今年初めて庭のナラの木に赤外線カメラを取り付けた鳥の巣箱を設置したところ、シジュウカラのメスが巣作りをした。シーちゃんと名付けたその雌鶏が育児をする様子をカメラの映像を通してハラハラドキドキと見守り、「シジュウカラの育児観察記録」としてこのブログに連載したが、5月23日、寒空の中、ヒナたちは無事に巣立った。それを見届け、私のシジュウカラの観察は(一旦)幕を閉じたのだった。

コロナウイルスによる外出制限下、6週間にわたって毎日なんどもなんども巣箱を覗いていたので、いつの間にかシジュウカラのシーちゃんとそのダンナ、子どもたちは私にとってすっかり大きな存在になっていたようだ。ああ、とうとう行ってしまったか。嬉しいけど、寂しい、、、。空の巣を覗いてはしんみりする私。いつの日かまた戻って来ることもあろうかと、掃除した巣箱をふたたびナラの木に設置した。

4日後。

「もういないとわかってはいるけど、つい巣箱を覗きたくなるんだよね」と苦笑しつつ、アプリを開いた。すると、どうでしょう!

“Hallo. Ich bin wieder da!” (帰って来たよ〜ん)。なんと、シーちゃんがカメラに向かって微笑んでいるではないか!

え、え、え!?もう戻って来た?しかも、なんですか、周りにあるその素材は?もしかして、また巣作りするの?

慌てて調べたら、シジュウカラは1年に2度、3度と営巣をするのが珍しくないらしい。いや、でも、子ども達もまだまだ手がかかろうに、たった3日の育休でもう次の子を産む準備って、すごくない?シーちゃん、体力ありすぎである。

ということで、どうやらふたたび営巣を観察させて頂けるようだ。びっくりするやら嬉しいやらで笑いが止まらない。

一度営巣から巣立ちまでを一通り観察しているので、プロセスはこちらも把握している。今回は前回ほど興奮せずに落ち着いて見守ることができそうだと思ったのだが、2度目でシーちゃんも慣れているからだろうか、今回はスピードがやたらと速い。

前回は営巣に10日ほどかけていたのに、今回はちゃちゃちゃっと手際よくやって、営巣開始から2日目にはもうほぼ完成したのか、すでに巣箱の中で寝ている。はやっ!!

わっ、もう産んだっ。営巣開始からわずか3日目である。

それからはマニュアル通り、毎朝1個づつ卵を産んだが、全部産み終わってから温めモードに入った前回と異なり、今回は温めながら産み足していく方針らしい。

おなじみの抱卵姿

今回は全部で7個。前回よりも2つ少ないが、前回は9つのうち1つ孵らなかったのがあったし、孵ったヒナのうち2羽が巣立ち前に死んでしまったので、今回は少なめでむしろほっとする気分。卵までスピード孵化ということはさすがになさそうだから、ヒナが生まれるのは6/20くらいかな。

ところで、前回巣立ったヒナ達は大きくなって、元気に庭を飛び回っている。巣立ち直後のようにぽけーとはしていないので、近寄って写真を撮るのは難しくなった。どれがマルちゃんでどれがチビちゃんなのかはもう識別できないが、今朝数えたら全員いることが確認できた。池に落ちてしまって大騒動を起こしたチビちゃんも無事で良かった。

あと1ヶ月もすれば第二期生たちが加わって、我が家の庭はいっそう賑やかになるだろう。楽しみだなあ。

5月19日

ヒナ達が日に日に成長するのを見るのはとても嬉しいが、気になることがあった。それは、ヒナ同士の間の個体差もまたどんどん大きくなるということだ。シーちゃんやダンナが巣箱に入って来ると、元気のいい子は勢いよく飛びついて餌をもらう。だから、どんどん大きくなる。その逆に、おとなしい子はなかなか食べ物にありつけないので、小さいままだ。巣箱の中が狭くなるにつれ、ヒナ達は重なり合うようになった。すると、どうしても小さい子が大きい子の下敷きになってしまう。

お相撲さんのように丸々太った一番大きい子(マルちゃんと名付けた)が一番上になっていることが多い。写真の丸で囲んだ小さい子は潰れてしまいそう。全部で8羽いるはずなので、他にも下になっている子がいる。心配だ。

5月20日

危惧していたことが起こってしまった。昨夜、大きい子達の下敷きになっていた小さい子が昨夜と同じポジションのまま、微動だにしない。シーちゃんが餌を持って来て他の子達が一斉にわっと動いても反応しない。どうやら死んでしまったようだ。よくあることなのかもしれないが、とても悲しい。8羽揃って巣立つところを見たかったのに。ヒナは7羽になった。

気を取り直して観察を続ける。シーちゃんとシーちゃんのダンナはますます忙しそうだ。よくもあんなにひっきりなしに餌を運んで来られるものだと感心する。自分が食べる暇はあるのだろうか。

シーちゃんが餌を運び入れるところ

5月21日

青空の広がる爽やかな朝。シーちゃんとダンナは高らかに鳴いている。そして、巣箱に出たり入ったり出たり入ったり、ほとんど分刻みだ。今日あたり、ヒナ達が巣立つのかもしれない。

しかし、巣の中をよく見ると、また1羽が死んでしまっていた。小さい方から2番目の子だ。辛い、、、。でも、中くらいの大きさだった子達がその分、一回り大きくなっているのがわかる。

この6羽は元気に巣立ってくれるだろう。左手前がマルちゃん。「ヂヂヂヂヂ、ヂヂヂヂヂ」と大声で鳴いて、バタバタ羽ばたいている子もいる。まるで、運動会の朝のよう。いよいよか?今日はいろいろPC作業をしなければならないけど、巣立ちの瞬間を見逃したくないから、庭でやることにしよう。巣箱の見える場所にテーブルと椅子を出した。これで準備は万端だ。ワクワクしながら待つ。

しかし、日よけのパラソルが目立ち過ぎて警戒されているのか、いくら待ってもヒナ達は出てこない。私は巣箱が気になって、作業がちっとも捗らない。そうこうしているうちに日が暮れた。あ〜、残念。

シーちゃんが巣箱に戻って来た。もう添い寝も限界だね。マルちゃん(左上)が巨大!

5月22日

朝起きて巣箱を見ると、昨夜6羽いたヒナが5羽になっている。また1羽死んでしまったのか?とゾッとしたが、よく見ると、いないのはマルちゃんだ。一番体の大きいマルちゃんが死んだということはまず考えられないし、それらしき死骸も見当たらない。きっと、先頭を切って外に飛び出していったのだろう。マルちゃんの巣立ちを見られなかったのは残念だ。

他のヒナ達が巣箱を出るのを今か今かと待っていたが、なかなか飛び出す気配がない。お昼頃、ようやく1羽が巣穴から顔を出したが、ちょっと迷ってまた引っ込んでしまった。そうこうしているうちに夜になり、寝る時間に。しかし、シーちゃんは巣箱に現れず、子ども達だけで寝ている。もう添い寝は不要とシーちゃんは判断したのだろうか。それとも、先に巣を出たマルちゃんに付き添っていなければならないからだろうか。その辺はよくわからないが、シーちゃんもマルちゃんもいないので、巣箱の中は再びスペースにゆとりができて、5羽は今夜はゆっくり寝られているようである。

5月23日

日曜日だけど、朝5時半に目が覚めた。巣箱アプリを開けると、1羽が巣穴に向かって羽ばたいているのが見えた。慌ててカメラを手に取り、パジャマのまま庭に出た。空は曇っていて、肌寒い。スマホの画面を見つつ、巣穴に向かって望遠レンズを向けていたら、ついに1羽が穴から顔をのぞかせた。が、飛ぶのはやっぱり怖いみたい。すると、シーちゃんが餌を口にくわえて巣穴まで迎えに行った。

餌で巣立ちを誘導

シーちゃんに誘導されて、5羽のうち3羽はわりと楽に飛び立つことができた。でも、4羽目の子が臆病で、なっかなか出られない。顔を出しては引っ込むのを繰り返すこと約2時間。ようやく飛んだ。

そして、最後の子。この子も慎重派のようだ。

時間かかったけれど、飛ぶときは一瞬だね。さあこれで、マルちゃんを含めて6羽のヒナが無事、飛び立った!バンザーイ!!

飛び出したヒナ達は近くの枝に止まった。

かーわいい

頭が毛羽立ってる。かーわいい

初めて見る外の世界にお目目をパチクリ。めちゃくちゃかわいいー

かわいすぎー

1羽はバーベキュー用の窯の上に降り立ったはいいが、そこからどうしていいかわからず、「おかあさーん!」とシーちゃんを呼んでいる。

外の世界は危険がいっぱい。まだしばらくは親の保護が必要なようだ。もう少しの間、みんなでうちの庭にとどまってくれるだろうか。

と、ほのぼのしていたら、早速、とんでもないことが起きた。1羽が池のそばの茂みの中に入り込んで出られなくなっている。体の小さい子だ。早くシーちゃん、気づいてくれないかなと思っていたら、あろうことに、その子は自力で出ようとして羽ばたいて失敗し、池の淵に落ちてしまった!!池の淵は泥と藻でぬかるんでいる。まずい!助けてやらなければと思った瞬間、その子は再び羽ばたいた。

ボチャン!

水音がした。もしかして池に落ちた?慌てて水面を見るが、どこにいるのかわからない。池の淵の茂みの中も探ったが、ヒナは見当たらない。どうしよう!あんなに勇気を出して巣箱から飛んだばかりなのに、もう死んでしまうなんて、そんなの辛すぎる。ああ、なんてこと。幸せな気持ちが一気に黒雲に覆われてしまった。

ヒナ達がある程度大きくなってもシーちゃんが巣立ちに慎重だった理由が理解できた。生存率を高めるためにはヒナ達に可能な限り体力をつけさせることが重要なのだ。だからギリギリまであんなに一生懸命、食べさせてやっていたのだね。

そう考えながらもう一度池に目をやった。すると、、、、小さなヒナが水に落ちたと思われる場所から2メートルほど離れた池の淵で、ヒナが羽をバタバタさせてぬかるみの中を必死にもがいている。「いた!!」と大声で叫んで夫を呼び、二人で救助を開始。棒のついた網でヒナをぬかるみからすくい出した。全身ぐっしょりと濡れている。これでは飛べない。人間が生き物の世界にむやみに介入するのは良くないだろうけれど、寒い日で、自然に羽が乾くのを待っていたら、体温が下がってそのまま死んでしまうかもしれない。シーちゃんがあんなに頑張って育てた子をみすみす死なせたくない。

夫が家の中からドライヤーを持って来たので、庭のコンセントに繋ぎ、弱風を遠くから静かに当てて、羽を乾かした。チビちゃんはしばらくの間、目をつぶってじっとしていたが、温るにつれて次第に元気を回復した。兄弟ヒナ達の「ヂヂヂヂヂ」という鳴き声がよく聞こえる場所にそっと置いたら、そのうち目を開けて辺りを見回しながら、「ヂヂヂヂヂ」と鳴き出したので、シーちゃんが迎えに来やすいように私たちはその場を離れた。

1時間ほど経ってから様子を見にいってみると、チビちゃんはもういなかった。幸い、他の動物に襲われた形跡もない。無事に家族と合流できただろうか。あんな小さな体で、外界に出た早々に大変な目に遭って、それでも生きる気力を失わずにがんばったチビちゃん。どうか無事に生き延びて欲しい。

さて、我が家のシジュウカラの育児観察もこれでおしまいだ。約1ヶ月半の間、ハラハラする瞬間や悲しいこともあったけれど、シーちゃん夫婦の子育ての一部始終を見せてもらって、とても楽しかった。ヒナの成長のスピードにも驚いたが、なによりも感動したのはシーちゃんのノンストップの献身ぶりだった。私にも育児経験があるから、「ふふふ。鳥の育児も人間の育児も変わらないね」と共感するシーンも多々あったけど、あんなにたくさんの子どもを同時に育てるなんて、私にはとても無理だ。かなわない。シーちゃん、あなたは本当に立派な母親です。

シーちゃんのダンナも褒めてやらなければ。最初はちょっと頼りなそうに見えたけど、子どもが生まれてからは奮闘していた。最後まで名前もつけずに悪かったね。

空になった巣箱は掃除して、またもとの場所に取り付けておいた。また来てね、新しい命を育に。

ヒナたちは、だんだんシジュウカラらしい姿になって来た。巣立ちの日が近いのかもしれない。その日に備え、巣箱の出入り口を観察するための第二カメラを設置した。

第一カメラは残念ながらピントが合っていなくて画像が不鮮明になってしまった。でも、第二カメラの映像はばっちり。これならうまく巣立ちの場面を捉えることができそうだ。

これでこちらの準備は整った。あとはヒナたち自身の準備ができるまで待つのみである。しかし、このタイミングで悲しい事実に気づいてしまう。シーちゃんが産んだ卵は全部9つあったが、何度ヒナの数を数えても8羽しかいない。動きが激しいので、9羽目は他のヒナたちに隠れて見えないだけでありますようにと祈っていたのだが、そうではないことが判明してしまった。

巣の底に卵が1つ残っているのを発見。そうか、、、。最後の卵は孵らなかったんだね。9羽のヒナが飛び立つところを見たかったのに、残念。でも、8羽も元気に育っているのだから、比較的うまくいった方なのかもしれない。

5月17日。最初のヒナが孵ってから2週間。

大きくなったヒナ達は巣の窪みにはもう収まらない。シーちゃんが羽を広げて一生懸命、全員を覆うのだが、子どもたちは動きが激しくてすぐにはみ出してしまう。

何度も体勢を変えてモゾモゾする我が子らを覆っても覆っても、またすぐにはみ出す。疲れ切って、こっくりこっくりするシーちゃん。

しばらくしてモニターを覗き込んだら、一番大きい子はすっかり窪みの外に出てしまっていた。まるで、子どもがなかなか寝つかないので母親の方が寝落ちしてしまい、ハッと気づいたら子どもはお布団から出て遊んでいた、、、という図のようで、思わず笑ってしまった。人間の子どもの寝かしつけも、鳥の子どもの寝かしつけも、あまり変わりないのね。いやはやお疲れ様です。

それにしても、大きな子はシーちゃんともうほとんどサイズが変わらない。こうなるともう巣箱の中で添い寝は難しいね。

5月18日。ヒナたちの様子に明らかな変化が見られた。

外の様子に聞き耳を立てている。お母さんと食べ物だけでなく、外界を意識するようになったのだ。

声も急に大きくなったし、羽ばたくような仕草をしたり、羽をつくろったり、いよいよ巣立ちか!?

8羽のヒナたちは随分大きさが違う。巨体の子もいれば、その半分くらいしかなさそうな子もいる。みんな同時に巣立てるのだろうか。

前回から1週間が経った。ヒナたちはすくすくと成長している。

5/7の巣の様子

ひっきりなしにお腹を空かせ、食べ物をもらう赤ちゃんたち。夜はシーちゃんが彼らを覆うように巣に座って寝るが、ヒナたちは寝相が悪い。下からグイグイと押し上げられて、寝ているシーちゃんの体がまるで船のように上下する。昼間はずっと赤ちゃんの世話に追われ、夜は夜で安眠できないのだから大変だなあ。自分の育児時代を思い出してしまう、、、。

5/10の巣の様子

生後6日目のヒナは頭部を中心にうっすらと黒ずんでいる。羽毛が生えて来たんだね。でも、実は悲しいことに、ヒナたちの数をいつ数えても8羽しかいない。卵は9つだったのに。下に隠れているのではないかと何度も目を凝らすが、一度に9羽を確認できたことがない。もしかしたら、最後まで孵らなかった卵はダメになってしまったのかもしれない、、、。そうだったらとても残念だ。でも、8羽は順調に大きくなっている。

5/12の巣の様子

子どもたちの成長に合わせて、シーちゃんは巣の窪み周りの毛や羽を内側に向かって引っ張り、子どもたちが冷たい空気に晒されないようにしていた。まるで、夜中に子どもにそっと布団をかけてやる人間の親のようで、見ていてほろりとする。しかし、生後9日目ともなると、子どもたちはお母さんのお腹の下にはもう治らず、窪みからすっかりはみ出してしまうのだった。

おや?左の子はもう羽ができている!それに、みんなクチバシが尖って来たね。頭はシジュウカラらしく、すっかり黒くなった。

5/14日。面白い場面に遭遇。

シーちゃんが赤ちゃんのお尻をきれいにしている。そういえば、巣箱の中がフンだらけになったらどうするのだろうと思っていたのだが、どうやら排泄物はこのようにヒナのお尻から直接取って巣箱の外に出しているようだ。

それにしてもグングン大きくなる。立ち上がらんばかりの勢いで食べ物を求めている。特に右下の子のすごいこと!首を長くして待つとはこのことだ。

いよいよ卵からヒナが孵り始めた。5月4日に孵ったのは3羽だけだが、ついにシーちゃんのダンナも巣箱に姿を現し、夫婦でてんてこ舞いである。

さて、翌日の5月5日。朝5:30頃に巣箱を除いたら、シーちゃんはまだ眠っていたが、周辺に割れた卵の殻が散乱していた。

ということは、夜中にまたヒナが孵った?

私が朝の散歩に出かけて家に戻ったら、巣箱にシーちゃんの姿はなかった。ヒナの数が増えている!何羽孵ったのかな?少なくとも6羽いるのが確認できたけど、正確な数はわからない。それにしても、真っ赤っかだね。まだ、鳥には見えない。そういえば、先ほどあった卵の殻が見当たらないが、どこにいったのだろう?

ダンナもせっせと餌を運んで来てはシーちゃんに渡している。微笑ましいなあ。

おや、シーちゃんが卵の殻をクチバシにくわえているぞ。また1羽、孵ったようだ。見ていると、シーちゃんは卵の殻を食べてしまった。なるほど、そうだったのか〜。

ヒナの数が増えるほど、親は忙しくなる。この日、シーちゃん夫婦は夜の8時過ぎまで対応に追われていた。

5月6日。

あれ、赤ちゃんたち、もう大きくなった?お目目クリクリ。今日はもう卵は見当たらないが、9羽全て孵ったのだろうか。動きが激しいので、何羽いるのかうまく数えられない。

この日は用があって出かけていたので、昼間は観察ができなかった。夕方、帰って来てすぐに巣箱を覗いたら、ちょうどこんな場面に出くわして、思わず笑ってしまった。

バーン!とお母さんが帰って来た音がするなり、ヒナたちのお口がパカッ!何度見ても笑ってしまう。元気なのは良いことです。

卵が孵った後も、シーちゃんは夜はヒナたちを覆う体勢で眠る。まだ羽毛も生えていない子達、体が冷えてしまったら大変だものね。子育てって、24時間、ノンストップだね。

4月22日の朝、9つの卵を無事産み終わったシジュウカラのシーちゃん。抱卵体勢に入った。抱卵日数が平均12〜14日間ということは、最初のヒナが孵るのは5月の頭ということになる。じっと卵を温め続けなければならないシーちゃんは大変だが、赤ちゃんが産まれたら、その瞬間から異次元の忙しさになるから、せめてそれまではのんびりして体力を維持して欲しい。

抱卵期に突入したらシーちゃんのダンナがお食事ケータリングサービスをするのだろうと思っていたのだけれど、ダンナは一向に食べ物を運んで来る様子がなく、シーちゃんは度々自ら巣箱を出て行っている。もしかしたら、私が見えないところで妻を助けているのかもしれないけど、どうも不安だ。まさか、ヒナが孵ったらシーちゃんのワンオペ育児になってしまうのではあるまいね?

抱卵中、ときどき巣の窪みに頭をグイグイ押し入れる動作をしていた。卵が満遍なく温まるように回転させていたのだろうか。

シーちゃんの抱卵を見守っている間にも、引き続きいろいろなハプニングがあった。あるとき、窓から巣箱の方をぼんやりと眺めていたら、ちょうど巣箱にシーちゃんが入ろうとしているのが見えた。ところが、頭を穴に入れたものの、お腹がつっかえてなかなか中に入れ図、尾をバタバタさせてもがいているのだ。おかしいな?なぜスムーズに入れないのだろう?もしや?と思ってモニターを見ると、ちょうど鳥が巣箱に入った瞬間だったが、またもや違う鳥!シジュウカラよりもひと回りサイズの大きな鳥が無理やり巣箱に入って来たのだ。前にも別の鳥に侵入されたが、今回はそれとは違う種類の鳥だった。(詳しくは以下の記事に書きました)

そうかと思えば、2日連続でどこからともなくよその猫がやって来て、巣箱のある木に登ろうとするのを目撃して大焦り。夫が即席で木にワイヤーフェンスの切れ端を巻きつけ、猫ガードにした。野生動物の繁殖は危険がいっぱいで本当に大変だ。

さて、そうこうしているうちに10日ほど過ぎた。そろそろかな。

5月4日。朝起きて、いつものように巣箱をチェックする。画面を見た瞬間、「キャーッ!」

うま、産まれてる〜〜〜〜〜!ついに!!

ハート型の小さなお口がパックリと上を向いているではないか。下の方にもヒナがいるようだ。全部で3羽孵った?私の叫び声を聞いて、夫と娘もドタバタとキッチンに降りて来た。産まれたてのヒナを見て、みんなで歓声を上げる。いやー、今日は良い日。シーちゃん、おめでとう!

早速お腹を空かせた赤ちゃんにシーちゃんは餌を与えなければならない。でも、まだ残りの卵を温める作業もあるから、巣箱を出たり入ったりの大忙しになった。ああ、可哀想に、やっぱりワンオペなの?

と思ったら、突然、シーちゃんダンナが餌をくわえて巣箱に飛び込んで来た。おお、ダンナ、やっぱり父親の自覚はちゃんとあったんだね。疑ってごめん!

さあ、これからますます巣箱の観察が楽しくなるよ。どうか、残りの卵も全部無事に孵化しますように。

4月9日から1週間かけて巣作りをし、14日の朝からは毎朝1つづつ(なぜか初日のみ2つ)、順調に卵を産み続けて来たシジュウカラのシーちゃん。22日の朝に卵は全部で9つになった!

卵を産み続けながらも、日中は動物の毛などをせっせと追加で運び入れ、巣を整えていた。

卵を置いた部分の周囲にグイグイグイ〜と頭を押し込んで丸い窪みを作っている。

これまでのシーちゃんは、朝、卵を産み落とすとすぐに巣箱から出て行き、何度か巣材を持って戻って来る以外はどこかへ行っていて、夕方に巣箱に戻りそのままバタンキューと眠るというパターンだった。巣作り作業をする以外の時間はたくさん食べてエネルギーを蓄えていたのかもしれない。ところが、昨日はちょっと違った。頻繁に巣箱に戻って来ては座ってしばらく過ごす。そしてまた出て行くというのを繰り返している。

もしかして、抱卵モードに突入か?

と、判断を早まってもいけない。明日の朝、卵が増えているかどうかでわかることだろうと、確認するのを楽しみに私も寝た。

そして今朝(4/23)。朝8時半を回っても、普段ならとっくに出かけているシーちゃんはまだ巣に座っている。ってことは、ってことは?

ふとシーちゃんが動いた隙に卵の数を確認すると、前日と変わらない9個だった。つまり、卵は全部産み終わったのだろう。いよいよ抱卵期だ。シジュウカラの抱卵日数は12〜14日だそうなので、これからシーちゃんも約2週間、コロナで外出制限の私たち同様、#StayAtHomeなのである。でも、あんな狭いところに一羽ぼっちで2週間も退屈なのではないかと余計な心配をしてしまう。

見ていると実際、シーちゃんは退屈そうだ。

いやー、ほんとヒマそう。Zoomミーティングでもどう?って誘いたいけど、私からはシーちゃんが見えるけど、シーちゃんからこっちは見えないんだもんね、残念。

と思ったら、なんと、

シーちゃん、出てっちゃった。ノンストップで抱卵するんじゃなかったの?

シーちゃんダンナは何をやってるんですかね?シーちゃんの抱卵中はダンナがお食事ケータリングサービスをやるものだと思ってたのに、今のところ一度も現れないよ!ちょっと先行きが心配だ。

天気のせい何か、昨夜から巣箱に取り付けたカメラの接続が不良で、モニターに何も映らなくなっていた。夜11時頃になってようやく映像が映し出され、シーちゃんが無事、巣に戻って寝ていることが確認でき、ほっとして私も寝た。

今朝、シーちゃんはいつものように6時半に目を覚まし、ちょっとの間モゾモゾしてから巣箱を出ていったが、卵を覆って行ったので新しい卵を産んだかどうかはわからない。でも、毎朝1個づつ産むとしたら今日は5つになっていることだろう。

その後、再びカメラの不具合で映像は映ったり消えたりを繰り返していた。今日はうまく観察できそうもないなと思い、あまり真剣に見ていなかったのだが、午後、本を読んでいたら、テーブルの上のモニター画面の色が変わった。シーちゃんが巣箱に出入りする際、巣箱の穴を塞ぐので、一瞬画面が暗くなるのだ。「あ、戻って来たな」と画面に目をやった。

エッ?

今のは何?鳥が入って来て巣の中をうろついたと思ったらすぐに出て行ったのだが、何かがおかしい。

今のはシーちゃんではない。

一瞬の出来事だったので、スクリーンショットを取り損ねてしまった。でも、頭の丸いシーちゃんとは別の、もっとシュッとした体型でモノトーンの羽をした鳥を見たような気がする。いや、まさか。たぶん気のせいだよね?

そう思っていたら、数分後に再び鳥が入って来て、3秒ほどいてまた出て行った。間違いない、あれは別の鳥だ。どうしよう。シーちゃんに知らせなきゃ!でも、どうやって?

オロオロしていたら、シーちゃんが巣箱に戻って来た。

よ、よかった。と思ったのも束の間、シーちゃんの様子がおかしい。しきりに上を見ながらソワソワしている。背伸びして巣穴から外を覗くような仕草をしたり、外からの音に耳を澄ましている。モニター越しに巣箱の外から鳥の鳴き声が聞こえて来るが、シジュウカラの鳴き声とは違う。もしかして、さっき侵入して来た鳥はまだ近くにいるのでは?

これはなんとかしなくては!

急いで庭に出ると、いたいた!巣箱付近の枝に知らない鳥が止まって餌箱を狙っている。

餌箱に侵入したのはこの鳥だ!

「すみませ〜ん!その巣箱、もう貸してるんで!」と木の下から叫んだら、一瞬飛び立ったが、またすぐに戻って来た。近くの枝にはもう1羽、そっくりな鳥がいる。どうやらツガイのようだ。シロエリヒタキ かな?彼らも巣作りの場所を探して切羽詰まっているのだろう。

あたりを見回したら、かなり上の方の枝にシーちゃんのダンナがいて、遠くから文句を言っている。

シーちゃんのダンナ

縄張りを見張っていたダンナが他の鳥が侵入したことに気づいてシーちゃんに連絡したのかもしれない。でも、体を張って敵と戦う気はないようだ。私が何度かわざと大きな物音を立てて侵入者夫婦を追い払ったが、なかなかしぶとい。そのうちシーちゃん自らが巣箱から出て来て、そのタイミングで侵入者夫婦はその場を去った。

私はドキドキしっぱなし。邪魔者がいなくなってくれてよかったけど、シーちゃんのダンナはちょっとだらしがないんじゃ?ふっと一息ついて、モニターを見る。とりあえず、巣は大丈夫そうだ。そして機を見上げると、どこへ行ったのか、シーちゃんもダンナも姿が見えなくなっていた。

あの鳥夫婦、また巣箱を乗っ取りに来るだろうか?もう2度と来ないといいなあ。っていうか、うちの庭にはあと2つ、巣箱を設置してあるんだよね。そのうちのどちらか、好きな方を選んでご入居頂ければと思うのだけど、オークの木に取り付けた巣箱はロケーションが良いのか、希望者が集中してしてしまうようだ。とにかく、私としてはシーちゃんにオークの木の餌箱で安心して卵を産んでヒナを育ててもらいたい。モニタリングを強化せねば。

今日はハラハラさせられる日だったが、いつものようにシーちゃんは7時半に帰って来た。ああ、よかった、よかった。ぐっすり寝て、明日も元気に卵を産むんだよ。見守ってるからね。

観察記録その2を書いた4月14日(観察開始から6日目)の夜9時頃、シーちゃんが巣箱に姿を見せた。それまで巣作り作業は主に午前中に集中していて、夕方5時以降に巣箱に来ることはなかったので、あれっ?と驚いた。

こんな時間に何をするんだろう?と思ったら、シーちゃんは自分の作った巣の中に突っ伏してすぐに寝てしまった。帰宅してベットに直行、バタンキュー、という感じ。膨らませた背中の羽が掛け布団のよう。これからは巣箱に寝泊まりするのだろうか。ということは巣はもう完成?

翌朝、起きて画面を開けると、シーちゃんはまだ寝ていた。「鳥=早起き」のイメージだけど、意外と遅くまで寝ているんだなあ〜なんて思って眺めていたら、目を覚ましたシーちゃんがモゾモゾと動いて、その数秒後に巣穴から外へ出ていった。次の瞬間、私の目に入ったものは、、、

卵が2つ!

わおっ。もう卵を産んだ!すごい。

感動しつつしばらく卵を鑑賞。あれ、でもシーちゃんはどこへ行ったんだ?朝ごはんを食べに行った?なかなか巣に戻って来ない。おーい、せっかく産んだ卵、温めなくていいのかーい?

そのうち戻って来るだろうと何度も画面を確認するのだが、いつ見てもそこにシーちゃんの姿はない。巣の様子も変化していないので、朝、出て行ったきり、一度も戻って来ていない模様。卵、このままで大丈夫なの〜?心配になって調べたところ、シジュウカラは卵を全部産み終わってから抱卵することがわかった。ああ、よかった。

夜7時半。シーちゃんはようやく巣に戻って来たが、またもや瞬時に眠りに落ちた様子である。

翌朝(巣作りから7日目)。この日も私の方がずっと先に目が覚めた。なにか違う気がするけど、シーちゃんは妊婦だからたくさん寝る必要があるのかもしれない。そう思って納得することにする。

しばらく観察していたらようやく目を覚まして巣箱から出て行ったが、この日は卵を覆って出て行ったので、新しい卵を産んだかどうかはわからない。この日はシーちゃんは忙しく、何度も新しい羽や毛を運んで来て、巣を整えていた。巣が完成してから卵を産むものとなんとなく思っていたけれど、産みながら調整していくらしいな。夜は前日と同じ7時半に帰宅、そしてすぐに就寝。

今朝は巣作りから9日目。やはり6時半頃まで寝ていて、急にモゾモゾッと動いて巣から出て行った。

卵が4つに増えてる!

フワフワした材料がドーナツ状に整えられ、いかにも鳥の巣という感じになって来たね。シジュウカラは毎朝1つづつ卵を産むと読んだが、初日は2つだった。その後、昨日1つ、今朝1つ産んだのかな。だとしたら順調だね。全部でいくつ産むかなあ。

また卵を剥き出しのまま放置するのかと思ったら、今日は一旦戻って来て卵を覆って行った。ホッ。

前回の記事では、赤外線カメラを入れた鳥の巣箱を庭の木に取り付けたら、早速シジュウカラのメス(シーちゃん)が使い始めてくれたことについて書いた。その話の続き。

巣箱の中の様子はGreen BackYard社の巣箱用カメラ、Wireless Bird Box Cameraのスマホアプリ、iCSeeで24時間観察できる。PC用ソフトウェアもあり、大きい画面でモニタリングすることも可能だ。鳥の巣作りを真上から観察するなんて、初めての経験。もう、気になって仕方なく、初日は画面開けっ放しでしょっちゅう見てしまった。

シーちゃんはコケや枯葉、細い柔らかい枝などを巣箱の中に運び込んでいるが、テキトウに投げ入れているのではなく、適切な位置に配置しているようである。長い枝をクチバシに加えて左右にシュバッ、シュバッと振り、箱の隅に沿うように器用に回して置いているのがすごい。

羽を広げて頭を材料の下に潜らせるようにグイグイグイと押して、枠を作っている。シーちゃんは巣作り何年目なのだろうか。手慣れた様子である(手はないけど)。

実際の動きは以下のような感じ。(PC上で再生したものをスマホで撮ってYouTubeに上げたものなのでクオリティが悪くてすみません)

巣作り2日目。朝8時くらいから巣作りの続きが始まった。

後に卵を抱えて座ることになる真ん中の部分はちゃんと窪んでいる。作業をするのは午前中が多く、シーちゃんは午後にはあまり巣箱に姿を見せない。

4日目。

丸3日かけて土台の部分は大体出来上がったようで、4日目からは綿や羽などフワフワした材料が運び込まれた。うちの庭にはこのような素材はないんだけど、どこから運んで来ているんだろう。巣作りの場所を選ぶときには、必要な材料が周辺にあるかどうかもチェックしてから決めているんだろうね。

ふわふわ材料を取りに行って戻って来たシーちゃん

ちなみに、巣箱を出入りするところをカメラで撮るのは結構難しい。近くの枝にシーちゃんの夫が止まって見張っていることがあり、巣の方に近づくとチチチチ!と大声を出すから。

5日目。

6日目。

だんだん巣らしくなって来た。出産ももう時期だろうか。待ち遠しいなあ。

冬の間、自宅の庭を中心に、バードウォッチングに熱中していた。完全に初心者なのだけれど、テラスに餌台を設置したところ、思いのほかたくさんの野鳥がやって来て、楽しませてくれた。

春になったので、鳥たちは私が餌を提供しなくとも、自力で食べ物を見つけられるようである。そして、春は鳥たちの恋の季節。パートナーを探す鳥たちの歌声で庭はますます賑やかだ。

我が家の自宅バードウォッチングも次のステップに進もう。今度は巣箱を用意するのだ。うまく行けば、鳥の子育ての様子を観察できるかもしれない。

と、思ったものの、どういう巣箱をどこに設置すればいいのか、よくわからない。少し調べてみたところ、鳥の種類によって巣箱の穴の適切な大きさが違うらしい。うちの庭に来る野鳥の中で一番数が多いのはアオガラ(Blaumeise)とシジュウカラ(Kohlmeise)なので、彼らの体の大きさに合わせた巣箱を用意することにした。アオガラ用は穴が直径27mmのもの、シジュウカラ用は32mmである。

しかし、これらをどこに設置すればいいのだろう?とりあえず、庭の中央にある、鳥たちに大人気のチェリープラム の木に取り付けてみる。

こんな感じ。これで2、3 日様子を見たのだが、うーん、、、どうも違う気がする。というのは、この木にはアオガラとシジュウカラ以外にもイエスズメなど他の鳥も頻繁にやって来る。庭の中央に位置することもあり、「中央市場」のような場所である。2つの巣箱が近すぎるのも良くない気がして来た。これではとても落ち着いて子育てをする環境ではないだろう。庭に巣箱を設置している近所の人にアドバイスを求めたところ、「複数の巣箱を設置してるけど、使われるのもあればそうでないのもあるね。まあ、トライ&エラーでやるしかないよね」との返答。そっかあ。そんなに簡単ではないんだね。

巣箱の数が多いほど利用率が上がるだろうからと、3つ目の巣箱を別の場所に設置することに決めた。夫が「どうせなら、赤外線カメラを入れようよ。もし、巣箱を使ってくれたら、中の様子が観察できるじゃん?」と言う。そんなにうまくいくかなあ。ま、ダメもとでやってみるか。

今回は穴の大きさ32mmのものを庭の端のオークの木に取り付けてもらった。高さがあるので、少しは鳥も安心だろう。ちなみに、巣箱の天井部分に取り付けたカメラはGreen Backyard社製のWireless Bird Box Cameraというもの。スマホアプリで巣箱の中をモニタリングできるようで良さそうだ。ちょうどディスカウントになっていたので、これにした。

でも、使ってくれるかなあ、、、。巣作りシーズンはとうに始まっているし、今年はうまくいかないかもね。と言いながら巣箱を眺めていると、夫が「1回、巣箱取り外すね」と言う。中がよく見えるように小さい横穴を開けたいそうだ。「明日にでもまた取り付けるよ。どうせそんなにすぐに使われないから、急ぐことないよね」。せっかく設置した巣箱だが、再び夫の手で取り外された。

ところが、夕方、庭で異変に気付いた私。

「ちょっと、ちょっと。巣箱があったあたりをシジュウカラが飛んでいるよ」

「え、どれどれ?」目を凝らす夫。

「なんか慌ててない?」

2羽のシジュウカラが何かを探すかのようにバタバタとオークの木の枝の周りを飛んでいるのだ。

「も、もしかして、あの巣箱を使うつもりだったんじゃない?なくなってびっくりしてるのかも?」

「ガアーーーーーーン!そんなあ!」

夫は慌てて家の中に飛び込み、巣箱を抱えて戻って来た。

「すぐに元の位置に戻さなきゃ」

そう言いながら巣箱の蓋を開けて中を見た夫は再び叫んだ。

「うわあ、もう最初のコケが投げ込まれてるよ!」

「エエエーッ!」

なんということだ、シジュウカラは夫の設置した巣箱の採用をすでに決め、巣作りを開始していたのだ。早く巣箱を元の位置に戻さなければ。大慌てて巣箱を再設置したが、シジュウカラは戻って来てくれるだろうか。「ここに巣箱があったと思ったんだけど、どっか行っちゃったね。じゃ、他の場所でもいっか」と気が変わってしまうかもしれない。ああ、どうか戻って来てくれますように!その夜は祈るような気持ちでベッドに入った。

巣箱を再設置した時の巣箱の中の様子。左下の端に写っている影が投げ込まれていたコケ

翌朝。起きてスマホを手に取り、メールチェックをした後、巣箱カメラアプリを開けてみた。すると、

コケが増えている!!!

うわーっ。増えているよ。やっぱり使ってくれるんだ!

大興奮で夫を起こす。「アプリを早く開けろ!」。画面を見た夫、一気に目が覚めたようである。「やった!間に合ったな」。こうなったら画面から目が離せない。スマホ画面を睨みながら朝ごはんを食べる。そして、数十分後、、、。

じゃあ〜ん!

巣箱の中にシジュウカラが入っているのを確認!やったあ!

シジュウカラは夫婦で巣作りの場所を探すが、決定権はメスにあり、実際の巣作りもほとんどメスがするそうだ。ということは、このシジュウカラはメスである。これから彼女の子育てを観察させてもらえることになりそうだ。しばらくのお付き合いになるので、他のシジュウカラとは区別して「シーちゃん」とお呼びすることにしよう。

巣箱から飛び出すシーちゃん

いよいよ始まるシーちゃんの子育て。勝手にドキドキしている私たちである。

(次回に続く)

ドイツでもコロナウイルスの感染が広がり、10日ほど前から外出が制限されている。大好きな博物館もすベて閉まってしまった。しばらくの間は「まにあっく観光」もお預けである。幸い、健康維持のための散歩は許可されている。散歩なんかいつでもできると思っていたけれど、こんな状況下では散歩の時間がとても貴重に思えて来る。

冬の間、「鳥活」と名付けたバードウォッチングにハマっていた私。外に出ると鳥を探して上ばかり見ていた。でも、春になって植物が芽吹き出したら、今度は地面も気になる。そこで、鳥活に加え、花活も始めることにした。散歩の際には植物識別スマホアプリ、Flora Incognitaで路傍の花を調べまくるのだ!

マックス・プランク研究所とイルメナウ工科大学が開発したこのアプリ、素晴らしいのよ。散歩が数倍楽しくなる。たとえば今日は、うちの近所の湖のほとりを歩いた。

こんな景色。一見、花が咲き乱れている風ではないけど、、、
よく見たら、なんか可愛い花が咲いてる
アプリを開いて、「Pflanze erkennen(植物を識別する)」をタップし、
「花」「木」「草」「シダ」の中から「花」を選んでタップする。
すると、「上から写真を撮れ」と言って来る
写真を撮る!
出た!

この花はBusch-Windröschenという花だとわかった。このアプリは日本語には対応していないけど、学名(Anemone nemorosa)も一緒に出て表示されるから、和名も調べやすい。和名は「ヤブイチゲ」だって。

で、説明が詳しいのよ。植物学的分類や特徴、植生の他、毒性や用途、受粉、保護されている植物かどうか、個体数は増えているか減っているか等まで知ることができ、ドイツ全国の分布マップも見られる。キンポウゲ科イチリンソウ属のこのヤブイチゲの葉はリュウマチの外用薬として使われるんだって。ありふれた野草で、ドイツ全国いたるところで見られるようだ。

今度はこれを調べてみよう
Gefingerter Lerchensporn (Corydalis solida)、和名は「コリダリス・ソリダ」。

漢方では古くから鎮痛剤として使われて来た。ギックリ腰にもいいらしい。

アプリで調べた植物データは「私の観察」として保存されるので、後から見直すにも便利。撮影した場所も自動的に記録される。姉妹アプリ、Flora Captureで撮影した植物の写真を送信するとデータバンクに登録され、学術研究への貢献にもなるって、ちょっといい気分だよね。

こんなわけで、散歩のたびに目についた草花の写真を撮って調べている。一緒に散歩に出る夫も「なにそれ?面白そー」と早速アプリをダウンロードしていた。外出制限措置がいつまで続くかわからないけれど、解除になる頃にはちょっとは野の草花に詳しくなっているかもね。

久しぶりに新しい観光マップを作成した。ここのところ、住文化をテーマにした博物館をいくつか紹介して来たので、ドイツ全国の住文化関連の観光スポットを集めてみた。これまでに作成した観光マップ同様、一般公開しているので、ドイツの住文化に関心のある方はぜひ利用してね。

ドイツ住文化観光スポットマップ

今回のマップのカテゴリーは、「住文化博物館」「野外博物館」「労働者コロニー」「田園都市」「モダニズム集合住宅」「ナチ時代の住宅地」の6つ。博物館だけでなく、集合住宅もドイツの住文化を知る上で欠かせない。住文化は建築と密接に結びついているけれど、建築関連のスポットとのどこまでをマップ化の対象にするかの線引きがなかなか難しかった。住文化観光マップなので、「人々の暮らしの場」としての建物であることを基準に、一般住居とその集落に対象を絞ることにした。したがって、お城の博物館などは対象外です。

最初のカテゴリー「住文化博物館」には実際に住居として使われていた建物を利用した博物館などをまとめた。たとえば、以下のようなタイプの博物館ね。

博物館によって展示する住文化の時代や社会層が異なる。また、地域によっても住文化に違いがある。マップに登録した博物館の他、各地の郷土博物館もその土地の住文化を知るにはうってつけだ。ただ、郷土博物館は数が多すぎてとても網羅できないので、マップにはその一例のみ含めた。ほとんどの町に郷土博物館があるので、行く先々で訪れてみるとその土地の伝統的な住・生活文化が把握できる。その地方で豊富に採れる建材を使った建物や民族衣装など特色あるものが見られるので、見比べると楽しい。

個別の博物館だけでなく、集落ごとオープンエアで展示する野外博物館もたくさんある。野外博物館にはもともとある集落をそのままミュージアム化したものと、地方の歴史的建造物を一箇所に集めたテーマパーク的なものがあるが、どちらも面白い。テーマパーク的な博物館には各種体験コーナーがあったり、年間を通じてイベントも催しているので子ども連れで行くのも楽しいと思う。古代ローマやケルトの住居跡を利用したテーマパークもたくさんあるけれど、そこまで時代を遡ると考古学の範疇に入るので、今回のマップでは中世後期以降のものに限定した。考古学観光スポットマップは別に作成してあるので、合わせてどうぞ。私が訪れてとても気に入ったヴェントラントの野外博物館を以下に紹介しよう。

次のカテゴリーは「労働者コロニー(ArbeitersiedlungまたはWerkssiedlung)」。ドイツでは19世紀後半から企業が労働者用の住宅を建設するようになった。産業革命以降、農村から多くの人が労働者として都市に流入して都市の人口が急激に膨れ上がり、深刻な住宅難を引き起こした。労働者の多くは賃貸バラック(Mietskaserne)と呼ばれるじめじめした不衛生なアパートに住み、病気が蔓延していた。大規模企業は工場の近くに住宅を建設し、社員に健康的で文化的な生活環境を提供するようになったのだ。いわゆる社宅である。エッセンの重工業企業、クルップ社が建設した労働者コロニー群は特に有名だ。

ドイツの建物は耐久性が高いので、この時代に作られた労働者コロニーの多くは補修や改築を経て現在も住宅として使われている。いろんなスタイルの社宅があるので、外から見学すると面白い。でも、人が住んでいるので、建物にあまり接近したり内部を覗き込んだりするのはNG。全国にかなりの数の労働者コロニーがあるので、歴史的に重要で文化財として保護されていているものをピックアップした。

ドイツには英国の社会改革者エベネザー・ハワードが提唱した田園都市のコンセプトに基づいて建設された住宅地も多くある。ドレスデン近郊のドイツ初の田園都市ヘレラウが有名だが、クルップ家も田園都市型の労働者住宅を建設している。

次は「モダニズム集合住宅」。ワイマール時代にはバウハウスなどモダニズムの建築家が機能的で合理的なスタイルの集合住宅を建設した。モダニズムの集合住宅は日本では「ジードルンク(Siedlung)」と紹介されることが多い。ベルリンのモダニズムの集合住宅群はUNESCO世界遺産に登録されている。ベルリン以外ではフランクフルトやデッサウが有名だが、ザクセン州ニースキーにこんな木造モダニズムのジードルンクを見つけて、とても気に入った。

最後は「ナチの時代に建設された住宅」。この時代にも住宅は建設されているけれど、住文化の文脈で注目されることは少ない。「血と土(Blut und Boden)」というナチの民族主義的なイデオロギーのもとに建設された住宅地をいくつか見つけたので登録した。

他にもたくさん観光マップを作っているので、カテゴリー「マップ」からアクセスしてみてください。

前回の記事の続き。前回、北ドイツの至るところで目にする石の多くは、最終氷期に氷に押されてスカンジナビアからやって来たもので、総称してゲシーベ(Geschiebe、「押されて移動したもの」の意)と呼ばれることについて書いた。そしてそのゲシーベには実にいろいろな種類があり、建材や石畳の敷石などによく使われ、北ドイツの町をカラフルにしている。今回はゲシーベの種類についてわかったことをまとめようと思う。

私と夫はよく家の近所の森を散歩するのだが、散歩のついでに綺麗だなと思う石や見た目の面白い石をよく拾って来る。夫は漬物石サイズの石、私は小石やジャガイモ程度のものをよく集める。

森の中で面白い石を探しているところ

拾った石は、特に気に入っているものは家の中に飾り、サイズがちょうど良いものは庭の花壇の区切りに使ったりする。あとは他に使い道が思いつかないので、庭に適当に並べてある。

どうすんのこれ?と思わないでもないけど、、、

しかし実は、これらの石がどういう種類の石なのか、今まで全然わかっていなかった。ちょっと調べてみようという気になったのは、先日、給水塔の写真を撮りに訪れたベルリン近郊の町、Fürstenbergの博物館でゲシーベに関する展示を見たためだ。Museum Fürstenwaldeはいわゆる郷土博物館なのだが、地下にゲシーベ展示室があり、充実したゲシーベコレクションが見られるのだ。

ゲシーベ標本の棚

どうしてかわからないけど、私、こういう標本棚にすごく惹かれるのだよね。いつまで見てても飽きないというか、すごくリッチな気分になれるというか。この日も「わ〜。ゲシーベっていろんな種類があるなあ〜」と喜んで眺めていたのだが、見ているうちに「うちの庭にあるゲシーベたちはこれらのうちのどれとどれなんだろうな?」と知りたくなった。

 

そこで、一般向けにわかりやすく書かれた北ドイツの石の本を読んでみた。左の本は北ドイツのゲシーベ全般について説明したもの。右のはバルト海の海岸の石の本。バルト海の海岸はコロコロしたカラフルな石でぎっしりだが、それらも基本的にブランデンブルク州で見られるのと同じゲシーベである。海岸では波に打ち砕かれて小さく丸くなっている。

 

 

バルト海で拾って来た小石もたくさんあるので、それらを含めた手持ちのゲシーベと本に載っている写真を見比べながら読んだ。えーっと、では、わかったことを簡単にまとめていこう。

まず、むかーし学校の地学で習ったことのおさらいから。岩石の種類には大きく次の3つがあったよね。

1 火成岩  マグマから固まってできた岩石

2 堆積岩  降りつもったものが固まってできた岩石

3 変成岩  既にある岩石に熱や圧力が加わって変化してできた岩石

 

 

1のグループの火成岩は、さらに深成岩、火山岩、半深成岩というサブグループに分けられる。それらの詳しいことは置いておいて、ゲシーベの中で最も多い岩石は花崗岩だ。花崗岩はどんな石かというと、日本ではよくお墓の石に使われるまだら模様の硬い石。御影石と呼ばれているよね。

 

日本の墓石はグレーっぽいのが多いけど、花崗岩にはいろんな色のものがある。花崗岩に含まれる主要な鉱物は石英と長石だが、その隙間に混じった他の有色鉱物によっていろんな色を帯びる。

 

断面。ピンクっぽくて綺麗。

 

ゲシーベに関するkristallin.deというサイトの画像ギャラリーに似たものがないか、探してみた。

 

うーーーん、似たようなのがいくつもあって特定するのが難しい。Karlshamn-Granitという花崗岩が一番近いように見える。もし、推測が当たっているとすれば、スエーデン南部のブレーキンゲ県にあるカールスハムンという町から転がって来たということになる。カールスハムン花崗岩は比較的若い石のようだ。とはいっても14億年前くらい前に生成されたって、気が遠くなるほど昔だね。カールスハムン、どんな町なんだろう?うちにあるこのピンクがかった石の兄弟石があちこちにあるのだろうか。行ってみたくなるじゃないか、カールスハムン。(うちの子はカールスハムン花崗岩じゃないかもしれないけど)

花崗岩は硬くて風化しにくいので、大きな塊のままドイツまで移動して来ることがが多かった。だから、迷子石(詳しくは前回の記事を参照)には花崗岩が多いんだって。

 

次のグループは斑岩。花崗岩と同じ1の火成岩の仲間だが、サブグループは火山岩。地表付近で急激に冷えて固まったのでヒビがあって割れやすく、迷子石として見つかることは稀。つまり、小さいものが多い。

 

おおっ!これは特定できた。特徴的だからたぶん間違いない。発表致します。この子はGrönklitt-Porphyr(グランクリ斑岩)。スエーデン中部のダーラナ県の出身です。ところで、化石には示準化石といって、それが含まれる地層が堆積した地質年代がわかる化石があるが、ゲシーベにも示準ゲシーベがあるらしい。このグランクリ斑岩は示準ゲシーベの1つ。つまり、斑岩系のゲシーベの中ではよく見つかるものみたい。

 

 

さて、次は2のグループ、堆積岩を見ていこう。

砂岩

砂岩は主に石英の砂つぶが固まってできたもの。砂岩にもいろいろあるみたいでなかなか難しいけど、こういう縞模様ができているものは見分けやすいな。

 

 

フリント

フリント(燧石)も堆積岩の仲間。割ると断面はツルツルとして光沢があり、へりはナイフのように鋭利だ。この特徴から石器時代には矢じりや小刀など道具に加工して使われていた。「火打ち石」の名でも知られている。ドイツ語では一般的にはFeuersteinという。「Feuer(火)Steinn(石)」って、もろそのまま。ドイツ各地の考古学博物館ではフリントの石器が必ず見られる。

 

バルト海のリューゲン島には広大なフリントフィールドがある。地面がフリントで埋め尽くされている。この光景を初めて見たときには一体これは何だろうとびっくりして、石の上に座り込んで1時間以上、石を見ていた。

こんなにぎっしりではないが、ブランデンブルク州でもフリントがあちこちで見られる。バルト海の底で形成されたものがゲシーベとなって南へと押されて移動して来たから。フリントはブランデンブルク州をはるかに超えてザクセン州のドレスデンの南まで移動していた。フリントの見つかる限界線Feuersteinlinie(フリントライン)は40万年前に始まり32万年前に終わったエルスター氷期の末端部(エンドモレーン)とほぼ一致しているので、地面の中にフリントが見つかれば、その場所はエルスター氷期に氷に覆われていたということになる。フリントについて書き始めると長くなりそうなので、また別の機会に。フリントについては過去記事に詳しくまとめた。

そして最後は3のグループ、変成岩のゲシーべ。

 

よく見られる変成岩のゲシーベは片麻岩(Gneis) 。

以上、北ドイツで見られるゲシーベの種類をざっくりとまとめてみた。ゲシーベにはこの他、化石を含んだ岩石や琥珀などもある。ドイツの化石についてはたくさん記事を書いているので、ご興味のある方はカテゴリー「古生物」からどうぞ。琥珀についてはよかったら過去記事を見てね。

さて、北ドイツでの石拾いが楽しいということは伝わっただろうか。先日、知人とお喋りしていたら、彼女が「なんでも突き詰めると地理と歴史に行き着くよね」と言った。名言だと思った。そう、この世に存在するものはすべて、空間と時間という2つの軸のどこかに位置している。うちの近所に転がっているゲシーベは遠い遠い昔、スカンジナビアのどこかで形成され、長い長い旅の末にここ、ブランデンブルクにたどり着いた。私もスカンジナビアよりもずーっと遠い日本からたどり着き、ここで生活している。ゲシーベと私はどちらもドイツ生まれではない、よそ者。なんだか奇遇だね。

ゲシーベについてもっと詳しくわかったら、「発展編」を書こう。

 

ブランデンブルク州に引っ越して来てもう14年になろうとしている。ここに来て以来、ずっと気になっているものがある。それは、この辺りでよく見る大きな石。なぜかブランデンブルクでは至るところに大きな石がある。山もないのに、大きな石が畑や道路脇や公園など、あらゆる場所にごろんごろんと場違いな感じで存在している。一体、それらはどこから来たのか。誰がそこに石を置いたのか。

公園に配置された石

不思議に思っていたら、これらの石は「迷子石(Findling)」なるものであることがわかった。はるばるスカンジナビアから運ばれて来た石であるらしい。といっても、人間がわざわざ運搬して来たのではない。氷河によってドイツ北部に辿り着き、そのまま定着した移民ならぬ移石なのである。

ブランデンブルク州を含む北ドイツは、氷河時代には厚い氷床に覆われていた。特にエルベ川の東側(現在のベルリン、ブランデンブルク州及びメクレンブルク=フォアポンメルン州)は一番最後の氷期(ヴァイクセル氷期)にもすっぽりと氷の下にあった。氷床は気候変動によって拡大したり縮小したりしていたが、それだけでなく、少しづつ移動していた。スカンジナビア氷床は長い長い時間をかけて南へと移動し、その際に氷の下にあった大量の岩石が削り取られ、氷に押されてスカンジナビアからドイツへやって来たのだ。約1万年前、最後の氷期が終わった時、石たちはそのままドイツに置き去りになった。

ドイツではこのような岩石を総称して「Geschiebe(ゲシーベ)」と呼ぶ。英語でtill(ティル)と呼ばれる氷河による堆積物に相当する。北ドイツの土の中にはゲシーベが大量に埋まっていて、土を掘るとごろんごろんと顔を出す。古来から、畑を耕したり、建物を建てるために地面を掘るたびにゲシーベが次々と掘り出された。掘り出したものをまた埋めたりはしないので、野原は石だらけ。だから、ゲシーベは一般的には「Feldstein野石)」と呼ばれている。

せっかく豊富にあるからということで、人々は昔からゲシーベを活用して来た。例えば、建材として。

野石造りの教会と壁

ブランデンブルクの田舎の教会には写真のようなゲシーベを積み上げたものが多い。私は立派な教会よりもこういう野趣のある小さな教会が好き。

それに、よく見て!ゲシーベには実にいろんな色のがあって、並べるとカラフルでとても可愛いのだ。私はこういう「一見同じようでありながら、よく見るとバリエーションが豊富」なものに弱いのだよねえ。

レンガとのこんなコンビネーションも素敵

ゲシーベは石畳の敷石にもよく使われる。大きな石を割って平らな面を上にして地面に敷き詰める。ブランデンブルク州ではこんなカラフルな石畳をよく見かける。上の画像では乾いているけれど、雨に濡れると鮮やかに光ってとても綺麗なので、雨の日はルンルンしてしまう。

小さな石を加工せずにそのまま並べたKatzenkopfpflasterと呼ばれる部分もある。Katzenkopfというのは「猫の頭」という意味。でも、猫の頭にしちゃあ硬い。痛いんだよね、こういう上を歩くのは。

敷石にもトレンドがあるようで、石がいつ敷かれたかによって、またはそのときの行政予算などにもよって石畳のタイプが変わって来るのだろう。ポツダム市の中心部には同じ通りであらゆるタイプの敷石がパッチワーク状に敷かれている場所があり、眺めていると面白くて、つい下ばかり向いて歩いてしまう。

さて、ゲシーベはの大きさは小さな石ころから巨石までさまざまだが、1枚目の画像のような大きいものを迷子石(Findling)と呼ぶ。体積が10㎥以上の特に大きなものはゲオトープとして保護されているそうだ。先日、地元のローカルペーパーを読んでいたら、うちの近所で道路工事中に大きな迷子石が掘り出されたと書いてあった。

北ドイツの地形は氷河の侵食・堆積作用によって形成された氷河地形である。私が住んでいるのは氷床のちょうど端っこだったあたりで、氷河が運んで来た土砂が堆積したエンドモレーンが形成されている。エンドモレーンには大小様々なゲシーベが埋まっている。今回、道路を掘ったらこんな大きな石が出て来たというのだ。専門家が鑑定したところ、かなり珍しいタイプの迷子石だとのことで、ゲオトープとしてこのままこの丘に設置されることになった。

ゲシーベは色とりどりで綺麗というだけでなく、よく見ればどこから来たものかがわかるのだという。ブランデンブルク州で見られるゲシーベは約35 – 30億年前に形成されたバルト盾状地(Baltischer Schild)の基盤岩から削り取られたものだ。バルト楯状地は現在のスカンジナビア半島からフィンランド、ロシアの一部を含む広大な陸塊だが、その中の特定の地域でしか見られない岩石というものがあり、そうした岩石と迷子石の組成が一致すれば、迷子石がもともとあった場所を知ることができる。

北ドイツには迷子石を集めた迷子石公園(Findlingspark)が各地にある。過去記事で紹介したが、ブランデンブルク南部にあるFindlingspark Nochtenには7000個の迷子石が集められていて圧巻だ。

 

ゲシーベについてはまだまだ書きたいことがあるのだけど、長くなったので導入編ということで一旦ここで区切って、続きは次の記事に回そう。

導入編のまとめ:

北ドイツは氷河時代には氷床に覆われていた。

氷に押されてスカンジナビアから大量の土砂や岩石が北ドイツまで移動して来た。

地質学ではそうした岩石のことをゲシーベ(Geschiebe)と呼ぶ。一般的には野石(Feldstein)と呼ばれている。人々は古くから野石を建材としてや道路の敷石などに大いに利用して来た。

ゲシーベのうち、サイズの大きいものを迷子石(Findling)と呼ぶ。体積が10㎥を超えるものはジオトープとして保護されている。

ゲシーベには色々な種類がある。ゲシーベの組成や結晶構造を分析すると、どこから移動して来たものかがわかる。

● (次の記事で書くけれど、石拾いは楽しい)

 

当ブログ「まにあっくドイツ観光」ではドイツ全国の面白スポットを紹介しているが、紹介スポットのセレクトは完全に私の独断と偏見によるものである。一般ウケは放棄しており、私にとって面白ければそれでいいのだ、と開き直っている趣味ブログだ。取り扱うテーマがあまりに雑多なせいか、検索で当ブログに辿り着いてくださる方たちの検索ワードはものの見事にバラバラで、コアな読者はいるのかいないのか。多分いないんだろうなあ〜。

なにしろ、私の場合、まず見たいものがあって出かけるというよりも、「まず行ってみる、話はそれからだ」という感じなので、自分でも何を基準に動いているのかよくわからない。何があるか知らないけれど、行ったことのないところへ行ってみたい。つまりは探検なのである。

ドイツに移住して30年近くの歳月が経過したが、その間に行ってみた場所はこんな感じだ。

印のついているのがこれまでに行った場所。未踏のエリアもまだあるけど、結構行ったと自負している。これらのうち半分くらいは一人で出かけて行った場所。残りは夫と一緒。青と赤で色分けしているが、赤いスポットはブランデンブルク州内のスポットだ。住んでいるのがブランデンブルク州なので、必然的にブランデンブルク州の密度が高くなる。ブランデンブルクの部分を拡大してみよう。

首都ベルリンをぐるりと取り囲むブランデンブルク州は観光地としての認知度が低い。ブランデンブルク州に何があるのか全く知らない、という人も少なくない。でも、私はその知られざるブランデンブルクを愛していて、暇さえあれば探検しているのだ。何があるのかわからないからこそ、探検のしがいがあるというもの。

こんな物好きは自分くらいだろうと思っていたら、なんと仲間がいた。ベルリン在住のライター、久保田由希さんもブランデンブルクを探検するのが好きだという。そこですっかり意気投合して、「ブランデンブルク探検隊」を結成してしまった。今のところ、隊員は私と由希さんの二人しかいない。由希さんはベルリンにお住まいなので一緒に探検するのはときどきだけ。普段の探検活動はバラバラだけれど、互いに活動報告をし合って楽しんでいるというわけである。

探検のテーマは多岐に及ぶが、目下、熱中しているのは給水塔巡りである。かつて飲料水や工業用水の供給に不可欠だった給水塔がドイツ各地に残っている。ブランデンブルク州にも数多くあるようだ。州内に散らばる給水塔を探し当てるというプロジェクトである。しかし、なぜ給水塔なのか?私の給水塔熱に火を付けたのは、ほかでもない由希さんであった。由希さんは以前から給水塔を含む塔がお好きで、ベルリンを中心に給水塔巡りをしているという。2018年の12月に私のポッドキャスト「まにあっくカフェ」で由希さんに塔の魅力をたっぷりと語ってもらったことがきっかけで、それまでそれほど関心のなかった塔が気になるようになったのだ。

まにあっくカフェ 3 塔について語ろう

さて、前置きが長くなったが、いざ給水塔巡りを始めてみると、いろいろなことがわかって来た。給水塔には様々な外観のものがあり、それが建設された時代の建築の流行が反映されていること、給水塔の用途はいろいろだったこと、そして給水塔というものがほぼ使われなくなった後、それぞれの給水塔がどんな運命を辿ったのか、など。なかなか奥が深い。

でも、給水塔巡りはそれなりに大変だ。ブランデンブルク州は広く、給水塔はアクセスが良いとは限らず、なかなか探し当てられなかったり、あるはずの場所へ行ったら取り壊されて消えていたりする。

このように駅近であれば楽だけれど、、、、
遠かったり、、、、
立ち入り禁止だったり、、、、
遠くからはよく見えるのに、路地裏に建っていてなかなか見つけられなかったりする。
パッと見、給水塔なのかよくわからないものもあるし、
市役所と一体化していたりもする。
時には、塔の中を上まで登って給水タンクを眺めたりもする。
雨の中はるばる古城まで行き、木の下で雨宿りしながらシャッターチャンスを待ったことも。
ここでは側の変電ボックスに給水塔が描かれているのを発見した!
どっしりと存在感ある給水塔

ここに挙げたのはごく一部、給水塔はバラエティ豊かだ。給水塔を巡る冒険。その成果をなんらかのかたちでまとめられたらなあと思っている。

先日、1900年前後の裕福な市民の生活文化を知ることができる博物館、ハイン邸を紹介した。(記事はこちら

同じベルリン北部のプレンツラウアーベルク地区ドュンカー通り(Dynckerstraße)にも類似の住宅博物館がある。ほぼ同じ時代のものだが、ハイン邸との違いはハイン邸が資産家フリッツ・ハイン氏が自身と家族の住居として建てさせたものであるのに対し、ドュンカー通りの建物は賃貸アパートであったという点だ。どのように違うのだろうか。見に行ってみよう。

 

 

 

ミュージアムのある建物の入り口

プレンツラウアーベルク地区は現在はお洒落なカフェやショップが多く、ベルリンの中でも人気の高いエリアだが、1900年前後の状況は全く違っていた。急激に産業が発達していたベルリンへ周辺の地方から多くの労働者が流入し、大変な住宅難を引き起こしていた。1850年にはベルリンの人口は40万人ほどだったが、それが1900年頃には200万人弱まで膨れ上がっていたというのだから凄まじい。ドュンカー通り77番地のこの建物は1895年に建築大工マイスター、ハインリッヒ・ブルンツェルが賃貸用に建てたアパートで、通りに面した棟(Vorderhaus)と奥の棟(Hinterhaus)とがいわゆる「ベルリンの間(Berliner Zimmer)」で繋がっている。(ベルリンの間についてはこちらの記事を参照)そのうち、通りに面した棟の一部がミュージアムとして一般公開されている。通りに面した棟の方が家賃が高く、労働者の中でも比較的経済的にゆとりのある人たちが住んでいたそうだ。

 

通りに面したアパートは3部屋の作りで、入り口を入ってすぐの部屋はグーテ・シュトゥーべ(Gute Stube)と呼ばれるとっておきの部屋である。内装は資本家階級のスタイルを真似ているが、ずっと質素である。部屋の角に置かれたタイルストーブもとてもシンプルな造りだ。グーテ・シュトゥーべはクリスマスやイースター、来客時など特別なときにしか使わない部屋だから、このストーブにも普段は火を入れない。暖房費がばかにならないという理由もあった。通常はキッチンのストーブが暖房がわりだった。

「ストーブのタイルはフェルテンのものですか?」とミュージアムの人に聞いたら、「あら、よく知っていますね。今、説明しようと思ったところ」という返事が返って来た。そう、ベルリン近郊にはタイルやタイルストーブの生産で有名だったフェルテンという町がある。タイルストーブ生産は戦後、衰退してしまったが、フェルテンにはストーブ博物館があり、数多くの逸品が鑑賞できる素晴らしい博物館なのだ。以前、記事にしたので、興味があれば読んでみてください。

タイルとストーブ生産で栄えた町、VELTENのストーブ・陶器博物館

 

25kmほど離れたフェルテンからベルリンへ、タイルは馬車で運ばれた。輸送に鉄道が使われるようになったのは1893年以降のことだ。

 

アパートの賃貸人が何度も入れ替わったので、壁が重ね塗り直され、天井縁の細かい装飾も半ば埋まってしまっているが、画像の四角い部分のみオリジナルが復元されている。当時は内装に暗めの色を使うのが流行だったそうだ。

 

グーテ・シュトゥーべの他は寝室と台所である。当時の賃貸アパートの家賃相場は年間400〜800マルクだったとのこと。今だといくらくらいだろうか。寝室には家具やリネン類が展示されている。まだゴム紐のなかった時代だから、ズボンや下着類は紐で締めるスタイル。寝るときには男性も女性もナハトヘムト(Nachthemd)と呼ばれるネグリジェタイプの寝間着を着ていた。展示されているのは古いリネン類なのに、黄ばみがなく真っ白なことに感心してしまう。

台所

暖房器具の役割も果たした調理ストーブ。鍋の底は丸くなっていて、ストーブ台のレンジにはめ込むように置く。レンジは鍋底の大きさに応じてリングを取り外して調整できるようになっている。手前の丸い蓋つきの道具はワッフルメーカー。アイロンは熱した鉄の塊を中に入れて熱くする。昔のものはなんでも重いよね。

冷蔵庫。上の蓋を開けて氷の塊を入れ、扉の中の食品を冷やす

この頃建設されたベルリンのアパートでは窓の下にこのような奥行きの浅い棚を作ることが多かった。壁際の窓のすぐ下だから涼しくて食品の保管に適していただろう。

労働者の住まいにはバスタブはなく、このようなたらいに湯を張り、家族順番に入るのが普通だった。頻繁ではなく、せいぜい週に一度、大抵は土曜日が入浴日だった。

トイレ。なぜか便器の上の壁にテレビが設置されている。当時のベルリンの水事情についての動画が見られるというので見せてもらうことにした。細長い空間の床にマットが置いてあって、「どうぞ座ってご覧になってください」と言われたので、笑ってしまった。マットに座って、便器を前に動画を見るというのも何だかなあという感じであるが、興味深い内容だった。19世紀後半まで人々は井戸水をポンプで汲み上げて使っており、汚水は垂れ流しだった。そのため不衛生で、コレラやチフスなどの病気が蔓延していたが、1877年、パンコウ地区にベルリン初の給水塔が稼働を開始する。また、医学者ルードルフ・フィルヒョーが都市計画家ジェームズ・ホープレヒトとともにベルリンに近代的な上・下水道を整備したことで市民の水事情は劇的に改善した。ちょうど今、私は給水塔巡りをやっているところなので、タイムリーな話題だった。給水塔については、改めて記事化するつもり。

通りに面した家賃の高い方の棟にはこのように各戸にトイレがあったが、家賃の安い奥の棟では、住民は階ごとに廊下のトイレを共同で使っていた。2〜3部屋に家族だけでなく、わずかのお金と引き換えに赤の他人を寝泊まりさせることも珍しくなかった。自分でアパートを借りるお金のない人は、他人の借りたアパートの片隅で寝させてもらっていたというわけだ。でも、床の狭いスペースであっても得られればまだマシで、それすら見つけらず路上での生活を余儀なくされる人が大勢いた。この博物館に近いフレーベル通り(Fröbelstraße)には1886年、ホームレスの人々を夜間、収容するための公共施設「Palme」が作られた。一晩に平均2000人、最高で5000人もが利用したという。

これまで何回かにわたって19〜20世紀初めのベルリンの住文化をテーマとする博物館を訪れ、当時の生活の様子を興味深く見て来たが、実際には文化的な生活を送ることができたのは全体の一部で、多くの人は劣悪な住環境での生活を強いられていたのだなあ。そして、都市部のこのあまりにも大きい格差が近代住宅へと続くその後の新しい住宅建築のスタイルを生み出していったのだろう。この後の時代についても、少しづつ見ていきたい。

前回の記事で、一見、観光資源に比較的乏しそうに見えるブランデンブルク州は実はネイチャーツーリズムを楽しむのにとても適していることについて書いた。森林をハイキングしたり、広大な景色の中をサイクリングしたり、湖でウォータースポーツを楽しんだりできるだけでなく、野生動物を観察することができる。いろんな生き物がいるが、特に野鳥の種類と数はとても多く、特に冬季は渡り鳥の群れをあちこちで観察でき、その光景たるや壮観である。

でも、もっとお手軽に野生動物を観察する良い方法がある。それは自宅の周りで楽しむバードウォッチングだ。自宅周辺なのに「ツーリズム」と言うのはちょっと違うかもしれないけれど、わざわざ遠くまで出かけなくても視界が変わって新鮮な感覚を味わえて、とても面白いのだ。

実は庭仕事があまり得意ではないので、我が家の庭は荒れ放題とまではいかないが、かなり野性味溢れる庭だ。ご近所さんたちは庭を綺麗に手入れしているのでちょっと恥ずかしく思っていたのだが、自然に近い状態のせいか、うちの庭には結構いろんな野鳥がやって来る。

「いろんな鳥が来る」と書いておきながら、実は最近までどんな種類の鳥がどんな時期に来ているのか、ほとんど把握していなかった。「あー、鳥がいるなー」くらいのぼんやりした認識しか持っていなかったので、「具体的にどんな鳥が来るの?」と聞かれたら、「えーと、クロウタドリ(Amsel)とか、、、」と真っ黒で誰でも簡単に見分けられる鳥の名前しか出て来ない。それじゃつまんないよね。

うちに来る鳥を見分けられるようになりたい!

そこで、積極的に庭に野鳥を呼び寄せることに決めた。具体的には、テラスに餌台を設置したのである。

夫がホームセンターで買って来た、こんな適当な餌台(娘には「ダサい!」と言われた)。これにカラス麦など穀物をのせて、横にはファットボールをぶら下げてみた。すると早速、野鳥がやって来た。これはシジュウカラ(Kohlmeise)だ。

この餌台の他に、野鳥がよく来る桜の木の枝にもファットボールをぶら下げたところ、その日から、入れ替わり立ち替わり野鳥たちが餌を食べにやって来るようになり、あっという間に我が家の庭はちょっとした野鳥園に!

アオガラ(Blaumeise)
ヨーロッパコマドリ(Rotkehlchen)
エナガ(Schwanzmeise)
スズメ(Feldsperling)

ドイツにはスズメは上の画像のような日本でもお馴染みのスズメ(Feldsperling)と頰の黒い丸のないイエスズメ(Haussperling)の2種類がいる。一般的によく目にするのはイエスズメの方だけれど、うちには両方やって来る。

餌台に置く餌は日替わりでいろんなものを試してみた。今のところ、ダントツで人気なのはヒマワリの種で、カラス麦やレーズンもそこそこ好まれる。ピーナツは殻つきのまま置いたら、殻を剥くのが面倒なのか、売れ行きが悪かったので殻を剥いたものを提供したら、急にみなさんの目の色が変わった!笑

カケス(Eichelhäher)

カケスはピーナツをくわえてサッと高い木の枝に飛び乗り、邪魔されないところでゆっくりとピーナツを堪能、、、、のつもりだったようだが、気の毒にもこの直後、うっかりピーナツを落としてしまった。

クロウタドリ(Amsel)は地面から餌を拾うことが多い
モリバト(Ringeltaube)

画像の鳥の他にこれまでにゴジュウカラ(Kleiber)、カササギ(Elster)、カンムリガラ(Haubenmeise)、アカゲラ(Bundspecht)なども確認できた。

これら野生のお客さんを窓の中から眺めるのがすっかり日課になった。今は冬で庭に出るのは寒いからね。それに、バードウォッチングは木々に葉っぱがなくて鳥の姿がよく見える冬だからこその楽しみともいえる。

なにか鳥が来たらすかさず写真を撮り(撮れないことも多いが)、画像をネット上の鳥類図鑑の画像と比較して種類を特定する。ついでにその種の生態や分布も読んでいるうちに、少しづつ野鳥の名前を覚え、多少の知識もついて来る。バードウォッチング、楽しいな。春になったらまた違う種類の鳥たちがやって来るのではないかとワクワクしながら庭を眺める毎日である。

旅行大好き、観光大好きな私だが、必ずしも遠くまで出かけて行かずとも、視点を変えれば住んでいる環境の中でも観光気分を大いに味わうことができる。面白いものはどんな場所にもあるよね。ただ、それに気づくか、気づかないかだけ。

 

長年の趣味の博物館巡りに加え、近頃、熱中していることがある。それは野生動物の観察。私が住んでいるブランデンブルク州は首都ベルリンをぐるりと取り囲む面積3万㎢弱の地域だが、大都市ベルリンとは対照的に周辺は人口密度が低く大きな産業もないので、よく「何もない場所」と言われる。そのブランデンブルク州に住むようになって14年。何もない場所に住んでいて退屈かって?いやいや、住めば住むほど、いろんなものがあることに気づいてどんどん面白くなる。正確には「いろんなものがいる」というべきかな。ブランデンブルク州は人は少ないが、その代わりに人間以外の生き物が多い。つまり、野生動物でいっぱいなのだ。

上の地図の通り、ブランデンブルク州は森林(緑色の部分)や湖(水色の部分)の面積が広く、その多くは自然保護区に指定されている。日常的にシカ、キツネ、リス、ウサギ、イノシシ、ハリネズミ、テン、アライグマ、野ネズミなどいろんな野生動物に遭遇するし、自然保護区ではオオカミ、ヘラジカ、野生ネコなど稀少な動物も確認されている。

せっかくそういう環境にいるからには、楽しまなければ損!

というわけで、カメラを持って野生動物探しに熱中する今日この頃である。野生動物は動きがすばやくてなかなか良い写真が撮れないが、外を歩けばほぼ確実になにかに遭遇するので楽しい。外を歩くので健康にもいいし、お金もかからない。

キタリス(Eurasische Eichhörnchen)

 

ノロジカ(Reh)

ダマジカ(Damhirsch)


アカシカ(Rothirsch)


私の住むブランデンブルクには野生のヘラジカもいるが、まだ遭遇したことはない。

わかるかな、、、野ウサギ(Hase)


アライグマ(Waschbär)



アカギツネ(Rotfuchs)

ビーバーに齧られた木も水場のあちこちにある。でも、ビーバーそのものを見つけるのは難しい


もちろん、野鳥もたくさん。

ノスリ(Mäusebussard)

コウノトリ(Weißstorch)

ニシイワツバメ(Mehlschwalbe)

ハイイロガン(Graugans)の群れ


クロヅル(Kranich)

クマゲラ(Schwarzspecht)

カワアイサ(Gänsesäger)かな?

ホシムクドリ(Star)が木の枝に鈴なりに

渡り鳥の移動が見られるのも気に入っている

首都の周辺がこの環境って、凄くない?ブランデンブルク州では大都市ベルリンと野生の王国のコントラストを満喫できるので、とても気に入っている。もちろん、ブランデンブルク州に限らず、ドイツは全国に自然保護区があり、野生動物の保護活動も盛んなので、都市から少し郊外に出ればいろんな生き物を観察することができる。これも1つのマニアックな観光ジャンルではないかな。ドイツにおけるネイチャーツーリズムについても、これからシリーズとして少しづつまとめていくつもり。

 

追記:

野生動物への興味が高じて、2022年、アニマルトラッキングの本格的な講座を受講した。野生動物そのものの姿が見られないときでも、動物の痕跡は至るところにあることに気づき、ますます楽しくなった。

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ここのところ連続でドイツの古い生活文化をテーマに記事を投稿しているが、前回および前々回は1900年前後のベルリンの市民生活が見られる博物館を紹介した。1900年前後のベルリンはプロイセン王、ヴィルヘルム二世を皇帝に戴く「ドイツ帝国」の中心地として急激な発展の最中にあった。ドイツ帝国時代、ドイツ語では「カイザーツァイト(Kaiserzeit)」と表現されることの多いこの時代はどんな時代だったのだろうか。こんな資料があった。

Gerd Richter著「Die gute alte Zeit im Bild(絵に見る古き良き時代)」。副題は Alltag im Kaiserreich 1871-1914 in Bildern und Zeugnissen (絵と証拠資料に見るドイツ帝国の日常)となっている。大手出版社、Bertelsmann出版から1974年に発行されている。中を開くと、古い絵や写真、広告が満載で、文章を読まずとも当時の雰囲気が伝わってくる楽しい本だ。

「古き良き時代」とノスタルジーを持って振り返られるカイザーツァイト。この頃はまだ今ほど個人主義が確立されておらず、社会単位として家族が重視されていた。多くは大家族で、メンバーにとってのセーフティネットの役割を果たしていた。しかし、家長である父親の権威が強く、女性や子どもの権利に対する意識は高くなかっただろう。上の画像の左ページ下には父親が小学生くらいの男の子に体罰を与えようとする様子が描かれている。それを止めようとしているのは妻だろうか。

市民層が拡大していたこの時代、裕福な家では使用人を雇うことが珍しくなかった。使用人の中では乳母が最も給与が高かったようだ。1897年の女中(いわゆる”Mädchen für alles”)の年間の給料は45〜80プロイセン・ターラー、子守りはそれよりも少ない35〜60ターラー、料理人は専門職だからもっと高くて60〜100ターラーというのが相場だったのに対し、乳母は80〜120ターラーとダントツだ。授乳による体型の崩れを気にする奥様たちの間で健康な乳母は引っ張りだこだっただろうか。右側ページの真ん中の写真に写っている乳母たちは特徴的な白い被り物をしている。彼女たちはソルブ人である。ベルリン近郊のシュプレーヴァルト地域は古くからソルブ人の居住地でソルブ人の多くの女性はベルリンで乳母として働いていたようである。右ページ下の写真はハンブルクの女中専門学校で調理を学ぶ若い女性たち。

ベルリンの商人の邸宅内部。天井からは豪華なシャンデリアが下がり、装飾性の高い家具の上に所狭しと並べられた置物類。裕福な生活ぶりが伝わって来るが、今の感覚からするとゴテゴテとして悪趣味といえないこともない。ゴシック、バロック、ルネッサンス様式など、過去のスタイルの同時リバイバルで統一感が見られない。この後、ドイツではユーゲントシュティールやノイエ・ザッハリヒカイトという、よりシンプルで実用的な美へと向かっていくことになるが、、、。

ファッションもその時々の社会の価値観を反映するので興味深い。この時代の女性の服装は凝っているが、くびれたウェストを作るためのコルセットがマストだった。今の時代にも窮屈な補正下着はあるけれど、着用は義務ではないからよかった。あ、でも日本ではついこないだ、職場でのハイヒール着用強制に関する論争があったのだったな。ところで、ドイツのこの時代の衣装はベルリンの工芸博物館やマイエンブルクのモード博物館、アウグスブルクの州立織物産業博物館などで実物を見ることができる。

産業革命により資本主義経済が急激に発達したカイザーツァイトには労働者のための社会福祉制度の整備が急務となった。左ページ上の写真はベルリンの企業の社員寮で寛ぐ女性労働者たち。下の写真には1900年頃の孤児院での食事風景が見られる。右ページは幼稚園。この頃の多くの幼稚園はまだ子どもを預かる場所でしかなく、教育の場という概念は希薄だった。初めて幼児教育という観点に基づいて幼稚園を設立したのはフリードリッヒ・フレーベルである。

体操という概念が生まれたのもこの頃だ。国民運動を主導した教育者で「体操の父」として後世に名を残したフリードリッヒ・ルートヴィッヒ・ヤーンがベルリンに初の運動場を建設し、体操クラブを結成すると、体操ムーブメントは瞬く間に全国に広まり、学校教育の中にも体育という科目として確立されていく。

経済的なゆとりを得た市民は余暇を楽しみ、大都市に作られた動物園は行楽客で賑わった。自動車も普及し始め、旅行も盛んになる。さぞ絵葉書が売れたことだろう。でも、海外旅行はまだお金持ちの間でもよほど特別な機会でもない限り現実的ではなかったようだ。

ドイツ人は一般に自然の中で活動することをとても好むが、この頃から若者たちは能動的に野外活動に取り組んでいたようである。1900年前後にベルリンのギムナジウム(大学への進学を前提とした学校)で野外活動サークル「ワンダーフォーゲル(Wandervogel)」が結成され、ムーブメントとして広がっていく。ワンダーフォゲルって日本にもあったよね。最近は耳にしなくなったが。

ざーっと見ていったが、この本、200ページ以上あって、この時代のドイツ社会の様々な側面をわかりやすく紹介していてかなり面白い。