(この記事は以前、他の場所で公開していた2019年6月のパナマ旅行記をリライトしたものです。)
ボケテ高原に1週間滞在し、ハイキングしたり、温泉に入ったり、動物保護施設を見学したり、ジップラインを楽しんだりした後、私たちはカリブ海の島、コロン島へ移動することにした。
コロン島はパナマ北西部のボカス・デル・トーロ県に属する島である。同県には大小の島があって、コロン島はメインの島なので飛行場もあるが、私たちはレンタカーを借りているのでパナマ本土からカーフェリーを利用しなければならない。フェリーはアルミランテ(Almirante)という小さな町から出ている。ボケテからアルミランテまでは地図で見ると直線距離ではそう離れていない。でも、山道なのでどのくらいの時間がかかるのか、よくわからなかった。ボケテの人に聞くと、4時間ほどらしい。フェリーの運行は朝の7時または正午の一日2回。しかも、乗れる台数が少ないので、出港の1時間前には港に到着していないと乗れない可能性があるという。正午のフェリーに乗ることを目指し、余裕を持って朝6時半にボケテを出発した。
なかなかハードな道のりだった。山道でカーブが多い上に道路は穴だらけ。滞在していたパロ・アルトも雲霧林の入り口に位置しているため始終霧雨が降っていたが、峠を越えるにはさらに山を上らなければならない。つまり、霧で視界が悪いのである。
アルミランテまでの間、町らしいものはなく、ところどころに集落があるだけ。途中で車の調子が悪くなったりなど何かハプニングがあれば完全にお手上げだろう。
道路にいろんな動物がいて、その度によけて通ったり、
壊れそうな狭い吊り橋を渡ったり、なかなかスリルがある。でも、私はこれまでに夫があらゆる国のあらゆる道路を運転するのに同乗して来たので、今では悪いコンディションにもすっかり慣れてしまったというか、まあ今回もきっとどうにかなるさという妙な安心感があった。
そして、村々を通過しながらの移動は楽しかった。パナマシティを出発してボケテ高原へ行く途中やチリキ県で見た民家のほとんどはビビッドな色のペンキを塗ったコンクリートの四角い家が多かったが、ボカス・デル・トーロ県に入ると高床式の木造や茅葺機の家屋が目につくようになった。物干しロープに干してあるカラフルな洗濯物や、お母さんと一緒に通学中の子どもを眺めながらゆっくりと車を走らせる。ある集落では皆で集まって公共スペースの草刈り作業をしている最中だった。男性も女性もマチェテと呼ばれる山刀をブンブン振って草を刈っている。マチェテは農具として不可欠なのか、道ゆく人の多くがマチェテを手に提げて歩いている。
幸い何事もなく、フェリー出航の1時間前に無事にアミランテに着いた。アミランテはちょっと不潔な感じの町で、あまり長居をしたい雰囲気ではない。フェリー乗り場の看板を探したが見つからない。現地の自称ガイドが何人も自転車でうろうろしている。外国人旅行者を乗り場まで案内してお小遣いを稼ごうということらしい。
高原から来たので、低地は蒸し暑くてたまらない。水をがぶ飲みしながらフェリーを待っていると、ようやく到着して車が降りて来た。しかし、乗り降り口付近の路上に大きな穴が開いていて、降りて来た車があっさりと穴に嵌まってしまった!
なんとまあ、、、。御愁傷様。それにしても、こうなることは予測できることなのに、穴を埋める気はないのだろうか?この車を穴から出すためにフェリーの出航時刻が遅れることになった。ようやく救済作業が終わり、私たちは穴に落ちないように気をつけながらフェリーに乗り込んだ。
約1時間でコロン島に到着。コロン島はボカス・デル・トーロ県にあると先に書いたが、コロン島にある県都の名前もボカス・デル・トーロ(略してボカス)という。県都といっても人口10万人弱の小さなタウンである。ボケテタウンとは異なり、カジュアルな雰囲気の町だ。ボケテおよびその周辺には少数民族ノベ・ブグレ族(グァイミー族とも呼ばれる)が多く住んでいて、カラフルなロングドレスの民族衣装をよく目にしたが、コロン島ではアフロ系住民が多いらしいことに気づいた。また、ボケテ高原には仕事をリタイアした欧米人移住者がたくさん住んでいて外国人の平均年齢が高めの印象だったが、コロン島はサーファーなど若い外国人が多そうである。観光地として人気上昇中なのが見て取れるが、まだマスツーリズムの波は到達していないようで、大型のリゾート施設などはなく、素朴な感じである。現在は雨季でシーズンオフなので、余計そう感じるのかもしれない。
ここまで来るだけでもなかなかの冒険だった。さて、これから1週間、カリブ海の島暮らしを楽しもう。