

これもカラスだけど、さっきのより大きくて太い。雪が溶けている部分に降り立って、歩いていったのだろう。周りにはキツネの足跡もたくさん。

このサイズのカラスはワタリガラスしかいないよね?

 

確信ないけど、たぶんアオサギ。

 

尻尾を引きずって歩いたヌートリアの足跡。

 

最高に可愛いのはリスの足跡。倒木を端から端までぴょんぴょん飛んでいった跡がくっきり残っていた。

 

アニマルトラッキングのためのガイドブックはたくさん出ている。

Joscha Grolmsの”Tierspuren Europas”はヨーロッパのアニマルトラッカーのバイブル的な本で、とても詳しい。でも、情報量が膨大なので、初心者にはちょっと使いづらいかも。真ん中上の”Tierspuren und Fährten”はイラストのガイドブックで、使いやすい。すべてドイツ語なので用語をその都度調べる必要があるけど、野生動物の足跡やその他の痕跡が読めるようになって来ると、森の国ドイツでの散歩が何倍も楽しくなる。

 

 

バードウォッチングを初めて3年ちょっとが経過した。最初のうちはとにかく目についた野鳥の写真を撮っては種名を調べることに熱中していた。それから季節が何度か巡り、身近にいる種がだいたい把握できたら、今度はそれぞれの種について知りたくなった。庭にやって来る野鳥の種類も増えて、いろんな種に親しみを覚えるようになって来た。

バードウォッチャーとしてまだ日が浅いけど、それぞれの種についてこれまでに観察したことと本で読んだり詳しい人に聞いたことをまとめていこう。第一弾は「キツツキ」について。

キツツキとは名前の通り、木をつつく習性のある鳥を指す。でも、キツツキというのはキツツキ科に含まれる鳥のことで、「キツツキ」という種名の鳥がいるわけではない。日本語ではキツツキの仲間には「〜ゲラ」という種名が付けられている。ドイツ語ではキツツキの仲間は「ナニナニSpecht」と呼ばれる。

 

ドイツに生息するキツツキ科の鳥は以下の10種。

  • アカゲラ  (Buntspecht, Dendrocopos major)
  • ヒメアカゲラ (Mittelspecht,  Dendrocopos medius)
  • コアカゲラ (Kleinspecht, [Dryobates minor)
  • ヨーロッパアオゲラ (Grünspecht, Picus viridis)
  • クマゲラ (Schwarzspecht, Dryocopus martius)
  • オオアカゲラ (Weißrückenspecht, Dendrocopos leucotos)
  • ミユビゲラ (Dreizehenspecht, Picoides tridactylus)
  • ヤマゲラ (Grauspecht, Picus canus)
  • シリアンウッドペッカー? (Blutspecht, Dendrocopos syriacus)
  • アリスイ (Wendelhals, Jynx torquilla)

これまでに見ることができたのは、アカゲラ、コアカゲラ、ヨーロッパアオゲラ、クマゲラの4種である。この4種についてわかったことをまとめよう。

まず、ドイツで個体数が最も多いアカゲラについて。

アカゲラはその名の通り、お腹の下の方が赤い。下腹部が赤いのはオスメス共通だけれど、オスは後頭部も赤い。メスの頭は真っ黒である。この写真はうちの庭によく来るアカゲラで、見ての通り頭の後ろに赤い部分があるのでオスだとわかる。

アカゲラは環境適応力が高いため他のキツツキよりも生息範囲が広く、そこらじゅうにいると言っても言い過ぎではない。ドイツ人がSpechtと言われて真っ先に頭に思い浮かべるのはアカゲラだろう。ドイツでは散歩がポピュラーなアクティビティで、みんなよく散歩に行く。森の中を歩くと、アカゲラのドラミングの音がよく聞こえてくる。ドラララン、ドララランという明るく小刻みの音が特徴だ。

キツツキのオスは他の多くの鳥とは異なり、美しいさえずりではなく木をつつく音でメスにアピールする。ヴォーカリストというよりもドラマーだ。メロディよりもリズム感で勝負、というとなんとなくカッコいいけど、せっかく演奏してもメスに注目(注耳?)してもらえなければしょうがない。だから、乾燥した、よく響く木を選んでつつくのだ。キツツキの求愛期間は長い。これを書いている現在は2月の初めだが、近所の森にはすでにアカゲラのドラミングの音が響き渡っている。なかなかパートナーを見つけられないオスは延々とドラミングを続けることになる。喉が枯れるほど歌うのとクチバシを木に叩きつけまくるのとでは、どっちがより疲れるだろうかなどと無意味なことをつい、考えてしまう。また、アカゲラのドラミングはパートナー探しだけでなく、ナワバリを主張するためでもある。

うまくパートナーのメスが見つかったら、今度は子育ての準備開始である。ここでも木をつついて開けて巣穴を作る。アカゲラの場合、巣穴の使い回しはあまりせず、ほぼ毎年、新しい巣穴を作るそうだ。2週間ほどかけて完成した巣穴にはコケなどのクッション材を置いたりはせず、メスは木屑の上に白くて光沢のある卵を4つから7つほど産む。抱卵はオスメスが交代でおこなうが、夜間はパパの担当だそうだ。卵は10日ほどで孵化し、それからヒナが巣立つまでの3週間ほどの間、親鳥はせっせと巣に餌を運ぶ。

 

巣立ちが近づくと、幼鳥は餌をもらうときに巣穴から顔を出すようになる。これがなんともかわいくてたまらない。バルト海沿岸の森で親に餌をもらうアカゲラの幼鳥を見かけたときには感激して、ずっと愛でていたかった。でも、幼鳥にとって、不用意に巣から顔を出すのはキケンだ。捕食者があたりに潜んでいるかもしれない。だから、親が戻って来るまで幼鳥は巣穴の中で待っている。戻って来た親鳥は近くの木から「餌持って来たよー」と鳴き声で知らせ、それを合図に顔を出した幼鳥は素早く餌を受け取って、またサッと穴の中に戻る。巣立ち間近な幼鳥はそれを頻繁に繰り返していた。

この親鳥も頭の後ろが赤いから、パパだろう。幼鳥は性別に関係なく頭のてっぺんが赤い。巣立った後も、しばらくの間は親に餌を食べさせてもらったり、餌の見つけ方を教えてもらったりする。去年の春、うちの庭の餌場には親鳥が子連れでやって来た。「ここのファットボールは安心して食べていいからね」と親に言われたのだろうか。そのうち子どもは単独でも食べに来るようになった。しかし、餌場の管理人(つまり、私たち)が無害でも、油断は禁物だ。周辺の森にはオオタカ(Habicht)やハイタカ(Sperber)など、キツツキを捕食する猛禽類がいる。まだ世の中に慣れていない幼鳥は特に狙われやすい。キツツキは警戒心が強いのか、頻繁に上方を確認する習性がある。餌場で餌を食べるときにも約1秒ごとに顔を上げてキョロキョロとあたりを確認しているのを、いつもキツツキらしい仕草だなあと思いながら観察している。

 

気をつけていてもやられるときはやられる。これは近所の森で見た惨事の跡。羽の大きさから見て、捕食されたのは大人のアカゲラのようだ。

ところで、森の中を歩いていると、ときどき、木の股や裂け目に松ぼっくりが挟まっていることがある。

これはドイツ語ではSpechtschmiede(「キツツキの鍛冶場」、の意味)と呼ばれるものだ。アカゲラは松ぼっくりをこのように固定してから、鱗片の裏側にある種子を取り出して食べるのだ。鍛冶場の下の地面には種子を取り出した後の松ぼっくりがたくさん落ちている。

こういうのを目にするたびに、生き物の行動って面白いなあとつくづく思う。

さて、身近なアカゲラの観察も楽しいが、それ以外のキツツキを見る機会はぐっと減るので、見つけるととても嬉しくなる。私が特に好きなのはクマゲラ。ドイツに生息するキツツキのうちで最も大きく、体長50cmほどもある。

光沢のある黒い体に赤い帽子がお洒落。ちなみに、赤い部分が頭全体を覆っているのはオスで、メスは後頭部に小さな赤い部分があるだけだ。

クマゲラは、自然破壊や捕獲によって19世紀半ばにはドイツ北部からほぼ消滅していた。保護の甲斐あって最近はそれほど珍しくなくなっている。クマゲラはオオアリ(Rossameisen)やキクイムシ(Borkenkäfer)の幼虫を好み、巣はブナの木に作ることが多い。クマゲラの作る巣穴は他のキツツキのものよりもずっと大きく、楕円形をしていることも多い。ドラミングの音はアカゲラのそれよりも低く、ドラミングの長さも長い。クマゲラは喉が大きく、ヒナに与える餌を親鳥が喉に溜めておいて、吐き戻して与えることができるので、広範囲に餌を集めることができるそうだ。

これは多分、クマゲラが穴を開けた木

キツツキの作る樹洞は当のキツツキだけでなく、他のいろいろな生き物が利用する。クマゲラの穴は大きいので、 主にヒメモリバト(Hohltaube) やキンメフクロウ(Raufußkauz)、ホオジロガモ(Schellente)がよく使うらしい。意外なことにゴジュウカラも利用者だという。あんなに小さいゴジュウカラには入り口が大き過ぎて捕食者が入り放題になりキケンでは?と思ったら、ゴジュウカラは穴の入り口に泥を塗って固め、ジャストサイズにするらしい。ゴジュウカラを意味するドイツ語”Kleiber”は「貼る」という意味の動詞”kleben”が語源だと知った。

こちらはヨーロッパアオゲラのメス。オスは目の下が赤いので、写真を撮れば見分けることができるけれど、遠目に見分けるのはまず無理だろう。アリが主食のアオゲラは伝統的な果樹など開けた場所を好む。キツツキだけど地面にいることが多いのだ。長くてベタベタした舌でアリを捕まえて食べ、ヒナに与える餌もほぼアリのみ。ドラミングはもっぱらパートナーとのコミュニケーションの目的のみで、ナワバリの主張のためにはしない。アオゲラはドラミングをあまりしない代わりによく鳴く。目立たない体の色をしているけれど、キョキョキョキョという特徴的な鳴き声なので、姿が見えなくても声でああ、近くにいるなとわかるようになった。アオゲラは巣穴を作ることに関してはあまり熱心ではなく、同じ穴を何年も使うそうだ。

 

そしてもう1種。雪の降る日に森の中で一度だけ目にした小さなキツツキはコアカゲラだった。体重はわずか2ogほど。キツツキというよりも小鳥という感じ。葉や枝についた虫を食べる。

 

ドイツに生息するキツツキはすべての種が保護の対象だ。森にキツツキがたくさんいれば、リス、マツテン、ヤマネ、コウモリなど哺乳類からハチやアリなどの昆虫まで、キツツキが枯れ木に開けた穴を利用する生き物の密度が高くなり、またそれらの捕食者も増える。キツツキは森の生物多様性に不可欠な存在なのだ。

これから春にかけて野鳥の活動が活発になる。今年もキツツキの親子を見ることができるだろうか。まだ目にしたことのない光景が観察できたらいいな。

 

参考文献:

Volker Zahner, Robert Wimmer (2021) “Spechte & Co. Sympathische Hüter heimischer Wälder”

 

野生動物が好きなので、数年前から地元ブランデンブルク州の自然保護団体がおこなっているヨーロッパヤマネコやビーバーのモニタリングプロジェクトにボランティア調査員として参加している。モニタリングとは、対象となる動物の痕跡を探して記録する活動で、集まったデータは保護活動やその基盤となる科学研究に使われる。

野生動物の痕跡を探す活動を「アニマルトラッキング(ドイツ語ではSpurenlesen)」と呼ぶ。痕跡というのは、動物足跡はもちろん、たとえばビーバーであれば齧られた木やビーバーダム、巣など、そこに動物がいたことを示すものすべてを含む。自然の中を散歩しながら生き物の痕跡を見つけるのはとても楽しいので、本格的に学びたいなあと思い、去年からWildnisschule Höher Flämingという自然教育の学校でアニマルトラッキングを習っている。

詳しくはこちらの記事に書いた通り。

トラッキングを学ぶのに大事なことは、とにかく野外を歩いて自然を観察すること。参考書も読むけれど、家の中にいては学べない。日々観察して気づいたことや写真を今年からTumblrに記録することにした。TumblrはSNSなので趣味や興味が似ている人をフォローしたりできるが、投稿すると、こんなふうにブログが自動生成されるのがとても便利!

 

ブログのテーマはいろいろなものから選べ、カスタマイズもできるようだ。自分のための記録が目的なので凝ったことをするつもりはなく、見やすく、後から検索しやすければいいかな。アーカイブも月毎及び投稿の種類ごとに自動生成されるようだ。

そもそも自分はインターネットを使って何がしたいのか?と自問してみると、「自分の興味を広げたり深めたりしたい」ということに尽きる。自分一人で黙々と興味のある情報を集めるのもいいけれど、同じような興味を持つ人の発信を参考にしたいし、自分も気づいたことをネット上にアップしておけばどこかの誰かの参考に多少なりともなるかもしれないと思って書き留めているのである。SNSのフォロワーを増やして影響力を持ちたいとか、注目されたいというわけではないし、仕事の一環としてやっているわけでもない。Tumblr は適度にマイナーなSNSで人目を気にせず好きなことを投稿でき、世間話よりも趣味について話したい自分のニーズに合っている気がする。投稿を後から編集できるのも嬉しい。

ということで、今後は旅の記録は引き続きこのChikaTravelブログに、日々の自然観察については姉妹ブログ「チカの自然観察日記」に書いていくことにしよう。

Tumblrのアカウント名は、chikawildlife。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年がもうすぐ終わる。

2017年3月に始めたこのブログ、開始当初とはずいぶん方向性が変わったなあと自分で思う。探索を記録したいというのは変わっていないけれど、続けているうちに興味の対象や目的が少しづつ変化していっている。自分が住んでいるドイツ国内のマニアックな観光スポットを巡ろうというモチベーションから始まったので、「まにあっくドイツ観光」と名付けて面白そうな観光スポットを手当たり次第、回っていた。あちこちで知らないもの、未知のテーマに触れ、多少なりともその背景を調べていくうちに、この世の中は自分の知らないことばかりだとつくづく感じるようになった。面白い場所は当然ドイツだけではないので、途中から「ChikaTravel」とタイトルを変えてドイツ以外の国についても体験を記録するようになった。

そして、興味深いことが無限に存在する中で、詳しく知りたい、学びたいと感じるいくつかのテーマが浮かび上がって来た。幅広くいろんなものに触れたいと思う一方で、特定のテーマについて深めていきたいという気持ちが少しづつ強くなっている。

「深める」ことについて、今年は貴重な機会を得た。YouTubeチャンネル「ベルリン・ブランデンブルク探検隊」を一緒に運営しているライター、久保田由希さんと二人でドイツの建物についてまとめた本が、『ドイツの家を町並み図鑑』というタイトルで11月にエクスナレッジ社から出版されたのだ。

 

由希さんと私がそれぞれ撮影したドイツの魅力的な住居の写真を、それらが建てられた背景の説明とともに紹介したもの。書籍にまとめるにあたって膨大な資料にあたり調べるのは思った以上に難しい作業だったけれど、このプロジェクトを通じてドイツの住居建築について掘り下げることができてとても楽しかった。私がこのプロジェクトに参加できたのは、ドイツに関する本を過去に十数冊も出しているベテランのライターである由希さんが「一緒にやろう」と誘ってくれたからである。由希さん、ありがとう!そして、ドイツの一般住居建築というマイナーなテーマの本を企画し、世の中に出してくださったエクスナレッジ社の担当者さんにも感謝の気持ちでいっぱい。

 

「広げる」に関しては、今年の春から半年間、野生動物の痕跡を追うアニマルトラッキングの訓練を受けた。過去数年、コロナ禍で長い間遠出ができなかったこともあって、身の回りの自然について知りたい気持ちが強くなったのである。思いつきで受講を決めて飛び込んだアニマルトラッキングの世界は、まったく想像が及ばないほど深くて、少し手解きを受けただけで目に見える景色がすっかり変わってしまった。つくづく、新しい視点を得る喜びは大きい。アニマルトラッキングという視点を得たことで、ドイツ以外の場所を訪れるときの体験も変わっていく。これからもっと深めていきたい。

新しい体験をすると、それについてもっと知りたい欲が出て来る。それで関連書を読んだりして調べる。多少なりとも知識を得ると、それが次の体験に繋がる。無限ループだ。そんなわけでこのブログに記録する内容が今後どんなふうに展開していくのか、自分でもよくわからないけれど、興味の連鎖反応が途切れない限り、体験し、調べ、記録することを続けていこう。

 

 

 

今回ヨットの旅を初めて試してみて、陸に滞在する旅と比べてよかったこと、残念だったことを最後にメモしておこう。

テリハボク (Calophyllum inophyllum)。セイシェルではTakamakaと呼ばれる。Takamakaはセイシェルのラム酒ブランドでもある。

よかったこと

  • とにかくたくさんの島を回ることができた 10泊11日のクルーズ中に訪れた島の数は10。また、同じ島でも複数のビーチで泳ぐことができた。島ごとに特徴があるので、それぞれの島でアクティビティが楽しめる。
  • 陸に滞在するよりも割安だった セイシェルはホテル代がとても高く、ホテル滞在で離島へも行こうと思うと、ホテル代+食事代+移動費用(またはエクスカーション参加費)となり、大変な出費となってしまう。クルーズの場合、1泊のホテル代と同じくらいの代金の中に食事3食(水、コーヒー、紅茶も無料)と移動費用が含まれているので、思ったよりも割安の旅になった。
  • 海の生き物観察を満喫できた 連日シュノーケルができただけでなく、セーリング中にもイルカやサメ、ウミガメなど多くの生き物を見ることができた。
  • 釣ったお魚を毎日食べられた セーリング中、釣りが楽しめ、新鮮なお魚をほぼ毎食食べられるという贅沢が味わえた。それも追加料金はなし。
  • 自分で荷物を運ぶ必要がない ずっと同じヨットの上なので、荷物を運ばなくて良いのは楽。

 

残念だったこと

  • クルーズの仲間と言葉が通じなかった いろんな国の人が参加し、みんなで英語で話すことを想定していたのに、実際には私と夫以外は全員フランス語話者で英語が通じなかった。お喋りを通じた情報交換を楽しみにしていたので、とてもがっかり。フランスからの参加者は明るい気のいい人たちで険悪な雰囲気になることはまったくなかったものの、わからない言語で交わされるジョークを四六時中聞いているのは辛いものがあった。かなり大きなデメリットだったので、次回クルーズに参加するときには言語的マイノリティにならないように、最低でも自分たちの他に2人は言葉の通じる人を誘っていこうと心に決めた。(とはいえ、フランス人との10日間はそれはそれで、フランス人のバカンスの楽しみ方を観察する面白い機会にもなった)
  • 陸で過ごす時間が限定的だった 島に自力で上陸することはできず、ヨットからゴムボートで送り迎えをしてもらう必要があるので、時間を気にせず好きなように動き回れるわけではない。島の生態系をじっくり観察したり、現地の人たちと交流したかったが、その点では多少物足りないものがあった。
  • ホテルほどは快適ではない キャビンはホテルの部屋よりも狭く、清掃サービスもない。カタマランは揺れにくいヨットだけれど、やはり多少は揺れる。個人的には気にならなかったけれど、快適さを重視する人にとってはマイナスポイントになり得る。

 

その他の感想

  • ヨットの上ではネットに繋がなかったので、デジタルデトックスになってとてもよかった。今後も旅の際にはSNSはオフにしようと思う。
  • セーシェルでのクルージングは釣りと魚料理が楽しめるので、日本人の気に入ると思う。
  • 海の生き物についてもっと知りたくなった。
  • 引き続きいろんな国の自然保護の事例について知りたい。
  • ヨットクルージングに限らず、これまで未経験のタイプの旅をいろいろ試してみたい。

 

これでセイシェル・ヨットクルージングに関する記事は終わりです。

楽しかった10泊11日のヨット・クルージングも遂に最終日となり、私たちはマエー島のマリーナへ戻った。マエー島に上陸する前にサンタンヌ島のビーチに寄り、最後の一泳ぎを楽しんだ。

サンタンヌ島のビーチ

この島にはクラブメッドのリゾートがある。私たちはクラブメッドの敷地内には絶対に入らないようにと言われていたが、ビーチを利用することはできた。

白い砂浜の綺麗なビーチなのだけれど、、、、過去9日間、超絶美しいビーチの数々を訪れて来たので期待値がすっかり上がってしまった私たち。サンタンヌ島とマエー島は目と鼻の先なので、海の向こうに見えるのは町の風景である。海の水もなんとなく違うように見える。「なんか、たいしたことないね」「高いリゾートに泊まって町の景色を眺めて過ごすより、ヨットの方が割安だし、あちこち回れて良かったね」などと、クルーズメンバーと言い合ったのだった。

さて、クルーズが終わり、エデンアイランドのマリーナでクルーズの仲間たちとの別れを惜しみつつ下船した私たちは、帰途に着く前の最後の1日を首都ヴィクトリアで過ごした。ヴィクトリアは小さな町で、見どころは多くない。

ヴィクトリアの中心にあるクロックタワー。

サー ・セルウィン ・セルウィン・ クラーク ・マーケット(Sir Selwyn Selwin Clarke Market)

セイシェルはアフリカおよびヨーロッパにルーツを持つ「クレオール」と呼ばれる人々、インドやマダガスカル、中国にルーツを持つ人々など、異なるエスニシティの人々が混じり合い、大きな摩擦を起こさずに平和的に暮らしている社会だと言われる。今回の旅ではほとんどの時間を洋上で過ごしたので、ヨットのクルー以外の現地の人々と接する機会が少なく、セイシェルの生活文化には残念ながらほとんど触れることができなかった。食文化についても、観光客を相手に料理をする一人のコックさんの料理からは現地の人々の一般的な食事について知ることは難しい。ヴィクトリアの市場やスーパー、モールなどを覗いた限りでは、アフリカ、ヨーロッパ、アジアの要素がブレンドされた独自のものになっているのではないかという印象を持ったのみである。

最近は自然体験をメインにした旅行をすることが多くなっているが、その国の歴史や文化をまったく知ることなく帰って来てしまうのは残念だ。2019年のパナマ旅行の終わりにそうしたように(記事はこちら)、今回も旅の終わりにヴィクトリアの国立歴史博物館でセイシェルの歴史に触れたいと思った。

 

国立歴史博物館

奴隷貿易から始まったセイシェルの歴史は苦しみに満ちている。セイシェルの島々の存在は数百年前からアラビアの商人たちに知られていたとされるが、ヨーロッパ人が最初にセイシェルを発見したのは大航海時代のことである。無人島だったセイシェルに人が定住するようになったのは、1742年、フランスの探検隊が最大の島(現在のマエー島)に上陸したのが始まりで、1768年にフランス領になり、入植がおこなわれた。開拓のためにアフリカから多くの人が奴隷として連れて来られたのである。1790年までにマエー島の人口は572人に達したが、そのうちヨーロッパ人は65人、507人が奴隷だったとされる。

当初フランスの植民地だったセイシェルは、1814年からはイギリスの統治下に置かれる。独立国となったのは1976年で、それからまだ50年も経っていない。公用語が英、仏、クレオール語の3つなのはこうした背景からで、クレオール語は支配者であるフランス人、イギリス人と、奴隷の身を余儀なくされていたアフリカ各地出身の人々のコミュニケーションの手段として発達した言語だったのだ。

歴史博物館では、セイシェルの歴史を知る上で決して避けて通ることのできない奴隷制に重点が置かれている。私にとっても最も強く印象づけられた内容だったので、ここではそこに的を絞って記録しよう。

輸出品となるシナモンやナツメッグなどのプランテーションの労働力として連れて来られた人々は、そのおよそ45%がマダガスカル、およそ40%がモザンビークを中心とするアフリカ東部、13%がインドのポンディシェリー、残る2%がアフリカ西部の出身だった。

奴隷となった人々を拘束するために使われた道具も展示されていて、見るのがとても辛い。

19世紀初頭になると、イギリスで政治家ウィリアム・ウィルバーフォースが主導する奴隷廃止運動が高まっていったが、1833年に奴隷制度が廃止された後も、セイシェルでは引き続き奴隷の保持が続けられ、ようやく解放されたのは1835年になってからだ。

解放された人たち

奴隷制の廃止後、すでに衰退していたスパイスや綿花、トウモロコシなどの従来のプランテーションから、より生産性の高いココヤシの栽培への転換が図られていた。奴隷市場のあったアフリカ東部のザンジバルから、解放された多くの人々がセイシェルへ移住し、労働者としてココヤシのプランテーション栽培を支えた。こうしてセイシェルの人口は増え、首都ヴィクトリアも発展していったそうだ。

セイシェルの伝統的な服装。ヨーロッパの服装をベースに熱帯の気候に適したアレンジが加えられている。

現在のセイシェルは独立国家だが、自由を奪われ虐げられた苦しみと悲しみ、憤りに満ちた200年の過去をルーツとして持つ国民のナショナルアイデンティティとはどのようなものなのだろうか。

こう書きながらふと思い出したのは、プララン島の海岸近くでアンカリングをして夕食を食べていたある晩、岸辺で焚き火をしているのか、暗闇の中で1点が光っているのが見えたこと。

花火でもしているのかな?と不思議に思ってそちらを見つめていると、リズミカルな楽器の音と歌声がかすかに聞こえて来た。火の周りで踊っている気配がある。それはMoutyaと呼ばれるセイシェルの伝統のダンスだった。からだ一つで遠い未開の島へと連れて来られた人々が持っていたものは、恋しい故郷の思い出、そして自らの体と声だけだった。心の痛みや悲しみを歌を歌い、ダンスをすることで表現し、子孫へと伝えていく。そんな伝統が今でも残っているという。

 

セイシェルの国旗は放射線状に青、黄、赤、白、緑の5色に塗り分けられた珍しいデザインだ。青は空と海、黄は太陽、赤は統一と愛のための働く国民の決意、白は調和と正義、そして赤は緑は豊かな自然環境を象徴するらしい。

現在のセイシェルの主要産業は、観光と漁業。こちらの記事でも触れたように、自然保護にも大きく力を入れており、持続可能なツーリズムのパイオニア的な存在でもある。限られた場所しか見ていないので一般化できるかどうかはわからないけれど、ビーチにはゴミ一つなく、首都ヴィクトリアも綺麗だった。島国で利用できる土地が限られており、生活必需品の大部分を輸入に頼っているせいか、物価は高い。しかし、生活水準は比較的高いように見受けられた。

10日間のクルーズを共にしたキャプテンはヨットの航海士という職業柄、一年の大部分を洋上で過ごさなければならず、自宅で過ごせる日はわずかだという。でも、毎日必ず妻に電話するのだと言いながら、スマホで結婚式の写真を見せてくれた。「家族と一緒に過ごせる時間は少ないけど、妻は本当に愛情深く、決して不満を言ったりしない。幸せな家庭を持つことができた自分は恵まれている」と語った。敬虔なクリスチャンの彼は、お酒は飲むけれど決して酔っ払うことはない。家で妻や子どもたちと食卓を囲むときには神にお祈りをするのだという。ギターを演奏するので、わずかなフリータイムにはキーボードを弾く娘さんと一緒にゴスペル音楽を演奏して楽しんでいるそうだ。シャイで口数の少ないコックさんも家族の写真を見せてくれた。巨漢の彼の横に美しい妻と小学校低学年くらいの男の子が2人が写っていて、とても心が和んだ。

その一方で、ホテルから空港まで乗ったタクシーの運転手さんからはこんな話を聞いた。

「セイシェルは美しい国だけれど、政治は腐敗しています。観光で持っている国だけど、ホテルの経営者はほとんどが外国人ですよ。あなたが泊まったホテルも中国人の経営で、フロントの女性はジンバブエから出稼ぎに来てるんです。地元の人間はダメです。働かない。なぜだと思います?ドラッグですよ。国民の10%はヘロイン依存です」

ええっ、まさか?と驚く私たちに運転手さんは続ける。

「今、道路を渡って行った3人組の若者ね。彼ら、ディーラーですよ。見ればすぐにわかるんだ。ほら、あそこに飲み物を売ってるワゴンが停まってるでしょう?あそこでヘロインが買えるんですよ。ハタチそこそこの男が、私が10年必死で働いて買ったこの車よりも高い車に乗っている。なぜそんなことが可能なのか、わかりますよね?私にはティーンエイジャーの娘がいるので、ドラッグに手を出したりしないか、心配しています。私はこの国を愛しているけど、変えたいと思っています。このままではダメだ。なんとしてでも変えて行きたい」

どんな国も、美点もあれば問題もあるのは当たり前で、旅において触れることができるのはその国を構成するもののたったひとしずくでしかない。通りすがりにわかることなど、ほとんど何もない。それでも、ほんの一瞬でも接触した人たちの言葉がその国への興味のドアを開けてくれるものだと感じる。また一つ、私のとって気になる国が増えたのだった。

 

この記事の参考文献及びサイト:

National Museum of History, Seychelles

History Media-HD: History of Seychelles

ガイドブックシリーズ Richtig Reisen、”Seychellen” (2010) Dumont Verlag

 

今回の旅のテーマは主に「海の生き物」だったけれど、陸の生き物にも大いに興味がある。陸にいた時間は短かったけれど、それでもいくらかの生き物を目にすることができた。その中で特筆すべきはセイシェルの固有種、アルダブラゾウガメ とセーシェルオオコウモリだろう

まず、アルダブラゾウガメは、主にセイシェルの外諸島に属するアルダブラ環礁に生息する陸亀で、今回回った内諸島ではキューリーズ島、クザン島、ラ・ディーグ島、グラン・スール島で多く見た。

アルダブラゾウガメ

オスは最大で体重400kgにもなる巨大なリクガメである。英語ではAldabra Giant tortoiseと呼ばれる。かつて、インド洋には何種ものゾウガメが生息していたが、環境破壊や捕獲によって19世紀半ばに絶滅してしまい、唯一、生き延びたのがアルダブラゾウガメだとされていた。ところが、近年、「セーシェルセマルゾウガメ」と「セーシェルヒラセゾウガメ」という2つの亜種が、世界の動物園などで生き延びていることが確認されているという。これについて調べていたら、たまたま名古屋市の東山動植物園のウェブサイトがヒットした。同園の「アルダブラゾウガメ舎」で飼育されているアルダブラゾウガメのうち、1匹のオスの甲羅の形が他の個体と違うことに気づいた飼育員さんが不思議に思って調べてみたところ、「アシュワル」という名のその個体はセーシェルヒラセゾウガメである可能性が極めて高いということがわかったそうだ。なんて興味深い。(詳細は以下のリンクの記事の通り)

東山動植物園オフィシャルブログ 「アルダブラゾウガメのアシュワルは他と少し違うかも?」

ゾウガメは地球全体では他にガラパゴスゾウガメ(Testudo elephantopus)がいる。アルダブラゾウガメとガラパゴスゾウガメは見た目はよく似ているけれど、近縁ではない。アルダブラゾウガメはガラパゴスゾウガメよりも大きく、頭が小さく、頭部分のウロコが大きく、鼻の穴が縦長で、鼻から水を飲むことができるという特徴があるらしい。

言われてみれば、細長い鼻の穴。

現在、およそ10万匹の野生のアルダブラゾウガメの98 %が生息するアルダブラ環礁は、1982年からUNESCO世界自然遺産に登録されている。

基本的に草食で、草や葉っぱを食べる。

ちっちゃーい

内諸島のキューリーズ島にはアルダブラゾウガメの保育園があり、ゾウガメの赤ちゃんを観察することができる。

キューリーズ島の水場の周りにはアルダブラゾウガメのものと思われる足跡がついていた。趣味でアニマルトラッキングをやっている私は動物の足跡に興味があるのだ。

当たり前だけど、私の住んでいるドイツではこんな足跡を目にしたことはない。象って、こんな足跡なのね。

アルダブラゾウガメの足。なるほどね〜。

キュリーズ島のマングローブの林を流れる小川の横にもゾウガメの足跡が続いていた。

と思ったら、いた!

野生のゾウガメがたくさん見られてとても嬉しい。

さて、セーシェルオオコウモリについても書いておこう。ヨットクルーズの前日にマエー島のホテルに1泊したときのこと。首都ヴィクトリアから山を少し登ったところにあるホテルで、とても眺めが良かった。

マエー島の山の景色

木々を飛び回る野鳥をテラスからなんとなく眺めていたら、猛禽類のような大型の鳥が行ったり来たりしているのが目についた。でもどこか飛び方が普通ではない。一体なんだろうと目を凝らすと、それは鳥ではなく、大きなコウモリだった。

広げた翼は1メートルにも及ぶ。

オレンジ色のふさふさした頭のコウモリは、セーシェルオオコウモリ。英語名はSeychelles Fruit Bat。その名の通り、果物を食べる草食性のコウモリである。

果物を食べるセーシェルオオコウモリ

哺乳類コウモリ目には大きく分けて、ココウモリとオオコウモリがいる。セーシェルオオコウモリはもちろん、オオコウモリに属する。ココウモリとオオコウモリの違いは単に大きさだけではない。目がよく見えないため超音波で獲物の距離や方角を測る能力を発達させたココウモリと違って、オオコウモリは視覚を使って行動するので、目が大きく、その代わり耳はあまり発達していない。顔はキツネっぽく、英語ではFlying foxとも呼ばれる(ちなみに、ドイツ語ではFlughundと呼ばれ、これは「飛ぶ犬」という意味である)。これまでにオーストラリアやスリランカでもオオコウモリを見たことがあったけれど、いつ見ても、その大きさに興奮してしまう。

じゃれ合うセーシェルオオコウモリ。鳴き声は結構うるさい。

セーシェルオオコウモリは今回訪れたほぼすべての島でたくさん見ることができた。かつて無人島だったセイシェルの島々に人間がやって来たことで、島に固有の生き物の多くが絶滅してしまったが、セーシェルオオコウモリにとっては人間の到来はむしろ幸運だったようだ。なぜかというと、いろんな果物の木が島にもたらされ、農園が作られたから。逆に、農園の経営者にとっては果物を食べてしまう邪魔者である。オオコウモリの肉は美味しいらしく、捕まえて食べてしまうこともあるそうだ。

その土地に固有の生き物を見るのは旅の大きな楽しみだ。今回も珍しい生き物が見られて嬉しい。

 

今回のセイシェル旅行で初めて陸地滞在ではなくヨットクルージングを選択して、良かったこともあればやや物足りないと思うこともあった。とても良かったのは、10日間という短い期間にたくさんの入江やビーチを訪れることができたこと。クルージングならではの大きな魅力だ。

シュノーケルに関してはすでにこちらの記事に書いたので、今回はビーチについて書き記しておきたい。

全部で10箇所くらいのビーチを回った中で、最も素晴らしかったのはグランド・スール島(Grand Soeur, 英語ではBig Sister Islandと呼バレる)の東側のビーチである。世界で一番美しいビーチとすら思った。もちろん、私の主観ね。

この日、キャプテンが発表したプログラムは、「グランド・スール島でバーベキューをする」というもの。ヨットはグランド・スール島へ向かい、西側の海岸付近でアンカリングをして、私たちは島に上陸した。

島に上陸

島の西海岸には屋根付きのバーベキュースペースがある。キャプテン・レジスとコック・カルロスは「バーベキューの用意をしてるから、その間、遊んでて」と言う。島の反対側にもビーチがあるというのだ。言われた通りに島の反対側に向かって歩き始める。ビーチからビーチへは歩いて数分の距離だ。

ヤシの木の下の芝生は綺麗に刈られて、公園のよう。

芝生のあちらこちらにリクガメがいる。

ヤシの林を抜けたら、目の前はもうビーチだった。

!! あまりの美しさに息を呑んだ。

セイシェルで最も人気のあるビーチといえば、ラ・ディーグ島のアンス・ソース・ダルジェントかもしれない。アンス・ソース・ダルジェントの景観は文句なく美しいのだけれど、人気なだけにやはり人が多い。それとは対照的に、このグラン・スール島のビーチにはほとんど人がいない。このとき、この真っ白な海岸にいたのは私たちクルーズメンバーの8人だけ。

海の中から撮った写真。砂浜に座っているのはクルーズの仲間たち。

「楽園」とか「天国」とか、キッチュな言葉は使いたくない。でも、他に形容詞が見つからないほどの圧倒的な美しさ。もう二度とこんな景色は見られないかもしれない。今この瞬間を思い切り味わわなくては!

このグラン・スール島はプライベートアイランドで、許可なしには上陸できないが、クルーズ会社の方であらかじめ許可を取ってくれてあった。

しばらく海で泳いだらご飯の時間。再び島を横切って西海岸へ戻る。

お肉もお魚もよく焼けてる!

美味しくて、楽しくて。

野鳥を眺めながら食べるお昼ご飯は最高だ。これはベニノジコ(Madagascar Red Fody, Foudia madagascariensis)

セーシェルタイヨウチョウ (Seychelles sunbird, Cinnyris dussumieri)

夕方まで遊んだら、ゴムボートに乗ってヨットに戻る。この日も自然の美しさを心から楽しめた素晴らしい1日だった。

 

セイシェルでは大部分の時間を海の上で過ごしていたが、クルーズの半ばにプララン島に上陸し、ヴァレ・ド・メ自然保護区(Vallée de Mai Nature Reserve)を訪れた。広さ20ヘクタール弱のヴァレ・ド・メ自然保護区は天然のヤシの森がほぼ手付かずの状態で残る、世界最大の種を持つヤシの木、オオミヤシが生息することで知られる。


オオミヤシは実の驚異的な大きさ(平均15-20kg)だけでなく、その魅惑的な形状のために多くの伝説を生んで来た摩訶不思議な植物だ。オオミヤシは、セイシェルの島々が発見されるよりも以前から、その存在が知られていた。ときおり、インドやアフリカ、モルディブの海岸に流れ着く魅惑的な木の実が一体どこからやって来るのか、そしてそれはどんな木の実なのか、長い間、誰も本当のことを知らないまま、観賞の対照として、また薬効や魔力があると信じられ、多くの国で珍重された。セイシェルでオオミヤシがフランス語で「海のヤシ」を意味するココデメール(Coco de Mer)の名で呼ばれるのは、かつてオオミヤシは海の底に生えているのだと信じられていたことに由来するのかもしれない。ヨーロッパへは交易の旅から戻ったポルトガル人によって初めてもたらされたそうだ。学名がLodoicea maldivicaなのは当時モルディブでよく見つかっていたからだそう。

しかし、オオミヤシの木が自然に生育するのは、世界中でプララン島とキューリーズ島だけだ。他の場所でもオオミヤシを見ることはできるけれど、それらはすべて人の手で植えられたもので、育てるのが非常に難しいので成功例は多くない。ちなみに、ベルリン植物園の温室にもオオミヤシがある。

真ん中に割れ目があるオオミヤシの実

これまでに見つかったうち最大のものは42kgだという。両手で抱えてもずっしりと重くて、長いこと持っていられない。真ん中に割れ目のあるハート形が女性のお尻を連想させることから、セイシェルでは豊穣のシンボルとされる。

オオミヤシは雄雌異株、つまり雄花と雌花をそれぞれ別々の個体につける。雄株の花は長い鞘状をしていて、これまたまるで男性の生殖器を思わせる形状なのだ。人々にあらぬ想像を掻き立てたのも無理もない。オオミヤシのオスとメスは嵐の夜に巨大な葉をワサワサと揺らしながら結合すると言い伝えられて来た。しかし、それを実際に目撃したものはいない。なぜなら、目撃した者は呪われ、死ぬ運命だからだ。

葉も異様に大きい。生育に必要な水分と養分をたっぷりと集めることができる。

森でよく見るヤモリはオオミヤシの受粉係

オオミヤシの雌株

オオミヤシの成長はゆっくりで、雌株が実をつけるようになるまでには25〜40年もかかる。

現在、4000本ほどのオオミヤシの木が存在するが、外来種の侵入や違法な採取、森林火災などで減少が危惧されており、厳重に保護されている。1983年にヴァレ・ド・メ自然保護区はUNESCO世界遺産に登録された。オオミヤシの実の中にはゼリー状の果肉があるが、食べるのは絶対禁止。1980年代まではアーユルヴェーダの薬の原料として年間100個のオオミヤシがインドに輸出されていたが、現在は停止しており、販売許可されるオオミヤシの数は限定されている。1つ数万円するそうだ。

オオミヤシはセイシェルの人々にとってナショナルアイデンティティだ。観光客向けのお土産もオオミヤシの実を象ったものがたくさん売られている。ペンダントなどもあって、ちょっと惹かれたけれど、オオミヤシのことを知らない人が見たら、その形から何か勘違いされるかもと思ったので、買うのはやめておいた。

森にはオオミヤシの他に5種のヤシが生育する。

ジャックフルーツもたわわになっている。

ヴァレ・ド・メはクロオウムの最後の生息地の一つでもある。鳴き声はしていたけど、残念ながら姿を見ることはできなかった。

 

この記事の参考文献及びウェブサイト:

ガイドブックシリーズ Richtig Reisen、”Seychellen” (2010) Dumont Verlag

Robert Hofrichter “Naturführer Seychellen: Juwelen im Indischen Ozean” (2011) Tecklenborg Verlag

Seychelles Island Foundationのウェブサイト

 

 

セイシェルの主な産業は観光業と漁業である。同時に、セイシェルは自然保護に大きな力を入れている国でもある。美しい自然以外の観光名所はないので、自然環境を維持できなければ観光業も成り立たなくなってしまう。また、観光マーケティングでは「楽園」とか「秘境」「手付かずの自然」といった言葉が安易に使われがちだけれど、過去に深刻な環境破壊を経験して来たことではセイシェルも例外ではない。

「楽園」と形容されるセイシェルの自然だけど、、、

セイシェルという国の歴史は浅い。もともと人が住んでいなかった島々が1770年代から フランス、そして英国の植民地となり、シナモンやココナツ、タバコなどの大規模なプランテーション栽培がおこなわれた。20世紀初頭までにプランテーションはセイシェルの全域に広がり、自然林は広範囲に失われてしまった。人間が入って来たことで島に外来生物が導入され)、食糧として生き物が捕獲された。また、セイシェルのサンゴ礁には「グアノ」と呼ばれる海鳥の糞などが堆積し化石化したものが多くあったが、肥料になることから大々的に採集された。そして、20世紀後半に農薬が導入されたことによって、環境破壊は複合的な問題となった。

 

しかし、1970年代から80年代にかけて、プランテーション経営の採算が取れなくなったため、セイシェルは観光業へと大きく舵を取る。その結果、セイシェルは小さな国でありながら、環境の再生においては世界のトップレベルにあるという。現地の環境保護団体、NatureSeychelles と土地の所有者、政府が一丸となって、ラットの除去、島の再森林化、固有種の動物の再導入などに取り組み、成果を上げているのだ。絶滅の危機に瀕した種を保護することでツーリズムのポテンシャルが高まり、それがホテル所有者の環境保護努力を後押しすることになる。セイシェルはオーバーツーリズムにならないよう、観光客の数も制限している。

クザン島(Cousin Island)へは現地の自然保護センターの有料ツアーに参加することでしか上陸できない。保護センターからヨットまでセンターの人が小型ボートで送迎してくれる。

 

数々の取り組みのなかで、クザン島の野鳥保護活動はセイシェルの自然保護の看板ともいうべき大きな成功例である。1969年、絶滅の危機に瀕していたセイシェルの固有種セイシェルウグイス(Seychelles warbler) の最後の29羽を保護するため、野鳥保護団体International Counsil of Bird Conservation(現  BirdLife International)がクザン島を購入した。これがセイシェル初の生態系再生プロジェクトのきっかけとなった。自然保護の成功例を見に、クザン島へ行ってみよう!

ガイドさんと一緒に森へ入る。ガイドツアーは英語またはフランス語。

かつて、クザン島ではココナツの集約栽培が行われていたため、自然再生はココナツが無制限に増殖しないように木から落ちたココナツを拾い集めることから始まったという。努力の結果、海鳥が種を運んで来た固有種が再び繁殖するようになった。1975年、セイシェル政府は島を特殊保護区に指定した。1990年代初頭までには残っていたココナツ農園も概ね除去され、現在、島の植生は、その大部分が固有種となっている。幸い、クザン島にはラットが全く入って来なかったので、駆除のためにネコが導入されることもなかった。

 

野鳥の島だと聞いてはいたが、ガイドさんと一緒に歩いてみて、島の野鳥密度には驚くばかりである。狭い森の至るところに野鳥がいるのだ。

クロアジサシ(Brown Noddy, Anous stolidus)またはインドヒメクロアジサシ (Lesser Noddy, Anous tenuirostris)。島には両方いるが、色が微妙に違うだけなので、見分けがつかなかった。

シロアジサシ (White Tern, Gygis alba)。セイシェル空港のロゴにもなっているエレガントな鳥。巣は作らず、木の股に卵を1つだけ直接産む。

木の上で親を待つアジサシの幼鳥

セイシェルの野鳥保護のきっかけとなったセイシェルウグイス(Seychelles warbler, Acrocephalus sechellensis)。個体識別のための足輪をしている。

クザン島の鳥たちはまったく人を恐れる様子がない。ガイドさんにあらかじめ「鳥にストレスを与えないため、1メートル以内には近づかないでください」と言われたが、「え?たったの1メートル?」と耳を疑った。近過ぎでは?なるべく近づかず、望遠レンズで写真を撮った。

シラオネッタイチョウ (White-tailed tropicbird, Phaethon lepturus)。地面に卵を生む。長い尾をひらひらさせて飛ぶ姿はとても優雅だ。

シラオネッタイチョウの幼鳥

少し大きくなった子ども

セーシェルシキチョウ (Seychelles magpie robin, Copsychus sechellarum)。かつてはセイシェルの花崗岩の島にはどこにでもいたが、地面でしか食べない鳥なので、ネコが入って来てから激減してしまった。クザン島に再導入され、繁殖している。

森の中で見た石壁。ココナツのプランテーション栽培をしていた頃の名残で、リクガメによってココヤシが傷つけられるのを防ぐために作られたものだそう。リクガメについては改めて記事にする。

クザン島は野鳥だけでなく、トカゲやヤモリの生息密度も世界トップクラスだ。

Seychelles Skink(Seychellen-Mabuye)という、セイシェルでよく見るトカゲ

こちらはより珍しいWright´s skink(Trachylepis wrightii)。一回り大きい。ラットのいない4つの島にしか生息していない。

ヒルヤモリの1種。似ているのが複数いるので学名はわからない。

セイシェルブロンズゲッコー(Seychelles Bronze-eye gecko, Ailuronyx seychellensis)

さらに、クザン島はインド洋における最も重要なタイマイ(hawksbill turtles, Eretmochelys imbricata)の繁殖地の一つだ。年間30-100個体のタイマイが浜辺に産卵にやって来る。世界の他の場所ではタイマイは夜間に産卵するが、クザン島では昼間も産卵の様子が見られるという。

島ではタイマイの産卵のモニタリングがおこなわれている。

クザン島では生態系保全のブートキャンプをやっていて、世界から参加者を募っている。1回につき6名限定の小規模なキャンプだ。こんな場所で野鳥やタイマイのモニタリングができたら楽しいだろうなあ。
クザン島には是非行きたいと思っていたので、今回、行くことができて本当によかった。

 

この記事の参考文献・サイト:
Adrian Sekret & Ian Bullock  “Birds of Seychelles” (2001) Princeton University Press
Robert Hofrichter “Naturführer Seychellen: Juwelen im Indischen Ozean” (2011) Tecklenborg Verlag

いつからか、野生の生き物を観察することが大きな趣味の一つとなっている。自宅の庭や周辺でバードウォッチングをするほか、アニマルトラッキングや野生動物のモニタリングボランティアなどもしている。しかし、私の住んでいるドイツは国の北側にしか海がなく、北海やバルト海は夏でも水が冷たくて泳ぐのにはあまり適していない。だから、トロピカルな海に飢えているところがある。

そんなわけで、セイシェルではシュノーケルで海の生き物を見ることをとても楽しみにしていた。10日間のクルーズ中、毎日数時間シュノーケルをすることができたので、とても満足だ。セイシェルの内部諸島の多くはこちらの記事に書いたように、花崗岩の島だが、その周囲をサンゴ礁が囲んでいるので、シュノーケルスポットは豊富にある。たくさんのシュノーケルスポットに連れて行ってもらったうち、特に気に入った場所は、サン・ピエール島の周辺。その他、マエー島近くのサンタンヌ海洋公園(Sainte Anne Marine National Park)のサンタンヌ島とモワイヨンヌ島の間のコーラルリーフもとても良い。

サン•ピエール島。この島は花崗岩ではなく、海の生物の死骸が堆積してできた石灰岩でできた小さな無人島だ。

たとえばどんな生き物が見られるのか、GoProで撮った動画をいくつか貼っておこう。

イカの群れ。

シマハギ、パウダーブルーサージョンフィッシュ、ニシキブダイなど。

サンゴ礁は世界の海全体の1%に満たないが、海の生き物の25%がサンゴ礁に生息するとされている。セイシェルのサンゴ礁はおよそ300種のサンゴが形成し、魚は400種ほどだという。ただ、セイシェルの海でもやはり気候変動によるサンゴの白化現象はかなり進んでいるように見えた。サンゴには浅い海に分布する造礁サンゴと深い海に分布する宝石サンゴがある。シュノーケルで見えるのは造礁サンゴで、本来は褐色系の地味な色をしているものが多い。それは、サンゴは共生する褐虫藻が光合成によって作る栄養分に依存して生きているから。ところが、海水の温度が上がると褐虫藻が抜け出し、サンゴが餓死してしまう。つまり、白くなったサンゴは死んでいる。それでもかなりいろいろな魚を見ることができたけれど、本当に残念で、心配だ。

たぶん、ニセタカサゴの群れ。

スズメダイやマツカサの群れ。

ツバメウオ、スナブノーズポンパノなど。

マダラトビエイ。

ナンヨウブダイかな。

過去にシュノーケルをしたときには水中動画や写真は撮らなかったので、水中にいるときには感動しても、時間が経つと何を見たのだったかすぐに忘れてしまった。今回はこうして記録できたので、図鑑を見ながら種の同定を試みている。まったく知識がないので、図鑑を見てもあまりに種類が多くて、最初のうちはなかなか同じ魚を見つけられなかったけれど、しばらく取り組んでいたら少しづつ大まかなグループが把握できるようになって来てとても楽しい。また、水の中で見ているときには1つの種だと思っていた魚が実は微妙に異なる3〜4種だということがわかったりして面白い。地味な魚は同定が難しいけれど、ブダイやベラなどの派手なものは調べやすい。でも、ブダイだけでもすごくたくさんの種類があるんだなと驚く。未知の世界に足を踏み入れてしまった。

サザナミヤッコの幼魚

これは何ブダイ?

ミヤコテングハギ

ニシキブダイ

チェッカーボードベラ

トゲチョウチョウウオ、キガシラチョウチョウウオ

これまでに見分けることができたのは50種ちょっと。写真を撮れなかったものや、不鮮明でよくわからないものも多いので、ざっと70種くらいは見ることができたかな。

シュノーケルは本当に楽しい。お魚の種類を調べるのも楽しい。これで、ハマることがまた一つ増えてしまったのだった。

 

この記事の参考文献:

Mason-Parker & Walton “Underwater Guide to Seychelles” (2020) John Beaufoy Publishing Limited.

山城秀之 「サンゴ 知られざる世界」(2016) 成山堂書店

前回の記事で、ヨットの上で釣りをしたことについて触れた。今回はクルージング中の釣りと料理についての記録である。

クルージング中は3食ともヨットの上でコックさんが調理してくれたものを食べる。実は、出発前には私はあまり食事に期待していなかった。というのも、今までいろんな国を旅して来たが、食文化の発達している国もあればそうでもない国もあった。過剰に期待するとガッカリすることがあるので、「美味しければラッキー」ぐらいのつもりでいることにしているのだ。

今回は小さな船なので食材をそんなに積み込めるわけではないし、キッチン設備も限られている。そんなにすごい料理が出てくるはずはないだろうと踏んでいた。

ところが、である。

釣り糸を海の中に垂らして移動したら、初日からじゃんじゃん魚が釣れる。

どんどん釣れるカツオ

予約したクルーズの内容には釣りは特に含まれていなかった。「少しでも楽しんでもらえるように」とキャプテンが自前の釣竿や釣り糸を持参して、アクティビティに加えてくれたのだ。これにはみんな大喜び!釣りとは言っても、勝手に引っかかる魚を順番に引き揚げるだけなのだけれど、2チームに分かれて、どちらのチームがたくさん釣るかを競い合ったら、ものすごく盛り上がった。

私が引き上げる番になった。一生懸命引っ張るが、すごく重い。

キャプテンが引き揚げるのを手伝ってくれた。なんと、私と同じくらいの身長のキングフィッシュだった!

これは、ジョブフィッシュというお魚。これもよく釣れた。

 

夫が釣ったキハダマグロ

 

すごく大きいのがかかった!

バラクーダ

釣ったお魚はコックさんが調理してくれる。新鮮なお魚だよ、わーい!

鱗取り

毎日毎日、お魚三昧。コック・カルロスによるお魚料理のバラエティは驚愕ものだった。お刺身だけでも、お醤油とライムで、サフランソースで、マスタードソースで、またはパッションフルーツをかけてなど、いろんな食べ方がある。火を使った魚料理はムニエル、オーブン焼き、バーベキュー、カレー、炒め物、グラタン、魚ピッツァなど、とにかく飽きさせない。

カツオのお刺身パッションフルーツがけ

セビーチェ

ムニエルみたいな料理

サフラン風味のオーブン焼き

バーベキュー

お刺身のマスタードソースがけ

手前のお皿はお魚と野菜の中華風炒め

蒸したジョブフィッシュとカツオのカレー

お魚グリルのサフランソース添え

真ん中はキハダマグロのお刺身オリーブオイルかけ

蒸したジョブフィッシュ、オレンジ風味

手前はジョブフィッシュのクリームソース

船の上の小さなキッチンで作り出される美味しい料理の数々には本当にびっくり。献立はあらかじめきっちり決まっていたわけではないようだ。初日に「ベジタリアンの方、食物アレルギーのある方はいますか?」と聞かれた。私たちの中にはベジタリアンの人も重大なアレルギーを持つ人はいなかった。もし、いたら対応してくれていたのだと思う。冷凍庫にはお肉が入っていて、もし私たちが「また魚か」という反応をすれば、お肉中心のメニューになっただろう。皆がお魚を美味しい、美味しいと言って大喜びで食べるので、コックさんは張り切って連日、お魚料理を作ってくれたのだ。メインの食材がその日釣れたお魚なので、安上がりの食事である。でもそれが逆に大変な贅沢で、食事にそれほど期待していなかっただけに、喜びが大きかった。

お魚料理以外の料理もどれも美味しく、毎日出たサラダもバラエティに飛んでいた。一般的なグリーンサラダやポテトサラダのほかに、トロピカルフルーツや野菜を使ったサラダなど、食べたことのないクリエイティブなものが多くて、食事のたびに今度は何が出てくるかなと楽しみなのだった。

ヨットに積み込まれた野菜や果物

なんだかもう、これらの食事だけでクルーズ費用の元が取れたという気がする。もし、ホテル滞在にしていたら、毎日どこかレストランで食事することになり、その都度お金がかかっていただろうと思うと、かなり得した気分である。

前記事ではセイシェルの地理と地形についてまとめた。今回は10泊11日のクルージング中、どのように過ごしていたのかについて書き留めておこう。

初日はお昼頃、マエー島のエデンアイランドのマリーナからヨットに乗り込んだ。エデンアイランドは、2006年、首都ヴィクトリアから3kmのところに作られた人工島である。アパートメントやレストラン、ショッピングモールなどがあり、東京で言えばお台場のようなところだが、もっと規模が小さく、高層ビルなどはない。私には特別面白い場所には思えなかったけれど、マリーナがあるのでボートを所有している人が住むのに適しているのだろう。

乗船する際、余裕がなくてヨットの外観写真を撮り忘れてしまった。乗ったヨットは60フィートのカタマランヨットということだが、カタマランに乗るのは初めてなので、良いヨットか、それとも良くないヨットかと聞かれてもわからない。新しくはないが古さも特に感じないという感じ。実際に乗ってみて、ホテルに比べれば快適度は劣るけれど、私はもともと宿にあまりこだわらないので、まずまず満足かな。

当然ながら、クルージング中は1日の大半、ヨットの上にいるわけである。幸い、お天気に恵まれたので、ほぼいつもデッキで過ごしていた。

食事は3食ともデッキで乗客みんなで一緒に食べる。

室内にもソファーやテーブルがあるが、備品置き場になっていて、また、クルーがここで休むこともあり、私たち乗客はこのスペースは全然使わなかった。

キッチン。窓際に湯沸とトースターと炊飯器が置いてある。

キッチンの前の階段を降りるとキャビンがある。

キャビンには広さ5m2と6m2の2種類あり、うちは夫が高身長なので、広い方にした。クルーズ中は夜はヨットをアンカリングして寝るので、ホテルのようにお掃除の人が部屋を掃除してくれるわけではない。一度だけ、クルーズの半ばにマリーナに寄港した際に、清掃スタッフが入ってタオルやシーツを交換してくれた。それ以外はなるべく汚さないように気をつけて使った。それぞれのキャビンには専用のトイレ・洗面所がついているが、トイレは同時にシャワー室でもあり、シャワーを浴びる際にはシンクのホース付き蛇口を引っ張り出して壁にかけて使う。つまり、トイレの床や壁は常に濡れているし、洗面所の鏡もいつも曇っている。トイレットペーパーが湿らないように気をつけなくてはならない。

ヨットクルージングの宣伝にはよく「豪華」とか「ラグジュアリー」などの枕詞が使われるけれど、別に豪華でもラグジュアリーでもなく、むしろキャンプに近いなと思った。小綺麗な服装のシニアの男女がデッキでシャンパングラスを傾けていたりする広告写真を見るけれど、あれはあくまでイメージであって、実際には全然違うのであった。だって、朝から晩まで海に入ったり出たりしているのだから、髪の毛は常に濡れていて、当然すっぴんだし、服装は水着の上に1枚羽織っただけ。そして船の上では常に裸足である。お洒落からは程遠いのだ。激しく日焼けもするし、美容を重視する人には勧められないかも。

でも、ヨットの上で過ごす時間はとても楽しく、退屈することがなかった。毎朝、8時に朝食を取った後、次のアンカリングポイントへ移動するのだが、その途中にシュノーケルポイントや美しいビーチに寄って泳ぐ。ヨットにはカヤックも積んであるので、カヤックを漕いで遊ぶこともできる。

海に入らなかったとしても、景色を見ているだけでも楽しい。時々、海面に生き物の姿を見つけて、「カメだ!」「サメだ!」「イルカだ!」とみんなで大喜びした。

ウミガメはほぼ毎日、目にした

ある朝起きてデッキに上がったら、繁殖行動中のイルカのカップルを目にして感動。

イルカはヨットのギリギリ側まで来ることもある。

うまく写真が撮れなかったけれど、これはジンベイザメ。

 

そして、これは太字で強調したいポイントなのだが、移動中の大きな楽しみは海釣りである!! 予約したツアーのプログラムには釣りをするとは書いていなかったが、キャプテンの計らいで釣り糸をずっと垂らしながら移動した。お魚がじゃんじゃん連れて、予期せぬおまけに大興奮。

カツオを釣るキャプテン

釣りと釣ったお魚の料理については書くことがたくさんあるので、次の記事で。

 

夕方は暗くなる前にアンカリングする。デッキの上から太陽が沈むのを眺めるひとときは素晴らしい。

雲のないに日は、暗くなってからデッキに立って星空を眺めるのも楽しい。インターネットに接続しないで過ごす時間は思いのほか、気持ちがよかった。自然を体で感じ、今ここにいることを味わうのに集中できる。たまにはネットから離れるのもいいなと感じながら過ごしていた。

 

 

 

クルーズについて書く前に、セイシェルの島の成り立ちについてまとめておこう。

旅行会社のパンフレットだったか、それとも雑誌で見たのかは覚えていない。数十年以上前に白い砂浜の海岸を巨石が縁取るセイシェルの美しくも特異な風景を初めて見たとき、こんな景色がこの世にあるのかと信じられない思いだった。こんな場所へいつか行ってみたい。でも、セイシェルはあまりに遠くて現実感がなく、ずっと夢物語だった。

それが実際に行く気になったのは、セイシェルの島々は「ゴンドワナ大陸のかけら」だということをどこかで目にしたからかもしれない。ゴンドワナ大陸のかけら?それは、どういうことだろう?

グラン・スール島の海岸

去年の夏休暇にはイタリアのエオリエ諸島に行った。シチリア島の北にあるエオリエ諸島は海底火山の活動によって生まれた火山弧である。一番大きなリーパリ島の海岸にはマグマ由来の艶やかな黒曜石が転がっていた。パナレーア島付近では海底から水面へブクブクと火山ガスが吹き上がり、ストロンボリ島では火山がひっきりなしに火を吹いていた。(→ エオリエ諸島への旅レポートはこちら

同じ島でも、インド洋セイシェルの島々には火山はない。セイシェルの島々に特徴的な丸みを帯びたグレーの岩は、およそ5億5000年前、南半球に存在したゴンドワナ大陸を形成した花崗岩だ。2億年前にゴンドワナ大陸は分裂を始め、現在のアフリカ大陸、南アメリカ大陸、インド亜大陸、オーストラリア大陸、南極大陸の原形ができた。分離したそれらの大陸は、長い時間をかけて互いに離れていき、インド洋が誕生した。そして、インド洋には大陸のかけらがいくつか、島となって残った。大きなかけらはスリランカやマダガスカルになった。セイシェルの島々はうんと小さなかけらだ。こう書いていたら、大きなクッキーが目に浮かんだ。1枚の大きなクッキーをいくつかのピースに割ったとき、割れ目からこぼれ落ちたクッキーのくず。セイシェルはそんな場所だと言っても構わないだろうか。

 

 

「かけら」とはいっても地球スケールでの話。ラ・ディーグ島の巨大な岩

同じくラ・ディーグ島の南西に見られる花崗岩の巨石、Giant Union Rock。太古の大陸が剥き出しになっているのを見るのは不思議な気がする。

ラ・ディーグ島の大人気ビーチ、アンス・ソース・ダルジェント(Anse Source d´Argent)

セイシェルは115の島から成り立っているが、そのうち、継続的に人が住んでいるのはマエー島、プララン島、シルエット島、そしてラ・ディーグ島の4島だけ。10万人弱のセイシェル全国民の大部分が首都のあるマエー島に住んでいる。人が住める陸地の総面積はわずか455㎢。領海は39万㎢と広大だけれど、陸地だけで考えればとても小さな島国で、首都のヴィクトリアも都市というよりも村に近い規模である。

 

先にセイシェルは花崗岩でできた島だと書いたけれど、実はこれは厳密には正しくない。

セイシェルはマエー島を中心とする内部諸島(Inner islands)と、その南西に広がる外部諸島(Outer islands)から成り立っている。花崗岩でできている島は内部諸島のうちの10ほどで、外部諸島はサンゴ礁の島だ。そのほかに石灰岩の島もある。つまり、セイシェルの島の成り立ちはいろいろなのだけれど、花崗岩の島が観光立国セイシェルのイメージとなっているのだ。景観が最も「セイシェルらしい」とされるのはラ・ディーグ島で、ガイドブックの表紙やポスターの写真のほとんどはラ・ディーグ島で撮影されているとのことである。

マエー島の山の中腹からの眺め

一番大きなマエー島は山がちで緑に覆われ、てっぺん付近以外では岩はそれほど見えない。山は険しく、平らな土地は海岸付近のみ。土の層が薄いので斜面に家を建てるのはあまり安全とは言えないらしい。

岩が見えている部分

2004年のスマトラ沖地震の際に発生した津波はマエー島の東海岸にも到達した。幸い、津波そのものはそれほど大きな被害をもたらさずに済んだとのことだが、その直後に激しい雨が降り、土砂崩れで多くの建物が崩壊したらしい。そのため、なるべく平らなところに人が住むようにと、マエー島の東側には埋め立て地がいくつも作られている。

ヴィクトリアを見下ろす

向こうに見える赤い屋根の建物が並ぶ島は、ヨットハーバーのあるエデンアイランド

風車と太陽光パネルが設置された埋立地が見える

 

さて、今回のヨットクルーズの主な目的は「海の生き物を見ること」である。毎日スノーケリングをするつもりなので、どれだけたくさんの海の生き物が見られるか、楽しみだ。でも、セイシェルの面白さはもちろん海だけにあるわけではない。陸の生態系もまた、興味深い。というのも、セイシェルはアフリカ大陸から1600kmも離れているので、ゴンドワナ大陸の分裂後にアフリカで繁栄した陸上哺乳類が上陸することがなく、後に人間によってもたらされたネズミや犬猫以外に哺乳類がほとんどいないのだ。その一方で、孤立した地理条件のもとでセイシェル固有の動植物が進化した。そうしたセイシェル特有の生態系やその保護の状況についても知りたい。

 

この記事の参考文献:
ガイドブックシリーズ Richtig Reisen、”Seychellen” (2010) Dumont Verlag
Robert Hofrichter  “Seychellen: Juwelen im Indischen Ozean. Naturführer  (2011) Tecklenborg Verlag