石拾いが好きで、普段、地元を散歩しているときや旅行の際、気になる石を見つけたら拾って家に持ち帰っている。北ドイツに住むようになってから目にするようになり、ずっと気になっている石の一つがフリントだ。ドイツ語ではFeuerstein(「火の石」の意味)と呼ばれている。
フリントとはこんな石
一番最初にフリントを目にしたのは、北ドイツのリューゲン島でだった。観光リゾート、ビンツ(Binz)から隣のプローラ(Prora)まで足を延ばしたときのこと。バルト海海岸とボッデン(Bodden)と呼ばれる水域に挟まれた細長い陸地にこんな景色があった。
Feuersteinfeld
まるで日本の石庭のような風景。一体これは何?と目を見張った。地面を覆い尽くしている石は、ほぼすべてがフリントという石だという。フリントはバルト海の海岸にたくさん転がっていて、きっとそれまでも目にしていたはずだけれど、特に意識していなかった。ここは、見渡す限り、フリント、フリント、フリント。思わずしゃがみこんで、まじまじと見てしまった。遠目ではどこにでもあるようなグレーの石に見えるが、近づいて見てみるとなんとも不思議な見た目をしている。色は黒っぽいグレーだが、表面はまだらに白く、割れているものの断面はガラスのようにツルツルとしている。形もまちまちで、丸いものもあれば長細いもの、平たいものもある。
でも、波打ち際から2km近くも離れたここになぜこんなに大量の石が溜まっているんだろう?後から知ったことには、およそ3500-4000年前、激しい嵐が繰り返しリューゲン島を襲い、その際に発生した洪水によって大量のフリントが陸に運ばれた。
「火の石」という名が表す通り、フリントは古代の人々が火を起こすのに使った。フリント同士をうまく打ち合わせると、火花が飛ぶ。非常に硬く、剥離する性質があって加工しやすいフリントは道具作りにも使われた。ドイツ国内で考古学博物館へ行くと、石器時代の石刀や石斧などが展示されているが、その多くはフリント製だ。
バルト海で拾ったフリントのかけら。エッジが鋭くて、このままナイフとして使えそう
フリントは、一般的にはバルト海の石として知られているが、見られるのは海岸やその付近だけではない。不思議なことに海岸から250kmくらい離れたブランデンブルクの我が家周辺にも、フリントがよく落ちているのである。なぜ海岸の石が遠く離れたブランデンブルク州の森の中で見つかるのか。それを知るには氷河期の氷河の流れを理解する必要があった。
Rolf Reinicke著 “Steine in Norddeutschland” P.17の図
氷河時代、北ドイツは氷河に覆われていたが、その大きさは氷期ごとに違った。上の図の茶色い線は直近のヴァイクセル氷期の氷河の範囲で、オレンジ色の線はその一つ前のザーレ氷期、紫の線はさらに古いエルスター氷期のものだ。これらの氷期における氷河の流れによって北から南へと運ばれた土砂や岩石が、北ドイツの大地を覆っている。フリントも氷河と一緒に南へと広がった。地図の下の方に見える点線は、「フリント前線(Feuersteinlinie)」である。3つの氷期の最大拡大範囲と見事に一致している。つまり、フリントは氷河の及んだギリギリのところまで運ばれて来た。言い換えると、フリント前線を超える地域には見られないのである。
ちなみに、よく見るフリントはグレーから黒っぽい色をしているけれど、そうでないものもある。黄色いフリントはグレーのものよりも若い地質時代にできたものらしい。ヘルゴラント島という島には特徴的な赤いフリントがあるそうだ。(私はまだ持ってないので、ぜひ欲しい)。他には白っぽいもの、緑がかったものもある。
ところで、先日、デンマークのシェラン島へ行った話を書いたが、デンマーク東部の海岸でもフリントが見られる。シェラン島の海岸のフリントは、ドイツの海岸で見るものよりも一回り大きかった。
大きさがわかるようにバッグを置いた。バッグはA4のファイルが入る大きさ。
石は北から南へ移動したのだから、ドイツよりも北にあるデンマークの方が石が大きいのは当たり前かもしれない。氷河で運ばれた石はフリントだけではないが、他の石もデンマークの方がずっと大きかった。
割れたフリントの断面
こんなに大きいと石器も作りやすいというものだ。石器時代のデンマークはフリントを周辺地域に輸出していたそうである。それを聞いて、去年行ったイタリアのエオリア諸島、リーパリ島を思い出した(記事はこちら)。リーパリ島は石器の材料だった黒曜石の一大産地で、その貿易で栄えたのだった。北のフリント(デンマーク)VS 南の黒曜石(リーパリ島)、石器時代の対決!という図式があったかどうかは知らないけれど(たぶんない)、ヨーロッパの石器の材料ごとの分布はどうなっていたんだろうなあと考えてしまう。
さて、このフリントという石、移動の方向はわかったけれど、そもそもどこから来たのだろう?
これまでにドイツのリューゲン島やデンマーク、ドーバー海峡など白亜の崖のある場所に行く機会が何度かあった。そのときに気づいたのは、白亜の崖、つまりチョークの地層には決まってフリントが埋まっていること。
リューゲン島のチョークの地層。黒い点々はフリント。
デンマーク、ステウンス・クリントの地層にもフリントが。
人工的に切られた岩肌に縞模様にフリントの層が見える。
どうやら、フリントはチョークの地層と関係があるらしい。チョークというのは白亜紀の海に堆積した地層だが(詳しくはこちらの記事に書いた)、フリントはなぜそのチョークの中に埋まっているのか?その答えは、デンマーク、ファクセの地質学博物館ショップで買って来たドイツ語の地質学の本、”Das Leben im Kreidemeer”(「白亜紀の海の生き物」)という本に書いてあった。
フリントは石英という二酸化ケイ素の結晶でできている。二酸化ケイ素は水に溶けにくいが、水を含んだオパールというかたちで海水中に存在する。チョークの層のもととなった海の底の泥の中にはウニや貝類などの生き物が生息していた。海水のPHが揺らいで弱アルカリ性から酸性側に傾くと、オパールとして存在していた二酸化ケイ素が析出してフリントが形成される。海水のPHが揺らぐのは、泥の中の生き物が原因であるらしい。ウニなどの殻を持つ生き物の殻の内側にフリントが形成されやすく、化石としてよく見つかるのはそのためだったのか。
ずっと知りたかったフリントがどうやってできたのか、化石とどう関係しているのか、やっと少しわかって嬉しい。
表面にウニの殻模様のついたフリント
ところで、フリントの表面にはよく丸い窪みがある。
氷河によって運ばれる間に尖った石の先などが当たってこのような窪みができる。鼻の穴のように見えることが多いので、ドイツ語で「Nasenmarken」と呼ばれる。中には穴が貫通しているものも。
穴の開いたフリント
穴が空いたフリントはHühnergott(「鶏の神様」)と呼ばれ、ラッキーアイテムとして人気。写真の「鶏の神様」は、ロストックに住む友人、ハス・エリコさんから頂いた私の宝物。なぜこの石が「鶏の神様」なのかというと、かつてドイツのバルト海地域では、穴の開いたフリントをニワトリの止まり木に刺し、神様にニワトリをお守りください、たくさん卵を産ませてくださいとお願いする風習があったからだそうだ。
そして、フリントには表面に奇妙な模様のあるものもある。
虫が這った跡のような白い筋は、実際に生き物が移動したことを示す生痕化石かもしれない。
たかが、石。されど石。石からはいろんなことが見えて来て面白い。
セイシェル・ヨットクルージング ① 旅のルート
インド洋のセイシェルへ行って来た。
いつもと少し違った旅の仕方をしてみたくて、初めてヨットでの旅を試してみた。首都ヴィクトリアのあるマエ島のマリナから10日間かけてインナーアイランドと呼ばれる島々を回るクルーズである。
これまでの旅行で、滞在地から近隣の島へ日帰りのボートツアーに参加したことは何度もあったけれど、10日間船に乗りっぱなしというのは初めてで、いくつか不安材料があった。個人旅行が好きなので、いつもはレンタカーを借りたりして自分で計画したルートを回る。でも、ヨットは自分で操縦できないので、クルージングの会社が提供するクルーズに申し込むことになる。つまり、受け身の旅行ということになるが、そこのところどうかなあ?と。
不安材料の2つ目は、少人数とはいえ、知らない人たちとずっと一緒に過ごすことになるので精神的に疲れないかな、ということ。
3つ目は、夜もヨットで寝るので、船酔いしないかどうか。これについては事前の下調べでカタマランヨットというタイプのヨットなら安定していて揺れが少ないこと、また、セイシェルの海は11月頃がもっとも穏やかであることがわかったので、11月中のカタマランクルーズに的を絞って予約した。
結論から言うと、新しい体験で何から何まで新鮮だったし、クルーズの内容もとても充実していた。私はまったく船酔いせずに済み、やや気分が悪くなった夫も持参した酔い止めの薬が効いて問題なく楽しめた。
今回乗ったカタマランヨットはEleuthera 60というヨットで(注: サムネイルのヨットは私たちが乗ったものとは違います)、クルージングメンバーは客8名とクルー2名(スキッパー+コック)の合計10名。クルーは英語、フランス語、クレオール語が話せる。
マエー島、エデンアイランドのマリナから出発
回った島は以下の10島。
島を回るといっても島で過ごす時間は限定的で、基本的にはずっと洋上にいる。船でごはんを食べ、シュノーケルスポットでシュノーケルをしたりビーチで泳いだりしながら移動する。ときどき島に上陸して数時間を陸で過ごすが、日が暮れる前に島の近くにアンカリングしたヨットに戻って寝るというパターンだ。これがなかなか面白い体験で、ヨットというのは水上キャンピングカーみたいなものだなと感じた。
島に上陸する際には、クルーにゴムボートでヨットと岸の間を送り迎えしてもらう
次からの記事に、セイシェルの地形、遭遇した海の生き物、セイシェルの自然保護区や野鳥、海釣りとクルージングの食事、セイシェルの歴史などについてまとめていきます。
バルト海海岸の石、フリント(Feuerstein)について考える
石拾いが好きで、普段、地元を散歩しているときや旅行の際、気になる石を見つけたら拾って家に持ち帰っている。北ドイツに住むようになってから目にするようになり、ずっと気になっている石の一つがフリントだ。ドイツ語ではFeuerstein(「火の石」の意味)と呼ばれている。
フリントとはこんな石
一番最初にフリントを目にしたのは、北ドイツのリューゲン島でだった。観光リゾート、ビンツ(Binz)から隣のプローラ(Prora)まで足を延ばしたときのこと。バルト海海岸とボッデン(Bodden)と呼ばれる水域に挟まれた細長い陸地にこんな景色があった。
Feuersteinfeld
まるで日本の石庭のような風景。一体これは何?と目を見張った。地面を覆い尽くしている石は、ほぼすべてがフリントという石だという。フリントはバルト海の海岸にたくさん転がっていて、きっとそれまでも目にしていたはずだけれど、特に意識していなかった。ここは、見渡す限り、フリント、フリント、フリント。思わずしゃがみこんで、まじまじと見てしまった。遠目ではどこにでもあるようなグレーの石に見えるが、近づいて見てみるとなんとも不思議な見た目をしている。色は黒っぽいグレーだが、表面はまだらに白く、割れているものの断面はガラスのようにツルツルとしている。形もまちまちで、丸いものもあれば長細いもの、平たいものもある。
でも、波打ち際から2km近くも離れたここになぜこんなに大量の石が溜まっているんだろう?後から知ったことには、およそ3500-4000年前、激しい嵐が繰り返しリューゲン島を襲い、その際に発生した洪水によって大量のフリントが陸に運ばれた。
「火の石」という名が表す通り、フリントは古代の人々が火を起こすのに使った。フリント同士をうまく打ち合わせると、火花が飛ぶ。非常に硬く、剥離する性質があって加工しやすいフリントは道具作りにも使われた。ドイツ国内で考古学博物館へ行くと、石器時代の石刀や石斧などが展示されているが、その多くはフリント製だ。
バルト海で拾ったフリントのかけら。エッジが鋭くて、このままナイフとして使えそう
フリントは、一般的にはバルト海の石として知られているが、見られるのは海岸やその付近だけではない。不思議なことに海岸から250kmくらい離れたブランデンブルクの我が家周辺にも、フリントがよく落ちているのである。なぜ海岸の石が遠く離れたブランデンブルク州の森の中で見つかるのか。それを知るには氷河期の氷河の流れを理解する必要があった。
Rolf Reinicke著 “Steine in Norddeutschland” P.17の図
氷河時代、北ドイツは氷河に覆われていたが、その大きさは氷期ごとに違った。上の図の茶色い線は直近のヴァイクセル氷期の氷河の範囲で、オレンジ色の線はその一つ前のザーレ氷期、紫の線はさらに古いエルスター氷期のものだ。これらの氷期における氷河の流れによって北から南へと運ばれた土砂や岩石が、北ドイツの大地を覆っている。フリントも氷河と一緒に南へと広がった。地図の下の方に見える点線は、「フリント前線(Feuersteinlinie)」である。3つの氷期の最大拡大範囲と見事に一致している。つまり、フリントは氷河の及んだギリギリのところまで運ばれて来た。言い換えると、フリント前線を超える地域には見られないのである。
ちなみに、よく見るフリントはグレーから黒っぽい色をしているけれど、そうでないものもある。黄色いフリントはグレーのものよりも若い地質時代にできたものらしい。ヘルゴラント島という島には特徴的な赤いフリントがあるそうだ。(私はまだ持ってないので、ぜひ欲しい)。他には白っぽいもの、緑がかったものもある。
ところで、先日、デンマークのシェラン島へ行った話を書いたが、デンマーク東部の海岸でもフリントが見られる。シェラン島の海岸のフリントは、ドイツの海岸で見るものよりも一回り大きかった。
大きさがわかるようにバッグを置いた。バッグはA4のファイルが入る大きさ。
石は北から南へ移動したのだから、ドイツよりも北にあるデンマークの方が石が大きいのは当たり前かもしれない。氷河で運ばれた石はフリントだけではないが、他の石もデンマークの方がずっと大きかった。
割れたフリントの断面
こんなに大きいと石器も作りやすいというものだ。石器時代のデンマークはフリントを周辺地域に輸出していたそうである。それを聞いて、去年行ったイタリアのエオリア諸島、リーパリ島を思い出した(記事はこちら)。リーパリ島は石器の材料だった黒曜石の一大産地で、その貿易で栄えたのだった。北のフリント(デンマーク)VS 南の黒曜石(リーパリ島)、石器時代の対決!という図式があったかどうかは知らないけれど(たぶんない)、ヨーロッパの石器の材料ごとの分布はどうなっていたんだろうなあと考えてしまう。
さて、このフリントという石、移動の方向はわかったけれど、そもそもどこから来たのだろう?
これまでにドイツのリューゲン島やデンマーク、ドーバー海峡など白亜の崖のある場所に行く機会が何度かあった。そのときに気づいたのは、白亜の崖、つまりチョークの地層には決まってフリントが埋まっていること。
リューゲン島のチョークの地層。黒い点々はフリント。
デンマーク、ステウンス・クリントの地層にもフリントが。
人工的に切られた岩肌に縞模様にフリントの層が見える。
どうやら、フリントはチョークの地層と関係があるらしい。チョークというのは白亜紀の海に堆積した地層だが(詳しくはこちらの記事に書いた)、フリントはなぜそのチョークの中に埋まっているのか?その答えは、デンマーク、ファクセの地質学博物館ショップで買って来たドイツ語の地質学の本、”Das Leben im Kreidemeer”(「白亜紀の海の生き物」)という本に書いてあった。
フリントは石英という二酸化ケイ素の結晶でできている。二酸化ケイ素は水に溶けにくいが、水を含んだオパールというかたちで海水中に存在する。チョークの層のもととなった海の底の泥の中にはウニや貝類などの生き物が生息していた。海水のPHが揺らいで弱アルカリ性から酸性側に傾くと、オパールとして存在していた二酸化ケイ素が析出してフリントが形成される。海水のPHが揺らぐのは、泥の中の生き物が原因であるらしい。ウニなどの殻を持つ生き物の殻の内側にフリントが形成されやすく、化石としてよく見つかるのはそのためだったのか。
ずっと知りたかったフリントがどうやってできたのか、化石とどう関係しているのか、やっと少しわかって嬉しい。
表面にウニの殻模様のついたフリント
ところで、フリントの表面にはよく丸い窪みがある。
氷河によって運ばれる間に尖った石の先などが当たってこのような窪みができる。鼻の穴のように見えることが多いので、ドイツ語で「Nasenmarken」と呼ばれる。中には穴が貫通しているものも。
穴の開いたフリント
穴が空いたフリントはHühnergott(「鶏の神様」)と呼ばれ、ラッキーアイテムとして人気。写真の「鶏の神様」は、ロストックに住む友人、ハス・エリコさんから頂いた私の宝物。なぜこの石が「鶏の神様」なのかというと、かつてドイツのバルト海地域では、穴の開いたフリントをニワトリの止まり木に刺し、神様にニワトリをお守りください、たくさん卵を産ませてくださいとお願いする風習があったからだそうだ。
そして、フリントには表面に奇妙な模様のあるものもある。
虫が這った跡のような白い筋は、実際に生き物が移動したことを示す生痕化石かもしれない。
たかが、石。されど石。石からはいろんなことが見えて来て面白い。
白亜紀末の生物大量絶滅後の世界。デンマークのFaxeで化石拾い
前回のデンマーク地質旅行の続き。
ステウンス・クリントの崖は下部が白亜紀後期のチョークの地層、その上にK-Pg境界であるFish Clayという極薄の地層を挟んで古第三紀の石灰岩の地層が重なっていた。ステウンス・クリントのチョークの層を「白亜紀の生き物の化石が埋まっていないかなあ」と思いながら眺めていたら、岩肌にウニの化石らしきものが見える。
紫の丸で囲んだところに何かがある。
ズームレンズを通して見たところ、やっぱりウニっぽい!しかし、ステウンス・クリントは世界遺産で、ハンマーで岩を叩いて化石を取り出したりするのはご法度である。下に落ちているものなら拾っても良いそうだ。下に何か落ちてないかなあ。そう思って、フリントで埋め尽くされた地面を見ると、
おおっ!フリントにうっすらとウニの殻の模様がついているではないか!これはどういうこと?ウニの殻の中にフリントが形成されたのだろうか。
なぜこれらのものがウニだとわかったかというと、これまでに別の場所でウニの化石を大量に拾っているからなのだ。それについては以下の記事にまとめた。
ハノーファーで白亜紀の化石を採集しよう
しかし、ステウンス・クリントの海岸に落ちていたのはこのフリント1つだけ。これでは物足りない。どこか近くに化石を採集できる良い場所はないかと調べてみたところ、内陸に25kmほど移動したファクセ(Faxe)という町に地質学博物館があり、そこで化石収集のガイドツアーを提供していることがわかった。よしっ、そこへ行ってみよう。
これがGeomuseum Faxe(ファクセ地質学博物館)。博物館は採石場の敷地に面している
ファクセの石灰岩採石場
うわー、すごい!真っ白な石切場だ。ガイドツアーに申し込むと、ガイドさんの監督のもと、ここで化石を拾うことができるのだ。でも、チョークかなと思ったのが石灰岩だときいて、あれっ?と思った。だとすると、K-Pg境界の上の古第三紀の地層ということになる。白亜紀の地層を期待していたのだけれど、まあ、いいか。せっかくここまで来たので、ツアーに申し込んだ。ツアー前にまずは博物館の展示を見て予習することにしよう。
博物館の内部。展示を見てわかったのは、ファクセの町はステウンス・クリントよりも高い位置にあり、採石場の地層はおよそ6300万年前のものだということ。つまり、白亜紀末の生物の大量絶滅後に形成された地層なのだった。白亜紀同様、古第三紀にも現在のデンマークは暖かい海だった。古第三紀の海にはサンゴ礁が広がり、貝やカニなど多くのサンゴ礁に住む多くの生き物がいた。博物館にはサンゴの化石がたくさん展示されている。
集団死したウニの化石が埋まった岩。ウニの棘がたくさん見える。
6600万年前の隕石の落下による気候寒冷化(「隕石の冬」)が引き金となった生物の大量絶滅で恐竜やアンモナイトは地球上から消え去った。だから、ファクセの採石場からそれらの化石が出ることはない。しかし、サメやワニは今日まで生き延びている。写真はサメの歯の化石。
ということで、いよいよガイドツアーに出発だ。夏休みだからか、子ども連れの参加者が多かった。ハンマーやノミは博物館で貸してもらえるが、私たちはこんな機会もあろうかと自前の化石収集道具を持って来たのだ。ガイドさんの説明によると、石切場はサンゴの化石だらけ。そのほかにカニや腕足類、貝、そしてサメの歯の化石もよく見つかるという。「岩にスパゲティみたいな構造が見えたら、それはサンゴですよ!」と教わり、さっそく探し始めたのだが、、、、。
サンゴだらけという言葉の通り、あたりは見渡す限り、サンゴ、サンゴ、サンゴ。逆にどれを拾ったらいいのかわからない。サンゴは群体を作るものが多いので大きな岩にびっしりサンゴの化石が埋まっていたりする。でも、大きな塊は運ぶのに重いし、かといって小さく割ればサンゴも割れてしまう。
変色したサンゴの化石を拾って来た
一つひとつの生き物の化石を拾うのとは勝手が違って、どこに着目したらいいのか、よくわからなかった。なので、いくつか、かけらを拾った後はサンゴ以外の化石を見つけることに集中することにした。
カニの甲羅の化石
いくつかカニや腕足動物の化石を見つけることができたが、うーん、なんかちょっと思ってたのと違う。ウニやべレムナイトなど、ある程度の大きさの化石を期待していたので、小さいものばかりで少し期待外れ。白亜紀の地層の方がいいなあと思ってしまった。
そんなわけで、化石収集のアクティビティとしてはそれほどエキサイティングな場所ではなかったものの、白亜紀末に生物の大量絶滅が起こった後、生態系が復活し、古第3紀にはまた別のかたちで海洋生物相が繁栄したのだということは感じることができた。この小さな体験もまた、今後何かに繋がるかもしれない。
デンマークにある世界遺産、ステウンス・クリントでK-Pg境界を眺める
暑い!夏でも比較的涼しいはずの北ドイツも猛暑である。爽やかな風の吹く場所へ行きたくなった。
バルト海の港町、ロストック(Rostock)からフェリーに乗って、デンマークでも行こうかなあ。デンマークへは10年ほど前に一度行ったことがある。そのときに見て、忘れられない景色があった。それは、ムン島という小さな島にある白亜の断崖、ムンスクリント(Møns Klint)。
ムン島、ムンスクリントの崖(2007年頃撮影)
険しく切り立つ白亜の断崖。すごい。こんな景色を見たのはそのときが初めてで、とても印象に残った。
白亜というのはチョークのことで、チョークは地質時代の白亜紀に浅い海の底に堆積した、石灰質の殻を持つ小さな藻の死骸でできていると知ったのはそれからしばらく後のことだ。
このときは曇っていて肌寒く、海の水は乳白色に濁っていた。子どもたちと海岸を歩いていたら、地面に奇妙なものが落ちているのに気づいた。五寸釘の先っぽのような、あるいは細めの弾丸のようなかたちをしていて、色は茶色っぽく少し透き通っている。何だろう?不思議に思って拾い上げた。あたりには同じようなものがいくつも転がっている。思わず拾い集め、理由もなくポケットに入れた。そして、崖の長い長い階段を登った。崖の上にはGeo Centerという名前の地質学博物館があった。なんとなく中に入って展示を見てびっくり!ほんの少し前、崖の下で私が拾ったものは化石だったのだ。
初めてムンスクリントを訪れたときに海岸で拾った化石
これらはべレムナイトという、古代のイカの化石であるという。白亜紀の終わりに絶滅したが、今、私たちが食べているイカと見た目はそっくりな生き物だったらしい。この尖った化石は、イカの三角形の部分の先端部にあった殻(内骨格)。それを知って衝撃を受けた。ねえねえ聞いて聞いてと、いろんな人に見せて回ったのだけど、ほとんどの人は「ふーん。それが?」という反応。まあ、そうかもね。でも、私にとっては自分のその後を変える事件であった。これがきっかけで、化石というものに興味を持つようになったのである。
その後、ドイツのリューゲン島や南イングランドなど、北ヨーロッパのいくつかの場所で似たような白亜の崖を見る機会があり、そのたびに興味が増していった。今ではべレムナイトだけでなくウニなど他の白亜紀の化石も少しづつ集めている。そんなわけで、暑いので白亜の崖でも見て涼みたいし、あわよくば化石広いをと思ったのだ。どこにしようかなと情報検索して決めたのは、首都コペンハーゲンのあるシェラン島の東側沿岸に伸びる長さ15kmの断崖ステウンス・クリント(Stevnsklint)。約6550万年前の中生代白亜紀の地層とそれに続く新生代第三紀の境目であるK-Pg境界が世界で最もよく観察できる場所として、UNESCO世界遺産に登録されているらしい。K-Pg境界って言葉は知っているけど、どんな地層なんだろう?気になり出したらいてもたってもいられない。よーし、デンマークに向けて出発だ!
ステウンス・クリントは周辺に大きな町もなく、人の姿もまばらな静かな海辺の村だ。世界遺産の断崖は長いが、K-Pg境界をよく観察できるというHøjerupの海岸へ行ってみることにした。崖スレスレのところに古い教会が立っており(写真撮り忘れ)、海岸へはその横手から急な階段を降りる。
相当急なので、人によっては怖いかも。
これがステウンス・クリントと呼ばれる崖である。高いところで約40mと、先に書いたムンスクリントと比べると、ちょっと見劣りするかもしれない。そのせいか、世界遺産の割にはあまり人がいなかった。崖の下の方が白亜紀のチョークの地層で、その上に少し出っ張って古第三紀の石灰岩の地層が重なっている。その2つの地層の間に線を引くように薄ーい地層があり、それが噂のK-Pg境界であるらしい。と言われても、海岸から崖面が遠くて、よくわからない。崖を間近で見られる場所を探して私たちは岸辺を歩いた。
上の地層は出っ張りがあって、下の地層よりも硬そうで、二つの異なる地層だということはわかるけれど、肝心のK-Pg境界とやらはよく見えない。さらに奥へと歩いた。
やっと間近で見られるところまで来た。崖の真ん中あたりに明らかに色の違う層がある。拡大してみよう。
間近で見ると、ステウンス・クリントのK-Pg境界は食パンに挟まれたツナのような層であった。この地層はFish Clay(直訳すると「魚粘土」)と呼ばれる。ツナに似ているから?なわけないか。
この地層の何がそんなに特別なのかというと、それは「恐竜の絶滅に関わっている」からなのだ。と書くと、いやいや、恐竜は絶滅などしていない、今も鳥としてちゃんと生き延びているよと指摘されそうだけれど、それはひとまず置いておいて、ここで言いたいのは人類が誕生するずっと前に生息していた、あの巨大な生き物たちのことである。彼らは白亜紀の終わりに突如絶滅した。恐竜だけではない。同じ時期にアンモナイトも絶滅している。約6600万年前、地球上の動植物のおよそ4分の3が地球から消えたのだ。一体なぜ?
この生物の大量絶滅を解明する鍵となったのがK-Pg境界だった。この薄い堆積層からは、高濃度のイリジウムが検出されている。イリジウムという元素は地球上にはわずかしかないが、隕石には多く含まれる。約6600万年前、巨大な小惑星が地球に衝突し、メキシコのユカタン半島にチシュクルーブ・クレーターと呼ばれる隕石孔を作った。この衝突の際に空に舞い上がった土砂が隕石の塵とともに地表に降り積もったものがK-Pg境界の薄い地層というわけである。このとき、空気中の土砂によって太陽光が遮られ、地球が寒冷化したことが生物の大量絶滅を引き起こしたとされている。
つまり、ステウンス・クリントのFishclay層の上と下では生物相がまるっきりと言っていいほど違う。大量絶滅が起きてほとんどの生き物は消えたが、生き残った一部の生き物が進化し、現在の生態系へと続いている。もし、6600万年前に隕石が地球に落ちなかったら、地球の今はまったく違うものになっていたはず。ここで隕石が落ちた痕跡を眺めている私など、当然、存在していないのだ。
そう考えながら崖を眺めると、なんだか気が遠くなった。
(デンマーク旅行の話は次の記事に続く)
2022年春 庭で野鳥が大繁殖
2019年の秋に庭でバードウォッチングを始めて、約2年半が経過した。最初は庭のテラスに餌台を設置してひまわりの種やピーナツなどを置き、家の中から窓越しに餌台を訪れる野鳥を眺めて楽しむことから始めたが、ただそれだけのことでも生活の楽しみが激増した。
過去記事: ドイツのネイチャーツーリズム 2 自宅の周りでバードウォッチング
さらに餌台に野生カメラを取り付けたら、それまで窓越しに観察していた以上にたくさんの種がやって来ることがわかり、ますます楽しくなった。
過去記事: 野鳥カメラで餌台に訪れる野鳥を観察する
これまでの2年半に自宅の庭で確認できた野鳥は37種。まさかこんなにいろいろな野鳥が来るとは想像もしていなかった。ちょっとした思いつきで始めたバードウォッチングだったのに!
野鳥たちは餌を食べに来るだけでなく、庭で子育てもする。一昨年はシジュウカラ、昨年はシジュウカラに加えクロウタドリの営巣と子育ての様子をカメラを通して観察することができた。今年は同じ巣箱でシジュウカラが営巣を始めたものの、こちらの記事に書いたような事情で中断してしまったのが残念である。
しかし、今年は今年でとても面白い展開になった。というのは、去年までは餌台は冬の間だけ設置し春には片付けていたのを、今年は出したままにしておいたのだ。そうしたら素晴らしいことが起こった。冬の間は個別に餌を食べに来ていた野鳥たちが、それぞれパートナーを連れてやって来た。餌台に入れる小鳥たちだけでなく、モリバト、カササギ、カケスなどの大きな鳥もみんなカップルで現れ、小鳥たちが芝生に落とした餌をついばんでいた。そして、しばらくすると庭やその周囲でそれぞれのカップルが巣作りを始め、やがて生まれたヒナ達に食べさせる餌をせっせと取りに来る姿が見られるようになった。クチバシに詰め込めるだけの餌を詰め込んで巣へ戻っていく親鳥たち。がんばってるなあ。
幼虫をくわえたウソのオス
それから数週間が経過し、ヒナ達が続々と巣立ち始めた。
巣立ったばかりのアオガラの兄弟
カササギに巣を狙われ、父鳥の必死の防衛の末、無事に巣立ったクロジョウビタキのヒナ
オークの木の巣から生まれたゴジュウカラのヒナ
巣立ったばかりのヒナを連れて、いろんな種の親鳥達が餌場に集まり、口移しでせっせと子どもに食べさせる。なんとも微笑ましい光景にほのぼの。
親からエサをもらうアオガラの子ども
しばらくの間はそれぞれ親に食べさせてもらっていたが、だんだん大きくなって飛ぶのも上手になると、子ども達だけで餌場にやって来るように。
イエスズメの子どもたち
シメの子ども
シジュウカラの子ども
カケスの子どもはギリギリ餌台に入れる大きさ
兄弟でやって来たアカゲラの子ども
最も数が多いのがイエスズメの子どもたちで、10羽以上いる。アオガラとシジュウカラはそれぞれ5羽ほど、アカゲラも2羽生まれた。そんなわけで今年の春は大繁殖と言っていいレベルで野鳥の子どもたちが庭を飛び回っている。
今後はどうなっていくのかな。
ドイツで「アニマルトラッキング」を学び始めた
アニマルトラッキングは野生動物の痕跡を観察する活動で、ドイツ語ではSpurenlesenという。野生動物の痕跡には地面に残った足跡や巣、何かを食べた形跡、糞などいろいろなものがある。野生動物の痕跡を観察することで、その環境にはどんな野生動物が生息し、どのように行動しているのかを知ることができる。
身近な環境を散歩していると野生動物の痕跡らしきものを見かけることがよくあって、「何の動物の痕跡だろう?」といつも気になるのだ。特に2020年からヨーロッパヤマネコのモニタリングに参加し、そして今年からはビーバーのモニタリングも始めたことで、ますますいろいろな痕跡を目にするようになった。
凍った湖面に降り積もった雪の上についた動物の足跡
アナグマの巣穴?
面白いものを見つけるととりあえず写真に撮ってネットや手持ちの図鑑などで調べるのだが、よくわからないことが多い。知りたいなあ、見分けられるようになったら楽しいだろうなあと思っていたら、たまたま近場にアニマルトラッキングを教える学校があることに気づいた。これは良いチャンス!とすぐに申し込んだ。
私が参加することになった講座はWildnisschule Hoher Flamingという野外スキルを学べる学校の成人向け講座で、月1度、週末に4日間のキャンプをしながらアニマルトラッキングを学ぶ。申し込むまでまったく知らなかったのだが、米国ではブッシュクラフトと呼ばれるサバイバルスキルの一環としてアニマルトラッキングが捉えらることがあり、トラッキングスクールがたくさん存在するらしい。私が申し込んだ学校は米国の先住民からスキルを学んだ伝説的なアニマルトラッカー、Tom Brown Jr.や、その弟子のJon Youngのメソッドに基づいているという。
これまでに全部で5まであるモジュールの1と2を終了した。参加してみて、その濃さにびっくり。学校の敷地に各自テントを張り、朝7時頃から夜10時過ぎまで野外活動。野鳥の囀りに耳を傾けたり、動物の足跡や巣穴を観察したり、野生動物の骨格や歩き方を学ぶ。ハードな運動をするわけではないけれど、一日中外を歩き回って、同時に頭もフル回転させなければならないのでかなり疲れる。でも、講座の他の参加者たちとは妙に波長が合って、すぐに仲良くなることができた。少人数の講座で、年齢は20代の若者から60歳くらいまで様々だけど、好奇心が強いという点ではみんな一緒なのだ。
アニマルトラッキングで大切なことは野生動物の痕跡を見たらすぐに種を特定することではなく、まずは五感を使ってじっくりと観察し、なぜそこにその痕跡があるのか、その痕跡を残した生き物はどう行動したのかを考えることだそうだ。種名の特定は深い観察の後から自然について来るもので、すぐに種を特定してそれで満足してしまうよりも、問いを丁寧に解いていく方が野生動物をよく知ることに繋がるという。なるほどなあ。そして、観察の際にはスケッチをすることがとても重要だと教わった。講座の提供者は先生ではなくメンターと呼ぶ。答えを識者に教えてもらうのではなく、各自が自らの観察眼を養うことが講座の目的だからだそうだ。
モジュールの間はとにかく忙しくて写真を撮っている暇はほとんどない。最初のエクスカーションでクロヅルの足跡をかろうじて撮った。
想像していたよりもハードコアな内容に圧倒され続けているけれど、ほんの少し学んだだけでも景色が変わって見える。身の回りの景色の解像度が上がって、ずっとそこに合ったけれど今まで認識していなかったもう一つの世界を肌で感じられるようになるというか、不思議な感覚である。この地球環境を私たち人間は他の生き物たちと共有しているのだということを急に強く意識するようになった。夜、テントの中に横たわって、響き渡るナイチンゲールの歌を聴きながら眠りに落ちていくのは特別な感覚だ。
アニマルトラッキングを学ぶことにしたのには、身近な自然、とくに野生動物について知りたいということの他に、これといったスキルを持たないので何か一つくらいスキルを獲得したい、というのもあった。どうせなら、あまり多くの人がやらないことをやってみたい。歳と共に体力が衰えるのが心配で、なるべく野外で体を動かしたいというのもある。自然観察にはほとんどお金がかからないし、体を動かすのと同時に知的好奇心も満たされるのが良い。そして、トラッキングスキルを身につけることで今後の旅行もより充実したものになりそうな予感がする。
シジュウカラの育児観察日記 2022
2020年春に庭にライブカメラ付きの巣箱を設置し、シジュウカラの営巣の様子を観察している。2020年と2021年の観察記録は過去記事(2020、2021)の通りだが、3年目の今年も4月に営巣が始まった。
巣箱で営巣するメスには名前を付けている。このメスは「マイちゃん(Meiseのマイちゃん)」と命名。長い枝で巣のフレームを作ろうとしているが、なかなかうまく置けないのか、枝をぶんぶん振り回している。
営巣を始めて1週間後。卵を産む準備が整ったのか、巣箱の中で寝始めた。
動物の毛など、フワフワの素材を次から次へと運んで来てクッションを整える。ネコの毛のような白い毛だけでなく、茶色や緑色など、いろんな色の素材があり。ブロンドの人毛らしき束も混じっていてびっくり。そういえばうちの裏の人、ときどき庭で散髪しているなあ。
パートナーのオスも、甲斐甲斐しく餌を運んで来る。マイちゃんは多産ではないようで、21日までに卵を2つ産んだのみ。でも、毎日マメに巣を整えていて順調な様子。と思っていたのだが、今日の昼間、ふとカメラを覗いたら、巣箱の中で異変が起きていた。なぜか巣の真ん中にクロジョウビタキが座っており、その背ろでマイちゃんがオロオロとしているのである。何事かとびっくりして自動録画をプレイバックしてみたところ、なんとマイちゃんがちょっと巣を離れた隙にクロジョウビタキが巣箱に入り込み、戻って来たマイちゃんと大バトルになっていたのだった!
ショッキングな映像なので短くカットしたが、実はこの激しいバトルは数十秒続き、クロジョウビタキはマイちゃんにコテンパンにやられてしまった。クロジョウビタキにしてみれば、良さそうな巣箱があったからちょっと入ってみただけだったかもしれない。しかし、マイちゃんにしてみれば、大事な卵がある巣に近寄られてはたまらない。必死に卵を守ろうとしたのだった。
マイちゃんは戦いには勝ったものの、ぐったりしたクロジョウビタキは卵の上にうずくまったまま動かない。そこをどいてくれないと卵を温められない。どうしたものかと困り果てるマイちゃん。その状態ですでに2時間が経過していた。映像を見ながら、夫と私も「どうする?」と言い合った。野生の生き物同士のことに人間はできるだけ介入すべきではないけれど、このままだと卵もダメになってしまう。ここは巣箱の大家の権限ということで、夫が介入することになった。(私は背が低くて巣箱に手が届かないので)
まず外から巣箱をノックして、鳥たちが自分から外に出て来るかやってみたが、出て来る様子がないのでドアを開けたら、マイちゃんは穴から外に飛び出した。クロジョウビタキはボロボロの姿だったが出血はしていなかったので、空いている別の巣箱に入れて、中で休んでもらうことに。そちらの巣箱にもカメラがついているので、しばらくカメラ越しに様子を見た。パートナーが巣箱の穴から中を覗き込んで呼びかけているのを見てせつなくなる。彼らもきっとこれから子育てをする予定だったのだ。数時間後、クロジョウビタキは亡くなった。自然界は厳しい、、、。
マイちゃんの方はどうなったかというと、人間が介入したことで抱卵をやめてしまうのではないかと心配したが、じきに巣箱に戻って来た。
何事もなかったかのように(内心では「あー、やばかったー」と思っているかもしれないが)、巣を整えている。2つの卵も無事だったみたい。よかった、よかった。
……とホッとしたものの、この2日後からマイちゃんは巣箱に戻らなくなってしまった。
何が原因なんだろうか?この巣箱は子育てに適していないと判断して放棄した?それとも、夫が介入して人間の匂いがついたので放棄したのかもしれない。あるいは、マイちゃん自身の身に何かが起こって巣箱に戻れなくなった可能性もある。
そんなわけで、今年のシジュウカラの育児観察はヒナが生まれる前に終了してしまってとても残念。
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後日談。
数日前、家の中にいたら、窓の外から「ヂヂヂヂヂ、ヂヂヂヂヂ」というシジュウカラの幼鳥の声が賑やかに聞こえて来た。しばらく後に庭の餌台に取り付けたカメラを除いたら、なんと若いシジュウカラが5羽も餌を食べに来ている!
もうかなり大きくなっているので、巣立ってから数週間経過していそうだ。巣箱での抱卵を放棄したマイちゃんが別の場所で新たに営巣して産まれた子達なのか、それとも別のシジュウカラのメスの子達なのかはわからないけれど、こうして元気なシジュウカラの子どもたちの姿が見られて嬉しい。
冬の楽しみ ビーバーのモニタリング
この数年、身近な環境で野生動物を観察するのに夢中になっている。あくまで趣味の範疇なのだけれど、多少なりとも自然保護に貢献できたらいいなと思い、2020年の冬から自然保護団体BUNDによるヨーロッパヤマネコのモニタリングプロジェクトに参加している(実践レポはこちら)。今年の冬で3年目になり、なかなか楽しいので、別の野生動物モニタリングもやってみたいなあと思っていたところ、ブランデンブルク州ヌーテ・ニープリッツ自然公園でのビーバーモニタリングに参加しないかと声をかけられた。二つ返事で参加を決めた。我が家の近くの湖畔や水路沿いにビーバーに齧られた木や巣らしきものをよく見かけるので、以前からビーバーが気になっていたのだ。
ビーバーに齧られた木
ビーバーはかつては北半球の水域のほとんどに生息していた。毛皮や肉、肛門の香嚢から分泌される海狸香を求めて乱獲され、およそ100年前にヨーロッパ全域でほぼ絶滅したが、保護・再導入活動の甲斐あってかなり増え、現在はドイツ全国に4万個体を超えるビーバーが生息している。
ビーバーにはアメリカビーバー(学名:Castor canadensis)とヨーロッパビーバー(学名: Castor fiber)の2種類がいる。ヨーロッパビーバーの大きさは体重およそ30kg、体長1.35mほど。ヨーロッパにおける最大の齧歯類である。
ビーバーモニタリングの目的はビーバーの縄張りを確認し、ビーバーが生息できる環境を保護することにある。なぜなら、ビーバーは個体数が少なくても存在することによって生態系に大きな影響を及ぼす「キーストーン種」だからだ。ビーバーは水域にダムを作ることで知られるが、ビーバーダムによってできる湿地は多くの生物種の生息地となり、生物多様性を高める。また、ビーバーダムは洪水や火災リスクを下げ、有害物質を含む堆積物を堰き止めることで水を浄化する役割も持つ。だから、ビーバーを保護することはビーバーそのものだけでなく、生態系全体を守ることに繋がる。
モニタリングプロジェクトには誰でも参加することができる。具体的にどんなことをするかというと、担当地域の水域に沿って歩き、ビーバーの痕跡(齧られた木、ダム、巣など)を探す。
ビーバーに齧られた木
ビーバーに齧られた木は目立つので、見つけるのは難しくない。ただし、古い噛み跡はビーバーが現在そこに生息していることを示すものではないので、齧られてから時間が経っていない場所を見つけることが肝心である。ビーバーは草食で夏に食べる植物の種類は数百種に及ぶが、冬場には主にポプラやヤナギの木の皮を食べる。
噛み跡は簡単に見つかるが、ビーバーの巣(ドイツ語でBiberburgという)を見つけるのは、慣れないと少し難しい。
湖の縁の斜面を利用して巣ができていることが多い。枝が重なり合い、間に泥などが詰まって盛り上がっている。巣の出入り口は水中にあるので見えない。ビーバーは水中では耳や鼻の穴を塞ぐことができ、口の中も歯の後ろを塞げるので、水中でも木を齧ることができる。この巣は長年手入れがされていないようなので、今は使われていないと思われる。
こちらは新しい枝が載っているので、使用中かな。
水場から数メートル離れたところに巣があることもあって、よく見ないと見落としがちである。ビーバーの縄張りは水路1〜3kmほどで、縄張りの中に複数の巣があることもある。ビーバーは一夫一婦制でパートナーを変えない。巣で生活するのは夫婦とその年に生まれた子ども、そして前の年に生まれた子どもである。子どもは2年たつと独立して新しい縄張りを作る。
こちらはビーバーのダム。わかりやすい。
別のダム。
ダムで明らかに水位が変わっているのがわかる。
小さなダム。縄張りの中に複数の小さなダムを作ることもある。
ビーバーは主に夜行性で、人の気配を感じると隠れるので、ビーバーそのものは滅多に目にすることができない。でも、水場を歩けばビーバーがいる痕跡をたくさん見つけることができるので楽しい。モニタリングは繁殖期が始まる前の冬におこなうので、冬場の良い運動にもなって一石二鳥なのだ。
これは私ではなく、プロジェクトメンバーのある女性
でも、モニタリング作業は実はそんなに楽ではないのだ。ビーバーがいるのは人がほとんど来ないような場所なので、遊歩道になっていたりはしない。うっそうと生い茂る葦やいばらの茂みをかき分けて進まなければならないし、基本的に湿地なので靴がびしょびしょになることも。冬だから虫に刺されないで済むのはいいけれど。
ビーバーの痕跡を見つけたらスマホで写真を撮り、GPSで位置を確認してプロジェクトのデータベースにコメントとともにアップロードする。集まったデータはマッピングされ、縄張りが確認された場所は保全の対象になるというわけだ。
パナマ旅行記 その23 パナマ旅行の締めに歴史博物館でパナマの歴史に触れる
(この記事は以前、他の場所で公開していた2019年6月のパナマ旅行記をリライトしたものです。)
パナマ旅行の最終日。朝、トクメン空港へ娘を送って行った。娘は私たち親と一緒に家に帰らずにそのままコロンビアへ移動することになっていた。高校を卒業してギャップイヤー中の娘には時間がたっぷりとある。羨ましい。私と夫は夜の便で空港で時間を潰すには長すぎるので再び市内に戻ることにした。
今回のパナマ旅行では自然を満喫して来たが、最後はパナマの歴史に触れて締めくくりたい。旧市街カスコ・ビエホ地区(Casco Viejo)にあるパナマ歴史博物館(Museo de La Historia de Panamá)を見ることにしよう。
カスコ・ビエホ地区の古い街並みは建物の修復が進行中でかなり綺麗になっており、文化的でお洒落な雰囲気だ。
カスコ・ビエホ地区は小さいが、ユネスコ世界文化遺産に登録されている。
大聖堂
パナマ歴史博物館はパナマ運河博物館(Museo del Canal Interoceanico de Panamá)の隣のパナマ市庁舎(Palacio Municipal)の中にある。写真の右側のピンクの建物。しかし、市庁舎の中に入ったものの博物館の受付らしきものは見当たらない。「歴史博物館はどちらですか?」と警備員らしき人に尋ね、通されたのは狭く古くさい事務室のようなところで、そこで来館者記記録簿に名前、国籍などを記入させられ、一人1ドルを払って展示室へ進んだ。
「パナマの歴史」の展示はスペイン人が入植した16世紀から始まっている。ちょっとびっくり。コロンブスがやって来る以前にも現在のパナマの国土には人が生活していたし、文化も存在したが、それについては触れられていないのだ。むろん、スペインの入植以前には「パナマ」という概念は存在しなかったかもしれないが。1501-1821年の展示物はわずか数個で、その隣には1880-1889年の展示物が数個。時代をジャンプし過ぎじゃない?パナマの歴史超超ダイジェスト版という感じの簡潔極まる展示。あっという間に見終わってしまった。うーん、、、。これならドイツから持って来たガイドブックの方がよほど詳しいよと少々、呆れてしまった。
でも、「エスニシティと多文化主義」と書いてあるこのパネルにはとても興味をそそられた。パナマに来て以来、「パナマ人」とは誰のことを指すのかと気になっていたのだ。パナマに来てトクメン空港に降り立ってすぐに感じたのは、「いろんな外見の人がいるな」ということ。私の住むドイツ社会も特に都市部はマルチカルチャーだが、それともまた違う。世界のいろいろな国出身の人たちが共存しているというよりも、パナマではほとんどの人がミックスされた文化背景を持ち、そのミックス具合が人によってそれぞれ違うという印象を受けた。
実際、パナマの人口約410万人のマジョリティは先住民(インディオ)とスペイン人入植者との間の混血であるメスチソ及び黒人と白人移民の混血であるムラートである。アフリカ系の人たちには植民地時代に奴隷として連れて来られたアフロ・コロニアルと後の時代に労働者としてカリブ海の他の国々からやって来たアフロ・アンティージャがいる。その他に白人、先住民族(ノベ・ブグレ族、クナ族、エンベラ-ウォウナン族、ナソ族、ボコタ族、ブリブリ族、パララ・プルー族)、中国系、ユダヤ系、インド系などあらゆるルーツの人々が共存している。だから、パナマの人々は外見的特徴だけでなく文化も多種多様で、「典型的なパナマ人」というものが存在するのかどうか、存在するとしたらどのような人のことを指すのか、旅行者として少し滞在したくらいでは皆目わからないのだ。その把握しにくさがパナマの魅力であるかもしれないと思った。
簡略過ぎてわからないパナマ歴史博物館を一通り見た後は、隣のパナマ運河博物館へ行った。ここでは入館料は一人10ドル!歴史博物館のなんと10倍だ。歴史よりも運河の方が重要なのか?と思わず笑ってしまう。しかし、館内の展示を見てなるほどと思う。「パナマの歴史は運河の歴史」と言えば言い過ぎかもしれないが、パナマ運河がパナマという国の歴史においてとてつもなく大きなウェイトを占めていることは間違いないようだ。運河が開通するよりもはるか前から、人々は航路を求めてこの地峡にやって来、あるいは連れて来られ、定住し、運河のために働き、運河に翻弄され、そして運河の恩恵を受けて生きて来た。パナマという国はそうして創り上げられたのだ。
運河博物館は10ドルの入館料に恥じない立派な博物館だった。でも、残念ながら写真撮影は禁止。先コロンブス期の考古学的な展示物もあり、運河に関しても様々な側面から展示を行なっていて興味深い。でも、植民地として長い間支配を受けて来た国の歴史なので、見ていて複雑な気持ちにもなった。
地峡の国パナマは、Biomuseoで見たように南北アメリカ大陸の生き物たちが交差することで豊かな生物多様性を獲得しただけでなく、世界のあらゆる地域の人たちが集まり高い文化的多様性をも獲得したのだなあ。なんて興味深い。
でも、刺激的なパナマ旅行もとうとうこれでおしまい。3週間、とても盛りだくさんだったなという充足感と、いやまだまだほとんど何も見れていないという心残り、二つの相反する気持ちの間で揺れながら、私たちはとうとう飛行機に乗り込んだのだった。
パナマ旅行記その22 パナマのサステイナブルな魚レストラン、Maa Goo´s Fish Tacos
(この記事は以前、他の場所で公開していた2019年6月のパナマ旅行記をリライトしたものです。)
つれたさパナマシティ に滞在中、偶然見つけてとても気に入ったレストランがある。それはCorozal地区にある魚レストラン、Maa Goo´s Fisch Tacosだ。入り口に大きな魚拓が飾られていたので、なんとなく惹かれて立ち寄った。
店内はお洒落カジュアルでいい感じである。
カウンターで注文して自分で料理をテーブルに運ぶ形式。小腹が空いていたのでいくつか料理を注文した。セビーチェとフィッシュタコス、フィッシュサラダなど、お魚づくし。
セビーチェとトルティーヤチップス。シンプだけれど、とても美味しい。フレッシュパイナップルジュースを頼んだら、紙製のストローがついて出てきた。最近、ヨーロッパではプラスチックストローの使用をやめようという動きがあり、紙製のものに置き換える店が増えているが、パナマでもそのような動きがあるのだろうか?これまで観察した限りでは、パナマはプラスチックごみがとても多いと感じていたので、意外に感じた。個人的には、紙製ストローはすぐにふやけて使いづらいし、そもそもストロー自体が不要なのでは?と思うのだけれど、このレストランは環境に配慮していることが感じられた。
フィッシュタコスとサラダもとても美味しい。焼きたてのお魚がたっぷり入っている(写真は撮り忘れてしまった)。美味しい美味しいと頬張っていると、夫がビールをカウンターに取りに行って、なかなか戻らない。注文に手こずっているのかなと思っていたら、ようやく戻って来た。
「オーナーが話しかけて来てさ。なんかすごく環境保護に熱心な人みたいだよ。持続可能なフィッシングを実践していて、その方法を伝えるために釣りツアーやスノーケリングツアーもやっているらしいよ」。「へえ、そうなの?」興味が湧いた。
食事を済ませて店を出ると、エプロン姿のオーナーが網に乗せた魚を燻製器に運んでいるところだった。会釈すると、元気な声で話し始める。「どうだった、フィッシュタコスの味は?美味しかった?それはよかった。今ね、釣れたての魚をスモークするところだよ。よかったら見てって」
わー、美味しそう。
濡らしたウッドチップを炭火に投入し、釣れた魚をスモークする。
燻製装置
米国から移住して来たというオーナーは燻製器の蓋を閉め、「この店で出す魚はすべて自分たちで釣ったもので、魚市場では一切買っていないんだよ」とカジュアルな口調で説明してくれた。
「うちでは持続可能な方法で釣った魚だけをお客さんに食べてもらっているんだ。刺し網を使う従来の方法は環境を破壊するからね。ゴーストフィッシングっていって、破棄されたり流されて紛失した網が海の中でサンゴ礁や海の生き物を傷つけるんだよ。これは単なる知識で言ってるのではなくて、スノーケルやダイビングをして実際に海中の環境がどうなっているのかを自分の目で見ているから言えることなんだ。エビのトロール漁法も問題だ。網にかかる捕獲物のうち、エビの割合はどのくらいだか知ってる?たった10%だよ。90%はバイキャッチ(混獲)だ。10%のエビを獲るために90%が無駄に捕獲される。これはどうにかしなければならないよね」
パナマのエビはすごく美味しい。でも、そのエビを食べるために他の生き物が多く犠牲になっているという。
「もちろん、地元の漁師たちをリスペクトしなければならない。でも、啓蒙することも大事だ。だから、自分が見たことをこうしていろんな人にシェアしているんだよ。君達もぜひ、他の人に伝えてね」
これからエビを食べるたびに彼の話を思い出すかもしれない。私たちはパナマには観光のためにやって来た。美味しいシーフードを食べ、森や海の景観を楽しみ、動物や植物を観察して感動的な毎日を過ごしている。でも、それだけではない。この3週間の間に、JunglaとRaquel´s Arkという二つの野生動物保護施設、コロン島のペットボトル村、無人島でウミガメの保護ボランティアをする青年、そしてこのMaa Goo´s Fish Tacosのオーナーさんのような人たちと知り合い、彼らのプロジェクトについて直接、お話を伺うことができた。どれもパナマの美しく豊かな自然環境を守る真摯な取り組みである。そのような活動をしている人たちがいると知ったことも今回の旅で得られた大きなものだと感じている。
「ところで、店名のMaa Gooってどういう意味ですか?」
「ああ、それはね。うちの息子が赤ん坊だった頃、ミルクを飲むマグカップのことをMaa Gooと呼んでたんだ。それがすっごく可愛かったから、いつか自分のレストランを持つことができたら、店の名前をMaa Gooにしようって決めてたんだよ」
店内の壁はオーナーさんのご家族の幸せそうな写真で飾られていた。
パナマ旅行記 その21 アクティブ熱帯休暇は楽しいけど辛い
(この記事は以前、他の場所で公開していた2019年6月のパナマ旅行記をリライトしたものです。)
私の夫と娘はネイチャー派で休暇は自然の中で過ごすのが好き、特に熱帯が大好きだ。私は昔はどちらかというと文化的な旅が好きだったのだが、彼らと一緒に過ごすうちにだんだん感化されて自然の中での休暇が大好きになった。
熱帯は楽しい。トロピカルな海で泳ぐのも大好きだし、日本やドイツでは見られない珍しい植物や生き物が見られる喜びは本当に大きい。私は果物アレルギーで果物は普段全く食べられないのだが、熱帯に行くと、なぜか一時的に果物アレルギーが治ってしまうのだ。熱帯に到着した瞬間からマンゴーやパパイヤやパイナップルをたらふく食べられる。だから、熱帯は私にとってパラダイスである。
とはいえ、熱帯には嬉しくないことも少なからずある。まず、虫が多い。私は虫は見る分には平気というか、むしろ好きだけれど、刺されるのはごめんだ。熱帯にはマラリアなど病気を媒介する虫もいるから注意しなくちゃならない。今回の旅行は蚊が多くなる雨季ということもあり、熱帯仕様の蚊除けスプレーと、万が一マラリアにかかったときのための薬を医者に処方してもらい、持っていった。
ボケテ高原は標高が高いせいか思ったほど蚊がいないなと安心していたのだが、ある朝、起きると全身に赤いポツポツができている。蚊に刺されたときほどではないものの、痒みがある。ベッドに何かいるのか?しかし、一緒のベッドに寝ていた夫は1箇所も刺されていない。「虫刺されじゃなくて、体の内側から来るものなんじゃない?」と夫は気味の悪いことを言う。でも、蕁麻疹が出るようなものを食べた記憶もないし、、。一体なんだろう?不思議に思ってツイートすると、青年海外協力隊員としてパナマに滞在されたご経験のある宮﨑大輔さんが、このように教えてくださった。
チトラに噛まれたのだろうか。ありえない話ではない。あるいは、動物保護センターで動物を触ったから、もしかしてノミを移されたのかもしれない。2、3日様子を見たが改善しないので、薬局で薬を買う羽目にになった。幸い、薬局で買った薬がよく効いて最初に刺された(噛まれた?)分は良くなったものの、その後も次々と蚊に刺されるので、旅行中はずっと身体中、虫刺され跡だらけだった。
熱帯は湿度も辛い。気温は30度前後だったので暑さはそれほどでもなかったが、とにかく尋常ではない湿度の高さである。泊まった部屋には天井のファンかエアコンがあるから耐えられないほどではないけれど、問題は洗濯物で、洗ったものを干しておいても全然乾かない。日中、外を歩き回って汗をかいたり海で泳いだりするので汚れ物はどんどん溜まっていく。でも、洗っても乾かないので湿ったまま着るしかない。
最悪なのは靴だった。海へ行くときはビーチサンダルで良いとして、ジャングルの中を歩き回るにはしっかりしたトレッキングシューズが必要である。最低限、スニーカーは履かないと、とても歩けない。道は湿っており、雨の後はぬかるみ、すぐに靴がドロドロになってしまう。川が流れていて靴のままバシャバシャと歩いて渡らなければならないこともあるから、毎日のように靴が濡れる。一旦靴が濡れるとなかなか乾かないので、それをしばらく車の中に放置しようものなら悪臭を放って大変なことになる。もちろん、泥や砂、汚れた服や靴で車もどんどん汚くなっていく。
そして、当然、自然の中は危険が多い。
ある日、ドライブしていると道がぬかるんでいて、これ以上は車で進めなくなった。夫は「この先がどうなってるか、オレが一人で見てくるからここで待っていろ」と私と娘を車の中に残して夫一人で探検に行った。しばらくして戻った夫は「石の橋があって、その下が洞窟になっていたよ」と報告してくれた。
洞窟の中に入ってみたいけれど、雨が降っているし装備も用意していないのでやめておく、と夫。安全かどうかわからない場所では夫がまず一人で行って安全確認をし、問題がなければ私と娘を迎えに来るというのが夫の決めたルールである。夫は車の運転が得意で軍隊経験もあるので頼りになる。私も冒険好きだけど、一人で熱帯の自然の中を歩くのはリスクが大き過ぎる。
そんなわけで熱帯での自然探検はとても楽しいけれど、不快感もそれなりに伴うのである。まあ、とにかく汚いのだ。私たちは別に汚いのが好きというわけではないのだけれど、自然探検にはそれ以上に楽しいことがたっぷりあるから多少の不快さは許容しているというわけなのだ。
乾季に旅行すると比較的快適に過ごせるけれど、パナマは年間2/3が雨季ということもあり、その他いろんな事情もあって今回は乾季に来ることができなかった。雨季でも一日中ザアザア降るわけではないし、今回は3週間の日程なので雨が上がっている間に活動すれば十分楽しめるけれど、日程に余裕がない場合は、やはり乾季を選んだ方が良いと思う。
とはいえ、雨季には雨季の良さもある。コスタ・リカでネイチャーウォークに参加したとき、ガイドさんが雨季は「グリーンシーズン」と呼ぶのだと言っていた。乾季の熱帯はカサカサした景色になりがちだが、雨季の熱帯雨林は色鮮やかで瑞々しく、ジャングルらしさをより味わえる。
パナマ旅行記 その20 パナマシティ周辺で生き物観察 ソベラニア国立公園
(この記事は以前、他の場所で公開していた2019年6月のパナマ旅行記をリライトしたものです。)
パナマ旅行の最後の数日はパナマシティに滞在し、そこから日帰りできる場所を楽しむことにした私たち。パナマシティは近代的な高層ビルの立ち並ぶ大都市だが、都会は他の国にもいくらでもあるので、パナマではできるだけ熱帯の自然を楽しみたかった。
パナマは首都周辺も自然がとても豊かだ。パナマ運河地帯は広範囲が森林に覆われていて、いくつもの国立公園や自然保護区がある。他の場所では絶滅の危機にある希少な動植物が多く生息しているそうだ。運河の右岸に細長く広がるソベラニア国立公園(Soberania National Park)はパナマシティからわずか25km。森林をハイキングしたり、チャグレス川をボートでクルーズしながら動植物を観察できるという。
行ってみて、その素晴らしさに驚いた。特に野鳥の多さは感動的で、小一時間ほどのクルーズの間にすごくたくさんの水鳥を見ることができた。ソベラニア国立公園で生息が確認されている鳥類は525種にも及ぶそうだ。ボートの上から撮影したのでピンボケの写真ばかりになってしまったが、たとえば、
ルーフェセント・タイガー・フェロン(Rufescent tiger heron)
アメリカササゴイ(Green Heron)
ヒメアカクロサギ(Little Blue Heron)の幼鳥?
キバラオオタイランチョウ(Great kiskadee)
アメリカムラサキバン(Purple Gallinule)
アカハシリュウキュウガモ(Black-bellied Whistling-Duck)
アメリカヘビウ(Anhinga)
アメリカレンカク(Northern Jacana)の幼鳥?
痛感したことは、熱帯に行くときにはその土地の野生動物や植物が載っているフィールドガイドを持って行った方が絶対にいいということだ。見たことのない生き物ばかりなので、フィールドガイドがないと「綺麗な鳥」「変わった動物」というので終わってしまう。それでも楽しいことには変わりないけど、なんという種類なのかわかった方がより楽しさが増すと思うのだ。私はパナマえはそれ以前のコスタ・リカ旅行の際に現地で買ったフィールドガイドを持って行った。生態系に共通項が多いので、まあまあ役に立った(画像の下の種名は今、この記事をリライトする際に調べて書いた。間違いがあったら是非コメントで教えてください)。実はこのときまで野鳥にはそれほど興味がなかったのだが、ソベラニア国立公園でたくさんの野鳥を見てすっかり魅了され、今ではすっかりバードウォッチャーになっている。
ボートから水鳥や亀、魚を眺めて楽しんでいると、そのうちにボートの運転手が「サルを見せてやる」と言って小島の岸辺にボートを寄せた。「バナナ持ってる?」と聞かれたので「ない」と答えると、「ちぇっ。ないのか」と言いながらも島の木々の上の方に向かって奇声を発してサルを呼んでくれた。餌をもらえると期待したノドジロオマキザルが数匹、木を降りて来た。枝伝いにボートに近づいて来る。
こういう展開を想定していなかったので、餌を用意していなかった。でも、野生のサルに餌付けをするのはどうなのかなあ。持ち合わせがなくてかえってよかったのかも。しばらくすると他の観光客らを乗せたボートが近づいて来て、彼らのうちの一人がバナナを岸に向かって投げたので、サルたちはそちらへ行ってしまった。
さて、私たちはそろそろ戻ろうかと思ったときだった。「見ろ!イグアナだ!」。夫の声に岸辺を見ると、そこには立派なイグアナがいた。すると、ややっ?2ひきのノドジロオマキザルがイグアナに近づいて行って威嚇を始めた。
そしてこのような結末に。予期せず面白い場面に遭遇し、興奮に沸く私たちであった。
ボートクルーズの後は公園内の森を散策。
「公園」とはいってもジャングルだからね。靴はすぐにドロドロになってしまう。汚れるのが好きでない人にはおすすめしない。毎日のようにこんなことをしているので、どんどん汚くなって行く私たち。
首都から30分の地点でこんな豊かな自然体験ができるなんて、パナマは信じられない国だ。そして、私たちはすでに2週間以上に渡って野外活動を楽しんでいる。こんな贅沢な機会を与えてくれるパナマの自然環境に感謝するのみである。
パナマ旅行記 その19 パナマのローカルフードを求めて
(この記事は以前、他の場所で公開していた2019年6月のパナマ旅行記をリライトしたものです。)
ボケテ高原で1週間、コロン島で1週間を過ごした後、再びパナマシティへ戻って来た。今回の旅行は3週間の日程で、コロン島の後は太平洋側のコイバ島かカリブ海側のサンブラス諸島のどちらかへ行くつもりだった。天候などを見てどちらにするか決めようと思っていたのだが、コロン島で毎日数時間、雨に降られたので、雨季の今はパナマシティに戻ってそこから日帰りで行ける場所を訪れる方が天候に臨機応変に対応できそうだと思い、残りの日はシティのホテルに滞在することにした。
それと別に関係ないけれど、この旅行記には食べ物のことをあまり書いていないので、ここらでまとめてパナマの食べ物について書いておこう。
私は普段、食べ物にはそれほどこだわらないが、知らない土地に行ったらそこのローカルフードを味見したい。私に限らず、日本人にはご当地食に興味のある人が多いのではないかな。ところが、場所によってはローカルフードになかなかありつけないことがある。というのは、欧米観光客には知らないものより食べ慣れたものを食べたがる人が少なくないため(もちろん、人によるが)、欧米人を主なターゲットとした観光地では彼らの味覚に合わせた食事を提供しているのだ。朝食はパンにハムやチーズ、卵料理、昼や夜もハンバーガー、パスタ、ピッツァ、ステーキなどがメインだったりする。
私は欧米で洋食を食べるのは好きだけれど、アジアやアフリカやその他の地域に行ってまで欧米料理をわざわざ食べたくない。洋食の本場ではないのでクオリティがいまいちだし、その土地にはその土地の美味しいものがあるのだから。しかし、ローカルフードを出す店が見つからなければしかたがない。パナマに着いて最初に泊まったホテルの朝食はこんな感じだった。
ビュッフェ形式で、パナマの食べ物と思われるものがかろうじていくつかあったので早速試してみる。手前の皿の上の方に見える円盤状のものとフライドポテトに似た揚げ物、そしてよくわからないでんぷん質の棒状のもの。円盤状のものはトルティーヤと呼ばれる潰しトウモロコシを固めて油で揚げたもの。メキシコ料理のトルティーヤのような薄い皮状ではなく、厚くてぽてっとしている。フライドポテトのようなものはキャッサバのフライでユカと呼ばれる。味はフライドポテトに似ている。そしてよくわからないでんぷん質のものは茹でキャッサバらしい。
正直に言おう。食べてみたが、どれもあまり美味しくは感じなかった。モソモソとしていて味があまりなく、脂っこい。不味いわけではないが、この時点ではふーんという感じ。でも、この後、他の場所でこれらを繰り返し食べることになり、作りたてのものはとても美味しいと判明した。トウモロコシの粉にせよ、キャッサバにせよ、それ自体の味はニュートラルで、揚げたてはサクサク、ホクホクとして美味しいけれど、時間が経つと食感が損なわれてあまり美味しくなくなってしまう。最初の朝ホテルで食べたのは冷めていたので、いまひとつだったのだろう。
昼間は観光で忙しく、ゆっくりレストランに入って食事をする感じではなかったので、軽食で済ますことがほとんどだった。パン屋や屋台でエンパナーダというピロシキのようなものを買って食べた。小麦後の皮で具を包んで焼いたり揚げたりした食べ物で、パナマに限らず中南米の多くの国でポピュラーなスナックのようだ。
いろんな具のものがある
こちらは小麦粉ではなくトウモロコシの粉の皮のエンパナーダ。これは道端の軽食屋で揚げたてのを食べ、とても美味しかった。(でも、脂っこいので、冷めるといまいちかも)エンパナーダの具はチーズ、牛ひき肉、鶏肉が定番のようだ。
パタコンという、調理用バナナを二度揚げしたものもあちこちで食べられる。それから、ローカルフードと言っていいのかどうかわからないが、小さなスーパーは華人が経営していることが多いので、肉まんがわりとどこでも買えた。
夕食は観光客向けのレストランで食べていた。観光地ボケテ高原にはお洒落な店構えで美味しい料理を出す店が多い。が、前述の通り、洋食ばかりでちょっとがっかり。ローカルフードは料理の付け合わせに揚げたバナナやキャッサバが出てくる程度だ。でも、中南米で広く食べられているセビーチェという魚介類のマリネはほとんどのレストランで出していて、いろんなバリエーションがあり、どの店で食べてもまずハズレがなく、とても気に入った。
あるお店のセビーチェ
レストランのシーフードはとても美味しい。でも、これはローカル料理ではないのでは。せっかくパナマに来たんだから、パナマの料理がどうしても食べてみたくて、地元の人たちが行く食堂へ行ってみた。
ボケテタウンにあるローカルな食堂
カフェテリア形式だが、並んでいる料理の種類が少なく、作ってから時間がかなり経っているように見えた。後で知ったことには、パナマのローカル食堂の多くは朝ごはんと昼ごはんのみで夜は開いていないところが多いのだそうだ。ここは夜も開いていたけれど、料理はランチの残り物だったみたい。
食べたのはこんな料理。ピラフのような米料理とポークチョップ的なもの、それと焼きバナナ。んー、不味くはないけど、特別美味しいというわけでもないかな。でも、やっとローカルな食事ができたのでとりあえず満足した!
地方の現地の人たちが利用している屋台や素朴な食堂ではシーフードは見当たらず、屋台ではフライドチキンまたはグリルチキン、エンパナーダ、オハルドゥレなど、食堂では米や豆料理や肉料理を出しているようだった。全体的に揚げ物が多く、野菜料理は全然といっていいほど目にしない。
首都パナマシティではどうかというと、大都会なのでレストランはいくらでもあって、いろんな国の料理を食べることができる。そして、ハンバーガーやピッツァなどアメリカ風ファストフードの店もすごく多い。地方では感じなかったが、パナマシティでは太った人をたくさん見かけた。パナマシティには大衆食堂や屋台もたくさんあるが、内容的にはやはり揚げ物や炭水化物が中心のようだった。
パナマにはPio Pioというファストフードチェーンがある。試してみることにした。
Pio Pioで食べたグリルチキンとパタコン
パナマの代表的なスープとされるサンコーチョという鶏肉のスープ
ピラフと唐揚げ
ファストフードにしては、なかなか美味しかった。
どうにかして現地の人たちが一般的に食べているものを食べようと探した結果が以上である。どうやらパナマ人は揚げ物が大好きで野菜はあまり食べないようだ。もちろん、これはたった数週間のパナマ滞在で得た印象に過ぎず、家庭ではもっと違うものを食べているのかもしれない。だからこれはパナマ料理の解説記事ではなく、あくまでも私が食べてみたパナマのローカルフードとと考えてください。
パナマ旅行記 その18 さよならコロン島 / ローカルな風景
(この記事は以前、他の場所で公開していた2019年6月のパナマ旅行記をリライトしたものです。)
コロン島を離れる時が来た。コロン島での1週間はボケテ高原での1週間よりもハードだった。二晩続けての凄まじい雷、ほぼ毎日降って来る雨、猛烈な湿気、穴だらけの道路、明け方はホエザルの吼える声で目が覚める。こんなことを書くと、「よくそんなところに1週間もいたね」と言われそうだ。
でも、私はこの島が気に入ってしまった。怖かったり不快だったりしたが、それらは誰のせいでもない自然現象で、自然をここまで直接的に体験することは日頃、ほとんどない。だから、コロン島での日々はしっかりと記憶に刻み込まれることだろう。なにかとてもマジカルな島なのだ。
それに島の雰囲気は明るく開放的で、馴染みやすかった。ボカスタウンはそこそこ観光地化されているけれど、観光客向けのエリアと住民の生活エリアが分離されていないので、現地の人たちの生活を垣間見ることができる。近所の子どもたち同士が路上に出て遊んでいたり、ティーンエイジャーたちがビーチ沿いでバスケットボールをしていたり、おばさんたちが井戸端会議をしていたり、おじさんたちが屋台で食事をしたりしている。そんなローカルな景色が楽しい。
地元の学校
路上で遊ぶ子どもたち。なんとなく懐かしい
屋台風景。売られているのはフライドチキンや揚げパンなど、揚げ物が多い
道路のど真ん中で爆睡する犬
スーパーに商品を投げ入れる人たち。
ある夜、メインストリートで夕食を取っていると、往来がにわかに騒がしくなり、窓の外に目をやった娘が叫んだ。「ちょっと!なんかパレードが始まったよ!」
陽気な音楽の流れる中、松明を持った人たちがゾロゾロと歩いている!嬉しくなって外に飛び出し、行列についていった。「なんのお祭り?」「小学校の開校記念日だよ」。歩いているのは子どもとお母さんたちが多いと思ったら、学校行事だったのか。関係ないのに一緒に行進してしまった。
ボカスタウンには特別な見所は何もないけれど、美しい海と森に恵まれ、シーフードが美味しく、人々の暮らしを間近に感じることができる。離れるときにはなんだかとても寂しかった。
さようなら、雷アイランド。島を離れるフェリーからボカスタウンを眺めると、上空にはまたもや雨雲が。あの雲ともお別れかあ。と思ったら、雨雲はフェリーについて来たのだった。しかも、雲の方が動くスピードが速く、途中で追い越された。アルミランテに上陸した私たちは土砂降りの中をドライブすることになってしまったよ。
ただでさえ霧の峠を越えなくてはいけないというのに、雨。土砂崩れなどしていたら嫌だなあと思ったら、案の定。
幸い、事故もなく無事に峠を越えることができたが、パナマシティまでの道のりは長い。田舎道はこのように状態が良くないし、ようやくハイウェイに出たらあとは一本道だから楽かと思いきや、ハイウェイのはずなのに横切ったりUターンできる箇所があって、そこをウィンカーも出さずにいきなり曲がって来る車があるわ、ハイウェイを犬が歩いているわ、暗くなってからライトも点けずにハイウェイを自転車で横切る人がいるわで恐ろしいことこの上ない。パナマシティに近づくにつれて車の量が多くなり、まるでマリオカート状態である。
そんな状況の中、13時間かけてパナマシティにようやく戻って来た。どっと疲れてホテルのベッドに倒れこむ。エアコンが効いた部屋、パリッと乾いたシーツ。ここは勝手知ったる都会。
でも、ほっとするよりもなにか形容しがたい奇妙な喪失感に襲われる。ここは別世界。今朝まで自分を包み込んでいた鳥のさえずり、虫の声、サルの叫び、波の音、それらは一気に消えた。魔法は解けてしまったのだ。都会の静かな部屋で、まだ頭から離れないコロン島の景色を思いながらいつか眠りに落ちた。
パナマ旅行記 その17 ボカス・デル・トーロのスミソニアン熱帯研究所を見学
(この記事は以前、他の場所で公開していた2019年6月のパナマ旅行記をリライトしたものです。)
ボカス・デル・トーロ県コロン島には1週間滞在したが、滞在中にぜひ訪れたいと思っていた場所がある。それはスミソニアン熱帯研究所だ。スミソニアン熱帯研究所(STRI)は米国ワシントンに本部のあるスミソニアン研究所に属する機関で、パナマシティの近郊、バルボアに本部がある。そのSTRIの研究施設がコロン島にもあり、私たちの滞在している場所のすぐ近くだった。毎週、木曜と金曜に見学が可能とのことだが、私たちがコロン島に到着したのは金曜の夜で、コロン島を離れるのは1週間後の金曜の朝だったので、研究所を見せてもらうとすると滞在最終日の木曜しかない。そんなわけでコロン島に滞在中ずっと楽しみにしていたのだ。
とうとう木曜日がやって来て、張り切って研究所へ行く。米国人の夫婦が門の前で待っていたので一緒にそこで待機していると、所内を案内してくれる研究者と思しき若い女性が出て来た。
「ブエナス・タルデス。今日はようこそお越しくださいました。みなさん、スペイン語はおわかりになりますか?」と挨拶されたので、「ポキート(ほんの少しだけ)」と答える。「そうですか。じゃあ、英語でご説明しますね」となるかと思いきや、返って来た言葉はなんと「そうですか。じゃあ、ゆっくり話しますね」。えええ!?案内、スペイン語なの???ショック。スペイン語圏なのだから案内がスペイン語でも文句を言う筋合いはないとわかってはいるが、説明を理解する自信がないよ、、、。
どうにか少しでも聞き取ろうと必死に耳をそばだてたけど、半分くらいしかわからなかった。残念。
スミソニアン熱帯研究所はコロン島のマトゥンバル海洋保護区(Matumbal Marine Reserve)の湾に面した敷地を有し、そこに25名ほどの研究者が常在して生物の進化や気候変動や人間の活動がカリブ海の生態系に及ぼす影響などについて研究を行なっている。ボカス・デル・トーロは小さなエリアに非常に多くの生き物が生息し、生物多様性の研究に適しているそうだ。パナマの中でも特に雨が多く、湿度が高いのがこの地域の特徴だと研究者の女性が説明してくれた。確かにコロン島の湿度は半端ではない。今は雨季なのでボケテ高原も雨がちだったが、霧雨だったのであまり気にしていなかった。しかしコロン島にきてからは降るとなったら滝のような雨が降り、雨が止んだら止んだで蒸し暑い。洗濯物が乾く暇が全くないのだ。ランドリーの乾燥機で乾かしてもらい、ホカホカの状態で受け取っても、数時間経つとまた湿ってしまう。シーツもタオルもすべてがジメッとして、ガイドブックも水分を吸収してしなしなになってしまった。
研究湾はマングローブ林に縁取られている。コロン島には3種のマングローブがあるそうで、これはmangle rojo(直訳すると、赤マングローブ)。根が赤っぽい色をしている。マングローブは魚や貝などだけでなく、鳥や昆虫、哺乳類など多くの生き物に生息環境を与えるため、マングローブ生態系を保護することは”muy importante(大変重要だ)”だと言われた。重要だということはわかるけど、具体的にどのように重要なのか詳しいことが知りたかったけれど、質問したくてもスペイン語が出て来ない(悲)。
カイメンの実験設備。
ちょうどここで実験作業をしていた研究者の方は英語話者だったので、少し説明して頂いた。栄養液で満たされたこの水槽にはいろんな種類のカイメンが飼育されている。カイメンは細菌と共生関係にある。マーカーを含むこの栄養液中でカイメンを飼育した後、カイメンと細菌を分離し、マーカーを使ってそれぞれがどのくらいの量の栄養を体内に取り込むのかを量的に分析しているそうだ。ということだけ聞いた時点で案内役の人が歩き始めてしまったので慌ててついていく。もっと詳しくカイメンの話を聞きたかったのにー。
水槽を見て初めて気づいたのだが、私は今までサンゴとカイメンの区別がついていなかった。アイランドホッピングに参加した際にサンゴ礁でスノーケルをして「カリブ海のサンゴはカラフルで綺麗だなあ〜」と感動していたが、私がサンゴだと思っていたものの多くは海綿だったみたい。無知で恥ずかしい。海の中を自分で実際に見る機会は少ないから、と言い訳してみる。でも、興味が湧いたので家に帰ったら海の生き物の図鑑を入手して調べることにしよう。
敷地内には沼もあり、ワニやカメなどもいる。
カイマンが見えた。
施設では研究に使う水は雨水をこのようなタンクに溜め、
濾過装置で濾過した後、紫外線で殺菌している。
展示スペースには大きな鳥の巣が展示されていた。「これ、オオツリスドリのですよね?」。こちらの記事に書いたように、私たちの滞在している部屋の窓からはオオツリスドリが巣を作るために植物の繊維を集めているところが観察できた。でも、周りに大きな葉が多くて視界が遮られ、作った巣を確認できなかったのでここで見られたのは嬉しい。ここでは巣を横向きに展示しているけれど、実際には細い方を上に枝に吊り下げるようだ。親鳥は上の方に開いている穴から巣に出入りして子育てするんだね。
この研究所には日本人の研究者の方もいらっしゃると聞いた。お目にかかることはできなかったが、北海道出身でカエルの研究をされているそうだ。どんな研究をなさっているのだろうか。
施設を見学することができたのはよかったけれど、スペイン語力がなくてまともな質問が何もできなかったことにがっかり。読むのはそれなりにできるようになったんだけど、、、。悔しい思いをしたので、これからスペイン語を学ぶモチベーションになりそう。
パナマ旅行記 その16 海洋プラスチックを減らそう Plastic Bottle Village
(この記事は以前、他の場所で公開していた2019年6月のパナマ旅行記をリライトしたものです。)
パナマは自然がとても豊かだ。熱帯雨林、雲霧林、マングローブの林やサンゴ礁に様々な野生動物を見ることができる。でも、そんなパナマも環境破壊の問題を抱えている。観光客の私たちに特に目につきやすいのはゴミの多さだ。あちこちにゴミがポイ捨てされていて残念だ。
もちろん、ゴミ問題はパナマに限ったことではない。特に海に流れ込むプラスチックごみは増加する一方で、2050年には海にいる魚の量を上回ると予測されている。そんな中、私たちの滞在しているコロン島にプラスチックごみ問題に対するユニークなプロジェクトがあることを知った。それはペットボトルでできた村、Plastic Bottle Village。なにやら面白そうだ。見学に行ってみることにしよう。
ここが噂のPlastic Bottle Villageだ。メタルフレームでできた塀の中に使用済みのペットボトルがぎっしり詰まっている。
門が開いていたので入ってみた。四方の壁がペットボトルでできた建物があった。中を覗いていると、一人の男性が現れた。
ビレッジのオーナー、Robert Bezeauさんだ。「私のビレッジについて知りたいかい?」。オーナーから直接お話を聞けるなんてラッキーだ。コンセプトを説明して頂いた。
カナダ人のRobertさんは10年前にコロン島へ移住して来た。コロン島に住むことにしたのはここが気に入ったからだが、せっかくの自然豊かな素晴らしい場所なのにゴミが多いことが気になっていた。そこで、Robertさんは捨てられたペットボトルを拾い始めた。拾ったペットボトルはあっという間に山となる。拾っても拾っても追いつかない。このゴミをどうしようか、、、。考えて思いついたのが、ペットボトルでできた村、Plastic Bottle Villageだった。
「わたしが子どもの頃にはペットボトルなんてものは存在しなかった。40年前だよ、ペットボトルがこの世に登場したのは。それが世界をすっかり変えてしまったんだ。プラスチックは地球を汚染し続けている。これから生きていく子ども達がかわいそうだと思わないかい?私たちはみな、無思慮にプラスチックを消費することで環境を破壊するという犯罪を犯しているんだ。私も、あなたたちもだ!犯罪者は罪を償わなきゃ。このビレッジは罪を犯した者を収監する刑務所なのだよ」
ギロチンの刑に処された我が娘
Robertさんはプラスチックごみの問題について人々に考えてもらうためにコロン島のこの場所に刑務所風のリゾートを建設することにしたのだ。主に若者向けに低料金の宿泊施設を提供する。
まだ完成前(2019年6月時点)なので雑然としているが、これが刑務所風宿泊所。
鉄格子がはまっているような内装デザイン。
すでに宿泊している人がいた。収監者はここで犯した罪を反省し悔い改めると、出所の際にお勤めを果たしたという証明書を発行してもらえる。
もちろん刑務所云々というのはあくまでジョークで、リゾートで寛ぎながら宿泊者同士が環境についてインスパイアし合うというのがRobertさんのコンセプトなので、こんな広いプールもある。現在、プール横にバーを建設中で、敷地内に軽食コーナーも設ける予定だそう。
ビレッジには城もある。中に案内してもらった。
イベントスペースもある。
ビレッジの敷地はかなり広く、宿泊するだけでなく区画を購入してマイホームを建設することもできる。1区画は800平米、購入価格は19,000米ドルから。周囲はジャングルで野生のサルも生息している。1km先は海岸、ボートの停泊場もあるというから贅沢な環境だ。
土地を購入すると、Robertさんがペットボトルを利用した家の建て方を教えてくれる。コロン島のあるボカス・デル・トーロ県は雨がとても多く、湿度が高いのだけれど、基礎にペットボトルを使えば地面から湿気が上がって来るのを防ぐことができるそうだ。また、ペットボトルでできた壁はボトルの中の空気が断熱材となるので涼しい。島に溢れるペットボトルごみを減らしつつ、少ないお金で快適な家を作ることができるという。
Robertさんは子どもたちへの啓蒙活動にも熱心で、定期的に小中学校のクラスを招き、私たちが日常的に使用するプラスチックがいかに海の生態系を破壊しているかをこのような絵を使って説明しているそうだ。また、ペットボトルのリサイクルを普及させるため、ボトルに貼るステッカーも考案した。
子どもたちがこのフットプリントデザインのスティッカーが貼られたペットボトルごみを拾い集めると、1本につき5セントがもらえる。といっても現金ではなく、拾い集めた金額に応じて食べ物または文房具と交換してもらえる仕組みだ。
さらにRobertさんは丈夫で再利用可能なボトルを試作したと言って見せてくれた。
レゴブロックのように組むことができ、縦横に繋いで他の用途に使うこともできる。「災害時には被災地に大量の飲料水が支援物資として運ばれるよね。衛生的な飲料水の供給は不可欠だけど、それで被災地にゴミが増えるのでは意味がない。繰り返し使えて他の用途にも使える容器があったらいいと思うんだ」
Robertさんは工事を急ぎ、9月にはPlastic Bottle Villageをオープンさせたいと言っていた。完成を見ることができなくて残念だけれど、素敵なビレッジが出来上がると良いな。成功を祈ります!
(2022年追記: ビレッジはすでに運用開始しており、BBCを初め、多くのメディアで取り上げられている。詳しくはこちらを )
パナマ旅行記 その15 カリブ海でラーメンも悪くない
(この記事は以前、他の場所で公開していた2019年6月のパナマ旅行記をリライトしたものです。)
コロン島のボカス・デル・トーロは観光地なので、レストランがたくさんある。ただ、ボケテ高原でもそうだったのだが、大部分の観光客や外国人移住者が欧米人のため、レストランのメニューは洋食がメインで、メニューにローカルな料理はほとんど見当たらない。せいぜいセビーチェという魚介類のマリネや料理の付け合わせにキャッサバや調理用バナナのフライがあるくらい。屋台や簡易食堂ならば地元の人が食べているものが食べられるけれど、たいていは軽食で、あるものはどの店も同じような感じだ。欧米人観光客は自分たちの食べ慣れたものが食べたいようだが、私はパナマに来てまで洋食が食べたいわけでもないので、ちょっと残念である。
でも、意外なことにボカスタウンにはなんと日本食レストランがあった。
その名も「oh-toro」。Rahmen & Sushiと書いてあるではないか!
都会でもなく、日本人はほとんど誰も来そうにもないコロン島にラーメンの食べられる店があるということに驚いてしまった。魚介類の豊富な島だからSushiの店があってもまあ、不思議はないかもしれないけど、ラーメンだよ?
どうも気になって店内に入り、メニューを見せてもらった。
きっと日本のラーメンとは似ても似つかない料理を出すのだろうと想像したのだが、写真を見ると、案外普通の感じ。ますます気になる。これは一つ、試してみようか。私たちはここで食事をすることにした。
ドリンクメニューを見ると、JETROカクテルなるものがあって笑った。どういうこと?
料理はスシ、ラーメンだけでなく揚げ物から弁当まで幅広い。いろいろ注文してみた。
餃子。中は豚肉で普通に餃子。甘酢ソースがかかっているのがちょっと残念だけど、悪くない。
ゲソ揚げとたこ焼き。ゲソ揚げは日本のゲソ揚げとは少々異なる。日本のは衣が薄くてイカがジューシーな記憶があるけれど、ここのはもっと衣がカリカリとしている。でも、これはこれで美味しい。チリマヨネーズをつけて食べるのもなかなか良い。たこ焼きは焼いてあるというよりも軽く揚げてあり、表面がカリッとしている。これも普通に美味しい。
メインには味噌ラーメンを頼んだ。具の配置がやや微妙だ。麺を食べてみる。普通にラーメンだ。激ウマというほどではないけど違和感はない。スープも美味しい。チャーシューもちゃんとチャーシュー。このラーメン、はっきり言ってドイツのほとんどのラーメン屋のラーメンより美味しいよ。(注: これを記した2019年時点での感想です。その後、ドイツではラーメンのクオリティが上がり、今では美味しいお店が多くなりました)
夫はHagana Black Garlic Rahmenを頼んだ。しかし、、、「麺が白い。これ、ラーメンの麺じゃないよ」。味見させてもらうと、麺はソーメンであった。でも、だからといって不味いわけではなく、こういうソーメンもあると言われれば納得するかも。スープの味も悪くなかった。
娘は鮭の照り焼き弁当を注文。鮭の切り身が大きい!照り焼きソースはちょい甘すぎに感じたけれど、まあ許容範囲。ご飯の味は、、、おしい!日本のご飯の味を目指したことは伝わった。照り焼きの他のおかずは春巻きとサラダ、デザートは果物と餡入りの揚げゴマ団子。
カリブ海の島でこのレベルの日本食が食べられるとは想像していなかった。びっくり。先進国基準ではそれほど高い店ではないが、物価からして島の人たちがこのレストランで食事をするとはほとんど思えないので、観光客をターゲットにしているのは明らか。
oh-toroという店名はボカス・デル・トーロのトーロにかけたのかな?と一瞬思ったけれど、後から調べたらチェーン店のようなので名前の由来はわからない。
パナマ旅行記 その14 ボカス・デル・トーロでアイランドホッピング / 無人島に住む男
(この記事は以前、他の場所で公開していた2019年6月のパナマ旅行記をリライトしたものです。)
前回の記事で凄まじい雷雨におののいた夜について書いたが、その次の夜も全く同じ状況だった。最初の夜はビビりつつも、「こんな体験、滅多にできない」とどこかで面白がっていたのだが、二晩連続となると「もしかして、毎晩こうなの!?」と先行き不安になる。幸い、その次の夜は静かでホッとしたものの、その分、朝方にホエザルが絶唱してくれた。またもや睡眠不足。
そしてその次の夜はこうだ。夜中にふと目がさめると、小屋がユサユサと左右に揺れている。寝ぼけていて何が起こっているのかわからない。「あれ?なんで揺れてる?サルが木を揺すってるのか?」とありえない考えが頭に浮かんだ。向こうのベッドで寝ている夫がつぶやいた。「ジシン」。はっ、そうか。これは地震か。地震の滅多にないドイツに長年住んで感覚を忘れてしまっていた。高いところにあるウッドハウスだから揺れを余計に強く感じたのかもしれないが、後から思うと体感震度は3と4の間くらい、結構長いこと揺れていたように思う。
そんでもってその次の夜。夕食から戻りドアを開けた瞬間、何かがサッと室内を飛ぶのが見えた。「あれ?何か虫がいるよ」。夫が叫ぶ。「虫じゃない、コウモリだよ!」どうやって入って来たのだろうか、私たちのいない間にコウモリが部屋に侵入していた。「網戸を開けろ!」「でも、開けると虫が入ってくるよ」「コウモリと寝るよりもマシだ!」しかたない、ドアを全開にし、網戸を開けた。幸い、コウモリはすぐに出て行ったが、案の定、蚊が入って来てしまい、刺されて痒くてまた夜中に起きてしまう。ああ、自然の中でぐっすり眠ることの難しさよ!
前置きが長くなったが、雨季のコロン島、夜はいろいろあっても昼間は晴れていることが多く、いろんなアクティビティを楽しむことができる。とても気に入ったのは5つのスポットを回るアイランドホッピングツアーだ。これがなかなか盛りだくさんな内容である。
ピンボケ失礼
ボカスタウンの港から出発し、まずはイルカ湾でイルカを観察する。
2つ目のスポットは無人島Cayo Zapatillaのビーチ。ここでは2時間ほど滞在し、ゆっくりとビーチを楽しむ。20人ほどのツアー客はほとんどが外国人観光客だったが、その中に若い男の二人組がいた。島についてボートを降りると、この二人組は娘に寄って来た。「俺たちと一緒に泳がない?」。保護者がついているというのに、そう誘って来るではないか。
「そうしよっかな」と娘が呟く。はい、どうぞどうぞお好きなように。早速、娘は二人組の男たちと連れ立って歩き出した。私と夫は若者の邪魔をしないように別の場所を探すことにする。夫が「もっとあっちに行こう」とどんどん歩いていくので、ボートからは随分離れてしまった。誰もいないところで荷物を下ろす。
それにしても美しいビーチである。水温もちょうどよく、最高だ。
ひとしきり泳いでふと見ると、夫は波打ち際でラッコのような体勢になって何やら手を忙しく動かしている。「何してるの?」「きれいなサンゴを探してるんだ。ハイ、これあげる」。
いろんな形のサンゴのかけら。ハート形のやブレーツェルのようなのものも。中年夫婦が海ではしゃいでいるところなど誰も見たくもないだろうが、本人たちはなかなか楽しいのであった。そういえば子どもの頃、大人とは「遊ばない人たち」のことだと思っていた。子どもは遊ぶ存在だが、大人になると遊ぶのをやめて分別のあることだけを言ったりしたりするようになる。そう思っていたものだ。でも、自分が大人になってみると、その認識は正しくなかったことがわかった。いくつになっても遊ぶのは楽しい。
さて、ボートに置いていかれては困るから、そろそろ戻ろうか。もと来た道を戻り始めると、娘が男たちと陸に向かって歩いていくのが見えた。あれ?いつの間にか男が一人増えている。3人目の若い男はひょろひょろした痩せ型の男であることが遠目に見て取れた。彼らは何をしに密林へ入って行くのか?
先にボートへ行って待っていると、まもなく娘たちもやって来た。二人組の男たちはボートに乗り込んだが、痩せた男は乗る気配を見せない。娘は男に別れのハグをし、男はやや悲しそうな目で「良い旅を!」と娘に手を振る。どういうことなんだろう?ボートが岸を離れたとき、娘は言った。「彼はね、スペイン人で、今、この島に住んでいるの」。「え?でもここ無人島でしょう?」「そう。彼はこの島でボランティアとしてウミガメの保護の仕事をしているんだよ。ウミガメの産卵を観察して記録するんだって。他にもう二人、ボランティアがいて、三交代でモニタリングしているんだ。寝泊まりしている小屋を見せてくれたんだよ。食べ物は1週間に一度、コロン島から運ばれて来るものだけ。スマホはあるけど、電波が届く場所は1本の木の下だけ。それもいつも繋がるわけではなくて、だから繋がった瞬間にスペインにいる家族に、生きてるよ!とだけ言ってそれでおしまいだって。私がクラッカーを一袋あげたら、泣きそうになって喜んでいたよ」。へええ。
「でも、なぜそんな条件でボランティアを?いつからやってるの?」「2ヶ月前から。生物学を勉強していて、ウミガメについて研究しているんだって。島には2種類のウミガメがいるみたい。いろいろ教えてもらったよ」。過酷そうだが、意義あることをしているんだなあ。そんな青年に出会い、娘は大いに感銘を受けたようであった。私はといえば、このときには「へえ、そういう活動もあるんだな」と思っただけだったが、頭のどこかに引っかかったようで、後にドイツで野生動物のモニタリングに関わることになる。人生、何がきっかけになるか、わからないものだ。
船は島を離れ、その後はスノーケルスポットでスノーケリングしたり、ヒトデが浜でヒトデを観察(コロン島のヒトデが浜とは別のヒトデスポットで、こちらの方がたくさんヒトデがいる)したりして、ツアーは終了。一人25ドルで6時間半。盛りだくさんで良いツアーだった。
パナマ旅行記 その13 強烈!パナマの雷ナイト / コロン島のビーチ事情
(この記事は以前、他の場所で公開していた2019年6月のパナマ旅行記をリライトしたものです。)
カリブ海に浮かぶ島。開放的な高床式のウッドハウスで自然に包まれて眠る。なんて贅沢!と喜んでいたのはコロン島へやって来て最初の夜だけだった。昼間はアドベンチャー三昧、夜はクタクタに疲れてベットに倒れ、子どものように眠る、、、、はずが、2日目の夜は予想外の展開になったのである。
あまりに開放的なつくり
夜半から雨が降り出し、どんどん激しくなった。外壁のない網戸だけのウッドハウス、雨音がもの凄い。幸い、網戸がはまっているし、横殴りの雨ではないので濡れはしない。でも、窓際のソファーに寝ている私は安眠できそうにもない。やがて雨は雷雨に変わった。
この雷のすごいのなんのって。一晩にいったいどれくらいの稲妻が走っただろう。とにかくひっきりなしである。ベッドの横は全面窓であるから、「大スクリーンでオールナイト光のショー」状態だ。また、雷の音も途方もないボリュームである。ドーン!バーン!ドカーン!ズドーン!その度にびっくりしてまるで自分が打たれたかのようにえび反りになる私。到底、眠れるわけがない。10年ほど前から耳の持病があって、大きな音は耳に負担になるから避けなければならないのだが、そんなことを考えている余裕すらない強烈体験であった。ほとんど眠れない夜を過ごしヘトヘトになりかけた朝方、ようやく雨は止み、鳥たちがさえずり始めるのを聞きながら眠りに落ちた。後に知ったことには。コロン島は雷が多いので有名だそうだ。
目が覚めると、すっかり前は上がっている。青空だ!よかった、外に出られる。私たちはすぐそばのビーチ、Playa Blaffへ行くことにした。しかし、海岸へ行ってみると海は波が高く、泳げそうもない。見ると「離岸流に注意」と立て看板がある。うーん、、、、。
家族で顔を見合わせていると、サーファー風の白人男性が通りかかったので、「ここって泳いだら危ないですかね?」と聞いてみる。男性は言った。「ここでね、毎年一人二人、旅行者が死んでるよ。いつも今の季節。こないだもドイツ人が死んだ。離岸流で流されるっていうより、波で頭を海底に叩きつけられるんだ。現地のやつらは言わないけどね。だって、ただでさえ客の少ないシーズンオフだろ、ますます旅行者が減ったら困るもんね。オレもこないだ危なかったんだよ。サーファーだから海には慣れてるけどさ。それでもやばかったから、あんたらここで泳ぐのはやめときなよ」
死にたくはないので忠告に従うことにしよう。でも、コロン島のビーチはどこもそうなのか?と一瞬不安になる。しかし、島の北にあるPlaya Boca del Dragoなら安心して泳げるというので、行ってみることにした。
道路は大雨で土砂崩れを起こしているところがあり、気をつけながら進む。雨季をちょっと甘く見ていたかなあ。
Playa Boca del Drago。こちらは静かな良いビーチだった。
ハンモックやブランコが設置されていて、ハイシーズンにはきっと賑わうのだろうな。この日は誰もいなくて、貸切り状態だった。寛ぐ娘。
ペリカンが飛んでいた。カッショクペリカンかな。
このPlaya Boca del Dragoから少し南下したところにはヒトデが浜(Playa Estrella)というビーチもある。ボートタクシーで送迎してもらうこともできるけれど、2kmくらいなので海岸沿いを歩いてみよう。
マングローブの林に沿って歩く。カニがたくさんいた。
Playa Estrellaは魚がたくさん泳いでいる遠浅のとても綺麗なビーチだ。湾なので波もなく、泳ぐのに最適。でも、ヒトデが浜といいながら、ヒトデがうじゃうじゃといるわけではなかった。探せばいるという程度。季節にもよるのかもしれない。
コロン島に気に入ったビーチを見つけ、まずは満足。
パナマ旅行記 その12 コロン島のコウモリの洞窟、La Gruta
(この記事は以前、他の場所で公開していた2019年6月のパナマ旅行記をリライトしたものです。)
滞在している場所からそう遠くないところにコウモリの棲む洞窟があることがわかったので、行ってみた。
コロン島は長さ13.6km、幅7.2kmの小さな島だけれど、道路が穴だらけで穴をよけながら運転しなければならない。また、コロン島に限ったことではないものの、犬がとても多く、必ずしも野良犬ではないが基本的に放し飼いになっていて路上をたくさんの犬が歩いている。そんなわけで、ちょっと移動するにも結構時間がかかる。
洞窟の看板があった。自然保護のために一人1ドルの入場料を払ってくださいと書いてあるが、受付は見当たらない。道路を挟んで向かいの民家からおばさんが出て来て、「洞窟?一人1ドルね」と言うのでお金を払った。「懐中電灯、ある?なければ貸すけど」「持って来ました」「中に入ってぐるっと回ると出口があるからね」。
洞窟は鍾乳洞で、下には水が流れている。
中から外を見るとこんな感じ。最初は岩づたいに進もうとしたが、ぬるぬるしていてとても滑りやすく、危険だ。諦めて水の中を歩くことにした。靴が濡れてしまうがしょうがない。でも、水は綺麗で不快さはなかった。
洞窟に入って数メートルのところで立ち止まり、頭上を見ると、
いるいる!小さめの黒いコウモリだ。
コウモリは窪んだ場所に集まっているようだ。この写真は現像の際に明るくしたので、肉眼ではこんなにはっきりは見えない。黒い塊があるなというくらいである。
野生のコウモリは何度も見たことがあるが、洞窟の中で見たのはこれが初めて。私たちの住むドイツにもコウモリがたくさん生息していて、南ドイツのカルスト地形の洞窟など、コウモリの寝ぐらになっている場所が少なくないが、コウモリの冬眠を邪魔しないように冬眠の時期には洞窟が立ち入り禁止になることが多い。コロン島のこの洞窟は年中入れるようで、熱帯だからコウモリは冬眠をしないのだろうか?ときどきコウモリがバサバサバサと飛んで、顔の横をかすめていく。寝ているところを私たちが起こしてしまったかな。
洞窟の中は蛇行しているが全長は100メートルちょっとだろうか。入り口と出口のあるトンネルのような洞窟だった。出口の少し手前に来ると、おびただしい数のコウモリがぶら下がっていた!
これはすごい、、、、。野生のコウモリを間近で数匹見られるだけでも十分だと思っていたので、ここまでの数は期待していなかった。
あとで調べたところによると、コロン島には13種ほどのコウモリが生息している。ところで、コウモリは狂犬病ウィルスに感染している場合があるので注意が必要だ。自然の中を歩くことが好きな私は破傷風などのワクチン接種を定期的に受けていて、初めての国へ行く際には、追加で受けるべきワクチンがないか確認している。
洞窟の周辺には動物に齧られた植物の実がたくさんあった。何の植物かわからないけど、食べかすが洞窟の中にたくさん落ちていたので、きっとコウモリが洞窟に入る前に食べたのだろう。
ミステリアスな洞窟を通り抜ける体験は面白かった。しかし、マジカルなパナマの自然体験はこの後もまだまだ続くのである。