首都サン・ホセを出発した私たちがまず向かったのは、アレナル火山国立公園 (Arenal Volcano National Park)だ。計画では、旅の最初の3日間はモンテヴェルデ熱帯霧林自然保護区(Monteverde Cloud Forest Nature Reserve)でバードウォッチングを楽しむはずだったのだが、こちらの記事に書いたようなハプニングの連続で、その3日間が丸ごと吹っ飛んでしまったのだ。ああ、無念。でも、嘆いていてもしかたがない。仕切り直していこう。

アレナル火山国立公園は、サン・ホセから北西におよそ90kmに位置する。アレナル火山とチャット火山という二つの火山を囲む、広さ1万2000haの自然保護区だ。

アレナル火山はコスタリカで最も活動の激しい火山で、1968年からずっと噴火活動が続いている。富士山にも似た円錐型が美しい山だけれど、てっぺんが雲に隠れていることが多く、上の写真のようにくっきりと全容が見るのはなかなか難しいらしい。私がボルカン・アレナル国立公園を訪れるのはこれが2度目で、写真は前回の滞在時にかつてのスミソニアン研究所の火山観測所を改装したホテル、Arenal Observatory Lodge & Trailのテラスから撮ったもの。このときは1週間滞在して、溶岩原のトレイルを歩いたり、ネイチャーガイドによるナイトハイクに参加したり、近郊のタバコン温泉に浸かったり、ジップラインで熱帯雨林を滑走したりした。ジップラインについては書きたいことがあるので、別の記事にまとめよう。

今回の滞在では、前回やり残した、フォルトゥーナ滝までのトレイル(La Fortuna Waterfall Hike)を歩いてみた。

ちなみにトレイルは有料で、チケットは1人20米ドル。トレイルの長さは片道1.2km。たいしたことがないなと思ったけれど、高さ70メートルの滝を見るためには、急な階段530段を降りなければならない。

途中で木の上にホエザルがいるのを発見。

 

途中のプラットフォームから見たフォルトゥーナ滝。遠くてスケール感がよくわからない。

 

間近まで行って見ると、なかなかの迫力。

滝壺で泳いでいる人たちもいたけれど、危ないので私はここでは泳がずに、

少し離れた場所で泳いだ。透明なブルーの水が綺麗で、大きな魚もたくさんいてテンションが上がる〜。

しばらく泳いだ後は、また530段の急な階段を登って帰らなければならない。そこそこキツい。でも、これはまだ序の口。観光地だけにこのトレイルはよく整備されていて歩きやすく、後から思えば、これからコスタリカ滞在中に歩くことになる数々のトレイルのための準備運動だった。

さらに今回は、アレナル火山の西側、人口湖アレナル湖の南端近くに位置する蝶園、 Butterfly Conservatoryへも行ってみた。

これが意外にとてもよかった!「きっと観光客目当ての施設で、たいしたことないんだろう」となんとなく思っていたが、とんでもない先入観だった。

ブルーモルフォ (Morpho)

メムノンフクロウチョウ (Caligo memnon)

オオカバマダラ (Danaus plexippus )

シロモンジャコウアゲハ (Parides iphidamas iphidamas)

ラウレンティアアメリカコムラサキ (Doxocopa laurentia cherubina)

キングスワローテイルバタフライ (Heraclides thoas)

コスタリカにはおよそ1500種の蝶がいるとされている。中央アメリカに生息するすべての蝶の90%がコスタリカで見られる。今回の滞在中には至るところでたくさんの蝶を見ることになったが、常にひらひら動き回っていて写真を撮ることはおろか、じっくり見るのすら難しかったので、この蝶園でいろんな種が見られたのはよかった。

蝶だけでなく、カエルもいろいろ飼育されている。

アカメアマガエル(Agalychnis callidryas)。コスタリカは中央に山脈が走っており、その西(太平洋側)と東(カリブ海側)とでアカメアマガエルのお腹の色が違う。これはカリブ海側のアカメアマガエル。

マダラヤドクガエル(Dendrobates auratus)

そして、さらに嬉しいことに、蝶園の敷地内にはトレイルもあり、熱帯雨林の中を歩くことができる。観光客にはそれほど存在を知られていないのか、私たちの他にはほとんど誰もいなかった。

なんて癒される空間だろう。素晴らしいー!

 

 

この記事の参考サイト:

Arenal Volcano National Park

Costa Rica Butteflies, motos, and the Blue Morpho Butterfly

 

前回の記事に書いたように、出発時点からハプニングが連続し、すっかり出鼻を挫かれた今回のコスタリカ旅行だったが、延々3日半にわたる奮闘の甲斐あって問題がどうにか解決し、ようやく旅は始まった。

 

今回の旅のテーマは「生き物」だ。約3週間の滞在中にできるだけ多くの野生動物が見たかった。

 

コスタリカは世界の生物多様性ホットスポットの一つに数えられる、生き物大国である。世界の生物種のうちのおよそ5%にあたる種が生息するという。コスタリカで見られる鳥類はおよそ900種。ハチドリだけでも52種も生息する。哺乳類はおよそ230種、植物に至っては12000種という多様性を誇る。

ズアカエボシゲラ (Campephilus guatemalensis)

 

コスタリカの生物多様性がこれほどまでに高いのには、多くの要因がある。

 

  • コスタリカはおよそ300万年前に北米大陸と南米大陸が陸続きとなってできたパナマ地峡に位置する。パナマ地峡では両大陸の生物が互いに移動し、大規模な種の交換が起こった
  • 北緯10度という赤道に近い位置と北太平洋の暖流のおかげで、多くの生物種が最終氷期を生き延びた
  • 太平洋と大西洋に挟まれ、中央を山脈が走っているため、国土の西側と東側で気候が異なっている
  • 海岸沿いの低地から標高3000メートル近くの山間部まで、あらゆる高度があり、緯度との組み合わせによって多数の異なるエコシステムが存在する

セスナ機から見下ろしたオサ半島の熱帯雨林

 

生き物の宝庫コスタリカは自然保護を国の政策として大々的に打ち出しており、国土の26%が自然保護の対象である。小さな国土に25の国立公園を持ち、自然保護区の数は100を超える。エコツーリズムは国内総生産の6%を占める一大産業だ。フアン・サンタマリア国際空港に降り立つと、カラフルな野鳥や鋭い目をしたピューマの特大写真が観光客を迎え、期待感を大いに高めてくれる。オオハシやナマケモノなどのイラストがプリントされた土産物のパッケージも洗練されていて、「野生動物の楽園コスタリカ」としてのブランディングが実に上手いなあと感心してしまう。豊かな生態系をアピールして世界中から観光客を呼び寄せ、彼らが落としていくお金で自然保護のための措置をさらに強化していく。コスタリカは同時に、再生可能エネルギー率95%を誇る自然エネルギー推進のトップランナーでもある。

色のついているエリアは自然保護区。

 

コスタリカが環境保護先進国となったのは、20世紀後半、集約農業によって環境破壊が急激に進み、危機感が広がったことがきっかけだった、コーヒー、バナナ、パイナップルなどのプランテーション栽培で1945年には国土の75%を占めていた森林が1983年には26%まで減少したという。1996年に大々的な植樹を行い、2023年には60%まで回復している。

 

もちろん、すべてが理想的というわけではないだろうが、その先進性と実際の自然の豊かさが、コスタリカを訪れる価値のある国にしていることは間違いない。

 

ではこれから、コスタリカの自然を自らの足と五感で味わっていこう。

 

私たちは車に乗り込み、首都サン・ホセを後にした。

 

この記事の参考文献およびサイト:

待ちに待った日がようやくやって来た。今年こそ、寒くて暗いドイツの冬を脱出して、コスタリカの熱帯雨林にまた身を置くのだ。

2015年の冬、コスタリカを初めて訪れて以来、私は「コスタリカの最後の秘境」、オサ半島の虜になっていた。地球上で生物多様性が最も高いと言われるオサ半島は、そのその驚くほどの自然の豊かさで私を魅了した。植物が鬱蒼と生い茂る森を歩くと、大きな青い翅を輝かせながらモルフォ蝶が目の前を舞っていく。足元では葉切りアリたちが長い列を作り、不揃いな木の葉の断片をせっせと巣へ運んでいる。木々の上ではクモザルやリスザルが枝から枝へと飛び移る。森を抜け、海岸に出て「そらいろ」と形容するのに最もふさわしい青い空を見上げれば、そこには赤、青、緑、まるでマジックインキで塗ったかのような鮮やかな羽色のコンゴウインコたちがやかましいほどの鳴き声をあげながら飛び交っている。森の中のエコロッジで寝泊まりしていた私たちは、毎朝、まだ暗い森に轟くホエザルの吠え声で目を覚ました。赤道付近では、午後6時近くにもなれば黒い幕を下ろすかのようにストンと一気に陽が落ちる。その真っ暗な空にかかった天の川の迫力に圧倒されながら、星々は地球上のどこにいても必ず私たちの頭上にあるのに、その存在感は場所によってこんなにも違うのかと不思議に感じた。

このときの自然体験が忘れられず、またどうしてもオサ半島へ行きたいと思いながら8年が経過した。そのとき一緒だった夫は、その後、息子を伴って二度もオサ半島を再訪しており、彼らの持ち帰った野生動物の写真や土産話は私のオサ半島への想いをますます燃え上がらせた。そして、2024年1月18日の朝、私は夫とともに再びコスタリカへ向けてベルリンの空港を飛び立とうとしていた。準備は万端。ぬかりはないはずだ。

いよいよ!

始まる!

願い続けたこの旅が!

・・・・・・・・・・

ところが、搭乗開始時間を過ぎても、一向に搭乗手続きが始まらない。10分、20分、30分と時間が経っていき、ようやく機内に乗り込んだときには出発予定時刻を2時間も過ぎていた。これがその後延々と続く、負の連鎖反応の始まりだった。この遅延のために、経由地のパリ、シャルル•ド・ゴール空港でコスタリカ行きの飛行機に乗り継げないという事態が発生したのだ。

その日は他にパリからコスタリカへの直行便はなく、パナマまたはコロンビア経由の便はあったものの、サービスカウンター前の長蛇の列に並んで順番を待っている間にそれらの便は出発してしまった。やっとカウンターの前に立つと、私たちが乗れる可能性があるのはなんと翌日ではなく、翌々日の米国経由便だという。しかし、米国でトランジットするには電子渡航認証システム、ESTAを取得していることが条件である。大急ぎでパソコンを立ち上げ、ESTAを申請するも、許可が下りるまで一体何時間かかるかわからない。ヤキモキしながら許可を待ち、どうにか2日後の米国経由便に座席を確保したときには胸を撫で下ろしたが、もうすっかり日が暮れていた。ホテルへ移動しなければならない。預けているスーツケースを受け取ろうとすると、係員はそれはできないという。

「できないって、どういうことですか?2日間もパリで過ごさなければならないのですよ。お願いだから、スーツケースを出してください」

いくら頼んでも、係員はできないの一点張り。あなた達のスーツケースは二日後の米国経由便に積み込まれるから何も問題ないと言い切られ、洗面道具セットすらももらえないまま私たちは空港の外へ放り出されてしまった。これから熱帯へ行くのだからと家を出るときに着ていた冬の上着はベルリンの空港でスーツケースの中に入れてしまったので、上着すらない。翌日丸一日時間があるからといって、パリ観光に出かけることもできないのだ。

それよりも何よりも、2日も遅れて現地に着くことになるので、予約しているホテルやレンタカーの変更手続きをしなければならない。以前、米国旅行をした際、似たような状況で予定日に出発できず、レンタカー会社に連絡しようにも時差のため連絡が取れないまま飛行機に乗ってしまったら、約束の日に現れなかったという理由で予約がキャンセル扱いになって3週間分のレンタカー代が吹っ飛んだ上、新たに契約できるのはレンタル料がより高い車種しかなかったという大打撃を被ったことがあった。その二の舞になっては大変である。私たちはパリのホテルから必死の形相で各方面に電話したりメールを送ったりし、すっかり疲労困憊。

二日後にようやくシャルル•ド・ゴール空港から飛び立ったときにはすでに精神的にヘトヘトだったが、アトランタ空港で私たちを待ち受けていたのは、「スーツケースが飛行機に積まれていなかった」という現実であった。ああ、案の定!だから、スーツケースを一旦出してくれとあれだけ言ったのに!

スーツケースが載っていなくても、私たちはそのまま乗り継ぎ便に乗るしかない。数時間後、コスタリカのサン・ホセ空港に到着したが、スーツケースがなければ旅を始められない。予定ではその翌日に首都サン・ホセを離れるはずだったが、スーツケースを受け取るまでサン・ホセに足止めされることになってしまった。何の罰ゲームよ。

不運はこれで終わらなかった。スーツケースが来ようが来るまいが、レンタカーは予定通り受け取らなければならない。レンタカー会社へ出向き、夫のクレジットカードでデポジットを払い、無事、車は受け取った。ふう。しかし、その直後に現地の通貨コロンを引き出しておこうと、レンタカー会社そばのATMでキャッシングしようとしたら、エラーが出たのだ!夫がコスタリカへ行くたびに利用している、いつものATM、カードは数分前にデポジットを払うために使ったばかりのいつものクレジットカードである。周辺の複数のATMを試したが、いずれもダメである。

夫は携帯電話でドイツの銀行に電話したところ、電話口で延々何十分も待たされた挙句(国際電話なんだけど!)にわかったことは、レンタカー会社でデポジットとして1000ドルほど払ったのが「不審なトランスアクション」だとして銀行側が設置する検出システムに引っかかり、クレジットカードが自動的に止められたということ。夫は怒り心頭で、直ちに元通りにしてくれと訴えたが、電話口の人は自分にはその権限がないと言う。まったくもって運の悪いことにその日は日曜で、月曜にならないと執行権限のある人がオフィスに出てこないと言うのだ。私たちはすっかり窮した。飛行機の遅延からロストバゲージまでの一連のハプニングのせいで、予約してあるホテルには泊まれず、そのキャンセル料がかかるだけではなく、新たにその日の宿泊先を見つける必要があるのに、クレジットカードが使えないとそれすらもできないのである。

だったら、私のクレジットカードを使えばいい?それがなんとも運の悪いことに、私のクレジットカードはその1ヶ月ほど前に銀行(名前はここに出さないが、同じ銀行である 怒!)側のミスによって削除されており、新しいカードの発行を再三要求していたにもかかわらず、出発までに手元に届かなかったのだ。これにもかなり憤慨していたが、届かないものはしかたがないのでそのまま出発した。私たちは何も悪いことをしていないのにダブルで罰せられて路頭に迷うという信じられない事態。ああ、私たちの旅は始まる前に終了してしまったのだろうか。

それにしても今日、どこで寝よう。

「大丈夫。車の中で寝られるよ」

私は努めて明るく言った。しかし、夫は頭を横に振り、ため息をついた。「いくらなんでもそれは」。

「現金で泊まれるところを探そう」

空港に戻り、財布の中にあったユーロ札をバカ高い手数料を払って両替した。それほどの金額ではない。夫のクレジットカードがいつ復旧するのか、スーツケースは無事受け取れるのか、不確定要素ばかりであるから現金も慎重に使わなければならない。幸い、空港の近くの住宅街にわずかな現金で泊まれる民宿が見つかった。

泊めていただいたおうちの中庭

宿主は大変感じの良い夫婦で、私たちの不運に大いに同情してくれた。空港や銀行の職員とのやりとりに神経がすり減っていたので、温かい対応に涙が出そうになる。部屋は簡素だけれど清潔で、居心地は悪くない。民家に泊まることになったのも悪くないな、と思った。というのも、コスタリカは中米の国の中では治安が良いとされているが、首都サン・ホセの民家には泥棒よけなのか、格子のシャッターがついていることがほとんどだ。前回の滞在時、あのシャッターの奥で、市井の人々はどんな暮らしを営んでいるのだろうと気になっていたのだ。他人の家の中をジロジロと見るわけにはいかないけれど、コスタリカの人の生の生活をほんの少しでも肌で感じられるのは嬉しい。

中庭のソファーに座って、奥さんの淹れてくださったコーヒーを啜りながら、スーツケースは果たして届くのだろうかと心配しながら、夜になるまで中庭の木にやって来る野鳥を眺めて気を紛らわせた。

キバラオオタイランチョウ(Pitangus sulphuratus)コスタリカのどこにでもいる、やかましい鳥。

 

ソライロフウキンチョウ (Thraupis episcopus)

 

やがて夜になり、ブリキ屋根の下で寝た。どれだけ眠れたのかはよくわからない。朝が来て、宿の奥さんが磨き上げられた大きな木製のシステムキッチンで作ってくれた典型的なコスタリカの朝ごはんはとても美味しかった。

コスタリカコーヒー、ガジョピント(お豆ご飯)、焼いたプランテンバナナ、スクランブルエッグにフルーツ。コスタリカの朝ごはんメニューはどこへ行ってもこんな感じで、この後、繰り返し同じものを食べることになるのだが、今、思い返してみても、この朝のガジョピントが、滞在中、一番美味しかったと思う。

続く。

年が明けたので、2023年の活動について軽くまとめておこう。

2022年はこちらにまとめたように、探検仲間の久保田由希さんとの共著で本を執筆し(『ドイツの家と町並み図鑑』)、同時にアニマルトラッキングを本格的に学ぶという2つのプロジェクトが1年の大半を占めた年だった。とても充実していたけれど、2023年はパンデミックも収束したことだし、旅を再開したい。フレキシブルに動けるよう、旅以外のプロジェクトは持たないことにした。

2023年に実行した旅は以下の通り。

 

3月 エジプトのマルサ・アラムでスキューバダイビングに初挑戦

スノーケリングが大好きで、いつかダイビングもやってみたいと長年、思っていた。念願叶って、ついに紅海に潜ることができた。正直に言って、初めての体験は怖かったけれど、海面下にはとてつもなく広く深い未知の世界が広がっていることを実感できた、大きな体験だった。帰宅してから海洋生物学の本を読み漁った。特に紅海で目にしたウミガメが忘れられず、ウミガメに関する本は3冊読んだ。ダイビング体験によって、また新たな興味を開拓できたのが嬉しい。

 

5月 ワッデン海国立公園でバードウォッチング

カオジロガンの群れを見に、世界最大の日方が広がるワッデン海国立公園のベルトリンクハルダー・コークへ。圧巻だった。

 

7月 スコットランド、グラスゴーのモダンデザインに触れる旅

久しぶりの一人旅でグラスゴーへ。グラスゴーを目的地に選んだのは単なる思いつきだったが、現地でグラスゴースタイルと呼ばれるスコットランドのモダンデザインについて知ることに。その巨匠であるC.R.マッキントッシュのデザインが素晴らしい。

 

8-9月 北海道ジオ旅行

今年のハイライト旅行。企画・準備に半年ほどかけ、約3週間の日程で北海道のジオパーク・ジオサイトを周り、帰宅してからも資料を読んで記録することにかなりの時間を費やしたので、ほぼ1年中取り組むことになった。この旅行を通して、地質や岩石についての理解が一段高まった気がする。日本はジオサイトの宝庫だけれど、その存在や素晴らしさは国外ではあまり知られていないようなので、少しでも伝えることができたらと思い、この旅行についてドイツ語でプレゼンスライドを作った。今年(2024)、ポツダムの地質学同好会にて発表することになっている。

 

12月 ポーランド、ヴロツラフへ小旅行

友人に誘われて1泊2日の弾丸旅行。クリスマス直前だったので、帰宅してからドタバタと忙しく、いまだ未消化。ドイツの隣国なのにほとんど知らないポーランド。今後、機会を見て深掘りしたい。

 

今年のテーマは海の生き物、野鳥、石や地層、そして文化だった。こうして考えてみると、やっぱり私の精神世界は旅を中心に回っているようだ。死ぬまでにやりたいことのバケットリストを作っている人がいるけれど、私がバケットリストを作るとしたら、「〇〇へ行って××をする」ばかりになるだろうなあ。旅のほかには読書も好きだし、新しいことを学ぶのも好きだけれど、それらもやはり旅に直結している。旅で得た刺激がきっかけで本を読み、また本を通じて興味が湧いた場所へ出かけていく。旅で目にして気になったことから新しい分野への関心が深まり、学びたいという意欲が湧くのだ。

 

2024年も旅多き1年にしたい。事始めは1月半ばに出発する、コスタリカ・ジャングル探検旅行。コスタリカは2度目だけれど、コロナ禍で旅行に出られなかった期間に学んだアニマルトラッキングのスキルが少しは役立つのではないかと期待。

 

 

 

ドイツの野鳥シリーズ、第一回はキツツキだった。今回はツルについて。

ドイツで観察できる野生のツルはヨーロッパクロヅル(Grus grus grus)のみだが、メクレンブルク=フォアポンメルン州やブランデンブルク州には多く飛来し、一部は繁殖もする。私の住むブランデンブルク州では結構、至るところでツルの姿を見ることができ、身近なのが嬉しい。秋になると、我が家の庭の上をもツルの群れが鳴きながら通り過ぎていく。田舎暮らしで良かったなと感じる瞬間だ。

ベルリン・ブランデンブルク探検隊の方でスライド動画を作ったので、このブログで記事としてまとめる代わりにリンクを貼っておく。

 

 

 

 

約3週間の北海道ジオパーク•ジオサイト巡り、ついに最終日。最後の目的地はむかわ町の穂別博物館に決めた。

数年前、北海道むかわ町で見つかっていた恐竜の化石が新属新種であることが判明したというニュースを目にし、興味が沸いた。そして、むかわ竜と名付けられたその恐竜の学名が「カムイサウルス・ジャポニクス」に決まったと知ったときには思わず興奮。カムイの地で生まれ育った者としてはスルーできない。いつかカムイサウルスを見てみたいなあと思っていたのだ。

むかわ町穂別は「古生物学の町」という感じで、町のあちこちに化石や古生物のオブジェが見られる。

交差点のアンモナイト化石

穂別博物館の向かいにあるお食事中のモササウルスのオブジェ

野外博物館のタイムトンネル

野外博物館のアンモナイトオブジェ

 

穂別博物内に入ろう。ロビーで出迎えてくれたのは、カムイサウルスではなく、ホベツアラキリュウのホッピーだ。

ホベツアラキリュウは中生代白亜紀に生きた水棲爬虫類のクビナガリュウ(プレシオサウルス)で、穂別地域でおよそ8000万〜9000万年前に生息していたとされる。   その頃の穂別は、陸から遠く離れた海だった。それにしても首が長い。歯が小さくて細く、硬いものを噛み砕けないので、魚やイカ、タコ、小さいアンモナイトなどを丸呑みして食べていたと展示で読んだけれど、こんな長い首をアンモナイトが丸ごと通過していったと想像すると、どうにも不思議だ。

ホベツアラキリュウの産状復元模型と現物化石

ホベツアラキリュウの名は、1975年に化石を最初に発見した荒木新太郎さんにちなんでいる。その後の発掘調査で頭部・頸部・尾以外を除く大部分の骨格が見つかり、ホッピーは全身骨格が復元された国産クビナガリュウ第二号、北海道では第一号となった。ホッピーは北海道天然記念物に指定され、この貴重な化石の保存や展示を目的に穂別博物館が建設されたのだ。

こちらは、モササウルス類の生態復元模型。モササウルスは後期白亜紀の海性のトカゲ。確かドイツのリューゲン島のチョーク博物館で全身骨格を見た記憶がある(けど、記録していない)。ゲッティンゲン大学博物館にも生態復元模型があった(過去記事)。

モササウルス・ホベツエンシスの化石

穂別博物は大型古生物の標本もすごいけど、アンモナイト標本も魅力的なものが多い。点数は三笠市立博物館ほどではないけれど(三笠市立博物館に関する過去記事 )、内部構造が見えるものがいくつも展示されている。

 

三笠ジオパークの野外博物館で中生代の大型二枚貝、イノセラムスの化石を見た(記事はこちら)が、穂別博物館にもいろいろな種類のイノセラムス化石が展示されている。イノセラムスは示準化石なので、地層から出てくるイノセラムスの種類でその地層の地質年代がわかる。(むかわ町ウェブサイトのイノセラムス関連ページ

いろいろなイノセラムスの標本。その左には、ゆるキャラの「いのせらたん」。

さてさて、いよいよ本命。カムイサウルス・ジャポニクスにご対面しよう。

じゃじゃーん。これが実物化石のレプリカから作成したカムイサウルス・ジャポニクスの全身復元骨格だ!全長は堂々の8メートル!だそうだけど、、、あれ?なんか短くない?それに、なんとなくバランスが良くないような。、、、と思ったら、この展示室には全身が入りきらないので、しっぽ部分を外してあるのだった。

カムイサウルスの大腿部の骨化石(本物)

カムイサウルスの化石は2003年、白亜紀のアンモナイトなどの化石がよく見つかる地域を散歩をしていた堀田良幸さんによって発見された。最初はクビナガリュウだろうと思われたが、2011年に恐竜であることが判明。最初に見つかったのが連結する13個の尾椎骨だったので、全身の骨格が埋まっている可能性が高いということで2013〜14年に大々的な発掘作業がおこなわれた。博物館に展示されている発掘作業の様子を写した写真パネルによると、化石が埋まっていた地層は傾斜がきつく、作業はかなり大変だったらしい。しかし、結果として全身のおよそ8割の化石が見つかり、センセーションを引き起こす。ほぼ全身が丸ごと化石になって保存されていたのには、実際に生活していた陸ではなく、海だった地層に埋まっていたことが幸いした。穂別のカムイサウルスは死んだ後、お腹が腐敗ガスで膨れた状態でプカプカ水に浮いて沖合まで流され、バラバラになることなくそのまま保存されたということである。

むかわ町穂別博物館はとても気に入ったので、ここで今回の北海道ジオ旅を締めることができてよかった。まあ、恐竜は地質学というより古生物学だけど、時間的尺度で考えれば広義の意味でジオに含めて構わないだろう。そして、今回の旅を通して、北海道は古生物学に関連する面白い場所も豊富だと気づいた。今回見られなかった場所はまた時をあらためて訪れたい。

ということで、北海道ジオパーク・ジオサイト巡り2023の記録はこれで終わり。欲張って盛り沢山すぎる計画を立てたので、見切れない部分もあったし、ヒグマ出没のせいでアクセスできない場所も多々あったけれど、毎日面白い景色を見て、いろんな石を見つけて、興味深い博物館を訪れて、とても充実した旅になったと思う。数年中にこの続きがしたい。

 

この記事の参考文献・ウェブサイト:

むかわ町恐竜ワールド ウェブサイト